切り口


 気骨って言葉が好きでした。意味よりも、口にしたときに途中で引っかかる感じが私の唇に触れて、解剖できない骨を弄んでいる愉しみを味わえました。一日に必ず一回、鏡を見ながら発しました。口内で味わい、耳に残し、「気骨」が震わせた空気の振動を吸い込み、写る私の表情を見て、笑顔になる。
 可愛いって自慢できるぐらい、その時の私は素敵なんです。
 演劇の世界に飛び込み、脚本家のキャリアを積んで、私はそれなりに有名な舞台の演出を任される程になりました。演出の方に注力するために、基本、ホンは信じられる他人に書いていただいたものを採用します。私自身が書いてきたものの特徴として挙げられる、台詞の音への拘りは今も捨てていません。なので、私が手がけるホンの良し悪しの基準は「音」になります。内容を軽視している訳ではありませんよ。不思議なもので、音が良い台詞は内容も良いんです。物語の世界の中で必然性を感じるものばかり、物語を展開させたいから言わせた等の書き手の意図が透けて見えることがない。
 恋愛ものに関しては、「愛」という単語を三回以内に止めているものが好きでしょうか。濃い味の味噌ラーメンみたいに「愛」で埋めてしまうものも悪くはありませんが、なんでしょうかね。手際のいい殺し屋みたいに、手数をかけず「愛」を感じさせてくれる人が好きなんだと思います。格闘家で例えると、関節技のプロフェッショナルですね。寝技は合理の塊なんです。相手の意図を先に読み、逃れられない形で節々を決めにかかる。ああ、また骨に関する話になってしまいましたね。骨それ自体が好きって訳ではないのだけれど、よく分かりませんね。ついつい、話の肝が骨に繋がってしまうんです、私。
 そうですね、「殺し文句」ってあるじゃないですか。あれに関しては、いくら私でも骨ではなく、「身」の方に刺さるイメージが湧きます。フレーズをもって又は何分間の演説で心の急所を的確に突く。ハートを射止められたって感じ、実は私、経験したことがあるんですよ。とても口下手な彼だったので、スマホを通じたメッセージでした。私が目の前にいるのにですよ。一般的な女子なら、幻滅するパターンだと私も思います。ただ、いま振り返るとその原因になってしまったと思うんですが当時、新進気鋭の脚本家として尖っていた私が偏屈な告白を先にしてしまったんです。それに対する彼の立場を思うと、逃げてもいいって思うくらい。というか、私なら逃げてるかもしれません。なのに逃げもせず、目の前で一所懸命に打ち込む彼の姿を見て、そうして届いたメッセージを構成する「音」が素敵すぎて、興奮した心臓が早鐘のように脈打ちました。内容はそう大した事が書かれていなかったんですけどね。まあ、舞台の脚本とは違いますから、その不一致を私は許しています。そのメッセージをなぞって震えた私の「恋」に、間違いはありませんでした。今もその彼とは続いていますよ。好きな気持ちが生きています。
 彼は今どこに、ですか?
 そうですね。彼はお姫様ではないですが、あそこに居ますよ。あの大きな、黄色い星に。



