恋した瞬間、世界が終わる 第85話「使いかけの友情を試すとき」
カウンターの後方から、バックヤードへと招かれた
通路には写真が飾られていた
「ココさんがもう亡くなっていることはご存知ですか?」
写真が並べられた通路を歩く間、先導する身なりの良い店員は後方の私へと振り返り、私の眼と、服とを並行に見ながら言葉を並べた
「知っています」
文脈を並べ替えることなく私が返すと、再び前方を向き先導を続けた
「それにしても、長い廊下ですね」
店内のカウンター越しからは暗がりになっていた為、バックヤードの奥行きが底知れないものとして、余計に間延びしてゆくように感じた
「この通路の長さは、村上春樹の小説の……」
「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランドですね
大丈夫ですよ、あんな危険な思いをすることはありません」
「それとも、ミヒャエル・エンデの……」
「モモですね
残念ながら、時間についての魔法はありません
それに私はカシオペアという名のカメではないのです」
共通の小説を読んでいることに、共振する思いを感じつつ、私の眼に振れた先はスポットライトが当てられた廊下の一枚一枚の写真へと赴いた
「この写真たちは、店員さんの思い出ですか?」
私がそう投げてみると、身なりの良い店員の背中が伸びたような縮んだようなで、時間の伸縮でもって、何処かちょうど良い塩梅(あんばい)を見つけようとしているようだった
「私ども…いえ、私の
そして、彼らの思い出です」
身なりの良い店員は写真を一瞥することなく、再び廊下を先導し続けた
スポットライトは、確実に何処かへと向かっていることを指し示したーー
一隅の景であるのか、いつかの瞬間である通路の写真たちは、何処かへと向かうにつれて現在から過去への時間の逆戻りをさせているように見えた。
それらは何かの象徴というよりも、ただの瞬間にあったものたちで、通り過ぎたままの一角に残されたもの。忘形見でもない、名前のない形。あるいは、名前があったであろう形。瞬間を取り留めていた頃のこと。微かな水の音が聞こえる。
包むようにでもなく、響くようにでもない。見えないけれど、感じることができる音として。過去へと向かうにつれて、それが大きく、近づいてくる。黒い渓谷の川の水とは違う。この闇の中には、あの不気味さはない。この暗がりの中では、
現在から過去への綱として流れる水の音。
「お客様、まずは手を清めます」
案内されたのは、手水鉢(ちょうずばち)が置かれた日本庭園風の一角だった。
曲がり角でもあった。
そして、その先には明るいものが見えた。
手渡された柄杓の先に、水滴が滑った。
先端で止まると、光の玉となり、そして落ちた。
左手、右手、口と水で清め、身なりの良い店員の動作を横目で真似た。
すぐ傍には東屋があり、畳の小上がりになっていた。
そこが待合室であると通され、身なりの良い店員は待つようにと伝え、その場を離れた。
待合室には、掛け軸や、日本画が飾られて、和風そのものだった。
10畳よりは広いであろう空間には洋風が入る隙間がない。
いや、隙間はあるのだが、あえての隙であり、それ自体に意味があるようだ。
畳の小上がりの待合室はそんな空間だった。
畳の上で、足を伸ばして寛(くつろ)いでみたーー
それから横になって、あれこれと考えることをやめた
彼女は奇妙なことを話していた
「実は、さっき車を運転していて猫を引いてしまったんです」
注ぎ口を間違えて
そして飛び出してきたのは、きみ
土砂降りの中で、ヘッドライトは、きみを映さなかった
可哀想な猫
横たわって
それをハンドルを切って、通り過ぎ
しばらくしてから、考えに辿り着く
それを包む布がなくて、身に纏ったシャツ
手で抱えるには軽すぎた、軽過ぎた
雨が、コンクリートの裂け目へと流れ
血が、服をつたって逆さまに昇る
天と地を取り違えたみたいに
注ぎ口を間違えて
きっと、飛び出してきた
考える隙間に、
「あなた達に与えられた猶予は、あと3日間
-恋した瞬間、世界が終わる-」
残された時間はあと、1日とーー
「お客様、お待たせしました
準備ができました」
畳の上で眠っていた私は、どのくらいの間?と、また時間について身なりの良い店員に確認しようとしたが、それをやめた。
長い間か、短い間か、それはきっと問う必要がない。
神職の服へと着替えた身なりの良い店員に、靴を脱ぐようにと云われ、案内されたのは、幣拝殿(へいはいでん)だった。
祈祷に来たわけではないのだが、と言いそうになるも、ここは神職になった男性と、何か…そう、ココを信頼してみることにした。
ーードンッ
そう考えるうち、和太鼓が拝殿内の空気を外へと押し鳴り、私の余計な心配ごとも出て行った
掛けまくも 畏(かしこ)き 伊奘諾(いざなぎ)の大神
短い祝詞の奏上が始まった。
神職の服装になった男性は奉仕の人だったのだという感慨を持った。
大麻(おおぬさ)での祓い、金幣(きんぺい)の鈴の音が邪な思いを祓った後、玉串(たまくし)を手渡された私は拝殿の鏡の前へと案内された。
それを神前に備え、勧めに応じ、3礼4拍手のあと、拝殿の鏡に自分の姿を見た
六根(むね)の内で思うことは、このブティックに来れたこと、あとは、ココの縁があってのこと、それと……リリアナの所在だった。
2礼して、後に下がった。
一連の儀式の後、神職の服装の男性が私に語り始めた
「先ほどのお探しである女性は、おそらくここには入れないのだと思います」
「入れない?」
「はい
この土地は少々、特殊な結界になっています
条件を満たしてないとブティックには入れないのです」
「そうすると、リリアナは何処に?」
「おそらく、ブティックの外にいると思います」
私はその言葉を聞いて慌ててその場を後にしようとすると
「これをその女性に渡してください
おそらく、サイズが合うのだと思います」
手渡されたケースには衣装が入っているのが見えた
「ココさんからの注文があったものです
いずれ訪れる誰かのためにと、頼まれていました」
「ココ……」
「これは、ある意味でオートクチュールの物を超えます」
「一点ものを?」
「そうです
もっと大きな、色んな思いが込められています
このたった1着の中に、様々な人の六根(むね)の内が
入っているのです」
「きっと大事な願いなんですね」
「はい、私どもーー
私は、大事なことを忘れていました」
「大事なこと?」
「私ども、だったのです」
私は、神職の男性の言葉の後、拝殿の鏡に見えた姿は私であり、私であり誰かであり、誰かからの私であるのだと思った
「それと、お客様にもよろしければお仕立ていたします」
長い廊下へと向かう私に、ココは“彼ら”から紹介状が届くだろうと言っていたことを神職の男性は呼び止めてから、私に言伝した
ブティックのドアを開け、鳥居を潜った先、高架下の商店街を歩いた
店と店との隙間に光の玉が落ちていた。また滑るように動いて、光のつなぎ目ができ、その取り残された時間、近所の空き地の子供背丈では埋まりそうな草木が生える場所に、タンポポではない茎をくるくると回しながら、私の姿に気づいたリリアナがいて、タンポポの綿毛よりも柔らかい表情を浮かべたーー
私たち二人は、車内へと戻った
エンジンを掛けると、
ピアソラ が取り上げた古典タンゴのTaconeandoが流れた
恋した瞬間、世界が終わる 第85話「使いかけの友情を試すとき」
次回は、2月中にアップロード予定です。
今年も宜しくお願いします。