お猫さま 第十二話ー猫泥棒
猫の人情小噺です。笑ってください。縦書きでお読みください。
世界にはいろいろな種類の猫がいるようでございます。大きな猫、小さな猫、毛の長い猫、毛のない猫、ともあれ、人間と上手く付き合って、可愛がられている珍しい動物でございます。そのなかで、日本の猫というのは、とてもおとなしく、人との付き合いが上手だという評判ですが、どうも、争いの嫌いな、日本人に育てられたせいかもしれません。日本人の代表が、熊さんと八さん、その人間性、庶民性はノーベル平和賞に値するといって過言ではございません。
熊八が家の前に七輪をだしまして、その上に二匹の秋刀魚を並べました。
うちわでパタパタと扇ぐと、炭火がぱーっと赤くなります。
「へへ、旨そうだ」
旬の秋刀魚です。銀色にてらてらと光っていた鱗からじゅーっと油がしたたりおちます。
「いい匂いだね、たまらないねえ」
炭火が落ちついたところで、熊さんが家の中に入りました。
卓袱台の上に夕食の用意をして、また外に出てきます。ほんのちょっとの間のことですが、七輪の上の秋刀魚が一匹になっています。
前を見ますと、野良猫のトラが一目散に逃げていきます。
「あ、あの野良公、また秋刀魚を盗みやがった」
あわてて、追いかけましたが、追いつくわけがありません。
仕方がないと、戻りますと、七輪の上からもう一匹の秋刀魚もなくなっています。
熊八が見ますと、反対のほうに三毛猫のミーちゃんが逃げていきます。
ミーちゃんは角の謡のお師匠さんの飼い猫でして、どうもトラとは仲がよいようでございます。
こうなっては、なすすべがない。熊八は茄子を七輪で焼いて醤油をかけて、かすかに残る秋刀魚の匂いをかぎながら、おまんまを食べました。
よくあることでございます。
そんなところへ、赤い顔をした八五郎が、口の周りを泡だらけにして、なにやら叫びながら、開いている戸口から走りこんできました。
「熊、てえへんだ、泥棒だ、猫泥棒だ」
「何だ、猫なら今逃げてったぜ」
熊八は振り返りもしないで、食事の後片付けをしています。あわてものの八五郎です。いつものことです。
八五郎は、「へ、どっちにいった」と、戸口から外を見て、きょろきょろ辺りを見回しますが、いるわけはありません。
「野良公のトラはあっち、ミーちゃんはこっち、秋刀魚もっていっちまいやがった」
熊八が指を指します。
「泥棒猫じゃねえ、猫泥棒だ」
八五郎は目に涙をためております。
「何でえ、泣くこたあるめえに」
「打ち首だ」
「大げさなやろうだ、猫がどうしたってんだ」
「どうしたこうしたって、猫泥棒に入られた」
「なんだそりゃ、おめえんとこに猫がいたっけ」
「何でも、てえへんなことが起きて、奉行所のお偉いかたから親方が猫をあずかったんだ、ところが、そのてえへんなことで親方もかり出されちまって、俺に猫を頼むと出かけちまった、うちのかかあが猫好きなのは知ってるだろう、だから、いいだろうと、猫を預かったんだ、ところがいなくなっちまった、盗まれちまった。熊どうしよう」
八五郎の様子をみると、どうも本当のようです。
「どんな猫だい、そいつは」
「こう耳みがあって、目があって、ヒゲがあって」
「ばか、どの猫だって耳も目もヒゲもあらあ、何色だい」
「えーと、うーんと」
「しっかと、思い出しねえ」
「うん、そうだ、顔が紫で、耳のところが少し紫色で、手足が紫で、尾っぽも紫だ」
「そりゃめずらしい、それで目はなに色だい」
「青」
「そんな猫見たことがねえ」
「だから珍しいってんだ、何でも、シャムって国から来たそうだ」
「ふーん、それでどうして盗まれたんで」
「首に紐を巻いて、柱に結んどいたんだが、いつのまにかほどいちまった」
