奇想短篇小説『猫撫屋』

奇想短篇小説『猫撫屋』

「火事になったら、一枚のレンブラントより一匹の猫を救おう。そしてその後で、その猫を放してやろう」
(アルベルト・ジャコメッティ)

 
 西川が職を失ってから半年ほどが経とうとしていた。その間、西川はほとんど何もしなかった。いや、〈何もしなかった〉と言うのはあまり正確ではない。西川はプルーストの『失われた時を求めて』を少しずつ読み進めていたし、週に三回ほどはトレーニングジムでしっかりと運動もしていた。自宅のベランダの植物にもきちんと毎朝水をあげていたし、飼っている二匹のハムスターの世話も丁寧にしていた。要するに、世間的には西川はこれといって〈何もしていない〉が、西川の個人的観点からすると、それらの日常的な何気ない行動は、多かれ少なかれ彼をどこかに向けて ―それが具体的にどこなのかは皆目見当もつかないが― 運んでいっているように思えた。川が自然と海に向かって流れていくように、遅かれ早かれ〈落ち着くところにやがて落ち着く〉と西川は考えていた。
 西川は名古屋の本山町というところにある1Kのアパートにひとりで暮らしていた。アパートのすぐ近くには大きな赤十字病院があり、そこからほとんど毎日救急車のサイレンが聞こえた。西川が本山町に住み始めたころは、これほど多くの人間が毎日何かしらの緊急事態に直面しているのかと驚いたのと同時に、頻繁に聞こえてくる執拗なサイレンの音に死ぬほどうんざりしていた。だが、西川はサイレンのある生活の中に身を置き続けた結果、今ではサイレンの微妙な響き方の違いまでをも聞き取れるようになった。本当に急いでいるサイレン、それほど緊急ではないが念のために鳴らされているサイレン、遠慮がちに低音で響くサイレン。西川はそういうサイレンの音から、救急車で運ばれている人間の状態や気持ちや、もっと言えばその人が救急車で運ばれるまでの人生の悲喜劇を勝手に想像して胸を痛めたり、深く同情したり、ときには励まされたりもした。この想像力を仕事に活かせたら言うことないのにな、と西川は常々考えていた。
 西川は赤十字病院に面した道路沿いにある喫茶店によく足を運んでいた。その喫茶店は六十代のご夫婦が営んでおり、ときどきそのご夫婦の娘さんが店を手伝いに来ることがあった。年齢は西川とほとんど同じくらいの二十代後半から三十代前半で、いつも明るい笑顔で入店する客を出迎えてくれた。こういう娘さんならきっとあのご夫婦も親として鼻が高いのだろうなと西川は彼女を見るたびに思っていた。言うまでもないが、西川は彼女に会うためにその喫茶店に通っていた。それは仕事をしていたときも、そして失業した今でも同じであった。西川はコーヒーが飲めないので (コーヒーの味は好きなのだが、飲むとなぜか頭がくらくらしてしまう) 喫茶店ではいつもココアかオレンジジュースを注文した。それから店内に置いてある新聞や雑誌を読んだり、あるいは持参した小説を読むこともあった。最近はもっぱらプルーストを読んでいた。
 西川が学生時代に通っていた大学は、実は今住んでいるアパートから歩いて十分ほどの距離にあるカトリック系の私立大学であった。その当時は今のようにひとり暮らしではなく、実家から一時間ほどかけて電車で通っていた (西川自身もまさか自分が今こうして大学の近くのアパートで暮らすことになるとは露ほども予想していなかった)。西川はその大学の外国語学部で英文科を専攻していた。西川の英語レベルは日本人にしてはなかなか悪くない水準だった。しかしだからといってそれがこれまでの人生において役に立ったことはほとんどなかった。強いて言うなら、洋画の日本語字幕と役者たちの話すセリフの内容の食い違いを楽しめることくらいしかなかった。
 大学を卒業してから数年が経っているが、失業中の西川は最近よくその大学に潜入して、大教室で行われる講義を勝手に聴講していた。西川はわりに童顔なので、大学生らしい服装をしていればまず怪しまれることはなかった。チョムスキーの言語学やフーコーのフェミニズムやデリダのポスト構造主義やペトラルカのソネットなど多岐の分野に渡る講義を学生に交じって、西川は自分が学生だった当時よりも真面目に聴講していた。講義が終わると、西川はキャンパス内の学生たちの行動を観察した。休憩スペースで必死になってプレゼンの資料を作っている学生、大きなガラス窓の前でダンスの練習をする学生、フードワゴンで買ったばかりのクレープを落とす学生、きれいな教授の横でニヤニヤしながら話を聞く学生、エトセトラ、エトセトラ。西川はそういう人たちを見て、自分の学生時代を懐かしみながら、自分が今こうして学生たちに交じってかつて通っていたキャンパスにいるというアイロニカルな自分自身の人生の不可思議さについて深く考え込むこともあった。
 しかし、救急車のサイレンを聞き、喫茶店でプルーストを読み、かつて通っていた大学で講義を受けるという生活に西川は少しばかり飽きてきていた。このごろは、猫を撫でるだけでお金が入ってくるような楽な仕事でもあればすぐにでも引き受けるのにな、と西川は冗談半分で考えるようになった。しかし冗談半分とはいえ、西川の中に就労に対する意欲が出てきているのは間違いなく ―そしてそれは世間的に見ても― 健全なことであった。

