籠の小鳥と錆びた鈴

籠の小鳥と錆びた鈴

この物語はフィクションです。登場する人物・団体名は架空のものです。

〈十月〉

拝啓 金子みすゞ様

 はじめてお手紙を差し上げます。
 わたしは山口県立長門(ながと)碧洋(へきよう)高校三年、弘中みすずといいます。
 そう、あなたと同じ名前。
 わたしの両親が、この町(註一)出身のあなたのように優しい人になってほしいと願ってつけた名前です。
 でも、わたしはこの名前が好きではありません。もちろん、あなたにそれを言っても仕方ないことだとわかっています。
 だって、あなたはもう八十年以上も前に死んでしまっているのだから。
 読まれることのない手紙なんて、おかしいでしょうか?
 でも、書きます。
 書かずにいられないから。
 きっとあなたならわかってくれるだろうと思います。書きたいのではなく、書かずにいられない、こんな気持ちを。

 わたしは今、受験生です。
 一月のセンター試験に向けて、毎日勉強ばかりしています。
 あなたが見たらどう思うのかな。毎日問題集とにらめっこして、必死になって英単語や構文を覚えて、毎週のように模擬試験を受けて。
 ときどき、自分が何をしているのかわからなくなることがあります。
 こんなことしてて何になるのかな、と不安になることもあります。
 でも、わたしには目標があるから、何とかがんばっています。その目標についてはまた後で書きますね。

 先週、図書室で勉強しているとき、ちょっと休憩のつもりで、あなたの詩集『さみしい王女』を手に取りました。
 実は、こうして改めて読むのは初めてでした。
 この町はあなたの生まれ故郷だから、あなたの生家跡には立派な記念館が建っているし、町のあちこちにあなたの言葉があふれています。だから、詩集を読んだことがなくても、みんながあなたの作品をたくさん目にしています。

 知っていますか? あなたの詩は今、日本で知らない人がほとんどいないくらい有名になっているんですよ?
 五年前の三月、「東日本大震災」という、とても大きな地震がありました。
 そのとき、わたしは小学校の六年生でした。
 東北の浜辺が何百キロにもわたって津波に呑まれて、一万五千人を超える人々が亡くなり、今でも二千五百人以上の人たちが行方不明のままです。それだけでなく、原子力発電所(と言ってもわかりませんよね? 核分裂反応という、とても大きな力を利用して電気を作るのだそうです)が爆発して、大勢の人が故郷に住めなくなりました。
 わたしはテレビのニュースでそれを見て、こわくておびえていました。ひとごとだなんて思えませんでした。
 だって、この町だって海に囲まれているのだから。
 もしも低くて平らなこの町に津波が来たら、逃げる場所なんてほとんどありません。
 わたしも死ぬのかもしれない。
 二度と家族と会えなくなるのかもしれない。
 もしこの家がなくなってしまったら、どうすればいいんだろう。
 そう思うと、夜も眠れませんでした。
 そんなときに、あなたの詩がテレビでずっと流れていたのです。
『こだまでしょうか』
 かわいい詩ですよね。
 こども同士が同じ言葉を投げかけあって仲良くなって、けんかして、仲直りして。
「こだまでしょうか」と問いかけておいて、最後に「いいえ、誰でも」とふっと視点を広げる。
 この詩が、日本のありとあらゆるところで毎日のように何度も繰り返し流れました。コマーシャル(宣伝広告って言ったらわかりますか?)のかわりに、何度も。
 普段にぎやかなテレビがふさぎ込んだみたいになって、「自粛」ということでコマーシャルは公共広告機構が作ったものだけになってしまいました。
 あなたの詩は、その公共広告で使われていたのです。

 正直なところを言うと、わたしはなんだかいやな気持ちでした。
 だって、なんだか嘘っぽかったから。
「自分が心を開けば、相手も心を開いてくれる。自分が心を閉ざせば、相手も心を閉ざす。それはみんな同じなんだよ」
 クラスの担任だった先生はそう言ってたけど、わたしは納得できませんでした。
 じゃあ、地震や津波で死んでしまった人は? 心を開きたくてももう開けないじゃない。心を閉ざそうにもその心もないじゃない。どうしたらいいの?
 大切な人が死んじゃった人は? そんな絶望の中にいる人にも心を開けだなんて、ひどいんじゃないの?
 わたしはそう思っていました。
 先生にも友達にもそんなこと言わなかったけど。だって、めんどくさい人だって思われたら、そっちの方がめんどくさいから。

 みすゞさん。あなたの詩は、優しい。
 でも。
 あなた自身は、本当に優しい人だったのでしょうか?

