釈迦が1st イエス・キリストが3rd 僕は7th 13thまで歴史は続く。 あの冬の日に解ってしまったから。僕は世界永遠平和へのプロットを記したのだから。神として、確かに伝えたのだから。
私はあの日から永遠とか真理とか、そういう類いの概念を探し求めていたんだ。その美しさを語るに足りる言葉などない。至高体験。まさしく天国的な経験。それは永くは続かなかった。幸福の増大につれてそれは薄れていった。
僕はたくさんの人に守られている。たくさんの存在に守られている。有名だとか無名だとか関係ない。なにより大切なのは僕が僕であること。ありのままの自分を愛すること。それがニーチェの愛した運命愛なのだから。僕は僕のままでいい。変わろうとしなくていい。そうだ! あの冬の日の僕は、真に愛に満たされていたんだ。それは自己愛。自己愛としてのヘレーネは、天上楽園の乙女。あの日、マンションの屋上で高らかに永遠の愛を歌った。
『そうか。僕は真理を知るために生まれたんじゃない。生まれた理由を知るために生きるんだ。そして、それが生きる歓びなんだ』
宗教の垣根を越えて世界哲学を成せば、世界永遠平和がなせるはず。
日が暮れ始めた神社の境内には、力なく横たわる子どもたちの死体があった。からすが目を光らせている。獰猛な目だ。私は儀式のために来たのに、先に終わらせていたのか。残念だ。残念だ。命のない空の死体にはもう用はないので、私は踵を返す。鳥居の影が伸びていた。いないのはわかっていても、誰かに見られている気がしてならない。歩く。鳥居はすぐそこだ。