水無月犯科帳
人というものは、はじめから悪の道を知っているわけではない。何かの拍子で、小さな悪事を起こしてしまい、それを世間の目に触れさせぬため、また、次の悪事をする。そして、これを隠そうとして、さらに大きな悪の道へ踏み込んでいくものなのだ。
池波正太郎
(January 25, 1923 – May 3, 1990)
遠くの方で雷鳴が轟いたかと思えば、一気に空はかき曇り、盆をひっくり返したかの様な大雨がどっと降り出した。
道行く人々が競う様に早歩きをし始め、又は軒先目掛けて一生懸命に駆け出す中、持っていた傘をぱらりと開くや否や、慌てず騒がずな態度で人混みを上手い具合に避けている随分とこざっぱりした風態の男が居た。
男の名は三吉。
此の男、普段は老舗の古道具屋『ことぶき』の下働きをしていて、今は自身の母親の四回忌の墓参りをしに出掛けた帰路の途中にあった。
絵に描いたような真面目人間で、俗に申す所の「三道楽煩悩」即ち酒を呑む、博打に手を染める、女を買う、と言った「誘惑」には目もくれず、休みの日も自ら読み書きを習いに出掛けたり、或いはお寺の御坊様達に混じって困窮している者達を助ける活動に従事したりと言った様な生活を営んでいるお陰もあってか、共に汗を掻き、且つ同じ釜の飯を食べている間柄の朋輩衆からの評判は大変に上々であり、物に対する目利きは勿論、人に対する目利きの名人達である『ことぶき』の常連客達からも、「ゆくゆくは今の立場から出世をし、お店を継ぐのだろう」などと良い意味での冷やかしと揶揄いを事ある毎に受けている三吉にとって、身体が其処迄強く無かったにも拘らず、「お前が一人前の男になる迄は
死ぬに死にきれない、此れはお前が産まれた直後に亡くなったお前のおとっつぁんの墓の前で誓った約束だから」と言う強い信念と教育方針の下、時に厳しく時に愛情たっぷりに三吉を育ててくれた母・お紋は、此の世で唯一の身内であり、そして日の本一のおっかさんだった。
其のおっかさんが長患いの果てにとうとう息を引き取った時、何かと申せば健気で真面目一本槍の三吉も、すっかり肩を落としているに違いない、と『ことぶき』の主人である重藏をはじめ、周囲の人間達も心配をしたのだけれど、「寂しかろうし辛かろうが、決して人前で涙を見せる様な真似だけはしてはくれるな、湿っぽいのは性に合わない」と言うお紋との約束を果たすべく、結局の所、四十九日を迎える迄、いっぺんたりとも涙を流す事は無かった。
でもって涙を流す姿を見せた相手と言うのも生身の人間では無く、生前のお紋が「爪に火を灯す様にして貯めた」なけなしのお金を支払って近所に住む絵師・中岡萬次郎に自らの姿を描かせた母の肖像画の前で、である。
尚、お紋は萬次郎に対し、「私の四十九日を迎えた時に此の絵を倅に手渡してやってください、私はお前の様な孝行者の倅を持って大層倖せで御座いました、と言う私からの言伝を添えて」と伝えたのであるが、両親を流行り病で亡くした挙げ句、親戚をたらい回しにされた、と言う「こゝろの傷」を負った経験を持つ萬次郎は、是等諸々の事を話す際、両親と過ごした日々の記憶が一気に蘇ったらしく、三吉の前で大粒の涙を流さずには居られなかった。
其の日の天気も、丁度、今日の様な大雨だった事を思い出し乍ら、三吉が其の闊達な歩みをピタリと止めた場所は、何やら酷く入り組んだ場所にポツリと建っている階下〈した〉が六畳、上が十畳と言う造りの二階建ての家の裏口であった。
きっつぁんですかい。
右手で拳骨を作った三吉が裏口の戸をトントントンと拍子を付けて叩くと、中から酷く野太い聲が聴こえて来たので、三吉は間髪入れず、あゝ、俺だよ、三吉だよ、と返事をすると、裏口の戸がガラッと開き、夜迄止みそうにはねぇな、此の分だと、と言う軽口を叩き乍ら、相撲取りの様に丸々太った男が三吉を家の中に招き入れた。
男は三吉が畳んだばかりの傘を受け取って其れを脇を置くや否や、其の懐から取り出した紺色の手拭いをさり気なく三吉に手渡した。