 効率は良いのかもね。
 誰かに殺される前に、誰かを殺し又は殺そうとしているとアピールすることは。
 特に面白半分で人を殺す無秩序な集団内では、そうすることで、誰かに殺されるかもしれない恐怖から気を紛らわすことが出来る。殺している立場にある間、誰かに殺されずに済む(と判断することが容易になる)。また、殺そうとする誰かに対して、反対に殺してやるぞというメッセージを送ることに期待できる。
 まあ、そういう恐怖に突き動かされた行動を取るから、誰かに殺される危険が生まれるのだろうけど。
 それを止めろと言っても耳を貸す人はいないわね。だって、誰もが誰かに殺されるかもしれない状況下において、誰も殺さない選択をすることは殺されるのを待つだけの無防備な状態でいることを決めたようなもの、とアナタ達は解釈するだろうから。
 「公然の事実」は便利よね。不特定又は多数人に紛れることで、犯人として特定されるのを回避し得る。またカモフラージュした結果の形式により、上手くいけば事故として事案が処理される可能性もある。けれども、「公然の事実」を用いたそれが必殺という訳にはいかない。にもかかわらず、失敗の反動はとても大きいことは、アナタ達がよく分かっているはず、よね?
 現在のアナタ達は採用した「公然の事実」による方法の習慣化、ひいては不特定又は多数人間で慣習化が進んでいる。おかげで、前述した恐怖からもたらされる妄想的な強制力で内側から膨らみ、不特定又は多数人間で通用するルールとしてまとわりついたその方法が、いつしか自分達をもその対象にしている。いわばバルーンのようなあり様で「公然の事実」はアナタ達の手を離れ、アナタ達を包む。アナタ達の世界の必要条件となった「公然の事実」に手を出せる者は、だからアナタ達の中から決して現れることがない。
 遊び半分で始めたのに降りられない舞台。これほど厄介なものは無いわよ。誰もが誰かの影を踏まざるを得ず、所構わず暴れ回り、嫌でも流れる汗をたっぷり吸い、脱げない衣装の重さが増す。おまけに血糊の汚れが落ちない。
 導いてくれる演出家もいない。大量に存在する俳優兼演出家は、果たして社会的に許容され、法的にも責任を問われ難い都合の良い結末を実現するためのディレクションを適切に下してくれるのかどうか。
 最低限、血走った両目の手入れは行うべきね。



「かつては、こちらの舞台で繰り広げられた演目も六分の一程に減った。竹取の翁もつけ髭を剥がして、年相応の若い振る舞いを見せている。そうそう、宇宙戦争なんて起こりはしなかったよ。
 今日も足跡を消して、生き物なんていない衛星写真を残すよう、宙を飛びながらパトロールさ。
 因幡の兎って知ってるかい?ボクはそれではないけれど。」


 汗や涎を拭う間も無く、また誰かを殺さなければならない。殺そうとした誰かを殺せたか否かを確かめる暇もない。というか、その誰かを殺せたかどうかなんて、もう意味がないのよね。足の踏み場もない程に勢揃いした舞台上、次なる標的だらけ。
 照明係に指示をしようにも、スポットライトは観客席には向かないわ。なので観られている、理解されていると想定しなきゃ、やってられないわよね。だから、アナタ達はそう思い込まなければならない。悪い資質じゃないわよ。現実との境目を踏まえているのであれば、何の問題もない。
 大事なのは、その境目を正しく引けるかどうか、引いた境界の内側で責任を取れるかどうか。
 外に掃き出すための線引きではないのだけれど、誰かに殺される前に誰かを殺すため、スケープゴートを作り上げるためにこれを行なってしまうのがアナタ達。
 そうなのよね。
 同じ行為でも、その意図が違う。
 残念ながら、舞台には場所としての限りがある。だから、アナタ達が引き続けた線は重ねられ、塗り手繰られた画用紙みたいに識別不能状態となって、意味をなくす。
 線引きの意味が失くなる。ごちゃ混ぜが増す。引いた、引いていないの水掛け論。レフリー不在。場内でも場外でも大乱闘。フォークが飛ぶし、スプーンが回る。
 あら、ちょっと比喩が過ぎるかしら。
 昔取った杵柄のせいね。



「さらさらと事実が流れない。ここの衛星の常識さ。比喩は贅沢だよ。羨ましい限りだ。いつの日か、その言い回しを借りれる日が来ることを願う限りだ。
 ボクは因幡の白兎ではないよ。
 黒い幕を丸めて片付けるだけさ。
 緞帳係っていうのかな、一般的な呼称ではないだろうけど。」


 人はとても飽きやすい。けれど、変わらないからこそ素敵な風景があるわ。反対に、やはり変わらないからこそ意味を見出してもらえない風景もある。
 見る人によるってところかしら。
 さあ、アナタ達はどちら?

