序幕女性。
永遠の命を作り幕を開けたわがままな女性の話……。
幸せになってほしい。幸せになって。これは、そんなわがままな私のお話――。
私は目を開く、いけない。また研究をしながら寝てしまっていたらしい。
机にうつぶしていた体を起こして髪を束ねていたゴムをほどく。
頭を置いていたせいだろう、血のめぐりが悪くなっていた手が少し痛い。
「あれ」
後ろでドアが開く音と私の弟の声が聞こえる。
「なんだ、起きちゃったのか」
振り返ると白衣姿のままの弟の手の中には私にかけるために持ってきてくれたのか毛布があった。
「ごめんね、わざわざ」
そう言いながら私はまた髪の毛くくり直す。
「え、まだ休まないの?」
弟が驚いたような声を出した。
目線だけを時計に向けると今は午前の三時。
確かにこの時間に結婚前の女性が起きているのはいかがなものかと思われるだろうし、少し昔ならこの時間帯は街全体が眠りについていた時刻だろう。
けど今じゃ街全体が眠りにつくなんてありえないし女性だってまだバリバリと働いている。
「うん、ここまで来ておちおち休んでなんかいられないしね」
もうすぐ。
もうすぐで私の願いが叶うのだから――。
私たち兄弟には本当はもう一人妹がいた。
私たちの可愛い妹。
年が離れた可愛らしい妹。
成長していれば今頃私なんかよりも数段美しく皆から愛される存在になっていただろうに。
いや、昔からすでに妹は皆から愛されていた。
みんなから可愛がられ、妹は素直な明るい子へと育っていった。時々見せる後先考えない行動さえも彼女の長所だった。
そんな妹に、なんの嫉妬も抱かなかったのかと尋ねられ「はい」と答えればそれは嘘になる。
年が離れていたおかげで親の取り合いはなかったが、無条件で皆から愛されるあの子には私はいつも勝手な劣等感や嫉妬を持ち続けていた。
そこから冷たい態度をとったりもしたが、それでも、妹はあの笑顔で私に接してくれた、皆に愛される前に妹が皆を愛しているのだと私は思った。
だって、あんなにも妹を妬んだ最後にたどり着いた結果は私も妹を愛することだったのだから。
結局どれほど憎く妬ましくても愛しくて愛しくて仕方がない存在だったのだから。
私にとって妹は恨み続けるなんてできない存在だった。
だって、妹は私の大切な家族なのだから。
なんて、そんな簡単なことにもっと早く気付けていれば私はこんなにも今、虚しい思いをする必要はなかったのだろうか。
妹が死んだのは妹が14歳の頃。
赤信号の横断歩道を飛び出した子供を助けようとしたらしい。
妹が死んだと聞いたときは脳にしびれが走ってしばらく物事を考えられなかったことを覚えている。
嘘だと何の根拠もなしにその真実を否定し続けたこともあった。
けどどんなことをし続けたって、あの子はもう二度と私たちの前に現れてはくれなかった。
死は私が妹にしてあげる様々なチャンスを奪っていった。
残るのは悲しみ。
どうして。
どうして神は死なんてもの作ったんだろう。
誰も求めてなんていなかったのに。
何も感じれなくなる死なんて。
誰とも話せなくなる別れなんて。
二度と会えなくなる苦しみなんて。
もう誰もあっちゃいけない。
だから私は決めたんだ。
不老不死を作ろうと。
もう誰も誰も別れなくて済むように。
そしてその夢の一部がもうすぐ完成しようとしている。
『不死』
もう少しでこれが私たちの手に入るところまできていた。
もう少し、もう少し、もう少し。
もう少しで……。
「姉さん」
弟が私に呼びかける。
「……何?」
私は顔を上げずに返事をする。
「やっぱり今日はもう休んだほうがいいよ」
「何言ってんの、あと少しなんだから」
「……姉さんは本当にいいの?」
「――え?」
私は思わず弟の顔を見る。
そこにはいつもと変わらない私の弟の顔があった。
「ううん、なんでもないよ。それより姉さん顔に疲れたって書いてあるよ? 寝ぼけて研究失敗なんてしたくないでしょ?」
「うっ……」
確かに。
ここまで来てまたスタートに戻るなんてこと絶対にしたくない。
それこそ私が生きているうちに完成するかわからない。
それだけは御免だ。
「……わかったわよ、休めばいいんでしょ、休めば」
「うん」
私が手を上げると弟は満足そうに笑顔でうなずく。
まったく……。
この弟はいつもホワホワしてるくせに何を考えてるのかはまったくわからない。
仕事はキチンとこなしてくれるし問題は起こさない。
私の研究にも大きな力として働いてくれてるのは有難いんだけど……。
「あんたってほんとおせっかいよね」
「そうかな?」
「そうよ」
私は間を開けずに答える。
「う~ん、僕自身はあんまり思わないんだけど……。どっちかって言うとわがまま?」
目線を上に上げながら考える弟の額に私はデコピンを入れる。
「痛っ!」
「こんな夜遅くに姉のために毛布持ってくるような人間がわがままなら大抵の人間はわがままよ」
私はその流れで研究室のドアを開け廊下に出る。
「ほら、あんたも出なさい。鍵かけちゃうから」
私がそう言うと弟は何がおかしいのかクスクスと笑いながら出てきた。
この笑い方が実は妹とよく似ていると私はいつも思う。
兄弟の中で私だけがこの笑い方をすることがなかった。
「何が面白いの?」
「ううん」
弟は笑いながら首を振る。
笑ってんじゃない。
「じゃあ、おやすみ姉さん」
弟が私に手を振る。
男女では与えられる部屋はもちろん分かれているし私たちの場合は館まで分かれているのでここで別れるのだ。
「おやすみ」
『おねーちゃん』
だれ?
