太平洋、血に染めて 「13日は何曜日?!」
エピソード「ばるす!」の翌日に起こった出来事です!!
*オープニング
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大きな爆発音。床を伝わる激しい振動。艦全体が大きく揺れる。艦内が赤く染まり、警報が鳴りひびく。部屋の外、通路のほうからたくさんの悲鳴とともに水の音が聞こえてくる。ザザザーッ……という水が押し寄せる音。艦が沈む。早く逃げなくては。いそいでドアに向かう。開かない。反対側からものすごい力で押さえつけられているようだ。ふと足が冷たいことに気がつく。足元に目を落とす。水だ。足首まで浸っている。もういちどドアノブをまわす。叩いても押してもドアは開かない。見る見る水かさは増えていく。もうひざ下まで上がってきている。ドアを叩いて叫ぶ。大声で助けを呼んだ。なんども必死に叫んだ。しかし返事はない。だれも助けに来ない。また叫ぶ。ドアが破られる音。となりの部屋だ。まるで氾濫した川のような勢いで押し寄せる黒い水。目線の高さに水面が見える。顔を上に向けないと呼吸ができない。口を大きく開けて息を吸い込む。口の中に水が入ってきた。顔が沈む。水の中に引き込まれる。だれかの手。足首をつかんでいる。右足。左足。たくさんの手がつかんでいる。動けない。息ができない。苦しい――。
「わっ!!」
びっくりして飛び起きた瞬間、大五郎の額になにかがぶつかった。
「ぅブっ!!」
同時に、大五郎のよこでだれかが悲鳴を上げた。見覚えのあるハゲた頭頂部。そして肩まで伸びる長い白髪。口元を押さえながら片方の手を床についてうずくまっているのは長老である。
しかし、いったいどうしたのだろうか。長老のハゲあたまは脂汗でびっしょりである。しかも、長く伸びたまっ白なヒゲを鼻血でまっ赤に染めているのであった。
「じいちゃん、ころんだの?」
「い、いや、なんでもない。なんでもない……」
長老はぎこちなく笑うと、ハンカチを取り出して口元をぬぐった。
「そ、それよりボウズ。なにやらひどくうなされていたようじゃが、悪い夢でも見ておったのか?」
「え?」
そうだ。たしか昼食を済ませたあと、そのまま食堂の隅にあるソファで眠ってしまったのだ。
「ずいぶんと怖い思いをしたからのう。まあ、無理もなかろうて」
大五郎のよこに腰かけると、長老は丸めたティッシュを鼻につめながらつづけた。
「もし、あのとき……この空母が助けに来なかったら、ワシらは病院船とともに沈んでおったところじゃ」
ポタリ、と床の上に一滴の赤い雫がこぼれ落ちた。鼻につめたティッシュが赤く滲んでいる。長老は神妙な顔をしながら、両手で杖をぎゅっとにぎりしめていた。
あれから何日が経ったのだろうか。大五郎たちの乗る病院船が潜水艦に狙われ、魚雷攻撃で沈められてしまったのだ。しかし、幸いなことに近くを航行していたこの空母によって、病院船の乗員乗客はすべて救助されたのであった。
「じゃが、この空母も舵を失い、自力では動けなくなってしもうた」
床に目を落としたまま長老がため息をついた。
「これも、宿命というやつなのじゃろう。けっきょく、ワシらは……」
長老はそれ以上つづけようとはしなかった。
それにしても、さっき額にぶつかったのは、いったいなんだったのだろうか。大五郎はたんこぶのできた額を指先でさすった。
食堂の奥のテーブルで、マルコとルチオがポーカーをしている。ローザも一緒だ。それに、ほかの空母の乗組員も何人かいる。大五郎もまぜてもらおうと思ったが、あいにくとポーカーのルールはわからない。
退屈だ。なにもやることがない。大五郎はソファに腰かけたまま、ただボーっとしていた。そして長老も、大五郎のよこに腰かけてボーっとしていた。
「じいちゃん、かくれんぼ!」
大五郎はヒマなので、とりあえず長老と遊んでやることにした。
「かくれんぼか。いいとも、いいとも。それじゃ、ワシが最初に鬼をやろうかの」
「じゃあ、これ!」
「なんじゃな、これは?」
「おめん!」
「なるほど。鬼だから鬼の面をつけるのじゃな?」
長老が感心したように笑った。
「ところで、これはボウズがつくったのか?」
「うん!」
格納庫でみつけたダンボールの切れはしに赤いクレヨンで鬼の顔を書いて切り抜いたのだ。
