ロカさんの息子

ロカさんの息子

施設で亡くなったロカさん。45年も前に少しだけ付き合った人。形見分けに貰った思い出の映画のビデオ。再生してみるとそこに映っていたのは彼の息子だった……

形見のビデオ

 転職してひと月が過ぎた。65歳での転職。夫はもうやめろ、と言った。もう、充分働いたじゃないか、ふたりで楽しもう。旅行したりゴルフしたり……

 あれほど憎んでいたのに今は穏やかだ。あれほど憎もうとしたあの子が、今は相談相手になっている。

 この歳になって、まだ働くとは思わなかったが、仕事は楽だ。週3日、午前中だけの周辺業務。体に負担はないし責任もない。通勤の徒歩45分はウォーキングだと思えば苦にならない。雨の日は夫が送り迎えをしてくれる。

 今度の介護施設は家庭的な雰囲気だった。ユニットの入居者10人のうち9人はリビングで皆で食事をする。ひとりは意識がない。まだ若いが。
 若すぎる。息子と同じ年の男性だ。17歳の夏から眠り続けている。30年以上も。

 自殺に失敗したのだ。首を吊ったのだが、発見されてしまった。まさか、こうなるとは思いもしなかっただろう。

 部屋に入る。加湿器の水を補充する。
 ベッド周りには家族の写真が飾ってある。父親は……ロカさんだ。
 この、眠り続ける男は、徳冨有一……
 ロカさんの息子。
 父親は亡くなった。わたしが以前働いていた施設で。

 ロカさんは若き日に半年だけ付き合っていた……

 自殺の場合、成功した、とは言わずに既遂という。未遂、既遂、そして失敗。
 自殺を図った人のうち3人に2人は失敗している。

 失敗した例……意識を取り戻すことはない。いわゆる植物状態に。
 植物状態とは、呼吸や体温調節、血液循環などの生命維持に必要な脳幹は機能しているが、頭部の外傷や脳への血流の停止などが原因で、大脳の働きが失われて意識が戻らない状態をいう。自力で動けず、食べられず、失禁状態で、意味のある言葉をしゃべれず、意思の疎通ができず、目でものを認識できない、という状態が永続する。
 一歩踏み出した結果こうなることは、おそらく知らない……

 (彼らは皆自殺失敗者です。自殺未遂の「それから」より)


 3か月前、美月がビデオデッキを取り付けてくれた。ようやく観ることができる。
 ロカさんの形見にもらったビデオ。懐かしい思い出の映画。『ベルサイユのバラ』
 美月は一緒に観てもいいか? と聞いた。

「中身、違うんじゃない? 見られて困るもの隠してたとか」
 テープは……映画ではないようだ。ケースは『ベルサイユのバラ』なのに。
 美月はAVだとでも思ったようだ。お茶入れて来る、と席を外した。
 私は再生を押した。AVだって驚きはしない。ロカさんとAVか? 
 離婚した後、あの人は再婚しなかった。

 ーー映ったのは……ロカさん? 若い頃の高校生くらいの、長髪の癖っ毛のあの人? 
 いや、違う。その頃にはビデオはまだなかったはず。それではこの子は? 

「おとうさん、ごめんなさい。おばあちゃんのところへ行きます。
 体育館で記事について責められ逃げ場がなくなった。助けてくれと叫んでも助けてくれるものはいなかった。死ねばみんなが喜んでくれるだろう」

 短い……すぐに終わった。
 なに、これ? これは……遺書? 
 巻き戻していると、美月が入ってきた。この娘は何も聞かない。もう1度ふたりで観た。美月も仰天していた。
 美月がケースを確認した。折った古びた紙が入っていた。B5番の手書きのチラシ? 
 
『新聞部の徳冨有一君は学校批判の記事を学校新聞に載せようとしたところ、先生に咎められた……苦にして自殺を図った。命は取り留めたが意識は戻らない。学校側に責任が……』

 ロカさんの息子は借金をして海外に逃げたのではなかったのか? あれは、施設の職員の勝手な憶測だったのか?
 ロカさんは家も会社も処分した。息子のため、息子は父親が危篤の時にも会いに来なかった。来られなかったのだ。

 美月が携帯を見せた。この娘は行動が早い。

19✳︎✳︎/9/3
自宅で、K高校のY・Tくん(高2・16)が自殺未遂。
6/8 Yくんは、学校批判の新聞記事を学校新聞に掲載しようとして、担任教師や新聞部の先輩に見つかり、集団リンチを受けた。顔や背中に大けがをし、11日間の入院。それ以降、登校していなかった。 遺書には「体育館で記事について責められ逃げ場がなくなった。助けてくれと叫んでも助けて くれるものはいなかった。死ねばみんなが喜んでくれるだろう」と書いていた。 学校側は、リンチなどの暴力沙汰を否定。
10/11 被疑者不詳のまま、傷害罪で告発。  

「おにいちゃんと同じ高校よ。歳も同じじゃないの?」




 

 

息子になにが?

