ラブソングが歌えない

ラブソングが歌えない

 スポットライトはオレのためにある。山崎ハルトはそう信じて疑わなかった。
 雑誌の読者投票で行われる「彼氏にしたい男性アイドルランキング」では五年連続一位。「国民的彼氏」の名を欲しいままにするハルトは今日も見せかけの愛を歌う。
 Cメロの後、サビの前。ハルトは少し怒った目をして囁く。
 ――お前ら全員抱いてやるよ――
 五万五千人のハルトの恋人(ハニー)たちが黄色い悲鳴を上げる。息が止まるような歓声の渦に全身がしびれる。アイドルは夢を売る仕事だ。顔の整った男の子を妄信的に愛し、ハルトたちはそれに応える。コツはファンの全員が自分一人に言われているのだと錯覚させること。八歳からこの世界にいるハルトは分かりきっていた。しかしハルトには悩みがあった。八歳からアイドルとしての道を歩んできた彼は、一人として抱いたことがないのだ。

 今日のハルトも最高だったな、と相方の市ノ谷シュンが茶化す。コンサート後の楽屋で二人揃ってストレッチをしていた。ドームコンサートともなるとコンサート中に走り回る距離が半端ない。明日に疲れを残さないためにもストレッチは念入りにする必要がある。
「オレはいつだって最高だから」
「抱き方も知らないくせにな」
 うるさい、とハルトはシュンの頭を首からかけていたタオルで叩く。大体シュンは女遊びが酷い。うまいこと週刊誌やネットニュースに載らないようにかわしているが、ハルトはシュンがいつも女の子と連絡を取り合っていて、たまにデートしてることを知っていた。
 証拠にシュンが書く歌詞は甘酸っぱいラブソングばかりだ。
「特定の女の子と遊んでいたらハニーたちが悲しむぞ」
「推してるアイドルが童貞だと知ってもハニーは悲しむと思うけどね」
 さらりと破廉恥なことを言うものだからハルトは赤面した。
 シュンが書く歌をハルトはうまく歌えない。
『愛したい、愛されたい、愛してる』
 そんな恥ずかしい科白は主演した少女漫画原作のドラマでくらいしか言ったことがない。リアルで言う機会があるとしたらその人の人生は月9で放送できる。知りもしない感情をなぞり、甘い愛の言葉をハニーに届ける。ちぐはぐだけれど恋愛の許されないアイドルという職業をしている時点で不可能なのかも知れない。
 なんだか、悲しくなってきた。
「あー、せめてデートくらいしてみたい!」
 両腕を伸ばして仰向けに倒れる。ヨガマットのゴム臭さが鼻についた。
「ハルトくんもお年頃ですね」
 寝転がるハルトの顔を下島さんが覗き込む。下島さんはハルトとシュンのユニット「プレシャスボーイズ」のマネージャーだ。短く刈り込んだ髪にシルバーの眼鏡が神経質な印象を与えるが、実際は温厚で情熱的。そしてハルトとシュンの親代わりみたいな人だ。
「しもじー、オレこのまま一生、その、どう……ううん、恋愛経験なしなのかな」
 シュンが横で吹き出す。
「マネージャーとしては恋愛してもいい、とは言いづらいですね。けど――」
「けど?」
「親心としては人生経験積んで欲しい、とは思います」
 人生経験かー、とハルトは大きく溜息をつく。人として何か足りないまま死んでいくのは嫌だと思う。アイドルをしていて得たものは多い。幼き頃から憧れた世界のトップを走り続けている。五大ドームツアーも行い、ビルボードチャートでも全世界一位を獲得。順風満帆な芸能生活だ。それなのに満たされないなんてなんと強欲なのだろう。
「はーあ、アイドルやめたくはないけど人間やめるのも嫌だな」
「ハルトくんは大げさだなあ」と下島さんが苦笑する。けどハルトにとってはとてもとても重要なことだった。
 愛を知らずにどうやってラブソングを歌えって言うんだ。
「じゃあさ」とシュンが切り出す。
「オレとデートするか?」
「はあああ? シュンと? なんで?」
「なんでって、ハルトは嘘が下手だから女の子とデートしたら一発で文秋に撮られるだろ?」
 馬鹿にすんな、と意気込んだものの、否定できない気がして尻すぼみになる。
「下島さん、明日ってオフですよね」
 そうですよ、と下島さんが手帳を確認する。
「ということでハルト、明日はオレとデートな」
「えー」
「えーじゃない。もしかして『国民的彼氏』の山崎ハルトくんはデート童貞なのかな?」
「馬鹿言え。いいよ、最高のデートをオレがしてやる」
「じゃあ、明日の午前零時時まではオレたちは恋人同士ってことで」
「望むところだ」
 後ろで下島さんが笑っていたが、ハルトは至って真面目だった。


