商店街のたばこ屋


 たばこ屋のはなさんの通夜は世田谷の商店街の集会所で執り行われた。享年九十。今は通夜振舞いになっていて、商店街のいつもの面々がはなの思い出話をしている。
 喪主は北海道の島から一週間前に戻ってきた一人息子の池内 学。北海道の大学の医学部に入って、札幌の総合病院の医師となった。その後、病院から派遣されて以来、島の医師として勤めて三十年になる。自分の長男がやはり島の医師になったことを契機に、東京に戻ることも考えたのだが、今は亡き父が、医者として島の皆さんを守り続けるよう、と言い渡すようにして、池内が戻ることを認めなかった。はなも、学はもう島の人で、ここはたまに親の顔を見るために訪れるところになった、と言った。父のときも一週間前に戻って最期を看取り、そして母の最期も看取った。
 母、はなと最期のひとときを共にしながら、池内が考えていたのは、父と母が半世紀以上営んできたたばこ屋をどうするかだった。はなが池内たばこ店、といっても、たばこだけではなく、雑誌や文具など様々雑貨を扱う店を営み、商店街を見守るようにしてきたのがあまりにも自然で、終わりが来るなんて、本人も息子の自分も商店街の人たちも考えなかったので、はなの他界にあたって初めて、たばこ屋をどうするか、考えて決めなければならないことに気づいた。
 自分が北海道の島から離れ、この街に戻ることはない。商店街はまだシャッター街にはなっておらず、夕刻には賑わいを見せるが、さりとて店を売るといっても売れるか。今時、たばこ屋を営むような人はいない。近所のコンビニでたばこは買える。はながいたからこそ、商店街の人達はコンビニではなく、たばこ屋でたばこを買ってくれた。たばこを吸わない人も、はなと話すために雑誌や雑貨を買っていた。

 池内はたばこ屋の今後について、通夜を商店街の人間として手伝い、通夜振る舞いの間も忙しくしている松田 薫に話した。
 薫は中学校の同級生。松田服飾店の看板娘だった。よちよち歩きの頃から、商店街の人達に可愛がられ、中学生になると店を手伝い、短大を卒業して会社に就職するまで店と商店街で過ごしていた。
 薫は社内で御局様と呼ばれるようになってから、会社を辞めて、結婚し、夫の勤務の都合で五年間名古屋に住み、離婚して一人息子とともに商店街に戻ってきた。両親は薫が結婚したので区切りがついたと店を売り、近くに家を買って年金暮らしを楽しんでいたが、薫がかつての会社に再び勤めるようになって、孫の世話に忙しくなった。薫は店がなくても依然、商店街の看板娘で、たばこ屋のはなさんとともに、夏祭りであれ、歳末大売り出しであれ、商店街の行事にはなくてならない存在だった。
 薫も池内同様、還暦を迎えたが、おっとりと優しく綺麗なこと、それでいて周囲を大笑いさせるほどに抜けたところがあるのは、若い頃と変わりない。自分が叱らないと息子が勉強しないこと、三十過ぎても独身を楽しんでいること、ようやく結婚したのに家事、育児を妻にまかせっきりで週末ゴルフ三昧でいること、薫ははなに何かと相談していた。はなに話し、相談に乗ってもらっていたのは薫だけではないが、毎日のように会社帰りに話していたのは薫だった。池内が母、はなに電話をすると、薫の愚痴や相談のことを、誰にも言ってはだめよと言いながら、話してくれた。

 薫は、たばこ屋をどうするか、という池内の問いに、ため息をついた。あまりにも自然なものがなくなってしまったということをあらためて思い知らされたのだった。外に中井が立っているのが見えた。
 中井は中学校の時に転校してきた優等生。高校は進学校に入り、難関の大学に入学して、大きな勤務先に務めた。三十の終わりに結婚したが、三年も経たぬうちに離婚。定年で、関連のどこかに勤めるのかと思っていたら、非常勤の仕事をいくつか勤めるだけで、平日は商店街を歩いて、はなとよく喋っていた。
 はなが倒れた日の前日も、たばこ屋ではなと中井と薫は三人で世間話をしていた。はなが経済のことを尋ね、中井が解りやすく説明し、薫もそういうことなのねと頷く。はなは歳を感じさせず、無心な好奇心に溢れていた。その相手を務めるのは、自慢の息子の学が遠くにいる限り、中井が一番だった。
 薫の視線に連れられて、池内も中井を見た。中井のことも薫と同様、はなからよく聞かされていた。息子が人の命に関わる医師になったことに誰よりも誇りにしながら、中井君は何でも知っているの、私にも解るように話してくれるの、今まで睡眠時間を削って働いていたから、のんびりと過ごすんだって、もったいないと思うけれども、彼の身体のためにはいいことだから、しばらくはいいかな、と思うの、と電話で聞いていた。
 中井の考えを聞こう、母もそうするに違いない。池内は立ち上がった。薫も池内の思いに気付き、ともに立って、表へ出た。

