
お気に入りの音楽 161〜164
161 シャッフルされた曲から
朝、布団の中でアマゾンのシャッフルされた曲を流している。私の好きな佐藤隆と似たような曲(?)がいろいろ流れる。
『下宿屋』は1度聴いて引っかかった。
だらだら坂という歌詞にも。
このグループの曲は大ヒットした『青春時代』しか知らなかった。
森田公一とトップギャランは、森田公一が率いる音楽バンド。
バンド名の名付け親は、当時森田と同じ事務所に所属していたダークダックスのの喜早 哲(ゲタさん)
トップギャラン」(Topgallant)は、帆船の上部に張られるマストの名称から来ていて、渡部玲子以外のメンバー全員がバンドリーダーの経験者で、腕利きのミュージシャンの集合体だったことが由来。1969年内に結成され「青春時代」などのヒット曲を出す。
『下宿屋』 森田公一とトップギャラン
https://youtu.be/TuAXYQsbRA4
だらだら坂とはゆるやかに長く続く坂。どこかの坂の名称かと思った。
森田 公一(1940年2月25日-)は、作曲家、歌手。1970年代には作曲家として、作詞家の阿久悠編曲家の馬飼野俊一と組むことが多かった。
乳母車 菅原洋一(1975年)
作者 阿久悠 作曲 森田公一
https://youtu.be/fYWPKg4Hfhk
乳母車 森田公一とトップギャラン
https://youtu.be/vEyKfzIketQ
乳母車を押すのは下宿屋に来ていた女性なのでしょうか?
大塚博堂さんの歌を連想した。3年の歳月と2人の子供……
『ダスティン・ホフマンになれなかったよ』 大塚博堂
https://youtu.be/olR4C9EOgOU
『ダスティン・ホフマンになれなかったよ』は、大塚博堂のデビュー曲である。1976年6月25日発売。
曲中にダスティン・ホフマンの名前や、彼の代表作(『ジョンとメリー』『卒業』)の名前が織り込まれている。
大塚博堂の葬儀の出棺の時にこの曲が流れた。大塚自身、この曲を「これは自分自身の境遇に似ている」と感じていた。
今朝またまたアマゾンの曲を流していたらこの曲が。
『愛する人に歌わせないで』
作詞作曲 森田公一
https://youtu.be/PUcFTKB1FY0
反戦歌で取り上げた『愛する人に歌わせないで』
森山良子さんが歌っていた。作詞作曲が森田公一さんだったんですね。
私が就職した頃大ヒットした。係長がよく歌っていた。
『青春時代』作詞 阿久悠 作曲 森田公一
https://youtu.be/i-BquuLZP7M
『青春時代』は、1976年8月21日にリリースされたシングルで、このグループの代表曲でもある。
青春時代の心情を巧みに綴った歌詞として、当時の若い世代を中心に多大な支持を得た。発売から半年経過でミリオンセラーとなり、大ヒットした。
こんな替え歌がありました。
『年金時代』
https://youtu.be/SZPRIJhRPaY
162 東京
【お題】 アイツ、東京行くんだって
真っ先に思い浮かんだのは、
〜銭コァ貯めで 銀座に山買うだ〜
でした。
おとうさまは昭和天皇の御前で民謡を披露したほどの民謡の名手であり、そのことについて吉幾三さんは、
「親父は超えられない」
と語っているそうです。
ポンコツクリエイターchから2曲。
IKZO×太陽にほえろ
https://youtu.be/krMGDjU-p1o
中山美穂さんが出ていますね。
おしゃれなカフェで流れてそうな
『俺ら東京さ行くだ』
https://youtu.be/r4VsGAemCFk
◇
Amazonで曲を聴いていると、自分の選んだ曲と似たような曲がシャッフルされて流れてくる。(月額600円だから)
だから、よく知らなかった曲にハッとすることがある。
最近では長谷川きよしの『黒の舟唄』
森田公一の『下宿屋』
そして、マイペースの
『東京』
https://youtu.be/RV78LojxQ0g
マイペースの活動期間は約4年と短かった。
メンバー3人は秋田県出身、中学の同級生。
この曲は、リードボーカルの森田貢作詞で、実話に基づいた曲。
秋田を離れ、東京で働く彼女との遠距離恋愛。
休日になると彼女に逢いに東京へ行っていた……
