擬音
一
昔々、で始まったんだ。終わるのも昔の話で。話してくれるのは今なのに、語り継がれても昔なんだよ。いつまで経っても追い付けない。その時間は延びていく一方だね。矢印があっち向き。
頭を向けることで、その方向を示す蛇の両目を僕は見た。図鑑の写真にあるような、真っ黒で丸い、小さな目だった。瞼がなくて、ずっと開いてる。素朴な疑問はだから生まれた。僕は蛇にそれをぶつけた。
「ところで、君のその両目は、乾いたりしないの?」
僕のこの質問に、蛇はシャカシャカと舌を出し入れして笑い、「乾かないさ」と言い、その理由を説明してくれた。今度はシュルシュルと、舌を出し入れするのが蛇の言葉。コツがあるのか、蛇以外のどんな生き物においても、その理解に困難はなく、その内容はリズムに乗り、透明の膜に包まれた蛇の目で見る様な心地を、僕にだって想像することができた。この蛇は特にお喋り上手で、自分のことをよく知っていて、にもかかわらず、鼻にかけて自慢にすることがなかった。すごい、と僕は思った。こういう瞬間的な感動を僕はすぐに伝える癖がある、なので僕はこの感動を蛇の前で漏らしてしまった。あ、しまった、と思ったことも、その癖に従って続けて世界へ飛び出そうとする。こういう時に役に立つ手は、僕の口を覆って、それをどうにか丸呑みにし、お腹にしまい込んだ。喉はゴロリと動いた。蛇はまた赤い舌を出して、シャカシャカと笑ってくれた。そしてこう続けた。「丸呑みするなら、喉はこう動かさなきゃ。こうだよ、こう」。細かい鱗で覆われた身がくねくねと動き、くすぐったそうに、照れた感じで、大事なコツを教えてくれた。その様子を見て、蛙一匹をさっき消化し終えたと蛇から聞いた昼間の話が、頬袋を膨らませるように、僕の頭の片隅で不思議な顔をした。僕自身も、お腹の辺りをくるりと一回、撫でた。その感触がさっき飲んだ言葉のことを、驚きのような後悔の、頭のあたりに届いているような気がした。初めて出した鳴き声のような響きがした。お腹を空かせた人になった気がした。すると、今度は蛇の方から、ためらいがちな様子を舌先で表して、黒い目を真っ直ぐに向けて、迷いを晴らすように首を縦に二度振り、それから僕に確認した。「食いしん坊みたいな真似しちゃった。誤解しないで、これは食べる姿とは違うんだから」。そしてまた、首を縦に振った。その勢いから、確認の意思が振り落とされるようだった。
僕の方でも、思ったことを真摯な答えとするために、頭の中で一周させ、かつ、口の中で噛み砕いてしまわないように、その一つずつの空気を震わせた。次々と出てくる言葉を口にした。熱を帯びて、溢れる思い。そう思い始めると、いつもの癖が走り出す。誇張に、強調に、長々と。世界を埋め尽くす勢い。その間も、僕の瞼は目の前の世界を閉じて、開いてを繰り返した。使い捨てのストロボライトにパパッと照らされ、砂の色に塗られた地面が風と時間を残していく、蛇が主役に見立てられ、早々に台詞を口にすべき舌が間合いを感じて、ピリリと震える。新たに喉はごくりと読点を飲んで、頭の中で、僕は歌いだけの歌を歌った。人ならではの歌。代わりの両手で空を飛ぶのさ。
見えないはずの一幕、しかしそれを感じ取ったのか、シュルル、と蛇は応じて、その身と舌で、シュララと動いた。スッと這って進んで、這って進んで、戻って来る。そうしてまた、這って進む。始点と一緒に、くるくると回り出す。ダンシング、というこちらの方にあるはずの木箱が、『分不相応』という誹りを辞書から受ける形で、自ら歩み出て、正しく蛇の為に舞う。ああ、余計だ。そう、僕も、その他の生き物も、最後までそれに魅入られるばかりだった。音楽隊も縦に連なる。狩りを止めたばかりの鷹も加わる。驢馬も唾を飛ばす。旅人もそこに居る。月が回って、顔を隠した。