 四月の夜、やや肌寒い。中井は集会所の前からたばこ屋を見ていた。一週間前、あそこで薫とともにはなと立ち話をしていたのだ。
 池内と薫がそばに来たので、中井はあらためて深く礼をして挨拶をした。
「御愁傷様でした。
 とてもお世話になった。中学二年で転校してきて、たばこ屋の前を通り過ぎたとき、声をかけていただいた。中井君って言うんでしょう。とても出来るんですって。今でもよく覚えている。転校して上手くやっていけるか、心配だったので。小学校四年のときに、親の勤めの関係で山口から小金井に転校して、いじめにあって、辛い思いをしたので、今度はどうだろうか、大丈夫だろうか、と不安だった。商店街を歩いていて、優しく綺麗な方で、話好きで地元の方々とよく話しておられるのは知っていた。でも、まさか自分が声を掛けていただくなんて思っていなかった。後になって、薫が私のことを話してくれていたと聞いたけれど、この地元で誰もが知る、誰のことも知る人が認めてくれているなら、大丈夫だと中学生は思った。笑われるだろうが、泣きそうなほど嬉しかった。いじめられていたことは親は知らない。言えないもの。先生は知っていて何もしてくれなかった。だから、もう一度繰り返されるかという不安。それが、はなさんの言葉に、大丈夫だという安心になった。
 それ以来、五十年近く話していただいた。はなさんの言葉に不安が安心になったこともお話しした。大学に入れず、浪人を重ねたときの不安、就職のときの不安も聞いていただいた。一年に一度は思った辞めようかという迷いも聞いていただいた。離婚するときもね。ここまでやってこれたのは、はなさんのおかげなんだ。」
 池内ははなから聞いていた。出来る子がいい子になり、優れた青年、立派な人になり、そんな人物と話ができるのを嬉しく思っていた。しかし、ここまで中井に感謝されているとは思っていなかった。自分の母親は素敵な人だったのだとあらためて知り、心が温かく満たされ、目が潤んだ。
 薫が口を挟んだ。
「学校で一番の皮肉屋だったよね。理屈は先生だって敵わないし、いっつも周りを揶揄って遊んでいた。そのくせ、困った友達がいたら知らんぷりして助けていた。宿題ができなくて困っていたら、答えを写させていたのは先生も知っていて黙認してた。その中井君がはなさんの前では素直だった。」
 中井が薫を見て言った。
「たばこ屋のはなさんの前では、誰もがそうだったと思うよ。」
 池内は尋ねた。
「そのたばこ屋をどうすればいいと思う。」
 中井はその問いかけに驚いたように池内を見て、しばらく考えてから、言った。何を言おうか考えていたのではなく、既に脳裏にあったことを言うべきかどうか考えていたようだった。
「薫に任せないか。たばこ屋ではなく、喫茶店でも。」
 薫は目を見開いて中井を見た。中井とはなさんと話していたときに、中井が言ったことがあった。お子さんも育ったことだし、どこかで看板娘に戻ってお店を営んでみたら。還暦を過ぎたから、看板娘ではなく、看板おばば、かもしれないが。薫は冗談と受け止めた。でも、はなさんは真面目に、いいじゃない、おやんなさい、と続けた。その後、はなと二人で立ち話になったときも、中井君の言うとおりに、やってごらんなさいな、上手くいかなければやめればいいだけだもの、と繰り返した。しかし薫は自分のすることとは思わなかった。お店を営むことは嫌ではなかったし、出来ないとも思わなかった。しかし結婚して、この商店街を離れ、松田服飾店がなくなったとき、看板娘は終わったのだと思っていた。何も、通夜の夜に、そんなことを言い出さなくても。
「母も喜ぶかもしれない。商店街のはなさんから看板娘に。」
池内が頷くように言った。薫一人が、そんな、無茶苦茶な、という顔をしていた。
「離婚し、独り暮らし、お金がかからない暮らしだったので、退職金はまるまま残っている。池内が北海道から戻って来ないのであれば、私はたばこ屋を買い取らせてもらって、二階に住むのでもいい。たばこ屋を改修して、喫茶店にして、元看板娘に営んで貰う。私も売り上げに協力するし、何より、商店街の皆さんの溜まり場、居場所になる。はなさんの代わりに元看板娘が商店街を見守る。」
池内は強く頷いた。そして集会所に戻っていった。
 皆さん、今夜は母のためにありがとうございました。今、池内たばこ店の今後を決めました。喫茶店にします。中井君が持ち主になって二階に住み、我らが看板娘、松田 薫が店を営みます。
 集会所から歓声が上がった。皆、よかったわね、と言うはなの声が聞こえた気がした。

商店街のたばこ屋

商店街のたばこ屋

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2025-01-20

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