最終電車で君にさよなら〜
デートが終わり、東京駅で別れるふたり。
この曲は、約1年かけてのロングヒットで、売り上げは100万枚を超える大ヒットとなった。
森田貢(もりた・みつぎ=フォークグループ「マイ・ペース」のボーカル)2022年6月18日、急性骨髄性白血病のため死去、68歳。
◇
地方出身の夫はこの歌が好きでレコードを持っていました。
遠距離恋愛が続かなかった歌ですね。
太田裕美 木綿のハンカチーフ
https://youtu.be/GQWOCc_2ioA
稲垣潤一さんとのデュエットで。
◇
車に乗るとよくサザンと桑田の曲がかかる。でも『東京』はかからない。私はこれが1番好きなのに。
桑田佳祐 東京
https://youtu.be/AjRbQMwXMN0
桑田の真骨頂はこういう曲にこそある(CDの解説)
◇
YouTubeで『東京』を検索していたら見つけました。この曲も映画も知らなかった。
尾崎紀世彦 見知らぬ国へ
https://youtu.be/LRfLWNFNl2Q
エスパイ 予告編
https://youtu.be/9m4a0lcOLg8
小松左京の同名SF小説を原作に、要人暗殺を企む悪の超能力集団と、超能力を持つ諜報員・エスパイ(エスパー+スパイ)のサイキック合戦を描く。
藤岡宏、由美かおる、草刈正雄、加山雄三、若山富三郎出演。
◇
「東京砂漠」は、1976年5月10日に、発売された内山田洋とクール・ファイブの28枚目のシングル。
前川清 東京砂漠
https://youtu.be/BMTdh8byDzA
1980年代後半から90年代前半にかけて、夜のビルの屋上でバスケに興じるタキシード姿の男たちを映したダイア建設の CMソングとして頻繁にテレビで放映され、同社の認知度向上に貢献した。
1994年当時、ダイア建設の副社長は、本曲について尋ねられた際に
「この曲はわが社の“社歌”です。歌えて当たり前なんですよ(笑)」
と発言している。
CM ダイア建設ダイアパレス 東京砂漠
https://youtu.be/VaCVIJ-xCE4
本曲は内山田洋がグループの記念アルバム制作のためにまずメロディを先に作り、吉田 旺に「東京」というテーマで詞の当て込みを依頼したものだった。
与えられたテーマに1か月以上悩んだ吉田だったが、ふと北九州の中学で同級生だったマドンナと若いころ新宿で再会した出来事を思い出した。
画家を目指し上京したものの夢破れ不本意ながらデザイナーの道に進んだ吉田は、あるとき歌舞伎町で一杯ひっかけてモダンジャズ喫茶の前でタクシーを待っていた。
そしてかつて親しくしていたマドンナと偶然鉢合わせるのだが、美人で利発だったかつての初々しい面影は失せ、こちらを避けるような眼差しを向けながら黙って雑踏へ消えていった彼女の姿に吉田はひどく心を痛め、
「ああ、きっと苦労しているのだろうな」
「あの子に恋人がそばにいたら、幸せになれるだろうに」
といたたまれない気持ちになったのだった。
吉田は彼女の境遇を自分の境遇に重ね合わせ、都会での生きづらさ、人を変えてしまう都会の非情さを詞に込め、1964年の東京大渇水の際に生まれた「東京砂漠」という言葉にタイトルを託した。
「あなた(恋人)がいれば…」と何度も繰り返されるフレーズを、前川清はその粘りのある歌声で切々と歌い上げた。
東京を砂漠になぞらえるというレトリックは、石田あゆみの『砂漠のような東京で(1971年』で既に見られるものの、本曲のヒットにより広まった「東京砂漠」というフレーズのインパクトは強烈なものだった。
◇
いしだあゆみ 砂漠のような東京で
https://youtu.be/AQsvf4ul50o
いしだあゆみのシングルとして、最大のヒット曲『ブルー・ライト・ヨコハマ』(1968年)、2番目のヒット曲『あなたならどうする』(1970年)以来、34.5万枚のセールスを記録し、いしだにとって3番目のヒット・ソングとなった。
163 シンセサイザー 冨田勲
先日夫がテレビを観ていて、
「音楽、冨田勲……」
とつぶやいた。
名曲探訪 新日本紀行/冨田勲
https://youtu.be/YoMRp3P8d_g
懐かしい。
(しっかり観たことはないけど)