最後の最後まで踊り終えて、やっぱり満足げな顔を見せた蛇には、あの黒くて丸い両目があった。楽しかったよ、と答えを口にしたような顎の動きは、蛇の気持ちの見せ方だった。僕にはそれが分かった。息を整えるようにじっとする蛇は、その合間合間に身を伸ばし、時々舌を出す。それを繰り返し、動きを止め、改めて、蛇はその向きを変えた。僕の顔が向いている方向の、さらにその先へ。蛇はするすると進んでいった。だからその姿は徐々に小さく、小さくなっていった。
蛇とのお別れ、と題名を付けて、それを最後まで見送るつもりだった僕は、けれど空を見上げた。そこに雨雲はあった。さっきまでは何も無かったような天気の顔をして、空には飛んでいる絨毯もなかったのに。でも、それを認めて、僕は確かに歩き出した。蛇と同じ方向に、進んで行った。道は砂地で出来ている。踏み固める砂は、固まって足跡になる。その感触を擬音にしながら、僕の頭の中で、仮に降り出したとすれば、走り出すのはいつ頃にするのがドラマチックなのか、ということを考えていた。こうでもない、ああでもない。言葉はひらひらと過ぎて行き、思いはぴたぴたと張り付いた。歩いてすっかり汗ばむ肌を拭う度、僕の瞼は世界を繋げた。
そして始まった僕と蛇のそれぞれの道中。先を進んでいた蛇にやがて追いついた僕は「ねえ聞いて」とひと声をかけ、あのいつもの癖のように、すぐに生まれたものを口にして、蛇はそれを聞いた。蛇は地面を這い、僕はそこを歩いた。生まれるものに、乗せられた思いは受け止められて、今度は蛇が僕に対して、ゾウゾウというものをその舌に乗せた。鼻が長そうな印象を僕は抱いた、けれど、その内容が明かされるに従い、僕はその様子に心を動かされて、僕の喉はしっかりと反応した。舌は空気を震わせた。話しながらも移動を優先する蛇も、先が二つに分かれた舌を、上下にフリフリと動かし、何かを誤魔化したりしなかった。それを繰り返して繰り返して、最後に誰かのお腹が鳴った。僕か蛇の、又は僕と蛇のお腹だろうと決まっていた。ネズミがいたなら、コソコソと隠れただろう。どちらに食べられたくないのか。どちらにも食べられたくないのだろう、と蛇が率先して言ってくれたのが面白かった。
同じような遊びはまだまだあった。その全てを思い出そうとした。けれどそのうちに、蛇も僕も、思い出し、そして笑うことをやめた。砂埃が低い湿度に誘われて、日差しの強い中をひゅーっと舞ったからだった。そうすると必ず、耳触りはどうだい、と蛇のことを真似る僕を見る、蛇がからかう素振りをした。今度は僕が舌を出す番だった。それを見て喜んだ蛇には、くすぐられる場所があるのだと分かった。
そうして僕と蛇の道が重なった。このことが神話になるのか、なんてことは知らない。今を生きる物には関係がないというのが、蛇と僕の一致する意見だった。ただその途中、靴紐を結び直した僕を残して、蛇が先を行き、僕が後から追い付いたことが一度あったことはお互いの秘密にした。それ以外は共に進めたからだ。その時に、僕と蛇はお互いの方法でひと息をついた。雨雲は伸びては千切れ、伸びては千切れを繰り返した。日光はその中で仕事をした。僕は唾を飲んだ。蛇はその身を捩った。僕はもう一息ついた。蛇はシュルルと鳴らした。滴が着地しようとしていた。雨になろうと冷たく、二、三滴。今度は蛇のウロコに垂れて、這い進んだ蛇のお腹の跡に吸い込まれていくんだろうと予感した。
そうだ、鼻の頭を掻くことは、僕の旧い癖になる。それを記念するために、蛙がゲーコと鳴いてくれる。僕は手の平で、その姿を丸く撫でてあげる。くすぐったくて、お腹が笑う。蛇が頭を縦に動かす。本格的な粒は、雨のフードを被って、そのお話に滲み出す、と。
ゴロゴロと走る光が、僕らの目を走らせる。そうして顔を見合わせるとき、僕のまん丸い瞳は、その真っ黒で小さな世界をニョロっと驚かせた。
擬音