雑詠(三月)

軒雀 春の日差しの中にをり




夜明かりに 白い大粒 春の雪




薬師堂 帰り支度に 春の塵

峯の薬師堂の傍らに樹齢500年ともいわれる大きな椎の木がある
木の周りにはお墓があり、それに木の枝が覆いかぶさるようになってしまったので枝下ろしをする事になった
元々は近くの天台宗の古刹の檀家であったのだが、その寺の本堂が火災により失われてしまい、再建もできなかったために他のお寺の檀家になったという話を当事者の人たちから聞いた
大きな椎の木は根元の周囲が4人で手を繋いで、やっと回るほどの大きさの巨樹、老木である
市の天然記念物にも指定されている
幹の内は空洞になっているのだが、樹勢はかなり良く、枝が伸び葉が繁っている
作業員全員にて、作業の初日には薬師堂の前で手を合わせて安全を祈った
薬師堂の建物にかぶさっている枝から切り始めて、徐々にお墓の上の枝を切る作業へと進めていった
初日の作業が無事に終わり、下り坂の参道を帰ろうとした時だった
風が強かったのでヤッケを着ていたのだが、その紺色のヤッケにうっすらと土埃が付いていた
不思議と作業をしていた時には気付く事もなかった
作業衣に埃が付いて汚れるのは珍しい事ではないのだが、なぜか眼に残った




若菜摘む 人影ありし 堤かな

思い出の地というのだろうか
子供の頃に父親と一緒に魚釣りをした場所に行ってみた
そこは昭和61年の8月に大雨により堤防が決壊した小貝川の豊田地区の、その場所でもある
消防団員としてその場にいた自分は、目の前で水の勢いにより堤防が壊され、濁流が押し流していく様子を見ていた
子供の頃の幸せだった時間と、青春の頃に体験した災害の記憶はどちらも忘れ難い記憶である
今日、その堤防の道を車で走ってみた
静かな穏やかな日で、まだ伸びて間もない菜の花の柔らかい葉を摘んでいる人が何人かいるのを見かけた
桜の花が咲く頃に近くなると、菜の花も咲いて堤が一面に黄色く見えるようになる




風あとの 枯枝落ちし 冬木道




いぬふぐり 猫の散歩の 足元に




ひとパックの 赤飯の届く 彼岸前




厨辺に 春の野菜の すこしあり




春雨の 細い筋見ゆ 軒の空




春を呼ぶ 木々に冷たき 雨しきり




浅水に 春雨の輪の 音もなく




戸口にて 春雨傘を たたみけり




散り残る 梅はほのかに 畑染めし

とある会社の緑地の管理を任されている
梅、柿、プラム、カリン等の果樹が沢山植えられている
一番多いのは梅で、果樹仕立ての低い形になっている
以前は栗の木が一番多くあったのだが、古くなって殆ど枯れてしまったので、全て撤去してしまった
梅の木は果樹用の品種が多く、次いで豊後梅、紅梅などがある
豊後梅は薄いピンク色で明るい感じがする
梅園の手前に数本あるその豊後梅は、少し荒れた広い緑地に明るさを添えている




掬ひたる 春泥こぼれし まゝならず

現場近くの歩道の排水が悪く雨水が溜まってしまい、車の出入りに支障があったので、何とかしなければと思い、雨具を着て作業をした
側溝の排水用のグレーチングが所々にあるのだが、水が溜まっている所にはグレーチングがなかった
しかし、歩道の先までを見通すとグレーチングが一定の間隔をおいてあるように見えた
グレーチングが設置してある距離を大まかに測ってみようと思ったが、あいにく巻尺を持ち合わせていなかったので、歩いてその歩幅で測ってみる事にした
歩いてみると、26歩ずつにグレーチングが置いてあった
そしてグレーチングがあるかもしれない所に、同じように26歩進んでみた
そこは土が少し盛り上がったようになり、雑草が生えていてグレーチングがあるようには見えなかった
試しに履いていた長靴を動かして、土を少しどけてみるとグレーチングの一部があった
グレーチングの長方形の網目の穴から、周りに溜まっていた水が勢いよくそこへと流れ込んだ
やっぱりグレーチングがあったのかと思い、それからはグレーチングを覆っている土を取り除く作業をした
少し重機を使い、大雑把に土を取り除いて、それからは鋤簾を使って作業をした
土と水とが混じり合い、ドロドロの状態になってしまった
鋤簾でその泥を掬おうとしても、中々思うようにならなかった
そして四苦八苦しながらも、なんとかグレーチングに水が順調に流れ込むようになり作業を終えた
気が付くと着ていた雨具にその泥がかなり付いて汚れていた
汚れた雨具は、いつも水道の水で洗い流してから洗濯機で洗う事にしている
もちろん、普段着とは別に洗濯機で洗うようにしている
なぜ雨具を洗うのかという理由は、使い捨ての安い雨具ではなくて、少々高い雨具だからである