「そいじゃ、盗まれたのか、逃げたのかわからねえじゃねえか」
「うん、だけどあいつは日本の言葉がわからねえ、自分から出ていくこたあしねえだろう」
「ばかいってら、猫に日本語もよその国の言葉もあるかい、みんなにゃー語だ」
ともあれ、一緒に探してやろうということで、熊八も八五郎と一緒に探しに出かけました。しかし、広い町のこと、そんなに簡単に見つかるわけがありません。
夜遅くまで歩いたにもかかわらず、手がかりは無く、二人してがっかりと長屋にもどってまいりました。
「ほんとによ、明日までに見つからなかったらどうしたらいいんだ」
そんな様子を野良猫のトラが井戸の脇から覗いてみております。
トラはいつも熊八の秋刀魚をいただいていることから、少しばかり、熊八に恩を感じております。それに、八五郎のかかあは本当に猫好きで、このあたりの猫という猫はみな恩恵に浴しております。
トラは角の謡のお師匠さんのところに参りますと、三毛のミーちゃんに声をかけました。
「よーミー公」
トラは亭主づらしてこう呼びます。
「なんだい、おまえさん、さっきの秋刀魚は美味しかったね」
「旨いさ、なんてったて、炭火焼だ」
「うちの秋刀魚なんて、お師匠さんが油を抜いて、蒸しちまうもんだから旨くもなんともないんだよ」
「それも贅沢だぜ」
「それで何の用」
「八五郎と熊八が大そう困ってるんだ」
「どうしたの」
「何でも、シャムから来た猫が逃げたんだそうだ」
「あら、どんなやつだろう、会ってみたいね」
「どうせ外国やろうだ、きざに決まってら、でも、熊八と八五郎には世話になっているし、探してやろうと思ってな」
「そうね、八五郎の奥さんにはいろいろもらっているしね」
ということで、トラとミーちゃんは、仲間を集めると、手分けしてシャム猫を探すことにしました。仲間は八匹、いろいろな方向に走っていきます。
しばらくすると、酒屋のクロがもどってきて、
「変な猫が八角堂の辺りを歩いていたということだぜ」
と、報告をしました。
八角堂は川沿いにある法界寺の境内にある古いお堂です。
「そうかい、そんなに遠くはねえ、行ってみるか」
みんなそろって八角堂に向かいます。
法界寺にいきますと、お賽銭箱の前にシャム猫がなにやらくわえて心細そうにたたずんでおります。
「ちょっと格好いいじゃないかい、日本の言葉がわかるかねえ」
ミーちゃんはなよなよと近づいて声をかけました。ミケは意外とミーハーですな。
「ちょいと、外国のお兄さん」
「おんや、かわいい、日本のお嬢さん、帰り方が分からなくなって困っていたところですよ」
にゃー語は万国共通のようです。
シャム猫は青い眼をミーちゃんに向けると、お尻を上げて尾っぽを立てました。
「本当にキザだぜ」
トラは胸糞が悪くなったのですが、そこは痩せ我慢。
「シャムの兄さん、今、お迎えを頼むからね、その間ちょいとお待ちなさいよ、トラ、八五郎のところに知らせておやりよ」
「おいきた」
ミケを一匹にして大丈夫かちょっとばかり心配になりましたが、そこは人のいい、いや猫のいいトラは飛んで帰りました。
八五郎の家には皆集まっていました。熊八も親方も来ております。八五郎の嫁のタカはおろおろと涙するばかり。
そこへ、トラが部屋の中にいきなり飛び込んでくると、八五郎の足にかじりつきました。
「いて、この野良公、何しやがんで」
八五郎はびっくりして、振り払おうとしましたが、トラはかじりついて、八五郎を引っ張ろうとします。熊八が気付きました。
「こりゃ、いつもとは違うじゃないか」
引っ張られながら、八五郎も様子を察したようです。
八五郎が家の外に出ると、トラは足を離すと、八五郎を見て、一目散に走り出しました。こっちに来いと言っているようです。