冨田 勲(1932年4月22日-2016年5月5日)は、日本の作曲家、編曲家、シンセサイザー・アーティスト(シンセサイザー音楽作家、シンセサイザー奏者)。
1950年代、慶應義塾大学文学部在学中に作曲家として活動を始め、NHKや民放のラジオ番組、テレビ番組、虫プロダクション関連のアニメーション等々、映像作品の音楽を数多く担当した。
これらの作品は後年のシンセサイザー・サウンドとの連続性は少なく、むしろ親しみやすいオリジナルメロディ、時にジャズ調も交えた華麗なオーケストレーションなどで高く評価された。現在も多くの作品がCD等で愛聴されている。
代表作にはNHK大河ドラマ「花の生涯」「天と地と」「新平家物語」「勝海舟」「徳川家康」等があり、その他のテーマ音楽としては「新日本紀行」「現代の映像」「海峡」等がよく知られている。
また映画の分野では「千一夜物語」「飢餓海峡」「ノストラダムスの大予言」「警視庁物語シリーズ」その他多数がある。
冨田勲、富田勲…‥確か、投稿したことがある。
(お気に入りの音楽5 映画の傑作『惑星ソラリス』とバッハ)
半世紀近く前、友人が録音してくれたカセットテープの最後に『ソラリスの海』が入っていた。映画『惑星ソラリス』の曲。
映画を観たかったが、まだビデオは存在しなかった。ずいぶん経ってから観た『惑星ソラリス』は……
映画は全然理解できなかった。ビデオを借りて観たが、眠った……
ソラリスの海(J・S・バッハ)
3声のインヴェンション 第2番(BWV788)
我汝に呼ばわる、主イエス・キリストよ(BWV 639)
3声のインヴェンション 第2番
アンドレイ・タルコフスキーの映画「惑星ソラリス」にインスパイアされた作品。「我汝に呼ばわる、主イエス・キリストよ」は映画でも使用された曲。
https://youtu.be/MVF45Kn_ZYg
シンセサイザーは宇宙を感じさせます。検索していたらこんなものが……
歌はタモリさん。
Mr・シンセサイザーhttps://youtu.be/uSVoAKEvgsg
子どもの頃観ていたアニメ『ビッグX』
内容は忘れたけれど好きだった。
TBS系放映/24分/モノクロ/59本
東京ムービー/1964年8月3日~1965年9月27日 月曜19:00~19:30
原作:手塚治虫
音楽:富田勲
主題歌:「ビッグX」
作詞:谷川俊太郎
作曲:富田勲
歌:上高田少年合唱団
ビッグX
https://youtu.be/uSVoAKEvgsg
作品紹介
これは虫プロではなく東京ムービーという新しいアニメ会社の創立第一回作品として原作を提供した作品。手塚治虫の原作を虫プロ以外の会社が製作したのは、この作品が始めてのことだった。
マンガではナチスとの戦いの中でファシズムの恐怖を告発するシリアスな展開が盛り込まれていたが、アニメ版では正義の味方が悪者を倒す、といういたってシンプルな図式になっている。
またマンガでは薬品を注射することで力が強くなったり体が大きくなったりする、という設定だったが、ドーピング問題に引っかかると思ったのか、アニメ版では電磁気ペンダントを使用するように変更されている。
やがて古典的な「アコースティック楽器のオーケストラ」の音に飽きたらなくなり、当時新たに登場してきた電子機器と古典的楽器の音を融合させるなど、様々な音楽の可能性を追求するようになった。
1969年に電子楽器モーグ・シンセサイザーに出会ったことを転機に、以降は古典的名曲を現代的な解釈を加えて編曲し、自宅スタジオでシンセサイザーを演奏・多重録音することが活動の中心となる。
1974年発表のアルバム『月の光』がビルボード・クラシカルチャートで2位を記録し、続く『展覧会の絵』が同チャート1位となり世界的に名が知られた。
冨田勲が「世界のトミタ」となるきっかけをつくったのが、この『月の光』
https://youtu.be/8ajSyyzIC_8
『月の光』は、冨田勲のシンセサイザー音楽でのデビューアルバムである。すべてクロード・ドビュッシーの楽曲で構成されている。米国で最初に発売された。
2021年7月23日に行われた東京オリンピック開会式で、冨田の没後に発表された「日の出 / Rise of The Planet 9」が使用された。
