アマゾーン国探訪記
【アマゾネスの国を旅する男の物語】
ある男性詩人が、女戦士(アマゾネス)が支配する国「アマゾーン国」を旅して、いろいろな出会いと体験をする話。
「キャラクター(他)」
レナトス・アトランティウス
主人公、詩人。名家の三男。旅をして詩や本を書いて暮らしている。
ルキウス・アポロニオス
レナトスが憧れ、尊敬している詩人。
ニュムペ
アマゾーン界のはぐれ者。奔放な女の子。
王国
正式名称は、デメトリア王国。アマゾーン国の周辺にある国々の中で、一番大きな国。主人公の出身地。
アマゾーン国
代々女王が治める、女たちの国。この国では男児の出生が少なく、希少な男性は守られ、あらゆる事を女性が担っている。
レナトス
「まさか!」「私たちが戦士ですって!」
女たちは、一斉に笑う。
「あのねぇ、女だからってみんなが戦士になれる訳じゃないのよ。情けないけどさ」
「そもそも庶民が、自前で馬なんて買えないわよ、ムリムリ」
女たちは、首を横に振って溜め息をつくと、肩をすくめた。
「それはそうと、あなたみたいな男の人なら、この辺にもいるわよ」
ほら、と言って女のひとりが指差した先には、市場で働く女達に混ざって、若い男性が荷物を頭に乗せて運んでいた。
「あと、街外れにも、めちゃくちゃ美男が住んでるって噂だし、男性は多いと思うわ」
旅人は、頷きながら、女たちの話すことを逐一、筆記具に書き留めている。
彼女たちの話は、書物に記された通りだったが、違う所もあった。
長年この国に興味を持ち、書物を読み漁り研究してきた彼だったが、住人たちの生の声を聞いて、ますます好奇心を掻き立てられるのだった。
旅人の名はレナトスと言って、さる名家の三男である。
後を継ぐ事もなく、気楽な身分ゆえ、普段は詩を書いたり、本を書くために旅をしながら、自由気ままに暮らしていた。
「じゃあね、坊や」「気を付けてね」
女たちは、目を細めてニッコリ笑うと、手を小さく振ってから、雑踏の中に去って行った。
レナトスは、女たちの自分への子供扱いな態度に、少し自尊心が傷つきながらも、気を取り直して周りを見渡した。
街の中は、行き交う人々で賑わい、物売りの声や通りすがる人たちの話し声、何処からともなく微かに聞こえてくる赤子の泣き声などが、石造りの建物に挟まれた通りを何度も木霊のように響き渡る。レナトスは、この目眩を覚えるような街の熱気に圧倒されながらも、自身からこみ上げる感動を抑えきれなかった。
書物の世界が、目の前にある。
人々は皆、簡素な布の服を着ているが、それとは対照的に壁や建物は、鮮やかな模様が施され、それは自国では見ない独特の趣を持つものだった。
窓からは、鈴のような鎖状の飾りが何本も垂れ下がり、風が吹いたのか、揺れながら、シャララ……シャララ……と、音を立てる。
しかし、彼がとりわけ注目したのは、この街、延いては、この国全体の異様さだった。
(ここには、女しかいない)
それは、入国した時、彼が一番に感じたことでもあった。
アマゾーン国。女王が治め、女戦士が支配する、女たちの国。
このアマゾーン国の周辺にある国々の中で、一番大きな王国から、彼はいつものように異文化の本を認めようと旅立ったのだ。
(今回は、勝手が違うな)
書物による知識のみならず、多様な文化を見聞きしてきた彼にとっても、この違和感は拭い難いものであった。
どこを見ても、大人も子供も老人も、女ばかりで、男は自分だけなのだ。
レナトスは、旅をしてはじめて、心細さを覚えた。ふと、通りの先を見遣ると、水がめを抱えて歩く男性の後ろ姿が見えた。近くに、水くみ場があるらしい。
(年齢は、自分と同じくらいだろうか?)
「危ないっ!」
「うわっ!」
レナトスが、男性に話しかけようと、通りの道を横切って近づいた途端、荷馬車が猛スピードでレナトスの前を走り過ぎた。
御者が巧みにレナトスを避けきれなければ、或いはレナトスが、もう数歩ほど先を歩いていたら、確実に馬車に轢かれていただろう。
突然のことに、彼は驚き、我に返ると、今度は激しく肝を冷やした。
そして、自分に向けられる、周りからの視線にも気がついた。
通行人は皆、レナトスを一瞥してから歩き去り、なお振り返る者もいる。さっきの御者も、走り去る直前に驚いた顔で振り返り、自分を見たことをレナトスは思い出した。
女性ばかりに囲まれ、視線に晒されることに、これほど威圧感を覚えるとは、彼は、アマゾーン国に来るまで想像もしなかった。
女の国なら、皆、母のように強く、たくましくて、姉のように優しいに違いない。
子供の頃、本でその存在を知ってから、ずっと思っていたし、そこに他の国にはない魅力を感じて、憧れを持っていた。
ただでさえ、アマゾネスの情報は限られている。
そこで、自分が行って、この目で確かめる。
そして体験を本をして、王国及び周辺の国々に伝えるのだ。
それは、自分の手柄であり、一族の名誉であり、王国の利益にもなるだろう。
(私は、“誉れ”になるのだ)
彼には、野心もあった。
女たちは、レナトスの周りに集まって来る。
口々に何かを言ったり、ヒソヒソと話をする者たちもいる。
レナトスは、なぜが居たたまれない気持ちになって、逃げるようにその場を去った。
ニュムペ
「お母さんは?」
レナトスにとって、これが一番堪えた。
あれから、逃げるように飛び込んだ食堂で、店の女将が自分を見るなり、まっ先に言ったのが先ほどの言葉である。
「…えっと、ね。さすがに子供じゃないだろうしねぇ、その…保護者というか……妻と一緒じゃないのかしら?」
女将も、はじめての事なのか、戸惑いを隠せない。彼を気遣いながらも、困り顔である。
彼は彼とて、心中穏やかでは無かった。
自分は、そんなに幼く見えるのだろうか?これでも二十三なのだが。
背後から、また人々の視線を感じる。
はじめの頃は、上手く行った。
彼が、入国の時、王国の印の付いた身分証を見せると、決まって相手の態度が変わり、よい待遇で迎え入れられ、その後の旅も順調に進むのだった。
いつも彼は、そうして旅を満喫して来た。
そして、それは、このアマゾーン国でも、例外ではなかった。
(また、身分証を使えばいい)
なぜ、今まで思いつかなかったろう。
レナトスは、そんな自分を可笑しく思って、少し笑ってから、肩掛け鞄に手を入れて身分証を探った。
「おばちゃん、煮込み二つ!」
レナトスのすぐ隣で、料理を注文する威勢のいい声が響いた。レナトスが声のした方を向くと、見かけは十五、六くらいの少女がこちらを見て、なぜがニンマリ笑っている。
「この人さ、私の新しいツレだから」
少女は、レナトスを指差しながら、女将に向かって、得意げに胸を張る。
「…!?私はお前なんて知らな」
「じゃ、そーゆーことで、二人席頼むわ」
「あんた!また男を連れ込んだのかい!?」
店の客席から、ざわめきが聞こえる。
街を行き交う人々の中にも、振り返る者や、立ち止まる者、こちらの様子を見ながら、小声で何やら言い合う者たちが現れ、徐々に増えはじめた。
「もう、本当にあんたって、しょうがない娘だね!」
「んじゃ、ぶどう酒も追加でね~」
レナトスの声は、どこ吹く風。すべての物事が、彼の意思とは関係なく、動いていく。
「カウンターじゃ目立つだろ?奥の席の方がいいと思ってさ」
おいでよ!
少女の呼びかけに、レナトスは従うしかなかった。
「私は、ニュムペ。この街で飛脚をしているんだ、足の速さが取り柄でね」
店の奥にある席は、とても静かで、外の騒がしい声も、ここまでは届かないようだった。
「荷物を届けた帰りにさ、見かけたんだ。あなたが困ってる所」
注文したワインが届くと、彼女は、二つの器にそれぞれ注いで、ひとつをレナトスに差し出した。
「ここで過ごすなら、一人でいない方がいいよ。これからも、よろしくね」
そう言って、ニュムペは、子供らしく笑った。
「建築……女の子が?」
「そう、ここじゃ当たり前だよ」
肉の煮込みを食べながら、ニュムペは答える。
「ここじゃ、道路や建物を造ることや、船で魚を捕ったり、街で商いをするのも、全部、女がやる。なんせ男はめったに生まれてこないし、育つのも大変だからね。危険なことや、シンドイことは、させられないのさ」
美味いだろ、それ。と言って、ニュムペは、煮込み肉から骨を外して、髄を啜った。
レナトスが、肉を口にすると、慣れない獣臭さを感じたが、申し訳程度に使われた香草の香りが、それを和らげ、慣れる頃には、彼はこの、今まで食べたことがない、独特な味と歯ごたえを、美味しく感じるようになった。
レナトスは、彼女から聞かされる文化の違いに、新鮮な驚きを感じながら、自身の数奇な運命にも、しみじみ感じ入るのだった。
常に順風満帆で、恐れ知らずだった旅人が、己の無知を知り、神々の導きか、一度は挫折しかけたこの場所で、年端も行かない少女と、こうして飲食を共にしている。
「しかし、君のような少女から、ご馳走になる訳にはいかない。君には感謝している。お金は私が」「アマゾーンの流儀だからさ。それに、男に食べさせてもらうほど、子供じゃない。私は、十六歳だ」
他の客席からは、時折、食器の当たる音や器をテーブルに置く音が小さく響くばかりで、皆、静かに食事している。
「それでさー、レンガを運んだり、地面を掘ったり、木材を切ったりね。手紙や荷物を届ける他にも、働かなきゃ。なんせ私は…ムフフ」
ニュムペは、時々、何かを思い出したように笑いながら、楽しげに話す。
「いや~、一人前は、つらいな~って」
どこがだ!