「いや、よくできておるのう。それじゃ、さっそくつけてみるかの」
被り方は簡単だ。鬼の面の両端にある輪ゴムを耳に引っかけるだけでいいのだ。
「どうじゃな、似合うかの?」
「おいら、かくれる!」
似合ってるかどうかはどうでもいい。大五郎は、早く隠れたいのだ。
「それじゃあ、十数えるあいだに隠れるんじゃぞ」
「じゅうじゃない! ひゃく!」
「よしよし。それじゃあ、百まで数えるとしよう」
長老はちかくのテーブルに向かうと、大五郎に背を向ける格好で席についた。それからテーブルの上で組んだ腕の中に顔を埋めて数えはじめた。
大五郎は食堂を飛びだすと、駆け足で格納庫へ向かうのだった。
飛行甲板の真下にある格納庫は、主に航空機や特殊車両を収容する場所になっていた。およそ空母の全長の三分の二を占める広々とした格納庫では、機体の整備やエンジンの試運転も行っていたらしい。だが、この空母には、もう飛べる飛行機は一機ものこっていない。格納庫にある機体も、みんなスクラップばかりだった。
大五郎は艦尾の入り口から格納庫に入ると、高く積み重ねられた木箱とカベの間を通り抜け、後部左舷のデッキサイド式エレベーターのまえで立ち止まった。
「きょうも、いいてんき!」
格納庫そとに広がる蒼い空と碧い海。格納庫の搬出入口には扉もカベもないので、船体の側面にはエレベーターとおなじ幅の大きな楕円形状の口がぽっかりと空いていた。
エレベーターのまえを通りすぎると、カベ際に一機の大破した戦闘機が転がっていた。格納庫の中から見て搬出入口のすぐ右側に放置された機体。それは翼も胴体もないコクピットだけの残骸で、機首を艦尾に向ける格好で床の上に転がっていた。
「すたんばい!」
大五郎はガレキで作った足場を上ると、はりきってコクピットに飛びこんだ。見た目はボロボロだが、コクピットの中は意外ときれいなのだ。この機体は、大五郎のお気に入りの〝おもちゃ〟なのである。
「ろっくおん!!」
操縦桿を動かしたり、いろんなボタンを押したり、気分はもうパイロットだ。でも、唯一の問題は、まえがまったく見えないことだった。まだ子供の大五郎の背丈では、まっ黒な計器盤の上にある照準器を覗くことができないのだ。
「……あっ!」
大五郎は長老と隠れんぼをしていたことを、すっかり忘れていた。もうとっくに数え終わってもいいころだが、長老はどこを探しているのだろうか。まさか、あのまま眠ってしまったのではないだろうか。そんな心配をしていると、艦尾側にある入り口のほうから人の足音が聞こえてきた。
「きた!」
大五郎はコクピットの中にあたまを伏せた。
コツ……コツ……コツ……
足音は、まっすぐこちらへ近づいてくる。長老だろうか。いや、ちがう。足音はひとつではないようだ。それに、なにやら話し声も聞こえる。声の調子からすると、どうやら若い男らしい。もうひとつの声も、やはり若い女のようだ。
ふたつの声が、コクピットのよこを通りすぎてゆく。
――大丈夫だって。だれも来やしねーよ
――でも、こんなところじゃ、あたし……
――しかたねーだろ。ほかにテキトーな場所がね―んだからよ
なんだかヤンキーみたいな話し方だが、いまの会話の様子から見て、おそらくこのふたりは恋人同士なのだろう、と大五郎は想像した。
しかし、いったいだれなんだろうか。大五郎は、そっと首を伸ばして外を覗いてみた。
「あれ?」
いない。どこへ行ったのだろうか。
ガラン……ガラ……
うしろのほうで、なにか音がした。少しはなれたところに、木箱がいくつか積んである。ちょうど大五郎の戦闘機の斜めうしろ。木箱のまわりには、飛行機のエンジンなどの残骸が散乱している。
ガラガラ……
また音がした。木箱の向こう側からだ。しかし、ここからではふたりの姿は確認できない。ちょうどふたりを囲むように木箱がカベをつくっているからだ。
ジャリ……ジャリ……ジャリ……
ふたりとはべつの足音。入り口のほうからだ。しかも、これは長老のサンダルの音だ。
「き、きたっ!」
大五郎は慌ててコクピットにあたまを引っ込めた。
ジャリ……ジャリ……ジャリ……
サンダルの音は、コクピットのほうへまっすぐ近づいてくる。ときどきカツーン、カツーン、と杖の音を交えながら、まっすぐに近づいてくる。
――悪ぃ子はいねぇがァ?!