 寛之は子どもの頃から恵まれていた。家庭にも才能にも。人望もあった。ただ、長男のひとりっ子だった。父の跡を継がねばならない。好きな道も好きな女も諦めた。

 好きな女がいたが、諦めた。釣り合いが取れない。都営団地に住む高卒の女。反対されるのはわかっていた。
 見合い結婚した。申し分のない相手だと母は喜んだ。敷地内に家を建て、親戚とも近所ともうまくやっていた。料理も上手だった。一男一女に恵まれた。しかし、父が亡くなると、妻と母の折り合いがおかしくなっていった。自分は仕事に夢中だった。父の跡を継ぐのに必死だった。
 互いに行き来をしなくなった。自分も同じ敷地内に住みながら仕事が大変な時で、母とは滅多に顔を合わせなくなった。自分が悪かったのだ。母の孤独に気がついてやれなかった。

 冬の朝、母は首を吊って亡くなっていた。息子が見つけた。夢に現れたという。中学1年生の息子は祖母に物置の縄を取ってくるよう頼まれた……

 息子は教師になりたいと言っていた。真面目だった。残酷だった。自分の用意した縄で祖母は首を吊ったのだ。息子は物音に怯え、それでも長男として葬儀の席では気丈にしていた。礼儀正しく挨拶をしていた。

 優しかった息子は自分を責めた。かわいがってくれた祖母を自殺に追い込んだことを。妻はいたたまれなくなり出て行った。子どもたちはついてはいかなかった。

 息子は高校に進学し新聞部に入っていた。正義感が強かった。
 駐輪場で恐喝されたが、金を出さす殴られた。サッカー部の大柄な生徒ふたりが来ると、逃げていった。それからは、そのうちのひとりと親しく話すようになった。

 妻とは籍を抜かなかった。とうに破局していたのだが金は出していた。しかし、妻は妊娠した。離婚せざるを得なかった。
 妻は出産したが再婚はしなかった。産まれた娘は重度の発達障害で、父親は責任を取らなかった。妻は働きながら保育園に入れ、発達の学校にも通った。

 高校2年の6月、息子になにが起きたのか?
 息子は制服のまま帰って来るなり倒れた。全身打撲。息子は大勢に囲まれ、やられた、と話した。駐車場の恐喝者か? 詳しくは話さない。イジメか? いじめられるような性格ではないと思っていた。友人もいたはずだ。学校では思い当たる節がないと言う。

 夏休みが明けた明け方、息子は首を吊った。祖母の跡を追うように。同じ場所で。
 発見が早かったが、意識のない容態が続いた。

 見舞いに来た生徒はひとりだけだった。恐喝されていたのを助けてくれた優しい少年だった。続けて見舞いに来てくれ、寛之はつい、愚痴をこぼした。

「学校が原因なんだ」
 つい口を滑らした。進学校の闇。

 友人は息子の自殺未遂の日、9月3日を忘れないと言ってくれ、言葉通り毎年息子に会いに来てくれた。寛之も待つようになった。

 息子は眠り続けた。

 寛之も年を取った。体に自信もなくなってきた。息子より長生きはできまい。心残りだ。
 会社は同業者に譲り、家も売った。娘に迷惑をかけないように、息子のために金を残した。
 元妻のためにもいくらか残した。元妻は有一の義妹を連れて、ときどき息子に会いに来ていた。

 アパートに移った。竹の湯に通った。
「竹の湯に行ってたの?」
 誰だったか? 
「頼朝の頼子よ……」

 頭が混濁している。息子よ、おまえはどうしている? まだ眠り続けているのか? 
 もういい。とうさんと一緒に、行こう。おばあちゃんのところへ。

 俺は……
 頼子、もう1度会いたかった。あの娘とやり直せたら……
 ああ、あの少年、あの青年……あの娘に似ていたな。

優しい息子

 息子が離婚すると言う。子どもふたりを引き取るから協力してくれ、と。

 嫁が借金していた。
 息子が月々渡していた生活費は充分過ぎるはずだ。なににそんなに使うのか?  
 質素な私には理解できない。

 毎月30万円も、服や子どもの服や付き合いのランチでクレジット。払えないから毎月キャッシングを繰り返し、実家の母親も何度か返済してやったらしい。
 そもそも独身時代からカードを使い、払えないのを母親が尻拭いしていた。父親にも内緒で。
 嫁は感謝するのもいっとき、買い物癖は治らない。親もいよいよ年金生活、もう尻拭いもできなくなりついに息子にばれた。

 息子は私の所へ金を借りに来た。
「100万? 200万? 今まで出してきたわよね、おまえには。
 どんな思いをして働いてきたかわかる? それを簡単に……」

 怒り爆発。

「どれだけおまえにお金をかけたかわかる? 美月には……
 美月には1銭も出してやらなかった。
 逆よ。
 家に入れさせていたよ。おまえより出来がいいのに大学へも行かさず……
 ああ、血管がちぎれそう」