周りの客が、皆、一斉に振り返り、厳しい目線を送る。文句を言う者もいた。
「一人前になるにはな…男がいなきゃ…」
ニュムペは、ワインの酔いが回ったのか、言葉が覚束なくなっている。
レナトスは、酒は強い方だったが、ここのワインの独特の風味と酔い心地に、ここが故郷であったなら、存分に酔えるのに。と、惜しみながら、水を貰おうと給仕を呼んだ。
しかし、やって来たのが、背が高くガタイのよい女だったので、ますます現実に打ちのめされた。
「レナトス…ウチにおいでよ」
ニュムペが、トロンとした目でレナトスを誘う。
「きっ、君のような少女の家に、泊まるわけにはいかない。だって、家族はいないんだろう?」
「だから…子供扱いするなって。会わせたい人がいるんだからさ…」
「宿なら、自分でなんとかする。ありがとう、ニュムペ。楽しい時間だった。私はこれで」
「男がいるんだ。お前みたいな、美男の」
「ええっ!」
レナトスの酔いは、一気に覚めてしまった。
ルキウス
「わ~い男だ~」
ニュムペは千鳥足で、レナトスを家まで案内している。
やがて、街の外れにある、森に差し掛かった場所に、木造の小屋が見えてきた。
「これ、わらひがつくったのろ~」
「これを一人で!?…すごいな」
レナトスが見上げた小屋は、新しく、丈夫そうな造りで、とても十六歳の少女が作ったとは思えなかった。
「男がいれば~いちにんまえだ~」
ニュムペは、酔いながらも、慣れた手つきで入り口の鍵を開ける。
「よ~こそ~」
レナトスは、言われるまま、ニュムペの後から部屋に入った。
「ニュムペ、また、酔っているのか?」
木と藁の香りが漂う、簡素な部屋に、垢抜けた風貌の男が立っていた。
「あなたは?」
「おや、男とは珍しい」
「わ~た~し~には~男が~いる~ぞ~」
「私は詩人だが、訳あって、この家で、ニュムペと言う娘の世話になっている。ルキウスとだけ呼んでくれ」
「あなたは…」
「男が~ふたり~も~」
「あなたは、ルキウス・アポロニオス!」
「本名を知っているのか、しかし、あまり大声で言って欲しくはない」
「私はあ ゙あ ゙あ ゙あ ゙な ゙あ ゙あ ゙あ ゙た ゙あ ゙あ ゙あ ゙を ゙を を ゙ ゙!」
「わあああ!」
今度は、ニュムペの酔いが覚めた。
レナトスは、ルキウスの前に駆け寄ると、跪いて仰ぎ見た。
「ゼイゼイ、っ取り乱しました。私は、レナトス・アトランティウス。詩人の端くれです。あなたの詩を追いかけて、詩の世界に飛び込みました」
「なるほど、あのアトランティウス家の子息が」
「そんな言い方しないでください、私にとっては、あなたの方が遥かに尊い」
落ち着きを取り戻したレナトスは、昔から憧れていた詩人と、木製のテーブルでお茶を飲んでいる。
すっかり酔いが覚めたニュムペが、二日酔いにも効くと言って、淹れた薬草茶は、体に染みわたり、清々しい香りが部屋中に広がった。
「ねぇ、ルキウス。レナトスって、えらいの?」
ニュムペは、ふたりを見ながら、自分もお茶を飲む。
「ああ、勿論だ。王国で、代々王家に仕える、由緒正しい家柄なのだ」
王国とは、アマゾーン国の周辺にある国々の中で、最も大きな国の名前である。正式名称は、デメトリア王国と言う。
代々、王が鎮座し、アトランティウス家は、その王家を支える役割を担っている。
アマゾーン国とは、古から繋がりがあって、文化は違えども、言葉は独特な訛りがある程度で、会話するには差し支えない。
しかし、長らく、関係は絶たれており、レナトスのように特別な許可を得るか、内密に入国する以外は、書物や言い伝えや噂話でしか、アマゾーン国の実情を知るすべはなかったのだ。
「…それで私は、旅をしてきたのですが、まさか、こんな所であなたにお会いできるとは」
「どーゆー意味だ、コラ!こんな所で悪かったな!」
「ニュムペ、すまない。“以外な場所”と言う意味だよ。本来なら彼は、神殿にいるはずなんだ」
アポロニオス家は、アトランティウス家と並ぶ名家で、代々、王国の神官を務める家系である。
そんな彼が、なぜ街外れの簡素な小屋に住んでいるのか?
「私は、詩人ってことしか、聞いてないわよ」
飲み物の器を片付けながら、ニュムペは、思い返す。
ルキウスを見かけたのは、森の近くだった。
その時、彼は詩を詠っていた。
彼の口からこぼれ出る、流れるような言葉と、切ない物語。そして、彼の憂いをたたえた眼差しに、ニュムペはすっかり心を奪われたのだった。
「レナトス、ルキウスの詩は、素敵なのよ。私の目に、狂いはなかったわ」
「ルキウス、あなたが王国を追放された時、人々は嘆き悲しみました。あなたを慕う者の中で、不当な裁きに納得する者は、誰もいません。私は、その時から、太陽を失ったも同然だったのです」
「…誤解しないでほしいのだが、私は、自らの意思でこの国へ来たのだ」
「なぜ、ルキウスが、追放されなきゃいけないの?」
炊事場から戻ったニュムペは、席に戻ると、ふたりをまじまじと見る。
「ニュムペには、話したと思うが。“聖なる王”の話だ」
「忘れた」
「……。」
ルキウスは、席に掛け直すと、改めてニュムペとレナトスを見た。
「…これは、知っていると思うが、我が王国でも、男児が生まれにくくなって久しい」
ニュムペとレナトスは、頷きながら、ルキウスの話を聞く。
「そんな事情もあって、王国では、このアマゾーン国ほどではないが、女性が労働や治世に関わるようになった。私は、彼女たちを女神として讃える詩を書いた。それが、聖王への冒涜と見なされたのだ」
「どうして!?、女神を讃えることが悪いの!?」
「聖王を差し置いて、女神を崇拝する者は、神官の身分に相応しくは無いと、裁きが下った」
「さっきから、聖王ってなんなのさ!?そんなにエライの!?」
「偉大な方だ」
そう言って、ルキウスは、レナトスの方を見る。レナトスは、静かに頷く。
「聖王とは、かつて王国を治めた偉大なる王である。神々の血を引き、勇敢で慈悲深く、民を愛する、優れた王であった。
王は、神々に従順で、神々から愛されて、自らを贄として捧げた」
聖なる王
王の高徳により、繁栄を極めた王国は衰えることを知らず、王の栄光は人々に注がれ、この幸せは、永遠に続くかと思われた。
しかし、人は有限なり。
約束された幸福すら、耐えることはできなかった。
人々は、堕落したのだ。
いくら満たされても、求める心は消えず、繁栄の中にいても、常に飢え、貪る欲望ばかりを育て、他人に求め、それでいて、自分から与えることは決してしない。挙げ句の果てには、自分の心すら重荷として捨ててしまう。
人々は、不平不満のはけ口を神々に求め、神殿に供物を捧げ、すがり願った。
それでも飽き足らず、人々は、祭壇に上等な家畜を捧げ、自分の願いが成就することだけを祈った。
そして、恐ろしいことに、人々は、人間を捧げるようになった。
世の荒廃を嘆いていた王は、これを知ると怒り悲しみ、生贄を禁ずるお触れを出した。
本来、供物とは、神々の恵みに対する礼として捧げるもの。
しかし、人々は王に背き、贄を求め続けた。生贄が良いものほど、犠牲が大きいほど、神々の意に適い、願いが聞き入れられると思い込み、捧げられるのは、穢れを知らない幼子、美しい若者、徳の高い人物、と、その血に飢えた手を止めることはなかった。
王は、言った。
「ならば、私を捧げよう」
王は、自らが神々への供物となり、王国の繁栄に対する礼をすることで、すべてを手打ちにするつもりだったのだ。
人々は、驚き畏れ、ためらった。
しかし、欲望に勝てず、王を捧げることにした。
人々は、王を神殿に連れて行き、祭壇の前で、他の贄たちと同じように捧げた。
その時、人々は、はじめて満たされた。
そして、気づいた。
自分たちが享受してきた恵みに、自分たちが応えることのなかった愛に。
我々は、真の王を手にかけてしまった、と。
「愚かな者は失うことでしか、恵みに気づくことはできない。王は、自ら犠牲になることで、人々にそれを教えたのだ」
ルキウスは、語り終えると、ニュムペが持ってきた水差しから、器に水を注いで飲んだ。
ニュムペは、退屈そうにあくびをしている。
それを見たレナトスは、不思議に思った。
(薬草茶には、確か、入眠効果は無かったはずだが)
「このように、王は、命をもって、皆に気づかせた。己の軽薄さ、愚かさ、行いの残酷さ、空しさを。人々は学び、以後、生贄が捧げられることはなかった。人々は、王から最高の贈り物を受け取ったからだ」
「ニュムペは、どう思った?私は、素晴らしい話だと思うけれど」
「どうって、なんか重いし、しっくり来ないな~」
レナトスは、鞄の中から身分証を出して、ニュムペに見せた。
「これだよ」
ニュムペが、レナトスから受け取った革製の手帳を開くと、宝石で装飾された紋章と、アマゾーン国とは違った趣の文字が印されていた。紋章には、髪をなびかせた男性の顔が刻まれている。
「これが、王だ。あれから、皆の心を救ったゆえに聖なる王、“聖王”と呼ばれるようになった」
「我々は、皆、聖王を敬愛している。王国では、我が子に聖王の名前を付ける者も多い。レナトス、君も、王の名を冠する者としての誇りがあるだろう」
レナトスは、しっかりと頷いた。
「レナトスって、王様と同じ名前なんだね」
ニュムペは、革製の身分証を見ていると、聖王の周りから放射状に光が伸びていて、首からは、赤い血が流れ落ち、それが文字を書いているのに気づいた。
ニュムペが目を凝らすと、“大地の女神の花婿”と読むことが出来た。
「あ゙ーー!知ってる!アマゾーン国では、大地の女神と人間の男王が結ばれる話があるんだよ」
「そういう言い伝えも、聞いたことがある」
「王国とアマゾーン国とは、何か関わりがありそうですね」
「私は、こっちの方が、好きだな~」
アマゾーンの世界では、男性の王が、自ら大地の女神と婚姻を結び、災いを鎮めて大地に実りをもたらす神話があり、この出来事は聖なる結婚、“聖婚”と呼ばれている。
「王様は、今でも女神と暮らしているんだよ」
「と、言う訳で、王国では神々よりも重きを置かれる聖王への冒涜は、万死に値する大罪。私は、知人たちに匿われ、秘密裏に王国を脱出したのだ。王国は、建前上は、追放と言うことで済ませたのだろう」
「しかし、ルキウス。一切の弁明を許されないのは、あまりに理不尽です。王と神官の派閥は、昔から対立していますし、あなたは巻き込まれたのでは?」
「私は、すべてを悟り、自ら王国を出てアマゾーン国へと向かった。私は、聖王を愛しているが、運命の女神に身を委ねようとも思ったのだ。私の話はここまでだ」
やがて、日が沈みきった頃、街外れの小屋には灯りがともり、部屋中には、磯の香りが立ち込めていた。
「ルキウス、これ…いつも食べてるんですか?」
「ニュムペ特製の、干した魚のスープだ。少々生臭いが、慣れれば美味く感じるものだ」
「ルキウスは、何も食べてないじゃない。それに、おいしいよ、レナトスも食べなよ」
ふたりは、当然のようにスープを口に運んでいる。レナトスは、スープの匂いを嗅いで顔をしかめると、器を遠ざけて、パンと水を取った。
「日持ちするし、お値段もいいし、家計の味方なのよね」
「本当に、悟りきっているのですね…」
レナトスが、半ば感心したように見守る中、ルキウスは、黙々とスープを食べ続けた。
「さて、どうしたものか…」
さすがのルキウスも、困っていた。
小さな小屋には、ベッドが一つしか無い。
「今まで、どうしていたんですか?」
「私は、屋根裏を使っているのよ。お客様には、快適に過ごしてもらいたいもの」
部屋の上部の空間から、ニュムペが顔を出した。
「しかし、ニュムペの、寝る場所を奪う訳には…」
「? お客様を、屋根裏に寝かせる訳ないでしょ」
「…なんだか、すみません……」
「何、構わんよ。遠慮することはない」
ルキウスとレナトスは、足と頭を交互にして、ベッドを共有している。
「藁のベッドは、ふっかふか、なのよ」
じゃあ、おやすみ~。
そう言って、ニュムペは、顔を引っ込めると、屋根裏であっという間に、ぐーぐーと、眠ってしまった。
ガイア
「おはよう、ニュムペ!朝食は済ませたかい?」
街外れの小屋に、新たな客が顔を出した。
彼女は、ガイアと言う名で、この街を取り仕切る世話役である。時々、小屋を訪れては、若いながらも一人で暮らす、ニュムペの面倒を見ている。
「もう、バッチリだよ。それに、会わせたい人がいるんだ」
「男だろう?、もう一人増えたって、街中で噂になってるぞ」
「本当に、あなたの詩は素晴らしい。私は、あなたの詩を聞くために生まれてきました」
「レナトスよ、そういう言葉は、めったに使わないものだ。それに、君の詩は、繰り返す波のように心を打つ。私こそ、聞くことができて良かった」
あれから、レナトスたちは、なんとか眠りにつくことができた。
朝食が、パンと牛乳だったのは、レナトスにとって幸いだった。
それから二人は、互いに詩を詠み合い、讃え合って、詩人として充実した時間を過ごしていた。
「それにしても、今も詩を書いているとは思いませんでした。また、あなたの新しい詩が読めるなんて、アマゾネスの感性も侮れませんね」
「いつまでも、世話になるばかりではいられないからな。売れ行きはまあまあだが、少しは家計の足しになるだろう」
「これから狩りに行くんだけど、ふたりとも、どお?」
ニュムペが扉を開けて、中の二人に問いかける。
「狩りか、久しぶりだな」
「私も、体を動かしたくなってきました」
小屋の外は明るく、澄み切った空の向こうには、街が小さく見える。
「おお……」「っこれは、まさに!」
二人が見上げた先にあったもの、それは、イメージの体現そのものであった。
豊かな長い髪をなびかせ、馬に乗り武装した、豊満な体躯の女性。
王国の人間なら誰でも思い描く、二人にとっても馴染み慣れた、想像通りの女戦士がそこにいた。
「確かに、見慣れない顔だねぇ」
ガイアは、馬上からまじまじと、二人を見下ろす。
「ガイア!今日は、鷹狩り?それとも弓」
「ニュムペ、実家に帰った方がいい」
「え!?、どーゆーこと…」
「これは、お前の手に負えることじゃない」
ニュムペは、困惑しながらガイアと二人を交互に見ている。
「お前は、男を二人も、守りきれるのか?」
一行は、ガイアを先頭に、草原の広がる道を、ニュムペの故郷を目指して進んでいる。
「ニュムペ、やっぱり君が乗った方が…」
「子供扱いするな!私は、足が丈夫なんだ!」
「お前の為に用意したんだぞ、お前は馬に乗れないからな」
「うるさい!」
ニュムペは、ふくれっ面で、ひとり歩き続けている。
ガイアの馬の後を、レナトスとルキウスの二人が跨がるロバが追って歩く。
「お前は、まだわからないかもしれないが、男を受け入れることは、並大抵のことじゃないんだぞ。しかも、異国の者を。一人ならまだしも、二人も!」
レナトスは、それを聞いて、居たたまれない気持ちになった。
(私は、ここにいては、いけないのだろうか?)