とつぜん、長老の不気味な声が轟いた。
(ひぃィぃぃ!!)
大五郎はガタガタとふるえながら、声をたてないように両手でしっかりと口をふさいでいた。
ジャリ……ジャリ……ジャリ……
(ゴクリ)
足音はすぐそこまで迫っている。
ジャ……
「……!!」
来た。コクピットのすぐよこ。
――悪ぃ子は……
ガラン……
――ぬ?
「……」
――フッ。そこじゃな
ジャリ……ジャリ……ジャリ……
足音がはなれていく。どうやら長老は、あのふたりのところへ向かったようだ。
「ぷくく……」
アホなジジイだ。大五郎は肩をふるわせつつ必死に笑いをこらえるのであった。
ジャ……
木箱のそばで足音が止まった。
大五郎は、そっと首を伸ばして木箱のほうをうかがった。
――悪ぃ子は……いねぇがァ!!
ガラガラ、と瓦礫が崩れる音。
――きゃっ!
――わっ、びっくりした!
そしてふたりの悲鳴。
はたして、彼らの運命やいかに?!
――おや? ぼうずじゃなかったか
――なっ、なんだぁ? テメーわ
――いや、ちょっと鬼ごっこ……じゃなくて、かくれんぼを……
――うるせー! なにが〝悪ぃ子はいねぇがァ?!〟だ。いかにも悪そうなツラしやがって。おまえが言うな、おまえが
――ばかもの。これはお面だ
――へっ。テメーにァ、面よかヅラのほうが似合うんじゃねーのか?
――なっ、なぁに~ィ?
――マエダくん、やめなよ
――おめーはだまってろ、チアキ
――おのれ~、言わせておけば図に乗りおってからにして
徐々に怒りをつのらせる長老。
――これが悪党の顔に見えるかどうか……両の眼開いて、とっくりと拝みやがれぃ!
長老が片足を一歩まえへ踏みだした。そして堂々と鬼の面を脱ぎ去ったときのことである。
――しらねーよハゲ!!
長老の顔面にマエダの鉄拳がメリ込んだ。
――ぶべらっ!!
長老がスピンしながらふっ飛んだ。そしてそのまま床の上をゴロゴロと転がり、勢いよくカベに激突するのであった。
――ぐわっ!!
「じいちゃん!」
大五郎はコクピットの中から叫んだ。が、長老は仰向けに倒れたまま反応しない。おそらく後頭部でも強打したのだろう。長老は口から白い泡を吹きながらピクピクと痙攣していた。
「クソが」
マエダがコクピットのよこを通り過ぎながら「チッ」と舌打ちをした。
「もうケンカはしないって約束したじゃない、マエダくん」
「うるせーな。べつに好きでやってるわけじゃねーよ。向こうが先にしかけてきたんだろーが。ったく」
マエダはブツクサ言いながらチアキを連れて立ち去っていった。
「じいちゃん!」
大五郎がコクピットから降りたときである。
「よう、ぼうず」
赤い作業服の男が黄色い歯を見せながらやってきた。デッキクルーのマルコである。傍らには緑色の作業服の男、マルコの弟でおなじデッキクルーのルチオの姿もあった。
「また〝コイツ〟で遊んでたのか」
ルチオがコクピットのよこをポン、と叩いた。
「せっかくカタパルトが直ったってのにな。飛べるのが一機もねえとは、なんとも皮肉な話だぜ」
やれやれ、というようにマルコが肩をすくめた。
「ああ。まったくだ」
ルチオも作業帽を被りなおしてため息をついた。ふたりが着ているデッキクルーの作業服は色こそちがうがおなじものだった。そしてマルコの作業帽には「丸にMの字」のマーク、ルチオにも、おなじく「丸にLの字」のマークが入っていた。
「ところで、ぼうず。今日は〝ヨッシー〟と一緒じゃないのか?」
マルコが指先で口ヒゲをいじりながら言った。先端のカールした口ヒゲ。弟のルチオもおなじヒゲを蓄えていた。
「おじさんは、かうぼーいのおじちゃんとうえにいる!」
大五郎は天井を指差しながら答えた。
マルコが言った〝ヨッシー〟とは、ヨシオのことである。ヨシオはいつも空母の舳先に立って水平線を見つめているのだ。ちなみにカウボーイとはハリーのことである。ハリーはいつも渋色のくたびれたカウボーイハットを被っているからだ。