 ある日、西川は大学には行かずに、行きつけの喫茶店でココアを飲みながらのんびりと本を読んでいた。それから、ふと新聞を手に取って、求人欄を軽い気持ちで見てみることにした。予備校(非常勤)講師、電話オペレーター、タクシー乗務員、整備士、住込寮管理人、お手伝いさん、看護師、清掃員、草刈作業員……。西川は新聞を手にしながら、世の中にはじつに様々な分野の仕事があり、じつに様々な人たちが人手を必要としているのだなと感心していると、求人欄の隅に小さな文字で〝猫撫屋(ねこなでや) 募集〟という不思議な広告を見つけた。そこには、猫好きの方、猫の世話に慣れている方、経験不問、と書かれ、その下に電話番号が記載されていた。それは本山町の一駅隣の覚王山エリアの番号だった。
 西川が冗談半分で考えていた〈猫を撫でるだけでお金が入ってくるような楽な仕事〉を実際に新聞の求人欄で目にして、西川は心底驚いたのだが、それと同時に訳のわからないものに対する強い好奇心が身体の奥のほうから湧き出てくるのを感じた。西川はすぐに自宅に戻り、さっそくその電話番号に連絡をしてみることにした。
 呼び出し音が三回鳴ってから、太い声の男が電話に出た。
「여보세요、누구세요?」と男が韓国語で言った。
「あのー、すみません」と西川が戸惑いながら言った。「新聞の求人広告を見てお電話したのですが」
「ああ、そうでしたか。これはどうも失礼しました」と男が流暢な日本語で言った。
「猫撫屋を募集されているということでしたが…」と西川が話を切り出した。
「あなた、猫撫屋、やったことある?」と男が西川の会話を(さえぎ)るように言った。
「いえ、一度も経験はないのですが、猫は好きです」と西川は率直に答えた。
「あなた、猫好きなのか。それはいいだね」と男は嬉しそうに言った。
「まだ募集は間に合いますか?」と西川は確認した。
「まだあるだよ。ちょっと待って」と男が電話から離れた。西川は電話口から猫の声が聞こえたような気がした。「それじゃあ、明日の三時に覚王山のコメダで会いましょう」と男は言って唐突に電話を切った。
 西川は携帯電話を持ったまま、その場でしばらく呆然と突っ立っていた。窓の外では救急車のサイレンが鳴り響いていた。