自分が、アマゾーン国を出て行くのは構わない。でも、ルキウスは……
「いえ、殿方が気を煩わせることではありません。こいつの、甲斐性の問題ですので」
レナトスの様子から察したのか、ガイアは声を和らげ二人を気遣った。
「本来、アマゾーンは、助け合って生きてきたのに、このバカときたら、意地を張って家出して一人前だの、男がいれば」
「わあ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”!」
ニュムペが急に騒ぎ出したので、驚いたロバをレナトスは、優しく宥める。
「…その事についてだが、ガイア殿。本来のアマゾネスとは、以外な姿をしていますね」
ルキウスが、ガイアの背中に問いかける。
「というと?」
「我らの王国、デメトリアでは、アマゾネスとは、好戦的で支配を好み…」
ガイアは、振り返ることなく、ルキウスの話を聞いている。
「周辺の国々への進出を目論む反面、献身的な程、男を庇護する種族だと考えられて来ました。ところが、レナトス…彼が、旅をして見たものは、違っていました。アマゾネスの中で戦士は殆どおらず、皆、素朴で穏やかに暮らしています」
「その、“アマゾネス”の認識自体、間違っている」
ガイアは、背中を向けたまま語る。
「アマゾネスとは、あくまで戦士のことだ。国の名にもあるように、我々は、自らをアマゾーンと呼ぶ。アマゾーンは、戦士ばかりではない。農民もいれば、牧人もいる。街で物売る者や、船乗りもいる。あくまで自分に従って、やるべきことを決めている。皆、自分を弁え、誇りを持っている。こういう私も、今の立場に、なるべくしてなったと思っているのだ」
ガイアは、語り終えると、皆を労った。それから、ニュムペの村への土産を作るために、狩りを始めよう。と言って、馬から降りた。
レナトスは、ホッとしてロバから降りた。
正直、二人でロバに乗るのが、気まずかったのだ。
ガイアが弓を引き絞って解き放つと、矢がまるで生き物のように風を切って空を進み、一羽の水鳥を貫いた。
「すごーい!ガイア、さすがだね!」
すっかり機嫌の直ったニュムペは、ガイアに尊敬の眼差しを向ける。
「見事ですね」
レナトスも、はじめて見るアマゾーンの弓さばきに、いたく感心した。
「こらーっ!鳥!止まれっ!」
もちろん、止まるわけがない。
ニュムペの構える弓は、常にぶるぶると震え、矢じりの先も定まらない。
「お前は、弓矢を道具として使っている状態なんだ。もっと、自分ものにして、使いこなすんだ」
「ならば、私が、ご覧に入れよう」
ルキウスは、弓を番えると、流れるような動きで矢を放った。矢は、立て続けに、三羽の水鳥を捕らえて撃ち落とす。矢はまるで、体の一部のように、彼の手を離れても的確に鳥を目掛けて飛んでいくのだ。
「お見事ですぞ、殿方」
「やっぱり、私の見る目は~…」
「しまった!」
レナトスの矢は、なぜかいつも、鳥たちに動きを見透かされて、すり抜けられてしまう。
「なぜ、私の矢は、当たらないんだ」
するとレナトスは、ガイアから、貴方は矢を見ずに、鳥だけを見ている。と、言われて、今度は、いたく恥じ入ってしまった。
やがて、故郷の村が見えてくる。
「では、殿方、後はニュムペにお任せください」
ガイアは、この後、馬を業者に返してから、仲間たちと見回りをすると言う。
実家を目の前にして、ニュムペは、足を踏み出せずにいた。
街の世話役といえども、決して裕福ではないのに、ガイアは、いつも無理をしてでも、私のために力を尽くしてくれる。
それに比べて、自分はどうだ。
家族とケンカをして、一方的に啖呵を切って家を飛び出してから、何をした?何ができた?
家を、建てた。
それだって、材料は、ガイアから譲ってもらったものだし、支払いだってガイアは、後でいい。と、ずっと負けてくれる。
そんな、世話になってばかりの自分が、今度は、男のことで、実家を頼ろうとしている。
自分が、不甲斐ないばっかりに!
「これは、趣のある眺めだ」「街の建物とは、造りが違いますね」
目の前には、辺鄙な村のものとは思えない程、大きな平屋の家が並び立っていた。
「私、用事があるから」
不意に、ニュムペは、皆を置いて一人、早歩で去って行った。
「あいつは、昔から、ああいう所があるからな」
不思議そうに見送る二人に、ガイアは、またか!と言う表情をして、肩をすくめた。
「あら、ガイアさん、久しぶり!」
実家の入り口では、中年の女性が客を出迎えた。
「実は、頼みたいことがあるんだが」
「そんな~水くさい。ガイアさんの頼みなら、何だって聞きますよ~あら、いい男!」
ガイアの背後から現れた二人に、中年女性は、目を丸くした。
「ニコローッ!、ニーコーローってば!」
中年女性が何度も名前を呼ぶと、家の奥からガッチリした体型の青年が出て来た。
「叔母ちゃん!そんなに呼ばなくったって、自分の名前を忘れたりはしないよ!」
「お客さんなのよ、男の人!外国から来たって」
青年は、二人を、頭の上からつま先までジロジロ見ると、来い!と言わんばかりに、顎で指図した。
二人は、互いに顔を見合わせたが、決意したように頷いてから、青年の後に続いて歩き出した。
家の奥まで来ると、青年は、振り返って二人に言った。
「さっき、さんざん聞いたと思うが、俺の名前は、ニコロ。この家を取り仕切る、ニュムペの兄だ。この家に住みたいなら、俺のいうことを、聞いてもらうからな!」
ニコロ
「ガイアから預かった、ニュムペの男たちの処遇だが」
村の長である老齢の女性は、広間の上席から、親族の女たちと、会議をしている。
「我が孫娘の弟、ニコロに託すことにした」
話はそこで終わり、女たちは、別の議題で話し合いを始める。
その様子を、物陰からそっと覗く、三人の姿があった。
「なっ?、そんなもんだろう?お前らが男だからだぞ。女だったら、旅人は必ずもてなすんだ」
ニコロとレナトス、ルキウスは、大きな洗濯物を抱えて、女たちが運営する家の廊下を歩いている。
「それにしても、ニコロさん。男性は、あなた一人なんですか?」
「さっき話した通りだ、俺の他に弟が二人いる。ニュムペにとっては、二番目の兄と弟になる。でも、それだけだ。ウチでは、祖父と父親が早く死んでしまったからな」
「しかし、ニコロ殿。アマゾーンの世界では、男は庇護されるはず。このように働くことはないと聞いたが」
「やめてくれよ!そりゃ、街の考えに毒されてる」
廊下をすれ違う子供たちが、二人を珍しがって、男の人だ!、と言って、走り去っていく。
「見ただろう?女の子だけだ。ウチだけじゃない、この村のどこだって、同じだ。男は、滅多に生まれないし、育たない」
家の外にある洗濯場に着くと、ニコロは、タライに水を張った。
「さあ、お前たちも、しっかり働くんだ」
三人は、よく晴れた昼間の空の下で、洗濯をしている。
「これは、骨か折れますねぇ…」
レナトスは、はじめて使う洗濯板に苦戦している。
「しかし、これはこれで面白い。衣服の汚れが落ちて、本来の色が戻るのを見るのも、なかなか気持ちのよいものだ」
洗濯場には、女たちの姿もあった。
周りは、見晴らしが良く、村が一望できる。
近くの小屋では、女たちが機織りをしている。
畑には、牛に鋤を引かせる女がいる。
この街から離れた村も、アマゾーン国の例に漏れず、見るのは、老いも若きも女ばかりである。
更に二人が、遠くを見遣ると、丘の上に白い建物が、太陽の光を受けて輝いている。
「ルキウス、あれ」「おお…あれが、神殿か」
「あんなもの見るな!」
ニコロは、いまいましいという顔をして、洗濯物をごしごし擦っている。
「ニュムペが何を言ったか知らないが、ここの連中は、男を飼い殺しにするんだ。俺はそうはなりたくない」
ニコロが言うには、この国では男児が産まれると、神々からの贈り物として、それぞれの家庭で大事に育てられるが、事情によっては、神殿と呼ばれる施設に隔離されるという。
「みんな神殿を有り難がっているけど、要は口減らしでもあるんだ」
男の世話をするのは、それなりにコストがかかる。
男が希少なアマゾーンの世界では、男に危険な任務や、心身の健康を損なう労働をさせることはできないので、それらの仕事は女たちが担っている。
家族では抱えきれない負担を、地域ぐるみで支えるのが神殿の役割でもある。
「だから、お荷物になるわけにはいかないんだよ。お前たちも、ここで暮らすなら、よく覚えておけよ」
「街で男性をあまり見かけないのは、こういう事情があったのですね」
「アマゾーンの神々を祀るとされる神殿に、こんな背景があったとは」
洗濯が終わると、ニコロは、後を女たちに任せて、二人を呼んだ。
「あれ?ニコロさん、干さなくていいんですか?」
「そろそろ腹が減っただろ?、これから、飯の支度をするぞ」
ニコロは、炊事場でも女たちに指示を出して、自分も作業に取りかかった。
ニコロは、パン生地を作り、こねはじめる。
炊事場には、ニコロの弟たちもいて、慣れた手つきでパン作りを手伝っている。
生地をこねるのは、思ったより根気のいる作業で、レナトスとルキウスの二人は、はじめは、労苦を感じていたが、だんだん、生地が膨らみ、柔らかく弾力のあるものに変わると、この、ぷにぷにした生地を形成する作業は、楽しく、ふたりは、パン作りを面白いと思うようになった。
女たちは、形成されたパンを、よく熱したかまどで焼く。
パンが焼けるまでの間、男たちは、休みを取る。
「ニコロさんは、本当によく働きますね」
レナトスは、ニコロが、炊事洗濯はもとより、家計や子供のことまで、女たちから度々助言を求められ、そのたびに、毅然とした態度で、的確な指示を出しているのを見ていた。
「姉貴は、村長の仕事を手伝って留守が多いから、家のことは俺に任せているんだ」
そう言って、ニコロは胸を張る。
「それから、弟たちもな。俺たちは、この村の未来だからな」
女たちは、野菜の皮を剝く。
そして、刻んだ野菜を、火にかけた鍋に入れて、よく煮込む。