「ああ、ハリーのダンナと一緒か」
マルコが口ヒゲをいじりながらうなずいた。
「ところで、なんでヨッシーはカタパルトオフィサーの格好をしてるんだろうな?」
ルチオが不思議そうな顔でマルコに訊いた。
「さあな。見たところ日本人のようだが、この空母に日系人のデッキクルーはいなかったはずだ」
「そもそも、いつからこの空母に乗ってたんだ? ヨッシーは」
「病院船がやられたあとだろ。ぼうずたちを助けた直後からだよ。たぶん」
マルコはそう記憶していたようだが、ルチオは首をふって否定した。
「いや、ローザの話じゃあ、そのまえから乗ってたらしいぜ」
ローザは戦闘機のパイロットで、このふたりの妹である。
「ホントかよ。人違いじゃねーのか? ローザだって、ここにきたのは最近のことだしよ。あいつの空母は撃沈されて、帰るところがなくなっちまったからな」
「やっぱり、本人に聞くのがいちばん早いんじゃねーか?」
そう言ってルチオがタバコに火を点けると、マルコは鼻を鳴らして肩をすくめた。
「そいつはムリだね。このまえローザが直接訊いたらしいんだが、ヨッシーはなにも答えちゃくれなかったようだぜ」
「ふむ……」
ルチオがむずかしい顔で鼻から紫煙を吐きだした。
「う~む……」
マルコも思案顔で腕組みをした。
「むむ!」
大五郎もコクピットのよこに作った足場に腰かけながら、むずかしい顔で腕組みをした。
「ま、ヨッシーの話はいったん置いといて、だ」
ルチオが話題を変えた。
「あのカウボーイのダンナよ、イーストウッドってより、あの人に似てねーか? ほら、なんていったっけ? あのプライベート・ライアンのフレッド・ハミル大尉役の……」
「テッド・ダンソン?」
「そう、テッド・ダンソン」
「言われてみりゃあ、たしかに似てるよな。まあ、イーストウッドとテッドを足して二で割ったって感じか?」
「そんな感じだな」
灰を落としながらルチオがうなずいた。
「あのじいさんは、あれだよな。パトリック・マクグーハンに似てるよな」
ルチオが言うと、マルコは肯定するようにうなずいてから「マッグハーンだろ?」と訂正した。
「いや、マクグーハンだよ」
「マッグハーンだって」
「マクグハーンだ」
「マッグハーンだ」
「マク――」
「――ジェームズ・ディーンと呼んでもらおうか」
何者かがルチオの言葉をさえぎった。はたして、その正体とは?!
「あっ、じいちゃん!」
謎の声にふり向くと、血まみれの顔で長老がカベにもたれかかっていた。
「どうしたんだ、じいさん。大丈夫か?」
マルコが長老に駆け寄った。
「出血がひどいな。こいつぁ、たぶん鼻が折れてるぜ」
タバコをくわえたままルチオが首をふった。
「なあに、ただのかすり傷じゃ。心配いらんて」
白いヒゲを鼻血でまっ赤に染めながら長老が笑った。
「ムリすんなよ、じいさん。おい、ルチオ。ドクター・ハザマを呼んできてくれ」
ルチオがうなずき、タバコをふみ消した。
「ああ、大丈夫じゃ。医務室までなら、歩いていける」
「ひとりで行けるか? 手を貸そうか?」
ルチオが心配そうな顔で言う。
「いや、大丈夫。大丈夫じゃ。すまんのう、気をつかわせて」
「おいらが、つれていく!」
大五郎は堂々と胸を張って請け負った。
マルコはルチオと顔を見合わせると、肩をすくめて笑った。
「そうか。それじゃ、ぼうずにたのむとするか」
「そんじゃ、あとはよろしくな。ぼうず」
ルチオが大五郎のあたまをポンポン、となでた。
「がってん!!」
大五郎が敬礼すると、マルコとルチオも笑顔で敬礼して去っていった。
「いくぞ、じいちゃん!」
大五郎は急かすように長老のうでを引っ張った。
「ぼうずは元気じゃな」
小走りで駆けながら「ふぉっふぉっ」と長老が笑った。
「せんせー! くらんけ!」
大五郎は長老の手を引きながら、片方の手で医務室のドアを押して飛びこんだ。
「ぐわっ!」