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 まさか国民的彼氏とも呼ばれるトップアイドルの検索履歴がこのような言葉で埋まっているなんて誰も思わないだろう。知られたら幻滅間違いなしだと思い至ってハルトは誰に見られるでもないのにスマートフォンの検索履歴を消した。
 スポットライトがアイドルを照らすためには会場を極力暗くしなくてはいけない。だから出入り口には暗幕が付けられるし、非常灯も消される。開演前の暗闇がハルトは好きだった。だからかは分からないが、日差し降り注ぐ真っ昼間から渋谷の街にいることが恥ずかしくてしょうがなかった。
 ここにいるのがプレシャスボーイズ、通称「プレボ」の山崎ハルトだとバレたら大混乱間違いなしだ。目深にキャップをかぶり、大きめのサングラスをした。黒いキャップから出る金髪が余計に目立ったりしないだろうか。現実世界でびくびくしながら過ごすことには馴れることがない。
「よっす」
 待ち合わせの三十分前にハチ公前にいたら、十分前にシュンは来た。キャップもサングラスもしていなかった。
「ちょっ、その格好でいいの?」
「どうせバレやしないよ。こんなところに芸能人がいるなんて誰も思わない」
「そう、かなあ」
「ビビりすぎだよ」とシュンは笑う。なんだか癪だった。
「それにしてもハルトは早くに来たんだね」
「今、来たところだし」と検索結果にあったように返す。
「そう? そこのビルから見てたけど三十分は居たんじゃない?」
「えっ、見てたのかよ」
「嘘に決まってるだろ。全く、騙されやすいのな」
 すっかり騙された恥ずかしさに耳まで熱くなった。
「さて、ハルトはどんなデートをしてくれるのかな」
 始まってしまった男二人疑似デート。ハルトはすでに帰りたくなっていた。

「で、ハルトは初デートにカラオケを選ぶのか」
 だってカラオケならハニーに見つからないし、というのもあるのだが、ハルトにとって特技は歌くらいしかなくて普通の遊びを知らずにいた。
「オレの生歌が聞けるんだからいいだろ」
「いつも聞いてるけどな」
 いいからいいから、とシュンを座らせて自らの持ち歌や先輩グループの曲を入れた。
 デュエットできる曲はシュンと一緒に歌い、時には振り付けを入れることもあった。
「これも歌ってよ」とシュンが入れたのは「あなたに愛の花束を」という市ノ谷シュン作詞のアルバム曲だった。
 ハルトはこの曲が苦手だった。
 花束をあげた事なんてない。愛を捧ぐこともない。ハルトが知らないことをシュンは知っている。悔しくて悲しい。恋を知らずに生きてきて、どうして愛の言葉を贈れるだろうか。
「なあ、シュンってどうして恋の歌ばかり書くんだ?」
「オレが恋してるから、だからかな」
 頭をぶん殴られた気がした。
 シュンが恋してる。なんだか嫌だな。ハニーに、とかそういうリップサービスでもない。ハニーが聞いたら卒倒ものだな、とハルトは自らの気持ちを誤魔化した。
 ハルトがあまりにも寂しい顔をしていたからかもしれない。シュンは「次はオレの行きたいところ付き合ってよ」と言った。

「うおー! 竹下通り! オレはじめて!」
 そんなことはないだろ、とシュンに笑われた。でもプライベートで来ることは本当に初めてだった。
 インスタ映えすると話題のチーズトーストとタピオカミルクティを買い、ウォールペイントが施されたシャッターの前で二人で食べた。伸びる虹色のチーズのポップさにハルトははしゃぎ、シュンは満足そうに写真に収めた。カップの底に残ったタピオカを勢いよく吸って飛び出たところが喉にぶつかり咽せた。
「ハルト飲むのへたくそかよ」
「だって、はじめてだもん」
「お前のハジメテいただき」
 ハルトは頬が熱くなるのを感じた。さすがトップアイドルの口説き文句だ。顔もいいし。
「そういうのはハニーにだけ言ってろ」
「はいはい、ダーリン」
「うるさい」
 すっかりシュンのペースだ。うまく話せないし、彼の些細な言動に一喜一憂する。
「これが、デートなのかな」
「デートだよ」
 デートかあ、とハルトは嬉しくなった。
「もっとデートっぽいことしようか」

