靖国の桜

靖国の桜

毎年、この時期になると、桜と共に靖国神社がテレビに映る。桜の標本木のある靖国神社の桜が五、六輪咲くと、関東の桜開花宣言となる。

 私は毎年桜の季節になる少し前から、忘れもせず思い出したように目が痒くなり始め、くしゃみも出始める。花粉症が到来したことを我が身で感じ、春ももう時期だなと何の色気もなく思ったりする。
 桜が満開になると、花見をする人たちがテレビに映り、私は何だか非常に冷めた気分になる。花見をするのは結構だが、どうして桜の木の下で酒を飲み、物を食いながら花見をしなければならないのか、理解に苦しむのである。それこそ「花より団子」ではないか。

 私は桜を見るとどうしても、今はもう会うことの出来なくなった、死んでいった懐かしい人たちのことを思い出し、気持ちが塞ぎがちになるのだが、それでもこうしていつの世も変わることなく、季節を忘れず花を咲かせる桜を見ると、いささかほっとするようにもなった。その理由は明確にこれと言ってないが、もしかするとあまりにも変わり行くこの世の中にあって、良い意味で全く変わらないであるものが桜だからかもしれない。

 人の気持ちの感じ方はそれぞれだから何とも言えないが、美しく咲く桜を見て人を殺してやろうとか、騙してやろうとか、人を憎んだり恨んだり、そんな刹那な思いになる人は先ずいないのではないか。
 ちょっとそこらのベンチに座り、何も思い煩うことなく雄大に咲き、そして名残りも惜しまず散るべき時を悟ったように、何のためらいもなく潔くハラハラと散っていく桜の姿を見ているうちに、そんな気持ちも静かに収まるところへ収まるのではないか、そんな気がしてならないのである。

 今から八十年以上も昔、日本が戦時下にあった時代にも、町は焼けても桜は咲いた。男たちは戦争に行き、若い命がその桜の花びらのように潔く、儚く散った。その兵士たちの英霊を祀る靖国神社の桜が、開花標本になっているということも、詳しいことは知らないが、私には偶然とは思えないものを感じるのである。調べたところ、靖国神社の桜を観測するようになったのは一九六六年のことであり、それ以前は、気象庁構内に植えてあった桜の木で観測していたという。

 あの頃、桜を見て笑顔になる人はどれだけいたのだろうか。その反面、桜を見て涙する人はどれだけいたのだろうか。時代は違っても人の感性は今と同じで、人それぞれである。一つのものを見ても、どれが正解というものはない。毎年、この季節を迎え桜の便りを耳にすると、私でさえ思うことも様変わりしているのだから。生きていることの不思議、人間の感性の不思議を思わずにはいられない。

 戦死した英霊たちは桜の花となり、残された人々の気持ちを浄化したのだろうか。いつの世も、桜にはそんな役目があるのかもしれない。ニュースを見ているうちにふとそんなことを思った、今年の桜開花宣言であった。

靖国の桜

2025年3月24日 書き下ろし。

靖国の桜

毎年、桜は咲くけれど、胸に去来するものは少しずつ変わりつつあり。

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2025-03-26

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