奴隷市場
【序章】第一話 開場
見知らぬベッドの上で 足と手を固定され、口枷をさせられ、耳栓をされ、自由が利かない状態になっている自分の周りを何人もの人間が取り囲んでいる。
頭も固定され、目には何か解らない装置を付けられて、正面部分しか見られないようになっている。その正面のはるか前方には大きな鏡があり、そこに自分の姿が映し出されている。
そして、多数の男女が露になっている秘部を見たり顔を覗き込んだりしてから紙に金額を書いて立ち去っていく。
奴隷市場。
これが、この場所の名前なのだ。
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『第13回 奴隷市場開催決定』
そんなチラシを持って、男は都内にあるビルに足を踏み入れた。
奴隷の売買は、奴隷の人権問題があり、単純に売買できない法律になっている。チラシには、詳しい説明を載せる事が義務付けられているのだが、誰も読んでいない事はわかりきっている。
超超高齢化社会になってしまったこの国は老害と思われる政治業者が国政を牛耳っている。
その老害が、少子高齢化社会対策で打ち出したのが、”奴隷制度”なのだ。正式名称は、もっと長ったらしいらしいが、通称”奴隷制度”が全てなのだ。
性奴隷ではない。ブラック企業の労働者でもない。
主従関係を結ぶ契約だと言われている。老害共の御用マスコミが連日宣伝しているので間違いないだろう。
この奴隷制度は、簡単に説明すれば主従関係だと言える。
奴隷は主人を選ぶことができる制度になっている。
入札は、主人が主体になって行われる。条件を記入して入札を行う。入札された条件や主人の情報から奴隷が自分で主人を決める事ができる。奴隷として唯一許されている権利なのだ。
その後は、主人が決めた条件での服従が義務付けられている。
奴隷にはチップが埋め込まれて、解放するまでチップを取り除くことができない。
そして、チップからはすべての生体情報が主人に送られる。また、チップによって奴隷に苦しみを与える事が許されている。
これらの条項にサインした者が奴隷として市場で競売にかけられることとなる。大航海時代にあった奴隷制度とは違い、さらわれたり、意思を奪われたりした状態で奴隷市場に並ぶことはない。
奴隷市場は、国が地方自治体に依頼して開かれる事になっている。
奴隷バイヤーが居るわけではない。
そういう事になっている。違うことくらいは皆がわかっていて目をつぶって見ない事にしている。
性奴隷は居ないことになっているが、実際にはわからない。実態が調査できていないという事だ。魔法が有ったり、何らかの超常的な方法があったりすれば実現可能なのか知れないが、残念な事に契約とチップで縛る事しかできない。
法律の不備と騒いでいる人権団体や諸外国があるが、諸外国でも同じ様な事を行っている。もっと酷い国もある。国として、ストリートチルドレンを捕縛して、簡単な教育を施したあとで奴隷制度を復活させた国に売って、外貨を稼いでいる場合もある。裏組織が取り仕切るのではなく、国として子供を輸出しているのだ。
この国でも人口の不均等が発生した。それを是正する方法を、老害共が放棄した結果が、現状の超超高齢化社会なのだ。
そんな奴隷市場が開かれるビルに入っていくには、若い男は珍しい。大抵は、ある程度年齢を重ねた者が奴隷を求める。
奴隷を求める理由は様々だ。
奴隷は安い金額では無い。
衣食住の保証は当然の事だが、買った奴隷が死ぬまで面倒見なければならない。また、奴隷は1人しか持てない。国が、マイナンバーで管理している。新しい奴隷を買うために今の奴隷を殺してしまうと生体情報を調べられて、殺したと思われた場合には、主人が犯罪奴隷の身分に落とされる。高齢の場合には、財産を没収され残りの人生を国が定めた奉仕活動か檻の中で過ごす事になる。
若い男が、それも1人で奴隷を求めにやってくるのは殆どないと言ってもいい。
若い男は、自分の素性を正直に奴隷市場に提出した。提出の義務は無いのだが、主人となる者の素性がわかっている方が、奴隷から選ばれやすい傾向にある。
若い男は、名前を|六条|晴海と書かれている。
受付の女性は、若い男の年齢を18-9だと思った。実際には22歳だ。受付が、六条晴海に目を奪われたのは珍しく若いからだけではない。幼さが残る見た目で左右の目の色が違う|金銀妖瞳なのだ。それだけではなく、チラシを握っている左手は間違いなく義手で、目の上になにかで切られた傷が大きく残っている。
今の時代は、よほどの事が無い限り傷跡は残らない。あえて傷跡を残す人は居るが、顔に残すような事は殆ど無い。
受付が気になったのは、顔の傷だけではない。
この国には珍しい白髪なのだ。白髪というよりも、白銀と表現したほうがいいのかも知れないが、白髪を短めに切りそろえている。
「これでいいですか?」
「え?あ!問題ありません」
受付は、六条晴海から渡された申込用紙を確認した。
若い男の幼さの中になにか諦めた目と白銀の髪の毛に見とれてしまった。
受付が渡された申込用紙を機械に読み込ませる。
マイナンバーや申込みに書かれた情報を読み取るのだ。
”ビィービィー”
警告音が鳴った。
受付は、警告のナイを見て自分の目を疑った。
”六条家一族大量殺人事件の生き残り”
情報は続けられる。
”六条晴海は、六条家のただ1人の生き残り”
”本人も事件で左腕を無くしている”
犯人は見つかっていない。
受付もこの事件は知っている。連日ニュースサイトで取り上げられている。当初、唯一の生き残りである長男が疑われたのだが、実質的に不可能だという事や、凶器が見つかっていない事から長男は犯人ではないと思われている。
”特記事項に記述あり”
特記事項とは、過去に事件を起こしている場合に自己申告する場所になっている。六条晴海は、その特記事項に”殺人事件の生き残り、犯人の動機不明。犯人未逮捕。狙われる可能性あり。軍や警察や治安維持隊が自分を犯人としてマークしている可能性あり”と書いてあった。
「お客様」
「私ですか?」
「はい。この特記事項は、奴隷も読みますが問題ありませんか?」
「はい。問題ありません。何かまずいですか?」
「いえ、問題はありません。ありがとうございます。手続きを進めさせていただきます」
「お願いします」
受付は、六条晴海を見て、一切の動揺がない事を確認した。
その後に義務付けている、身分を保証する公的な書類の提出をお願いする。
受付は、運転免許が提出されるものだと思っていたのだが、六条晴海が提示したのは”銃携帯許可証”だった。
「お客様」
「ダメですか?確か、公共機関が発行する身分証なら良かったと思います」
「大丈夫ですが、これもプロフィールに記載されますがよろしいのですか?」
「えぇお願いします」
受付は渡された銃携帯許可書を機械に読み込ませた。
公的機関が発行する身分証の99%を判断できる機械で、偽装や他人名義、期限切れなどの確認が行われる。
六条晴海が提示した銃携帯許可書は珍しい物ではないが、身分証として提示する事は少ない。
自分を危険人物だと印象づけてしまうからだ。この国に銃が入ってきて1000年近く経過しているが銃は一般的にはなっていない。そのために、銃を持つのは軍か治安維持部隊か警察官か・・・。それでなければ、悪い事を専門に扱っている連中だけだ。
そして、使える銃の種類の確認して・・・。再度、受付は絶句する。
ほぼすべての銃の携帯許可がされているのだ。許可されていなかったのが、マシンガンだけだが・・・。個人でマシンガンを持つ事は不可能なので、個人で所有できる銃に関しては、火縄銃からアサルトライフルまで全部の所持が認められている事になる。
(どういうこと?)
受付は、このまま六条晴海に奴隷市場への入場許可を出していいのか迷っていた。
「どうかしましたか?」
「いえ、なんでもありません」
受付には、自分の思いや考えで入場を拒否できる権限は持っていない。
六条晴海のチェックは一つを残されているだけだ。
「お客様。最終確認にはあと数分かかります。その間に奴隷市場の説明を行いますがどうしますか?」
「お願いします」
六条晴海が、素直に説明を聞くと言ったので、受付は少しだけホッとした。
まずは、入場料の説明から行う。
入場料は、50万円だ。これが払えないような人には奴隷を持つ資格さえもない。ただ、この50万円は入札を行えば帰ってくる仕組みになっている。そして、奴隷の最低入札額は50万以上と決められている。
簡単に言えば、50万円は奴隷の購入費用として当てられる事になる。
入札額に足りなかった分を奴隷と引き換えに払う事になっているのだ。
「ここまでの説明でなにかご質問はありますか?」
「そうですね。50万円は現金ですか?引き落としですか?」
「どちらでも可能です。クレジットでも構いませんし、政府発行のポイントで支払いを行っても大丈夫です」
「わかりました。それでしたら、引き落としでお願いします」
「かしこまりました。最終確認が終わりましたら、引き落とさせていただきます」
「わかりました」
次は注意点の説明になる。
紙面にもなっているので、受付は六条晴海に紙面を渡して説明する。
注意点
1)開封は、奴隷番号の若い順に行われます。
2)奴隷法に、基づいて複数入札時には、先に決められた方を優先します。
3)一括で払うのか、月々払うのかを明確に記入してください。
4)法定期間に、所定の奴隷市場に奴隷と面談に訪れてください。
5)奴隷の払い戻しは、奴隷法で禁止されています。
6)奴隷税は、落札金額の25%となっています。落札価格に、25%を付与した金額をお支払いいただきます。
入札時の注意点
1)入札は、万単位での入札です。 最低入札額は50万円です。
2)奴隷が認めている事以外の接触を固く禁じます。
3)条件は明確にしてください。落札後に、当協会立ち会いのもと契約書が取り交わされます。
4)契約に至らない場合には、手数料の支払いが発生いたします。
細かい説明もあるのだが、大きく分ければこの10個が注意点となる。
”ピィー”
最終確認を行っていた機械が、正常終了して問題がなかった事を知らせる音がなった。
受付は、最終確認の条件を、六条晴海のプロフィールに書き込むために機械に映し出された数字を確認した。
預金残高:約7、900億円
定期収入:5,500万円
ズラズラと資産内容が書かれていた。
六条家の財産をすべて晴海が引き継いだ形になっているのだ。マンションやビルも持っている。
受付は慌てて情報を書き示す。
そして、最初に提示された条件を見直した。
”遺産相続あり”にチェックが入れられている。奴隷に遺産を渡す主人は多い。
受付も、何度もこの受付に立っているが、これだけの資産を持った人間は初めてだ。
「なにか問題はありましたか?」
受付は、六条晴海からの問いかけで思考を仕事モードに切り替えた。
「いえ、大丈夫です。お客様、仮面はなさいますか?」
「仮面ですか?」
「はい」
受付は、仮面の説明を行う。
奴隷の人権を守るためという建前があるので、買っていく主人のプライバシーを保護されるべきだというちょっと理由がわからない理由だが、開場した部屋にはいるときには、顔を隠す事が推奨されている。
主人同士が街で偶然に会った時に、連れているのが奴隷だとわからないようにするためだと言われている。
実際は、もっと違う意図があるのは受付なら教えられているが、参加者に教える必要が無いことなので、説明はしていない。
「わかりました。仮面をつけます」
「ありがとうございます。これが入場許可証と名札です」
「名札?」
受付が持っている物を見ると、チップが一個だけ内蔵されている事が解るだけの物で、名前が直接書かれているわけではない。
「はい。入札する時に、この名札を読み込ませる事で、あなたの情報が入札条件とリンクされます」
「そうなのですね」
「はい。入札は、奴隷によって条件や求める事が違いますので、入札用紙は奴隷の部屋に用意されています」
「わかりました」
受付の作業は、残り一つだけ。
六条晴海に、入場許可証を渡して、仮面を渡して、最後に奴隷契約に関する書類一式を渡すだけだ。
六条晴海は、受付からの注意点を素直に聞いて、書類一式を受け取ってから、仮面をつけた。
少し気恥ずかしい気持ちになったが、待機場所に移動する事にした。
六条晴海は、開場するまでの時間でもう一度奴隷契約に関して読み込んでおく事にした。
奴隷制度は、結婚制度よりも成約が細かく決められている。
成人した男女が自ら奴隷になる事を宣言する。奴隷の解放は、主人から行う場合と、主人が死亡した場合と、契約した内容と違った場合に、奴隷から解放される。細かい規約は、あるが大まかにこの3通りだ。
そして、奴隷になる事のデメリットは奴隷本人が被る事になる。主人側もノーリスクというわけではない。
主人は、契約内容を一方的に破棄したり、改変したりする事ができない。契約内容を不履行した場合には、最悪死刑まである。
六条晴海は、入場口の近くにあるソファーに座って書類を読んでいた。
「おい。お前!お前は初めてだな」
どう見てもカタギではありませんと言っているような輩が5名、六条晴海を取り囲むようにして立っている。
周りの人間たちは、この状況になる事がわかっていたので、最初から六条晴海から離れていた。
「私ですか?」
六条晴海は、読んでいた書類から目を話して、正面で仁王立ちしている男に聞き返す。
名札もつけている。同じ様な仮面もしているので、入札者で間違いないだろうと思った。
「そうだ。お前だ」
中央の男以外の4名からくぐもった笑い声が聞こえてくる。
「何か?」
「初めてか?と、聞いている!」
「はいそうです」
「そうか、それじゃぁ覚えておけ。入札するときに、名札に赤い印が付いている奴隷には入札するな」
六条晴海は、これでピンときた。
裏稼業の人たちが誰かと取引して落札するのが決まっている奴隷が居るという事実まで思考が飛んでいた。
「解りました。絶対に、入札しません」
「男も女もだぞ」
「わかりました」
「入札したらどうなるか解るだろう?」
古い脅しだと、六条晴海は感じたが、指摘してもしょうがない事もわかっていた。
黙って頷いて終わりにする事にした。
それから、30分後に一旦待機場所が暗くなった。
入り口に執事風の服装をした男性が1人マイクを持って立っている。スポットライトを浴びているので目立っている。
”本日の入札希望の奴隷は、23名。男性が11名/女性が11名/不明が1名”と説明された。
不明というのは、奴隷が自分の性別を公にしたくないという意思表示だ。
入札希望者は、100名前後だと思われる。単純に考えると、倍率は5倍という事になる。
六条晴海は、この時点で今回の落札は諦めた。
そもそも、積極的に奴隷が欲しいと思ったわけじゃない。ただ、裏切らない。絶対に、自分を裏切らない仲間が欲しかっただけなのだ。
司会が壇上から、最終確認を行う。
『お集まりの皆さん。今から奴隷市場を開催します。それぞれの部屋に奴隷が固定されています。ご確認と入札をお願い致します』
『お一人ごとに、部屋に滞在できる時間は30分迄となっています。各部屋は常時監視と録画を行っております』
『禁則事項をお破りになった場合には、どんな方でも厳正に処罰いたします』
『奴隷は、商品ですが、国際法で守られた人権があります』
司会は暗くて見えないだろうが、入札希望者を全員確認するように眺めて、大きく息を吸い込んで宣言をした。
『それでは、奴隷市場開場です』
【第一章 入札】第一話 見学
僕は、|六条|晴海。
見た目は、純粋な日本人・・・には見えないと思う。左腕が肩からなくなっている。今は、生体義手を付けているので生活に不自由する事はない。新型で、防水・防塵・熱感知機能まで付いている特級品なのだ。外装部分に使っている皮膚も僕の細胞を培養して作られた物だ。指先はわざと機械の指にしている。義手である事が解る様にしている。
日本人に見えないのは、目の色が特徴的なのだ。右目が黒で左目が青の|金銀妖瞳だ。
目だけではなく、殺人事件の事件の被害者となり、僕だけが残されてしまった。病院で目が覚めたときにはに、黒色だった髪の毛が白髪になっていた。見る角度によっては、銀に見えるかも知れない。見舞いに来た人によっては”白銀”だと表現した人も居た。
そして、左目の上に大きくなにかで抉られた傷を残している。病院では、傷はきれいに治せると言っていたのだが、僕の意思で傷跡は残してもらった、両親と弟を忘れないようにするためだ。僕の命を|奪|っ《・》|て《・》|く《・》|れ《・》|な《・》|か《・》|っ《・》|た《・》犯人たちが僕を見つけてくれる事を期待している。今度こそ、僕を両親と弟が眠る場所に連れて行ってくれることを祈っている。
捜査関係者には伝えていない事がある。”犯人を見ていないか”と聞かれた時に、僕は”犯人は見ていない”と答えた。嘘ではない。犯人は複数だった僕は”話声を聞いた、犯人|た《・》|ち《・》を見た”だけだ。
殺されたのは、僕の両親と弟だけではない。|分家筋の関係者や家族も全員殺された。
唯一の生き残りである僕が六条家の遺産のすべてを引き継だ。分家筋の六条家が行っていた事業に関する権利を全部引き継いだ。
現金と3箇所の賃貸マンションの権利と伊豆と静岡市の港町の山奥にある別荘の2箇所の権利を残して他は全部売却する事にした。
会社の株も会社側が買い取りたいと言った物は全部売った。それでも多くの株が手元に残っている。資産運営なんてするつもりは無いので、そのまま塩漬けしておくつもりだ。経営権は放棄した。僕に、会社の経営なんてできるわけがない。六条家を支えた人たちで分けてもらう事にした。
それでもかなりの資産が残ってしまった。売却できないで残った物も多かった。
僕が奴隷を求めているのには、いろいろ理由があるが・・・。六条家に関わりがある・・・あった人たちから、身の回りの世話という名目で、女中やらメイドやらわからないが、女性をあてがわれそうになっている。
そんな面倒な事をしないでほしい。僕は、僕でやりたい事がある。そのために、僕は奴隷を買うことにした。
アナウンスがされて、奴隷市場が開かれた。
さっきのようなチンピラが言っている事は重々承知している。
|六条の名前は伊達ではない。しかし、そんな事を指摘しても誰も幸せにならないし、あんな末端を怒らせてもしょうがない。
うまく誤魔化せばいいのにそれさえもしなくなってしまっている。
法律で、奴隷は1人しか持てない事になっている。なので、ほとんどの人が奴隷市場には一度か二度の来訪になっている。しかし、さっきのような態度を取れば、それが違う事がわかってしまう。滑稽だなと本気で思う。
奴隷制度復活が、少子高齢化社会に対する対策なんて誰も本気で思っていない。建前として素晴らしい政策だと言っている人がいるかも知れないが、巨大な与党への忖度以外に理由があるのなら教えてほしい。
しかし、悪法も法だ。認められた権利なら使わなければもったいない。
僕は、僕の為に奴隷を求める。今日、僕の求める奴隷が見つかるかわからない。相手が僕の為に僕を僕として考えてくれるかもわからない。わからないが、必要な事だと認識している。
扉から中に入る。
廊下は思った以上に寒かった。季節的な事もあるかと思うが、それ以上に廊下が広く長いことに驚いた。もっと、狭い場所に押し込められているイメージが有ったのだが、奴隷が管理されている部屋はそれほど狭くないようだ。
最初の部屋に近づいた。
部屋には、誰も入っていない事が示されていた。ネームプレートを見ると、赤い印が付けられていた。
そういうことなのだろう。
裏組織から狙われなければならないような訳ありの奴隷をわざわざ入札してまで買おうと思う人は居ないということなのだろう。
僕は好奇心からネームプレートに渡された端末を近づけた。
名前以外のプロフィールが表示される。
奴隷のプロフィールには、奴隷になる者が許可した情報が表示される。
ただ、この手の訳あり奴隷の場合には、情報は少ないだろうと予想していたのだが違った。訳ありである事が解るようになっていた。これなら、赤い印がなくても入札は行われないだろう。
/// ルーム1
性別:女性
年齢:29
出身:不明
希望:特になし
特記事項:
・・・・・
///
特記事項には、とある政治業者の暗殺事件に関わった者の家族と書かれている。
本人は、殺人だけじゃなく犯罪を一切犯していない。一般人なのだが身内に犯罪者がいる事は情報社会になっているのですぐにわかってしまう。わかってしまうと、生き難くなる。
借金を重ねて、奴隷になる道を選んだという流れだ。
よくある流れだ。
多分、これから23名の殆どが同じ様な無いようなのだろう。
もしかしたら、今回は外れだったのかも知れない。
ルーム2は誰かが入っている。
そりゃぁそうだ。100人近い購入希望者に対して、23名の奴隷では混雑するのは決まっている。
時計を確認しても、まだ時間がある。空いている部屋を先に見ておこう。
次の部屋は、空いていたが赤い印がしてある。
ルーム1と同じ用だ。
ようするに、借金の為に奴隷になる事を承諾した人たちという事なのだろう。
ちょっと待てよ・・・。
ルームが並ぶ廊下から離れた場所にある通信エリアに移動する。情報端末を取り出して、奴隷制度を開設しているページを開く。
やはり・・・。どういう事だ?
今まで気にしていなかったのだが、奴隷になる条件は、借金が有ってはダメとなっている。特記事項には、借金と書かれている。
ルーム2に戻って確認すると、借金とは書かれていない。
ルーム2の特記事項には、事故で家族を無くした為に奴隷になるような事が書かれていた。これも多い理由だと教えられた。
浮浪者になるか、奴隷になるかの違いしかないと言っていたが、浮浪者はなんの保証もない。しかし、奴隷になれば少なくても国が保証する事になっている。刑務所よりはだいぶましな生活を送る事ができる。学習を受けなければならないのだが、学習期間が終わっても引き取り手が現れない場合には、社会復帰という名目で奴隷見習いから開放される。目安として、3年程度だと考えられている。
一度奴隷身分になって、開放されてしまうと奴隷になれないというペナルティーも存在する。そうなると、犯罪奴隷になるか非公認の奴隷となるしか道がなくなってしまう。
なんとも、中途半端な救済処置だと思うのだが、国の偉い人達が決めた事だ。これで十分なのだろう。
借金を肩代わりしている者がいるという事だろう。ルーム1もルーム3も、借金を肩代わりした者が居て、その者はすでに奴隷を所持しているので、正規ルートからの入手が困難になっている。
若い衆が奴隷を購入して、借金を肩代わりしている人に渡す。
この国の暗部に繋がる部分なのだろう。奴隷制度をうまく使っている。
全部のルームを見て回ったのだが、赤い印がない部屋は混雑している。
待ち行列になっている。仕方がないので、情報だけ参照しておく事にした。
僕が求めている奴隷は居ないようだ。
赤い印の奴隷に関しても情報を取得しておく事にした。
【第一章 入札】第二話 入札
全部の情報を取得したときには、ちらほら入札が行われたルームが目立ち始めた。
入札が行われると、入札数が表示されるのだ。入札数が1だと入札は流れる事になっていると説明された。不正防止なのだろう。
/// ルーム18
性別:女性
年齢:18
出身:駿府
希望:殺してくれる人
特記事項:
なし。
///
居た!
