大学ノートの終始事情 FILE:02.桜咲く。
これはとっくの昔に終わった話。 動き出した彼の前日談。
桜咲く。
人の運命に翻弄され続けた人生の終着点は、万華鏡の裏の日陰。
そんな場所でも、桜は咲いた。
◇
「お嬢、ここ開けとくぜ」
そう背後の寝台に横たわる少女に声をかけ、縁側に通じるふすまを開け放つ。春先の柔らかい光とパステルの色彩が部屋に差し込み、明かりのない部屋が少しばかり明るくなる。
……それでもやはり、がらんとした空気は拭えないのだが。
九十九一門。
異界に取り込まれ、人に必要とされなくなってしまった付喪神が集まっ出来た一つの集団だ。物の生涯はそれこそ魂が宿るほどに長い。そんな長い生涯を、主無くして生きることは出来ない。ましてや一人で、だなんて。
だからこそ家族のような物を作り、集団として生きる術を身につけたのだろう。
こうして廃神社に集った彼ら。それでも、終わりはすぐに訪れる。
手入れを行える主がいないと言うことは、すなわちそのまま風化することと同じだった。それは最初から分かり切っていて。
日が経つにつれ一人、二人と居なくなり、最後に残されたのは、長の鏡と守番の刀の二人だけ。
そして鏡の少女もまた、終わりが目前まで迫っていた。
「桜きれいだな。そこから見えるか?」
「……大丈夫、見えてますよ」
寝台から体を起こし、力なく微笑む少女から彼は視線を逸らす。
「まぁまだ五分咲きだからな、満開になったら散歩に行こう。背負っていってやるから」
そして努めて明るい声で、来るはずのない未来の話をする。
分かっていた。遠くない満開の桜すら、彼女は見ることがないだろうと。
分かっていた。明日の朝日を望めるか分からないほどに限界が来ていると。
分かっていた。自分の生涯は、どうしようもなくこれからも続くと。孤独も絶望もお構いなしに、続いていくと。
分かっていた。
彼をしばらく見つめた後少女は背筋を正すと、前と比べて弱くなった、それでと凛と鈴の音のようによく通る声で彼に呼びかける。
「……ヒナ君、こちらへ」
彼はその声に振り返ると、少女の元に歩み寄る。口元に浮いた愛嬌のある笑みと、飄々とした掴み所のないいつもの空気を携えて。
少女はそんな彼に向き直り、深々と姿勢を正したまま一礼する。
「今まで、お世話になりました」
「……時間、なのか」
茶化すことも明るくすることも出来なかった、半端なトーンの言葉に少女は残酷なまでに真摯に答えた。
よく知っていた。目の前の少女がどれだけ真面目で堅物で、嘘一つ付けないような不器用な子であるか。良く知っていた。たとえ死期が迫っていることを彼が巧妙に隠していようとも、察してしまっていると。
知っていたのだ。
「九十九の一族は終わりです。貴方だけ残していくことを、忍びなく思います……どうか、貴方だけでも……」
「……そっか」
目の前の少女の姿が、揺らぐ。その背後に透かして見る銅鏡は、綺麗な桜の透かしが入っていた透光鏡は今や黒く変色し、無数の亀裂が入って見る影もない。
そう。本当に、終わり。
しばし少女は何かを言おうと口を開き、諦めるようにそのまま口を閉ざして。そして、空気に溶けるように消えた。
最後に脆く鋭い音が響き渡り、銅鏡が砕け散る。
砕けた鏡の砕片は足元に転がり、止まる。しばしの沈黙ののち、彼は困り果てたような笑みで天井を仰いだ。
「……若い奴から死んでいきやがる。先に死ぬのは年寄りの役目だろうがよぉ……」
「駄目だな……格好付かないよなぁ、これじゃ……」
「……置いて行くなよ……」
思わず漏れた本音も弱音も、誰は聞きはしまい。
ずっとむかしに炎に消えた家族の口癖に、誰かが笑ったような気がした。
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これはとっくの昔に終わった話。
動き出した彼の前日談。
大学ノートの終始事情 FILE:02.桜咲く。
大学ノートの終始事情 FILE:02.桜咲く。
とっくの昔に終わった動き出す彼の前日談。