探す、コスモス
君のいう「宇宙」に何が刻まれているのか僕は知らない。けれど宇宙空間、数光年先まで判明している物理科学でないことはたしかで、同時に、世界なんて在り来たりな表現でも済まされないことは、僕も知っている。
たとえば朝のコスモス、一面に咲いたピンク色の中に宇宙があるという。
昼の月。夜になる前、ガラス戸にうつりこむ汽水域じみた空の色も、君にとっての宇宙だった。僕が珍しく(珍しく。ほんとうだ、)くちにした冗談でさえ。きみの宇宙をやっとみられたよ、と赤らんだ顔をしてはしゃぐものだから、訳もわからないまま僕も嬉しくなってしまった。
きおくは三角比でも台形の面積の公式でもないね。そらんじることができない、と諦めながらもどうにか丸を貰えていた、再テストの記述問題みたいだ。同じ中心を使って半径のちがう円を何度も何度もえがくのに似ている。だから経験と想像とのさかいめが薄くなって、笑ったときの顔も声もおぼろになってゆく。かたくなに守らなくちゃならない記憶が欲しくて、僕は覚えていることをこぼすのを恐れたけれど、怖いと思ったところで仕方がなかったんだ。生命として都合の良いように、自分勝手に、僕らは忘れてゆくようにできている。生き物どころか人間もやめられないのに、脈打つことを強要する仕組みに抗うなんてね。
僕は気付いたよ。
君が見えなくなってから気付いた。
まるで新しい星の誕生と古い星の消失だ。僕も君も、つねに自分の宇宙をつくりかえている。ブラックホールに呑みこまれたみたいに足りなくなってゆく星々のきおくを、君の知らせてくれていた、毎日の小さな宇宙がおぎなっていたんだ。からっぽになってひっくり返ってしまわないように君はたくさん探していた、自分のぶんも、僕のぶんも。
酸素を吸って二酸化炭素を吐きだす、そのたびに宇宙は収縮と弛緩を、明滅をくり返す。これから僕は僕きりで探さなきゃならない、紡がなきゃならない、星座のように。君がのこしたあかりと、このしゅんかんから過去になるいまの、僕のひかりとを。
見ててくれとは言わない。嘆きかなしむこともしない。
ただただ、降りつもるきおくに溺れないよう、泳ぎきるだけだ。
探す、コスモス