赤い印が付いている。それでいて、特記事項がない。特記事項に書けないほどの事情を持っている。
僕の望みにこれほど近い奴隷は居ない。それで死にたがっている。
ルーム18には、すでに入札が4件されている。
ルーム18は空いている。
当然だよな。赤い印が付いている部屋にわざわざ入る奴は居ない。
部屋にはいる為には、名札をかざさなければならない。部屋の入退出を記憶しているのだろう。
別に”怖い人たち”がそれで追ってきてくれても構わない。あの手の人たちは面子を気にする。面子を潰されて黙っているわけが無いのだ。
末端の三下なんか必要ではない。必要なのはもっと違った力だ。僕にない力を持っている奴だ・・・。でも、さっき話してきたような奴らではないのは理解している。
部屋に入ると、そこは10畳くらいの広さがある場所になっている。
少女と言って間違いはない女性が1人首輪をして薄着で座っている。
「貴方は?」
「好奇心で部屋に入った愚か者ですよ?」
「愚か者?」
「えぇ、愚か者です。君が書いた”希望”に惹かれました」
「殺してくれるの?」
「僕の用事が済んで、まだ死にたかったら殺してあげますよ」
「私を・・・。私を買ってください。あの人達は私を殺してくれません」
「なぜ?」
「私は、奴隷で、物で、贄で、餌だから・・・。私は、生きていないとダメ・・・。殺して、死んでしまうと、価値がなくなる」
「そう?でも、僕は君を買うメリットがないよね?」
「メリット?」
「入札も安い金額ではない。君は、僕に何を提供できるの?」
「この身体以外は・・・違う。私を殺してくれるまで、絶対の忠誠と、ご奉仕を」
「閨を要求するかもしれないよ?」
「かまいません。したことはありませんが知識はあります」
「僕の代わりに死ねというかも知れないよ?」
「それこそ本望です」
「わかった。君を、奴らから買おう。何か、奴らの情報は・・・。いや、今は辞めておこう」
「はい。入札していただけるのですか?」
「そのつもりだ?なにかあるのか?」
「いえ、奴らと先ほど呼ばれた人たちかわかりませんが、貴方の前に入ってきた人たちが言っていたのが、私の入札額を少し高めにすると言っていました」
「そうか、わかった。でも、落札相手は君が選ぶのだろう?」
「はい。そう説明されていますが・・・」
「金額は、なにか言っていたか?」
「私には払えない金額だとしか・・・。そうです。3本とか言っていました」
通常、本で示すときには、100万が相場だろう。1、000万だと冊になって、1億だと座布団に例えられて枚と数える。
300万が入札の金額と思っていいだろう。
「わかった、それなら5,000万が僕の入札額だ。僕は、君を奴らから5,000万で買う」
「え?」
「5,000万円だ」
「よいのですか?」
「問題ない」
「わかりました。でも・・・」
「全部ひっくるめて納得したら、僕を選べばいい」
「わかった。貴方の事は?」
「入札表を見れば解るだろう?」
「・・・。はい」
入札を行って、部屋を出る。ルーム18の入札数が増えているのだが問題はなさそうだ。
他の人たちが気にするような事では無いだろうし、他の赤い印の部屋も入札数が増えている。
聞こえてくる会話から、気に入る奴隷が居なかったから、赤い印の奴隷に安値で入札だけしたという事だ。記念入札をしたと話しているのが聞こえた。
そうだよな。そうしたら、落札はされないが入札した事実は残るし、お金も返ってくる。
「おい!」
「は?」
「貴様。その部屋に入札したのか?」
「記念入札です」
「そうか、中でなにか話したのか?」
「いえ、別に?」
「それならいい」
仮面をしているのでわからないが、先程の男たちの中に居たのだろう。
同じ様な服装をしている。
他のルームも好奇心から入って見る事にした。
ルーム21にも赤い印がしてあった。
情報では女性となっていて、特記事項で性奴隷になる事も承諾している。
僕が入ろうとしたときに、部屋から先程忠告をしてくれた人物と同じ服装の男が部屋から出てきた。
部屋から出てきた男は、明らかになにかをしてきた事を物語っている。
要するにそういうことなのだろう。
「おい。お前、解っているだろうな」
「はい?」
「この部屋の事だ」
「はい。解っています。でも、部屋に入るのもダメだとは聞いていません」
「ハハハ。そうだな。今は俺たちの相手をして疲れきっていると思うから、あまり苛めるなよ。お兄ちゃんは若いからな我慢出来なくなってもやるなよ」
「大丈夫ですよ」
「ハハハ。ネットの監視もあるし、そんな度胸もなさそうだな」
それだけ言って、男たちは立ち去ってしまった。きっと次の奴隷の所に行ったのだろう。
あの男たちへのご褒美がこの手の事なのだろう。
表向きは、奴隷の品定めの時に必要以上の接触やそれに類する行為は法律で禁じられている。落札されるまでは、奴隷市場所有の商品であり人権が保証されている事になっている。それを平然と破れるだけの力がある組織なのだろう。
僕は、今自分が想像したことが正しいかどうかを見るために、中に入ることにした。
何をやっていたのかすぐに解るような痕跡は残されていない。
奴隷の顔には事情を察している状況が見て取れる。
ただ、確認をしたかっただけだったので、何もしないで立ち去ることにした。
気分も悪くなったのだ、奴らには奴らの使いみちがあり、それをうまく使えば、僕のメリットに繋がるかも知れない。
「ねぇお願い。辛いの、助けて」
「ん?」
「ねぇ私の事を見て」
「ん?それは、僕に言っているの?」
「そう、貴方はあの男達とは違うでしょ」
「同じだよ、奴隷を買いに来ているのだからね」
「違うよ、そういう事じゃなくて、奴隷法に従った人でしょ」
あの者たちが奴隷法に従っていないと言っているのだが、実際従っていないのだろう。
「そうだけど、でも本質は同じだよ。自分の欲求を満たす事を考えている」
「でもいいの?毎日、毎回違う人の相手をさせられる事はないでしょ」
「君が僕の求める奴隷ではない。僕には、君を助ける事はできない」
「そうだよね。バカだな・・・私。1人に必要とされたいなんて思ったのが・・・、騙された私が馬鹿だった」
「奴隷市場に申し出れば、落札が決まる前なら流されるでしょ?」
「表ではね。それこそ、そんなことをしたら、私だけじゃなくて・・・」
法律の庇護を受けない事を宣言するに等しい行為だな、あの男達に追われて一生それこそ奴隷のような生活を余儀なくされる。
「ゴメンね。僕には、何も出来ない」
「・・・。話を聞いてくれるだけで」
僕は、その言葉を背中で聞いた、怖くなったこともあるが、これ以上この場にいると入札してしまいそうになる自分が怖かった。
「待って、お願いがあるの」
その声を聞いて、僕は、振り向いてしまった。
「抱きしめさせて?」
「僕でいいの?」
「誰でもいいの・・・。私が最後に、私の意思で抱きしめる、最後の人になってほしい」
「解った」
女性に抱きしめられた。弱々しい力で僕を抱きしめて、耳元で”ありがとう”とだけ言った事は忘れない。ありがとうの言葉の後に、彼女が本当の名前だと名乗った名前は忘れないと誓った。
そして・・・。なぜかわからないが、怒りに似た感情が湧き出してきた。
僕は一言だけ彼女に告げた
「綺麗だよ」
彼女は、どんな気持ちでその言葉を聞いたのかわからない。
わからないけど、彼女はにこやかに笑ってから表情を消した。
【第二章 落札】第一話 締切
壁のタイマーが残り60分をしめした。
館内放送でも同じ事が告げられる。
入札を終えた人たちはひとまず入札をしなかった奴隷の部屋を最後に見て回っている。
必ず入札が成立するわけではない。相思相愛にならないと落札できないのだ。
問題なのが、複数に入札を行った者が両方の奴隷を落札してしまった時だ。
この場合には、先に入札を行った方が優先される仕組みになっている。奴隷側には、複数入札が解るようになっているので、選ぶときの指標にもなる。
壁のタイマーが徐々に少なくなっていく。
残り10分になると、廊下に残っている人も控室に移動を始める。
落札が発表されるのだ。
六条も入札を終えて、控室に戻ろうとしていた。
控室で名札を返却すると、札が渡された。この札には、番号が入力されている、端末で札を読み込めば番号が解る仕組みになっている。その番号が空き部屋に表示されれば、落札した事になると説明がされている。
六条は、札を端末で確認して63番が自分の番号だと認識した。
「落札されましたら番号をお呼びいたします」
「番号??この番号?」
「さようです。その後、あちらの部屋に移動していただいて、奴隷との面談をしていただいて、問題がないか確認して決定していただきます」
「契約はその時に決定するの?」
「はい。内容に関しては、奴隷が草案を作りますので、それを読み合わせしていただきます」
「わかった。ありがとう。番号が呼ばれる事を期待しているよ。そうだ、お金は現金だけ?」
「いえ、チェックが可能です」
「そうか、大きな金額を入れたので、手持ちがなかったからどうしようかと思っていた」
「大丈夫です。端末も用意していますので、その場でのお手続きが可能です」
「そうか、心配しても落札できなければ意味はないな」
六条は、執事風の男性から渡されたプレートを持って、料理や飲み物が並んでいる場所とは反対側の壁に寄りかかって目をつぶった。
時間が過ぎた。
廊下や部屋に誰も残っていない事を確認していた人が戻ってきた。執事風の男性が廊下に通じる扉を閉めた。
「今から、奴隷が落札者を選別し、契約書を作成します。暫くお待ち下さい」
執事風の男性が、朗々とした声で宣言した。
用意された食事や飲み物は、無料で飲み食いできるようになっている。アルコールは出されていない。タバコや大麻も、この部屋では呑めないが別室に行けば呑める事が説明されている。
各々が適当な場所で時間を潰すようだ。
仲間と思われる者と話をする人たち。
ひたすら出された物を食べて飲んでいる人たち。
家族だろうかまとまってなにかを話している人たち。
そして、六条は壁に寄りかかって端末を開いている。
部屋から得た情報を見ている。
(奴隷には名前は無いのか?)
あの男たちの1人が呼ばれて部屋に繋がる通路に入っていった。実際には、どの部屋に入るのかは、待合室からは見る事ができないようになっているが、番号が示されてからすぐに移動すれば、わかってしまう。
わかっても、どの奴隷なのかわからないので問題は少ない。
(今のやつ。ルーム21の前ですれ違ったやつだな。へぇ僕の事を意識していたのか?)
六条は、男が入っていった場所を見つめている。
中では、契約に関しての取り決めが行われている・・・。事になっている。
皆、そのくらいの事はわかっている。
奴隷は23名。
徐々に少なくなってきているのは、参加者にもわかっているのだろう。
空いている部屋に63と番号が表示された。
六条は、端末を起動して、渡された札を確認する。
(僕で間違いないようだ。あの子。僕の手をとる事にしたのだな)
六条は、部屋に番号が付いてから暫くは動かなかった。
他の部屋に番号が灯るのを確認してから動き出した。
「札を」
執事風の男性に持っていた札を渡す。男性は、札を端末にかざして確認してから
「確認が取れました」
そう言って、六条の前を執事風の男性が歩いていく、六条は男性の後に続いた。
「こちらです」
「ありがとうございます」
六条は、ポケットから丸めた札を取り出して、執事風の男性に渡す。
いわゆるチップという物だ。
男性は、少しだけ六条の顔を見てから、深々と頭を下げた。
「心遣いありがとうございます」
(そうか、この人も奴隷だったのだな)
六条は何も言わないで部屋に入った。
頭を下げたときに、首筋が見えた。チップが埋め込まれているのがすぐに解る位置だ。
男性が心遣いと言ったのは、六条がチップを電子コインで渡さずに、丸めた札を使った事にある。
電子コインでは、奴隷が交換しようと思ったときに足元を見られてしまう可能性が高い。手数料50%をとる事もよくある話しだ。六条は、その手の話を調べて知っていたので、チップで渡す金額を紙幣にした。丸めたのは、受け取るときに額がすぐにわからないようにしたのだ。
貰った紙幣から六条の心遣いがわかった執事風の男性は深々と頭を下げるのだった。
通された部屋では、別の男性が待っていた。
この部屋は、防音がされていて、電波も外側にも内側にも流れる事はない。完全に独立している部屋だと説明された。
半島事変から始まった第三次世界大戦は、情報の戦いだと言われている。
日本は、無防備な状態だった情報戦で負け続けた。第三次世界大戦の特徴というべき事なのだが、人的な被害が殆ど出ていない。殆どが電子戦/情報戦なのだ。無人の爆撃機を敵国に送り込む。送り込まれる方も、無人の戦闘機で対応する。すり抜けたあとで、ジャミングで爆撃機を拿捕する。拿捕した個体から通信方法を解析して、的確なジャミングを作成する。
スマホと呼ばれていた端末で海外企業のパーツを使っている物は禁止され、国内での生産に切り替えた。半導体も第三国から買っていた物を国内に切り替えた。
この時期になると、石油は全世界で枯渇してきていた。第三のエネルギーへの対応ができなかった国が、できた国からの支援を求めて傘下に入っていく。
情報戦で負け続けている事に気がついた国のトップ達は慌てた。
その時には、国の資産の7割が海外に流出していた。技術情報も流出したが、技術に関しては職人を基盤としているので、それほど大きな打撃ではなかった。
それから100年。情報戦でもトップを走る事ができるようになった。
進みすぎたテクノロジーは喜劇を産む。戦争末期は、電子網が使い物にならなくなってきて、古来の方法が取り入れられるようになった。
ひどい場所では伝書鳩を利用した所がある。手旗信号を使ってのモールス信号なんかも使われた戦場まで存在する。やっている本人や考案した軍部は真剣だったのだろうが、戦争が愚行である証左であると言えよう。
いろいろな事情から衰退していた情報網が復活してきたのはここ10年くらいだ。
この部屋の様に防音設備だけではなく諜報対策も施してある場所はまだ少ない。窓の少しの振動から音を再現したり、部屋の内部の様子を再現したり、端末の画面を盗聴できる事は、当初この国では不可能な事だと思われていた。
そのために平気で、上役の一番大事な端末画面を、窓に投射して産業スパイに情報を盗まれ続けていた。
これらの対策が取られているのは部屋の作りを見れば解る。
盗聴対策もしっかりされているようだ。天井や壁に微妙な凹凸があり振動を拡散する役目を持っている。他にも最新技術から使い古された技術まで織り込まれた部屋なのだ。
そして、六条は先程入札を行った奴隷が目の前に座っている事に安堵の表情を浮かべた。
まだ透明な壁で遮られて、話すこともできない。
古い人なら、刑務所の面会室と言えば想像ができるような部屋なのだ。
「ご主人様」
マイク越しの声が六条の鼓膜を刺激する。
六条の手元に、奴隷契約書なる表題の文章が表示された。
【第二章 落札】第二話 契約
今、僕は落札が成立したとして部屋に通された。
部屋の中にいる執事風の男性がいて、これからの手続きを説明して貰った。
目の前にある端末には、僕が落札した本人が希望をつけた奴隷契約書がある。
内容の説明を聞いた。
--- 奴隷契約書
法規で定められた云々から始まっている。
ん?条件が何も書かれていない。
執事風の男性に質問する事にした。
「これでいいのですか?条件が書かれていません。通常、解放の条件や待遇が書かれていると先程お聞きしました」
「はい。通常ではそうです。18番からの条件は口頭のみにしたいという事です」
「口頭?」
「無いことではありません。通常の契約は、奴隷を守る物ですが、条件によっては奴隷を縛る枷になる場合があります」
「それは良いのですが、僕がそれを守らなくても、”問題がない”ことになりませんか?」
「なりますので、当市場では推奨しておりません。18番にも注意したのですが、本人の強い希望です」
もう一度書面を見る。
どこかに抜け道や落とし穴があるかも知れない。
深く考えてもダメな時にはダメだと考える事にしよう。5,000万円程度なら勉強代だと思って諦めればいい。
「わかりました。僕も、それで大丈夫です」
「本当に、問題はありませんか?」
二度目の意思確認をされると、不安になってしまいそうになる。
「はい。大丈夫です」
そう答えるしか、僕が目の前にいる子を手に入れる方法はない。
透明な仕切りが開けられる。
「18番。こちらの方が、お前を買われるご主人様です。跪いて挨拶をしなさい。そして、口頭で条件を伝えなさい」
「はい」
18番が、男性を見てから僕を見た。
18番と呼ばれた少女?が椅子立ち上がって、跪いて
「ご主人様。これからよろしくお願いいたします」
本で読んだ限りではこんな儀式はなかったはずだ。
それに、まだ契約を交わす前にご主人様呼ばわり・・・。そうか、名前を呼ばないのはマナーだとか言われている。そして、ご主人様となるときには、言葉遣いにも注意する必要と言われていた。
「わかった。これから頼む」
これでいいのかわからないが。少女が微笑んだので良かったと思う事にしよう。
「私がご説明するのは、”ここまで”です。お話が終わりましたら、ボタンを押してください。お手続きのご説明に参ります」
男性は、僕に頭を下げてから、18番に目配せをした。
男性が部屋から出た。少女を椅子に座るように命令した。
「ご主人様。本当によろしいのですか?今でしたら」
「問題ない」
「でも、私には問題があります」
「大丈夫だ」
「・・・。ありがとうございます」
「それで?」
「・・・。ご主人様。ご主人様が書かれた、”僕のやりたい事”とはどの様な事ですか?」
「僕から、君以外と金なんてくだらない物を残してすべてを奪っていった奴らを殺す事だ」
「私以外?」
「そうだ。僕は、君を手に入れる」
「はい」
「僕は、君を使って、僕からすべてを奪っていった奴らにたどり着きたい」
「可能なのですか?」
「わからない」
「私が手伝えば可能なのですか?」
「わからない。でも、君にワケがあるように、僕もワケがある。同じ糸だとは思えないが、君の糸から手繰り寄せられる情報も欲しい」
「・・・」
「僕には、何もない」
「かなりの財産をお持ちでは無いのですか?」
「数字になんの意味がある?」
「意味はありませんが、その数字を巡って人は人を殺します」
「そうだな。でも、数字は数字だ。僕にはそれ以上でもそれ以下でもない」
「私が、その数字を要求するとは考えないのですか?」
「ほしければ全部上げる。そのかわり、僕が望む|物を持ってきてもらうよ」
「・・・。ご主人様。私の望みは、ご主人様のご希望を叶えた後で私をご主人様に殺される事です」
「死にたいのなら自分で死ねばいい。なぜそうしない」
「私は、私を殺せません。自殺になってしまいます。私は、殺されたいのです」
なにかあるのだろう。
殺される事と自殺のち外を感じているのかも知れない。
「わかった。君が必要なくなったら、僕が君を殺してあげる」
「いいのですか?」
「あぁ」
「奴隷でも殺したら、ご主人様が罪に問われますよ?」
「構わない。僕がやりたい事が終わった、僕はどうなってもいい」
「ありがとうございます。私からは、衣食住は、ご主人様のやりたい事に支障がない状況にしていただければ十分です」
「そうか?身体を要求するかも知れないぞ?」
「構いません。初めてなので、うまくできるかわかりませんが、よろしくお願いします」
性奴隷になる事を承諾していないが、構わないのか?
「わかった。君を買おう」
「よろしくお願いします。まずは、私の名前をお決めください」
「まえ・・・。いや、いい。君の名前は、|文月|夕花だ」
「ありがとうございます。ご主人様のご名字を名乗らせていただけるのですか?」
「違う。僕の名字は違うが、僕も今日から、|文月を名乗る。僕の母が名乗っていた名字だ」
「よろしいのですか?」
「大丈夫だ。夕花は、今日から妻の様に振る舞ってもらう。それが条件だ」
「かしこまりました」
「設定やキャラクター作りはおいおいやっていこう。他になにかあるか?」
「私が・・・。いえ、何もありません」
話し合いが終わったと判断してボタンを押した。
音がなった気配はないが、先程の男性が部屋に入ってきた。
「お話は終わりましたか?」
「あぁ彼女を買う」
「ありがとうございます。生体チップはどうされますか?」
「生体チップ?」
男性が説明してくれた話では、生体チップを埋め込む場所の事を言っているようだ。
「どこがいい?」
「ご主人様のお好きな場所に」
夕花の答えはわかっていた。夕花に答えさせてから
「一般的にはどこが多い?」
「効率がいいのは首筋ですが、傷跡は大丈夫なのですが、奴隷紋が出てしまうので、奴隷である事をわかりにくくするのには向きません」
「そうか?わかりにくい場所だと?」
男性が説明してくれた所だと、女性の奴隷で多いのは臀部か内腿のようだ。
露出が多い服などを着た場合でも目立たなくするためのようだ。
「足首の内側とかは?」
「大丈夫でございます」
「靴下で隠れる部分で、サポーターを巻いていても不自然ではない位置にしてくれ」
「かしこまりました。右足と左足?どちらにいたしましょうか?」
「夕花。利き足はどっちだ?」
「左です」
「それなら、右の内側にしよう。それでいいか?」
「はい。問題ありません」
男性に生体チップの位置を告げた。
僕のDNAと指紋と声紋と網膜データと虹彩データを登録する。これらのデータから識別子が生成され、生体チップに登録される。
夕花のデータは後で渡されると説明された。入金と交換になるのだろう。
夕花に生体チップを埋め込んでいる間に、僕は手続きを続ける事になる。
「ご入金は?」
「引き落としでもいいのか?」
「お振込でもチェックでも構いません」
「わかった。端末を貸してくれ」
「はい」
端末を操作して、表示されている金額を振り込む。
5,505万
|奴隷の代金と手数料と紹介料となっていて、入札を行った事で、入場料が全体からひかれている。
「六条様。着金の確認ができました」
名前呼びになったのは、奴隷を買い上げた事が確認されたからか?
それとも、なにかタイミングがあるのか?
気にしてもしょうがないのかも知れないけど、気になってしまう。
「ん?」
「お買い上げありがとうございます。18番をよろしくお願いいたします」
もしかしたら、なにか事情を知っているのかも知れないが、ここで尋ねるのはマナー違反だし、|奴隷市場にはふさわしくない。夕花が自分から話してくれるまでは、夕花の事は気にしない事にしよう。
僕は、僕のためだけに夕花を必要としたのだから・・・。
「ありがとう。夕花を必要としたのは僕だ」
「はい。六条様。18番」「文月夕花だ」
「文月夕花様の服装ですがどういたしましょうか?今の格好では目立ってしまいますし、六条様は何も準備をされていません」
「そうか、服装まで考えていなかった。靴も必要だな」
「はい。下着なども必要です」
「どうしたらいい?」
端末が渡される。
うまい商売をしているな。
全身コーディネートコースまで存在している。
ケチってもしょうがないよな。
「下着や服を、夕花に選ばせる事はできるのか?」
「もちろんできます。ご予算をおうがいいたしますが、文月夕花様に予算内で選んでいただく事ができます」
【第二章 落札】第三話 合流
全身コーディネートコースまで存在している。
ケチってもしょうがないよな。
「下着や服を、夕花に選ばせる事はできるのか?」
「もちろんできます。ご予算をおうがいいたしますが、文月夕花様に予算内で選んでいただく事ができます」
全身を一番高い物で固めてもそんなに高くは無いな。
女性物の服は・・・あるにはあるが、あれを着せる事はできない。
「わかった。次の事を夕花に伝えてくれ、
・換えの下着と服。7日分を140万以上200万以下で揃えろ。
・靴は5足。カジュアルとフォーマルを一足ずつと街歩き用を一足と山歩き用を2足だ。5足の合計で50万以上。
・部屋着を7着と寝間着を7着。50万以上。
・フォーマルな服装をアクセサリー込みで300万を2種類。
全部合計で1200万以内。必ず全部を揃えるように伝えてくれ」
「かしこまりました」
男性が復唱した。
その後で、内容が表示されたのでサインした。
「あと、この全身コーディネートを頼む」
「文月夕花様に?」
「当然だろう?髪の毛と身体の汚れを落として・・・。あと、服もコーディネートするのだよな?」
「はい」
怪訝なかおをされたが・・・。
そういう事か?生体チップを埋め込んでいる最中に、ご主人様がコーディネートを受けるというのが一般的な流れなのだな。
でも、僕を着飾るよりは、夕花を着飾って、奴隷には見えないようにしたほうがメリットが多い。
「フォーマルな場に出ても恥ずかしくない格好を一式揃えてくれ」
値段は150万となっている。
「お時間がかなり必要になってしまいますが、よろしいですか?」
「問題ない。上のラウンジは使えるのだろう?」
「もちろんです」
「それなら問題ない。夕花を全身コーディネートしてくれ」
「かしこまりました」
夕花の諸元表が送られてきた。
生体データも合わせて送られてきた。
夕花のステータスを見ると僕ほどではないが色々な免許を持っている。一般車両と中型まで運転できる。一般道路と高速道路の運転も許可されている。コミュニケータの操作資格もあるようだ。これはいい。別荘に行くのに、公共機関や自動システムを使わないで済みそうだ。
渡されたカタログを見ていると、車まで扱っている。
「車はすぐに用意できるのか?」
「六条様がお乗りになって帰るのですか?」
「夕花に運転させるつもりだ」
「少々お待ちください」
何やら端末を操作している。別の端末を渡される。
何台かの車が表示されている。
「これは?」
「2時間以内に準備が可能な物です。新車はなく新古車か中古車です」
誰かが注文したけど、買えなかったか、買わなかったのだろう。中古は中古なのだろう。
ほぉ・・・。変わった車があるな。
「この車は?」
「中身は別物です」
「どういう事だ?」
法律で決められている最低限の自動運転システムは備えているが、古い登録のまま継続しているので、現在の道路事情を考えるとかなり特殊な車になっているようだ。
今では、使わなくなったナビシステムまで備えている。50年程度前までよく使われていたシステムを現在の物に置き換えているようだ。
殆どすべてを操作する必要がある車だが、一般車両とコミュニケータの操作資格があれば運転はできるようだ。
他にも、いろいろな改造が加えられている。
かなり強気の値段になっている。僕が気になったのは、全ての通信を遮断する事ができる機能があるという事だ。
「遮断システムは違法ではないのか?」
「いえ、合法です。正確には、新しく作った車や、中古市場に流れ出た車では違法です」
「それではこれは違法ではないのか?」
「いえ、この車は中古車でオーナーから直接買われる形になり、中古市場に流れるわけではありません」
「オーナーから直接?」
「オーナーから直接買われるのですから、中古市場に出るわけではありません」
車検の義務がなくなる前に登録された車なのか?
特例処置を聞いた事がある。
そうか、それらの事が含まれているから、この値段なのだな。
でも、僕が使うにはちょうどいいのかも知れない。目立つ車だから、なにかあったときに、車が目印になって探してくれるかも知れない。
3億8500万。買えない金額ではない。
「このクラシックミニを買おう」
「ありがとうございます。お支払いは」
「端末から行う。夕花の分も先に払っておく、残りは市場でおさめてくれ」
「ありがとうございます。全部で4億です」
端末を確認するが、4億と表示されている。
「安くないか?車が3億8500万で、夕花の服が1200万、全身コーディネートが150万と手数料だろう?」
「いえ、手数料と税は含まれています」
「そうか、それならいい」
端末にも、同じ様な説明が出ている。
「そうだ。ラウンジと多分今日の一泊と僕と夕花の食事代を計算してくれ」
「それは、すでに手数料で頂いております」
「そうなのか?」
「はい。それほど高級なホテルではありませんし、ラウンジも一般的な物です」
「そうか・・・」
4億の決済を行う。
問題なく処理が行われた事が確認された。
車の保険や登録もすぐに行った。
奴隷名義での登録ができるので、夕花名義にした。ナンバーは表記しない事にした。ネットワーク経由でのみ表記される様になる。
すべての窓にデバイス機能が追加されている。中に入ってしまえば外から見る事は不可能だと言われている。
「ありがとうございます。着金を確認いたしました。他になにかありますか?」
「こちらが聞きたい。他の人たちは、他になにか買ったりするのか?」
「いえ、殆どの場合が、”そのまま”です」
「そうか・・・。行政手続きはどうなっている?」
「あとで、文月夕花様が、六条様の所にお持ちする手はずです」
「ここで受け付けてくれるのか?」
「はい。できます。ホテルのコンシェルジュにお渡しください」
「わかった。僕の行政手続きもできるのか?」
「はい。非合法な物以外でしたらお受けいたします」
「わかった」
行政手続きが必要になる。必要な書類に関しては、全部揃えてくれいるようだ。
これだけは、100年経とうが200年経とうが、多分紙の文化が残されていくのだろう。
情報端末が発展して、税の申告やカルテに関しては完全に電子化されたのに、還付金の申告や婚姻に関わる手続き、住民登録などなど役所や国が手間だと感じる部分は紙での申請しか受け付けなくなっている。
税金は、国がお金を取り上げる部分だから簡単になって、ミスが少なくなっている。
還付金などの国が払う場合には、申告までに必要な書類が山のようにある。部署も違えば、電子化した物をプリントアウトしなければならない場合まである。面倒になって辞めてしまう人が多くなる。そして、処理するために人手が必要だと言って、公務員が増えていく。
こんな事を平気で実行に移すような国は滅んでしまえと考えてしまう。
「六条様。ホテルにお部屋をお取りしますか?」
「頼む」
ホテルの部屋は全部同じで、キングサイズのベッドがある主寝室とツインの部屋とシングルの部屋とリビングのようになっている部屋がついている。
こんなに広い部屋は必要ないのだけど、全部同じだからしょうがない。
空き部屋を予約する。僕の端末に部屋番号と解除コードが送信された。ドアに解除コードを流し込めばいいようだ。
ラウンジはすでに空いているので、ラウンジで軽く食事をしながら待つ事にしよう。
ラウンジには、僕の他には1人しか居ない。
奴らの仲間かも知れないが、辺りを見回している雰囲気ではない。
誰かを待ってるようだ。ホテルの部屋に繋がるエレベータを気にしている事から、宿泊者の誰かだろう。
エレベータから1人の女性が降りてきて、先程から待っている女性と連れ立ってどこかに行くようだ。
ラウンジには、僕の他にはウエイトレスが1人いるだけだ。
ラウンジで待っている。2時間経過した。
端末には、コーディネート中と表示されている。
車はすでに届けられて、駐車場に移動されている。
電子ロック用の解除コードも転送されてきた。
ホテルのコンシェルジュに聞いたら、電子ロックで行われる端末解除から、生体解除に変更できるという事なので、頼んだ僕と送られてきた夕花の生体情報でしか、ロックが外れなくして、|パワーユニット《PU》も始動しないようにした。
他にも細かい改造をしてもらえるか聞いてもらった。
全部可能で、前金で100万。総額250万で、10万程度のオーバーがあるかも知れないと言われた。300万を払った。足りないよりはいいだろうと思っている。前金なんて面倒な事はしないで、最初に全額払って、今日中の対処を頼んだ。
3時間後に、長身で赤い髪の毛をした女性に連れられて、夕花がラウンジに現れた。
【第三章 秘密】閑話 夕花
私の名前は・・・。あんな奴の名字なんて名乗りたくもない。
考えただけで・・・気分が・・・。悪くなる。
父は、愚者だった。
お金が欲しいくせに、汚い癖に他人に悪く言われるのがイヤで他人には文句を言わない。母にだけは強く出られる小心者だった。
働き者ではなく、小心者と怠け者で自分で考えることができない愚者だった。
父は、知人から持ちかけられた共同経営の話に乗った。
最初は会社がうまく回ってかなりの売上が出ていた。歯車が狂いだした。最初は些細なミスだったのかも知れない。父は、他人から責められる事に我慢できなかった。小心者と怠け者。父と知人の会社は、坂道を転がるように業績が悪化した。
知人は、父に全部をかぶせて会社からだけじゃなく社会からも脱げた。
業績が悪化した会社には借金だけが残った。
借金は、会社を整理する事で殆ど返済する事ができた。足りなかった分は母が貯えから出した。
父は、酒と薬に逃げた。
母と私に暴力を振るう頻度が増えた。
兄は、父以上に愚か者だった。
兄は、父の会社に勤めたが、経営者の息子だと言って、特別待遇を求めていた。
父は兄を叱る事なくポストを与えた。会社には重要ではないが、給与だけは高いポストだ。
兄は、会社の金で遊び歩いた。
反社会的な組織にも繋がりを持った。兄は、父の知人と一緒に会社の資金の一部と重要な情報を持ち出して逃げた。
その後、兄がどうなったのかわからない。
定期的に、父に薬が送られてくる。非合法な薬だ。兄が送ってきているのだろう。
どうでも良くなった。
父が、酒を買いに出かけて、道端で死んだ状態で見つかった。
悲しみなんて湧いてこなかった。
葬儀に兄は姿を見せなかった。葬儀で悲しみのあまり、母の心が死んだ。
それから4日後に母が殺された。
この時には、母も”死んでいない”だけの状態だった。心が死んでしまっていた。身体も死んでしまっただけの事で、哀しいという思いは有ったが、それ以上でもそれ以下でもなかった。
弁護士を名乗る者がやってきた。父の会社の整理を行ってくれた人だ。
母は、私名義の財産を残してくれていた。微々たるものだが、兄に渡る事なく、父と母の遺産は私が引き継ぐことになった。
私は、裏組織の男たちに拉致された。
どうでもよかった。殺すのなら殺してくれと思っていた。犯すのなら好きにすればいい。
「おい」
「はい」
「お前の兄貴から連絡はあるのか?」
「ありません」
「本当か?」
「嘘だと思っているのなら、勝手に調べてください」
男たちは、私から情報端末を取り上げた。
通常は認証しないと内容の確認ができないが、私は認証を解除した。
2時間くらい放置されてから、男たちは戻ってきた。
「本当のようだな。父は最低な人間で、お前の兄貴は裏切り者だ」
父は組織の人間を使って、知人を追い落とそうとして返り討ちに有ったと言うのが、この男たちの話だ。
別にどうでもいい話だが、男たちは饒舌に話してくれた。
話はよくわからなかった。
わかったのは、父が愚か者で、兄がそれ以上に愚か者だという事だ。
兄は、私を売ろうとした。反対した母を殺した。母は、心が死んでいなかった。死んだフリをしていたのだ。なぜ?私を守るため?よくわからない。母は、私を守ってくれていたのだろうか?