 写真に撮られることに関してはプロだけれど、落書きには馴れていない。
 適当に日付と名前とハートマークを書いたプリクラに「なんか変なの」という感想を抱いた。
「雑誌の写真とは違うだろ?」
「撮り直しが少なすぎる。別にいいけど」
 でもなんか、普通なことに感動している。
 瞳を大きく強調されていて元の顔がよく分からないけれど、隣に居るのがシュンだということが嬉しい。
 二人でいることを肯定されている。仕事じゃない写真も悪くないなと思った。
 カップルっぽい、ね。
 自然と口元が緩んでいた。こんな楽しい思いをシュンと遊ぶ女の子はしているんだな。あれ、少し悲しくなった。
「何百面相してるの」
「なんでもない」
「すっかりオレの虜かな」
 そういうことにしておいて、とハルトは否定しなかった。

 ディナーはカジュアルなイタリアンレストランの個室だった。
 夕飯ぐらいゆっくり食べたいだろ? というシュンが予約していてくれた。やっぱりできる男は違うな、と感心するばかりだ。
 シュンの彼女が羨ましい、なんて思うのはおかしいだろうか。
 日はすっかり落ちて、ビルの十一階にあるレストランから東京の夜景がよく見えた。綺麗だな。こんなところでデートできたら楽しいだろうな。こんなところにシュンと来られる女の子は幸せだな。
「さっきからなんでそんなに悲しい顔するの?」
 シュンがグラスの縁を撫でていた。細めた瞳を縁取る睫毛が長いな、とか思った。
「だって、シュンばっかり大人なことしてて、ずるい」
「それだけじゃないでしょ? ダーリン」
 男の声の「ダーリン」がこんなに甘いなんて知らない。知らないことをシュンはいっぱい知っている。
「シュンとデートしてる女の子が羨ましい、なんて」
「ふーん」とシュンが口角をあげる。
 ――そんな女の子、オレにはいないよ。
「え?」とハルトは目を見開く。
「ハルトがいればいいんだ、オレにはね」
 とびきりの口説き文句をさらりと言うシュンが信じられない。喜んでしまいそうな自分をハルトは責めた。
「それ、他の女の子にも言ってない?」
「疑り深いね、ハルトは」
 それとも、嫉妬?
 ハルトは何も言い返せなかった。

「ハルト、怒ってる?」
「怒ってない」
 怒っている人は大体「怒ってない」と返事をするものだ。ハルトは早足で眠ろうとしている街並みを歩いた。
「じゃあ質問を変えるね。今日、ハルトは楽しかった?」
 ハルトが立ち止まる。街灯の真下。スポットライトのようにハルトとシュンを照らす。
「楽しかった。楽しかったけど、悔しかった」
「悔しい?」
「だって、シュンとオレじゃ経験値が違いすぎるって言うか、その……」
 この先を言ってしまうかハルトは悩んだ。でももうさよならの時間が迫っていた。
「シュンともっと、恋人同士でいたかった」
 ハルトは泣き出していた。こんなにも離れがたくて寂しくなるのならば恋なんて知らなくてもよかった。背後にいるかもしれない女の子に嫉妬するような醜い感情を持ちたくなかった。けれど、やっぱりシュンは最高のパートナーで、まぶしくて、
「だい、すき」
 午前零時の鐘が鳴る。ハルトは袖で涙を拭う。もう帰らなきゃ、と地下鉄の入り口に向かう。
「っ!?」
 後ろから抱きしめられていた。酷く安心する香り。シュンだ。
「延長、するか?」
「え?」
「恋人同士の時間、延長しよう」
 質問が提案に変わった。
「いいの?」
「ああ」
「もう他の女の子とデートしない?」
「しない」
「これからもプレシャスボーイズでいてくれる?」
「一生プレボだ」
「オレと、オレと」
 ――最高の景色、見てくれる?
 シュンは耳元で、もちろん、と答えた。

「ハルトくん、シュンくん、この前の『一日恋人デート』どうだった?」
 下島さんがさぞ愉快そうに揶揄する。
「それがもうめっちゃ楽しかったよな! カラオケ行って、レインボートースト食べて、プリクラも撮った!」
 それはよかったですね、と下島さんが嬉しそうだ。だがハルトの次の一言で彼は困惑することとなる。
「でね! 恋人同士、延長中なんだよ」
「……えっ?」
「シュンってホントイケメンで、ちょっと意地悪だけど気が利いて、もう最高。いやーオレもプレボでよかったよ」
「え?」
 シュンがとどめの言葉を発する。
「ハルトもこれで童貞卒業だな」
 下島さんの絶叫が楽屋に響く。
 ハルトは少しばかり誇らしく宣言した。
「これでラブソング、歌えるぞ!」

ラブソングが歌えない

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ラブソングが歌えない

愛を知らずにどうやってラブソングを歌えって言うんだ。 アイドルBLコメディ

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更新日
登録日
2020-05-26

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