長老が悲鳴を上げた。いったいなにごとだろうか。
「あっ」
ふり返ってみると、閉まりかけたドアに長老の顔面がめり込んでいたのであった。
「っ……て~~」
長老が掌を鼻に当てながらうずくまった。ハゲた頭頂部に光る大量の脂汗。そしてプルプルと震える指の間からはポタリ、ポタリと赤い雫がしたたり落ちているのであった。
「クランケってのは、じいさんのことか? ぼうず」
声にふり向くと、大きな傷のある顔が冷たい笑みを浮かべていた。
「あっ、せんせー!」
ドクター・ハザマこと羽佐間九郎。またの名をブラックジョーク。世界的に有名なヤブ医者である。
「じちゃんのはながおれた!」
「鼻が折れた?」
そう言ってマユをひそめると、九郎は凪いだ瞳を長老に向けた。
「どれ、見てやるからそこへ掛けなさい」
九郎がデスクのよこのイスに座るよう促した。
「いったいどうしたんだね? その傷は」
九郎がデスクの上のカルテに書き込みながら長老に訪ねた。
「なあに、ただのかすり傷なんじゃが、みんな大げさに騒ぎたてての」
ハンカチで鼻を押さえながら長老がイスに向かう。
ガチャン!
「ぐわっ!」
イスに座りそこなってひっくり返る長老なのであった。
「どうやら足に来てるようだな」
九郎がデスクの上に視線を落としたまま「ククッ」と喉の奥で笑った。右のマユから左の頬にかけて流れる三日月形の大きな傷跡。そして、感情が凪いだような冷たい瞳。それに服もマントもまっ黒だった。医者というより、むしろ葬儀屋といった感じである。
「なるほど。たしかに折れてるようだが、いったいだれにやられた?」
九郎が長老の手当てをしながら言った。
「ごーけつ! ごーけつ! かんぜんむけつのだいしゅーけつ!!」
大五郎はくるくる、とつま先で回り、ピンと立てた右手の人差指をまっすぐ天井に向けてポーズを決めた。
「ぐ、グレるりん……じゃ」
鼻の穴に丸めた脱脂綿をつっこまれた顔で長老の目がキュピーンと光った。
「グレルリン? なんだい、そりゃあ?」
当然ながら九郎には何のことかわからない。
「まえだ!」
大五郎は下手人の名前を白状した。
「ああ、マエダか。あの腕白め。こまったやつだ」
「せんせー、いぼんこ!」
「イボンコ? ああ、あれならそこの棚に置いてあるから持っていきなさい」
九郎がデスクのよこの棚を目で指しながら言った。黒い三段のカラーボックス。そのいちばん上の段にある、赤いトレーラートラックのおもちゃ。このまえ診療所を尋ねたとき、大五郎が忘れていった〝コンボイ司令官〟である。
「あった! おいらのいぼんこ!」
このトレーラートラックのおもちゃは人型のロボットにも変形するのだ。
大五郎は長老の手当てが終わるまでコンボイ司令官と遊ぶことにした。
「とらんす……」
――そのときである!
「よし、これでいいだろう」
どうやら長老の手当てが済んでしまったようだ。
しかし、相変わらずの早業である。これほどの腕を持ちながら、いったいどうして九郎はヤブ医者と呼ばれているのか。大五郎は腕組みをして不思議そうに首をかしげるのであった。
「これが痛み止めの薬だ。食後に一錠、一日三回飲むように」
「いや、どうもお世話になり申した」
鼻に大きなガーゼを張りつけた顔で長老があいさつをした。
「お大事に」
九郎は長老に背を向けたまま、デスクの上でペンを走らせながら返事をした。
「さて、行くか」
長老がドアを開けようとしたときである。
「――む?! こっ、これは……!!」
ドアノブに手をかけたまま長老の動きが止まった。なにやら入り口のよこのカベのカレンダーをじっとにらんでいるようだ。
「どうした、じいちゃん?」
「金曜……十三日……」
カレンダーをにらんだまま長老がつぶやいた。
「そうか。そういうことじゃったかぁ~……っ!」
肩をブルブルと震わせながら長老が唸った。
はたして、そういうこととはどういうことなのだろうか?!