兄は、金が欲しかっただけのようだ。
父は、金が欲しかった。簡単な方法を兄が吹き込んだ。
知人を騙して、会社を独り占めする。
知人にその情報を売ったのは兄だ。兄は、父を追い落とそうとした。しかし、その前に会社が傾いた。兄と知人は、重要な情報を盗んで組織に保護を求めた。組織は、父を薬漬けにした。そして、父を殺した。
兄は、その後で組織に私を売ろうとした。
反対した母に薬を盛った。でも、組織は私を買わなかった。非合法な方法で買っても売る事ができないからだ。
組織は、裏社会に根を張っているが、合法的な組織としての顔を持っている。そのために、見かけ上は法律を守っているのだ。
兄は、逆上して母を殺した。
母を殺した事で、組織にも居られなくなった。当然だ。殺人行為を行うような者を組織として庇えるわけではない。
兄は、組織の裏仕事を行う部隊に所属していた。
そして組織が裏で動かしている部隊だ。いつ切っても惜しくない面子が、組織の情報収集能力を使って、非合法な事を行う部隊だ。母を殺した事で、この部隊にも居られなくなった。
兄は、愚かにも組織を裏切った。
組織の裏仕事の資料を持ち出して逃げた。
自分の安全をはかろうとしたのだろう。それがどれほど愚かな事なのか考えもしなかったのだろう。
組織は、私に全部の事情を話した。
「お前には、奴隷になってもらう」
「奴隷?」
「そうだ。奴隷法に則って、お前は自ら奴隷となる申請をしろ。そして、組織の人間が落札する。そうしたら、お前を売ることができるからな」
「・・・。私を殺さないの?」
「殺してどうする?お前の兄貴からの連絡が来るかも知れないのにか?」
「え?」
「大丈夫だ。お前は、兄貴を釣る為の餌だ。お前の兄貴さえ捕まえたら、お前はどこかの金持ちの爺にでも売ればいいからな」
「え?」
「わかったな。次の奴隷市場でお前を組織が落札する」
なんでそんな面倒な事をするのかと思ったら、国の調査が入るからだと教えられた。
奴隷は自ら申告することで、正規の手続きとなる。奴隷市場で入札が行われて、落札された場合に落札金の一部が身内に与えられる。
組織は、自分たちで兄を探すのを諦めた。この国は狭いようで案外広いのだ。国が管理している情報にアクセス出来ないと、人を探すのが面倒なのだ。落札された金が兄に渡される。
私の身内は残念な事に兄しか残っていない。
一時金を得た兄がする事は決まっている。薬を求めるに違いない。それも、非合法な薬だ。組織は、それで兄を手繰り寄せるつもりのようだ。それまで、私は組織で丁重に管理されるようだ。
組織が私を殺してしまうと、兄に更にまとまった金が移動する事になる。
少ないとはいえ、父と母の遺産を私が持っているからだ。
兄は、組織を壊滅に追い込むだけの爆弾を持っているのだろう。それで身の安全を確保しようとして、余計に危険な状態になっている。
そんな事はどうでもいい。
愚か者の父と兄に私の人生は狂わされた。死にたい。死にたい。死にたい。
母は殺された・・・。兄に・・・。だから、母のいる所に行こうとしたら、私は自殺してはダメだ。誰かに殺されなければならない。
私は、男たちに言われるがまま奴隷になる事を承諾した。
男たちは私を殺してくれない。兄が母にしたように、私を殺してくれない。父にしたように、私を殺してくれない。
母が待っている。心が壊れてしまった母を1人にしておけない。
最後まで、私を守ってくれた母。今度は、私が母を守りに行く。そのためにも、私は殺されなければならない。
今日開かれる奴隷市場。私は、18番と呼ばれた。
名前は、私が買った者が付けると教えられた。でも、私は”あの”男たちの誰かが買うのだろう。そして同じ名前で呼ぶだろう。
父と同じ名字なんていらない。愚か者な兄と同じ名字なんて名乗りたくない。
母が付けた名前さえあればいい。
母が私につけてくれた名前”|優花”誰にでも優しく接して花のようになりなさいと付けてくれた。
男たちは殺してはくれない。私を父と兄と同じ名字で呼ぶ。名前で呼んでくれない。私を殺して欲しい。
入札に来た男も同じだ。3人が入札した。どうせ自分たちが落札する事になるから、最低額の3本でいいかと言っている。
彼が現れるまで私は300万で買われる女となっていた。
【第三章 秘密】第一話 部屋
六条晴海が、待っている場所まで、文月夕花を連れてきたのは、赤髪の女性だ。
エスコートしているというセリフが似合っている。
「ご主人様」
「夕花。綺麗になったね」
少しだけ俯いて頬を赤く染める。
「よろしいのですか?」
「問題ない」
六条晴海は、赤髪の女性から、文月夕花の手を渡された。
紙幣を丸めた物をチップとして渡す。一礼して女性が立ち去った。
文月夕花はどうしていいのかわからないようだ。
「夕花。座っていいよ」
「はい」
そう言われても、六条晴海はラウンジにあるバーカウンターに座っている。横にしか椅子が無いのだ。
主人の横に座るわけにはいかないと思って戸惑っている。
「そうだよな。夕花。少し待って」
六条晴海は、支払いを済ませるようだ。
「そうだ。夕花。好き嫌いはあるか?」
「食べ物ですか?」
「そうだよ」
「いえ・・・」
「本当は?」
「・・・」
「いいよ。言ってよ」
「はい。トマトとキュウリやウリ系が苦手で・・・。あと、辛いものがあまり得意ではありません」
「わかった。辛いのは、僕も苦手だからちょうどよかった。魚介類は大丈夫?」
「魚はあまり食べないです。エビや貝は大丈夫です」
「お肉も大丈夫?」
「はい」
くぅ~と、文月夕花のお腹が可愛くなった。
今度は耳まで赤くしてうつむいてしまった。
「そうだね。食事にしよう」
六条晴海は、コンシェルジュを呼んで、簡単な食事を部屋まで運んでもらう事にしたようだ。
「夕花。着替えは?」
「あっそうでした。申し訳ございません」
「ん?」
「はい。ご主人様」「夕花。その”ご主人様”は止めて欲しいな」
「なんとお呼びしたらよろしいのでしょうか?」
「晴海と呼んでよ。いい、”様”とか、付けないでね。呼び捨てにするようにね」
「・・・。晴海・・・さん」
「うーん。しょうがないか、呼び捨ては無理?」
「できるとは思いますが、難しいです。でも、頑張ります」
「ハハハ。頑張って、呼び捨てにしても、敬語じゃおかしいからね。いいよ”さん”付けでお願いね」
「はい!晴海さん。お洋服や着替えや下着なのですが、車に積んでおくと言われました」
「そうか、わかった。ありがとう」
「いえ、カタログを見せられて選んだのですが、よろしかったのでしょうか?」
「もちろんだよ。一緒に買いに行ければよかっただろうけど、今日から4-5日はホテルに泊まる予定だからね」
「・・・。はい」
六条晴海は、ホテルに泊まるとだけ言っている。文月夕花は、身体を求められるのだと思ってうつむいてしまった。
コンシェルジュが六条晴海の所に来て耳打ちをした。
「夕花。部屋に行こう。食事の準備ができたようだ」
「はい。晴海さんのお荷物は?」
「ん?何も無いよ?手ぶらで来たからね」
「え?あっそれではお着替えは?」
「ん?ルームサービスで買えるらしいから大丈夫だよ」
「わかりました」
晴海は、部屋に移動する為に立ち上がった。
一歩下がった所を夕花がついていく形になっている。
「お客様」
コンシェルジュが晴海に話しかける。
「なにか有ったのか?」
「いえ、お客様からご依頼されていた書類と申請が終了いたしました」
「ありがとう。何か問題があったのか?」
「いえ、問題はありませんでした。でも、よろしいのですか?」
「なにが?」
「奴隷の名前変更はよくある事ですが、主人となられる方が、奴隷に婿入りして名字を変えられる事は前代未聞です」
「そうか?俺としては、自分で好きな名字になるのになんでやらないのか不思議だぞ?なにか手続きで問題があったのか?」
「いえ、ございません。お二人は、今日から文月夫妻です」
「ありがとう。前の部屋はチェックアウトしておいてくれ、新しい部屋は5日の連泊に変更しておいてくれ」
「かしこまりました。でも、使われていませんが、よろしいのですか?」
「そうだな。六条が泊まったという記憶は残したいな。二人で泊まった記憶は残しておいてくれ」
「かしこまりました。料金がかかってしまいますがよろしいですか?」
「問題ない。どうせ、キャンセルしても、キャンセル料が発生するだろう?それなら、早朝にチェックアウトした事にしたほうがいいだろう。誰か、そういう事が得意な者は居ないか?」
「ホテル所属の者に対応させます。男女のカップルでよろしいですか?」
「構わない。なんなら部屋に泊まってもいいルームサービスが必要ならある程度なら許容する」
「手配いたします」
晴海は、コンシェルジュに指示を出した。新しい部屋の名義を、夕花の名前に変更する事を忘れないで指示していた。
ここまで面倒な事を行ったのは、男たちから夕花を守るためだ。正しくは、守るのではなく餌としての準備の時間を稼ぐためだ。
晴海が部屋の入れ替えを行ったのは、男たちを一旦撒きたいからだ。ホテルに連泊するのも、ここが安全だと考えたからではなく、男たちの監視が緩むのを待つためだ。
男たちが夕花を落札できなかった事に気がつくのは、全部の落札が終わってからと考えている。男たちは間違いなく組織に属して入るが末端の人間だ。上に指示されて、夕花たちを買いに来たと思われる。”買えませんでした”ではすまない。なんとしても取り返す為に安直な行動に出るだろうと予測していた。晴海は、その男たちの行動を予測して、準備を行っていたのだ。
男たちは、実際に夕花が落札できなかった事で慌てた。上に報告できるわけもなく、自分たちで夕花を取り戻す事を考えた。
考えたがいい方法が思いつくわけではない。
まずは、落札が成立したのかを確認する事にした。入札した本人が奴隷市場に問い合わせを行えば教えてもらえる。
夕花が落札された事は確認できたが、誰が落札したのかを教えてもらえるわけではない。国家機関に組織の末端が喧嘩を売るわけには行かない。奴隷市場は独立した組織で、国家権力や暴力組織にも屈しない。そのために、職員や従業員は奴隷や元奴隷で構成されているのだ。
誰が落札したのかはわからないが、誰かが落札したのは間違いない。それなら、奴隷市場から出ていくところを見張っていれば捕まえる事ができるだろう。男たちは、奴隷を購入した者を除いた全員で奴隷市場の出口を監視することにした。
奴隷を購入した者は、奴隷を組織から来ている者に渡してから、奴隷市場に戻ってきた。奴隷市場に隣接したホテルの監視を行う為だ。夕花が若く可愛い事から、買った奴がホテルに連れ込むと考えたからだ。自分たちなら間違いなくそうすると考えたからだ。
男たちは、ラウンジにいる男たちを監視した。奴隷を、自分の部屋につれていくだろうと考えていたからだ。
晴海は、男たちの行動を読み切ったわけではない。
ホテルのサービスを見ていろいろ思いついたのだ。自分たちの思い通りに行かなかった場合に、どういった行動に出るのかを考えたのだ。
奴隷市場を男たちが見張っているかも知れない。そのために、まずは中で時間を潰す事を考えた。ただ時間を潰す時に、ホテルに連れ込むのは愚策と考えていた。
すぐに外にも連れていけない。部屋に入るのも監視されている可能性がある。そんなときにサービスの中に、全身コーディネートがあり時間がかかると言われた。全身コーディネートは、奴隷が受けるサービスではない晴海は夕花にサービスを受けさせて、時間を稼いだのだ。
このホテルは奴隷市場の客向けに高級志向になっている。サービスも奴隷市場の客向けになっている。
そのサービスを奴隷が受けるとは思わないだろう。晴海は、夕花を待っている間、わざと目立つ様にホテルのラウンジのバーカウンターに座って、1人でいる姿を印象づけるようにしている。奴隷に服を買わせている客はいるが長くても30分程度で奴隷と合流してホテルの部屋に向かうか、ラウンジから帰っていく。晴海の様に、1人で数時間ラウンジにいるのは珍しい。
男たちは、晴海が奴隷を待っているのだと思って監視していたが、1時間が経過した所で男たちの監視は居なくなった。晴海も、監視が居なくなった事を感じていた。
「晴海さん。ここが部屋のようです」
晴海は、夕花に付いて行く形で部屋に入った。
最初に六条の名前で予約した部屋は最上階に近い場所だった。新しく予約した部屋は中層階にしてもらった。
「ありがとう」
夕花が解除コードをドアに流し込む。
解除コードが認証されて、ロックが外れる音がした。
【第三章 秘密】第二話 準備
「晴海さん」
「夕花。部屋で待っていてくれ。外からノックを3回したら鍵を開けてくれ」
「はい?」
「今から少しコンシェルジュに忘れた頼み事をしてくる」
「わかりました」
晴海は、夕花に先に部屋で待っているように言って、自分は一度ロビーに戻った。
コンシェルジュに頼んでおきたい事が有ったからだ。
「文月様。何か?」
「もうひとつの部屋の事を問い合わせた者が居たら教えて欲しい」
「かしこまりました。どの様にお伝えすればよろしいでしょうか?」
「端末にメッセージを遅れるだろう?」
「はい。大丈夫です」
「秘匿通信だよな?」
「当然です。警察が来ても情報開示する事はございません」
「わかった。メッセージで頼む」
「かしこまりました」
コンシェルジュはメモを取らない。
業務は覚えることにしているのだ。
「もう一点確認したい事が有るのがいいか?」
「はい。なんでございましょうか?」
晴海が確認したかった事は、ホテルから出る方法だった。
車での移動になるのだが、どうしてもホテルを出る時に尾行が付いたりする事が考えられる。考え過ぎだとは思ってはいるが、まずは伊豆地区にある別荘に移動するまでは、誰かに見られるのは避けたいと考えている。
考えられるリスクを回避したいと思っているのだ。
「文月様。申し訳ございません。従業員の出入り口を含めて、全て表通りに面しております」
「そうか、無理を言ってしまったな」
「いえ・・・。少しだけ予算がかかってしまいますが、お車だけでしたら手段が無いわけではございません。確実ではありませんが、かなり高確率で誰にも見られる事なく当ホテルと抜ける事ができます」
コンシェルジュの話では、ホテルの地下駐車場にトレーラを用意して、車を荷台に入れて運び出すという方法だ。
確かに、完全ではないが見つかるリスクはかなり少なくできる。コンシェルジュの提案に、晴海は乗ることにした。
チェックアウト予定の一日前に、トレーラを準備してもらって、早朝にトレーラを名古屋方面に走らせる。足柄のSAで車を降ろして、トレーラは名古屋まで行ってもらう契約にした。
「文月様。準備ができましたら、ご連絡いたします」
「たのむ。部屋の情報端末で受け取れるよな?」
「はい。問題ありません」
「メッセージを入れておいてくれ」
「かしこまりました」
晴海は立ち上がって、エレベータホールの方に向って歩きだした。
晴海は数歩進んでからなにかを思い出して、もう一度コンシェルジュの所に戻った。
「夕花に、情報端末を持たせたいけどダメか?」
制度的には、奴隷は主人の所有物となる。
情報端末は、個人での取引を行う為の物だ。そのために、奴隷には”基本的”に持たせる事はない。
古い時代のまだスマホと呼ばれていた頃の”チャイルドロック”に該当する機能を用いる事で、奴隷にも情報端末を持たせる事ができるようになる。
コンシェルジュは、晴海に説明した。
「端末は?」
「カタログの中に数種類あります」
「発信素子も付けられるよな?」
発信素子は、昔はSIMと呼ばれていた物だ。
通信デバイスには必要になっている物だが、発信素子に呼び名が変わった。機能面では、素子だけで通信を行う事ができるようになった。ただし、素子の起動には生体認証が必要になり初期設定時に生体登録を行った者がマスター登録者となってしまう。
実はここで問題が発生してしまう。
発信素子は、子供や奴隷がマスター登録者にならないと使う事ができない。発信素子は、単体でも”頑張れば”発着信を行う事ができるのだ、”チャイルドロック”されている端末なら、できる事を制限できるのだが、発信素子の場合にはそれができない。
「もちろんです。できますが、よろしいのですか?」
「なにが?」
「夕花様のマスター登録が必要になってしまいます」
「そうだな」
「発信素子だけで発着信できてしまいます」
晴海の質問にコンシェルジュが消極的な見解をしめしたのだ。
「問題ない。それよりも、僕の情報端末とペアリングする事はできるよな?」
「文月様の情報端末とペアリングする事はできます。操作方法はおわかりですか?」
「通常のやり方なら問題ない」
「それで、大丈夫でございます」
「わかった。ありがとう」
晴海はポケットから自分お情報端末を取り出して、コンシェルジュに見せた。
「この端末と同じ物はあるか?」
「・・・」
コンシェルジュが少しだけ困った顔をしているのを、晴海は見逃さなかった。
「どうした?」
「申し訳ございません。文月様の端末はございません。最新版の最上位機種のご準備になってしまいます」
「それでいい。二台頼む」
コンシェルジュとしては、奴隷に最新機種を勧めて、主人が旧機種を使い続けるのが問題だと考えたのだが、”二台”と言った事で、主人である晴海も交換するつもりだと解って”ほっと”したのだ。
「かしこまりました。ご準備ができましたら、お部屋にお持ちいたします」
「頼む」
今度こそ晴海は、エレベータホールに向った。
先に予約した部屋がある階に移動してから、非常階段で夕花の名前で予約した部屋がある階に向かう。
わざわざそんな事をしたのは、ロビーで晴海を見ている視線を感じたからだ。
監視されているとは思わなかったが、部屋の回数まで登られると厄介な事になりそうだと考えて、別の階に移動してから、階段を使う事にしたのだ。
晴海は、部屋を一旦通り過ぎてから、尾行や監視している視線が無いのかを確認してから、ドアを3回ノックした。
鍵がすぐに開けられて、ドアが開いた。
夕花が部屋から出て出迎えようとしたので、晴海は慌てて部屋に入った。
監視が居ない事は確認したが、リスクは少ないほうがいいに決まっている。別荘にたどり着くまでは、夕花の事は伏せておきたいと考えていたのだ。
「晴海さん?」
「ん。これからの事を話して、夕花にも考えてほしいからな」
「はい!」
夕花を伴ってリビングに腰を降ろした。
正面に夕花を座らせた。夕花は、座ってから飲み物が出ていない事に気がついて、備え付けのキッチンに向かおうとした。
「夕花。いいよ。せっかくだから、なにか食べながら話をしよう」
「よろしいのですか?」
「一緒に食べよう」
「はい!」
晴海が、部屋に備え付けられている端末を操作して、メッセージの確認を行う。
支払いが承認されたメッセージが最初に出ていた。支払い金額も表示されていた。
夕花が選んだ服の準備ができた旨のメッセージも届いていた。その中から、部屋着と寝間着を数点部屋に届けるように依頼を出す事にした。同時に、ルームサービスとしてサンドイッチを頼んだ。
「夕花。アルコールは大丈夫か?」
「飲んだことはありません」
「わかった」
晴海は、二人分のフレッシュジュースを頼んだ。
「晴海さん?」
「ん?あぁアルコールは気分じゃないからね。フェレッシュジュースなら大丈夫だろう?」
夕花が頷いたのをみて、晴海は注文を確定させた。
15分ほどで届くと表示されたので、晴海はメッセージとして、情報端末と服の準備ができたら、一緒に持ってきて欲しいと伝えた。
2分後に、メッセージで30分後に持っていくと連絡が入った。
晴海はメッセージに了承の返事を出した。
「夕花。僕は、シャワーを浴びるから、適当に待っていてくれ」
「ご一緒いたします」
「うーん。いいよ。軽く汗を流すだけだからね」
「はい」
明らかに、残念そうな表情を夕花は浮かべた。
夕花自身もなぜ自分が残念に思ったのかわからなかった。
夕花は、晴海が替えの下着どころか、着替えさえも持っていない事を思い出した。
部屋には、ガウンが備え付けられているのだが、下着を付けないで着るという選択肢を選ぶには夕花は経験値が足りていなかった。
晴海は、シャワーだけ浴びて、下着や服はそのまま着るつもりでいた。
夕花との会話が終わってから、夕花を先に寝かせてから、ゆっくりと風呂に入るつもりでいたのだ。
【第三章 秘密】第三話 会話
「夕花」
「はい。晴海さん」
晴海は、夕花を自分が座るソファーの前に座らせた。
「夕花の事を聞きたいのだけどいいかな?」
「私の事ですか?」
「そうだ」
「・・・」
夕花は、晴海がどんな答えを望んでいるのかわからない。わからないが、必死に考えた。
「どうした?」
「いえ・・・。お話できるような事はないと思います」
晴海は少しだけ困った顔をする。しかし、夕花に問題があるわけではない。晴海に大きな問題があるのだ。話を聞きたいとだけ言われて、どんな話をすればいいのか考えられる人間がどれほど居るだろうか?