ああ、とても聞き覚えのある、懐かしい声。
そうだ、この声はあの子の声だ。
『もうすぐだね』
そうよ、もうすぐなの。
『やっとだね、やっとみんな死ぬなんて悲しいことしなくていいんだね』
あの子のとても嬉しそうな声。
私の声もつられて明るくなる。
えぇ。
みんなずっと一緒、もう離れることなんてしなくていいの。
『いいなぁ』
え?
『私ね、あの時の行動、後悔してるわけじゃないよ? でも私だってもっとやりたかったことやしたかったことがたくさんあったのに』
なら今からすればいいわ。これから永遠の命が手に入るんですもの。時間はいくらでもある。あなたが言うやりたいことだって全部――。
『えぇー、無理だよぉ』
あの子がクスクスと笑う声が聞こえた。
『だって私――』
『ねぇ』
……。
『私にもたくさんあったのに』
……。
『いいなぁ』
「姉さん」
弟の声が私を呼ぶ。
「何」
私の声に弟は何を思ったんだろう。
少し慌てた様子で言う。
「あぁ、いや。なんかボーッとしてるみたいだったから……」
『無理だよぉ』
「姉さん、何かあったの?」
私はあたりを見回す、そうかここは研究室で、私はここで研究を――。
「ほら、朝ごはんだってあんまり食べてなかったし、なんか集中できてないみたいだし……」
『だって私――』
「それにいつもの活気もないなぁって……もし僕でよければ相談にのるけど――」
「うるさい」
「え――?」
「うるさいって言ってんのよ!!」
私は机を思い切り手で叩く。
机の上にあったものはバランスを崩し机から落ちたり揺れたりしたがそんなのどうでもいい。
どうでもいい。
どうでもいいんだ。
『お姉ちゃん。私はね、もう――』
「……」
私は弟を通り過ぎドアを開ける。
「あ……」
弟の声が後ろから聞こえた。
「ごめん。今は一人にさせて」
弟の姿がドアの奥に消えていく。
ドアを閉じたときに出た音は、昨日の音の何倍よりも大きく聞こえた。
『お姉ちゃん』
やめて。
『お姉ちゃん』
やめてよ。
『お姉ちゃん』
やめて……。
私は施設の屋上に出る。
風が強く、他の音は聞こえてこない。
ここにいるのは私だけのようだ。
「……っ」
私はその場にへたり込む。
どうすればよかったんだろう。
どうしていればよかったんだろう。
私が願ったことはなんだったんだろう。
私が望んだのは誰の幸せだったんだろう。
もし不老不死が出来上がってそれで私はどうしようとしていたんだろう。
確かにもう別れることはない。
確かに多くの時間を手に入れることはできる。
でも、もう死んでしまった人は?
その人にもう二度と会うことはできない。
生きることはできない。
生まれ変わりなんてものはあてにできないし、もしそれが本当にあったとしてなんだ? それはもう前の人物ではない、別人だ。
永遠の命が手に入れたって。
「もうあの子が生きることはできないじゃないか!!」
目頭がヒリヒリと痛い。
涙?
涙を流しているの?
いや、そんなことどうだっていい。
ごめんね。
どうやったってもうあなたを幸せにできる方法なんて見つからないの。
ごめんね。
なんの力にもなれなくて。
ごめんね……。
きっとあの不死が完成すれば世界中の皆が喜んでくれるだろう。
けど、それじゃだめなんだ。
あの子が幸せじゃなきゃ。
本当に幸せになって欲しい子が幸せじゃなきゃ。
だから私はもうこれ以上、あの研究をすることはできない。
私が永遠の命を手に入れることはできない。
ねぇ、あなたなら私がいなくても完成させること、できるよね?
だってあなたは私の弟なんだから。
あとは任せたよ。
だって、やっぱり他の人にだって幸せでいて欲しいから。
あんな思い、もう誰もして欲しくないから。
笑っていて欲しい。
泣いて欲しくない。
矛盾、わがまま。
嘲笑ってくれたって構わない。
これが私なのだから。
私はフェンスを越えて消えた。
さようなら。
私の大好きで、大嫌いな世界。
序幕女性。