 わたしはあなたの名前をもらいました。
 小学校のとき、自分の名前について調べる授業があって、両親に尋ねて初めて自分の名前の由来を知りました。だから、あなたのこともいろいろと調べました。
 小さいころに、お父さんが中国で死んでしまったこと。
 結婚したけど夫とうまくいかなかったこと。
 そして、まだ小さな娘さんを残して、二十六歳で自殺してしまったこと。

──あなたはちっとも優しくなんかない。
 幼いこどもを残して自殺するなんて、あまりに身勝手じゃないですか。こどもにはまだ何もわからないのに。
 そのことを知ってから、わたしは自分の名前が好きではなくなりました。

 みんな何を思ってあなたの詩を読んでいるんだろう、とわたしはいつも不思議に思うのです。
 あなたは「薄幸の童謡詩人」なんて呼ばれていたり、誰にでも優しかったなんて言われていたり、まるで仏さまのように思われていたり。本当に生きていたひとりの女の人だという感じが、全然しません。あなたがいったい何を見て、何を聞き、何を感じていたのか、わたしにはまったくわからないのです。
 あなたの作品はとても有名になったけど、そんなこと、あなたにはどうでもいいことですよね。
 だって、あなたは自分からこの世とさよならしたんだから。

 あなたはずるい。

 自分だけ逃げ出すなんて、ずるい。
 わたしは今でも、そんなあなたを許せない気持ちです。
 だって、あなたはそれでよくても、後に残された人たちはどうなるか、少しでも考えたのでしょうか?
 特に、何もわからないうちにお母さんを亡くしてしまったあなたの娘さんは、成長してからどんなに悔しかったでしょうか。娘に先立たれたお母さんは、どんなに悲しかったでしょうか。
 だからわたしは、あなたの詩を目にするたびに、こんなの全部嘘だと、ずっと思ってきました。
 あなたの詩なんて、うわべだけの優しさ。
 優しいふりをした、きれいな嘘。
 もしもあなたが本当に優しい人だったのなら、幼い娘さんを残して死んだりしないはずです。大切な人のために、歯を食いしばって生きただろうと、わたしは思います。違いますか?
 あなたはかわいそうな人なんかじゃない。
 本当にかわいそうなのは、あなたではなくて、残されたあなたの娘さんやお母さんの方です。

 みすゞさん、わたしはあなたのような人にはなりたくありません。
 きれいな嘘ばかりついて、自分をごまかして生きたくありません。
 そう、それがわたしの目標。
 わたしはこの小さな寂しい町を出て、大学に行きます。
 大好きな文学をもっと勉強したい。小説だって書いてみたいし、都会で一人暮らしもしてみたい。もっともっと、いろいろなものに触れて、たくさんのものを吸収したい。
 だから、一生懸命勉強しています。絶対に合格するために。
 あなたはこの世から逃げ出したけれど、わたしは絶対逃げません。
 わたしは、わたしの生きたいように生きていきます。
 どうしてもそれをあなたに伝えたくてお手紙しました。

 失礼なことばかり書いてごめんなさい。
 でも、あなたはわたしに名前をくれた人だから、このくらいのわがまま聞いてください。
 それでは。
                            かしこ
弘中 みすず 拝

    (長門碧洋高校文芸部誌『波濤』二〇一六年一一月号掲載)

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一 長門市仙崎……山口県長門市中心部から北東方向に向かって伸びる砂州上に形成された町。西側は日本海からの波が直接寄せる深川(ふかわ)湾、東側は青海(おうみ)島に囲まれた仙崎湾で、古くから漁業で栄えた。江戸時代から捕鯨が行われており、近代捕鯨発祥の地としても知られる。

