星雨は滲む
教師と生徒のお話です。
「…だから……で、」
耳障りの良い声が脳に響く。
なかなかのイケボだ。
目を開けた。
さっきまで閉じていた目を擦り、ふと光が刺す方を見ると、明るい空から雨が降っていた。
いや、眠る前も降っていたのだが、問題はそこじゃなく視力の悪い私でもわかるほど、雨が
「色が変わってる…。」
「え?」
私がふと、思ったことを口にすると、右隣から低い声が響いた。
声の方へ目をやると、すぐ隣に座る同い年くらいの男と目が合った。
「…誰?え、ここどこ…。」
眠る前に、雨が降っていた記憶しかないことに気が付き、起きたばかりの頭で記憶を遡った。
あー、そうだ、ここ教室…。
「えっ、と、大丈夫?」
大体を思い出すと、隣にいた男子が心配そうに顔をのぞき込んできた。
「あー、うん、蘇った。」
「蘇っ、え?」
記憶を整理しよう。
まず、私の名前は 橘 涼宇(たちばな りょう)
年齢16、高校1年生。
ここまでは間違えないはずだ。多分。
高校1年生と言っても、正しくは今日からであり、つまり今日は入学式だ。
式を終え、いきなり学力テストを受けた所まで覚えてる。
多分その後すぐ寝てしまったのだろう、そこからの記憶は今のところない。
「で、今は何してるの?」
私は教卓にいる担任らしき人物と生徒たちを見渡したが、何について話しているのかは頭が回らなかった。
「あー、えっとね、多分これからの学校生活についてだと思うよ。多分。」
隣の男子に現在の進行状況について聞くと、なんだか曖昧に返ってきた。
「いや、ごめん実は俺も居眠りしてて、あまり聞いてなかったんだ。」
私が変な顔をして見ていると、その人はそれに気づいたのか、困ったように微笑んだ。
「入学式当日に居眠りって、度胸あるね。」
「いや、君もね。あ、俺、逢坂洸太。」
「私、橘 涼宇。よろしくね。」
「うん。よろしく。」
だんだん目が冴えていき、私が微笑むと、逢坂浩太も笑顔でそう言った。
「はい、じゃあみんな、明日からよろしくなー。」
先生がそう言うと、クラスの人達は一気にざわざわし始めた。
男子は知り合ったばかりのはずの相手とも、もう遊ぶ約束をしたりしていたが、女子はといえば、やっぱりもうグループの様なものができかけていた。
…あー、出遅れたかな。
「橘、目ぇ覚めた?」
私が教室中を見渡していると、逢坂くんがさっそく話しかけてきた。
「あー、ははっ。うん。もうばっちり。」
私が明るい口調でそう返事をすると、逢坂くんはなぜか目を見開いた。
「…ん?」
「いやなんか、さっき話した時は声のトーンとか、表情もクールだったのに、すごい変わってるから、びっくりした。」
本当にびっくりしたのだろう、逢坂くんの方こそ、顔も声のトーンも素直に、びっくりした風だった。
「私寝起き悪くって、先ほどはご迷惑お掛けしました。」
「いえいえこちらこそ。もう帰るの?」
「うーん。ちょっと学校徘徊しようかな。」
「ははっ。自由人だな。じゃあ俺はそろそろ。」
逢坂くんは笑いながらリュックを背負った。
「うん。また明日ー。」
ヘラヘラと手を振ると、逢坂くんもヘラヘラと手を振り返しながら去っていった。
さて。
私は立ち上がり、リュックを背負い、本当に徘徊する気になったので気合を入れた。
教室を出て、廊下の窓の外を見ると中庭が見えた。
私立ではないのに、私立並に校舎が綺麗だと有名だったこの学校は、裸眼で見ても綺麗だった。
こんな綺麗な中庭を見て、そこに行く他ないと思い、すぐに階段を降り、上履きのまま中庭へ出た。
屋根がなくなると、雨が降っているのを肌で感じた。
"雨、庭、誰もいない"という環境が、たまらなく自分の好みすぎて、思わず立ち止まり目を瞑り、雨の音しかしない、雨の匂いと緑の匂いでありふれた空間を堪能した。
「……何やってんの。」
耳をすまして雨の音を聞いていると、後ろからいきなり人間の声が響き、思わず振り返った。
そこには先生らしき人が、雨に濡れながら立っていた。
「え、なにやってるんですか?」
私がそう聞き返すと、先生の質問の答えになっていないと気付き、答えた。
「「感動して」」
「「え?」」
私の口から確かに発した言葉が、先生の口からも同じタイミングで出た。
私が驚くと、同じタイミングで先生も驚いた。
また私が何か言うと、同じように相手も何か言う気がして、黙って目を見ていると、向こうが口を開いた。
「俺は、なんか外でやたら雨に濡れてる生徒がいるのが二階から見えて、注意しようと降りてったら、なんか、すごい絵になってて感動した。」
雨の音に混じり、綺麗な低い声が滲んだ。
「すごい、いい声ですね。」
「え、あ、どうも。…いや、てかとりあえず屋根あるとこ行こう。風邪引くぞ。」
雨の音と先生の声のトーンが同じで、感動してそう褒めると、先生は私の腕を掴み、屋根のあるすぐそこの渡り廊下へ連れていった。
「あーあー、俺も橘もびしょ濡れじゃねーか。」
そう言いながら先生は私の肩に着いた水滴を払った。
「え、なんで名前知ってるんですか。怖い。」
「いや、俺あんたの担任なんすけど。」
そう言われて、そういえばこの人の声で、あの時目が覚めたんだと気づいた。
私がもう一度先生の顔を見上げると、先生は不思議そうな目をした。
「私は、雨が降ってる誰もいない中庭に感動して、思わず飛び込みたくなって。」
先生に質問されたことに、正直に答えた。
「それはまた、すげー感性を持ってんだな。
…いやでも、風邪引くからやめろよもう。」
…もしもう一度同じことをしたら、またこうして来てくれるのかな。
ふと、そういう考えが頭に浮かんだ。
来てくれるのかな。
星雨は滲む
続きます。