「ニュムペの奴、また放り出しやがって!」
ニコロは、レナトスたちに村の話をしていたが、話題が妹のことになると、思い出したように怒り出す。
「あいつは、自分じゃ何もできないくせに、いつも途中で投げ出して、俺が尻拭いしてやってんのに、反発してばかりなんだ!、今回だって、その事でケンカになって、一人前なとこ見せてやる!って大口叩いて家を飛び出した挙げ句、男の面倒も見られないとは、一家の恥さらしだ!あいつが跡継ぎじゃなくてよかった」
つまり、ニュムペは、村長の孫娘で、権威ある長である祖母と、実質、村を治め運営する母親、そして、母親を手伝う後継者である姉と、姉に代わって家を取り仕切る兄の妹ということになる。
レナトスは、他の家族のことは知らないし、二番目の兄と弟は穏やかそうだったものの、しっかり者だが、こう、気の強い兄がいては、ニュムペが家を出たのも、わからなくはない。と、思った。
女たちは、ガイア一行が、狩りで捕ってきた土産の水鳥を、ナイフで鮮やかに捌く。
ひとときの宴
食卓には、様々な料理がずらりと並んでいる。
「いいんですか?、こんなに…」
「まあ、お前たちの土産もあるんだ、遠慮なく食べろよ」
レナトスが、遠慮するのも理由があった。
ここは、この家の奥にある、ニコロと他の兄弟たち専用の部屋で、三人用にしては広く、明るく、窓からの眺めも良いものだった。
あれから、ニコロたちは、パンが焼けるのを見届けてから部屋に行くと、女たちが、できた料理を並べていた。
色とりどりの野菜やきのこのスープ、香草や香辛料をふんだんに使った焼魚、卵料理や、レナトスが見覚えのある、かつて食堂で食べたような肉の煮込みなどが、次々と並んで行き、食卓の中央には、土産に渡した水鳥の丸焼きが、堂々と鎮座している。
他にも、レナトスとルキウスが見たこともない、珍しい果物が盛り付けられた器が食卓に彩りを添えている。
さらに、女たちが運んで来た、焼きたてのパンとチーズと飲み物が加わって、男たちによる、ひとときの宴が始まろうとしていた。
女たちが去った後、丸いテーブルを囲んで、男たちは席に着く。ニコロを挟んでそれぞれ兄弟たちが座り、レナトスとルキウスも、残りの席に並んで座った。
「これは、お前たちの歓迎会でもあるんだ」
ニコロは、器にぶどう酒を注ぐと、皆に配った。
食卓は、長閑な村の、仕事の合間に摂る昼食にしては、あまりにも豪華で、豊かな食材に溢れている。
レナトスたちが、躊躇ぎみにワインを受け取ると、ニコロは、
「俺たちは村の未来を背負っているから、いつも女たちから、いいものを食わせてもらうんだ。だから、お前たちも食べろ。これは、仕事でもあるんだからな」
と言って、ワインをあおった。
以外だったのは、野菜の美味しさだった。
「やっぱりな!ニュムペの奴、ろくに野菜を食わせてないだろうと思ったよ!」
レナトスとルキウスは、玉ねぎの甘みやレタスの歯ごたえ、じゃがいものホクホクした食感などを味わい、知らぬうちに不足していた養分が、体に染みていくのを感じていた。
「お前たち、ずっとここに住むんだろう?」
ニコロは、肉の煮込みの骨を外しながら二人に聞く。
「私たちは、旅をしているので…」
ここを出るつもりだ。と、言いかけて、レナトスは、ルキウスを見た。
ルキウスは、器に卵を落として、かまどで焼いた料理の黄身を、パンですくって食べている。
この村の暮らしは、それほど悪くは無さそうだ。
ニコロの兄弟たちも、話せば、兄は、気さくでユーモアがあるし、弟は、利発で元気な子だった。
とはいえ、私は、旅がしたい。それに、私には、帰る場所がある。でも、ルキウスは…
レナトスは、他に知る者のいない異国の地に、ルキウスを一人、置いていく気には、とてもなれなかった。
ルキウスは、食べたものをよく噛んでから飲み込むと、
「私は、街が見たい」
と、言った。
それを聞いたレナトスは、表情が晴れて、自分は、じゃがいものチーズ焼きを食べはじめた。
「…街はやめておけ」
ニコロの、口調が変わった。
「お前たちは、街の恐ろしさを知らないんだ」
「そんなこと、ないですよ。私は、現に旅をして…」
「そりゃあ運が良かっただけだ!」
ニコロは、肉の煮込みをテーブルに投げ出した。
「あんな所でな!男がどんな扱い受けるかわかってんのか!?」
レナトスとルキウスは、食器を置いて、ニコロの突然の変貌をただ見守るしかなかった。
他の兄弟たちは、慣れた様子で平然と、果物の器に手を伸ばしている。
「お前らも聞いておけ!、大事な話だ!」
不意に叱責を受けて、兄は、気まずそうに手を引っ込める。
弟は気にせず、果物を取って食べはじめた。
「街はな、この村とは違う。男は、売られるんだ!」
二人は、はじめて聞く衝撃的な言葉に、思わず息を呑んだ。
「神殿なんてもんじゃない、男は、晒し者になるんだ!広場で牛みたいに引かれてな!そこは“花婿市場”って呼ばれてるんだよ!」
「花婿…市場?」
レナトスは、あらん限りの知識を脳の中から探っていた。
「アマゾーンの神話と、聖王の話にヒントがあるかもしれない」
ルキウスは、己の知識と見聞きした情報をもとに思案している。
「確か、アマゾーンの世界では、男は、花婿として妻の家に迎え入れられ、庇護の下で暮らしているという話を、聞いたことがある」
「知ってるじゃないか、でもそれはタテマエだ。本当はな、男を自分だけの物にしたい女どもが男を閉じ込めるようになったんだよ」
「でも、私は、街で男性を見かけたことがあります。彼らは、自由を奪われているのでしょうか?」
レナトスの問いに、ニコロは、しばらく腕組みして考えていたが、やがて口を開いた。
「とにかく、俺が知っているのは、花婿市場では、品評会が行われる。男は、結婚の衣装を着せられて、皆の前で評価される。女どもは、目の色を変えて男を品定めして、誰を連れて帰るか決めるんだ」
「でも、それってさ…」
兄が、口を挟んだ。
「ちょっと、うらやましいな」
「何だと!?」
「だ、だってさ、女の子がみんな、自分に夢中になるんだよ。村じゃ、僕たちのこと、ふつうに扱うじゃないか」
「お前は、女どもの前で素っ裸になりたいのか!」
周りは、完全に静まり返った。
弟の、果肉を噛む音だけを残して。
「とにかく、そんなこと思うんじゃない、ふつうに扱われることがどれほど有り難いか、お前はわからないんだ」
兄は、恥じ入るように項垂れた。
弟は、そんな兄に声をかけて、器から果物を取ってあげるのだった。
宴は、続く。
「悪いことは言わないから、街に行くのはやめて、この村に住むんだ。男なら、何人いても大歓迎だぞ」
ニコロは、水鳥の丸焼きを噛みちぎりながら、レナトスとルキウスを、延々と諭す。
「この村は、男を大事にするし、男を競りにかけるような、野蛮な街とは違う」
レナトスは、気分を落ち着けるために、何度も水を飲んでいる。
ルキウスは、卵料理を食べ終えると、自分も、じゃがいものチーズ焼きを取って、食べはじめた。
「男は、決まった時期に、村の女たちの所に行って、子供を作ればいい。そうすれば村は未来に受け継がれていくんだ」
「…。えええええええええええええ!」
レナトスは、ちょっと間を置いてから、驚きの声を上げた。
書物や言い伝えで知っていることでも、いざ、現実に直面すると、思わぬ反応をしてしまうものである。
「ニコロさんそそそれって…け結婚は…?」
「俺たちの村に、結婚なんて、“野蛮”なものは、ない」
ニコロが言うには、結婚とは、女が男を縛るためにあるという。
所有した男を、子を成す他にも、財産として他の女に見せびらかして、虚栄心を満たす道具にするのが本来の目的なのだと。
「つまり花婿は、“宝石”と同じなんだよ。まるで、生贄だな」
それにくらべて、この村のあり方は、とてもおおらかで自由がある。子を成すことが必須とはいえ、関係を無理強いされることも無いし、村の中にいる限りは安全に暮らせる。と、ニコロは締めくくった。
「だから二人とも、ここにいろ。俺たちと兄弟になろうじゃないか」
レナトスは、迷っていた。
ルキウスは、まんざらでもない様子で、ワインを傾ける。
(たとえ、ルキウスだけでも…)
しかし、それでは、ルキウスを見捨てるようで、レナトスには、ためらわれた。
かと言って、今さらニュムペに頼る訳にはいかないし…
完全に行き詰まったレナトスは、久しぶりに、神々や聖王に祈りたい気持ちになった。
「…考えておきます」
結局、レナトスは、結論を先送りにした。
神殿の丘へ
レナトスたちは、山のように積み上げられた皿や食器と格闘していた。
「片付けるのが自分たちだなんて、聞いてないですよ~!」
「俺たちは、食わせてもらってるんだから、片付けくらい、するもんだ」
炊事場では、ニコロたち兄弟と、レナトスとルキウスが、手分けして、料理に使われていた皿や器や匙を洗い、水で流しては、布できれいに拭いていた。
レナトスは、慣れない手つきで、汚れた皿を石鹸のついたタワシでゴシゴシ洗う。
おかげで、洗濯の時にできた“あかぎれ”が、ますますひどくなった。
「これが済んだら、晩飯まで暇になるから、お前ら頑張れよ!」
ニコロは、重ねた皿を抱えて食器棚にしまいながら、皆を鼓舞する。
家の中で、午後の休憩を取っていた女たちが、何かを言いながら外に出て行った。
遠くから、低いラッパの音が微かに響いて、レナトスたちの耳にも届いた。
「これは、売れないねぇ」
街の書店で、老齢の女店主は、眼鏡の縁を持って目を凝らしながら、詩が綴られた紙を眺めている。
「どうしてだよ!いい詩だろ!?」
「私は、いいと思うんだけどねぇ」
店主の煮え切らない態度にニュムペは苛立っていた。
「その、なんと言うか…」
「何だよ」
「…せっかく、男の人が書くなら、もっと艶っぽい話はないのかい?」
「もういい!」
ニュムペは、店主から紙をひったくると、足早に店を出た。
ルキウスの詩は素晴らしいのに、なぜ誰もわからないんだ!