そして8月8日の閉会式では、聖火台の火が消えていくフィナーレに『月の光』が使用された。
ヒットした前作『月の光』で発売元の米国及び日本でも知られるようになった冨田勲が、続けてリリースした作品。
1975年8月16日付けのビルボード(クラシカル・チャート)で1位にランキングされている。
原曲はモデスト・ムソルグスキー作曲のピアノ組曲『展覧会の絵』である。
『展覧会の絵』はこの『バーバ・ヤーガの小屋』と『キエフの大門』ばかり聴いていました。
展覧会の絵
https://youtu.be/grO3sEdHHe4
バーバ・ヤーガは、スラブ民話に登場する魔女。ムソルグスキー作曲の組曲『展覧会の絵』の1曲「バーバ・ヤーガの小屋(鶏の足の上に建つ小屋)」で知られる。森の中で鶏足付きの家に住み、子供たちを食べることで知られ、悪役だけでなく良い役でも登場する。
原曲はピアノ独奏曲だが、モーリス・ラヴェルの編曲によってオーケストラで演奏されるようになり、広く知られている。
https://youtu.be/f-bT4PfREAQ
海外では、スティービー・ワンダーが、来日した際に最も尊敬している音楽家として冨田の名前を挙げている。マイケル・ジャクソンも、1987年9月24日に来日の際に冨田のスタジオを訪問した。
『惑星』の立体音響に深く感銘したフランシス・フォード・コッポラ監督は、映画『地獄の黙示録』の音楽を冨田に要請したが、レコード会社との専属契約の関係で実現には至らなかった。
ホルストの『惑星』は、編曲や楽団編成の変更禁止、部分演奏の禁止といった禁則事項が設けられていた。
1976年当時、ホルスト作品の著作権は遺族によって遵守されており、制作関係者の努力によって本作におけるシンセサイザーでのアレンジが合法的に認可された。
冨田といえばモーグ・シンセサイザーで有名だが、本作ではローランド・System700やストリングスを使用し、国産色を出しはじめた。
木星
https://youtu.be/Uus_-944g5c
シンセサイザーとは英語の「synthesize」に由来する言葉で、音色を合成して出力する楽器を意味します。
さまざまな音を合成することで、ピアノやオルガンなど鍵盤楽器の音はもちろん、和楽器や弦楽器から雨音などの環境音まで出力が可能。
住友金属のコマーシャル
https://youtu.be/Z_e_TeWGz_0
『初期型モーグシンセで音を作ろう』
https://youtu.be/E-1bfR_2DJc
シンセサイザー・ワールドが展開される第5作目のアルバムで、前作『惑星』から始まったスペース・サウンドの第2弾。クラシックの小品をもとに自由な発想でイメージを膨らませた、シンセサイザーならではのスペース・ファンタジーが堪能できる。(CDジャーナル データベースより)
宇宙幻想 Cosmos
1.スペース・ファンタジー(R.シュトラウス~ワーグナー)
2.パシフィック231(オネゲル)
3.答えのない質問(アイヴズ)
4.スター・ウォーズのテーマ(J.ウィリアムス)
5.ソルヴェーグの歌(グリーグ)
6.アランフェス(ロドリーゴ)
7.ホラ・スタッカート(ディニーク)
8.ソラリスの海(J.S.バッハ)
アランフェス
https://youtu.be/g_TEstCrus8
ソルヴェーグの歌
https://youtu.be/c9nujKbuzrQ
ソルヴェーグの歌 シセル・シルシェブー
https://youtu.be/JyQ9lbgZDpQ
この曲を聴くと歌いたくなります。(歌えないけど)
164 サティ
エリック・アルフレッド・レスリ・サティ(1866年5月17日- 1925年7月1日)は、フランスの作曲家。パリ育ち。
「音楽界の異端児」「音楽界の変わり者」の異名で知られる。ドビュッシーやラヴェルに影響を与えた。
『梨の形をした30の言葉 エリック・サティ箴言集』椎名亮輔著より
1 私の名前はエリック・サティである、皆と同じように。
2 若い頃、人によくこう言われたものだ、50歳になったら見えるようになる、と。いま私は50歳だが、いまだに何も見えない。
3 ピアノは、お金と同じように、それに触れる者にとってしか、心地よいものではない。