晴海は、夕花に真意が伝わっていないのは解っているのだが、どうやって伝えていいのかわからないのだ。
家の事もあり、自分に近づく女性が”晴海”個人ではなく、六条の家に興味をしめしているのが解ってしまった晴海は、女性への興味を失っていた。
そこに事件である。女性との接し方や話し方が解るはずがない。
しかし、22歳の健全な男として、彼女が欲しいし、性への欲求も勿論持っている。
「うーん。夕花。夫婦として最低限の事を知りたいと思っているし、僕の事も知ってほしいと思うのだけどダメか?」
「あっ」
夕花は、夫婦という言葉に反応した。
自分が普通ではないが結婚したのを思い出したのだ。
夕花は、美少女と言って問題は無い。エステを受けた事で磨きがかかっている。
晴海ほどではないが、印象的な見た目をしている。
少しだけ釣り上がった目が攻撃的な印象を与えるが、それを体全体から出る雰囲気が和らげている。
髪の毛は、奴隷市場で首輪に繋がれていた時には、腰まで有ったのだが、今は、肩甲骨くらいで綺麗に切りそろえている。夕花としては、バッサリ切りたかったのだが、エステを担当した女性が”ご主人様の意向を聞いてからのほうがいいですよ”と助言をくれて、それに従ったのだ。
古来の日本人と同じ直毛黒髪の夕花は、エステで髪の毛の色を聞かれたがどうしていいのかわからないので、そのままにしている。
エステは薄手のワンピースのような物だけを羽織って受けたのだが、すごく恥ずかしかったのだけは覚えている。
全裸になる事は恥ずかしくはなかった。奴隷となった時から見られたりする事は諦めていた。
しかし、恥ずかしくなってしまったのだ。夕花はエステを受けたときに、身体から擦っても擦っても垢が出てくる事が恥ずかしかった。全身の毛を綺麗にされた事が恥ずかしかったのだ。夕花も年頃なので、脱毛は気にしていたのだが、脇は脛や腕や手の脱毛は自分でやっていた。
エステではそれこそ全身の手入れをされたのだ。そして、エステティシャンがまとめた毛を見たときに羞恥心が芽生えてしまったのだ。毛の中にはかなり長い縮れた毛も混じっていたのだ。
そしてなぜか、買ってくれた主人の顔を思い出して、垢だらけの身体や伸び放題になっていたムダ毛を見られなくてよかったと思っていた。それが、どんな感情に由来するのもなのか、そのときの夕花には判断ができなかった。
このときにはまだ、夕花は晴海の事が理解できていなかった。若い女だから買ってくれたのだと思っていた。
しかし、晴海は夕花の見た目が気に入って購入したわけではない。ましてや、若い女性だからではない。結婚したのは、若い女性で養子縁組を結ぶには年齢が近すぎると思ったので、婚姻という手段をつかっただけなのだ。
「夕花?」
「ごめんなさい。勘違いをしていました」
「勘違い?」
「はい。晴海さんが、私の”特記事項”をお聞きになりたいのかと思ってしまいました」
「うーん。それを聞きたくないと言ったら嘘になるけど、夕花が話したいと思ったタイミングでいい。それよりも、夕花の事を教えて欲しい」
「私の事ですか?」
「そ、僕の奥さんの事だよ」
「あっ」
晴海は、少しだけ天然の要素がある。
今のセリフも、キザになって言ったセリフではない。素で思った事を口に出しただけなのだ。
しかし、それを聞いた夕花は、少しだけ考えてから言葉の意味を考えてしまった。
夕花も年齢程度には知識を持っている。少しだけ偏った知識になってしまっているのはしょうがないと思うのだが、夕花が考えた”奥さん”に関して知りたい事が、性の方向に傾いてしまった。
そして、自分が奴隷だという事で、求められているのだと考えたのだ。
「ん?」
晴海が、肯定したのだと思った、夕花は恥ずかしいという思いが有りながら、晴海に全部を告げる事にしたのだ。
「晴海さん。僕、初めてですが、その・・あの・・自分では触ったりしていたのでできると思います。おっぱいは、そんなに・・・大きくないのですが、エステのお姉さんには柔らかくて色も綺麗だと褒められました。その・・あの・・指を入れた事もあるので・・初めてじゃないかも知れません。その、男性の・・・あの・・・見たことは無いのですが、授業で教わった事や、学校の女の子たちが話していたのを聞いたのでわかります。うまくはできないとは思いますが、教えてくれたら何でもやります。痛いのはイヤですが大丈夫です。あの・・・お尻も使いますか?今日はエステで綺麗にしてもらったので・・・。僕・・・あの1人でする時に、女性が乱暴にされるような事を想像して・・・していたので・・・多分Mだと思います。晴海さんに・・・あの?晴海さん?」
夕花は、俯いたまま一気に”自分が考えた奥さんの事”を一気に話した。
普段は、”私”という一人称を使っていたのだが、子供の時から使っていた”僕”という一人称が緊張と恥ずかしさから出てしまった。
話し終わってから、目の前に座る晴海の顔を見たら、キョトンとした表情をしていたのを見て、自分がなにか勘違いしていたのではないかと思ってしまった。
「夕花。それも知りたかったけど、他の事も知りたい。さっきの話しは、夜寝るときにまた話そう」
「・・・。はい。ごめんなさい」
自分が間違えた事もだが、聞かれても居なかった、性癖の事や1人でしていた事を、晴海に話してしまった事がすごく恥ずかしくなってしまった。これなら、裸を見られたほうがまだマシだと思えてしまうくらいに恥ずかしくなった。夕花は、自分の体温が1~2度程度上がったのを認識して、余計に恥ずかしくなって俯いてしまった。
「僕も経験があるわけじゃないから、夕花を満足させられるかわからないけど、いろいろ試すからね」
晴海は、話しに乗る形で夕花の反応を楽しんでいる。
少しだけ驚いた夕花は、晴海の顔を見てしまった。自分が顔を赤くしているのを認識していても、晴海が言った”僕も経験があるわけじゃないから”という言葉の真意を聞きたかったのだ。夕花は、晴海がお金を持っているのは知っている。そのお金持ちが、女性経験が無いとは思っていなかった。
しかし、目の前に座る男性から”経験がない”と言われて、何故かわからないが嬉しいと思えてしまった事が不思議だった。自分の感情を確認するためにも、晴海の顔をみたのだ。
「晴海さん?」
「ん?なに?」
「いえ、なんでもありません。それで、どんな話を・・・」
「うーん。夕花は、学校に行ったのだよね?」
「はい。小学校と中学校と高校には行きました」
「大学に行きたいと思った?」
「無理だと思ったので、諦めました」
「それは、金銭的な事?」
「はい」
「今から大学に通う?」
「いえ、晴海さんと一緒に居たいと思います」
「そうか・・・。それなら・・・少し待ってね」
「はい?」
晴海は、まだ切り替えていない自分の情報端末を取り出して、数少ない味方だと思える弁護士に連絡をする。
晴海が通話しているのを、夕花は不思議な顔で見守っている。
時折自分の名前が出るので、自分に関係がある事を話している事だけがかろうじて認識できていた。
10分くらい晴海は説明と今後の方針と頼み事をした。
まずは、大学への入学手続きを行う事だ。俗に言う裏口入学だ。晴海は自分と夕花二人の入学を頼んだ。大学は、六条家が管理している大学なので、厳密な意味では裏口ではない。推薦枠を増やして、推薦で入学できるように調整してもらう事だった。
丁度晴海が通話を切ったときに、コンシェルジュに頼んでいたものが届いたようだ。
「丁度よかった。夕花」
「はい」
「発信素子の使い方は解る?」
「・・・。いえ。教えていただければできると思います」
可愛く首をかしげる夕花に、晴海はコンシェルジュが持ってきた、発信素子と情報端末を渡す。
自分が使っていた、情報端末から発信素子を取り出して、新しい端末にセットした。夕花も、晴海に聞きながらセットアップを完了させた。
「それじゃ、夕花はその端末を使ってね」
「え?」
「ん?」
「よろしいのですか?」
「連絡ができないと困るからね。それに、夕花の位置や状態が解るから、僕としてはこのほうが嬉しいよ」
「わかりました。ありがとうございます」
お互いに連絡先の交換を行った。
晴海は、それ以外に必要な連絡先を移行しながら、夕花を見ていた。
「どうされましたか?」
見つめられている事に気がついた夕花は、端末から目を離して、晴海を見つめる。
晴海が何か言いかけたときに、晴海の端末に着信を知らせるメロディーが鳴った。
【第四章 襲撃】第一話 監視
晴海は着信を確認してから、通話モードに切り替えた。
「何かあったのですか?」
着信は、コンシェルジュからだ。
「文月様。夜分に申し訳ありません。先程、親戚を名乗る者が夕花様の事を問い合わせてきました」
晴海は夕花を見て、少し考えた。
不思議に思った事が2点ある。
「なぜ夕花だと?」
「はい。具体的に、写真を見せられました。当ホテルのエステを使われる前の夕花様に似ていらっしゃるお写真でした」
「夕花の名前を聞いたのか?」
「いえ、写真だけを見せられました」
「それで?」
「お泊りになっていないとお答え致しました」
「わかった。それは、どんな奴だった?複数か?」
「お一人でした」
「そいつの映像はあるか?」
「ございます。監視カメラが撮影した映像ですがよろしいですか?」
「十分だ。回してもらう事はできるか?」
「はい。後ほど、端末に送付いたします」
晴海は、もう一度夕花を見た。
「夕花を訪ねてきた者が居たようだが、奴らでは無いようだな」
「え?」
晴海は、夕花の名前を訪ねなかった事から、奴等である可能性は低いと考えた。
奴らなら、奴隷になる前の名前を知っている事が考えられる。それで問い合わせれば、親戚を名乗る時に真実味を持たせる事ができるからだ。
また、1人で来ている事から、警察の関係者である可能性も低いと考えている。
「監視カメラの映像が送られてくると思うから・・・おっ送られてきた」
「・・・」
「知っている顔か?」
「いえ・・・」
「どうした?何か気になるのか?」
夕花が何かいいかけて辞めた事が晴海は気になった。
何か、隠しているとは思わないのだが、何か思い当たる事が有るのかもしれない。
「記憶が違っているかもしれませんが・・・」
「あぁ」
「兄の親友と言って来た人に似ています」
「そうか・・・。それなら、本当に、夕花の事を心配していたのかもしれないな?どうする?会うか?」
「いえ、必要ありません。私は、晴海さんの奴隷です」
「違う。俺の家族だ。いいか、夕花。俺も約束は忘れない。だから、夕花も約束は忘れるな」
「・・・。はい。申し訳ありません」
「いい。わかってくれれば・・・。いい。それで・・。まぁいい」
晴海は、夕花が自分から話してくれるまで待つつもりで居る。
夕花は、晴海が聞いてくれれば答えるつもりで居たのだが、お互いがお互いの事を考えてしまって、説明するタイミングを逃してしまったのだ。
それでも、晴海は夕花の事情をある程度は認識している。
奴隷を購入して手続きをするときに、筋の悪い所からの借金や関係があったら問題になってしまう。そのために、夕花自身の事情は説明されていたのだ。あくまで、他者から見ての事情説明だが、まったく知らない状態ではない。しかし、晴海は自分から夕花に話すつもりはない。情報は、所詮情報で実際に夕花が”どう”思って、”どう”感じたのかが大事だと考えている。
「晴海さん」
「ん?」
「もし・・・。兄が、目の前に来たら・・・。いえ、なんでもありません。兄は、母と父を殺して、逃げました。ただの犯罪者です。捕まえて・・・。ください」
「わかった。俺の好きにしていいのだな?」
「え?あっお願いします。組織にも属していました、すぐに切り捨てられる下っ端でしたが・・・」
「そうか・・・。ありがとう。夕花」
「え?(晴海さんは優しすぎます。ありがとう・・・なんて言わないで欲しい・・・です)」
自分の思考に入ってしまった晴海には、夕花のつぶやきは届いていない。
一本の連絡から、二人のはじめての夜は終わってしまった。
晴海は、少し考えたいと言って、寝室に入る事なくビジネスルームに入って情報端末を操作して過ごした。
そしてい備え付けられているソファーで朝を迎えた。
「誰が・・・。夕花しかいないか?」
朝起きた時に、晴海は自分にかかっていた毛布を嬉しそうに眺めていた。
ソファーで寝てしまうのはよくある事だ。いつもなら部屋に厳重なロックをかけてから寝るために誰かに毛布をかけてもらう事など無い。昨晩は、ホテルに宿泊したために部屋にはロックはかけていなかった。
晴海は毛布を持ってリビングに向かう。
そこには、昨日購入した服に身を包んだ夕花がソファーに座って待っていた。
「おはよう。毛布・・・。ありがとう」
「おはようございます。気が付きませんで申し訳ありません。朝ごはんはどうされますか?」
「夕花はどうした?」
そのタイミングで、夕花のお腹が可愛く鳴った。
耳まで赤くして俯いてしまう夕花の頭をポンポンと叩きながら、晴海は端末を操作する。
「昨日の今日だ、奴らの監視があるかもしれない。ルームサービスでいいよな?」
「はい」
端末を操作して、ルームサービスの中から所持を探して、遠慮する夕花を説得しながら、朝食を注文していく。
「晴海さん。私、そこまで」
「夕花。遠慮するな」
「いえ、遠慮ではなく、本当に、そんなに食べられない」
また、夕花のお腹が自分の発言を否定するように鳴った。
「ほら、いいから。別荘に行けば、夕花に作ってもらう事になるのだから、今はルームサービスを食べよう」
「・・・。はい」
観念して、注文をする。
晴海は、粥とフレッシュジュースを注文した。夕花は、おにぎり2個と温かい緑茶を注文した。
10分位して、ルームサービスが届けられる。
わざわざ廊下に出なくても、リビングで受け取る事ができる。二人揃って、リビングで朝食を摂る事になった。
夕花は、固辞したのだが、晴海が”一緒に食べろ”と命令する事で、晴海が座る反対側に座って食べる事になった。
晴海が、夕花に命令したのはこれが初めてなのだ。夕花もわかっている事なのだが、はじめての命令が”一緒に食べろ”だったとは思わなかった。
”くすり”と笑ってしまった夕花を、晴海は不思議な表情で眺めていた。
晴海も、夕花がおにぎりを両手で持って食べる姿を眺めていた。
そして、家族が居た時の事を思い出していた。六条家は、名家では有ったが家族の仲は悪くなかった。忙しく働いている両親も、時間が有るときには揃って食事をする。家政婦も居たのだが、母親の手作りの料理を食べる事もあった。
そして、夕花のおにぎりの食べ方が、殺された弟と同じなのだ。
「晴海さん?」
「どうした?」
「え?あっなんか、私・・・。おかしいですか?」
おにぎりを食べている所を凝視されれば、誰だって自分の食べ方がおかしいと思われているのだと考えてしまうだろう。
「すまん。その・・・。な。おにぎりの食べ方が、知っている者と同じだったから見てしまった」
「・・・。そうだったのですが・・・。申し訳ありません」
「ん?何を謝る事がある。それよりも、朝食を食べよう」
不思議そうな顔をする晴海を今度は夕花が凝視してしまった。
夕花は、自分が不幸だとは思っていない。こうして、朝食が食べられているのだ。それに、目の前に座っている青年は、10人の女性が居たら6人は振り返る程のイケメンなのだ。そして、夕花は知らないのだが、晴海の総資産を聞けば10人中8人が晴海に言い寄ってくることなるだろう。
いい意味でも悪い意味でも目立つ容姿を晴海と夕花は持っている。
夕花が後片付けをしている最中に、晴海は端末を操作して、ホテルの情報を眺めている。
主に、非常階段や避難経路だ。ホテルの施設に関してもチェックを行っている。全ての施設で通常使う出入り口とは別に、業者や従業員が使うのだろう裏口的な出入り口がある事が施設案内からわかった。
「晴海さん」
「なに?」
「紅茶と珈琲がありますが、お飲みになりますか?」
「紅茶は何?」
「え?」
慌てて、銘柄を確認して、晴海に告げた。
「そうか、茶葉?ティーパック?」
「両方あります」
「それなら、アッサムを茶葉で頼む。蒸らしとか気にしなくていい。砂糖はいらない。ミルクを用意してくれ」
「わかりました」
5分後。
ティーポットと温められたカップを一組持って、夕花は晴海の所に戻った。
「ん?夕花は飲まないのか?」
「はい」
「嫌いなら無理に進めないけど、遠慮はしないようにしなさい」
「・・・。はい」
「夕花?」
「ご一緒してよろしいですか?」
「勿論だよ」
もう一組のカップを夕花が持ってきた。晴海は、夕花を正面ではなく隣に座らせた。
砂時計の砂が全部落ちたのを確認して、ティーポットを持ち上げた。
「晴海さん。私がやります」
「いいから。いいから」
そう言って、晴海は自ら自分のカップと夕花のカップに順番に紅茶を注いだ。
最初はカップの1/3程度まで注いでから、交互に紅茶を注いでいった。
「夕花は、ミルクを入れる?」
「はい」
「砂糖は?確か、ガムシロもあったよな?」
「はい。お持ちしますか?」
「俺は、いい。夕花がほしいのなら持ってきてくれ」
「私は普段からミルクだけで無糖で飲んでいました」
「一緒だな」
そう言って、微笑んだ顔を夕花に向けた。
晴海の微笑んだ顔を初めて見た夕花はなんだか嬉しい気持ちになった自分に驚いていた。そして、その感情の正体がわからないモヤモヤした気持ちで、美味しい紅茶を両手でカップを持って、ちびちびの飲んだ。
晴海は、そんな夕花を見て何故かわからないが懐かしい気分になっていた。
二人の因果が繋がるのには、もう少しだけ時間が必要になるのだが、紅茶で喉と気持ちを潤している二人はまだ考えても居なかった。
【第四章 襲撃】第二話 情報
夕花は少しだけ考えていた。
晴海が、自分を主寝室に呼ぶのではないかと・・・。
紅茶を飲み終わって、二人の間に沈黙が訪れる。
両者とも人付き合いが得意な方ではない。
晴海は、それなりの経験はあるが、人付き合いという面では受け身だ。
当然だろう。金持ちの子息なので、周りが勝手に興味を持って話しかけてくる。晴海の興味を引くためにいろいろな話題を振ってくるのだ。自分から話題を振るような必要は夕花と話をするまで必要なかった。
「晴海さん」
「なに?」
「今日は、どうされますか?」
晴海は時計を見る。
(今度、ウェアラブル端末を用意するか?)
「そうだな。夕花。風呂にでも行くか?」
「え?」
「なんでも、このホテルは大浴場があるからな」
晴海は、ホテルの情報を見た時に、大浴場を見つけていた。
正直、行くつもりはあまりなかったのだが、夕花が風呂に入るのでは?と、考えて話をしたのだ。
「いえ、私はエステで・・」
「そうだったな。大浴場は明日以降にしよう」
「はい」
夕花は、大浴場には興味が持てないでいる。
確かに、大きなお風呂は魅力的だったが、それでは、夕花が晴海の背中を流す事ができない。家族風呂のような場所があればいいのだが、このホテルには混浴ができる風呂施設は用意されていない。
混浴施設は厳密な意味では無いのだが、実は大浴場を貸し切る事ができるのだ。
晴海は、時間があれば大浴場が空いている時間を聞いて、貸し切ってもいいと考えていた。
「それじゃ寝るか?」
「はい」
「あっ夕花は、先に休んでくれ」
「え?」
「少しやる事が残っているから、それを片付けてから寝るから、先に寝ていてくれ」
「はい」
「あっ!もう一杯紅茶をもらえるか?」
「かしこまりました」
夕花は、指示された事もだが自分に仕事が与えられた事が嬉しかった。誰かに必要とされていると感じる事ができるからだ。些細な事だが、自分にもできる事があるのだと考える事ができる。
紅茶を手早く入れてから、晴海に指示されたとおりに、主寝室に入っていく。
晴海は、夕花が主寝室に入っていくのを見届けてから、情報端末を立ち上げた。
遮音カーテンを引いてから、奥の部屋に入った。
夕花に声が聞こえないようにするためだが、晴海は聞かれてもいいと思っている。
すでに何度か連絡しているコールナンバーを入力する。
相手もこの時間に連絡が来るのがわかっていたのか、すぐにコネクトされた。
「能美さん?」
『坊っちゃん!』
「坊っちゃんは止めてくれ」
『そうでした。御当主様』
「能美さん!怒りますよ」
『ハハハ。それで、晴海様。目的の物はご入手できたようですね』
「どうだろう?それでどうだ?」
|能見|忠義。
晴海の数少ない味方だ。六条家に代々仕えている。御庭番だと言えばわかるだろう。全滅に近い状況の御庭番の中では最高位で数名の手足を持っている。六条家の当主に仕える者としてもだが、能見は晴海の幼少期の家庭教師もやっている。教育係だった側面も持っている。
そして能見は弁護士資格を持っている変わり者だ。表と裏の顔を持つ能美が晴海の数少ない味方で最大の剣だと言える。
『大学は問題ありません。どこにしますか?』
「どこ?そんなにあるのか?」
『晴海様。いい加減、ご自身の資産を把握してください。伊豆に移られるのですよね?』
「資産?その為に、能見さんが居るのでしょ?伊豆の別荘なら街道から家まで一本道で都合がいいだろう?」
『そういうことですか・・・。それなら、駿河にある大学はどうですか?』
「能美さん。どうやって駿河まで通えと?」
『晴海様。それこそ、夕花様の所有スキルを見てないのですか?』
晴海は、そう言われて夕花の特記事項以外見ていなかった事を思い出した。
「そうか・・・。でも、駿河湾は、1級が必要だろう?横断するのには?」
『はい。この際ですから、夕花様に勉強して取得してもらいましょう』
「わかった、明日、夕花に話す」
『免許の名義変更も必要でしょう』
「あぁそうだな。夕花の免許って失効しないのか?」
『ハハハ。晴海様。そんな事をしたら、人権団体が鬼の首を取ったように騒ぎ出しますよ』
「・・・。それもそうか、能見さん。任せていいか?」
『勿論です』
奴隷となった場合でも、奴隷になる前に取った資格は有効になっている。
奴隷になった時点で、名義人は”不明”となってしまうのだが生体認証は消されていない。その資格情報に名義登録するだけだ。奴隷市場ではやってくれない。主人が名義登録する必要がある。塩漬けされた資格は、更新料を払えば復活する事ができるが、その時に試験を必要とする場合もある。
「能美さん。夕花の他の資格も頼みます」
『わかりました。全部の資格を更新でいいのですか?』
「そんなにあるのか?」
『多くはありませんが、いくつかあります。自動二輪もありますね』
「わかった。頼む」
『承りました。資格や免許データはどうしますか?』
「あぁあとで、夕花の情報端末を教える。そっちに頼む」
『わかりました』
能美は、晴海から頼まれた事の作業を処理していく。
晴海と言うよりも、六条家専門の弁護士なのでできる事だ。忠誠心というのとは違う、信頼関係で結ばれた二人なのだ。
そして、六条家の事件の時に何もできなかった事から、晴海のやろうとしている事に全面的に協力しているのだ。
『あっそうだ。晴海様。ご結婚おめでとうございます』
「能美さん。今、それをいいますか?」
『えぇ文月晴海様』
「さすがに早いな」
『そりゃぁ勿論、愛する。晴海様の事ですからね』
「お前な・・・。絶対に、夕花の前では軽口は叩くなよ」
『わかっております。でも、思い切った事をしましたね』
「丁度いいだろう?」
『そうですね。あんな方法で、名字を変えるとは思っていませんでした』
「合法だろ?」
『えぇ今までやった人が居ないのが不思議なくらい自然な方法ですね。それにしても、文月ですか・・・』
「あぁ面白いだろう?」
『そうですね。よりによって、文月を名乗るとは思っていないでしょう。あっ各種変更はお任せください。処理を行います』
文月。
晴海は、夕花に”母親”の旧姓と説明したのだが、それは嘘ではない。母親の実家が使っている性なのだ。
晴海も能美も、六条家を襲撃した奴等を手配したのは、文月の家だと考えている。
六条家の屋敷は、昔の城下町風になっている。
真ん中に行けば行くほど六条と関係が深い者たちが生活をしている。そんな六条家の本家での祝い事が狙われたのだ。外部からの客は招いていない。内輪だけの催事だったのだ。勿論、文月家は、晴海の母親の出身だが六条ではない為に参列は許可されていない。
六条の屋敷にも家を持っていない。ただ、|前当主の計らいで、屋敷の外に敷地と家を与えられていた。
文月家は、地方都市では力を持っているが、それだけの家だ。
そして、当主が交代した事で、屋台骨が揺らいでいたのだ。晴海が死んでいれば、文月家にも関係者として、多少の遺産が転がり込んだ可能性がある。六条家の遺産の1%でも転がり込んでくれば、数百億が懐に入ってくる計算だ。屋台骨が揺らいでいる文月家は是が非でも欲しい金額だったのだろう。
それだけではなく、当日の動きも怪しかった。六条の催事に合わせるようにして、文月の屋敷でも催事が行われていて多数の客を招いていたのだ。
|前当主も、文月が怪しいと見て能美たちに調査を命令しようとする矢先の事件だったのだ。
「どう出ると思う?」
『わかりませんが・・・。晴海様を探されるでしょうね』
「それは、それは、頑張ってもらおう。道での攻撃許可は?」
『可能です』
「能美さん。夕花の事だが」
『はい。裏社会から狙われていますね』
「どこだ?東京系か?山陰系か?西南系か?大陸系か?」
『いえ、半島系です』
「半島?間違いではないのか?」
『はい。晴海さんから送られてきた画像を解析しました。間違いないと思います』
「ほぉ~。それは嬉しいな」
『そうですね』
六条家を襲った奴等の情報は、警察と軍部に握られていて詳細は秘匿されてしまっている。だが、文月家が裏の仕事で使っているのが半島系である事や、能美が調べた情報から半島系で間違いないと思われている。
『他には何か?』
「そうだ。駿河に行く為の足の準備をしてくれ。港への許可も必要だろう?」
『手配します』
「文月夕花で申請を出してくれ」
『わかりました』
「いいか、物は夕花が操作するのだからな。それを踏まえた物にしろよ。外見はそれなりの物にしろよ」
『わかっていますよ。私の愛しの晴海様を奪った夕花様の為ですからね』
「お前な・・」
『いつもの所から使っていいですよね?』
「あぁまだ大丈夫だろう?」
『十分です』
その後、晴海と能見はお互いの情報を交換して、通信を切った。
(ふぅ。まさか同じ糸だったとは・・・)
晴海は大きく伸びをした。
時計を確認したら、1時間近く通信していた事に気がついた。
冷めてしまった紅茶で喉を潤してから、寝る事にした。
夕花が入っていった部屋はロックなどされていない。
扉を開けると、夕花はベッドの端っこで丸くなって寝ていた。
晴海は、ベッドに腰掛けて、夕花の髪の毛を触ってから、夕花の身体をベッドの真ん中に移動させた。
そして、主寝室から出た。
【第四章 襲撃】第三話 考察
晴海は、夕花が寝ているのを確認してから、部屋のリビングに戻った。
情報端末には、次々と能見に頼んだ仕事が完了した情報が表示されていく。
(流石だな。仕事が早い)
晴海はローテーブルに、キャビネットから取り出したウィスキーを取り出す。キャビネットを探すが、欲しいもう一つの酒が見つからない。
ホテルのルームサービスで、氷とアマレットを注文する。普段は、飲まないが今日くらいはいいだろうと思ったのだ。
すぐに、先程対応したコンシェルジュが氷とアマレットを持ってきた、ロックグラスと短めのバースプーンも持ってきていた。晴海が何をするのか解っているような対応だ。
「ありがとう」
コンシェルジュは何も言わずに頭を下げて扉を閉めた。メジャーカップはなかったが、そこまで厳密に作ろうとは思っていなかったので問題はなかった。
晴海は、ウィスキーとアマレットを三対一になるようにロックグラスに注ぎ、氷を入れてから軽くステアをする。
出来た『ゴッドファーザー』を、窓から街の明かりを見ながら喉に流し込む。
アーモンドの風味が濃厚なウィスキーの香りを交わって、鼻から抜けていく。
「ふぅ・・・(父さん)」
グラスを目の高さまで持ち上げて、ゆっくりとおでこにグラスを当ててから、目を閉じる。
「献杯」
晴海なりの”献杯”なのだ。父親が好きで飲んでいたカクテルだ。本来なら、父親とグラスを合わせたいのだろう。もう実現できない。”形だけでも”と考えたのだ。
残りを、飲み干してから、グラスをローテーブルに置く。連続で飲む気分ではない。
「父さん。すべてが終わったら、もう一度・・・。飲もう。今度は、母さんも一緒だ」
晴海は、能見から送られてくる情報と、コンシェルジュから貰った情報を比べている。
(脱出方法は、用意した。コンシェルジュが敵方に落ちた時を想定して、能見さんにも手配しておこう)
能見にメッセージを送った。すぐに返事があり、ヘリを用意出来ると言われたが、ヘリでは降りる場所が難しくなってしまう。それよりも、ホテルの近くに自動二輪を用意して貰った。晴海も夕花も中型なら乗れる免許を持っている。オートドライブの車なら簡単に振り切れるだろうし、オートドライブを切った車でも逃げ切れる可能性は高い。使わなければ、日常使いの足にすればいいと考えたのだ。
10分後に、能見から準備が完了したとメッセージが到着した。鍵は、両方とも発信素子で認証されているので、晴海と夕花の持っている情報端末が鍵の代わりになる。使わなかった時の対応をメッセージで送信して、ひとまず逃走はなんとかなるだろうと思えた。
(夕花を追っている奴らと、文月に繋がる糸が同じだったとは・・・)
情報端末に着信を知らせるメッセージが表示される。
「能見さん。何かありましたか?」
『愛しの晴海さんが寂しい思いをしているのではないかと思いまして、それと奥様との閨を邪魔して差し上げようと思っただけです』
「・・・。能見さん。戯言を言うだけなら切りますよ。そして、しばらく着信拒否します」
『愛しの晴海さんを、取られてしまった。傷心の私にひどい仕打ちだ。あっ遺産相続の問題は、明日にも終了します』
「能見さん。ありがとうございます。お手数をおかけしました」
『愛しの晴海さんの頼みですから頑張りました。ご褒美は、熱い抱擁でお願いします』
「規定の料金をお支払いいたします。それだけではないでしょ?」
『さすがは、愛しの晴海さん。私の心を解って頂けて嬉しいです』
「能見さん?」
『文月の方々が動き始めています』
「ほう。それは、それは、おじさんもお忙しくしているのですね」
『えぇそうですね。本業を頑張っていただければ嬉しいのですがね』
「切り崩されそうな人は居ますか?」
『本家筋では大丈夫です。全家が、晴海さんに忠誠を誓うと宣言しています』
家として忠誠を誓った。六条に忠誠を誓うと・・・。
「味方だと確定した家は?」
『|市花だけです』
家としては当然として、市花は”晴海”に忠誠を誓うと宣言したのだ。市花の人間を掌握して、内通者が居ないと確定した。
「市花家に、しばらく動かないように伝えてください。それから、俺のコールナンバーを伝えてください」
『わかりました。他の家は?』
「しばらく泳がせまそう。文月のおじさんだけで出来る範疇を超えていますから、内通者が居るはずです。あぶり出してください」
『はい。草を動かしますが、ご許可を頂けますか?』
「解った。忠義。六条家当主として命じる。前当主の命を奪った事件とそれに連なる事案での内通者をあぶり出せ。見つけ次第、拘束しろ。俺の前に引きずってこい。手足を切り落としても構わない。でも、絶対に殺すな」
『はっ。ご命令、しかと承りました』
能見との通話を切って、ソファーに身を委ねる。
市花家は、六条家の表を支えている事業の一つを受け持っている。規模が最大なので、味方と確定したのは単純に嬉しかった。
後、4家。|新見家。|寒川家。|城井家。|合屋家。
この中に裏切り者が居る。もしかしたら、一つの家でない可能性だってある。六条は大きくなりすぎたのだ。晴海の個人資産だけでも、7、000億以上ある。月々の収入も5,000万を下回らない。5家からの上がりだけでもかなりの金額になる。それに、六条家が独自に行っている事業も存在している。総資産は、晴海はいくらになるのか知らない。いずれ、把握しなければならないのは解っているが、まずは落とし前をつけるのが先だと思っているのだ。
半島系のシンジケート。
今、晴海が握っている奴らに繋がる|糸は、それだけだ。襲撃させて、捕まえて、情報を引き出す方法も考えたが、晴海は無理だと判断した。捕縛する方法が思いつかなかった。もう一つが、末端を捕まえてもさしたる情報が得られない可能性が高いと考えている。リスクに見合う情報が得られなければ、実行しないほうがいいだろうと思い却下した。
そこに、夕花の|糸が絡みついてきた。
夕花に詳しい話を聞く必要があるが、メンツで夕花を探して拉致しようとしているのなら、ダメだが、最終的な目的が”金”を得るためなら、夕花の糸に集まってきた組織の人間を買収したいと考えているのだ。同じ糸が同じ組織なのかわからない。繋がりは持っている可能性が高いのだ。金で引き込めるのなら、引き込んでしまいたい。晴海は夕花の話を聞いていない。夕花を狙う組織も後に引けない状況になりつつあった。
「晴海さん」
「夕花。起こしてしまった?ごめん」
「いいえ。晴海さんは、まだお休みにならないのですか?」
「うーん。考えたい物事があったからね。でも、もう寝るよ。夕花はどうする?」
夕花は、ローテーブルの上を見て、晴海を見る。
「片付けをしてから休ませていただきます」
「わかった。その前に、一杯だけウィスキーを注いで貰える?」
「私が注いでよろしいのですか?」
「うん。夕花に注いで欲しい」
「わかりました。初めてなので、量がわかりません。どの程度の量を注げばいいのでしょうか?」
晴海は、笑いをこらえながら、夕花にウィスキーの量の指示を出す。
「そうそう、氷を先に入れて」「はい」
「うん。その位でいいよ。ロックグラスの時には、夕花の指なら3本分くらいがいいかな?うん。そのくらいでいいよ。2本半って所だね」「はい」
「そうしたら、バースプーンで軽くかき混ぜて」「はい」
「うーん。下から上に持ち上げるようにして音を立てないように回せばいいよ」「はい」
真剣な表情で聞いて実践している夕花が可愛いと思えたのだ。
「晴海さん。どうぞ」
「ありがとう」
晴海は、夕花からロックグラスを受け取って、アマレットの匂いが少しだけ残るグラスに注いだウィスキーを一気に飲み干した。
「夕花。おいしいよ。ありがとう」
「晴海さん・・・」
夕花は、晴海がウィスキーを一気に飲んだので驚いた。それから、褒めてくれたのは嬉しいが、うまく出来たのか不安だった。注いでかき混ぜるだけが、こんなに神経を使うのだと知らなかったのだ。
そして、今度こそ一緒に寝るのだと思って緊張してしまったのだ。
しかし、晴海は夕花の寝室に移動したが、主賓室のベッドは夕花に使うように言って、自分が控え室にあるベッドを使おうとした。慌てて、夕花が晴海を引き止めたが、一人で考えたいことがあるので、今日は一人にしてくれと言い出したので、夕花が控室に移動した。
【第四章 襲撃】第四話 観察
夕花は、朝の6時に目が覚めた。二日目の夜も何もなかった・・・はずだ。今までとは違う柔らかいベッドで寝ていた。白く綺麗な天井。カーテンから差し込む優しい光。すべてが、しばらく感じられなかった物だ。そして、自分が”奴隷”として|六条晴海に買われたのを思い出した。
(昨日も、何もされなかった)
2日連続だと自分に魅力がないのかと思えてしまう。
夕花は、ベッドからゆっくり起き出した。夕花は、控室にあるベッドに入る時に、晴海から呼び出された時の為に、下着を脱いで寝ていた。寝る時に脱いだ下着を見つめてから、新しい下着を手にした。どうしたらいいのか考えてから、下着を身に付けた。”性奴隷”になることも承諾しているので、怖くはあるが構わないと思っている。出来るなら、晴海にだけにしてほしいという気持ちはある。
寝る前に見せた晴海の表情を思い出して、不遜にも可愛いと思ってしまったのは自分の胸の中に締まっておこうと思った。
(そう言えば、晴海さんから渡された情報端末・・・)
二日前に渡された情報端末を見る。
夕花は詳しくはないが、最新機種で最上位機種ではないかと思っている。持った感じが、今まで自分が使っていた情報端末とは違っている。操作したときの反応も快適で反応も早い、なにもかもが違う。新しいおもちゃを与えられた子供のように、夕花は情報端末を操作した。
登録している連絡先は、主人である晴海の端末だけなので、メッセージの確認は後回しにした。
(晴海さんが、メッセージを・・・。そんな事はないよね?)