〈十一月〉

拝啓 金子みすゞ様

 こちらはだいぶ寒くなってきました。風の強い日には、日本海の重い海鳴りが、校舎にいても微かに聞こえてきます。
 先日、同じクラスの福田あずささんが推薦入試で合格したと聞きました。うちの高校からは今年度最初の大学合格者です。
 同じクラスになったり別々になったりでしたが、小学校の時からずっと一緒。とても明るい子で、陸上部では県大会に出たみたいだし、高一の時から生徒会活動も熱心にやっていたから、たぶん受かるだろうなとは思っていたけど、実際に合格した人のことを聞くと、やっぱりちょっと焦ります。
 あの子を見ていると、なんだかイライラするので、正直わたしは苦手です。
 なんであんなにはきはきとしゃべれるんだろう。
 なんであんなにいろいろなことに世話を焼けるんだろう。
 なんであんなに毎日楽しそうなんだろう。
 あの子には、わたしに無いものが全部揃っているような気がします。
 みすゞさんは、神様は不公平だと思ったこと、ありませんか?

 わたしは毎日のように学校に来て勉強しています。授業はもうなくなってるから、わざわざ学校に来る必要なんてないのですが、家だと祖父母がなにかと気を使ってくれているのがわかって、なんだか悪いので、図書室に朝から夕方までこもっています。
 ここにいると、わたしはひとりきりなんだなあ、としみじみ感じます。
 一・二年生は今までどおり授業をしているから、授業中は校舎がしんと静まり返っています。ときどきトンビが鳴いているのが耳に入るだけ。
 休み時間になると一斉ににぎやかな声があふれて、チャイムが鳴って授業が始まると、すっと声が消える。
 ついこの間まで、わたしもあの中にいたんだな、と思うと急にさみしい気持ちになります。
 自分だけが取り残されたようなさみしさ。
 毎日がんばってるけど、本当にわたしは大学に合格できるのかな、と不安になります。
 そんなとき、わたしはあなたの作品をゆっくりと、少しずつ読んでいます。
 この前の手紙では、全部嘘だなんて言ったけど、やっぱり何かが気になって、つい手に取ってしまいます。
 あなたの書いた詩を読んでいると、なぜだかすごくさみしい気持ちになります。
 優しい言葉が並んでいるのに、ずっと読んでいると、じわじわとさみしさが湧いてくる。
 なんでだろう?
 でも、それと同時にほっとしているわたしがいて、ちょっと驚いています。

 あなたの詩は、ちっともあなた自身のことを書いてないですよね。
 空想でこどもの目線になりかわって、こどもが見ていること、聞いていること、感じていることを綴っています。ときには、鳥や虫になってみたりもしますね。あなたのこども時代の思い出にしても、こどものころのあなたに戻って書いているように感じました。
 こどものために書かれた詩だから当たり前なのかもしれませんが、ずっと読んでいるうちに、なんだか不思議な形だなあ、と思うようになりました。
 みすゞさん、あなた自身は、一体どこにいるんですか?

 あなたと同じ時代を生き、同じ山口県出身の中原中也という詩人がいます。
 わたしは彼の『骨』という詩が好きです。
 死んだ後に、故郷の小川のへりで「ヌックと」出て、しらじらとした色をさらす自分の骨を幻視し、「ホラホラ」と言って自分自身に見せびらかそうとする、不思議な詩です。
 中也の詩って、自分の弱いところやこっけいなところ、他人に見せたくないような汚いところまでじっと見つめて、それを言葉にしているような感じがします。どこか甘えたようなところもあるけど、それも含めて彼の作品の魅力だとわたしは思います。
 彼は詩という表現を通じて、自分のことを洗いざらいさらけ出そうとしていたのかもしれません。

