綴る
プロローグ
「…あれから、人は何故雌雄に分かれて作られて。男は女に、女は男に恋をするのだろうかと。私なりに考えてみた」
彼女と自分との間で、バーカンに置かれたシャンパンの泡の音が静かに響く
普段なら、仕事の疲れをひとりでに癒してくれるシックなジャスも。ホテルの下でけたたましい音を立てながら高速道路を走っている自動車たちの声も
今は聞こえない
「勿論、このことは誰も解明できていないような難題なのだから、私如きが少し悩んだところで判りっこないのは最初から自覚しているつもり。だけど、それを最初から“判らないから”といって考えることさえしないというのは駄目だと思う。だから、貴方が以前私に君なりの答えを語ってくれたように。私は私で、私なりの答えをきちんと出してみた」
僕は彼女のこういう一面に惹かれているのだろう
普段は他人の心情になど目もくれないで、自分のやるべきことにしか関心を示さない彼女。そんな彼女を、仕事の同僚達は冷酷だと言う
「―――聞かせてください」
それは違う。と、僕は大声を上げて否定したい
何故なら、彼女は誰よりも“人”を見ているからだ
彼女の見ている世界は、どんなものなのだろうか
僕が毎日見ている何もなく過ぎていく東京の一日も、彼女から見るとどんな色に見えるのだろう
彼女の描く世界はとても美しい
僕達には決して見ることが出来ないはずのその美しい世界に
彼女はいとも簡単に、僕達を連れて行ってしまうのだ
たった一本のペン先から生み出される、字によって
最初に会った時に彼女が言っていた言葉を今なら理解できるかもしれない
『字は糸だ。この糸は字さえかければ誰でも手に入れることが出来るだろう。人の書く字は糸の質
を決める。美しい字は絹、乱雑な字は綿、書き殴るような字は鉄糸のようなものだ』
『けれど、絹だからといって必ずしも美しい布が作れると保証されたワケでは無い。場合によっては、鉄糸によっておられた布が、人を守ったりする。いいか、少年。文とは誰にも推し量ることの出来ない芸術なのだよ』
『私にできることは布を織るところまでだ。それが私の仕事。だからその布を織るところまでは完璧に仕上げよう。だから、その布をどう使うかは君次第だ。願うことが許されるなら、私に自分の創りあげた最高の布が煌びやかに輝く着物になるところを見せてくれはしまいか、少年』
貴方が織りなす “布”は活字だけではないですよ、琥珀先生
あなたの口から紡がれた繊細な言葉は、僕という一人の人間を救ってくれたではありませんか
傷付いて、落ちていた僕を。淡くて暖かい色をした絹布で包んでくれた
これが、貴女の力なんですね
自分の隣に座っている女性の持つ優しさに満ちた膨大な力を、
垣間見た気がした
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