メッセージアプリを起動した。初めての起動だったので、発信素子を使った認証と生体情報コードが必要になる。上位機種では、個人情報をしっかりと守られる仕組みになっている。
発信素子の認証は、晴海が行ってくれている。
(全部のアプリは必要ないけど、必要になりそうなアプリは認証を通しておいた方がいいわよね)
夕花は、必要になりそうな地図アプリや撮影アプリや同期アプリを有効にする。認証が必要になったが、方法は晴海に聞いていたので、夕花もなんとか認証を通せた。特に、同期アプリは行政機関との連動に必須になってくる。奴隷である夕花には必要にならないが、晴海の情報端末との連動には必要になるので、認証を通した。
メッセージアプリの認証、生体認証と連動させる必要がある。夕花の奴隷以前に使っていた生体認証コードは破棄されている。
勝手に、生体認証コードを取得するのはまずいと考えて、晴海が起きてから相談することにした。
(え?)
サイドテーブルの上にメモが置かれていた。
”夕花。生体認証コードを置いておきます。必要になるでしょうから使ってください”
そこには、たしかに生体認証で必要になるチップが置かれていた。チップは封が切られていて、生体認証コードが入っている状態なのが解る。
(どうやって?)
夕花は、疑問に思った。
生体認証コードの取得には、チップに血液や唾液を使って生体情報を取得してから、コード発行を依頼しなければならない。一般的な方法は、チップを口の中に含んで2-3分、待っていれば生体認証コードが取得出来る。
チップを持ち上げると、もう一枚のメモが有った。
”夕花の生体情報は使っていないので、このチップを使っても、夕花の所在は解析されません。私の情報でもないので安心してください”
(え・・・。でも、晴海さんからの指示ですから・・・)
夕花は、情報端末にチップを組み込む作業を行う。初めてだったが、すんなりと出来て、生体認証コードが情報端末に組み込まれた。
メッセージアプリの認証を通す作業を行った。
(え?)
夕花の情報端末に、メッセージが大量に届き始める。奴隷になったので失効したと思っていた資格の再発行の手続きが終わったという知らせだ。自分でも覚えていない資格もあるが、これから必要だと思える資格が使えるようになったのは素直に嬉しい。
(晴海さんが手を回してくれたの?私のため?違う。晴海さんの目的の為に、私の資格が、スキルが、必要なのだ!)
必要とされた可能性を考えれば素直に嬉しかった。
最新のメッセージは、晴海からの物だった。
”夕花。今日は昼まで寝るので、起こさないでください。外に出る以外なら好きに過ごしてください。お腹が減ったらルームサービスで好きな物を取り寄せてください。できれば、自動配膳の料理を選んでくれると嬉しいです。愛おしい夕花へ、旦那より”
最後の一言が全部を台無しにしている感じがした。メッセージの指示だとしたら、時計を見てまだ昼までかなりあり、時間を持て余す状況になってしまった。
好きなことと言われても何も思いつかないのだ。情報端末で、世間の情報を見てみるが、奴隷の自分には必要がない情報ばかりだ。
(晴海さんのことを知りたい)
夕花は、一人で居るといろいろ思い出してしまうので、晴海と一緒に居たかった。なぜだか自分でもわからない。晴海なら自分を殺してくれると思えた。
ローテーブルに置かれたメモをそっと情報端末のケースに挟んだ。なぜか、捨てたくなかったのだ。
自分の物など、身体と心以外には何も持たなくなってしまったが、このメモは奴隷市場に連れてこられてから初めて自分の物だと思えた。
夕花は、晴海からのメッセージを読み直して、”好きに過ごしてください”という言葉の通りに、自分が望む行動を起こすことにした。
そっと主賓室の扉を開ける。晴海がベッドの上で寝ているのを確認して、控室に戻る。
控室で、下着とガウンを脱いで全裸の格好になってから、晴海が寝ている布団の中に潜り込む。大きなベッドは、二人が寝ても余裕なのだ。夕花は、ドキドキする心臓を抑えながら晴海の近くに行く。起こさないように、心臓の音が聞かれないように、ゆっくりと移動する。
「うぅうぅん」
晴海が寝返りをうった。晴海もガウンは着ていない。ウィスキーが効いたのか、寝るときにガウンを脱いで下着も脱いで全裸の状態で横になった。そんな状況なのを知らない夕花は寝返りで真正面に晴海の顔を見える位置になってしまった。寝ている晴海に見られるわけはない。布団をかけているのでお互いに顔しか見えない位置だ。
全裸でいる状況が異様に恥ずかしく思えてしまった。
そして、自分の主人で、旦那をまじまじと見てしまった。
手を伸ばせば届く距離で、晴海の顔を正面から見つめる。
(まつげが長い。それに・・・。フフフ。可愛い顔。さぞモテたでしょうね。髪の毛も、自毛だよね?こんなにサラサラで銀に近い色なんて・・・)
(寝ているから目が見られないのが残念。左右の目の色が違っていた・・・。|金銀妖瞳だっけ?左目が黒で右目が青?逆?でも、すごく綺麗だった)
(身長は、僕よりも高いから、170くらい?もう少しあるのかな?筋肉質ではないけど、均整の取れた体格をしているよね?何かスポーツをしていたのかな?)
(経験がないって?本当?キスも?それとも・・・。なんで、僕を買ったの?殺してくれるの?目的は?結婚までして・・・。なんで?)
夕花は、晴海を観察しながら、今まで感じてきた疑問を思い浮かべている。
夕花は、いつの間にか眠ってしまっていた。
夕花が起きたときには、横で寝ていた晴海は居なかった。布団がしっかりとかけられていて、ベッドの真ん中で寝かされていた。控室に戻って、下着と服を身に着けてリビングに向かう。
「もうしわけございません。晴海さん。寝てしまいました」
「うん。夕花?寝るのはいいけど、あの格好で寝るのは止めてね。驚いて、襲ってしまいそうになったよ」
「え?あっ・・・。もうしわけございません」
「うん。もういいよ・・・。ん?」
夕花は、自分が全裸で寝ていたのを思い出した。晴海の言葉から、見られたと思ったのだ。襲ってくれても良かったと思ったが口には出さなかった。夕花が口にしたのは別の言葉だった。
「晴海さん。今日から、一緒に寝ていただけませんか?」
晴海は、夕花が真剣な表情で何を言い出すのか見紛えたが、晴海の予想の埒外の言葉に驚いてしまった。
「いいけど、いつまで僕が我慢できるかわからないよ?」
冗談を言いつつたしなめるつもりだったが、夕花の言葉は違っていた。
「はい。大丈夫です。一人は嫌なのです」
「わかった。でも、下着は付けるのですよ?」
「え?あっ・・・。はい」
夕花が、顔を赤くして俯いたのを見て、晴海は言いすぎたかと思ったが、夕花は今日も全裸で布団に入るつもりで居たのだ。
「うん・・・。あ・・・。まぁ・・・。また夜に話そう。それよりも、せっかく起きたのだから、ご飯にしよう。丁度、今から注文しようとしていた所だ。僕の可愛い奥さんの好きな食べ物を教えてくれると嬉しいな。ほら、夕花。横に座って、一緒に選ぼう」
「・・・。はい」
夕花は、言われたとおり、ソファーにすわる晴海の横に座った。奴隷の自分がいいのかと思ったが、晴海が望んでいるのは、普通にして過ごす日常なのだろうと、晴海の指示に従うと決めたのだ。
【第四章 襲撃】第五話 移動
昼食に近い朝ごはんを晴海と夕花は並んで食べた。夕花は、食事の度に場所を変えて食事を摂ってみるが、正面で食べれば晴海の視線が気になってしまうし、横で食べれば晴海の仕草が気になってしまう。そして、晴海の匂いを感じて、自分の匂いを晴海が感じているのかと思うと赤面してしまうのだ。
食事を終えて、夕花が食器を片付ける。最初は、晴海がやろうとしたが、自分の仕事だと言って夕花が行うようになった。
「晴海さん。何か飲みますか?」
「そうだね。コーヒーを頼むよ」
「はい。ミルクをたっぷりと砂糖は少なめですか?」
「うん。ありがとう」
「はい」
夕花は、何気ない会話が楽しくなってきている。
母と交わした会話を思い出すのだ。
「夕花もこっちで飲もう」
「はい」
二人分のコーヒーを入れた。晴海に渡すコーヒーには砂糖を少しだけ入れてかき混ぜてからたっぷりのミルクを入れる。自分のコーヒーには、たっぷりの砂糖と適量のミルクを入れる。色が違うので間違えない。
「ありがとう」
晴海は渡されたコーヒーを一口だけ飲んでから、”おいしい”と言葉にして、正面に座ろうとした夕花を横に座らせる。
「夕花。情報端末は大丈夫だった?」
「大丈夫です。それで・・・。晴海さん」
「ん?資格の事?」
「はい。私が取得していた資格が・・・。それも、名前も変わっています」
「うん。必要だからね。事後承諾だけど、勝手に復活させてもらったよ。ごめんね」
「いえ、いえ、私の資格が必要になるのでしたら、嬉しいです。母が、”いつ何時に、必要になるかわからないから、資格は取れるだけ取っておきなさい”と言って取らせてくれたのです」
「そうか・・・。いいお母さんだったのだね」
「はい」
目を伏せて俯いた夕花の肩を晴海は優しく抱き寄せる。キスするわけでもなく、ただ抱き寄せるだけだ。
夕花は解っていた。肩に置かれた手が震えていたのを・・・。晴海は、行動を移すのに戸惑いがあった。夕花に悟られないように、優しく肩に手を置いて抱き寄せたのだ。晴海は解っていた。夕花が泣きたい気持ちを抑えているのを、自分と同じなのだと・・・。抱き寄せた身体から力が抜けるのを、晴海の震えていた手の上に夕花の手が重ねられた事実を・・・。
二人は、そのままコーヒーの湯気が見えなくなる程度の短い時間。お互いを感じながら過ごした。
晴海の情報端末が鳴った。二人は、身体を離して相手を見る。なぜだか悪いことをしていた感じになってしまった。
晴海は、情報端末を操作した。能見からの連絡だ。この時間に連絡してきたという事は、夕花のことで何か動きがあったのかも知れない。晴海は少しだけ、本当に、少しだけ|危険を感じながらスピーカーに能見の声をだす。
「晴海様。能見です」
「何か解ったのか?」
「いえ、愛しの晴海様と夕花様の邪魔をしようかと思いまして連絡しました」
晴海は、頭を抱えたくなった。能見は声だけではなく、映像を表示してきた。場所は、いつもの事務所ではないので、何か問題が有ったのか、進展したのか、報告があるのだろう。
だが、30代後半のイケメンが”愛しの晴海”とか言えば、夕花がびっくりするのは当たり前だ
「え?」
夕花が、情報端末に映る能見と晴海を見て、頬を赤くしたのだ。
「切るぞ!」
「おや、私から、愛しの晴海様を奪った、夕花様がお側においでだったのですか?良かった、まだ一線は超えていませんよね?」
夕花が側に居るのは解るだろう。側に居ないとわかれば、呼んでから茶化すつもりだったのだ。
「能見忠義!」
晴海は、能見がこのまま暴走してしまっては、夕花への印象が悪くなると考えて、フルネームを呼び捨てにした。
「失礼しました。晴海様。夕花様の資格の調整が終了いたしました。大学の手配が終了しました。伊豆のお屋敷に書類一式を用意いたしました。あっ制服はないので、晴海様が大好きなブレゼーやセイラー服は用意していません。それから、義母の三弥子様の墓前を汚そうとした者たちの排除を行いました」
能見は、姿勢を正してから簡潔に報告を始めた。
「え?なんで?母のお墓?」
中の大学や制服の下りはスルーした。母親の離しがそれだけ強烈だった。
「ふぅ・・・。能見さん。わざとやっているのだろう?」
晴海は、解っていたのだが、夕花の反応を確かめているのだと・・・。
「夕花様がお作りになられました、お母様のお墓に私どもが確認に向かった所。大切な夕花様のお母様のお墓が荒らされていました。お母様のお墓を見張っていた者もいました。見張っていた者たちは捕らえて背後関係を尋問中です。お墓は、ご遺骨は大丈夫でしたご安心ください。副葬品などが盗まれた可能性がありまして、夕花様にご確認をしたいと考えています」
「え・・・。あっ・・・。副葬品?」
「はい。お母様をお休みいただく時に、ご遺骨と一緒にいれた物です」
「・・・。お母さんが大切にしていたペンダントをいれました。他は・・・写真を数枚・・・。です」
「ありがとうございます。ペンダントは、2つ見つかっています。写真は全部で5枚です」
能見は、夕花に見えやすいように、黒い布を下に敷いて、ペンダントを見せた。綺麗に磨いてある。写真も重ならないように注意しながら広げてある。
「あ!それで、全部です!よかった・・・。でも・・・。なんで・・・」
「夕花様。”なんで”はこれから、私たちが調べます。夕花様は、晴海様をお守りください。お願いいたします」
「・・・。はい。ありがとうございます」
「そうだ。夕花様。お母様のお墓ですが?今のお寺に何か理由があるのですか?」
「・・・。いえ、葬儀社に進められただけです」
「わかりました。晴海様。夕花様のお母様は、晴海様のお母様です。改葬したいのですが、ご許可を頂けますか?」
「夕花。問題ないか?もっと安全で、俺たちが住む予定の場所から近い場所に、お母様に引っ越してもらいたいがダメか?」
「いいのですか?」
「あぁ。その方が、お母様も安心するだろう?」
「でも、僕・・・。そんなに・・・。なにも・・・」
夕花は、晴海や能見の言葉は嬉しかった。でも、自分にはそれだけの価値があるのか解らなかった。安心したいが、晴海や能見に返せる物がないと悩んだのだ。
「夕花様。貴女は、これから晴海様をお守りするのです。そんな夕花様のバックアップも私たちの仕事です。いいですか?晴海様を頼みます」
「わかりました。能見様。よろしくお願いいたします」
能見の強い口調と、”晴海様を頼みます”というセリフが嬉しかった。誰かから必要とされていると思えたからだ。
「違います。夕花様は、晴海様の奥方です。晴海様の手下に敬語を使わないでください」
「でも、僕・・・。晴海さんの奴隷で・・・。だから・・・」
「違います。晴海様は、夕花様を選んだのです。そして、ご結婚されたのです。晴海様を、”晴海さん”と呼んで、部下である私に”様”付けしては家の秩序がおかしくなってしまいます」
「はい。わかりました。能見さん。母のお墓をお願いします」
「承りました。奥様。晴海様。それから、あの家が動き出しました」
「わかった。何日後だ?」
「予想通りです。3日後だと思われます」
「奥州方面にデコイを撒いておいてくれ、信州はわざと開けて、駿河方面にも足跡を残しておいてくれ」
「かしこまりました」
能見は綺麗に頭を下げてから、晴海にウィンクをしてから通話を切った。
「疲れた・・・」
晴海の心の底からの言葉を聞いて、夕花は自分の疑問を心に押し留めた。
「あっごめん。夕花。彼は、能見忠義。俺の家に昔から仕えてくれる人で、弁護士をしている。あんな感じだけど有能なのは間違いないよ」
「え?あっ・・。はい。能見さんが、僕の資格を戻してくれたのですか?」
夕花は、まだ緊張しているのか、自分の事を”僕”と言ってしまっている。
「そうだよ。生体情報コードを用意したのも彼らだよ」
「そうなのですね。でも、母まで・・・。いいのですか?」
「もちろんだよ。僕の奥さんのためだよ。お母さんにも安心してもらわないとね。夕花を殺した時に、眠る場所だと思えばいいよ」
「あっ・・・。ありがとうございます」
夕花は、死にたいという思いは変わらないが、死ぬのなら晴海を守って死ぬか、晴海の役に立ってから死にたい。殺されたいと思い始めている。
---
能見が宣言した通り、3日後の夜に襲撃が行われた。晴海と能見が誘導した結果だった。
晴海が最初に取った”六条晴海”名義の部屋からチェックアウトした男女が襲われたのだ。晴海たちの代わりにホテルに泊まった者ではなく、途中で入れ替わった能見の部下が、襲撃されたのだ。
男女6人組に、攫われたのだ。攫われた二人には発信機を持たせていて、能見の部下が尾行していた。同じ頃、文月の家宰が屋敷を出たのを確認した能見は部下に尾行させた。誘拐を行った男女は、六条晴海だとは知らない様子だ。金持ちの跡取りを攫って身代金を要求する計画のようだ。
文月の家宰が、誘拐犯に合流した所で、能見の部下たちが一斉に誘拐犯と家宰を取り押さえた。
文月は、家宰を切り捨てた。
誘拐した男女が、晴海と夕花ではなかったので、家宰が独断で行ったと苦しい言い訳を繰り返した。誘拐犯は、金に困った奴らを街で拾っただけのようだ。晴海が望んでいた半島系の者に繋がる糸ではなかった。
状態は依然として混沌としている。
晴海に、能見から、伊豆の準備が出来たと連絡が入った。
晴海は、夕花を連れてホテルから伊豆に行くと決めた。
【第五章 移動】第一話 方法
晴海は悩んでいた。昼間に移動するか?夜に移動するか?
