ぼくが大人になった理由

やあ。

みだし


 どうしてだめなの。ぼくがそう聞くと、先生は困った顔をした。
 洗濯物をきちんとした場所に置いておかないから、お母さんに怒られたことがある。お風呂場に連れて行かれて、服を置いておく場所をしつこいくらいに何度も指さされた。その時、ぼくは早くゲームがやりたくて鏡を見て適当に返事をしていたけど、ぼくの顔はとても困った顔をしていた。
 あの時のぼくと同じ顔をしている先生は、困った笑顔でチョークを振った。
 「あのね、そういう風になっているの。数えたらわかるから、きちんと計算してみなさい」
 黒板にはぼくのきらいな九九がずらずらと並べられている。二の段までは簡単で、指を使ってすぐにわかる。だけども、三の段からは指で数えるのがちょっとタイヘンだ。
 三かける七で二十一。大人が正解なんだって言っているから、きっとそうなんだと思う。
 だけどぼくがわからないのは、どうして三かける七で二十一になるのかがわからない。えっとね、三かける七で、すぐに二十一っていう答えを出すのは、なんだかおかしいでしょ? 七を三列に並べて、それから数えて初めて二十一ってわかるんだ。
 それを言うと、先生は困った顔をもっと困らせた。
 その時、チャイムが鳴ったのだけど、先生はお母さんのお説教が終わった後のぼくみたいな顔をしていた。もやもやする。
 家に帰ってお母さんにその話をしようと思ったけど、カギがかかっていてまだ仕事なんだなと思った。玄関にある植木鉢の下がいつもの隠し場所で、ぼくはそこからカギをとって家に入った。
 すぐに太郎丸がのこのこ歩いてきて、ぼくがしゃがんで頭をなでてやると尻尾が震えた。
 太郎丸は、最近元気がない。ご飯もあんまり食べないし、散歩をしていても走り回ったりしないんだ。友達の犬はもっと元気にしているって話していたから、ぼくのうちの太郎丸はきっと何かの病気なんだ。
 獣医さんに連れていこうとお母さんに言ったのだけど、お金がないのよ、と困った顔で言われた。
 お母さんはいつもそうだ。ぼくが欲しいゲームをお金がないからって買ってくれなくて、それなのに一緒に買い物に行くとビールを買って、それを夜に飲んでいる。ビールを買うお金があるのに、ぼくのゲームを買うお金や太郎丸を獣医さんに連れていくお金がないのは、なんだかおかしい。
 太郎丸はぼくになでられて目をつぶり、疲れたみたいに玄関で寝っ転がった。
 「太郎丸、こんなところで寝ていたら風邪ひくよ」
 ぼくがリビングへ向かっても、太郎丸はついてこない。お父さんなら軽々太郎丸を持ち上げて運んでいけるんだけど、ぼくにはムリだ。それでもがんばって太郎丸を引っ張ると、太郎丸はゆっくりと立ち上がってぼくについてきてくれた。
 太郎丸をなでて遊んでいると、お母さんが仕事から帰ってきた。
 さっそく今日あったことをお母さんに話すと、お母さんも先生と同じ風に困った顔をした。
 「あのね、大人の言う事はきちんと聞いておきなさい。算数もそう。答えがわかれば大体の事は大丈夫、なんでもできるから。お母さん、夜ご飯作らなきゃいけないから、ね」
 そう言って、お母さんは台所へ行ってしまった。
 ぼくはむっとして、そんなの絶対おかしいよ、って叫んだ。だけどお母さんは返事をせず、包丁をぽこぽこ鳴らし始めた。
 こんなの、リフジンだ。だって、ぼくは絶対間違ってなんかない。三かける七が二十一なんて、数えてみなくちゃわからないんだ。数え終わって初めて、二十一だってわかるのに。三かける七が二十一だって決めつけて、数えてないじゃないか。
 ぽこぽこぽこ……