 翌日、西川は集合時間の十五分前に覚王山のコメダ珈琲に着いた。西川は窓際の四人掛けの禁煙席に座り、店内を見まわしたが、どうやら韓国人の男はまだ来ていないようだった。それから西川はココアを注文し、ぼんやりと窓の外の景色を眺めていると、二つの大きなショルダーバッグを両肩にかけた中年の男がコメダ珈琲の入口に向かってまっすぐ歩いてくる姿が見えた。
 中年の男が入口のドアを勢いよく開けたので、ドアのベルが大きく鳴った。女性店員が座席へと案内しようとしたが、中年の男は入口でぐるりと店内を見渡してから西川のいる座席へと迷いなく歩を進めた。
「あなた、昨日の猫撫屋か?」と中年の男は立ったまま西川に尋ねた。
「あ、はい。昨日お電話させていただいた者です」と西川は驚きながらも丁寧に答えた。周りの客がじろじろと見ていた。
 そうかそうか、と言いながら中年の男は両肩のショルダーバッグを降ろして西川の向かいの席にどしんと座った。ショルダーバッグの一つは中年の男の両膝に乗せられ、もう一つは横の空いた椅子の上に置かれていた。椅子の上に置かれたショルダーバッグの中からは丸まった茶色の猫の姿が見えた。その猫は西川のことをじっと見ていた。
「あなた、名前は?」と中年の男が尋ねた。
「西川と申します」と西川が言った。
「西川。私は金と言います」と金さんが言った。「私は韓国人です。韓国人の八割が金さんだよ。韓国料理は好き?」
「あ、はい。ビビンバとかチヂミとか好きです」と西川は答えた。
「おお。いいですねえ。辛いものは?」と金さんは続けて尋ねた。
「辛いものは、ちょっと苦手です。すみません」と西川は申し訳なさそうに答えた。
「そうか。辛いものがおいしいなのに」と金さんは残念そうに言った。
 西川は金さんの横に置かれたショルダーバックの中にいる茶色の猫のことを見ていた。
「この猫も見る?」と金さんは自分の膝の上のショルダーバッグの向きを変えて中にいる猫を西川に見せた。黒い猫だった。
「二匹とも可愛いですね」と西川は微笑んだ。
「猫はかわいいだよ」と金さんも微笑んだ。

 金さんと西川はコメダ珈琲を出て、金さんの自宅へと向かった。金さんは覚王山のひっそりとした場所にある大きな屋敷に住んでいた。その屋敷は洋風で大きな庭があった。その庭ではたくさんの猫たちがおのおの好き勝手にくつろいでいた。数えると十二匹いた。
「中にもいっぱいいるだよ」と金さんが玄関に向かって歩きながら言った。
 金さんの屋敷には金さんと十八匹の猫が住んでいる。金さんの奥さんと息子さんは韓国の仁川(インチョン)で生活している。息子さんはちょうど西川と同じくらいの年齢だ。しかし金さんは自分の家族に関することは西川には伝えなかった。西川も金さんのプライベートなことに関してはなるべく聞かないようにしていた。
 金さんが西川に依頼したのは、屋敷にいる十八匹の猫の世話を毎日してほしい、ということだった。給料は月に十五万円。屋敷で自由に寝泊まりしても構わない。西川は二つ返事でこの条件を快諾し、翌日から猫撫屋として金さんの屋敷で働き始めた。

 猫撫屋の仕事には、上司と部下の煩わしい関係もなく、営業ノルマのようなつまらない束縛も一切なかった。しかし、十八匹もの自由気ままな猫たちをひとりで世話するというのは西川の予想よりもはるかにハードなものであった。
 十八匹の猫たちにはきちんと一匹ずつ名前が付けられていた。金さんが名付け親なのだが、金さん自身もどうやらうろ覚えのようで、ときどき名前を間違えていた。西川も初めのうちは頑張って猫たちの名前を覚えようとしたのだが、西川の仕事はあくまで猫たちの世話をするだけなので名前まで覚える必要はないということで、猫たちのことはそのまま〈ねこ〉と呼ぶことにした。
 猫たちの世話をするうえで金さんが西川にしきりに頼んでいたのは、とにかく猫たちをたくさん撫でてたくさんゴロゴロと言わせてあげてくれ、ということであった。猫たちは喜ぶとゴロゴロと喉を鳴らす。金さんはその音がたまらなく好きだった。あまりにも好きなので、出掛けるときは猫を専用のショルダーバッグに入れて連れていったりした。
 金さんは一日のほとんどの時間を屋敷の一室に(こも)って過ごしていたので、西川は金さんが普段なにをしているのかを知らなかった。金さんは食事をしたりトイレに行くときにだけ部屋から出てきた。ときどき大きな庭に出て猫たちを撫でることもあった。
西川と金さんは週に一度、猫の入ったショルダーバッグを各自で二つずつ持って屋敷の周りを散歩し、夜になると行きつけの韓国料理屋でチャミスルを飲みながらキムチチゲやブデチゲを食べた。そのおかげで、辛いものが苦手だった西川は今ではすっかり辛い物好きになった。西川はようやく辛さの向こうにある甘さを見つけることができたと喜んでいた。