5 人間を知れば知るほど、犬が好きになる。
6 ベートーヴェンは公共の静けさを乱すものだ。
7 ラヴェルはレジオン・ドヌール勲章を拒否したが、彼の音楽全体がそれを受け取っている。
8 ドビュッシーは、料理の秘密を心得ていた。
10 私は白い食べ物しか食べない。ゆで卵、砂糖、おろした骨、死んだ動物の脂。また、子牛肉、塩、ココナッツ、白い水[ジエチルエーテル]で煮た鶏肉。また、果物に生えたカビ、米、カブ。また、樟脳入りの血ソーセージ、パスタ、(白)チーズ、綿のサラダ、そしてある種の魚(皮なし)などである。
11 タバコをお吸いなさい。さもないと、ほかの人があなたのかわりに吸ってしまいますよ。
13 芸術に「真理」はない、と私はいつも言っているし、私が死んだ後も長い間言い続けるであろう。
サティは3曲しか知らない。名曲集のCDに3曲しか入っていないから。『ジムノペティ』『グノシエンヌ』『ジュ・トゥ・ヴー』
ジムノペディ 第1番 カティア・ブニアティシヴィリ
https://youtu.be/TL0xzp4zzBE?si=BU1XZDH42oTLiVJz
カティア。またまた登場。このピアニストの動画はとても多い。
『ジムノペディ』 は、エリック・サティが1888年に作曲したピアノ独奏曲。
3/4拍子のゆったりとしたテンポ、装飾を排した簡素な曲調、独特の愁いを帯びた旋律が特徴として挙げられ、特に第1番がサティの代表的な作品として、タイトルとともに知られるようになった。
『ジムノペディ』という名称は、大勢の青少年が古代ギリシアのアポロンやバッカスなどの神々をたたえる祭典「ギュムノパイディア」(古代ギリシア語)に由来している。
1963年公開のフランス映画『鬼火』がこの曲をフィーチャーしたことにより、一躍世界的に知られるようになった。
その後、1975年に東京都豊島区池袋に開館した西武美術館において、それまでタブーとされていた美術館内での環境音楽として使用され、日本でもこの曲が広く知られるようになった。
ジムノペディ第3番
https://youtu.be/Ehy_pSQ3UmE?si=JEpZd--YHgapsZpX
あまり表舞台に出たがらないサティのために、友人であったクロード・ドビュッシーによって1897年に、ピアノ曲からより大きな規模による演奏形態である管弦楽曲に編曲された(第1番と第3番)。
https://youtu.be/9NDyhOCetQg?si=4vIyFMrfYCTHWJwK
「なぜ第2番を編曲しなかったのか?」
という問いに、ドビュッシーは
「第2番まで編曲して聞かせるには少し退屈だから」
と答えたといわれる。
また編曲の際、ドビュッシーの意図により元の第1番は第3番として、第3番は第1番として番号をひっくり返している。
この曲には気分を落ち着かせるヒーリング効果もあるとされ、例えば病院における血圧測定中に心身の緊張をほぐすBGMとして流されたり、精神科などでは音楽療法の治療の一環として使用されることもある。
また、演劇やTV番組の静かな場面でのBGMとして流されることも多い。
眠れない夜に小さな音でかけていたら、終わる前に眠りについていた……
ジム・ノペディ第2番
https://youtu.be/f6IAimDeLRQ?si=bV5iEfOULNU9lqlY
パリ音楽院在学中、指導教授から才能が無いと否定され、1885年に2年半あまりで除籍になった。
その間、1884年に処女作のピアノ小品『アレグロ』を作曲した。そのほか、『オジーヴ』『ジムノペディ』『グナジェンヌ』などを発表。
『グノシエンヌ』は、エリック・サティが1889年から1891年と1897年に作曲したピアノ曲。サティが24歳の時に作曲した第1番から第3番の3曲は「3つのグノシエンヌ」として有名である。
題名は、従来は古代ギリシアのクレタ島にあった古都クノーシスに由来するというのが定説だった。しかし、グノーシス派に由来したサティによる造語であると説明する人もいる。
「3つのグノシエンヌ」には、プーランクによるオーケストラ編曲版(1946年編曲)が存在する。
グノシエンヌ第1番
https://youtu.be/aNYb1rt-Zc0?si=I5A3uW414mhtnUqJ