春眠の 猫のいびきの すこしあり




脱走兵の猫さがす春の夜




無常ありし 風の止まざる 彼岸かな




雲の間に 春の星出 明るげに




猫散歩 土筆いでたる 庭の隅




風急に 寒くなりたる 春の野辺




まだ咲きし 梅の白さや 風のなか




朝戸出や 三寒四温の 気配あり




花添へて 掌を合わせたる 彼岸かな




手描きの絵 形見にもらふ 彼岸かな

長年お世話になった人が昨年亡くなった事を知らずにいたので、彼岸でもあり、お線香を上げに行った
音楽の先生で、定年後も合唱団に入り元気に活躍していた
奥さんが先生が描いたものだといって、たくさんの葉書に草花や樹木などを描いたものを見せてくださった
先生にそうした趣味があった事は知らなかったので、少し驚いたのだが、奥さんが、よければ幾つか差し上げますよといってくださった
私は色彩感のある絵が描かれた二枚の葉書をいただく事にした
一つは、やや色付いたほおづきの絵で、もう一つは一枚の落葉を大きく描いたものだった
どちらも明るい感じがして、それに大らかな字で添え書きがしてあった




お隣の 庭の水仙 二つ三つ




筍はいつからと聞かれし日和かな




辛夷咲く 林に白き 一樹あり




銀鱗の すこしを見たる 春の池

釣り友達と吉野公園に釣りに行ってみた
風が強く浮子が流されて、思うような釣りができなかった
釣果は友達二人が六枚と七枚、私は二枚だった
帰りがけに管理事務所の人と話をしたら、竿頭は29㎏の釣果で、約100枚は釣れたようだったと聞いた
もはや爆釣に近い釣果である
場所は橋を渡って左側の浅瀬だという
どうやらその辺に魚が寄っているらしかった
間もなく本流の小貝川の堰を止めるので、それからは水位が上がってくるだろうとの話だった
この釣り場の本命の釣り方は浅いタナの宙釣りで、やはり夏の釣りがそういった感じの釣りになる
昔は19尺ぐらいの長竿がズラリと並んで段差の釣りをやっていた時代があったのだが、今は12・3尺程度の長さの竿でやっている人が多い
小貝川の旧河川を利用した市営釣り場で、広々として解放感がある良い釣り場なのだが風が吹くと釣りづらく、それが唯一の欠点である




赤といふ 色の不思議さ 藪椿




春愁や 紙一枚の 文を読む

市役所に用があって行った
車から降りて庁舎へ向かって歩きながら、思いめぐらしている事があった
それは明るい事ではなかった
そして、庁舎の内のトイレに入った
トイレの上には縦長の細い紙に「災害の時には水洗トイレは使えません」と書かれていた
その言葉は思いめぐらしている事と一致していた




春愁や 日差し明るき日なれども




囀りや 藁を咥へし 雀飛ぶ




揚雲雀 空に小さな影ひとつ




青麦の葉先に宿る朝の露




誕生日 近くなりたる 木の芽雨

明日の3月30日が私の誕生日という事になっている
しかし実際は違う
本当は4月に入ってからである
なぜそうなってしまったのか、その理由は少しでも早く学校に上げたいという家族の希望によるものだった
現在では到底考えられない理由である
私の親戚の人にも、そうした理由により、やはり4月生まれなのに3月31日の誕生日になってしまった人がいる
もし、そのままの誕生日であったならば学年が違っていた事になる
私の人生は、或いはその事により全く変わってしまっていたかもしれない
ちなみに、誕生日を変えた事により罰金を500円支払ったという話も聞いた
漫画みたいな話である
フランシーヌの場合は、あまりにもおバカさん・・という歌もあった
自虐的回想は尽きない
しかし、両親に愛され、祖父に愛された事は忘れない




てくてくと歩く女人や春日影

急に暖かくなると、何となく体がだるく感じる
自分でそう思っていると、店の駐車場をごくゆっくりと、しかも気だるそうに歩いてゆく女の人を見かけた
その姿は、あまり恰好がよろしくないようである
しかし自分も或いはそうなのかもしれない
ケーキ屋の駐車場で見かけた光景
イチゴにモンブラン、それに名前のよく分からないケーキを親戚のお土産に買った

雑詠(三月)

雑詠(三月)

  • 自由詩
  • 短編
  • 青年向け
更新日
登録日
2025-03-01

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