 怒り心頭。めまいがしたふりをして拒絶した。
「家を売ってここに来ていいかって? 私に孫の面倒見させるの? あの女の子どもを育てろって? バカにしないでよ!」

 金輪際、息子のために、なにもしてやるものか……

 仮病を使って寝込んだ。夫に息子の怒りをぶちまけた。
「子どもが小さい? 美月はやってきたわよ。家のこと。お義父さんの介護までしてる」

 家計は私が握っている。夫が自由にできる金はない。
「あなたが子守りに行けばいいじゃない。私のお金はもう1銭も出さない」

 美月が来た。夫が連絡したのだろう。美月は義姉の金遣いの荒さを心配していた。
「おさがりの服、ブランドものだったから。よく買えるなあ、と思ってた。おかあさんが買ってあげてるのかと」
「優子にはなにも買ってやらなかった」
「ブランドものだから、きれいなのは売れたのよ。けっこう儲けちゃった。ちゃっかりしてるでしょ?」
「まったく、大学まで出て……なにを勉強したんだか……」

 私は美月に生みの母親のことを話した。美月が就職してから家に入れていた金を返した。箱に入れてある。1銭も手をつけていない。
 5年間、美月は家に金を入れていた。ボーナスが出た時にも。それは嫁の借金よりも多い。
「おかあさん、海外旅行でもしておいでよ。おとうさんと……」
 美月は泣きながら言った。
「妊娠したの。この子が生まれた時にはそばにいてね」

 優子が生まれた時、私は美月の顔も見ないで帰ってきたのだ。
「私がお産で死んだら、優子と生まれてきた子を頼むわね」

 美月を産んだ母親は、皮肉にも優子という名の女は、夫の子を産み亡くなった。
「おまえが死んだら、おかあさんは生きていけないよ」
「……」
「おかあさんがボケたら、たぶんおにいちゃんのことばかり言うわね。いつでも、おまえのほうが優しかったのに」
「息子は母親には特別だもの。おにいちゃんは、私にも優しかった。おかあさんの息子だものね」

 優しい息子は妻を見放さなかった。
 優しい妹は兄に金を貸した。思惑通りだ。もう、私は干渉も介在もしない。兄妹でうまくやってほしいと思う。

 嫁は働きに出た。実家は兄夫婦の代だ。親の老後の資金を使わせた嫁は当分は顔向けできないだろう。再生できるのだろうか? 

 

 ロカさんの前妻は息子が入居している施設の洗濯場で働いている。障害のある娘と一緒に。

 私は思い出した。
 警察から電話が来た。高校2年の息子が警察署に呼ばれ調書を取られた。
 自殺未遂をしたクラスメイトの親が学校側を訴えたのだ。

 徳富有一は息子と同じクラスだった。私立中学の同級生だった。時折息子は私に話した。

 おばあちゃんが亡くなり自分を責めていた、という。母親と祖母が不和で、祖母が首を吊り亡くなった。その後両親は離婚し、子どもたちは父親の元に残った。母親は別の男の、子を産んだ。
 息子はそのことは私に話さなかった。私の気持ちを知っていたから。
 別の女に子どもを産ませた夫。 
 美月を引き取り育てはしたが、いずれは離婚するつもりだった。

 息子が話してくれていたら……
 いや、力になってやれとは言わなかっただろう。両親が離婚なんて、話題にされたくなかった。息子はわかっていたはずだ。

 高校2年の夏休み明けにそのクラスメイトが自殺未遂をした。家庭が原因ということだった。
 息子は見舞いに行った。何度か行ったが意識は戻らなかった。学校側に原因があるのかも、と息子は言っていた。厳しい校風、くせっ毛の長髪の新聞部のクラスメイトは規律を乱していた。
 学校の闇を新聞に書こうとしていたらしい。

 私は、息子の立場を心配した。学校の噂はどうであれ、先生に目をつけられ進路に影響が出るのを恐れた。

「施設で亡くなった男性が、徳冨有一君のおとうさんかもしれない」
「亡くなったの? カッコいいおとうさんだった」

 息子は……息子だけは無関心ではなかった。ひとりで見舞いに行き、ロカさんに会い、ロカさんの話を聞いてあげた。そして先生に抗議したのだ。他人には無関心な生徒たちの間で、息子だけは友人のために行動した。

「有一は、施設にいるよ。しばらく会いにいってないな。9月3日は忘れない、とおとうさんに約束したのに」


   (了)

ロカさんの息子

ロカさんの息子

『落日の再会』のスピンオフ作品です。

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2025-01-13

Copyrighted
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Copyrighted
  1. 形見のビデオ
  2. 息子になにが?
  3. 優しい息子