夕食の時間になった。
「じゅうさんにちの、きんようび?」
コーンスープの器を両手で包みながら大五郎は首をかしげた。
「そうじゃ。十三日の金曜日じゃ」
大五郎の向かいの席で長老がうなずいた。
「じいちゃんの、たんじょうびか?」
「いや、そうではない」
コーンスープの器をトレイの上に置くと、長老は大五郎のまえに身を乗りだしてつづけた。
「よいか、ぼうず。今日は、イエス・キリストが処刑された日。つまり、神様が天に召された日なのじゃ」
「かみさまが、しんだ?」
大五郎も、思わず身を乗りだした。
「うむ。今日は不吉な日なのじゃ」
そう言ってうなずくと、長老は深いため息をついて何度か首をふった。
「どおりで朝からついていないわけじゃて」
そういえば、大五郎も昼寝をしたとき、とても恐ろしい夢を見たのを思いだした。やはり、十三日の金曜日と関係があったのだろうか。
「おいおい、まさかそんな迷信を本気で信じてるのか? じいさん」
長老のよこでカウボーイハットの男が鼻で笑った。ハリーである。
「信じるも信じないも、現にこうしてワシは死にかけておるではないか」
興奮した口調で長老が言った。
「鼻が折れたぐらいで大げさな」
呟いたのはハリーではない。ハリーの向かい側。カタパルトオフィサーのイエロージャケットを羽織り、おなじくデッキクルーの黄色いヘルメットを被ったメガネの男。大五郎のとなりでせせら笑っているのはヨシオである。
コッペパンを小さくちぎりながらヨシオがつづける。
「キリストは神などではない。所詮はただの人間。だから死んだのさ」
ヨシオが言うと、ハリーも肯定するようにうなずいた。
「たしかに。神様が死ぬってのも変な話だよな」
「もうよい。それがおぬしたちの哲学と言うのなら否定はせん。じゃが、ワシは神の存在を信じておる。それがワシの哲学じゃからな」
いよいよ長老はへソを曲げてしまったようだ。
「それは哲学ってより宗教だろ?」
とぼけた顔でコーヒーをすするハリーの横顔を長老がジロリとにらみつけた。
「まあよい。あと五時間もすれば日付が変わる。この忌まわしい一日が終わるのじゃ」
長老が懐から痛み止めの薬をとりだした。そして口の中に一粒放り込み、コップの水を呷ったときのことである。
「じいさんはいるか?」
なにやら慌てた様子で九郎がやってきた。
「ああ、そこにいたか」
「なにか御用ですかな、若先生」
「じいさん。さっきの薬だが、まだ飲んでないだろうね?」
「いや、たったいま飲んだところじゃが」
長老の返事を聞くと、九郎の顔色がにわかに変わった。
「遅かったか」
沈痛な面持ちで九郎がため息をついた。
「じつはな、じいさん。あの薬は……」
心配を装いつつも九郎は興味深そうに長老を観察しながら説明をはじめた。
九郎の話によると、じつは、あの薬は痛み止めではなく強力な下剤だというのだ。おなじ場所に保管していたので、うっかり間違えてしまったらしい。
肝心なところで些細なミスを犯すとは、九郎らしくもない。しかし、彼がヤブ医者と呼ばれている理由は、きっとそこにあるのだろう。大五郎は、ようやく合点がいくのであった。
「こいつはいい」
ハリーが腹をかかえて笑いだした。
「じいさん、やっぱりあんたが正しかったぜ。これがキリストの祟りってやつなんだろ?」
「……!!」
長老は絶句して固まっている。
「どうした。信じる者は、救われるんじゃなかったのか?」
ヨシオも皮肉を言って肩をゆらした。
「そ、そうじゃ! 下痢止めじゃ!」
長老が必死の形相で九郎のマントに飛びついた。
「若先生、下痢止めを! はやく下痢止めの薬を!」
すがるような目で悲願する長老に九郎は冷たい瞳で首をふった。
「いまさら下痢止めを飲んだところで効果はないだろう」
「そっ、そんな! じゃあ、ワシは、ワシは……」
「残念だが手遅れだ」
九郎はそうつぶやくと、黒いマントを翻して長老に背を向けた。
「お大事に」
それだけ言って、九郎は食堂を立ち去ってゆくのでした。
「神め……!!」
長老はギリギリと歯ぎしりをしながら血走った眼で九郎の出ていった入り口のほうをにらんでいた。
長老のうしろでハリーが「今日って土曜じゃなかったっけ?」とヨシオに訪ねた。
ヨシオは「さあな」と気のない返事をしてコーヒーをすすった。