ニュムペは、レナトスたちと別れてから、いつものように街に行って、ルキウスの詩を売り込んでいた。
異国の男性が書いたという物珍しさから、売れ行きは良かったが、皆、上澄みしか興味を持たず、すぐに飽きられる。
私に、もっと詩がわかる人と繋がりがあったら…
ルキウスの詩は、もっと世に広まって、本当の理解者にも出会えるかもしれない。
自分に、できることは何か?、自分は、どうしたらいいのか?
ニュムペは、考えながら、歩き続ける。
「騎兵隊だ!神殿の丘に向かっているぞ!」
家に戻った女たちの一人が、中にいる者たちに外の様子を伝えていた。
「騎兵隊?」「確か、女戦士の中で、重要な部隊だったはず」
皿洗いが終わり、女たちと休んでいた男たちは、互いに顔を見合わせた。
「神殿は、聖域だから、近づけないはずだ」
そうなの?と、問いかけるレナトスに向かってニコロは、答えた。
「神殿は、特別な日以外、誰も近づいちゃいけないんだ。たとえ、どんなに偉くてもな」
ラッパの音は大きくなり、数多の蹄の音が、地響きを立てながら、家中を轟かせ、やがて、遠ざかって行った。
女たちが言うには、騎兵隊は今、ちょうど家の前を横切って、神殿のある丘へと向かっているらしい。
レナトスは、自分の中で“血が騒ぐ”のを感じた。
“血が騒ぐ”に語弊があるならば、旅人として、自分を突き上げる“好奇心”とでも言うべきか。
「これは、行くしかないですね」
「同感だ、神聖な丘で何が起こるのか、確かめなければ」
「お前たち、どうした?」
「あの…ちょっと…用事が」
「ああ、便所か。ここからなら、奥のを使えよ。近いし、女たちも、行かないからな」
レナトスとルキウスは、大急ぎで廊下を早足で進んで、奥にあるニコロたち兄弟の部屋に行った。
二人は、それぞれ身支度を整える。
レナトスは、肩掛け鞄を身に付けて、ルキウスと共に、別の入り口から家の外に出た。
辺りは静まり返り、アマゾネスの姿はどこにもなかったが、二人は、遠くにある丘を目指して歩くことにした。
午後の空は思いの外明るく、丘の上にそびえ立つ神殿は、相も変わらず白い光を放っている。
レナトスたちは、丘が近づくにつれて、はじめて訪れる聖域の荘厳な雰囲気に、ニコロの話を聞いてはいても、畏怖の念を抱かずにはいられなかった。
「あの、神殿には、何かが隠されている気がします」
「私もだ、きっと我々が知らないアマゾーンの真実は、あの場所に行けば、わかるのかもしれない」
その時、再び蹄の音が響き渡り、二人の背後から、轟音が近づいてきた。
二人が振り返ると、遠くから馬に乗り、武装した女戦士の集団が、列を組んでこちらに向かって来る。
レナトスたちは、彼女たちの姿をよく見ようと、道端に並んで、部隊が来るのを待っていた。
「隊長!ここから先は、聖域ですぞ!」
「構わぬ!陛下の命令だ!」
先頭を走る女戦士たちは、レナトスたちの道は通らずに、もっと神殿に近い方へ行き先を変えると、部隊は、遠く離れた道を、まるで、ひとつの生き物のように、まとまって移動していく。
そして、その姿は、丘の向こうに消えて行った。
「ありゃりゃ」「残念だったな」
二人は、部隊を見送ると、また、丘を目指して歩きはじめた。
「それにしても、まさか二度も女戦士が来るとは、思いませんでした」
「この国では、何かしらの異変が起きているのかもしれない」
二人が話し始めた矢先に、また、遠くから轟音とともに、女戦士の部隊が現れた。
「これは、ただごとではないな」
「私たちは、運命の女神に導かれているのでしょうか?」
レナトスたちは、部隊がさっきよりも大規模だったので、今度は、道端ではなく、二股に分かれた小さい方の道を選んで、彼女たちを待ったのだが、あいにく今度も、部隊は、遠い道を選びそうだった。
「女神の翻弄は、ひどいものだ」
「私たちも、進みましょう。そのうち、運が巡ってくるかもしれませんよ」
もしもし、もしもーし…
不穏な気配に二人が振り返ると、さっきの部隊ほどではないが、剣を下げ、武装した女が立っていた。
「あの…何か」
レナトスがおそるおそる声をかけると、女は作り笑いを浮かべた。
「あのねぇ、僕たち、お家はどこかな?」
女の、あまりにも人を馬鹿にした言葉に、レナトスは、カッとなった。
「…お前!」
次の瞬間、まわりが真っ暗になった。
レナトスは、背後にいた別の女から、袋を被せられた。
「ルキウス!」
レナトスが叫ぶと、少し離れた場所から、ルキウスのくぐもった声が聞こえる。
レナトスは、そのまま軽々と抱え上げられて、運ばれていく。
彼が、いくら手足を伸ばしてもがいても、麻のざらざらとした感触を確かめるばかりで、袋から出ることも、事態を変えることもできなかった。
レナトスは、部屋と思しき床に寝かされた。部屋の中は藁の香りが満ちていた。
「ルキウス!いるなら答えてください!」
「レナトスよ、私はここだ」
レナトスは、声を頼りに、身をよじりながら、ルキウスのいる方へ進むと、運良く、彼に触れることができた。
「ルキウス、私たちは、どうなるのでしょうか」
「これは、まずいことになったぞ」
部屋の外から、話し声が聞こえてきた。
「…身元不明の男二名を、捕か…保護しました」
「手荒な真似は、するなよ」
すると、突然、部屋が動きだす。
部屋は、馬車の中だった。
「私たちは、女神に選ばれたようだ」
「聖王の加護がありますように…」
向かう所もわからぬ馬車の中で、ふたつの麻袋は、互いに身を寄せ合ったまま、迫り来る運命に身を委ねるのだった。
美しい鳥籠
ぷはっ! はあっ!
レナトスとルキウスは、麻袋から解放されて、久しぶりに外の空気を吸った。
麻袋を持った女たちが、去って行く。
「はい、お疲れさま」
目の前には、かしこまった印象の女性がいる。
外は明るく、広い空間だった。
二人は、長椅子に座って、膝を立ててしゃがむ女性と、向き合う格好になっていた。
「こわい思いをさせて、ごめんなさいね。あなたたちを守るためには、仕方がないの」
レナトスは、女性の子供扱いな口調に、また、腹を立てたが、ルキウスが宥めたこともあって、ぐっと、こらえた。
彼女が言うには、ここは、男性を保護する施設で、道に迷ったり、一人でいる男性を、家族が迎えに来るまで、一時的に預かるためにあるという。
「ここには、必要なものはみんな揃っているから、何の心配もなく過ごせるわ。安心してね。それでは、あなたたちのことを教えてもらいましょう」
彼女は、二人から、名前や年齢、出身地を聞くと、持っていた書類に記録していく。
「レナトス・アトランティウス、男性、二十三歳、黒髪、鳶色の目。服装は、青い外衣。ルキウス・アポロニオス、男性、二十七歳、金髪、青い目。服装は、紫の長衣。共に、デメトリア出身…」
自分たちが答えた以外のことを詳しく書き留める彼女を、二人は怪訝そうに見ている。
「これはね、身元を特定するには必要なことなの」
二人のようすを見て、彼女は和ませるように笑ってみせた。
それから彼女は、木の板のような物を持って、立ち上がった。
「さあ、立って」
彼女の慣れた口調と自然な振る舞いに、二人は、思わず立ち上がった。
「これから、身長を測るわよ。じっとしててね」
彼女は、二人を、長椅子の横にある、壁に埋め込まれた柱の前に連れて行き、最初はレナトスの背中を柱に付けて、まっすぐ立たせてから、頭の上に板を置いた。
彼女は、記録を取ると、今度は、ルキウスにも同じことをして身長を測った。
「はい、ご苦労さま。これでおしまいよ」
「待ってください、あの…」
レナトスが、思い出したように言った。
「なあに?」
「私の鞄が、見当たらないのですが…」
「それなら、預かってるわよ」
「よかった!」
レナトスは、自分たちが連れ去られてから、鞄を無くしたことが気になっていたのだ。
「鞄の中に、王国の身分証が入っているので、それを見てもらえば、私たちのことがわかると思います」
「わかったわ、聞いてくるわね」
彼女は、快く引き受けると、部屋の奥にあるドアから出て行った。
「これで、なんとかなるでしょう」
レナトスは、ルキウスに向かって、元気づけるように言った。
ルキウスの立場はわからないが、少なくとも自分の身分が明らかになれば、この窮地から抜け出して、ルキウスを助けることができるだろう。
今まで、どんな国でも効力を発揮した、デメトリア王国の紋章は、このアマゾーン国でも、威光を放つに違いない。
レナトスは、確信した。
先の見通しが立って、気分が落ち着いたのか、レナトスは、施設の探検を始めた。
この部屋は、白い壁が、高い天井まで続いている。部屋そのものは、廊下のように長く、両側の壁には、長椅子が間を置いて備え付けられ、突き当たりには、入り口の簡素なドアとは対照的な、重厚な雰囲気の扉があった。
「ルキウス!開けてみましょう!」
「相変わらずだな、お前は」
そこは、別世界だった。
白い廊下のような部屋とは打って変わって、この部屋は、華やかで豪華な造りをしていた。
扉を開けた先には、開けた空間が広がり、大きな円天井からは、日が差し込んでいた。鮮やかな装飾を施した壁にはめ込まれた窓には、鈴が鎖のように連なる何本もの飾りが、光を反射して銀色に輝いている。
「おお…これは!?」 「まるで、街のようですね…」
それは、レナトスが、はじめてアマゾーン国を訪れた時、さすらった街の様子を想起させるものだった。
二人の周りには、刺繍の入った長椅子や大理石のテーブルなどの、家具や調度品が置かれて、奥には、天蓋付きのベッドが見える。
「…お二人さん、どこから来たのかね?」
この部屋の、数ある長椅子の一つに、初老の男性が座っていた。
「…ほう、デメトリア。世の中には、たくさんの国があるものだ」
レナトスとルキウスは、テーブルを挟んで、男性と向き合いながら、旅のことを話している。
「それにしても、災難でしたな。でも、施設も悪くはないですぞ。かく言う私も“迷子”でね、家族と出かけていて、はぐれてしまったんだ。こんなことは、幼子の時以来だ」
「貴方も、連れて来られたのですか?」
レナトスが、聞く。
「私は、彼女たちから、優しく馬車に乗せてもらったんだが。お前さん方の扱いは、一体どうなっているのやら。私には、さっぱり見当がつかんよ。それにしても、ここは、居心地が良くて困る。世の中の人は、“美しい鳥籠”と、呼んでいるらしい」
レナトスが、辺りを見回すと、部屋は、半球型の建物で、確かに、美しく飾りたてた鳥籠。といった、趣を感じる。
レナトスは、他にも、気になることがあった。
男性は、今まで二人が、見たことの無い服装をしていた。
街や村の人々が、簡素な布の服を着ているのに対して、男性は、色の付いた長い上着を着ていた。
レナトスは、少し、ルキウスの服と似ていると思ったけれど、何より気になるのが、男性が身に付けている装飾品だった。
男性は、首から印の付いたペンダントをして、頭には植物を編んだような金色の冠を被り、髪に文字の書かれた飾りを付けている。他にも、指輪や腕輪、テーブルの下から、ちら、と覗いた足には、足輪まで見えていた。
「…ああ、これかね」
男性は、レナトスが自分を見ていることに気づいて、胸のペンダントを手に取った。
「これは、市長の家紋だよ。私は、代々、市を治める家の“夫”なんだ」
男性が言うには、“結婚”した男は、特別な服を着て、蔓草を象る装飾をした冠を被り、妻の家の印が付いた装飾品を身に付けるという。
男性は、指輪を指して、これは、地方の有力な商人、腕輪は、アマゾネスの部隊長のものだと、身に付けた装飾品の意味をレナトスに教えた。
「…髪飾りは、実家の印か、誰かの愛人の場合は、名前が刻まれているんだ」
レナトスは、頭がクラクラした。
ニコロの話といい、この国の男女のあり方は、レナトスの理解をはるかに超えている。
この男性は、数多の妻と結ばれ、家に属しているのだ。
「…ちなみに、足輪は婚約した者が」
「もう、いいですから!」
レナトスが、男性の話を遮ると、今まで黙って話を聞いていた、ルキウスが口を開いた。
「お聞きしたいのですが、貴方は、妻が何人もおられるようですが、それは、私たちの国のあり方とは、違っています。我が国では、結婚は、一組の男女が結ばれ、生涯、添い遂げます。それについて、どうお考えでしょうか?」
男性は、不思議そうな顔をしてから、顎に手をやり、しばらく考えていたが、やがて、二人の方を見て、呟くように語り出した。
「お前さん方の国のことは、私にはわからないが…」
「結婚とは、良いものだよ」
「私は、おかげで、たくさんの人から、愛され、必要とされた」
「…それは、神殿にいた頃とは違う、喜びと、幸せを、私に与えてくれた」
「神殿、とは?」
ルキウスが、改めて尋ねる。
男性は、思い出しように、朗らかな表情を浮かべた。
「…私は、神殿で、育ったのですよ」
聖なる結婚
「私は、幼い頃、家族と出かけた時、迷子になってしまって、それから、この鳥籠で、家族が迎えに来るのを待っていたんだ」
しかし、男性の家族が、迎えに来ることはなく、男性は、馬車に揺られて、神殿のある丘に連れて行かれた。
そこで、彼は、施設の女の手から、迎えに来た、神殿の番をする、老爺に引き渡された。
神殿は、見た目も内部も白一色で、その眩い光に、彼は、ここが天国かと思ったほどである。
男性は、はじめの頃は、家族とはぐれたショックと、会えない寂しさに、毎日泣いて過ごしていたが、神殿の人たちは、皆優しく、まだ幼子だった男性に寄り添い、慰めてくれた。
そのうち、だんだん、神殿の暮らしに慣れて、周りの人たちにも懐いた男性は、神殿を家だと思い、人々を家族として慕うようになった。
神殿の人々は、様々な年齢の男たちで、皆、フードを被り、白くて長い服を着て、慎ましく穏やかに暮らしていた。
「神殿に、悪いことは何も無く、私は、愛情に包まれて育った」
男性も皆に倣い、平和な日々が過ぎたが、運命の時は、訪れる。
「私は、“結婚”することになったんだ」
「結婚!?」
二人は驚き、レナトスは、長椅子から、身を乗り出した。
ニコロの話では、神殿は、男を隔離して飼い殺す場所なのでは?