一人で悩むよりも、相談したほうが良いと判断した。
「夕花」
「はひ!」
夕花がおかしな返事をしてしまったのには理由がある。今日も二人でホテルの部屋で過ごしていた。能見に頼んだ、試験に必要な書類が届いたので、二人で勉強していたのだ。共通の勉強は、大学への入学申請に必要になるテストの対策テキストだ。試験は、形だけなのは晴海も夕花も認識している。せっかくだからと二人で勉強をしていたのだ。そして、夕花は復活した資格の上位資格を目指す勉強を始めた。能見からは、船舶免許の取得を厳命された。
そして、夕ご飯を食べて、風呂にお湯が溜まったタイミングだった。
一緒のベッドで寝るようになったが、寝るだけの生活だ。風呂も一緒に入っていない。
夕花は、今日は?今度は?次こそは?明日こそは?と毎日を過ごしている。スキンシップは増えたがキスもまだなのだ。夕花は、晴海が本当は女性が好きじゃなくて、男性が好きで、本当に能見と出来ているのではないかと疑い始めていた。しかし、朝、起きたときに、夕花がした|スキンシップ《胸の押し付け》に晴海が反応したので、少しだけ、本当に少しだけだが安心したのだ。
その後なので、夕花はお風呂に誘われるのだと思って緊張して噛んでしまった。
「ソファーに座って、それから、相談に乗って欲しい」
「え?あっ・・・。はい!」
夕花は、晴海の言葉を聞いて、お風呂じゃないと残念に思ってから恥ずかしくなって、でも、相談と聞いて嬉しくなったのだ。
なんとなく、夕花の表情がコロコロ変わるのを見て、晴海も嬉しくなった。
「お話が長くなるのでしたら、何かお飲み物を用意しましょうか?」
「そうだね。コーヒーを頼む」
「かしこまりました」
夕花は、ソファーから立ち上がって、簡易キッチンに移動する。
「夕花。そのままでいいから、聞いて欲しい。大丈夫か?」
「はい。大丈夫です」
お湯を一度ポットに入れて、沸騰させる。その間に、コーヒーの準備をする。ミルクを、レンジで温める。これらの作業を行いながら、夕花は晴海に話を聞く。
晴海は、能見からの報告があった襲撃を夕花に聞かせる。
襲撃犯から得られた情報は少なかった。男を捕らえて女は犯して好きにしろという指示だけだったようだ。その後で、文月の家宰が晴海の身柄を抑えて、本家を支える家を順番に脅迫したり、能見の事務所を脅迫したり、身代金を要求する予定だったようだ。
文月は、家宰を切り捨てた。家宰も失敗を悟って口を噤んでいる。得られた情報は多くなかった。家宰は、すでに能見たちの手から市花家に移されている。|尋問して情報を引き出す。晴海と能見の意見は一致していた。文月家が尻尾を掴ませないようにしているのなら、文月家の戦力を剥ぎ取ればいいと思っている。
一枚一枚、脱がしていけば、最終的に全裸になる。全裸になる前には晴海が欲している情報に手を付けるだろう。
夕花は、コーヒーを作りながら、晴海の話を聞いた。
コーヒーを晴海に渡して、正面に座る。
「今日の夜に抜け出すのもいいし、明日の朝に出るのもいいと悩んでいる。夕花は、どっちがいい?」
晴海は、どちらにもメリットとデメリットがあると見ている。
「晴海さん。準備はどうなのでしょうか?」
「準備?」
晴海は、ミルクがたっぷりはいったコーヒーを飲んでから夕花の質問に質問で返した。
「はい。受け入れ先というか・・・。新居というか・・・。それと、私を追ってくる者たちも居ると思います」
「ハハハ。そうだね。夕花と僕の新婚生活の為の新居は用意しているよ。伊豆だけどね」
「伊豆ですか?」
「そうだよ。義母様にお眠りいただく寺も近く・・・。正確には・・・。敷地内だよ」
「え?」
「あの大地震で出来た突起が、目指す場所だよ」
「え?突起?伊豆の?|戸田沖に出来た」
「そうそう。やっぱり知っていたね」
「でも、あそこは、軍が・・・。え?本当に・・・。ですか?」
夕花はびっくりしすぎて言葉遣いがおかしくなっている。
驚くのは無理もない。晴海が言った、伊豆の突起は、二十一世紀半ばに発生した南海トラフ地震のときに出来た、島なのだ。島と言っているが、正確には島ではない。プレートの盛り上がりで出来た場所で、陸地と繋がっている。繋がっている場所は、トラックが一台の通行が可能な幅だ。それも、大潮だと水没してしまう。それが、800メートルほど蛇行している。そして、島の部分はプレートの隆起で出来た場所なので、小さな山の様になっていた。日本軍が、基地の建築を目的として、頂上部分を切り崩して、1キロ四方の平地が出来た。風速40メートル級の台風で引き起こされる津波が来ても大丈夫なように、20メートル程度の高台になっている場所だ。それを、民間である晴海が個人所有していると言っているのだ。驚かないほうがおかしいのだ。
「うん。購入したのは、僕じゃないけどね。爺さんの父さんが軍と交渉して、都内の土地と交換で手に入れた場所だよ。そこに、菩提寺から改葬した寺を置いた。お墓参りや行事の時に使えるように、別荘を作ってあるから、その別荘が新居だよ。僕用に作られた物だから、まだ誰も住んでいないから安心して」
「それは・・・。別に、問題では無くて・・・。え?晴海さん。本気ですか?」
「何を聞きたいのかわからないけど、別荘は嫌?それなら、駿河の中に適当な家を建てるけど?」
「いや、いや、違います。いろいろ、お聞きしたいのですが、食事はどうするのですか?」
「何か作るよ。キッチンもあるよ?」
「そうではなくて・・・。材料とかは?」
夕花は、晴海がわざと言っているのか、本気で言っているのかわからなくなってしまった。ふざけている雰囲気はないので、本気だとは思うけど、本当の話ではないと思っている。
「あぁごめん。食材や必要な物は手に入るよ。能見さんの部下も居るから買い物は頼めるよ。それに、夕花が船舶一級を取得すれば、海から駿河に移動して買い物やデートやデートが出来るからよ」
大事なことだから二回言ったと続けなかったあたりが残念な晴海だ。夕花は、そんな晴海をみて、呆れはしなかったが、残念な人でこれは”彼女が居なかった”と言うのは本当の事かもしれないと考えるようになった。
「・・・。わかりました。能見さんが、船舶が必須だと言った理由がわかりました」
夕花は、晴海が本気だと感じて、しっかりと考えた。そして、一つの可能性を含めて考えた内容を晴海に説明した。
「晴海さん。昼間に移動しましょう」
「なぜ?」
「はい。晴海さんに安全に移動してもらうためです」
「説明が必要な答えだと思うけど?」
「そうですね。まず、大前提として、晴海さんも、私も狙われています。別々の理由です」
「そうだな」
「はい。でも、お互いの狙いは、別々なので、私を狙っている者は、晴海さんの素性を知りません。知らないので、殺してしまう可能性があります。それでは、私の目的が達成できません。反対に、晴海さんを狙っている者たちは、私を犯して殺してもいいと思うでしょう。こちらは、私の願いとは少しだけ違いますが結果は私が死ねるので問題はないと思います」
「うーん。少しだけ、訂正して突っ込みたいけど、今は、スルーするよ。それで?」
「はい。お互いの組織に、まとまってもらいましょう。別々に対応を考えるよりも楽になります」
「相手が合流すると、戦力が単純に倍になるよ?」
「そうですが、指揮系統がしっかりしない組織は脆いものです。そのうち内部で分裂を起こします。その場合には、以前の戦力を維持するのは難しくなりますし、お互いを意識する必要が出てきて、攻撃や逆襲のチャンスに繋がります」
「わかった。僕たちは目立って移動すればいいのだね?」
「いえ、違います。昼間に目立たないようにして移動しましょう。晴海さんを狙う者たちは、晴海さんの目的地に心当たりがあるでしょう。私の方は、違いますが、駿河に戻ってくると期待している可能性があります」
「僕の方は解るけど、夕花は戻ってこない可能性が高いと考えない?」
「晴海さん。晴海さんは、私を・・・・。その・・・。沢山、服やアクセサリーを買ってくれました」
言いにくそうにしている夕花を晴海はニコニコとした笑顔で見ている。
本当は、エステや下着も付け足したほうがいいのは解っているが恥ずかしかったのだ。
「うん。沢山、可愛くなったよ。下着も服も可愛いけど、夕花が一番可愛いよ」
「むぅぅぅ・・・。でも、僕の今の姿を見れば、晴海さんが僕にしてくれた内容を想像するでしょう。そして、僕と晴海さんが駿河の僕の実家に来る可能性は低くないと考えるでしょ」
「そうだね。夕花が可愛く育った場所は見てみたいからな。案内を頼むと思うよ」
「晴海さん・・・。でも、だから、駿河にある程度の人間が残っていると思います。兄さんが戻ってくる可能性もあります」
「そうか、それでお互いに調べている者たちがいると解らせるわけだな」
「はい。ある程度の時間が稼げます」
「よし、夕花の作戦で行ってみよう」
「はい」
「準備を始めましょう」
「はい!」
夕花は、まず飲み終えたコーヒーカップを洗うことから始めた。
【第五章 移動】第二話 変装
「晴海さん。準備が終わりました」
話をしてから、1時間後には夕花の準備が終わってしまった。もともと、奴隷市場で売られていて、晴海が入札したので当然と言えば当然だ。晴海も、情報端末と身分証明が行える物だけを持って奴隷市場に来たのだ。
お互い、このホテルで用立てた物か、晴海が能見に依頼して用意した物しか荷物はない。
夕花の提案から、姿を消す方法で伊豆に向かうと決めたので、コンシェルジュに頼んでいた方法で脱出すると決めた。
晴海と夕花は、明日以降のスケジュールを大まかに決める。
「夕花。それじゃ、エステに行っておいで、僕も髪の毛を調整してくるよ」
「はい。あと、出来ましたら、晴海さんは目の色を変えられたらどうですか?」
二人は変装の相談をしている。
変装はするが、簡単に戻せるようにすると決めた。うまく抜け出したが、逃亡先の伊豆や駿河では晴海と夕花だと解らせる必要がある。伊豆に到着するまでは、なるべく穏便に進みたいが、伊豆に到着した後は、探し出してもらわないと、計画の大部分に支障が出てしまう。その為に、すぐに戻せるようにしようと決めたのだ。
夕花は、数日前に行った全身コースを受ける。夕花は、最後まで抵抗したが、晴海が強引に受けさせたのだ。数日前に受けたので、ムダ毛や垢は大丈夫だった。全身マッサージはとても気持ちがいい。しかし、とてつもなく恥ずかしかった。
晴海は、夕花をエステに向かわせてから、能見にコールした。
『愛しの晴海さんから連絡を頂けて私は・・・。私は、もうどうなっても構いません』
「わかった。わかった。それで、義母の墓を荒らした奴らの事情は解ったのか?」
『はい。ご当主様。御義母上様の寝所を荒らした奴らは、半島系のシンジケートに連なる奴らでした』
「そうか、夕花を狙う奴らの方が直接的だな」
『はい。少しおかしな事を言っていた様です』
「ん?市花に調べさせたのだろう?」
『はい。市花家からの報告です。ご当主様の情報端末に送ります』
「あっそうだ。新しい鍵を渡していなかったな。いつもの方法で送っておく」
『ありがとうございます』
一旦コールを切ってから、能見に公開鍵を、能見の鍵で暗号化して送付する。すぐに、折返しで資料が送られてきた。復号して中身を確認する。
晴海は資料に目を通してから、能見をコールする。
「確かに、おかしな話だな。ボタンの掛け違い程度ではなさそうだな」
『はい。奥様のお話と食い違ってしまいます』
「そうだな。夕花の実家を調べてくれ、それと行方不明になっている兄も探してみてくれ、何か出てくるかもしれない」
『わかりました。あっそれから、百家が騒いでいます』
「何を?奴らが騒ぐような状況ではないだろう?」
『どうやらスポンサーが利権の一つでももってこいと言っているようです』
「潰せ。ゴミクズをかまっている場合ではない」
『はっ。フルコースで?』
「面倒だよ。祖父も、父も、そこまでやらなかった。首の挿げ替えだけでいい」
『かしこまりました』
「スポンサーの方は、完全に潰せ。業種が何か知らないけど、どっかの家に吸収させろ!」
『はっ。ご当主様の御心のままに』
コールを切って、晴海はソファーの背もたれに身体を預ける。深く息を吸い込んでから吐き出した。
情報端末には、能見から送られてきた資料が開かれていた。
”文月家の父親が使っていた情報端末の奪取が目的”
夕花の兄が持ち逃げしたという組織の資料ならわかるが、兄よりも先に死んでいる父親の情報端末を狙うのがわからない。それも、墓所を狙ったのは、すでに家は調べたのだろう。それで見つからなくて、墓所に夕花が現れるのを待っていた。それなら、奴隷市場に来た連中と墓所を荒らした人間が違うことになる。
『文月晴海様。準備が整いました』
コンシェルジュがモニター越しに連絡してきた。
そこで、晴海は思考を打ち切った。これから、支度をして夕花に会うのだ。夕花とのデートを楽しもうと思考を切り替えた。
晴海は、夕花から目の色を換える方法として、コンタクトレンズを進められた。目立つと言われた髪の毛を染めた上で、エクステをしてさらに印象を変えたほうがいいと言われた。夕花はエステに押し込まれる前に、コンシェルジュに連絡をして晴海のコーディネイトを行った。晴海も、少々強引に夕花をエステに行かせるので、自分は必要ないと言えなかったのだ。
髪の毛の色は二人で揃える。同系色にするのだ。晴海は、瞳の色も髪の毛の色に合わせたコーディネイトになっている。
エステの終了と晴海の準備の時間は同じになるようにセッティングされている。
その後で、ホテルをチェックアウトして、歩いてホテルの外に出る。食事をしてから、地下に降りて車で移動する。能見が用意した、晴海名義の車は能見の部下が運転して、東北の奥州を目指す。奥州にも、六条の別荘があるので、別荘まで車で移動するのだ。背格好が、同じくらいの男女で行動する。
他にも、能見はデコイを撒いた。北陸方面はわざとデコイのバラマキを少なくした。
晴海が着替えを済ませて、ロビーで待っていると、夕花もシックなワンピース姿で現れた。
「・・・。晴海さん?」
「あっ。ごめん。あまりにも可愛かったから見とれていたよ」
「・・・」
夕花は、顔を真っ赤にして俯いた。エステを受けているときに、エステティシャンから『旦那様も褒めてくれますよ。すごく可愛らしいです』と褒められて、本当に晴海が可愛いと言ってくれたのが嬉しかったのだ。そして、もう一つが、下着だ。エステティシャンに言われて、晴海に”いつ”見られてもいいようにセクシーな下着を身に付けておくべきだと言われた。そして、多少は残っていた髪の毛以外の毛を全部処理されてしまった。自分でやるからいいと言ったがダメだった。肌が綺麗だからしっかりとした処理をしないと抜いたあとが汚くなってしまうと言われたのだ。そして、出された下着は、下着なの?と思ってしまう物だった。殆ど隠せていない。むしろ透けて見えているよね?と言いたくなってしまった。ブラも下に合わせた。慎ましやかな胸が少しだけ、本当に少しだけ、ワンサイズだけ大きくなった気がした。そして、生まれてはじめてガーターベルトをしている。ショーツの下にベルトを通している。ショーツだけを脱げるので、良いと教えられた。
「夕花?」
「ごめんなさい。アナタ」
「うん。すごく可愛いよ。それでは行きましょう。奥様」
「はい」
変装すると決めた時に、外では奴隷と主人ではなく、若い新婚カップルとして振る舞うと決めた。
夕花に、晴海を名前で呼ぶのではなく”アナタ”と呼ぶようにお願いしたのだ。
夕花は、晴海の腕に自分の腕を絡ませた。胸が押し付けられる形になってしまった。晴海が少しだけ慌てたのを感じて、夕花はイタズラ心が出て、慎ましやかの胸を晴海の腕に押し付けた。
「(可愛い。可愛い。僕の奥さん。そんなにして欲しいのなら、この場でキスするよ)」
「え?」
晴海が夕花を抱き寄せて耳元で囁いた。夕花が驚いて身体を離したのを見てニヤニヤしている。
「夕花。何が食べたい?」
少しだけ照れた顔と、少しだけ怒った顔が可愛らしいと晴海が思ったが、夕花には違うセリフを告げて手を差し出したのだ。夕花は晴海の手を照れながらもしっかりと握った。
「そうですね。普段、アナタが食べているような物じゃなくて、私が好きだった店がありますから、そこでいいですか?」
「わかった。夕花に任せるよ」
夕花が案内したのは、一世紀前から営業している”誰が見てもわかる”ファミリーレストランだ。運営母体や資本提携を変えながらしぶとく生き残った老舗だ。100年以上続いているファミリーレストランと考えると不思議な気持ちになるが、老舗には違いない。
店に入ってすぐに案内された。
別に、晴海がファミリーレストランは始めてきたわけではない。システムも解っているので問題はない。テーブルに置かれているタブレットで注文すればいいのだ。支払いも、情報端末をリンクすれば支払いも終了する。
「夕花は、いつもこのファミリーレストランで食べていたのか?」
「あ・・・。いえ・・・。この系列でバイトをしていました」
「へぇ・・・」
晴海は、ウェイトレスが着ている制服を見てから、夕花を見る。そして、さぞかし似合っただろうと思った。そして、”モテた”だろうと、考えたときに、自分が苛ついているのに気がついた。なぜ苛ついたのかは解らなかったが、晴海は夕花が目の前に座って自分を見ているのを感じて安心したのだ。
「あっ・・・。アナタ。私は、裏方で、あの制服は着ていません。着てみたかったけど・・・。学校に黙ってのバイトだったので・・・」
「そう?今でも着てみたい?」
「え?アナタが着て欲しいと言うのなら着ます」
「うーん。すごく似合いそうだけど、またの機会だな」
「はい」
二人は、食事を終えて、街を二人でショッピングを楽しむかのように歩いた。初々しいカップルのデートに見えただろう。
公園で、フルーツをたっぷりとトッピングをしたクレープを、夕花が幸せそうに食べていると、能見からコールが入った。
「夕花」
「はい」
「大丈夫なようだ」
「わかりました」
残っていたクレープを口に放り込んで、ゴミをゴミ箱に捨てて、夕花は差し出された晴海の手を握った。これから、二人の逃避行が始まるのだ。
晴海は、能見に自分たちを付けている者や監視している者が居ないか探らせていた。
能見からのコールは、ホテルにも二人の周りも”オールクリア”だという報告のコールだったのだ。
【第五章 移動】第三話 礼登
晴海と夕花は、ホテルに戻って、チェックインをしたフリをして、荷物だけを受け取ってエレベータに乗る。
一度、最上階まで登ってから、地下駐車場に移動する。トラクターにトレーラーを連結した状態で待機させてあると言われている。
「晴海さん。トレーラーは解ると思いますが、私たちが乗る車は、どれなのでしょうか?」
「能見さんが用意したから・・・。あった。あった。相変わらずだな」
「え?これが、そうなのですか?」
「そうだ。ナンバーが、863だろ?」
「晴海さん。愛されていますね」
「・・・。夕花・・・。可愛い顔して・・・」
「フフフ。でも、わかりやすいですね。私も、晴海さんのナンバーなら忘れません」
晴海は夕花の笑顔を見て、肩を落とした。『863=はるみ』わざわざ能見が指定したナンバーだ。
「晴海さん。この車、情報端末対応ではないですよね?」
「うん。準備してもらうときに、追跡を躱せる車にしてもらったからね」
「そうなのですね。私・・・。運転が出来ないです」
「あっ」
晴海は、夕花のスキルを思い出すが、情報端末の補助がある車。所謂オート車の免許を持っていた。目の前にある車は、情報端末の補助が受けられないマニュアル車と呼ばれている。一部のマニアしか乗らなくなっているが、根強い人気がある。
晴海も、能見に言われて免許を取得する時に、マニュアル講習を選択した。免許もマニュアル車が運転できる。
晴海は、車に近づいて情報端末をかざす。
ドアのロックが解除される。間違いないようだ。クロークに預けていた荷物を車に乗せる。トランクを開ける必要もなく、後部座席で十分おける量だ。
「晴海様」
晴海と夕花が荷物を積んでいたら、後ろから声をかけられた。
晴海は振り向いて、声をかけてきた男を見る。
「夕花!車の中に入れ!いいか、絶対に出てくるな!ドアをロックしろ!」
晴海が荒らしい声で夕花に指示を飛ばす。夕花も、逡巡はしたが晴海の指示に従うように、車の助手席に乗り込んでロックをした。
「なんで、お前がここに居る!|文月|礼登!」
晴海は、声をかけてきた男に敵意をむき出しにして睨みつける。懐に忍ばせてあるナイフに手を伸ばす。殺しても構わないと思える人物が目の前にいる。思いとどまったのは、夕花が近くに居て、今からの伊豆での生活を楽しみにしている雰囲気がある。夕花の些細な楽しみを奪うわけには行かないと考え思いとどまらせたのだ。
「お館様。ナイフの必要はありません。お館様が、私に”死ね”とお命じになれば、私は喜んで死にます」
文月礼登が両手をあげたので、晴海もナイフから手を離した。
「礼登。なんでお前が居る!?」
「お館様の側に居るのが私の勤めです。晴海様が、我らの”|主”なのです」
「お前は、ならば何故!」
晴海も、礼登が現れた事、情勢が変わっていなければ、礼登が来た意味を考えた。答えは解っているが、確認しなければならない。
「それは・・・。私もわかりません。父と兄を殺そうと探したのですが見つかりません。百家のどこかが匿っているようなのです」
「文月の総意ではないと言いたいのか?」
「・・・。お館様。父と兄は、私が殺します。それまで待って頂けませんか?父と兄を殺した後でならどのような処罰でもお受けいたします」
晴海は、たっぷりと時間をかけて、礼登を睨みながら様子を伺う。
「礼登。お前をここに向かわしたのは誰だ?お前以外に誰が知っている?」
晴海は、礼登に質問したが、この質問は確認の意味しか持っていない。
「御庭番の忠義殿です。こちらに来たのは、私だけです。準備をしました御庭番衆と市花家には、トラクターの輸送を頼みました」
「そうか、能見の指示なのだな?」
「はい」
晴海はまっすぐに礼登の目を見る。
少しの動揺を見せない礼登の目を見ている。
「わかった。信頼は出来ないが、信用してやる。それで、お前がトラクターを運転するのか?」
「はい。お館様」
「礼登。お館様はやめろ。俺は、文月は信用も信頼もしていない。俺の参集にも応じなかった」
「はい。そうです。参集の書状を見て、父と兄は姿を消しました。お館様」
「礼登。何度も言わせるな。晴海と呼べ」
「・・・。はい。晴海様」
「礼登。俺と、妻の夕花を全力で守れ、そうしたら、お前の願いを叶えてやる」
「ありがとうございます」
「俺と夕花が狙われたら、夕花を守れ、全力で!」
「・・・。はい」
「もし、俺が殺されるか、死亡が確認されたら、夕花をお前の手で殺せ。誰の目にも見せるな。死体も、解らないようにしろ。その後で、お前も死ね」
頭を下げながら、晴海からの命令を聞いていた、礼登は、晴海から最後に告げられた命令を聞いて顔をあげてしまった。
「どうした?礼登。返事は?」
「失礼いたしました。晴海様。ご命令しかと承りました」
礼登は、晴海をしっかりと見つめてから、頭を下げて命令を受諾した。
「晴海様。トレーラーを前に付けます。移動をお願い出来ますか?」
「わかった。足柄まで頼む。お前は、どうする?」
「富士で一旦降りて、日本平でまた乗り込んで、伊勢方面を回ってから、山陰に向かいます。その後、四国を回ってから駿河に|帰|り《・》|ま《・》|す《・》」
晴海は、礼登の言い方が気になった。
文月の家は、北関東に住んでいるはずだ。
「礼登。駿河に住むのか?」
「はい。忠義様から、安倍川河口付近にある。船舶停留所の管理を任されました」
「そうか、護衛は?」
「は?」
「お前の護衛だよ!」
「・・・」
「俺に変わって、文月の現当主と次期当主を殺してくれるのだろう?」
「・・・」
「わかった。能見に伝える」
「晴海様・・・。ありがとうございます」
礼登も、晴海の性格は把握している。一度決めたら考えを変えない。しっかりと間違いを指摘すれば意見を変えてくれるのだが、感情論では晴海に意見の変更を求めるのは難しい。一番正しい言葉は、”謝意”を示すことだと解っている。
礼登が頭をあげてから、トレーラーを晴海が乗る予定の車の前に付ける。乗り込むための、スロープを下げる。
晴海は、運転席に乗り込む。
夕花の視線に気がついた。
「夕花?」
「晴海さん。大丈夫ですか?」
晴海は、夕花の心配そうな顔を見て、自分がまだ興奮しているのを自覚した。
「うん。大丈夫だよ。彼は、昔から知っていてね。僕を裏切ったと思っていたから、目の前に出てきて驚いただけだよ」
納得した顔ではないが、晴海が大丈夫と言っているのだから、大丈夫なのだろうと考えた。
「わかりました。大丈夫だと言った晴海さんを信じます」
「ありがとう。あっそれから、トレーラーもどうやら、能見たちが手配したようだよ」
「そうなのですか?どうやって・・・」
「うーん。いろいろ手段はあるだろうけど、今は安全に移動できる手段だと思っておこう」
「わかりました」
晴海と夕花が、夫婦の心温まる会話をしていると、目の前にトレオーラーが止まってスロープを降ろした。
晴海は、車のエンジンをスタートさせて、ゆっくりとした速度でスロープを登っていく、トラクターの運転席から礼登が降りてきて、晴海の誘導を行う。トレーラーの中央部分にタイヤを固定する場所が用意されていて、しっかりとロック出来る。トレーラーの中には、小屋が作られていて、晴海と夕花が足柄まで休めるようになっている。
ソファーとベッドが置かれているだけの簡素な部屋だ。ウォーターサーバーが置かれていて、お茶を入れる程度は出来るようになっている。
タイヤをしっかりとロックした。礼登が小屋に居る晴海と夕花に話しかける。
「晴海様。奥様。準備が出来ました。足柄に向けて出発します。常磐道に入ってから、一度」「行程は、礼登に任せる。到着予定時間は?」
「はっ17時間後を予定しております。明日の朝に到着予定です」
「わかった。途中で何かトラブルがでたり、新しい情報が入ったり、問題が発生したら、能見経由で連絡を入れろ」
「かしこまりました」
ソファーに座りながら、晴海は礼登に命令する。
夕花は、どうしたらいいのかわからなかったので、晴海に言われて晴海の横に座って、晴海の手を握っていた。
降ろしていたスロープをあげて、トレーラーの扉を閉めた。5分後、トラクターはゆっくりとした速度で走り始めた。
【第五章 移動】第四話 戯事
「夕花?」
「はい?」
「いや、なんか不思議そうな顔をしていたからな」
「あっ・・・。先程、移動ルートを教えていただきましたが、かなりの距離ですし遠回りになっていると思います。時間も、相当ゆっくりとした速度で走られるのですね?」
礼登が示したルートを一般的な車の速度よりも遅い速度で走っても6-7時間で到着できる。オート運転だと、礼登の示したルートでは行けない。効率が悪すぎるのだ。夕花の指摘は当然なのだ。
「速度は、礼登に任せたからな。多分、僕たちを気にしていると思う」
「え?」
「通常速度で移動されて、急ブレーキを踏まれたら大変だろう?」
「・・・。??」
「夕花。僕の前に座るよね?横でもいいけど?」
「はい。そうです」
夕花は、今は晴海の横に座っている。晴海に言われて、正面に移動しようとした。
「うん。うん。それで、急ブレーキをかけられたら?」
「キャ」
晴海は、立ち上がろうとした夕花を引っ張って自分の方に引き寄せた。
夕花は、可愛い声を出して、晴海に抱きつく形になってしまった。
「僕の可愛い奥さん。こうなってしまうから、礼登はゆっくりと走っているのですよ。あと、工作を行う時間を作るためだね」
「工作?」
夕花は、晴海に抱きついた状態で、わざと晴海を見上げるようにして聞いてみた。
「ふふふ。本当に、僕の奥さんは可愛いね」
そう言って、晴海は夕花を抱きしめた。
モヤモヤしていた気持ちが溶けていくのを感じている。
「??」
「僕たちが、いつまでホテルに居たのか、見張りがいなかったから、もう逃げていると思っているだろう」
「はい」
「でも、どこに逃げたのかわからないでは、組織の人間としては困ってしまう」
「そうなのですか?」
「うん。そう思ってくれればいいよ」
「はい」
「だから、必死で痕跡を探そうとする」
「あっそれはわかります。ドラマとかで、刑事が足取りを追うのと同じですよね?」
「そうそう。それでね。僕たちと言うか、能見が、ヒントを日本中にばら撒いているのだけど、まだ準備が完全に終わっていなくてね」
「??」
「せっかくだから、僕を追っている連中と夕花を狙っている連中を合流させようと思ってね。能見が工作を行っている所だよ」
「え?日本中?」
「そ!彼らの動きで、どの情報を得たのか解るし、得ていない情報があるのなら、その地方は弱いと言えるだろう?」
「・・・。そうなのですか?」
「そう考えられるといった所だね。でも、慢心は禁物だけど・・・。それに、僕たちへ猟犬をけしかけた連中は情報を得られれば安心する。安心したら、いろいろと油断もしてくれる。それに、別々に動かれるよりも、まとまってくれた方が、情報操作が楽だからね」
「わかりました・・・。あの。晴海さん。そろそろ、離していただけると嬉しいのですが?」
「どうしようかな?」
「晴海さん?」
夕花の見上げる目線で、晴海は腕の力を弱めて、夕花を隣に座らせた。
「夕花。お願いがあるのだけど、いいかな?」
「はい。何なりと」
「嬉しいよ」
夕花は、自分の主人は晴海で、晴海が求めたから結婚しているのだし、晴海が求めたら本当になんでもするつもりだ。
「私の存在理由です。殺してくれるのは晴海さんだけです」
「うん。目的を達成できたらね。もし、僕が途中で倒れるような状態になったら、さっきの礼登を頼って、彼なら、夕花を殺してくれるよ」
夕花は、目を大きく見開いて、首を大きく横に振る。目にたまり始めていた水が目から溢れ出ても、首を振る勢いを弱めなかった。なぜそんなに、なにがそんなに、嫌だったのか、夕花にもわからない。
ただ・・・。ただ・・・。
「嫌です。晴海さん以外の人に殺されたく・・・ないです。私を殺していいのは、晴海さんだけです」
「わかった。わかった。泣かないで・・・。僕が倒れそうになったら、夕花が守ってよ。それか、僕が夕花を殺すから、夕花は僕を殺して・・・」
「はい。晴海さんを守ります。私を殺しくれる時まで、守り抜きます」
「うん。今は・・・。少し・・・。眠いから、膝枕してくれると嬉しいけど・・・。だめかな?」
思っても居なかったお願いだったので、夕花は晴海の顔を見てしまった。眠そうにしている。
夕花は気がついたのだ。晴海が寝ているのを見たのは、二日目の夜に晴海の布団に潜り込んだときだけだと・・・。最近は、一緒に寝ているが、晴海は夕花よりも後に寝て、夕花よりも早く起きている。
「わかりました。私でよろしければ、どうぞお使いください。どのくらい寝られますか?」
「うーん。常磐道に入って、谷田部あたりで休んでから、圏央道に入るだろうから、パーキングで停まったら起こして・・・」
「わかりました。起きなかったら?」
「可愛い奥さんの優しいキスで起こして」
「わかりました。出来るかわかりませんが、キスさせて貰います。寝ていてくださって大丈夫です」
「うん。お願い。夕花。もう限界だから・・・。寝るね」
崩れるように夕花の腿を枕にしだして、寝息を立て始める晴海。
誰が敵で誰が味方なのか解らなかった。能見さえも心のどこかで疑っている。そんな晴海が、絶対の信頼を寄せているのが、奴隷となった夕花だ。夕花は裏切らないと思っている。実際に、夕花は晴海を守り通す必要がある。約束として、自分が殺される為には晴海に生きて目的を達成してもらわなければならない。
礼登も信頼しているわけではない。手札がないのだ。使える人間として能力を信用したのだ。裏切られたときに殺せばいいと考える程度の人物なのだ。
夕花は、自分の腿で寝息を立てる男性の髪の毛を触っている。
変装している状態なので、実際の髪の毛と違っているのは解っているが、触りたくなってしまっている。
晴海は、寝返りを一度した。
夕花の方を向いて、腕を夕花の腰にまわして抱きついた。自分の顔を、夕花のお腹に押し付けるようにして寝息を立てる。
夕花は、恥ずかしいが、晴海を起こさないで、恥ずかしさに耐えていた。晴海が動く度に、お腹の肉を触られているように思えてしまうし、後ろに回した片手がお尻を触っているのだ。
(トレーラーが後退している)
しばらくして、小屋に声が響いた。
『晴海様。奥様。谷田部パーキングエリアです。ご休憩をお願いします』
夕花は、礼登の声を聞いて、晴海を起こそうとするが、起きる様子はない。
(えーと。絶対に起きていますよね?)