「音楽界の異端児」エリック・サティ。彼が生み出した数々の奇妙なタイトルと内容をもった音楽は、同時代のパリのアーティストだけでなく、後世の世界のアーティストに多大な影響を与えた。
その音楽と同じく、彼の生き様も風変わりなもので、変人扱いを受けていたようだが、多くの熱烈な信奉者にも恵まれた。
生涯を通じて親友であったドビュッシーはもちろん、ピカソやジャン・コクトーとの友情、「フランス6人組」、デュレ、オネゲル、ミヨー、タイユフェール、プーランク、オーリックの6人、そしてダダイズムとのかかわりから生まれた交友関係など、生涯に渡ってパリの芸術家たちと交流を持ちながら、あの独特の作品を生み出していった。
https://tower.jp/article/campaign/2016/04/01/05
『ジュ・トゥ・ヴー』(仏:Je te veux)は、エリック・サティが1900年に作曲したシャンソン。歌詞はアンリ・パコーリによる。
元々は歌曲集『ワルツと喫茶店の音楽』のうちの1曲とされているが、現在ではサティ自身によるピアノ独奏版でよく知られている。
題名は日本語では「お前が欲しい」「あなたが大好き」など様々に訳されるが、原題のまま「ジュ・トゥ・ヴー」と呼ばれることも多い。
スロー・ワルツの女王と呼ばれた人気シャンソン歌手ポーレット・ダルティのために書かれた。
日本ではコマーシャル曲やゲーム音楽に使われるなどして、サティの作品のうちでも人々に広く親しまれているものの一つである。
ジュ・トゥ・ヴー
https://youtu.be/4cnRPqr3oDI?si=pxWMQmbFllwTJMy_
ジュ・トゥ・ヴー 米良美一
https://youtu.be/qvmkkw6O0wg?si=fXdVOONhp-Ghul29
米良 美一(めら よしかず、1971年5月21日 - )は、日本の声楽家、歌手。
出身地 宮崎県西都市
洗足学園音楽大学音楽学部卒業
アムステルダム音楽院オランダ政府給費留学
ジャンル クラシック音楽 職業 声楽担当(カウンターテナー)
活動期間 1994年10月 -
1997年、映画『もののけ姫』の主題歌を歌ったことで大衆的人気を獲得。その当時は真面目な好青年のイメージで売り出したが、2012年以降はひょうきんな言動をするオネエ系のバラエティタレントとして活躍。
カウンターテナーは、西洋音楽における成人男性歌手のパートの一つで、女声に相当する高音域を歌う。カウンターテノールともいう。
変声を過ぎた男性が裏声(ファルセット)や頭声を使って、女声パート(アルト、メゾソプラノ、ソプラノ)あるいは女声に相当する音域を歌うことを指す。
ボーイソプラノや、バロック時代にみられた変声前に去勢することで高音域を保つカストラートとは区別される。
英国などで合唱のアルトにカウンターテナーが好まれたこともあって「男性アルト」の意味で用いられることも多い。また、テノールの延長で高音を出すものも含まれることがある。
中世のヨーロッパにおいては「女性は教会では黙すべし」という掟により、女性が教会や舞台の上で歌うことは禁じられていた。そこで、教会の聖歌隊では高音のパートつまり、ソプラノとアルトを、ボーイソプラノが担当していた。
しかし、表現力に乏しく響きの弱いボーイソプラノのかわりに、アルトは成人した男性がファルセットを使って歌うようになった。これがカウンターテナーの始まりである。これは、特にイギリスの聖歌隊において伝統的に今でも続けられている。
その後、ソプラノのパートをスペイン系の非去勢男声ソプラノ(すでにカストラートの混在があったという説もある)が受け持つようになり、さらにカストラートの登場によってソプラノもアルトも彼らで占められるようになった。
カストラートの登場と衰退、その後の女性歌手の台頭により、カウンターテナーは長らく日の目を見ず、イギリスで細々とその伝統がまもられるにとどまる。
しかし、第2次大戦後、アルフレッド・デラーの登場によって再びカウンターテナーは復活し、クラウス・フーバーなどの現代作曲家がこぞってカウンターテナーのための曲を作曲するようになり今に至っている。
Wikipediaを参考にしました。
お気に入りの音楽 161〜164