「どういう事ですか?そもそも、なぜ貴方が」
「もともと、決まっていたことなんだ」
神殿の役割とは、この、アマゾーン国で、命を繋ぎ、繁栄させる為に、男を保護、隔離して、養育することである。
この国の神話に拠ると、男は、繁栄の為に、神々から人々に、与えられた恩寵である。
アマゾーンたちは、神殿を聖域として、畏れ敬い、神殿に、男を連れて行く時と、特別な日以外は、決して近づくことは無い。
その特別な日とは、神殿の男たちの中で選ばれた者が、丘を降りて、下界の女と結ばれる、結婚の日、である。
「それはそれは、悲しかった。なぜなら、丘を降りたら、二度と戻ることは許されない。結婚は、家族との、永遠の別れを意味していたからね」
男性は、遠い目をする。
「皆、涙を流しながら、私を見送った。これが最後と、抱きしめてくれた。私は、白い服を脱ぎ、婚礼の衣装である花の冠を被り、鮮やかな服を着て、迎えに来た老爺に連れられて、神殿から、丘の麓まで降りて行ったんだ」
レナトスとルキウスは、感心したような、溜め息をつく。
「…話は、終わりじゃない。むしろ、これからなんだ」
男性の目に、光が宿る。
「下界に行って、私が見たものは、大勢の人だった。皆、私を迎えに来てくれたんだ」
そこで男性は、下界の人々、つまり、地上の女たちから熱烈な歓迎を受けて、豪華な馬車に乗せられて、町中を練り歩き、婚姻を結んだ妻の家に向かった。
「結婚式は、それは素晴らしいものだった。妻や家族は、私を大事にしてくれた。私は、新しい家で、愛を育み、自分の家族ができた」
アマゾーン国の結婚式は、ある神話がもとになっている。
それは、人間の男の王が、大地の女神と結ばれて、大地に実りをもたらすという話で、王は、今でも女神のもとで暮らし、春になれば、緑とともに王が戻ってくるという、言い伝えもある。
王が、女神のもとへ行くように、男は、女と、結ばれる。
結婚は、神聖なものとされ、特に、神殿の男と婚姻を結ぶことは、聖なる結婚、“聖婚”と呼ばれている。
「しかし、貴方は、何人もの女性と…」
「それは、この国の事情もあるが、アマゾーンの人々は、夫を分け合うんだ。他人に与える行為は、美徳とされているんだよ」
窓からは、夕日が差し始めている。
「まさか、神殿に住んでいた方と、話す機会に恵まれるとは」
「神殿の謎が、こんな形でわかるとは、思いませんでした」
偶然出逢って、話した相手が、これほど劇的な人生を歩んでいたとは。
「私こそ、神殿の話をしたのは、久しぶりだ。こちらこそ、話を聞いてくれて、ありがとう」
ちょうど、その頃、レナトスの荷物を確かめに行った、かしこまった印象の女性が戻ってきた。
彼女が言うには、男性の家族が迎えに来たとのこと。
男性は、二人に、何度も礼を言うと、部屋から出て行った。
「お二方に、神々と、女神の加護があらんことを」
「そういえば、私の身分証は…」
「この鞄のことね、ちゃんとあったわよ。ただ…」
彼女は、持ってきた鞄を、レナトスに渡した。
「あなたの言う、“身分証”は、どこにも無かったわ」
「そんな、バカな!」
レナトスは、信じられないという顔をして、慌てて鞄の中身を探った。
「無い!無い無い無い!身分証が、あの革製の身分証の中に王国の紋章が」
「レナトス、落ち着くんだ」
レナトスは、一心不乱に鞄の中身を取り出し、所持品を一つ、一つ、確かめ、ついには鞄そのものを逆さにして、激しく振った。
「それじゃあ、私は、また明日ここに来るから、それまでゆっくり休んでね」
「違うんです!本当にあるんですよ!これくらいの、革製で、中に王国の紋章が刻まれた!…私は、王家に近い人間なんです!」
レナトスは、両手で身分証の大きさを示しながら、必死に訴える。
「王家、ねぇ…」
女性は、レナトスの“あかぎれ”だらけの手を見て、軽く相槌を打つ。
ニコロたちとの楽しく、新鮮な体験が、ここでは、完全に仇になってしまった。
「では、明日になれば、あなたたちの身元もわかって迎えが来るでしょう。用事があったら、入り口のベルを鳴らしてくださいね。それでは、おやすみなさい」
女性は、そう言って、さっさと部屋から出て行ってしまった。
「待ってください!」
女性を追いかけようと、駆け出すレナトスの手を、ルキウスが掴んだ。
「レナトス!やめるんだ、見苦しい」
「離してください!あの身分証が無ければ」
「運命には抗わず、従う時も必要なのだ」
すっかり夜になり、窓から差し込むのは、月明かりになった。
レナトスは、長椅子に座ったまま、窓を見上げていた。
窓の飾りが、月の光で輝いている。
「眠れないのか?」
ルキウスは、レナトスが寝室にいないのを心配して、様子を見に来た。
部屋には、飲み物やお菓子が置いてあったが、食べた様子はない。
「…どこにも行けず、何もできない。私は、自分の非力を、生まれてはじめて感じています」
「それは、私もだ。今の私は、見知らぬ街を彷徨う、幼子も同然だ」
ルキウスは、持ってきた燭台をテーブルに置く。
ろうそくの灯りは揺れながら、小さくも周りを照らし、その姿を二人は、己の運命と重ね合わせる。
「私は、詩の女神に祈ろう」
「ムーサ?」
「我々には、詩がある。詩には、人の心を動かし、希望を与える力があると、私は、信じている」
「…詩は、たとえ、非力でも、何を失っても最後まで残るものだと、私も信じています」
二人は、小さな炎を、見つめながら、この先、何があろうとも、魂だけは絶やさぬよう、自らに誓った。
やがて、朝が来る。
白い廊下のような部屋は、光が射して、とても明るかった。
そんな、光の射す白い部屋に、見知らぬ女が来た。
かしこまった女性は、悲しそうに二人を見ている。
女は、レナトスたちの前で、巻物を広げ、仰々しく告げた。
「この、身元不明の男二名は、引き取り手不在のため、本日開かれる、市により売り出すことになった」
花婿市場
ニュムペは、走っていた。
そこが土手だろうと砂利道だろうと、構わず走った。
たとえ今が夜で、頼るものが月明かりしかなくとも、ニュムペにとっては、どうでもよかった。
なぜ?あの時、逃げたのか?
なぜ?実家に帰って、素直に助けを求めなかったのか?
自分じゃ、何もできないくせに!
ニュムペは、あれから、二人の様子を見に、こっそり戻った実家の庭で、たまたま出くわした兄の、怒号と悔し涙で、ようやく自分のした、取り返しのつかない行いに気づいたのだった。
私は、二人を守れなかった!
暗闇の中でも、ニュムペは、走る。
どうすればいい?何ができる?
ニュムペは、走りながら考える。
自分だけじゃだめた!
そう、
ガイアなら。
ガイアなら、二人を助ける手立てを見つけるかもしれない。
今頃、街の見回りを終えて、どこかにいるだろう。
街の、どこかに。
探せ、ニュムペ。お前は、街一番の飛脚だろう?この街のことなら、何でも知ってるだろ!?
走れ、もっと早く!
自慢の足はどうした!