 猫撫屋の仕事もすっかり板についた西川は、天気も良いので久しぶりに十八匹の猫たち全員を庭に放してくつろがせていた。するとそこへ一匹の痩せた野良犬が吠えながら突然乱入してきた。その野良犬に対して勇敢に威嚇する猫もいたが、ほとんどの猫たちは一目散にバラバラの方向へと逃げ去っていき、そのうちの何匹かは屋敷の敷地外へと出て行ってしまった。西川はあまりに突然のことだったので少しパニックに陥ったが、冷静になってから、侵入してきた野良犬をほうきで叩いて庭から追い出した。その騒ぎを聞きつけた金さんが部屋から飛び出してきた。
「西川! 猫たちはどうした!」と金さんが血相を変えて怒鳴った。
「野良犬が突然入ってきて、それにびっくりした猫たちが…」と西川は事情を説明しようとしたが、それを遮って金さんが荒々しくこう言った。
「早く探してこい!」
 それから金さんは韓国語で何かぶつぶつと言っていたが、西川は金さんのあまりの迫力に圧倒され、そのまま猫たちを探しに逃げるように屋敷の外へと出ていった。
 三時間ほどかけて西川はようやく逃げ出した猫たちを捕まえてから、屋敷へと戻った。屋敷の広い客間のソファーに金さんがぐったりと横になっていた。金さんのそばには二匹の猫がおとなしく丸まっていた。
「金さん、逃げ出した猫を連れて帰ってきました。遅くなってしまい申し訳ございません」と西川は謝った。
「西川、ありがとう。さっきはすまなかった」と金さんは力なく言った。
 金さんの顔色は青白かった。
「金さん、大丈夫ですか?」と西川は心配そうに声をかけた。
「しばらくここで横になるだよ」と金さんは目を閉じたまま言った。「猫たちをここに連れてきてほしい」
 西川は言われたとおりに十八匹の猫を全員その客間のソファーの周りに集めた。
「金さん、みんな来ました」と西川がそっと伝えた。
「西川、みんなにゴロゴロ言わせてくれ」と金さんが小さな声で言った。
 西川はソファーの周りにいる猫たちを順番に両手で優しく撫でていった。猫たちのゴロゴロがオーケストラのように重なり、西川と金さんだけでなく客間全体が猫たちの喉の振動に満たされた。それは柔らかい地響きのようにも聞こえた。やがて、こわばって青白かった金さんの表情がだんだんと緩んで赤味がかっていった。

 金さんには西川に言っていない秘密があった。実は、金さんは単なる猫好きなのではなく、猫たちのゴロゴロを聞いていないと衰弱し、やがては死んでしまうという奇妙な呪いにかかっていた。どういう経緯でそうなってしまったのかは金さん自身にもよくわかっていなかった。金さんのこれまでの経験から推測すると、一匹よりも二匹、二匹よりも三匹というように猫の数が多ければ多いほどゴロゴロの効果が高まるようだった。一度、録音した猫たちのゴロゴロを試してみたが効果はまったくなかった。その他にもいろいろと試行錯誤を繰り返したが、最終的には今の覚王山の屋敷で十八匹の猫たちと暮らす生活に落ち着くことになった。そして、ひとりの生活に限界を感じた金さんは新聞に〝猫撫屋〟の求人広告を出し、それをたまたま見つけた西川が雇われることになった。
 金さんは、自分が抱え込んでいるこの奇妙な呪いに関してひとつの仮説を立てていた。それは、この呪いは何らかの方法で誰か別の人間に移すことができるかもしれないというものであった。というのも、猫撫屋の西川と過ごす時間が増えていくにつれて、ゴロゴロがないときに自分が感じてきた苦しみが以前よりもいくらか軽減されてきているように思えたからだ。このまま西川といれば、やがてこの呪いのすべてが西川のほうへと移っていくかもしれない、と金さんは考えるようになった。そして、悪いとは思っているが、このことを西川に打ち明けるつもりは金さんにはなかった。