皆様はもうお揃いだろうね。
細面〈ほそおもて〉の額に浮かんだ汗を拭き取り乍ら、三吉が聲を掛けると、へぇ、二階の方で御茶菓子を御用意させていただきました、と言い乍ら、男は三吉の手から受け取った手拭いを懐にスッと捻じ込み、戸の鍵を締めた。
そして二人で二階へ向かうと、其処には世話役の男も含め、八人の男達が談笑に耽っていた。
どうも遅くなりまして。
三吉が皆に向けて深々と頭を下げると、構いませんよ、今日の様な御天気は決まって道がぬかるモノと相場が決まっておりますからして、と、見た所、此の奇妙な寄合の中心人物らしい総髪撫付〈なでつけ〉の男が静かに呟いた。
では三吉さんも来なすった事ですし、そろそろ本題に入りやしょうかねぇ。
猪首に数珠をぶら下げた剃髪の男のひと聲を合図に男達が其の場で車座を作ると、三吉が懐中から一枚の絵図面を取り出し、皆の前で広げた。
其の絵図面には、近年めきめきと力を付けて来た大店『信濃屋』の主人・信濃屋九兵衞別宅の間取りが丁寧に書き起こしてあった。
御計画が持ち上がってから早半月。
此方の絵図面を手に入れますにはだいぶ苦労をいたしましたが、此れにて漸く一区切りで御座います。
三吉が皆の前で其の様に述べると、絵図面の件は此れにて片付いた、さて、肝心の襲撃の決行日だが、其の点抜かりはござらぬでしょうな、と言葉を発したのは、元備後福山藩藩士で現在は浪人暮らしの身分である丸山大八だった。
義麿・義輝兄弟によれば、暁月祭りの晩、確かに九兵衞は別宅に泊まる手筈らしい。
其れが証拠に俄かに人の出入りが激しくなりおったそうな。
其の立派な鷲鼻の下に、乱世の豪傑の如く髭を蓄えた元越後高田藩藩士・國坂小次郎はそう言って軽く腕組みをした。
尚、小次郎の言う義麿・義輝兄弟とは、表の顔こそ「何でも屋」を名乗る便利屋稼業の端くれなれど、其の裏の顔は嘗て大阪冬の陣・夏の陣にて豊臣方に御味方をしたが為に戦後徳川方からの激しい弾圧に遭い、結果一家離散の憂き目にあった河嶋家の一員で、徳川家
〈とくせんけ〉に対して強い怨みを抱く剣客兄弟の事で、現在は信濃屋九兵衞の懐に飛び込み、小次郎を通じて九兵衞の行動を逐一報告する「間者」の役割を果たしていた。
日頃から何かと用心深い九兵衞の事、出入りをさせている人間の中に用心棒を紛れ込ませていると言う事もあり得ましょうぞ。
そんな風な用心を促す言葉を呟いたのち、最後のひと口となった御茶菓子の羊羹を口に運んで、懐紙で分厚い唇の周りに付着をした餡子の滓〈かす〉を拭き取り乍ら、三吉と同い年の小沢数右衛門が方々の顔を見渡すと、小次郎の同輩である山中貫一郎がひと言、其の時は此の貫一郎、得意の薙刀で用心棒共の御首〈みしるし〉頂戴してくれるわ、と啖呵を切った。
はっはっは。
流石は武勇の誉れ高き貫一郎さんだ。
だが用心なせぇ、戰は言葉のみでする者にあらずでさぁ。
そう言ったのは、表向きの顔は「不殺生戒」「不偸盗戒〈ふちゅうとうかい〉」「不邪淫戒」「不妄語戒」「不飲酒戒〈ふおんじゅかい〉」なる俗に言う佛教の「五戒律」を頑なに遵守する御坊様の聯山〈れんざん〉、本当の顔は、戦国の砌〈みぎり〉、信州信濃は真田家に仕えた名もなき草の者の血筋を引く大林菅衞門で、相撲取りにも負けず劣らずの大きさを誇る右手で自身の顎を軽く撫で回してのけた。
兎にも角にも、此処に居る一人一人が火の玉となって斬り込みを掛ければ、事は無事成就いたしましょう。
併し、そうは申してみても何かと奉行所の眼が厳しい今日此の頃、諄〈くど〉い様ではありますが、方々、何があっても計画は他言無用、そして気取られぬ様、御願い申し上げる次第です。
さて、本来ならば此処で三々五々皆、此処を出て再び仮の姿に身をやつしていただく訳だが、此の集会も今日で御開き、最後に相応しく、別れの盃で締めさせていただきたい。
そう言って総髪撫付の男が両手をパンパンと叩くと、廊下に控えていた白髪頭の男が一升瓶と其々の盃が載った御盆を持って姿を現した。