ニュムペは、自身に言い聞かせ、自らを鼓舞する。
遠くに見える、街の灯りを目指して、ニュムペは、走り続ける。
「手を出して」
鳥籠では、女たちが、二人を市場に連れて行く準備をしていた。
ルキウスは、素直に両手を差し出す。
「ルキウス!何をしているんですか!?」
レナトスは、女たちを遮るように、ルキウスの前に立ちはだかった。
「レナトス、逆らうな」
「私たちは、悪いことは何もしていない!」
女の一人が、レナトスの腕を捕らえて、手枷を付ける。
ルキウスも、両手に枷を付けられ、女たちは、二人の鎖を引いて、外に引き立てて行った。
外は、晴れ渡り、爽やかな風が吹いていた。
女たちは、施設の外で待機していた、檻の付いた荷馬車に、二人を連れて行く。
レナトスは、動かなかった。女が鎖を引き寄せても、足を地面に突っ張り、枷の付いた腕を引いて全身で抵抗した。
レナトスは、動けなかった。すべてが、はじまろうとしている。
今まで、自分が見聞きした、異国の習慣、神話、神殿、男たちの保護、隔離、売買、花婿、生贄…すべてが、自分に降りかかってくる。自分もこれから、同じ道を歩もうとしている。
「この男、動きません!」 「持ち上げろ!」
恐れをなして固まるレナトスに、ルキウスが歩み寄った。
「レナトス、聖王を思い出せ。王の名を冠する者としての誇りはどこに行った」
「私は、そんな立派な人間じゃない!」
レナトスは、叫ぶように言い放つと、自ら荷馬車に乗り込んだ。
「できたじゃないか」
後から乗り込んだルキウスに、レナトスは、何も言わなかった。
レナトスが、荷馬車に乗ったのは、決して腹をくくったからではなく、迫り来る女たちが恐かったからである。
荷馬車は、街を通って、中央にある広場を目指していた。
街の人々は、荷馬車が通ると、好奇の目を向ける者や当たり前のように見て通り過ぎる者、面白がってしばらく追いかける者たちなど、反応はさまざまだった。
レナトスは、格子の間から街を見ている。旅をはじめた時、まさか自分がこんな事になるとは思わなかった。
荷馬車は、石畳の道を走る。車輪がガタガタと音を立てて、馬車全体が揺れている。
子供が荷馬車を指差して、母親に何かを言ったが、母親はあわてて子供の目を、自分の手で隠した。
広場は、群衆で溢れていた。
どこもかしこも、ひしめき合う女たち。
レナトスは、この国に来て、女ばかりの環境に、慣れたつもりであったけれど、これはさすがに胸が悪くなった。
広場の中央にある、舞台を囲んで、女たちは、ある人物を見上げている。
「さあ、今年も緑の季節がやって来ました!女神と結ばれ、大地を甦らせた“緑の王”が、帰ってきたのです!」
舞台の上で、恰幅のよい中年の女が、皆に向かって、饒舌をふるう。
「王は、人々のために与えられた、神々の恩寵。皆で、ありがたく拝もうではありませんか!」
レナトスとルキウスは、荷馬車から降ろされて、舞台の裏側でその様子を見ていた。
「早く見せろよ!へぼ商人!」
「今日のために、金貨を用意したんだぞ!」
どうやら、女は商人で、これから“競り”が始まるらしい。
「まあまあ、慌てなさんな。これから存分に、吟味できますぞ。…それでは皆さん、ご覧ください!王様の登場です!」
商人が手で指し示した先、レナトスたちとは反対側の舞台袖から、女に鎖を引かれて、若い男が出て来た。
男は、花の冠を被り、鮮やかな赤と紫色の衣をまとっていた。
両手には、レナトスたちの様に枷が付けられている。
男が現れると、群衆から歓声が上がった。男は、そのまま舞台の中央に連れて行かれ、群衆の前に立たされた。
「…ルキウス」
レナトスがルキウスを見ると、彼も同意したように頷いた。
「あの姿は、まるで…」
それはかつて、神殿育ちの男性が話した、婚礼の衣装とそっくりだった。
「なるほど、花婿市場か…」
ルキウスの、皮肉めいた言葉通り、これから、女たちによる“品定め”が、始まるのだった。
「…春の日差しの様な亜麻色の髪に希少な緑の目、そしてこの美しい容姿と、瑞々しい肌から溢れる若々しさ!まさに、緑の王!これを逃したら、二度と手に入らない、絶品ですぞ!」
商人は、男の名前や年齢、出身地、健康状態を群衆に伝えると、後は、ひたすら褒めちぎって、女たちに売り込んだ。
女たちは、銀貨が幾らとか、男の値段を口々に言い合って、競りは盛り上がりを見せたが、ある女が商人に言った。
「この男は、検品済みかい?」
「そりゃあ、血色も良いし、ご覧になればお判りでしょう」
「いや、私は、中身を確認したいんだが」
それを聞いた女たちは、示し合わせたように、ニタリと笑って物申す。
「そうだ!もし、買い取った後、問題があったらどうする!?」
「私たちは、知る権利がある!」
「私は、この子の体を、調べてはいないんですよ。服も自分で、着替えさせたし。なんせ、神聖なものだからねぇ。大事なことは、買い手のお楽しみということで」
「検品だ!」 「中を見せろ!」
「服を脱がせろ!」
女たちは、口々に叫ぶ。
「そんなに言うなら…まあ、仕方がないですねぇ…ふふ」
商人は、女たちの下心を見透かしていて、煽ることが上手くいったと、内心満足げに笑う。
「では、さっそく…」
再び、女たちから歓声が上がる。
「あ…」
男は、後ずさった。
鎖を持つ女が、自分を引き寄せ、商人が近づいてくる。
舞台の上に、何人かの女が登ってきた。
「あ…ああ…い…」
商人は、男の服を掴んだ。
「いやだ!」
男は、その場でしゃがみ込んだ。
「さあ、皆さんにお披露目するんだ。ほら、立って」
男は、うずくまったまま、枷の付いた不自由な手で服を押さえて、頑なに動かない。
「嫌です!許してください!」
涙声で叫ぶ男を、女が数人がかりで腕を掴んで立たせると、服の裾を捲り上げる。
悲痛な声が響きわたる舞台を、女たちは堪能した。一瞬だけ見られた足を、服の中に隠して、泣きながら床に転がる男を、女たちは、目で嫐った。
「待てい!」
それは、興奮した女たちに、冷や水を浴びせるような強い声だった。
舞台に群がる女たちと、舞台上の商人たちは、声のする方を振り返る。
群衆の向こうから、大勢の召使いと護衛を従えた、貫禄のある女が、輿に担がれて現れた。
「その男、私が買い取ろう」
女が払ったのは、他の女たちとは、桁違いの金額だった。
男は、召使いたちに迎えられて、女のもとへ行き、もう一つの輿に乗せられて、去って行った。
「よかったですね!」
「この後に及んで、他人の心配をするとはな」
舞台の袖から、様子を見守っていたレナトスたちは、結末に胸をなで下ろしたものの、今度は自分たちの運命を乗り越える時が来た。
「覚悟はいいな?」
「はい、恐れは捨てました」
二人が、決意を新たにする中、ふたたび商人の、群衆へ向けた声が響く。
「さて、お次は~異国から来た二人組だー!」
「待ってくれ!、話がある」
ルキウスが、商人の前に歩み出て、賑やかになった群衆は、一人の男に釘付けになる。
レナトスも、後に続いて、二人は並んで舞台の上から、群衆を見下ろす。
「おっ、何か面白いものを、見せてくれるのかな?」
商人は、長年の経験と勘で、人の心情や意図を読むことに長けていた。
ルキウスは、高らかに宣言する。
「…確かに、私たちは異国の者だが、それ以前に、詩人である!」
女神へ捧げる詩
「ほう、詩人ねぇ…」
商人は、商品について書かれている紙の束をめくった。
「あの、デメトリア出身の美男が二人。しかも詩人ときたら、これはもう、大儲けできるねぇ」
商人は、小声で呟いてから、紙を懐にしまった。
「それで、お前たちは、何が出来るんだい?詩を詠むのかい?」
「その通り。私たちは、数多の詩を書き、詠ってきたのだ」
ルキウスは、答えた。
「皆には、私たちの詩を、是非とも聞いてもらいたい。必ずや、心を打つであろう。私たちの運命は、それから決めるがよい」
ルキウスが、群衆に向けて訴えると、好奇と期待の綯い交ぜになった視線が、二人の詩人に注がれる。
「では、聞いていただこう。…詩の女神に捧ぐ。“聖なる王と女神の結婚”」
ルキウスは、静かに息を吸う。
「慈悲深く、聖なる王は、神々からの恩寵。人々が愚かにも、貪り、その手を血で染めた時、王は、自らを贄として捧げ、その恵みと慈しみを神々に返した」
レナトスも、ルキウスに続いて、声高らかに詠う。
「大地を司る永久の女神は、慈悲深き王を愛し、自らの地へ招いて、二人は永遠に結ばれた」
ルキウスとレナトスは、呼び合うように交互に詠う。
「愚かな者は、地に沈め、食べてしまおう。と、女神は言う」
「愚かな者でも、私は愛し、永久へ来たのだ。と、王は言う」
「あなたが人を愛する限り、私の恵みは止めぬ。と、女神は誓う」
「お前が私を愛することで、人に幸あらんことを。と、王は祈る」
「人々は、失ったものに気づき、悔やみ、学び、清らかになった。しかし、人々は、まだ知らない。王の愛が、女神の恩恵が、この世には満ちていることを!」
「緑は何度も甦り、大地には恵みと、王の愛が注がれていることを!」
二人は、声を揃えて同時に詠い上げる。
「人々よ、思い出せ!赦されたことを!そして、知るがよい。愚かにも、貪り、その手を血で染めた者よ。欲望に弱い者、頑なに思い込む者、心を捨てた者たちよ!たとえ人が忘れる時も、それでも緑は巡り、地は満ちることを!」
そして、締めくくる。
「王と女神の理の中に、我らは生きることを!」
群衆は、静まり返った。皆、真剣に聞いている。
二人が、詩を詠み終えると、周りから割れんばかりの拍手が巻き起こった。
素晴らしい! 感動的な詩だ!
ありがとう!
女たちの中には、感極まって涙を流す者もいる。
女たちは、二人の詩人を改めて見つめる。
その表情は、敬愛、憧れ、魅了、様々に変化し、やがて女たちの目は、ぎらぎらと光りだす。
女たちは、言った。
「あなたの、血が欲しい!」
女たちは、二人を“みんなのもの”と言い、分け合う相談を始めた。
皆で金を出し合って、皆で共有しようと話す。
二人の詩に、すっかり聞き惚れていた商人も、今はしたり顔で、女たちと交渉をして、銀貨も金貨も取りあげる。
二人の運命は、決まろうとしていた。
「なんてことだ…」
ルキウスは、その場でよろめいた。
レナトスは、ルキウスを体で受け止め、枷の付いた両手で、彼の腕を掴んで支える。
「愛が…聖王と女神の愛が、まったく伝わらないとは!」
「逆効果だったんですよ!私は、嫌な予感がしていました」
欲望に駆られる者たちに、自省を促す言葉は届かず、哀れ二人の詩人は花婿として、女たちの手に落ちるのか!?
