あなただけが私の世界
もう何年も前のこと。
私はまだ幼くて、目の前の光景を理解出来ずにただ一人血溜まりが固まっていくのを見ていた。
この血は少し前までパパとママの体に流れていたもので、今二人は穴だらけになって死んでいる。
死んだってことも、殺されたってことも分かっていた。
もちろんその理由も。
ただ分からないのは私が今泣けばいいのか笑えばいいのか、両親の後を追って死ねばいいのかが分からなかった。
ぼんやりと生臭さが増していくのを眺めていると、部屋の扉が開いた。
ああそういえばこの部屋は外からしか開かないんだった。
入ってきたのは私と同じ年頃の男の子。
私を殺しに来たのかと身構えるが、男の子は肉の塊を見て、私を見ると大粒の涙をこぼしながら私に駆け寄り強く抱き締めた。
「ぼくは大きくなったらえいゆうになるから。だから、」
泣かないで、と男の子は言った。
私は、なんて答えたらいいのか分からず彼の背中に手を回した。
だって泣いているのは私じゃなくて彼だったし、えいゆうが何かも知らなかったし、目の前の体がひどく熱かったから。
私は分からないことだらけだったけど、彼が優しい人間だってことはちゃんと理解できた。
だから、この日から彼が私の世界になった。
それから月日が経ち、彼と同じだけ私も大人になった。
そしてあの夜の約束通り彼はいつしか英雄と呼ばれるようになった。
強きものを律し、弱きものに寄り添い、人々の苦難を背に負う彼は英雄と呼ぶに相応しかったが、私はそれが気に入らない。
だって彼の意思じゃあないもの。
社会に、環境に、そして世界に虐げられていた彼の両親は救って欲しい一心で彼を育てた、自分達の為の英雄にするために。
だけど愚かな彼らは息子に教えなかった。
この世界が善と悪のみで成り立っている訳ではないということを。
子を殺された親が復讐のために手を汚すこと。
親に守ってもらえない子、親に壊されてしまう子。
愛は善であるが愛を求めるが故の行動は悪であること。
善悪の天秤が揺るがないとき、彼はいつも私に助言を求めた。
優しくて暖かい、私の馬鹿な恋人。
そう彼は、彼の両親から愚かさをも受け継いでいたのだ。
彼は知りたいと望むべきだった。
中からは開けられない扉の内で、私の両親が死んでいたという状況が意味するものを。
私の両親は奇しくも彼の両親と同じような環境で這いつくばって生きていた。
しかし、救いという言葉の受け取り方、望み方が違っていたようで私は全てを壊す者として育てられた。
彼が善ならば、私は紛れもない悪だったのだ。
しかし英雄の彼は善であるが故に私を救い、私は悪であるからその事実を口にしなかった。
そして今日も、彼は人々を救う。
奪われて壊されて、絶望に沈む人々に彼は優しく語りかけ肩を貸し愛を与える。
彼に必要なのは誰にでも判断できる絶対的な弱者。
ああ、この世には悲しみが多すぎる。
もう誰も悲しまないで苦しまないで、どうか彼に生きる意味を与えないで。
彼が英雄である限り、私が救われることはないの。
けれどあなたが英雄としてしか生きられないというのなら、仕方ないわ、私は悪であり続けてあげましょう。
他の誰でもないあなたのために。
助けを求める両手を折って、悲鳴をあげる喉を潰し、涙を流す目を溶かすの。
あなたはただその存在を知ろうともしない悪に憤って恐怖に震える人々を救うといいわ。
そして、いつかこの世に私とあなただけが残されたなら、ねえ、私を救ってちょうだいね?
あなただけが私の世界