男が一升瓶の蓋を静かに開けると、心地良い酒の香りが方々の鼻腔をくすぐった。
「爪に火を灯す様な」と迄はいかないが、其の見窄〈すぼ〉らしい恰好からも大体は察しがつく通り、皆、裕福とは言い難い境遇にある者達ばかり。
前述の通り、生真面目な三吉と立場上日頃から酒を退けている菅衞門は兎も角として、其の他の者達は久方振りの酒にあり付ける事に対し、思わず両の眼〈まなこ〉をギラギラと光り輝かせた。
宛ら其の様子は、女性〈にょしょう〉の柔肌に飢えた者達の姿に大変良く似ており、其の場に何とも言えぬ空気感が漂った事は言う迄も無かった。
手際の良い男のお陰で滞りなく酒が行き渡ると、総髪撫付の男が再び口を開き、たったひと言、御武運を、と言って盃の酒を一気に呑み干した。
そして其れに倣う様に方々は、己の盃に注がれた酒を一気に呑み干した。
其の間外では相変わらず雨が降り注ぎ、近過ぎずかと言って遠過ぎずの方角で雷鳴が轟いていた。
此処何日かは雨が降り通しだったから、祭りも如何かな、と思うておったが、無事開催されて何よりだわい。
祭りの準備にてんてこ舞いの我々も、今日の此の日を迎えられて胸を撫で下ろしております。
ははは。
ま、何はともあれ祭りが無事に済めば、後は野となれ山となれ。
此の信濃屋九兵衞、又大いに仕事を張り切りさせて貰うよ、お蘭の為にもな。
腕の良い職人達の手により、しっかりと手入れの施された庭先の木立が心地良い涼風に煽られ乍ら音を立てる中、紺色の着物に其のでっぷりとした身体を包み込んだ此の別宅の主即ち信濃屋九兵衞は、普段此の別宅の管理を任せている男・丑三と二人で酒を酌み交わし乍ら、我が世の春を謳歌でもするかの様な態度でケラケラと笑い聲を響かせた。
因みに九兵衞の言うお蘭なる人物は、三年前に死に別れた九兵衞の糟糠〈そうこう〉の妻であるお蔦との間に出来た可愛い一人娘の事で、何れは丑三の倅で、お蘭とは幼馴染の孝太郎と一緒に店を切り盛りして貰おうと言う腹積りで九兵衞は居るのだった。
さてと、そろそろ使いに出た惣太郎と勘吉の二人が戻って来る頃だな。
丑三さん、お前さんの方からしっかり労いの言葉を掛けてやっとくれ、お前さんも知っての通り、惣太郎と勘吉が方々駆けずり回ってくれたお陰で私も同業者の方々の顔に泥を塗るなんて真似をせずに済んだのだから。
はい。
あの二人には私の方も随分と助けられまして御座います。
何分、若い若いと思い乍らも早五十の坂を二つ三つ越したばかりの此の身体、あの二人が上手く切り盛りしてくださったお陰で今日斯うして旦那様をもてなす事が出来ている次第でして。
お互いに歳を重ねたな。
今日の夕方吊るしたばかりの風鈴がリンリンと言う音色を奏でる中、九兵衞がしみじみと呟いてみせると、歳を喰った、と言った方が良いやもしれませんなぁ、私の場合は、と言って丑三は九兵衞が直々に注いでくれた酒をゆっくりと呑み干し、何となく神妙な表情で九兵衞の盃に酒を注いだ。
其れから数秒もしないうちに、どん、と言う音が両名の耳に響いたかと思うと、真夏の夜空に艶やかな色彩の花火が数発上がり、そして見事な迄の大輪を咲かせ始めた。
見事なモンだ、毎年の事乍ら。
そう言葉を紡ごうとした途端、九兵衞と丑三の眼の前に黒覆面の男達が姿を現し、頭目らしき男がギラリと白刃を抜くや否や、信濃屋九兵衞、いや、田原〈たわら〉甚左衛門、久し振りだな、と恐怖に慄〈おのの〉き、額に厭な汗を浮かべた九兵衞へ聲を掛けた。
田原甚左衛門。
随分と懐かしい名前で御座いますな。
そして其の名前を知っていると言う事は、貴方様の御名前は美濃部勘三郎の遺子・勘七郎殿では?。
丁度先月の今日、部屋の大掃除と称し、自ら畳屋に足を運び、職人達相手に頭を下げた上で張り替えさせたばかりの畳に、自身の額に浮かんだ汗が薄らと染み込む様子を見つめ乍ら甚左衛門がそう問いかけると、頭目らしき男は其の場で素早く被っていた覆面を脱ぎ棄てるや否や、そうだ、貴様に一杯喰わされた挙げ句、詰め腹を切らされた美濃部勘三郎の遺子・勘七郎、亡き父の命日に貴様が此の別宅に隠匿してある名刀・水月丸と印籠を奪い返しにやって来たのだ!、と思い切り凄んでみせた。