 次の朝になると、ぼくはいつものように太郎丸にご飯をあげにリビングへ行った。ドッグフードを皿によそって太郎丸がいつも寝ている場所に持っていってあげる。
 だけど、いつもなら嬉しそうに尻尾を振ってぼくに飛びついてくるのに、今日は太郎丸はずっと寝ている。太郎丸が寝坊なんて珍しい。
 揺すって起こしてあげようとすると、太郎丸の体はびっくりするくらいに冷たくなっていた。名前を呼びかけても温かくなってくれず、何をしても起きてくれない。
 ぼくはどうしていいのかわからず、お父さんとお母さんを起こして太郎丸のところまで引っ張ってきた。眠たそうにしている二人は太郎丸に何がおきたのかすぐにわかったらしく、お父さんはぼくの頭を優しくなではじめた。
 「太郎丸、起きないんだ。朝ごはんなのに」
 「あのな、太郎丸は疲れちゃったんだよ。疲れてるから、もうずっと寝ていなくちゃいけないんだ」
 お父さんはゆっくりと一言ひとこと言い聞かせるように、ぼくにそう言った。
 「でもでも、そしたら起こせばいいよ。だって、寝てるんなら起こせばいいでしょ、正解でしょ?」
 お母さんがはっとしたような顔をしたけど、ぼくは気にせずにお父さんにすがった。
 「いや、起きられないんだよ、疲れすぎて。もう随分長い間生きていたから、お年寄りなんだ。わかるだろう」
 「わかんないよ。寝ていたら、起こせばいいだけ……なのに」
 その日ぼくは学校を休んで、お母さんも仕事を休んでどこかへ出かける事になった。
 「ペット専用のお葬式場があるのよ」
 お母さんはそんなことを言っていたけど、僕にはどうでもよかった。
 後部座席で僕の隣で寝ている太郎丸を、これからどうするつもりなんだろう。お葬式って、あのお葬式? お葬式って、人を燃やすところでしょ? ぼくはまだ太郎丸が死んじゃったなんて、信じてない。
 太郎丸のことばかり考えていると、お母さんが車を停めて降りていった。テレビで見るような立派なお寺が、とてもおそろしい。ドアの向こうで何かよくないものがうようよとしているんだ。そうだ、お寺はよく怖い話にも出てくるし、ガイコツがカマを持っていたり頭を撃たないと死なないゾンビが住んでいるに違いない。
 ぼくが色々と考えて怖がっていると、頭がツルッパゲの優しそうな人が窓ガラスを叩いた。
 「寺生まれの田中です。太郎丸くんを一緒にだっこしてくれるかい、ハァーッ!」
 お坊さんはタレ目すぎて目が三角になっている。このお寺に住んでいるのに、どうしてこんなに優しそうな顔をしているんだろう。途端に、お寺がなんだかとてもいいところのような気がしてくる。
 ぼくはお坊さんの言う通りに、二人で一緒に太郎丸をお寺の中まで運んだ。太郎丸の体は全身石でも詰め込んだんじゃないかって思うくらい固くなっていて、本当に起きてくれそうにない。
 お骨、納骨、火葬に奉納。意味の分からない言葉でお母さんとお坊さんが話しているけど、ぼくはまったくちんぷんかんぷんだ。
 ちんぷんかんぷんのままに、話が終わっていつの間にか車に乗って家に帰ってきていた。あっという間のことで、何がなんだかよくわからない。
 とにかく、この家に太郎丸はいなくなってしまったんだ。
 その夜、ぼくは眠れなくて、水を飲もうと思ってリビングに行った。だけど、リビングの前まで来るとお父さんとお母さんが何かを話しているのが聞こえてきた。ぼくは、なぜかイケナイ事をしているような気分になりながら、そっと耳を澄ませてみた。
 「だから、それは逃げだろ」
 「逃げって何よ。もうあなたの何もかもが嫌だし、どうしようもないのよ」
 「あの子はどうするんだよ、俺が嫌だからって子どもまで巻き込むのは間違ってるだろ」
 「でもだからって、もう我慢なんかできない。一緒に寝るのも嫌よ、箇条書きにしたわよね」
 「だから、それは俺も直すように努力してるだろ。一緒に頑張っていくんじゃだめなのか」
 なんだか、二人とも喧嘩をしているみたいだった。どうして喧嘩をしているのかわかんないし、どうすればいいのかもわかんない。どうしようもない気持ちで胸がいっぱいになって、泣きたくなってしまった。
 ぼくは水を諦めて、部屋に戻って頭から足の指まですっぽりと布団をかぶった。
 太郎丸がいたら、二人とも笑って可愛がっていたのに。そうだ、太郎丸が起きだしてくれたら、二人も仲直りするに決まってる。

 次の日、学校から帰るとお母さんが小さな箱を持ってぼくに渡してきた。木箱の中には小さなツボが入っていて、大事そうにふたがしてある。
 これは何、と聞くと、太郎丸よ、と言われた。
 ああ、もうとっくにわかっていたのにな。小さくなった太郎丸を見て、胸の奥が冷たくなったみたいな感じになった。スライムみたいな感触の風が穴を通り抜けるみたいな感じだ。
 僕は木箱をじっと見つめながら、お母さんにぼそりと呟いた。
 「お母さんたち、リコンしちゃうの」
 お母さんは驚いた表情をしたあと、困った顔でぼくの前にしゃがみこんだ。
 「かもしれないわ」
 「どうして?」
 「わからない。どうしてこうなっちゃったんだろうね」
 「わかんないのにリコンするの?」
 お母さんは言葉を忘れたみたいに口をぱくぱくして、疲れたみたいに大きなため息をついた。
 「わからないから、離婚するのよ」
 「喧嘩してるだけなんでしょ。喧嘩したら、仲直りすればいいじゃん。正解でしょ?」
 言いながら、ぼくはやっとわかってしまった。
 「ごめんね」
 お母さんが涙ぐんで謝っているのなんか、もうどうでもよかった。
 三かける七は二十一。答えがわかっていたってどうしようもなくて、だからそういう答えにしちゃったんだ。そういうことだったんだ。

 それから、夜になるとたまにお父さんとお母さんがリビングで話しているのを知っていたけど、ぼくは知らんぷりしていた。なんだか難しい話になっていて、ついていけそうにないんだ。
 だけどどういうわけか、ぼくはあれだけ苦手だった九九をすらすらと解けるようになって、先生からも褒められて、ちょっぴり嬉しかった。
 その話を夜ご飯の時にお母さんとお父さんにしても、二人はなんだか暗い顔をしてよくわからない褒め言葉をくれるだけだった。
 お父さんが意を決したような顔をして、ぼくに話があると言った。
 なんだか、すごい真剣な顔だなあ。太郎丸が死んじゃった時も、ぼくが太郎丸の側を離れようとしなかった時、こんな顔をしていた気がする。それからお父さんは、太郎丸は死んだんだよ、と重たく言ったんだ。
 だから、きっと。
 「ぼくがよごした服は、どこにしまえばいいのかわかるのにね」
すぐそこに正解があるのに。
 ぼくが小さな声で言うと、二人の顔は固まった。お坊さんと一緒に太郎丸をだっこした時みたいに、何をしても動かなさそうだ。
 「話ってなあに、お父さん」

ぼくが大人になった理由

少し崩してるところもありますが、ご愛嬌という事で。
批評感想待ってます。
ひん。

ぼくが大人になった理由

算数はきらいだ。 だって、答えしか求めてないんだもの。 という、少年のお話です。

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-10-26

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