「晴海さん。晴海さん。谷田部のパーキングエリアに着きました。起きてください」
(くーくーくー)
「晴海さん?『クークー』と寝言をいう人はいません。起きてください」
(もぉ・・・。キスするまで起きないつもりですよね。絶対に・・・。晴海さんがそんな考えなら・・・。私だって!)
夕花は、寝ている晴海の服を捲った。はしたないとは思ったが、許されるだろう。そんな思いもあった。
晴海はもちろん起きていた。夕花がどんな反応をするのか楽しみだったのだ。
夕花は、晴海の頭を片手で固定しながら、露出させた脇腹に顔を近づけて、キスをした。
顔を近づけた時点で髪の毛が晴海の脇腹を刺激した。飛び起きそうになるのは我慢できた。だが、熱い息を吹きかけられて、優しくキスされたら我慢出来なくて、声を出してしまった。
そして、晴海は驚いて身体を起こしてしまった。夕花の胸に顔を埋める形になってしまったのだ。そして、夕花も晴海の頭が落ちないようにささえていたので、そのまま頭を抱きかかえるように自分の胸に晴海の顔を押し付けてしまったのだ。
二人は、すぐに状況がわかって身体を離す。
「おはようございます。晴海さん。よく眠れましたか?」
平静を装って、夕花が声をかける。
「うん。夕花。ありがとう。よく眠れたよ。最後のキスは驚いちゃったけどね。その後の柔らかい感触もね」
「・・・」「・・・」
最後の一言がなかったら、良かったのに・・・。夕花は本気で思った。
笑ってくれればよかったのに・・・。晴海は思った。
「晴海さん。パーキングエリアで、何かご予定があるのですか?」
「うーん。何もないと思う。礼登が何か受け取るかもしれないけど、僕たちには関係はないからね」
「そうですか?外に出ても大丈夫ですか?」
「ん?出たいの?」
「いえ・・・。この前の様に、晴海さんと、買い物が出来たら嬉しいと思いました・・・。ダメですか?」
夕花は、場をとりなそうと話を変えた。夕花の考えが解って、晴海は嬉しく思った。そして、夕花と一緒にパーキングエリア内を歩くのもいいかと思った。
「そうだね。デートの続きをしよう。ソフトクリームとか一緒に食べよう」
「はい」
今度は、晴海も余計な一言を付け加えなかった。
【第五章 移動】第五話 休憩
晴海と夕花は、小屋から出て、改造されたトレーラーから外に出た。周りに誰もいない状況なのは、礼登から報告が上がっている。
「うーん!」
疲れてはいないが、小屋の中でさっきまで寝ていた晴海は身体を伸ばした。筋が伸びるのが気持ちよくて、声が出てしまった。
夕花は、そんな晴海を見て嬉しそうにしている。
「夕花?」
「はい」
「何か食べよう」
晴海が差し出した手を夕花が握った。
指を絡めるようにして握った状態で、パーキングエリアにあるフードコートの中に入っていく。
「パーキングエリアとか、サービスエリアとか、もう1世紀半近く存在していて、車や生活様式も変わったのに、変わらないよね」
「そうですね。私も、資料映像で見たことがありますが、場所や店舗は変わっていますが、普段なら食べないような物でも美味しそうに見えてしまうのは変わりませんね」
「そうだね。レバニラ定食なんて普段なら選ばないけど、食べてみたくなるよね。それに、不思議なのは、ソフトクリームだね」
「はい。あとは、フランクフルトとか、アメリカンドッグとか、パーキングエリアやサービスエリア以外では見ないですからね」
「うんうん。あんまり食べると、他で食べられなくなるから、何か一つを頼んで二人で食べよう」
「はい」
返事をしてから、夕花は、二人で食べるという意味に気がついて、頬を染めた。
晴海も、夕花が何を考えたのか解ったが、あえて指摘しなかった。夕花が、二人だけになると大胆な行動をとるのを知っている。周りに目があるときには、なぜか恥ずかしがる頻度が上がる。だからではないが、晴海は夕花に意地悪をしたくなってしまう。
想像で恥ずかしくなってしまった夕花の肩に手を回した
「夕花?何が食べたい?僕は、夕花が(食べたい物が)食べたいよ」
一部わざと声を抑えて聞きにくい状態で喋った。
「え?私?ここで・・・。ですか?」
慌てだす、夕花だが、それを面白そうに見ている晴海。
「夕花。違うよ。何を勘違いしたのかわからないけど、僕は”夕花が食べたい物が食べたい”と言ったのだよ。夕花。二人で選ぼうか?」
「もう・・・。晴海さん・・・」
晴海は、夕花の頭を撫でてから、手を握り直して、定食が売っている店に並んだ。高級な物も食べるが、”郷に入れば郷に従え”の気持ちをしっかりと持っている。ただどんな食べ物なのかわからない物も多かったので、夕花が名前を出した『モツ煮込み定食』を頼んだ。
夕花の名誉のために言っておくが、夕花は名前を出したが、夕花が普段から食べているわけではない。母親が好きだったのが、”モツ煮込み”だ。晴海に母親が好きだったと言った言葉を聞かれて、それじゃ”モツ煮込み”にしようと言われてうなずいたのだ。夕花が酒飲みで”モツ煮込み”が好きな女の子というわけではない。
二人で並んで、一つの”モツ煮込み”を食べていると、周りの独身から殺してやると思える視線が降り注ぐが、晴海は昔からもっと憎悪と欲望に満ちた視線を浴びていたので気にならない。夕花は視線を気にしたが、横に居る晴海を見てしょうがないと思ったのだ。
柔らかく煮込んだモツ煮込みとご飯を平らげた二人は、食器を所定の位置に返してから立ち上がった。
遠くから二人を見ていた、礼登も二人に合わせて立ち上がった。晴海は気がついていたが、能見が手配したと思われる護衛も同じ様に行動する。
それから、二人でソフトクリームを食べてベンチで休んだ。
夕花がトイレに行きたい言ったので、晴海はベンチで待っていると告げた。
「急がなくていいからね」
「はい!」
夕花が、小走りでトイレに向かうのを晴海は見送った。
晴海と夕花が座ったベンチの後ろに、男女のカップルが腕を組みながら座った。
「お館様」
「能見の指示か?」
「はい。代表から、ご報告があります」
「情報端末には送られないのか?」
「はい。直接渡すようにいいつかっております」
「わかった。ありがとう」
カップルは、後ろのベンチから立ち上がって、晴海の前を歩いた。
晴海の前で、手に持っていた雑誌を落とした。
「落としましたよ」
晴海は雑誌を拾い上げて、カップルに渡す。男が立ち止まって、後ろを振り向いた。
「ありがとうございます」
晴海から雑誌を受け取るときに、晴海に小さくした紙を渡した。
「いえ」
カップルは、そのまま晴海の前から歩いてフードコートがある方向に進んだ。
それから5分くらいしてから夕花が戻ってきた。
「おかえり」
「はい。すみません。混んでいて・・・」
「いいよ。また、疲れたら夕花の膝枕で眠らせてもらうよ」
「はい!」
夕花は、晴海の腕に絡みついた。前を歩いているカップルを見て羨ましいと思ったのだ。
トレーラーの近くまで来たら、晴海の情報端末にコールがあった。礼登からだ。
『晴海様。お待ち下さい』
「どうした?」
『監視らしき者たちが居ます。素性を確認していますので、通り過ぎてください』
「わかった」
晴海は、腕を組んだままトレーラーの前を通り過ぎた。
「??」
「誰かに見られている。僕たちを監視しているのか?それとも、獲物を物色している連中なのか、礼登たちが調べている」
「あっ・・・。わかりました」
夕花は少しだけ周りを気にしてぎこちなくなってしまったが、トレーラーを通り過ぎて、駐車場の奥まで歩いた。奥には、散歩できるようになっている場所があるし、休憩出来るようにベンチが置いてある。カップルがひと目を避けて休むには丁度いい場所だ。
「ふふふ」
「晴海さん。どうされましたか?」
「ん?このベンチの場所って、”そういう目的で作られたのかな”と思っただけだよ?」
「そういう目的?」
本気で解らなそうな夕花を、晴海は横に座らせてから抱きしめて、ベンチに押し倒す形になった。
「こういうことですよ。僕の可愛い奥さん」
頭の後ろに回された手のおかげで、頭は打たなかったが、晴海の顔がすぐ近くにある。押し倒された事実よりも、目の前に晴海の顔がある状態で、心臓が早く鳴り響いてしまっている。音が晴海に聞こえてしまっているのではないかと恥ずかしく思っている。
しかし、押し倒した晴海も想定外だったのだ。夕花がもう少しは抵抗するとおもっていた。しかし、夕花は一切抵抗しなかった為に、本当に押し倒した形になってしまった。慌てて頭だけはガードしなくては思って手を頭の後ろに回した。夕花の大きく開いた目や驚いた口の状態が晴海の目の前にある。晴海も、自分でやっておきながら、心臓が高なっているのを感じている。
二人が自分の心臓の音を気にしている状況を遠くから眺めている一団が居た。
「お館様がやっとその気に?」
「どうでしょう。お館様は、奥手ですからね」
「でも、籍まで入れられているのですよね?」
「それは、文月の家や襲撃者を誤魔化すためですよね?」
「でも、でもそれだけじゃないですよね?お館様の雰囲気が今までの女性と明らかに違いますよ?そして・・・。夕花奥様の事が好きなら、さっさとしてくれればいいのに・・・」
「お前達!」
一人の男性が、晴海と夕花を見守っている女性陣を黙らせよと注意する。しかし止まらない。
「だって、礼登さんもそう思いますよね?」
「俺は・・・」
「思いますよね?お館様と夕花奥様のお子を抱いて教育したくないですか?絶対に可愛くて賢い子に育ちますよ!」
好き勝手言っているが、皆が晴海を慕っている。晴海が選んだ夕花だから認めているのだ。夕花が晴海を裏切らない限りは全力で守ると誓っている。
能見が選んで、晴海と夕花に付けた者たちは、六条家に忠誠を誓っているわけではない。幼い時から、晴海の成長を見て、晴海に忠誠を誓っている者たちだ。礼登もその一人だ。だから、文月が裏切りの首謀者と晴海が聞いたときに憎悪の炎が燃え上がってしまった。
「それで?覗き魔は?」
「この地方をまとめているグループの”したっぱ”の”したっぱ”の”したっぱ”くらいの奴らです。どうしますか?」
礼登が、晴海の護衛の中では、地位が高いリーダーになっている。
「後続は来ていますか?」
「はい。私たちとは違うグループですが来ています」
晴海に忠誠を誓っているグループではなく、六条家に従っている者たちのグループが後から来るのだ。今は、晴海が当主なので、晴海に従っているが、当主が変われば変わった当主に従う連中だ。
「それなら、彼らに渡して、内部から情報が漏れていないか確認する手駒にしよう」
「わかりました。与える情報は?」
「必要ないでしょう。どっかの金持ちに絡んでしまったと思わせれば十分です」
「かしこまりました」
礼登の周りから気配が消えた。
「彼女らの言っていることも解るのですけどね。お館様も、夕花様に決めたのなら、自分の物にしてしまえばいいのに、夕花様は”いつでもどうぞ”の雰囲気を出しているのに・・・。まぁだから、俺とか能見様とかは、晴海様にひかれるのだけどね。そうか・・・。お館様が早く、夕花様に種付けしてくれれば、お館様のお子を俺が・・・。それは素晴らしい光景だな。できれば、お館様に似ていらっしゃる男の子なら最高だな。小さい時からお風呂を・・・。だめだ。仕事に戻ろう」
【第五章 移動】第六話 資料
晴海と夕花が、ベンチで固まっていると、礼登からのコールが入り、排除の完了が知らせられた。
二人は、トレーラーまで戻って小屋に入った。
「晴海さん。圏央道に入るのですよね?」
「そう聞いているよ?」
「いえ、谷田部パーキングエリアから、圏央道に入るジャンクションでは検問が有ったと思うのですが?」
「あるよ。でも大丈夫だよ。トレーラーの中までは調べないし、調べられても困らないからね」
「え?」
「だって、別にトレーラーで車や小屋を運んではダメだという法律は無いし、僕たちが荷物だとしても合法だよ」
「あ・・・。そうでした」
「そうだよ。別に、どこかの藩で何かしたわけじゃないからね」
晴海は、”藩”という呼び名を使ったが、正確には”州”と呼ぶか、”州国”と呼ぶのが正しい区分になる。
2000年初頭に発生した疫病と食料などの物資不足による地方の疲弊で、都道府県制度と中央集権が崩れた。日本という国の単位では、2つの問題を同時には対応が出来なかったのだ。地方自治体の力が強くなり、有効な手立てをこうじたトップが居る県に人口が集中した。権力を誇っていた、中央は崩壊した。権力機構だけが残る形になった。中央も、しばらくは踏みとどまっていた。憲法改正や中央政府にしか出来ない政策を打ち出したが、手遅れ状態になってしまった。
人口が増えた県は、中央から来ている役人を無視して、独自の法解釈を行い。独自に統治を行い始めた。人口が減った県は余計に中央への不満が増えた。結果、中央に反旗を翻した。
最初は、九州の8県と沖縄県が中央からの独立を宣言する。次いで四国が4県をまとめた香川県が盟主となり独立を宣言。中央も即座に対応策をこうじた、重大な事案として地方交付税の停止や選出議員の議会出席禁止と各地に九州、沖縄、四国への移動を禁止し、物資や資金面の締め付けを行うが、逆効果となる。中央に反感を持っていた、北海道、大阪、愛知、京都、静岡、各地で独自政策を発布し、九州や四国とのやり取りを行う。東京という権力の牙城である官僚内閣制が崩れる。東京を除く、道府県が独立を宣言するまで、官僚と中央議員は何も出来なかった。民衆の力を読み間違えたのだ。
当時、総理の椅子に座っている者が、自分の責任だと言って辞職を言い出してから、更に再編は加速する。
廃藩置県を経て、1876年の大規模合併で民衆の声を無視した中央の都合がいい改革を押し付けられてきた地方の反乱が始まったのだ。1888年に愛媛県から香川県が独立したのを最後に行われていなかった都道府県の分割が始まった。まずは、長野県から筑摩県が独立した。兵庫県が、摂津・丹波・但馬・播磨・美作・備前・淡路に行政を分けたが、大きく兵庫州国と宣言した。
日本国は、各州国の代表から選ばれる総理と、全国民の投票から選ばれる大統領に権力が別れている。一人が、内政と外政を行う旧態依然とした政治体制からの脱却だ。官僚の数も大幅に減らされた。中央に養えるだけの税収がなくなったのが大きな理由だ。中央は、外政を行うための機関だけが残された。
市区町村制度は残った。市区町村の再編には100年の期間が必要となった。一番小さい単位の市区町村が尊重される政治体勢になった。州国と市区町村も日本国と同じで、内政を行う領主と外政を行う首相に別れた。権力の集中が出来ないように、領主と首相は同一人物が担当してはならない。また、六親等以内での兼任も禁止となる。二世議員が問題になった過去から、三親等以内の者が同じ行政区分からの立候補/推薦を禁止した。
晴海と夕花が、向かっている伊豆も静岡県から独立した伊豆州なのだ。駿河と遠江と静岡も分離した。伊豆と駿河が山梨の一部と合併して、富士州国となった。各州国の国境は閉鎖してはならないという不文律がある。検問を行うのは、疫病の蔓延を停められなかった中央政府の失策から学んだことだ。
大きく行政が変わったが、変わらないものもあった。日本国民の移動には制限をかけない。独自の基準を設けて、入州国を禁止にすることは出来るが、審査を受けさせないのは基本憲法に反すると宣言された。
基本的な法律は、2000年代に制定している物がベースになっているが、各州国で策定出来る項目が増えた。
奴隷制度も、そんな時代に生まれた。中央政府の苦し紛れの法律なのだ。
「動き出したな?夕花」
「はい。何か、お飲みになりますか?」
「今はいいかな。それよりも、隣に座って」
「はい」
晴海は、夕花がポットを棚に戻して、隣に座るのを見ていた。
先程、押し倒した時に感じた、壊れてしまいそうな柔らかさを、狂おしいほどに甘い匂いを、激しく壊れてしまいそうな心臓が、そして、吸い込まれそうな瞳を、夕花のすべてが欲しいと思えた。
(夕花は、奴隷だ。僕の言葉に逆らわない。でも・・・。それでは、夕花のすべてが手に入らない。夕花の身体も、心も、全て、全てが欲しい。命までも、僕は手に入れる)
「どうしました?」
晴海が夕花を見て固まっているのを感じて、何か有ったのかと思ったのだ。
「ん?あぁ大丈夫だよ。少し、考えていただけだからね」
「考え事ですか?」
「うーん。夕花が可愛いと思っていただけだよ」
「うぅぅ。そうやって、晴海さん。もう、ごまかされません!」
「本当だよ。でもそうだね。ほら、トレーラーに乗る前に、見ている奴らが居るって話したよね?」
「はい」
「アイツラは、僕たちを狙っていなかった。礼登たちが対処したけど、今後も増えるだろうと思ってね」
「そうですね」
「気にしてもしょうがないか」
「はい。次は、どこに寄るのですか?」
「忘れた。停まったら、礼登が教えてくれるだろう」
「わかりました。晴海さん。お休みになりますか?」
「可愛い奥さんの膝枕で寝たから、大丈夫だよ。夕花は、身体を休ませておいて欲しい、伊豆に着いたらいろいろやってもらう」
「・・・。わかりました。休ませていただきます」
夕花は晴海の指示に素直に従った。疲れてはいないが、寝るように言われた。夕花は、晴海から指示をされるのが心地よく思えているのだ。
夕花が、ベッドに潜り込んだのを確認してから、晴海は谷田部パーキングエリアで渡された紙片を取り出す。
(面倒な・・・。この文字列から、単純暗号じゃないな。ish か?)
(当たりだな)
晴海は、紙片に書かれていた、3000文字に渡る文字を情報端末に入力する。
テキストから、バイナリーに変換する。バイナリーは、暗号化されているファイルだ。復号化してから、圧縮を解除する。
(面倒だ!)
すでに、晴海はどうでもいいかと思い始めている。能見がこんな面倒な手段で渡してきた情報だ。大事な情報なのだろう。
解除されたファイルを確認する。
(能見!!!!!)
ファイルには、アクセスコードが書かれている。それ以外は、能見の晴海への愛情が書き込まれたファイルだ。
晴海は、アクセスコード以外を削除して、システムに読み込ませる。生体認証を通して、アクセスを行うと複数のデータが情報端末に送られてきた。
(こんな面倒なら、コールしてこい!)
7つのデータが送られてきた。大本が削除されたのを確認して、切断した。7つのデータは、このままでは見られない。
(あいつ!)
晴海への愛情が書き込まれていた状態にファイルを復元して、アクセスコードを削除する。不自然な改行になっていた。改行しないように調整した。想像通り、縦読みでデータの並び順が判明した。データを正しい順番に並び替えをしても内容が読めない。データをバイナリー化して確認する。圧縮後に暗号化されている。圧縮方法もマイナーな方式をつかっているのが解る。晴海は、文句をいいながら圧縮を解除してから、復号化する。
やっとデータの参照が可能になった。内容にバイナリーが含まれていないか、アクセスコードが紛れ込んでいないか、チェックを通してから、データを閲覧する。
「え?」
晴海は、データを閲覧して思わず、ベッドで寝ている夕花を見てしまった。
【第六章 縁由】第一話 権力
晴海は、能見からの資料の扱いを考えていた。
寝ている夕花を見てから情報端末の資料を見る。
(能見の奴、こんな爆弾を用意していたのか?夕花を寝かせておいて正解だな。夕花の前で見ていたら・・・)
資料には、夕花の実家にまつわる調査結果(第一弾)が書かれていた。
夕花の父親が友人と立ち上げた会社は裏で密輸に手を染めていた。
州国間の貿易は認められている。州国によって取り扱いが違う商品は基本的には存在しない。大麻を合法化しようとした州国も存在したが、内外からの反対で廃案になった。
夕花の父親たちは、表向きは東京都(旧東京都の千代田区と港区と中央区だけが東京都を使い続けている)で扱われる諸外国の物資を州国に売って、諸外国向けに州国の物産を東京都で販売していた。しかし裏では、東京都に残っていた特権階級を相手に大麻や|合成麻薬を流していた。
もちろん、大麻や|合成麻薬は違法だ。特に、|合成麻薬は緩やかな精神崩壊だけではなく、一定期間は細胞の分裂を遅くなる成分が含まれていた。そのため、老いにくくなるのだ。権力者たちがこぞって使って、精神崩壊を招いた歴史から世界中で使用はもちろん、製造も販売も所持も禁止されている。禁止されている|合成麻薬なので、高く売れる。使い続けなければ意味がない。まさに、悪魔の薬なのだ。
東京都では、州国の存在を未だに認めていない。すでに特権階級以外では、住民が居ない場所で彼らは独自のルールを策定し始めていた。東京都は、諸外国との窓口にもなっている。諸外国の大使館は変わらず東京に置いてあるためだ。東京都は、入都税を策定した。諸外国から”奴隷”となる人の輸入を始めた、2000年初頭に発ししたパンデミックで経済に大ダメージを受けた諸外国では食糧不足から来る難民が問題になっていた。東京都は積極的に難民を受け入れた。高い税金を課して払えない場合には奴隷として州国に売っていた。東京都は、自分たちが楽をするために労働力を求めた。その労働力から搾取する方法として高い税金だけではなく、奴隷としての販売益を得て肥大化した。
夕花の父親は、そんな特権階級が望む品々を州国からかき集めて、販売していたのだ。
その中には、違法な物も多かった。大麻や|合成麻薬も含まれていた。特殊性癖を持つ者への販売も行っていたのだ。
夕花の父親は、その商売で得た|情報を持ったままだと思われるとまとめられている。
兄は、組織が追っているのは間違いないが、兄も組織の裏帳簿や|情報を持って逃げていると思われている。そして、その|情報も東京都を根城にしている犯罪組織が絡んでいる。
(東京都が絡んでくるのか・・・)
晴海は、寝ている夕花を見る。
ベッドで横になってから、すぐに寝息が聞こえてきている。
(そうだよな。夕花に黙っていて・・・)
晴海は、情報端末の資料を閉じた。夕花が寝ているベッドに近づいた。
寝ている夕花の顔を覗き込んでから、まだ寝ているのを確認した晴海は横のスペースに腰掛けて、夕花の髪の毛を触って資料の内容を思い返していた。
(そういえば、母親に関しては何も書かれていなかった)
能見からの資料は第一弾となっていて、これから詳しい内容を調べるのだが、夕花を狙っている組織が2つあるという事実を晴海に伝えたかったのだ。
晴海は、夕花の隣に潜り込む。布団をめくると、ワンピースの裾が捲れて、夕花の健康的な腿が目に入る。ワンピースを元の位置に戻して横になった。
2時間後に、晴海は目を覚ます。寝たつもりはなかったのだが、抱きついてきた夕花の暖かさに負けて寝てしまっていたようだ。
「夕花?」
晴海は、横で寝ていると思っていた夕花が居ないのに気がついた。
「あっ晴海さん。起こしてしまいましたか?」
「ん?大丈夫だよ。あっ僕にももらえるかな?」
「はい。わかりました」
晴海は、夕花が用意した紅茶を受け取った。
「うーん。おいしい。夕花。話がある。座ってくれるか?」
「はい?」
いつになく真剣な表情の晴海を見て、夕花は首を傾げながら晴海の正面に座る。
「夕花。能見から資料が届いた」
「はい?」
「その資料には、夕花の父親と兄を調べた情報が書かれていた」
「え?」
「正直に言うと、僕は、夕花に、この資料を見せるべきか、教えるべきか、悩んだ」
「・・・。晴海さん」
「でも、多分、これから、僕や夕花を狙う者たちが出てくるだろう。対峙する場合も考えられる」
「そうです」
晴海は、自分で言い訳を回りくどく言っているという認識はある。夕花に、資料の内容を教えると決めた今でも迷いはある。考える度に、反対側に天秤が傾くのだ。
「夕花」
「はい」
「対峙した者から、事実を知らせるよりは、僕から、夕花に知らせたほうがいいと判断した」
「はい。私も晴海さんから聞きたいです」
「ありがとう。能見の資料は、後で見せる」
「ありがとうございます」
晴海がカップに残っていた紅茶を一気に飲み干す。
空になったカップを晴海が見ていたので、夕花はおかわりを入れようと立ち上がろうとした。
「おかわりを入れましょうか?」
「いや、いい。ふぅ・・・。お兄さんは・・・」
晴海は、兄の話からした。
まだショックが少ないだろうと考えたのだ。
「・・・。そうですか・・・。兄は、やはり・・・。真実だったのですね」
「そうだな。夕花が知っている事実と変わりがないと思う」
「はい。それで、あの人は?」
「あの人?お兄さんか?」
「晴海さん。違います。私と兄を、お母さんに産ませた人です」
「・・・。うん」
晴海は、夕花が兄を呼ぶときよりも感情がこもっていない呼び方をしている父親に関して書かれていた情報を伝える。
「・・・。そうですか・・・。あのひとは・・・。小心者で、愚か者だと思っていましたが、ただのクズだったのですね」
「・・・」
「晴海さん。その資料は、どこにあるのですか?」
「能見も見つけられていない。探すとは書かれているから、探しているとは思う」
「晴海さん。連絡が可能なら、能見さんに、あの人の仕事のパートナーだった人が仕事を始める前に住んでいたのは、讃岐です」
「讃岐・・・。四国州国か・・・」
「はい。母の知り合いからの紹介だと言っていました。でも、母は知らない人だと言っていました」
「なぜ、そんなわかりやすい嘘を?」
「母。東京都出身なのです。なので、母の知り合いだと言えば・・・」
「そうか、外国産の物を扱っても、不思議に思わないわけだな」
「だと思います」
「わかった。能見に伝える。ありがとう」
「・・・。晴海さん?」
「なに?ん?」
夕花は、晴海をじっと見ているだけだと思ったが、涙が目から零れ落ちていた。
「夕花?どうした?」
「・・・。僕・・・。は・・・るみさ・・・んのじゃ・・・ま・・・しか・・・し・・・て・・・ない。やくに・・・たと・・・うとして・・・もな・・に・・・もでき・・・ない」
晴海は、腰を浮かせて、夕花の隣に座る。泣き止まない夕花を抱きしめる。
「夕花。役に立っているよ」
「う・・・そ・・・です。あ・・・の人が・・・」
「うん。それは、計算外だったけど、東京に居る連中を潰せるかも知れないネタが手に入るかもしれない」
「え?」
まだ、鼻をすすっているが、夕花は晴海の言葉で顔をあげた。
目が真っ赤になっている。
「夕花。目を閉じて」
「はい」
晴海は、泣いている夕花に目を閉じさせて、まぶたに優しくキスをする。
「え?」
「夕花。僕は、夕花で良かったと思っている。夕花。確かに、僕の狙いは復讐だ。それも、個人の感情を優先した最低の行為だ」
耳まで赤くした夕花が晴海を見つめる。
目には涙が浮かんでいるが、先程まで違って、新しい涙は産まれてきていない。
「は」
夕花が、晴海の名前を言いかけたが、唇を晴海の指が塞いだ。
「いい。夕花。僕の狙いは、僕の家を狙った・・・。僕の家族を殺した奴らだ!」
「・・・」
「そして、直接命令を出したのは解っている。尻尾は掴んでいないが、間違いはない。でも・・・」
「でも?」
「直接手を出した者たちにも報いはくれてやる。しかし、道具だ。道具に命令した奴らがいる。そして、その命令した奴らの耳元で囁いた連中が居る。自分たちは、安全な場所に居て、自分たちは手を出さずに、美味しいところだけを持っていこうとする奴らを許せない」