 ある夜、西川は猫たちの世話を終えて、いつものように本山町のアパートへ帰った。相変わらず救急車のサイレンが鳴り響いていたが、そんなことは全く気にならず、ベッドで目を閉じて眠りにつこうとした。しかし、なかなか寝つけなかった。なんとなく息苦しいような気もした。西川はベランダに出て、外の空気を肺にたくさん送り込んだ。けれども、息苦しさはむしろ悪化しているようだった。西川は空に浮かぶ半分欠けた月を(にら)んだ。それから台所へ行き、大量の水道水を蛇口から直接飲んだが、息苦しいままだった。やがて西川の顔は徐々にこわばっていき、青白くなっていった。結局、西川はその晩、一睡もできなかった。
 翌朝、西川は死人のような顔のまま覚王山の金さんの屋敷へと向かった。いつものように猫たちに餌をやり、糞尿を処理し、猫砂を補充し、一匹ずつ毛並みをブラッシングしてあげた。ブラッシングをすると猫たちはとても喜んで、大きくゴロゴロと喉を鳴らした。すると、西川はなんとなくだが昨晩からの息苦しさが和らいだような気がした。それから猫たちのゴロゴロを聞いているうちに西川の顔色はだんだんと良くなり、表情も柔らかくなっていった。西川は訳も分からないまま猫たちにとにかく感謝した。
 その日以降、西川は金さんの屋敷に寝泊まりするようになった。本山町のアパートはすぐに解約した。西川は猫たちのそばにいないとまたあの地獄のような苦しみを味わうことになるかもしれないという強迫観念のようなものに囚われた。しかし、それは強迫観念などではなく、金さんから移された奇妙な呪いであることは西川には知る由もなかった。
 西川の猫への依存度は日ごとに増していき、それに反比例するように金さんの症状は和らいでいった。週に一度の散歩では、金さんは一匹の猫を抱えているだけなのに対して、西川は猫の入ったショルダーバッグを二つ肩にかけ、両手には猫を一匹ずつ抱え、さらには自分で改良したリュックサックの中に猫を一匹入れて歩いていた。

 ある日の昼下がり、朝から降り続いていた雨がぴたりと止んだので、西川は気分転換に散歩にでも出掛けようと金さんを誘いにいつも籠っている部屋へ行ってみたが、金さんの姿は見当たらなかった。それから西川は広い屋敷を隈なく探したが、やはり金さんはどこにもいないようだった。不審に思った西川は、屋敷に点在していた猫たちを広い客間に全員集めた。けれどもそこには十七匹しかいなかった。いくら数え直しても同じだった。金さんと猫が一匹この屋敷からいなくなっていた。もしかすると、猫を抱いてひとりで散歩に行ったのかもしれないと思い、西川は日が暮れるまで客間のソファーで猫を撫でながら金さんの帰りを待ち続けた。しかし、いつまで経っても金さんとその一匹の猫が帰って来ることはなかった。


 金さんと猫がいなくなってからも西川はひとりで十七匹の猫たちと屋敷に住み続けたが、やがてその生活にも限界を感じるようになってきたので、西川は新聞に求人広告を載せることにした。

【猫撫屋 募集!】
猫好きの方、猫の世話に慣れている方、経験不問。
TEL 052―〇〇〇―△△△△


「もしもし」と西川が言った。
「あ、どうも。新聞の求人広告を見たのですが…」

奇想短篇小説『猫撫屋』

奇想短篇小説『猫撫屋』

〈あらすじ〉 新聞の求人広告で見つけた奇妙な仕事“猫撫屋”。 ひとりで大きな屋敷に住む謎の中年韓国人“金さん”には十八匹の猫がいた。大量の猫の世話を引き受けた主人公の青年。猫たちが一斉に喉を鳴らした時、ある異変が起こる。そこには金さんと猫たちの知られざる秘密があった…。

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2020-03-28

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