『そう、もう降りる幕はないよ。』
 


「貴方が口にする言葉に込められたもの、全てを理解できるのは勿論、貴方自身よ。人は行動する前に脳内で意思決定を済ませているというし、また言葉を発する動機、伝えようとする気持ち、実現したい結果を誰よりも十全に理解できるのも貴方だから。
 だから、迂遠な方法をもって実質的にコロしてしまいたい彼又は彼女に対して発してきた言葉に込められた全ては、誰よりも貴方自身がその身をもって理解しているの。身を焦がす程のサツイ、脳内の回路が焼き切れる程のアクイ、そしてそれに促されたあの愉快なコウフンは、伝えたいはずの彼又は彼女より、言葉を発し続けた貴方の、それこそ「魂」と呼んでいいぐらい、芯に食い込む形で貴方の中に記憶された。さらに、貴方はその行動を今ままでずっと、そしてこれからもずっと繰り返すとするでしょう?うん、だから貴方は皆もやっているとか、色んな正当化を試みて、自分は真っ当だと主張し続けるのだろうけど、貴方が発した言葉に表れる貴方自身が問題で、貴方が彼又は彼女に対して発した言葉又はそれに代える行動によって、貴方自身は名実ともにすっかりヒトゴロしになっているの。どういうことかって?さっき言ったでしょう。発する言葉に込められた全てを誰よりも理解するのは貴方だって。だから、彼又は彼女を「コロす」はずの言葉に込められたサツイの全てをその身で浴び続けている貴方は、貴方の言動に教育されているようなもので、その言葉としての意味に導かれて、貴方は正真正銘、人をコロせる貴方になった。昔から言われていたでしょう?言葉はものに命を与えるの。意味で括って、その形に固めてしまうの。言葉は理屈で、呪いよ。それにかかるのは、貴方も一緒なの。というより、貴方の中でその呪いが本物にならないと、彼又は彼女に届くことは決してないわ(でもね、本当に悲しいことに、その「呪い」が彼又は彼女に届くかどうかは別の問題になってしまう。当然、失敗することもあるのだけれど、その詳しい仕組みや副作用については秘密にするね、と言葉にしない言葉で思うわ)。
 つまりね、誰よりも先ず、貴方が呪われなければならないの。貴方が彼又は彼女をコロす「呪い」そのものになって、貴方の「呪い」を本物としてこの世に存在させなければならない。貴方がそれに命を与えなければならないの。そのための手段が、貴方が発する言葉。さっきの例えで言えば、サツイに塗り固めたそれら。貴方を作り替える「呪い」をもってして、貴方は誰でもコロせる凶器と化す(自分自身をそんな風に取り扱うことの悲しさを知っているなら、貴方は、今こうして私がしている仮の話に現れる「貴方」ではないのでしょうね。本当のところは知らないけど。実際、どっちでも良いわ)。
 だからね、言葉は怖いの。気持ちから生まれる言葉だけじゃない。言葉にしたからこそ、生まれた気持ちもある。そして、人はそれに縛られる。形作られるのよ、貴方の言葉で。
 え?それで?こんな仮の話をする私は、貴方に対して、何が言いたいのかって?
 もう、鈍感な人ね。
 だから、私は言ったの。
 『貴方が好き』って、そんな意味が十分に込められた言葉を、心を込めて。ここから先、私の言わんとする事、分かるかしら?分かってくれたら、嬉しいわ。」