ギュルルるルぅ~……
「フッ。どうやらお迎えが来たようじゃ」
まるで死人のように青白い顔で長老が薄く笑った。
「おむかえでごんす!」
なにが迎えに来るのかわからないが、とりあえず大五郎も言ってみた。
深夜のトイレ。あと二時間ほどで日付が変わる。こんな時間にもかかわらず、入口には「清掃中」の看板が立っている。
長老のために集まったのはヨシオ、ハリー、マルコ、ルチオ、そして大五郎の五人である。
「じいさん。これを……」
ハリーがトイレットペーパーを二つ、長老に手渡した。
「苦しいときの〝紙〟頼み……か。世話をかけるのう、カウボーイ」
長老はトイレットペーパーを受け取ると、青白い顔でニヤリと笑った。
「紙が足りなくなったらいつでも呼べよ、じいさん」
マルコが笑顔で励ますと、ルチオも「芳香剤も用意した。異臭騒ぎは起きねえよ」と口元に笑みを浮かべて親指を立てた。
「ふたりとも……かたじけない」
長老も青白い顔に笑みを浮かべてうなずくと、ヨシオのほうにチラリと視線を流した。大五郎もうしろをふり向き、ヨシオを見上げた。カベに背中をつけて腕組みをしている。ヨシオはだまったまま、静かに目を伏せていた。
「さて。ぼちぼち行くとするかのう」
長老がトイレのドアに向かったときである。
ゴロゴロぴぃ~……
「――くっ!」
長老がよろめいて片ひざをついた。
「じいさん!」
ハリーが駆け寄る。
「来るでない!」
長老は掌を突きだしてハリーを拒んだ。
「来るでない……。来ては……なら……ぬ」
そして肩で荒い息をしながらヨロヨロと立ち上がった。
「今日も……海の向こうをながめておったようじゃの……大将」
長老が背を向けたままヨシオに言った。
しかし、ヨシオは応えない。ぼんやりと冷めたような弱々しい光でメガネを曇らせながら、ヨシオはだまって腕組みをしていた。
「そうか……まだ見えぬ、か……」
長老がゆっくりと肩越しにふり向く。
「運命……とやら……は」
長老は肩で息をしながらフッと笑った。
「……達者でな。じいさん」
ヨシオは長老の問いには答えず、代わりに別れのあいさつを言うのだった。
「たっしゃでな、じいちゃん!」
大五郎も元気よく親指を立てて最後のあいさつをした。
「うむ。ぼうずも……元気でな」
青白い顔でようやく笑顔をつくると、長老も親指を立ててうなずいた。
「では、皆の衆……さらばじゃ」
ドアの向こうに、長老の青白いほほ笑みがゆっくりと消えていった。
それにしても、いったいだれが長老を迎えに来るのだろうか。まさかキリスト、いや、神様が迎えに来るとでもいうのだろうか。そもそも神様はどんな姿をしているのだろうか。よくわからないが、きっとナメック星人のような姿なのだろう、と大五郎は考えていた。
――ぴブぅ~……――
ドアの中が騒がしくなってきた。いよいよお迎えが来たのだろうか。
――ブッッ……!――
極端に短い大きな爆発音とともに、すさまじい衝撃波が大五郎の体を駆け抜けた。そしてベチャベチャッ、とドアの中で飛び散る異臭。まるでどぶ川の底にたまったヘドロのような臭いである。大五郎は、胃からこみ上げてくるものを必死にこらえていた。
長老の肛門から発せられたソニックブームが、いつまでもトイレの中でエコーしている。
「鼻が曲がりそうだぜ」
大五郎のよこでハリーが嘔吐いた。
ハリーは鼻にしわを寄せながら、顔のまえでカウボーイハットをパタパタさせている。マルコとルチオも、おなじ顔で作業帽をパタパタさせている。ヨシオは腕組みをしたまま、顔をよこに背けていた。
――ガリガリガリ~……――
ドアを引き裂く鋭い爪の音。
「じゃっく・とらんす!!」
あまりの恐怖に大五郎は飛び上がって絶叫した。斧で破ったドアの裂け目からイカレた笑みをのぞかせるジャック・トランスを思いだしたからだ。
「……マダ……ン……テ……」
まるで悪魔のうめき声のような長老の断末魔。
――ドサッ……――
かくして長老は謎の訪問者と共に去ってゆくのであった。
「じいさん……」
気の毒そうな表情を浮かべつつ、ハリーが胸のまえで十字を切った。
「グッバイ。ジェームズ・ディーン」
マルコは哀しい眼をしてトイレのドアを見つめていた。
「墓前に供える花はねえが、ラベンダーの香りだぜ」
