祈りのような人間不信

人間不信の人間がいかにして人間不信となったか、そこには私などでは到底想像もつかないほど深刻で切実な経緯がある。私は人を信じてみたりするが、それを他人には推奨も強制もしない。ただ個人の責任において信じ、傷ついたり救われたりするだけだ。人を信じようと、人を信じる方向に心を向けるたびに自分がすり減っていくのを感じる。なぜなら私の本性も人間不信だからだ。人間不信であるにもかかわらず、私は本性とは真逆の行動をとる。人格が毀損されるような行動をとる。人なんて微塵も好きではないのに、私は人を嫌いながら人を信じようとしている。ありえない矛盾。私は破滅したいのだろうか?動機のない行為によって身を滅ぼしたいのだろうか?私は人が嫌いだ、それは事実だ。だが、そんな中にも、信じるに値する、信じてみたい人が実在することもまた事実だ。人という括りでまとめられないことに私の神経は苛立つ。まとめてしまえば楽になるのに、という囁きが聞こえる。ああ、私はどうしたいのだろうか?どうしてしまったのだろうか?人なんて信じて何になるんだ、そんな疑心暗鬼な態度で人を信じようとすることに何の意味があるんだ、意図のない行為をみずからに強いて何の得があるんだ、なぜ私は人を総称して嫌い切ることができないのだろうか?私はこうもお人好しの人間だったろうか?優柔不断な性格だったろうか?私は早く楽になりたい、それもまた事実だ、私は楽になりたいんだ、他人がどうなろうが知ったことではないんだ、そう己に暗示すればするほど私の心は信じる方向へと突き進んでしまう。私はまた過ちを犯してしまう。あなたが私を手酷く嫌ってくれればこの苦しみは終わるのに。

祈りのような人間不信

祈りのような人間不信

  • 自由詩
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2025-01-13

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