「オレのことが、嫌いだった。そういう、ことかい?」
 そう発することで、やっと現れることが出来た口下手な俺は、真向かいに座る彼女の大きく、黒く、きらきら輝く両目に認められたまま、彼女の答えを待った。
「流石ね。そう、そして貴方のことが嫌いな私はいない。悔いなんて無いわ。口にして気付いた気持ちだもの。私は貴方が好き。貴方が好きなの。」
 そこにあるかのように胸に手を当て、温かくて仕方が無いかのように気持ちを包む彼女の姿を、目の前に座る俺が認めた。分かりやすく、目蓋を閉じる彼女の頬も赤く染まる。そこに表れている彼女の気持ちは、確かに好意を示している。そう思える。
 しかし、と彼女から目を離し、見つめた文字盤の上で時刻は深夜の天辺に至った。ふう、と顔を上げて移した視線の先、高級タワーの最上階から見える地球の衛星はウソみたいに巨大で、近かった。そして万年筆を持たず、タブレットに使用する書けないペンシルを愛用する俺でも知っている、あの言葉を反芻する。そうか。あんな風に、アイラブユーは言えないのか。
 思いがあっての言葉だろうに。
 卵が先か、鶏が先か、決着が着きそうにない問いのように先の言葉が頭をもたげる。人の振る舞いなどを見て思う、どこか納得しないあの感覚、言葉以前に形成されているかのように、こんな格好付けた言い方したくはないが、「心」の棘がチクチクとする感覚はある。言葉が未熟な幼少期から刺激され、類似の出来事に遭遇した時に活発化し、強化されてきた感情の反応は、確かに周囲の大人たちが代表する態度や言葉による明示又は黙示の説明をもって、嬉しい、悲しい、あるいはもっと発展して、普遍の愛や慈しみ又は暗い所に向かえば殺したいほどムカつく等の意味内容で「気持ち」としての名前を付けられたところはあるだろう。だが、感情という名前を付けられる前の、幼き俺の中で生じたあれは何に反応したんだ?どうやって反応したんだ?そこに言葉の介入はない。俺は言葉を介さずに、何かを知った。言葉以前の何かがあった。そこに嘘は無いだろう。
 言葉なんて知らなかった俺は、生で世界を知ろうとした。それを全て言葉で説明しようとするのか。それこそ、言葉に縛られてると思えるが。言葉以前のものを言葉で説明することの矛盾。しかし、言葉を発してみて、それを相手とともに自分の耳で聞き、感じる違和感はある。そうじゃない、こういう事を言いたいんじゃない。言い直したい。この感覚は、言いたいことを言えたと評価できる何かが自分の中にあるから可能になるのでないか。
 それは心らしきもので、言葉で作った形に収まらなかった余白にあるものだ。ある絵本作家がエッセイで書いていた、デッサンの対象を描かずに周りにある物を描いて表れる対偶のような存在。ああ、喋りすぎた。最近読んだモノローグの長い話の影響だ。
 一秒で纏めよう。要は、「彼女が好きだ」と言いたいのだ。俺は。
 手元のスマホをタッチして、意識的な「俺」で語ろう。口下手な俺が鍛えに鍛えた技術を駆使して、伸びた爪先で傷など付かない画面を刻む心地よいリズムと、五十音の中から選ばれるものに囲まれて、内に生まれるものに託し。
 思い、で結ばれる検索結果。踊って笑う、いささか絵文字も古く。
 たたた。
 たたた。
 たたたった、と。
 真一文字に結ぶ唇を切り口にして。
 彼女の手元の音色を鳴らせ。
 あの巨大な衛星の数少ない生き物を胸に抱えて。



 そうですね、付けてみますかタイトルを。
 危なげない恋の始まり、とか。
 アイのない愛、とか。

『クレーターだらけの地表の上で、足を組んで寝転んだ。裸の上から直接身に付けた宇宙服の着心地は、フィット感ばかりを伝えて、少し窮屈だ。ヘルメットの中でする呼吸もどこか不自然で、旧型のせいか、曇り防止機能も十全に機能していない。なので、吐いた二酸化炭素で視界は曇るし、クリアになるまで時間がかかる。
 しかし、晴れることは確実だ。最低限の機能が失くならない。時間の有効活用はこの地表で生きる者がすべきこと。なので、曇りが晴れるまでの数秒間、つらつらと頭に浮かべた。真空を漂う暗闇の話。照らされて見えなくなる、嘘みたいな話。
 反射の力を借りて綺麗に写る姿でも良いのだ(砂に埋もれた地表の上でも)。ひっくり返したお盆でその顔を隠す必要はない、と常識人みたいな顔をして、その手を真っ赤に染めた宇宙人に伝えるため。
 潤いの足りない事実で描いた。
 透明な笑いが木霊する。
 青い効果が自転する。
 グレーなセカイに吹く。』

 音階を知らない。
 真っ白い、ケモノのフリ。



 女性が抱き止めるのもありですよね。
 還って来る最愛の人を。
 そう言えば、ムーンサルトキックって、初代一号の必殺技でしたっけ?確か、特訓明けの新技として披露される。
 あ、すみません。いま、演出家の立場を離れて久しぶりにホンを書いているもので。唐突ですよね。申し訳ありません。
 ええ、そんなホンなんです。改造された超人みたいな、飛んだり跳ねたり、回ったりする、そんなお話。

切り口

切り口

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2020-04-11

Copyrighted
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