
百合の君(42)
穂乃は再び灼熱の大地に身を伏せていた。土に垂れた汗が染み込んでゆくのを見ながら、穂乃はこの百合隊結成の時を思い出していた。
あのとき仲間と笑い合った喜びは、きっと一生忘れない。百合の君として戦うことこそ、国母としての私の仕事だ。夫と一緒に民を守るのだ。
穂乃は地面に突いた手を握って、土を掴んだ。まるで楠がその巨大な根で栄養を得るように、力が湧いてくる。
「あんな所に女がいるぜ!」
敵兵の声が、穂乃に新たな緊張と喜びを与えた。怯えた表情を作って、振り返る。
刈奈羅兵が三人、駆け寄って来ているのが見える。黄ばんだ歯の隙間から蝿が飛び出して来て、まるで死体が走っているような不潔ぶりだった。二回目なので、もう要領は分かった。穂乃は敵の速力を勘定して、山に向かって走り出す。
「来ないで、いや、来ないで」
穂乃が叫ぶと男達は大喜びで追って来る。穂乃は前に向き直ると、思わず笑い出してしまった。逃げ切れることが保証された状態で男達に追いかけられることに、女としての喜びも感じていたのかもしれない。
仲間との約束の場所で穂乃が転ぶと、矢が雨のごとく降り注いだ。
あとは立ち上がり、仲間が木から下りてくるのを待つだけだった。しかし、一人は絶命せずに立っていた。肩と腹に矢を突き立てながらも、沈みかねた夏の夕日のようなギラギラとした目で穂乃を、その着物からはだけたふくらはぎを見ている。
その瞬間、穂乃は一人になった。仲間はいないも同然だった。心は深雪の底の朽木の中で震えるくわがた虫の幼虫のように動けなくなった。男はまだ穂乃の足を見ていた。季節が巡りまた次の夏が来るまで見ていた。
そして男は刀を抜いた。浪親が持つ鏡のような刀ではない。さび付いて、刃こぼれしていた。しかし、それがかえって男の凶暴さを表しているようで恐ろしかった。鳥達は歓喜の歌をうたっていた。ジッと一匹の蝉が鳴き止んだのは、捕まって食べられたからかもしれない。吹雪が朽木の中にも吹き荒び、心は縮こまった。
知らぬ間に目を瞑っていたのか、足に激痛が走って見てみると、着物と土が汚れていた。汚しているのは、自分の血だ。
男が後ろ向きに倒れて、やっと叫び声が出た。
百合の君(42)