ルチオが芳香剤の瓶をドアのまえにそっと供えた。
「〝紙〟は非礼を受けず、か」
それだけ言って、ヨシオは去ってゆくのであった。
「泣けるぜ」
ハリーもヨシオにつづいて入り口を出ていった。
「オレたちもいくか、ルチオ」
「やれやれ、とんだ日曜だったぜ」
「今日は土曜だろ」
「いや、日曜だよ」
「土曜だよ。さっきハリーのダンナも言ってたんだ。まちがいねえよ」
「そりゃあ、ハリーのダンナが勘違いしてるのさ。今日は日曜だよ。たぶん……」
マルコとルチオの話し声がトイレから遠ざかってゆく。
大五郎も、なんだか眠くなってきた。そろそろ部屋に戻って休もう。そう思って入り口に向かおうとしたときのことである。
「あっ?!」
大五郎はギョッっとした。長老が立てこもっているドアの下から、なにか得体のしれないドロドロとした〝茶色い水〟が、ゆっくりと床の上を這うように流れてくる。その茶色く濁った川は、まるで意思をもった生き物のように、まっすぐと大五郎を目指しながら流れてくるのだった。
「さわらぬかみに、たたりなし!」
紙だか神だか知らないが、大五郎は悲鳴を上げながらトイレの入り口を飛びだすのであった。
一方そのころ――――
「バファリンよりは、ロキソニンのほうがいいだろう」
薬の包みをチアキに渡しながら九郎が言った。
「一日二回、朝晩に一錠ずつ服用するように」
「……どうも」
恥ずかしそうにうつむきながらチアキが薬を受け取った。
「なあ、センセー。ホントに大丈夫なのか? 急に死んだりしねーだろーな」
疑うような表情でマエダが言った。
「生理痛ぐらいで死ぬわけないだろう。大げさなやつだな」
九郎が喉の奥で「ククッ」と笑った。
「でもよ、チアキ。そんなに痛てーもんなのか? 生理痛って」
「……!」
チアキが頬を赤く染めて背を向け、入り口に向かって駆けだした。
「お、おい。チアキ」
「……マエダくんのバカ!」
チアキは怒って医務室を飛びだしてゆくのであった。
「な、なんで怒んだよ」
マエダは要領を得ない表情であたまをかいた。
「これが若さか」
九郎はもういちど「ククッ」と笑った。
「けっ。わかんねーこと言ってんじゃねーよ」
マエダはふてくされてドアに向かった。
「ん?」
ふとドアのよこのカベのカレンダーに目が止まる。
「おい、センセー」
「なんだ」
「このカレンダー、先月のままだぜ」
「ああ、うっかりめくるのを忘れていたようだ」
九郎がカレンダーをめくった。
「今日は……十三日の月曜日、か」
……と、いうわけさ。
※グレるりん・・・まじめな人もワルにしてしまうという恐ろしい妖怪
だニャン!
※マダンテ・・・某ロールプレイングゲームに登場する呪文(詠唱者の
全魔力を放出して大爆発を巻き起こす究極の呪文)。
エピソード「13日は何曜日?!」
おわり
太平洋、血に染めて 「13日は何曜日?!」
次回 「エキストラにさようなら」
おたのしみに!!
*エンディング
https://www.youtube.com/watch?v=yMuq_McQWAM
https://www.youtube.com/watch?v=1-RJ5XU7kYo(予備)
*提供クレジット(BGM)
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https://www.youtube.com/watch?v=XoGCokTDSyA(予備)
【映像特典】
https://www.youtube.com/watch?v=JP59zPJoGvk
https://www.youtube.com/watch?v=EjukoitrwSA
・蜷局の十字架(チャプター6の〝マダンテ〟の下りで使用した挿入歌)
https://www.nicovideo.jp/watch/sm8168563
・BGM「赤い満月」(チャプター5とチャプター6の間のシーン)
黒い波間をさまよう一隻の航空母艦。大破したブリッジの上には、血の
ようにまっ赤な満月が浮かんでいるのであった……
https://www.youtube.com/watch?v=fnw_H3fLdKo
https://www.nicovideo.jp/watch/sm27493611