天体の音楽
その人は指紋だけだった
哺乳瓶の指紋は知らないもんで
最初は浴室の鏡についた指紋だった
はじめて飲んだコカコーラの瓶にも
授業中に舐めていた鉛筆サックにも
その人の指紋がついていた
写生大会で金賞になった絵にも
あおい指紋がいくつもあった
中学一年生のとき
教室の時計を見ると
まちがえることはない
その人の指紋がついていた
かき氷を出す店の硝子の器にも
その人の指紋が残っていた
初デートで訪れた
水族館のペンギン水槽にも
その人の指紋がペンギンよりも多く
こびりついていた
川に指紋 雲に指紋
宇宙のはるかかなた銀河にも指紋
それらは右手の人差し指の指紋
太極図のようにせめぎ合う渦
と渦 音にない沼のように
顔のわからないその人が
たしかにいるというあかし
いつかその指紋で
全身をやさしく
くるまれたい
もちろん伴奏は
指紋だらけのグランドピアノで
天体の音楽