 でも、あなたの詩のなかに、あなたはいない。

 あなたのかわりにこどもがいて、いろいろな空想を広げて楽しんでいます。お姫様になってみたり、魚になってみたり、虫になってみたり、小鳥になってみたり。
 ひとつひとつの詩は優しい言葉で綴られているけど、あなたのかわりのこどもたちは、なんだかみんなさみしそう。

 ずいぶんまわりくどい書き方ですよね?
 わたしにはあなたが生きた時代のことはよくわからないけど、女性の立場が今ほど自由じゃなかったことぐらいは知っています。あなた自身のことをあなたの素直な言葉で書いても、きっとたくさんの人に読まれていただろうな、とわたしは思います。
 でも、あなたはそうしなかった。むしろ、自分自身のことを隠そうとしているようにも見えます。
 なぜですか?
 なんだか気になってしまって、受験勉強に身が入りません。

 今ふと思ったんですけど、これってなんだか片思いみたいですよね?
 うわ、ありえない!
 そうそう、みすゞさんは恋とかしなかったんですか?
 夫になった人は確か、実家の本屋さんで番頭格だった人ですよね?
 やっぱりお見合い結婚だったんですか?
 お見合いってどんな感じなんだろ?
 信じられないなあ、よく知らない男の人と結婚するって。

 わたしは、まだ恋をしたことがありません。
 みすゞさんは好きな人とかいましたか?
 恋をしたこと、ありましたか?
 人を好きになるって、どんな感じなのかな。
 クラスの女子がいつも話していたのは、何組の○○君がかっこいいとか、芸能人の誰それが好きとか、そんな話ばっかり。
 文芸部の女子はみんな腐女子(ふじょし)(あ、これは架空の美少年であれこれ妄想するのが好きな女の子のことです)で、現実の男子に興味がある人はいないし。
 わたしは、どっちの話題にもなんだかついていけませんでした。
 文芸部の子みたいに、架空の美少年にあこがれる気持ち、わたしにはよくわかりません。
 だって、いくらかっこよくても、実際に触れられるわけじゃないし、優しくしてくれるわけでもないし。見ているのは楽しいけど、それで何がどうなるわけじゃないから。
 クラスの中で人気の子がほかの友達と話しているのを聞いていると(盗み聞きしてるわけじゃないですよ、大声でしゃべるからどうしても聞こえてしまうんです)、人を好きになると本当にちょっとしたことで胸がドキドキしたりするみたい。 視線が合っただけで胸がいっぱいになるとか、手が触れあっただけでときめいてしまうとか。
 わたしは物語をたくさん読んだから、そんな表現もいくらでも知っています。
 でもわたしには、男の子に胸がときめくとか、好きとか嫌いとか、やっぱりよくわかりません。
 いつか、こんなわたしでも恋をするときが来るのかなあ。
 胸がときめいて、寝ても覚めてもその人のことばかり考えてしまう、そんな風に自分がなるなんて、想像もできないな。
 もしかしたらわたしは、そんなこともないまま年をとってしまうのかもしれません。それならそれでいいけど、恋にあこがれる気持ちはやっぱりどこかにあります。
 もしそんな経験もないままに死んでしまったら、人生の大事なところを味わうこともできずに終わることになるんじゃないか……なんて考えてしまって。
 でも、そういう考え方ってなんだか変な気がします。人を好きになるということよりも、恋することに恋してるっていうか。
 あー、やっぱりわたしには恋なんて無理なのかなあ。
 それはわたし自身が、わたしのことをあまり好きではないからなのかも。
 人前に出ると無口になってしまう臆病な自分が、どうしても好きになれなくて。心の中でいろいろなことを考えているのに、こわくて何も言い出せない自分を、本当は自分で軽蔑してる。
 男子だけじゃなくて、女子に対しても、相手から変な風に思われてないかなって気になりだすと、もう何も言えなくなってしまう。自分がどう見られているかばかり気にして、何もできなくなってしまう。
 こういうのを、「自意識過剰」って言うんだそうです。
 考え過ぎなのかもしれないけど、今さらそんな自分を変えることもできません。
 路地裏で寝そべっている猫とならすぐに仲良くなれるのに、なんで人が相手だとうまくいかないんだろう?

