『音を視る 時を聴く』展
段落の変更及び内容の一部を加筆修正しました(2024年12月27日現在)。
一
岡崎乾二郎(敬称略)がその著作、『ルネサンス 経験の条件』にて言及していたのは音楽の成立に人間の抽象思考が欠かせないという事実だった。思い返してみれば、確かに私たち人間は物理的な現象として鳴る単音と単音との間に繋がりを見出し、それらの記憶と印象をもって描ける全体像を「音楽」と呼んでいる。その構成的な認識を抜きにして音楽特有のエモーショナルなノリを感じ取ることができない。経験的に噛み砕いてみても、音楽においては理性が感性に先行している。つまり音楽は元より理屈っぽい。故に、かかる理屈っぽい一面にどう挑むかが音楽活動の幅広さ又は固有の価値を決定づけることになる。
東京都現代美術館で開催中の坂本龍一(敬称略)の個展、『音を視る 時を聴く』ではその可能性の一端を目にすることができたが、その内実において探求されていた情報処理の意識は頭で理解できる「音楽」という概念を揺さぶったり、拡張したり、あるいは揉みほぐそうと試みるバラエティに富んだもので驚かされた。
例えば《water state 1》。展示会場を含む地域の降水量データを気象衛星から抽出、それを一年単位に凝縮したデータに即して展示空間に雨を降らせるというインスタレーションにおいて、かの音楽家は鑑賞者の目の前に写る水面の波紋のリズムに合わせて即興的と思えるメロディを空間内に響かせる。地上に向けて水滴が落ちるという現象を「雨」だと理解する私たち人間の理路は、その認識に拍子を合わせる音楽の機微を見逃さない。視覚と聴覚がそれぞれに足並みを揃える構成によって音楽世界の可能性が存分に広げられていく。
あるいは《asyncーvolume》。今年、話題になった映画『HAPPY END』の監督を務めた空音央(敬称略)がアルバート・トーレン(敬称略)と組むユニット、Zakkubalanとコラボレートするインスタレーションは生前、坂本がアルバム『async』を制作する際に多くの時間を過ごしたニューヨークの日常を場所に着目して部分的に撮影し、複数台のiPhone又はiPadで同時に再生。スタジオやリビングなどの様子を切り絵のように立ち上げる想像性に優れた展示であるが、ここにおいて特筆すべき「音楽」が各モバイル端末から流れてくる鳥の鳴き声や葉擦れの音、または画面に映るテレビ番組の切り替わり、レコーディング機材の配置といった何気ない情報となって会場全体を包み込む。ここが非常に素晴らしかった。雑誌、BRUTUSの最新号にて同じくミュージシャンである岡村靖幸(敬称略)が坂本龍一という人物のルックスが放つスター性に言及していたが、《asyncーvolume》以上にそれを実感できる展示はない。その場で聴こえるもの、見えるものの全てが坂本龍一という音楽家に繋がる。そのフィルターを通して認識できるものが音楽になる。
その他のインスタレーションにおいても坂本が手掛ける仕事はその時々の関心に応じて視覚と交わり、音楽の探求を続けていた。
2021年に初演を迎えた舞台作品、『TIME』を本展向けに制作し直した《TIME TIME》では坂本龍一が強い関心を持っていた「時間とは何か」という問いに対する表現が試みられる。その要となるべき時間感覚の拡張を当該インスタレーションでは夏目漱石の『夢十夜』又は能の演目である『邯鄲の夢』といったテキストが担うのだが、その下準備として行われる表現、すなわち①雅楽で用いる笙の奏者がその幽玄な音色と奇妙なタイムラグを感じさせながら大型スクリーンを三つ分跨いで消えていく姿、あるいは②朗読者でもある田中泯(敬称略)が水辺の近くで何かを探り、足先を水に浸す姿を反復させ又は重複させる様(さま)に寄り添う坂本のメロディがミクロからマクロへの飛躍を遂げる映像美と相まって音楽に内在する抽象性を剥き出しにしていく。メッセージ性がある訳でもなく、また純粋なメロディとしての良し悪しも超越したその響きはどこから始まって、どこで終わるのかが不明瞭。だからこそ可能になる表現行為が哲学の体験という域に達して、上記テキストの呼び水となっていく。その恐るべき観念性と実験的性格は本展に貫かれる裏テーマともいえるものだ。坂本龍一が故人となった現在においてもその作品表現が再現可能である限り、またその活動の歴史がアーカイブ化され、半永久的に保存される限り何度でも参照され、行われ続ける。そうやって坂本龍一という音楽の発展可能性が今を生きる人々の手に託されていく、この点を無視して『音を視る 時を聴く』展が開催される意味を疑問視するのはナンセンスだ。本展の最後に鑑賞できる《Music Play Images×Images Play Music》を目の当たりにした者ならきっと、この主張に賛同してくれると筆者は信じる。
テクノロジーとセンス。その交点の連なりとして語り継げる軌跡を忘れられる私たちであってはならない。
二
『音を視る 時を聴く』の会期は来年の3月30日まで。相当に混み合うことが予想される所ではあるが、年末年始を利用して会場である東京都現代美術館に足を運ぶことをお勧めしたい。今年の締めとしても、また新年を快く迎えるにも有意義な時間になるのは間違いない。個人的には、現代アートアレルギーを持つ人にも特効薬的な展示になると評価する。興味がある方は是非。
『音を視る 時を聴く』展