「やめろ!離せ!」
レナトスは、取り囲む女たちから、ルキウスを庇った。
「ルキウスに触るな!」
女たちは、二人を引き離し、それぞれの腕を掴んで、舞台を見上げる女どもの前に突き出す。
「聖なる王様、ばんざーい!」
女たちの、熱狂と狂乱の入り混じった声が、広場中に響きわたる。
「聖王を侮辱するな!」
ルキウスは、怒りで我に返った。
女たちが、二人の手枷を掴んで持ち上げると、二人は、腕を伸ばして、つま先立ちでぶら下がる格好になった。
女たちは、手際良く、レナトスの外衣を剥がし、ルキウスから長衣を奪った。
二人は、中衣を着ていたので、体を見られることはなかったが、二人の屈辱と怒りは頂点に達した。
「ふざけるなあああああああ!」
レナトスは、吊られたまま、衣服を脱がせた女の顎を蹴飛ばした。
「男は、牛じゃない!馬鹿にするな!」
「愚か者め!恥を知れ!」
ルキウスは、中衣に手を伸ばす女に、頭突きをお見舞いした。
二人は、自由を奪われながらも、あらん限りの力で戦った。
女たちは、黄色い悲鳴をあげて、舞台上の乱闘騒ぎを楽しんでいる。
レナトスとルキウスは、足を掴んだ女の手を振り解こうと、何度も蹴って、身をもがき、捕らわれた魚のように抗った。
二人は、突然、宙に放り出され、身体は床に叩きつけられた。
「うぐっ!」 「ぐあっ!」
二人が顔を上げると、周りの状況が変わっていた。
女たちの歓喜は、悲鳴に変わり、皆、顔色を変えて、広場を右往左往している。
遠くから、低いラッパの音が響いて、だんだん近づいて来る。
女たちの群れをかき分けるように、馬に乗り、武装した女戦士の一団が、現れた。
「ルキウス!レナトス!」
一団の中から、一人の少女が、馬よりも速く、二人に向かって駆けてくる。
「ニュムペ!」
ニュムペは、舞台の上に飛び乗ると、二人に駆け寄った。
「二人とも、無事でよかった!」
やがて、舞台にたどり着いた女戦士の一人が、商人から取りあげた鍵を持って、二人の手枷を外した。
商人は、おっかなびっくり、まわりをキョロキョロして落ち着かない。
「…これは、どういうことだ?」
商人は、ビクッとして、おそるおそる声のする方を見た。
そこには、一団の中で際立つ、凛々しい女性が、馬上から商人を睨みつけていた。
「神聖なる婚姻の儀に、商人が何をしている?」
「ひぇーっ!こ、これは、隊長様!」
商人は、すっかり縮みあがっている。
「こここれはその、緑の王をお迎えする言わば儀式でして…」
「お前は、本来なら結婚を祝うべき所を、儀式の名の下に、緑の王を侮辱したな!?」
「そんな~侮辱なんてとんでもない!私はただ」
「女神と共に大地に緑をもたらす王に感謝することも無く、神々からの贈り物である希少な男性に敬意を払わず、私利私欲と愉しみのために虐げ、弄び、売り買いした。その罪は重い。お前とお前に関わった、すべての人間に厳罰が下ると思え!」
「ありがとう、ニュムペ。君がいなかったら、今頃私たちは、どうなっていたか…」
「感謝するぞ、ニュムペ」
ニュムペは、照れながら、少しうつむいた。
「ううん、ぜんふ、ガイアのおかげなんだ…」
あれからニュムペは、街じゅうを探しまわり、ようやく、見回りを終えて、酒場で飲んでいたガイアを見つけた。
ニュムペが事情を説明すると、それからの話は早かった。
ガイアは、持ち前の面倒見の良さと、これまでの活動で築いた人脈による情報網を駆使して、酒場で、ある女が捕獲した異国の男の荷物から、何やら高価そうなものをくすねて、それがよい値段で売れたと自慢げに話していたという、情報を掴んだ。
ガイアはその情報をもとに、その女と、レナトスとルキウスを連れ去った関係者一同を突き止め、ボコボコにしばきあげ、事の詳細や、レナトスの身分証を売った先を吐かせた。
ガイアが聞き出した店を尋ね、確かめると、それは王国の紋章が刻まれた、他には無い、本物と思われる身分証であった。
ガイアは、これを頼りに、アマゾーン国の女王に訴えるために早馬で首都に向かった。
慈悲深く、聡明な女王は、直ぐさま、ガイアの訴えを聞き入れ、アマゾーン国と国交を結ぶ重要なデメトリア王国の男性が危機にあると判断し、直属する騎兵隊に命じて、レナトスとルキウス、二人の救出と、最近、街で蔓延る、不当な男性の売買を取り締まるために現地に向かわせた。
こうして、ニュムペの働きかけによって、壮大な救出劇は、二人の無事保護と、元締めの逮捕による売買組織の壊滅という大団円を迎えたのである。
女王の国
女王は、慈悲深い人物だった。なので、常に慈悲深いことを考えている。
女王は兵を向け、アマゾーン国と、デメトリア王国を併合した。
この国は、昔から、王に仕える者と、神官の間で争いが絶えなかった。
そして、アマゾーン国の、周辺の国々とも争い、出し抜き合っていた。
こういう国は、私が治め、管理してやった方がよい。その方が、この国と、周辺の国々にとっても幸いであろう。
女王は、そう判断して、アマゾーン国による支配という名の“救済”が始まった。
デメトリア王国は、歴史があり、素晴らしい文化を持っている。
我がアマゾーン国とも、起源を同じくする、昔からの姉妹なのだ。
同じ神々を崇め、大地の女神と、人間の男王が結ばれる神話がある。
しかし、その昔、デメトリアは、男王だけを神格化して、女神や他の神々を隅に追いやった。
それは、男性の神官による権力の独占と、偏狭な、信仰心のためだった。
そのため、この国とは、長い間、袂を分かち、秘密裏に書簡を交わし、情報を探る以外は、距離を置きながらも、それでも暖かく見守ってきた。
デメトリア王国は、アマゾーン国と違い、昔から、男の王がいて、祭祀を男の神官が司るが、それも、男性が希少になってからは、ただの形に過ぎない。実務的な事は、すべて女の親類や部下が行っている。
この国も、アマゾーン国ほどではないが、男児の出生が少なく、国の維持に苦労しているにも関わらず、愚かにも争いをやめず、国は疲弊していた。
この国では、戦闘や過酷な労働を男性が担い、犠牲者は後を絶たない。
女王がそう思うのも、訳があった。
アマゾーン国の人々は、神々からの恩寵である“男性”を守り、育て、養ってきた。
そして、互いの家同士で、契約を交わして、希少な男性を皆で共有して、大切に世話をしていたのだ。
そんな彼女たちにとって、デメトリア王国や周辺の国々のあり方は、男性に対する冒涜であり、虐待そのものであった。
アマゾーン国は、長い間、この国に対して働きかけてきた。
争いをやめ、男がやっていた事を女が担い、男に負担をかけ犠牲にする、これまでのやり方を改めるよう、何度も書簡を送り伝えていた。
しかし、この国は、それを頑なに拒み、男性を利用し、粗末に扱うことをやめなかった。
女王は、この国の男性のために心を痛め、怒り、自らの手で救うことにした。
そのために、聖域すら、侵して進軍したのだ。
一つは、作戦のため、神殿の丘を通過した事と、一つは、異国の者とはいえ、戦いで男性を殺めたことである。
これらの償いは、今後この国の世話をすることで果たそうと、女王は考えている。
そのためには、まず、デメトリアの各地に“監督”を派遣し、地域を治め、神職は、アマゾーン国の巫女が、神官に替わり、神々と女神を信仰し、王を敬愛する、本来のあり方に戻した。
王は、男性が希少になる前から、この国では鎮座するのみで、統治は実質、王の妻や、親類が行っていたので、支配者がアマゾーンに替わろうとも、支障は無く、この国はとても良く治まった。
女王が次に取りかかったのは、自国の取り締まりである。
国内では、己の欲望のために、男性の売買が行われていた。
手口は、保護施設を隠れ蓑にしたものだった。
まず、不届き者達は、身寄りの無い男性を、拉致同然の扱いで、アマゾーン国各地にある男性保護施設に送り、しばらく寝かせてから、裏で手を引く商人に売り渡す。施設の関係者は、男性が通常と違い、麻袋に詰められているのを不審に思い、不届き者に理由を聞いても、男が暴れたから。と答えるため、不届き者の言葉を信じてしまう。
それから、儀式と称して市を開き、公衆の面前で、堂々と売り飛ばす。
これには、街の有力者も絡んでいた。いつしか街は、男性の売り買いが当たり前になってしまい、施設の関係者の他、街の人々も、疑問や違和感を覚えながらも、目を背けて黙認するようになり、街への疑惑や、良からぬ噂がひとり歩きして、国中に広まっていたのだった。
女王は、外交に尽力する間に、自国の管理が手薄になっていたことを深く反省し、速やかに対処した。
女王は、関係者を全員あぶり出して、男性たちの救済をするとともに、売買に関わった者には、然るべき処置をした。
本来、男性に対する、敬意と感謝をもって行われるべき、神聖な婚姻の儀式が、人身売買の口実にされ、蔓延っていたことと、それを一市民の直訴によってはじめて把握するに至ったことは、男性の庇護者を自称し、誇るアマゾーン国の女王にとって、恥ずべきことであった。
女王は、自らの汚名を雪ぎ、償うために、被害者である二人の男性を自分の宮殿に呼び寄せた。
デメトリア、今となっては、アマゾーン国の一都市出身の彼らを、もてなし、尽くすことで、僅かでも、慰めになれば幸いだと。
それから、この件の貢献者にも報いねば。と、女王は、思案するのだった。
あれから、レナトスたちは、アマゾーンの女王が住む、広大な宮殿で、何不自由なく暮らしている。
女王の計らいで、彼らは、詩作をしながら自由気ままに過ごしていた。
レナトスの心は、晴れやかだった。
デメトリアは、アマゾーン国との併合と、彼女たちの統治で内部闘争は無くなり、調査と、巫女による解釈によって、ルキウスの罪は晴れた。
ルキウスは、故郷に帰ることもできたが、彼は、神官の職はもう存在せず、帰る理由も無い。それに自分は、詩人として、ここで詩を作りたい。と言って、新たな詩を書き始めた。
レナトスも、家族のことが気にならないと言えば嘘になるが、もともと、早くから父と、二人の兄を亡くし、気丈でたくましい母が領地を治め、そんな母の代わりに自分を育ててくれた、しっかり者の優しい姉が、母の跡を継いで家の名と領地を守っているので、自分が帰らなくても、当分は、宮殿で詩を詠むのも悪くはないと思っていた。
ちょうどその頃、アマゾーン国と、デメトリア王国は、正式に併合した。
ふたつの国は、ひとつになり、名は女王国に改められた。
ニュムペは、街の飛脚から、国直属の配送係に任命された。
もっと広い範囲を、国の重要な使命を帯びて走ることになる。
ニュムペは、自慢の足が認められた。と、自信満々で実家に凱旋したが、兄のニコロから、そんな広いとこ、馬を使うに決まってるだろう!と一喝されて、あわてて、ガイアに馬を習いに行ったという。
上達を祈る。
ガイアは、女王直属の騎馬部隊に取り立てられたが、自分は、あくまで街を守るのが使命だと、断ったそうだ。実にガイアらしいと思う。
今、ガイアは、女王から、責任者に任命された、街を治めている。街が二度と悪いことに染まらないように、守っているという。
どこまでもガイアは、ガイアなのだ。
別れの時、レナトスとルキウスは、ニュムペとガイアから、文通を申し込まれたので、彼らは、手紙をやりとりして、彼女たちの状況をよく知っていた。
ニュムペによれば、ルキウスの詩は、国じゅうで大はやりだそうだ。
最初は、女王の働きかけもあり、宮廷詩人の作品として、もてはやされたが、そのうち、大勢の人に読まれることで、彼の詩が持つ、魅力や奥深さを理解する人が現れ、確実に増えていった。
今では、女王陛下も、彼のファンなのだ。
かく言う私も、早く本を完成させて、陛下に献上し、世に広めたいと思う。
そうすれば、故郷に錦を飾る…もとい、アマゾニアが平定されてから間もない各地域に、アマゾーンに関する情報を伝える役目を果たすだろう。
アマゾーンたちの影響は、周辺の国々まで及んでいる。
これからも、アマゾーンと、女戦士の世界は、広がっていくだろう。
この本が、女王国の繁栄に貢献することを願って、私は、筆を置く。
神暦1321年年3月25日
レナトス・アトランティウス
アマゾーン国探訪記