 みすゞさんもあまりおしゃべりな人じゃなかったでしょう? あなたの詩を読んでいると、そんな気がします。
 授業中に外を眺めてぼーっとほかのことを考えてて、先生に叱られたりしませんでしたか? わたしは小学校のころ、そんなことがよくありました。いつも空想ばかり。
 あの雲の下には、どんな風景が広がっているんだろう。
 トンビになって空からこの町を見下ろしたら、気持ちいいかな。
 猫になって家の間を自由に歩き回ってみたら面白そう。
 先生の話なんかちっとも聞かないで、窓の外を眺めては、そんなことばかり考えていました。
 なんだか、みすゞさんの詩に出てくるこどもみたいですね。
 いつからかなあ、そんな空想をしなくなったの。
 大人になるって、そういうことなのかな。
 みすゞさんはどう思いますか?

 なんだかとりとめなくなってしまってごめんなさい。そろそろ受験勉強に戻ります。
 またお便りします。
                            かしこ
弘中みすず 拝

    (長門碧洋高校文芸部誌『波濤』二〇一六年一二月号掲載)

〈十二月〉

拝啓 金子みすゞ様

 だんだんと朝起きるのがつらい時期になってきました。
 あーこのまま布団と一体化していたい、なんて現実逃避しそうになりますが、受験生はそうも言っていられません。センター試験まであと一ヶ月、毎朝がんばって起きて、気合を入れて勉強しています。
 受験勉強は相変わらず学校の図書室でしています。
 朝、出かけるときに家の玄関のドアを開けて体が冷たい空気に触れると、思わず肩をすくめてしまいます。
 でも、そのあと気持ちがぐっと引き締まって、すっと背筋が伸びるような気がします。
 自転車をこぐと、頬に当たる風が痛いくらい。
 見慣れた通学路の風景も、すっかり冬模様。田んぼには刈り取りの終わったあとの稲の株が寒々しく並び、頭の上では厚い雲があとからあとから流れていきます。
 ついこの間まで紅葉していた学校のカエデの木も、イチョウの木も、今は枝だけになってなんだか寒そうです。
 冬の景色は色がなくて、海の底に沈んでいるみたい。
 でも、たまに校舎の踊り場に陽が射すと、小さなひだまりができるんです。ときどきそこでぼーっとしてると、自分が受験生であることを忘れてしまいそう。

 この前、何年かぶりで王子山(おうじやま)公園(註二)まで行ってきました。
 みすゞさんも詩に書いていましたね。植えられた桜が、みんな枯れちゃった公園(笑)
 今は大きな橋が架かっていて、港の方から自転車で行くことができます。昔は渡し船で渡ったそうですね。前に祖父が話していたことがあります。
 小さな山の上から小さな町を見下ろすと、両手でぐるっと一抱えできそう。
 これが、わたしの世界。
 そして、あなたの世界。
 こんな狭いところで、喜んだり悲しんだりしてきたのがわたしの十八年の人生なのかと思うと、わたしという人間の小ささが、よくわかります。
 両手で一抱えにできるぐらいの、小さな人生。
 でも、何ヶ月かあとには、わたしはこの小さな町を出ていくんだ。
 冬の間はどんよりとした鈍色の雲に覆われていることの多い、山陰の小さな漁師町。港には、漁を終えた舟がお行儀よく並んで休んでいました。日本海を越えて吹いてくる冷たい風は厚い雲を次々に押し流して、空の表情は刻一刻と変わっていきます。さっと陽が射して、つかの間金色の輝きを放ったかと思うと、雲が流れてすぐに消えてしまいました。
 公園には、わたしひとり。
 外海から白い波が繰り返し岸へ寄せるのを、しばらく何も考えずに眺めていました。
 こみあげてくる、さみしさ。
 その日は、あなたの『帆』という詩を読んだばかりでした。
 港の舟の帆はみんな薄汚れているのに、遠く沖をゆく舟の帆は、白く光りかがやいて見える。はるか沖に見える舟は、海と空の境目を、かがやきながらはるか遠くにゆくんだよ、と語りかける詩。
 純白に光りかがやく帆。
 でもその舟は、決して港に着くことはない。絶対に乗ることのできない舟。
 はるか遠くに、あこがれる気持ち。
 あれ、と思いました。
 本当は、みすゞさんもこの小さな町を出たかったんじゃないかな?
 あなただってこの小さな世界からとび出して、もっと大きな広い世界に行きたかった。違いますか?
「王子山から町見れば、/わたしは町が好きになる」とあなたは書いてたけど、じゃあ逆に言えば、普段の町は好きではなかったということ?