「はい」
「東京都に居るのは解っている。殺すのは簡単だ。でも、それだけでは、復讐にはならない」
「・・・」
「僕は、僕が味わった喪失感を、彼らにも味わわせたい。彼らが、大事にしている|物を彼らから取り上げて、彼らが悔しがるところを見たい。それから、ゆっくりと時間をかけて殺してあげたい」
「・・・。晴海さん。私は、晴海さんのお手伝いがしたい。ダメですか?」
「ダメじゃない。夕花にも手伝ってもらう。そのために、夕花がいう”あの人”の資料が気になる。解ってくれるか?」
「はい!あの人を思い出したくは無いのですが、資料は必要です。何か、思い出したら、晴海さんにお伝えします」
「ありがとう。夕花!」
晴海は、改めて夕花を抱きしめた。
【第六章 縁由】第二話 攀援
「晴海さん?」
「もう少し」
「あっはい」
会話にならない会話を二人は続けていた。晴海は、ソファーに自分が座って、膝の上に夕花を乗せて抱きしめている。
抱き枕ではないが、自分の膝の上に乗せて、夕花を横座りの状態にして抱きしめているのだ。夕花も最初は恥ずかしかったが、今は呆れ始めてしまっている。
「うん!夕花。テーブルの上に置いてある、情報端末を取って」
「はい。でも、私が降りれば・・・」
「ダメ」
「わかりました」
夕花は、晴海の上に乗ったまま身体を曲げて情報端末を取って、晴海に渡した。
晴海は、情報端末を受け取ってから、夕花を後ろから抱きしめる格好にして、夕花が見える場所で情報端末を操作して、能見の資料を夕花に見えるようにした。もちろん、夕花を抱きしめたままだ。
後ろから回した手は、夕花のお腹当たりを抱く状態になっている。そして、夕花の肩越しに情報端末を片手で操作している。
資料が表示されると、晴海は黙って夕花に見せた。
夕花は、資料を黙って読み進めた。晴海に守られていると考えながら、夕花は自分の父親と兄の悪行を読んだ。
「今、わかっているのはここまでだよ」
「・・・」
「夕花?」
「晴海さん。ありがとうございます」
夕花は、晴海に”ありがとう”と伝えるのが正しいと思ったのだ。
この資料を、夕花に見せない方法もあった。でも、晴海は夕花に資料を見せた。情報端末を持つ晴海の手が、腕が、心が、揺れていたのを夕花は知っている。夕花に資料を見せる寸前に、晴海が躊躇したのに気がついた。そして、背中から伝わる晴海の暖かさ。強く脈打つ臆病な心臓の音。すべてが、自分のためだと考えたのだ。うぬぼれではなく、奴隷として、人間として・・・。女のとして、晴海の優しさを感じたのだ。
「夕花?」
「大丈夫です。私は、晴海様の奴隷です。晴海様のために存在して、晴海様に殺される者です」
「違う。夕花、夕花は、僕の奥さんだ」
「はい!」
夕花は、体重を晴海に預けるように寄りかかる。
晴海は、夕花の全てを受け止めるように、身体で夕花を支える。
夕花は、耳元で囁かれる晴海の言葉が心地よく聞こえている。心を現世に留めてくれている。勘違いかもしれない。ただの思い上がりかも知れない。ただの執着なのか知れない。たしかなこともある、夕花には晴海が必要なのだ。
トレーラーが加速した。
「夕花」
「はい」
夕花は、晴海から身体を離すと、すぐに立ち上がって、壁際にあるスイッチを押した。
正面に設置してあるモニターが明るく光る。
『晴海様。もうしわけありません』
すぐに、礼登が応答した。
晴海は、二分割されている画面を4分割にして、前方と後方と左右を表示させた。
見た感じでは、異常は見つけられない。
「礼登。どうした?」
『はい。先にご連絡をしなかったことをお詫びいたします。圏央道に入ってから、尾行らしき者がいまして、速度をあげて反応をみてみました』
「うしろか?」
『今は、前を走っています。そろそろ視界に入ってくると思います』
礼登の宣言通り、5分後に通常車線をゆっくりとした速度で走っている車が映し出された。
「礼登。あの車か?」
『はい。抜き去った後の動作を見てください』
「わかった」
車の動きは不自然に見えた。トレーラーが追い越した瞬間から加速を初めてピッタリと後ろに付ける。しばらくは、後ろを走っていたが、加速して前に出る。
「礼登。このまま、減速したらどうなる」
『はい。マーキングをしてありますので、御覧ください』
マーキングとは、2000年初頭から繰り返された悪質運転に対抗する機能だ。悪質運転を行う車を見つけたときに、カメラで撮影してナビシステムに記憶させる。記憶した車の情報は共有される。車の位置情報が分かる仕組みになっている。昔は、撮影された車で警察車両が悪質運転を認知する必要があったが、現状では動いているすべての車が対象になっている。
「確かに不自然だな・・・」
『はい。この後です』
「動き出した。パーキングエリアを出るのか?」
『高速バスの停留所でも同じ動きをしています』
「一台だけか?」
『わかりません。気がついたのは一台ですが、圏央道に入ってから、車が少ないのも気になっています』
「車が少ないのは、時期だからじゃないのか?」
『わかりません。どうされますか?』
「法定速度まで加速して、しばらく走ってくれ」
『わかりました』
晴海と夕花は、トレーラーが加速したのを感じた。
通信中のランプが消えたので、運転席との通話は遮断されたのがわかる。モニターは、ナビモードに変わっていて、マーキングされた車の位置がナビに表示されている。
「そうされるのですか?」
「うーん。狙われる可能性は多いからな。問題は、どの組織が出てきたか・・・。だけど、あまりにもおそまつすぎる・・・。素人かもしれない」
「え?」
「僕や礼登程度に尾行を見破られるのだよ。素人だと思うよ?」
「・・・」
「あっ!夕花、礼登に繋げて」
「はい」
夕花が、ボタンを押した。礼登もすぐに気がついて通話のラングが光る。
「礼登。次に彼の車がパーキングエリアに入ったら、僕たちも休憩しよう。礼登だけが降りて様子を見てよ。トレーラーが目的なら、何かしらのアクションを起こすだろうし、礼登が目的なら、礼登を付けるだろう?僕や夕花が目的なら、トレーラーに近づくかこちらを見張っているだろう?」
『わかりました。次は、狭山パーキングエリアです。狭山パーキングエリアを通過してしまうと、東名中央高速になるので、狭山パーキングエリアに寄ります。長めの休憩になると思いますが、問題はありませんか?』
「大丈夫だ」
通信が切れた。
礼登は、指示に従って、狭山パーキングエリアにトレーラーを停める。
「晴海さん。私たちは?」
「ごめん。今回はトレーラーの中に居よう。相手がわからないから、動くに動けないからね。もしかしたら、杞憂かも知れないし、細い一本の糸なのかもしれないし、全く想像が出来ないからね」
「わかりました。何か、お飲みになりますか?」
「いいかな。あまり水分を摂取すると、トイレに行きたくなってしまうからね。それよりも・・・。夕花」
「はい。なんでしょう?」
紅茶のセットを元の位置に戻しながら、夕花は晴海の問いかけに答える。
「夕花。お義母さんの話を聞きたい。ダメかな?」
「構いませんが、私が知っている母は・・・」
「そうだね。でも、僕は、夕花が知っている優しく夕花を育ててくれたお義母さんをもっともっと知りたい」
「・・・。ありがとうございます」
晴海は、礼登から報告が来るまで、夕花から母親の話を聞いた。
夕花は、母親が結婚する前はよく知らないようだ。東京都出身とだけ母親から聞いていた。詳しい話は知らないようで、旧姓も”文月”とだけ教えられていただけで、本当なのか判断は出来ないと正直に伝えた。
夕花は、晴海の求めに応じて、好きだった食べ物や、母親がよく作ってくれた物や、二人だけになったときによく連れて行ってくれた場所や、子供のときによく聞かせてくれた歌を話した。
「そうか、夕花はお義母さんがどの州国の出身なのか知らないのか?」
「はい。東京都と言っていましたが、東京都から武蔵州国に嫁ぐのはないと思います」
「そうだね。横浜州国ならまだ可能性はあるけど、武蔵は無いだろうね。絶対に、無いとは言わないけど・・・」
「そう思います」
トレーラーが狭山パーキングエリアに到着してから一時間が経過した。
礼登も運転席から離れてフードコートの椅子に座ってから戻ってきていない。トレーラーの近くを通る者は居るが、監視したり、何度も接近したり、怪しい動きをする者は現れない。
その頃、礼登は狭山パーキングエリアで、狭山茶を飲んでいた。
一時もの間、礼登を見ている男性が居るのには気がついていた。監視しているわけでも、尾行しているわけでもなさそうだ。本当に、見ている状況なのだ。
礼登は情報端末で、能見に連絡をした。
能見からは、男の視線を感じていなさいとだけ指示があった。能見の部下たちが、礼登を見ている、男が乗っていた車や男の素性を調べる時間を作る。
【第六章 縁由】第三話 記者
-- とある記者 --
ひとまず、尾行には気が付かれていないようだ。
私は、房総州国でフリーのルポライターをやっている浅見だ。私の名前など忘れてくれて構いません。だが、私が正義の体現者である事は覚えておいて欲しい。私は、今、尾行を行っている。東京都の犯罪や越権行為を辞めさせるために確たる証拠が欲しいのだ。確かな情報を掴んだ。
奴隷市場が開催された場所に張り付いて居る。彼らが、ここで奴隷市場を開催して違法奴隷を売っているのだ。
奴隷市場では、違法奴隷を扱っていないと言われていますが、東京都の奴らなら、違法な奴隷でも合法だと言って出品しても不思議ではない。
そして、私は証拠を掴んだ。今、尾行しているトレーラーには東京都の不正が詰め込まれている詰め込まれている。間違いない。違法奴隷を大量に購入して、どこかに運んでいる。
私は優秀なルポライターだ
皆が諦めて帰っていくなか、辛抱強く待っていた。ホテルの地下に不釣り合いな大型のトラックが入っていった。普通の一般人なら、ホテルの備品でも搬入しているのだろうと考えるだろう。だが、私は違う。まずは、。ホテルに探りを入れたがホテルで大規模な改装が行われている様子はない。
私は、大型トラックの全面からカメラで撮影した。
本当は許される使い方ではないが”正義”のためなら許されるはずだ。大型トラックは、東京都の悪事を暴くためには絶対に追尾しなければならない。私は使命感に燃えていた。
失敗した!失敗した!失敗した!
悪事を働いている大型トラックは、夜中に移動を開始するはずだ。悪い奴らは、闇夜に紛れるのは決まりごとだ。聡明な私は、大型トラックが動き出したら、見失わないように、|何かの本で読んだ通りに、間に1台の車を挟んで追尾すると決めた。私が正義のために、悪い奴らを追尾しているのだ、周りも協力してくれるに違いない。
そう思って、昼間に寝て夜中は監視するためになるべく起きていようと思った。
アイツらは、私の裏をかいた。夜ではなく、昼間に移動を開始した。
それも、私が寝ている時間帯だ。正義のフリールポライター浅見の裏をかくとは、悪事に手を染めた連中もやるではないか。
それに、あいつらは確実に悪いことをしている。具体的には、奴隷市場を使った奴隷のロンダリングだ。それと、東京都への入金を誤魔化すための手法なのだろう。私は騙されない。そして、私の勘があたっていた。地下に入って車の台数を確認した。大型トラックが動き始めたと思われる朝には、地下駐車場には79台の車が停まっていた。しかし、大型トラックが動き出すまで、外に出た車はいなかった。それなのに、私が数えたら77台の車しか残っていなかった。何か、からくりがあるはずだ。
逃げられたわけではない。聡明な私は、悪事を働く大型トラックを・・・。そう!泳がせた!他に仲間が居るはずだ。私の様に美しい者が尾行したらすぐに気がついてしまう。そのために、少し距離を開ける必要があった。そう。私は間違えていない。正義なのだ。
それに、マーキングしているから、たやすく見つける事は出来る。
東京都からでて大型トラックは、どこに向かった。
旧23区内ではないだろう。それなら、地下鉄を使ったほうが悪事は隠しやすい。地下鉄は、東京都が所有権を有していたはずだ。
武蔵州国が人手不足で悩んでいると、どこかの記事で読んだ。
そうだ!武蔵州国に違法奴隷を販売したのだ。大量に運ぶために、大型トラックが準備されたのだ!
さすが私だ。冴えている。すぐに、武蔵州国に向けて出発しよう。
聞き込みは苦手だ。
そんな事は、優秀ではない者が行う事だ。優秀な私は自分の勘を信じて車を走らせる。
ナビに反応があった、
谷田部パーキングエリアに停まっている!そうか、奥州州国に行くのだな。昔から、ロシア大国との繋がりある蝦夷州国とも繋がっている。日本国民を、違法奴隷にして蝦夷州国からロシア大国に売るつもりだな。
そのような悪事を、正義の心をもつフリールポライターの浅見が許すわけがない!絶対に、突き止めて成敗してやる。
谷田部パーキングなら、このまま圏央道に乗ればジャンクションで近くに行ける。
出来る!私なら間違いなく出来る!私が正義なのだから、間違いない。
やっぱり、私が正義なのだ。東京都が悪なのは間違っていない。
大型トラックは、私の予想した通り、圏央道を八王子方面に向けて走っている。
私の正義が勝ったのだ。大型トラックは、私の前をゆっくりとした速度で走っている。
やはり、私は間違っていない。
違法奴隷が大量に乗っている。だから、速度が出せない!間違いない!
圏央道では、大型トラックは制限速度にならないギリギリの遅さで走っている。
私もその速度で走ろうとすると、車から警告音がなってしまう。最低速度は、大型トラックの方が遅いのだ。
悪辣な方法で、正義の使者であるフリールポライターの浅見から逃げようとしているな。
そんな方法では、私の正義は崩せない。速度を落とすのが駄目なら停めてしまえばいい。
私は、数年前に出た漫画で読んだ、高速道路でうまく尾行をする方法として書かれていた内容を思い出した。
路肩で車を停めたりすると、警察や軍が出動してくるが、路線バスなら大樹オブだという記述だ。だから、私は大型トラックを追い越して距離が離れてしまったら、路線バスの通路に入って車を停める。大型バスが通り過ぎたら、尾行を開始する。
まさか、私がこんな高等テクニックを使って尾行している事実を、悪人は気が付かないはずだ。私が正義なのだから、私の邪魔はしないはずだ。
何度か、追い越しては、路面バスの停留所付近でやり過ごしてから尾行を再開する。
賢い私は、インターチェンジで大型トラックが降りてしまう危険性に気がついて、インターチェンジの近くの時には、警告音が出ても大型トラックの後ろに居るようにする。大型トラックは私の尾行には気がついていないはずだ。だから、多少近づいてもわからない。だから、インターチェンジが近づいた。だが、やはり、正義は私にある。
私が前に出て、路面バスのバス停を探していると、大型トラックが速度を上げてきた様子がナビに表示された。
私が予想した通りだ、大型トラックは焦っているのだ。間違いない。焦って、速度をあげている。違法奴隷に、何か問題があったに違いない。
私を追い越しても速度を緩めない。
大型トラックは私に気がついていない。それも当然だろう。車は正義のフリールポライターが乗る正義の色のグリーンなのだ。グルーンは、私のクリーンな心に合わせた色だ。青色と迷ったが、白ではない。グリーンが私の色なのだ。白では、悪の黒に対抗出来ない。グリーンなら黒に対抗できるのだ。
大型トラックを追い越して、狭山パーキングエリアで通過するのを待っている。最高速度でも、大型トラックよりも、30キロは早く走れるから、すぐに追い越してしまう。あまり後ろを走っていても駄目だ。なんとか言う車・・・F1の映画で、後ろを走っていると、乱気流でタイヤを痛めてしまうと教えられた。だから、天才な私は大型トラックの前に出て、大型トラックのタイヤにダメージを与えていたのだ!こんな高等テクニックを使えるのは、私が正義のフリールポライター浅見だからなのだ。
狭山パーキングエリアで通過を待っていると、大型トラックは狭山パーキングエリアに入ってきた。
そうか!私がタイヤにダメージを与えていたから休ませるのだな。やはり、私は間違っていない。そうか、タイヤにダメージがあると(たしかフラットスポットとか・・・)車が安定しないと言われていた。違法奴隷を大量に乗せているから、タイヤへのダメージは申告なのだろう。
大型トラックは、私から離れた位置に停まった。
運転手だろうか降りてきた。しっかりと見つめて何も見逃さない。大量の違法奴隷に水や食料を買いに行ったに違いない。私は、男性を尾行する事に決めた。男性は、20代半ばくらいだろう。オーダシートを貰って、サインして返す。手慣れた感じから、東京都の人間だとすぐに解ってしまう。私の目は誤魔化せない。
インフォメーションセンターに寄っている。真面目に入州税を払うようだ。
高速のパーキングエリアでは、まとめて入州税の支払いが可能だ。私も男性の後に続けて入州税を払う。
「佐藤様?」
「あっはい」
佐藤は、私正義のフリールポライターが世間で呼ばれている名字だ。私は、浅見だ。フリールポライターで事件を解決するのは、昔から、浅見と決まっている。だから、私は、浅見なのだ。
「佐藤様は、すでに入州税をお支払いです。手続きが完了しています。ご旅行でしたら、代理店が支払いを済ませていますので、代理店にご確認ください」
「え?」
誰か、私の正義を応援してくれているのだ!間違いない!
正義のフリールポライター浅見を影から支えてくれる1万の読者の正義が、処理を終わらせてくれた!
「ありがとうございます。確認してみます」
「はい」
確認など必要ない。
正義の使者であり、正義の体現者である。フリーのルポライター浅見を支えてくれている人だろう。ありがたい。
正直、入州税を払ってしまうと、明日から・・・。違う。正義を執行しているのだ、大丈夫だな。正義は我にあり!
大型トラックを運転していた男性は、1時間動かない。
そうか、違法奴隷の疲れを心配しているのだろう!
無意味な事だ。
ここに、正義の使者である。フリーのルポライター浅見が居る限り、悪は栄えないのだ!
【第六章 縁由】第四話 誘導
『晴海様。追跡者の身元がわかりました。データを転送します』
「頼む」
晴海は、送られてきた情報を見た。
本人談の部分で笑ってしまった。
「礼登。こいつは、本気で言っているのか?」
『その様です』
「晴海さん?どうかされたのですか?」
「夕花。そうだ・・・。モニターを見て、今、礼登から送られてきた、俺たちを尾行していた男の情報だ」
晴海はモニターに情報を表示した。
---
本名:|佐藤|太一
年齢:23歳
職業:地方タウン誌の記者
賞罰:
13歳:窃盗犯捕縛に協力
15歳:盗撮犯捕縛に協力
18歳:過剰防衛にて、執行猶予1年 1年間の東京都立入禁止命令 3年間の海外渡航禁止命令
20歳:公務執行妨害。不起訴
21歳:公務執行妨害。不起訴。
公務執行妨害。不起訴。
過剰防衛。被害者と和解。起訴猶予処分。
22歳:東京都迷惑条例。領域侵犯罪。起訴猶予処分。
本人談
自分は、正義のフリールポライターの浅見だ。東京都の不正は、正義の使者である自分が暴く。
---
夕花は、他にも表示されている情報を読んで、黙ってしまった。だが、肩が震えているところを見ると、笑いをこらえているのだろう。
「礼登。それで、彼の目的は?」
『正義の執行じゃないのですか?捕縛して問い詰めますか?』
「その必要はないだろう。目障りだけど・・・。東京都の不正か・・・」
「晴海さん。正義の・・・ルポライターの浅見・・・さんに、あの人がやっていた薬の売買に関しての方向を逆にして知らせられませんか?」
夕花は、途中まで笑いを堪えるのに必死だった。途中で落ち着いて話ができるようになった。
「ん?」
「東京都の一部の特権階級が、周りの州国に大麻や合成麻薬を売りさばいているという噂を流す。その時に売人は外部の人間だと」
『奥様。大筋はよいと思いますが、能見様からお聞きした情報をベースにシナリオを考えたいのですが、ご許可を頂けますか?』
「お願いします」
『奥様。ありがとうございます。正義のフリールポライター殿には、踊ってもらいましょう。奥様のお父様のお名前を出しても構いませんか?』
「お父様などと呼ぶ必要がない人です。あの人の名前と私が知っているパートナーの名前を晴海さん経由で送ってもらいます」
『わかりました。その御仁の名前を、正義のフリールポライター殿が知るように誘導します』
「任せていいか?」
『お任せください』
礼登は、外から通話ではなく、メッセージの送信機能を使って、晴海と夕花に情報を伝達してきた。
『晴海様。奥様。出発は、1時間後の予定です。ゆっくりとお休みください。正義のフリールポライター殿の視線が外れましたら、ご連絡します』
「わかった。礼登。無茶するなよ」
『はい。御心のままに・・・』
礼登は、最後だけ音声で晴海の命令を受諾したと伝えてきた。
通信を切って、礼登はシナリオを考え始めた。ある一部で頭を悩ませていた。
嵌める相手は、正義のフリールポライターの浅見だ。途中で失敗して、狙っている奴らに情報が流れる事態を想定しなければならない。
(晴海様の近くに、これ以上、キャラクター性を持った男性を近づけたくない)
礼登の思いはその一点だった。
能見や礼登以外にも、晴海の周りには一芸に秀でた|男|性が多く集まっている。一芸に秀でた変人という扱いで、世間から爪弾きにされた者も多い。晴海はそれらの者たちを集めて組織を作って、自分の手足として使った。
礼登から見て、正義のフリールポライターは、晴海が好きそうなキャラクター性を持っている。
夕花からの提案は、いろいろとメリットが多いわりに礼登にはデメリットが少ない。
一番のメリットは、夕花を狙っている連中で不明な部分が多い組織を炙り出せる可能性が出てくる。夕花の父親の名前を出せば、解る者ならそれだけでも危機感を持つだろう。それが、正義のフリールポライターが持っている資料にある。他に、どんな情報を知っているのか、無難に接触するのか、拉致という短絡的な行動に出るのかはわからない。拉致されたとしても、礼登は問題には思わない。もしかしたら、晴海から叱責される可能性もあるが、礼登はそれが”ご褒美”だと言える感性を持っている。どちらに転んでもメリットなのだ。正義の(以下、略)が、本当に夕花の父親まで行き着いてしまったら、そのときに考えればいいので、メリットでもデメリットでもない。
礼登も能見も、晴海が大麻や合成麻薬を忌み嫌っているのを知っている。
一族や分家、子家だけではなく、百家に至るまですべての関係している家に、合成麻薬及び関連の商品を扱った場合には、徹底的に攻撃すると宣言した。
これから、晴海が生活の拠点にする。伊豆や駿河で合成麻薬を扱っていた組織は全部潰した。個人の売人までは手が回っていないが、それらを東京都や東京都に雇われた連中にやってもらおうと考えたのだ。
礼登が30分かけて考えたシナリオを、能見が多少手直ししただけで、作戦として実行された。
作戦と言っても、正義の(以下、略)に、情報がうまく渡るように誘導するだけだ。
---
私は、正義のフリールポライターの浅見だ。何故、浅見と言っているのか?
答えは簡単だ。フリールポライターは浅見と昔から決まっている。この名前なら、綺麗な女性と知り合う可能性があがる。事件を解決出来る。しかし、私にも兄は居るが、兄は公務員ではない。それだけが違う。他は、私が正義のフリールポライターの浅見であることを証明している。
悪の権化であり、庶民の暮らしを壊して、違法奴隷を運んでいる。東京都の人間を、尾行している。私の尾行は完璧で見破られていない。悪人は、正義には勝てないのだ。
悪人は、私の存在には気がついていない。30分くらい前に動きがあった。情報端末で誰かと会話をしたようだ。その後、すぐに動くかと思ったが、座って悩み始めた。もしかしたら、私の正義の心が、悪人に届いて、良心の呵責を感じているのかもしれない。いや、そうに・・・違いない。
男の横にカップルが座った。
あれは、スパイ映画でよく見る重要書類の受け渡しだ。正義の(以下、略)は、騙されない。きっと、違法奴隷を連れて行く場所の指示を持ってきたのだ。だから、男は数時間も同じ場所で待っていなければならなかったのだ!さすがは、私。凡人には計り知れない天才的なひらめきだ。
カップルは、フードコートからの呼び出しで席を立つ。うん。自然な動きだ。男がどうする?
男は、近くにあった情報端末に触れて、何かを注文した。そうか、自然な形で席を立って、カップルから情報をもらうのだろう?
私が見張っているとは気が付かないで愚かなことだ。やはり、悪は栄えない。間違いない。カップルを探すが、姿はもう見えない。私が目を話した少しの時間で、男は立ち上がって、フードコートの場所に移動していた。男が座っていた場所に、何か情報が残っているはずだ。男が何も持っていないので、まだ受け取っていないのだろう。
カップルを見つけた。離れた場所で食事をしている。二人だけでボックス席を使っている。うまい具合に他からは死角になって見えないが、正義の(以下、略)の目からは逃げられない。彼らがよく見える場所に移動する。
男は、ソフトクリームを受け取ってフードコートを出ていった。
そうか!この天才であり、正義の(以下、略)が居るから避けたのだな。違う。男は、私の存在には気がついていないはずだ。そうだ。わかった。カップルが食事を終えて席を立つ瞬間にボックス席に座って情報の受け取りをするのだろう、間違いない。
カップルが席を立った、食器を返しにいくようだ。
目で追ったが、カップルがボックス席に戻ってくる気配はない。男は、フードコートの前から元いた場所に戻っている。動く気配がない。男が何か受け取った気配もない。
”房総州国からお越しの佐藤一太様。佐藤一太様。至急、会社にご連絡ください”
焦った。私の世を忍ぶときの名前と似ていた。反応して、情報端末を確認してしまった。情報端末で示されている最新の着信は、三週間前にかかってきた勧誘だけだ。私への連絡ではないようだ。
男が立ち上がって、私の方に情報端末を操作しながら近づく。
”はい。佐藤です。社長!もうしわけありません”
”え?サボっていたわけじゃ”
”はい・・・。え?あっGPSですか・・・?もうしわけありません。トラクターの調子が・・・。いえ、大丈夫です。中身?大丈夫です。古着ですよね?はい。先方が怒っている?わかりました。急ぎます”
男が持っていた、悪の心は私の正義の心で浄化されたようだ。
カップルが座っていた席を見ると、封筒が置かれている。
やはり、悪は、あのカップルだったのだ。私は正しかった!
誰かと情報のやり取りを行うための者だろう。相手が遅いので確認しているのだろう。私の目には狂いはなかった。この狭山パーキングエリアを根城にした悪の基地があるに違いない。
そうだ!あの封筒を、私が取得してしまえば、悪の組織に情報が渡らなくなる!私も、悪の組織の情報を得られる。
やはり、私が正義なのだ。私が正しいから、間違った道には進まないのだ!
奴隷市場