「熊八きてくれよ」
家の中に声をかけると、八五郎はトラの後を追いました。熊八や親方も続きます。
法界寺にいくと、八角堂の中からシャム猫と三毛猫がでてまいります。
八五郎が叫びます。
「お、いたぞ、シャム猫がいた、いたーあ、よかった、猫がいた」
みんなは八角堂に駆け寄りました。
親方がシャム猫の咥えていたものを目にしました。それは、鼈甲でできた瀟洒な簪(かんざし)です。
「熊、奉行所に、法界寺にお嬢さんがいると伝えてくれ」
親方は熊八に向かって叫びました。
熊は何がなんだか分かりませんでしたが、奉行所に駆け込んで伝えると、お奉行をはじめ、たくさんの捕手たちが一目散に法界寺にかけつけました。
お奉行のお嬢さんが誘拐されて、法界寺の裏にある祠に閉じ込められていたのでした。賊たちは一網打尽にされ、一件落着となりました。
奉行のお嬢さんにかわいがられていたシャム猫が、紐を解いてお嬢さんを探しに行ったのでした。八五郎とかみさんのタカはおこられるどころか、あっぱれと、金三両という大金をいただき、それに熊にも、協力した礼にと、一両が贈られると言う、めでたい結末をむかえた次第です。
熊はこれも猫たちのおかげと、生きのいい秋刀魚を何匹も買ってまいりまいた。七輪で焼くと、自分の分の二匹を家の中の卓袱台において、残りを皿に乗せて入口の前に置きました。
「ほら、焼けたぞ」
いつも井戸の影にいる猫たちに声をかけます。ところが、猫はよってまいりません。
「なんでえ、いねえのか」
見ていると食いにくいのだな、さて、俺も飯を食うかと、家の中に入りますと、いつの間にか卓袱台の上の二匹の秋刀魚が消えています。
外に出てみると、トラとミケが秋刀魚をくわえて違う方向に逃げていきます。
「やられちまった」
熊八は猫たちのために玄関に置いた秋刀魚をもって家の中に入っていきました。
トラは薄の生い茂る原の中で、秋刀魚に喰らいつきました。
「へへん、据え膳なんか食えるか、盗んで食うのが旨いんだ」
あっという間に食べ終わったトラは顔を洗っています。
ミーちゃんもお師匠さんの家の縁の下で、同じことを言って、秋刀魚に食らいついています。
さて、この話はまだ続きがございます。
暮れも迫ったある日、ミーちゃんが産気づきました。
いつもの猫たちが、謡のお師匠さんの家の庭に集まっております。しばらくしますと、縁の下から猫の赤ん坊の泣き声が聞こえました。
皆が縁の下にもぐりこむと、赤ん坊がミーちゃんのお乳を吸っています。
「三匹かい」
トラが覗きこみます。
「そうよ」
酒屋のクロも覗き込みます
「トラの子じゃなさそうだね」
「見りゃ分かるだろさ」
ミーちゃんは子どもの耳を舐めました。
「外国のやろうも盗み食いが好きなんだ」とトラは小声で言いました。
三匹ともからだは三毛でしたが、目は青く、シャムの顔をしています。
「こりゃハーフだ、日本もいよいよ国際化だね」
クロが分かったようなことを言います。しかし、その一年後、日本は開国したのでございます。
「ハーフだろうがなんだろうが、子どもはかわいいや」
人のよい、いや、猫のよいトラは三匹の娘猫をめっぽうかわいがりました。
大きくなった器量よしの三匹は、お師匠さんのお弟子さんたちに引き取られていきました。
ところが、三匹の三毛シャムはミーちゃんの性格を受け継いだようです。
トラは毎日のように遊びに来る三匹の娘とともに、よその家の台所から、美味いものをかっさらって、それはそれは幸せに野良生活をおくったということでございます。
猫小咄集「お猫さま」所収 2017年 55部限定 自費出版(一粒書房)
2017年度(第20回)日本自費出版文化賞、小説部門賞受賞
お猫さま 第十二話ー猫泥棒