流石は親子だ。
其の髪型、其の御顔立ち。
何もかもお父上に瓜二つでいらっしゃる。
そして其のただ只管に一本気な性格も。
だが併し、少々詰めが甘いのも如何やら受け継いだらしゅう御座いますな。
そう言い終わるか言い終わらぬかのうちに甚左衛門は、自身が隠し持っていた呼子をピーッと甲高く吹き鳴らすと、其れに呼応するが如く、庭先或いは天井裏、はたまた別室に潜んでいた捕方達がワッと勘七郎達襲撃者目掛けて飛び出して来たものだから、たちまち大立ち回りが始まった。
其々腕に覚えありの者達が顔を揃えているだけあって、囲みを破らんと大暴れをするものの、追い詰めると言う事に関しては文字通りの捕方達である。
白刃を振り回し何とかして逃亡を図ろうとする者達を一人、又一人と追い詰め、とうとう残るは勘七郎と三吉の二人だけになった。
其処彼処に御用提灯を持った捕方達が別宅周辺はおろか、夜の街一帯を隈なく探索を続ける中、勘七郎と三吉の二人は只管に海岸へ向けて逃亡を続けていた。
其処へ赴けば逃亡用に購入をしておいた小舟があり、其れに乗って兎に角何処へでも良いから脱出を図る。
其れが彼等二人の最後の切り札であった。
勘七郎様、結局私は何の御役にも立てず仕舞いでした。申し訳御座いません。
暗澹ある海が眼前に広がる海岸へ辿り着くや否や、まるで糸の切れた操り人形の如く其の場にへたれ込んでしまった三吉は、辛うじてまだ立つ事が出来る勘七郎に対し、深々と首を垂れる他無かった。
手抜かりがあった事は今更如何しようもありません。兎に角、遠くへ逃げるのです。死ぬの生きるのと言った事は其れから決めても遅くは無いでしょう。
勘七郎が三吉にそう聲を掛け乍ら手を差し出した途端、暗闇からヌッと人影が現れ、気が付くと自身の身体は宙に浮き、そして砂の上へと其の身体を強かに打ち付けていた。
残念だったなァ、お二人さん。
此処へ逃げる手筈もとっくの昔に筒抜けよ。
そう言ってのけた男は素早く腰の刀を抜くや否や、勘七郎を救わんと突っ込んで来た三吉に峰打ちを喰らわせ、三吉が脇差を握っていた右手をグッと踏み付け乍ら、生兵法は大怪我の元、頭の良いお前〈め〉ェさんが知らねぇ訳がねェよなァ、此の諺をよ、と言った具合に態と低い聲で怒鳴った。
そして男が吹いた甲高い呼子の音色と共に人数にして五、六名の捕方達がゾロゾロっと姿を現し、二人を高手小手に縛り上げた。
はっはっは、まんまと一杯喰わされました。
縛り上げられた勘七郎が、自らの浅知恵を嘲笑うと、男は大層ケロッとした顔で、亀の甲より年の功じゃて、とそう言い放ち、両手で勘七郎の肩をパンパンと叩き乍ら、苦労したぜ、影武者を仕立てるのにもよ、と手の内を明かした。
矢張りですか。
道理で事が上手く行き過ぎた訳だ。
影武者とは男が仕立てた信濃屋九兵衞こと田原甚左衛門の影武者の事で、男の言う所の苦労とは、当代随一の役者である浜野屋弥八に自腹で大金を支払い、其の上弥八の身に何かあった際には必ず責任を取ると言う証文迄書き認めた事を指していた。
三吉は如何なります?。
他の連中と違って捕方に手傷を負わせた訳でも無けりゃ、物を壊したのって訳でもねェから、精々島流しだろうよ。
但し、島での「暮らし」は辛れェと昔っから相場が決まっているからな、ま、其処から先は当の本人次第だ。
仕事終わりとばかりに煙管を咥えた男は、歌舞伎の石川五ェ門よろしく、余裕綽々の態度で紫色の煙をぷかぷかと吐き出した。
所で貴方の御名前は?。
逃亡を阻止する為、よりキツく縛られた状態の勘七郎が質問をすると、男はひと言、羽瀬山錦四郎、人は俺の事を羽瀬山の金さんって呼ぶぜ、とだけ答え、くるりと背を向けた。
夜通し行われる祭りの音色が鳴り響く中、勘七郎と三吉は、我が身の行く末を考える暇も無しにむっくりと牢屋迄の遠い道程を歩き始めた。〈終〉
水無月犯科帳