 あなたの生きた時代は、今よりもいろいろと不自由なことがあっただろうな、と思います。特に、女性が思うように生きていくのは今よりもずっと大変だったのでしょう。押しつけられた価値観に、仕方なしに従って生きていくしかなかった。
 最初の手紙ではあなたにずいぶんとひどいことを言ってしまったな、と今は後悔しています。あなたの生きた時代のことなんか考えずに、今の価値観で、わたしの勝手な思いを書きなぐってしまいました。
 もっとちゃんとあなたのことを知ってから書くべきでした。
 急に謝らなきゃと思って、帰りに遍照寺(へんじょうじ)(註三)のあなたのお墓に寄りました。
 古い小さなお墓。あなたの名前も彫られていないし、添え書きがなければきっと見落としてしまう。
 お墓の間を歩いていた茶色のトラ猫が立ち止まってわたしをちらりと振り返り、また歩いていきました。
 観光客が手向けたのでしょう、お花が供えられていました。
 ごめんなさい。
 そっと手を合わせてつぶやきました。
 今さら謝っても、許してもらえないかもしれないけど。

 みすゞさん、わたしは不安でたまらないのです。
 センター試験まであと一ヶ月しかないのに、そのときのことを想像すると何も手につかなくなってしまいます。
 やっぱり緊張するのかな、その日風邪をひいてしまったらどうしよう、もしも生理の日と重なったらいやだな、そんなことが頭の中でぐるぐる回り始めて、不意に大声で叫びたくなってしまう。
 せっかく勉強してきたのに、緊張で何も書けなかったら。
 がんばっても、志望校ボーダーラインの得点に届かなかったら。
 今までやってきたことが全部ムダになっちゃうんじゃないかって、そんなことばかり考えてしまいます。
 もしかしたらわたしは、受験に対する不安をごまかすためにあなたに手紙を書いているのかもしれません。
 わたしもずるい人間ですね。
 あなたにあんなひどいことを言っておきながら、自分の不安を聞いてもらいたい、安心させてもらいたいだなんて。なんて身勝手なんだろう。
 でも、こんなこと友達にも言えません。
 こんなこと言ったら嫌われるかもしれない。
 変なやつってバカにされるかもしれない。
 思いがけず強い言葉が返ってきたらどうしよう。
 そんなことばかり考えているうちに、話題はどんどん流れていって、わたしはみんなの会話をただ聞いてるだけ。
 クラスメイトとは普通に話すし、みんなからは真面目でおとなしい人って思われているのかもしれないけど、本当のところわたしは誰とも打ち解けてなんかいない。
 わたしは、ひとりきりなんだ。

 (かご)の小鳥と、()びた鈴。
 それから、何もできないわたし。

 みんなの顔色をうかがって、おどおどしながら小さな鳥籠の中を見回している小鳥。
 錆びてしまって、きれいな音が出なくなった鈴。
 それがわたし。

 わたしには、みすゞさんみたいにきれいな言葉は書けません。
「みんなちがって、みんないい」とあなたは書いたけど、今はすこしでもみんなと違っている人は仲間外れになってしまいます。だから、目立たないように、みんなから嫌われないように。
 ずっとそうやって過ごしてきたけど、でも、本当のわたしはどこにいっちゃったんだろう?
 みんなみたいに素直に楽しんだり喜んだりできない。
 わたしの感じていることに、確かな手ごたえがない。
 いつからそうなっちゃったんだろう?
 ねえ、みすゞさん。わたしは、どうしたらいいですか?
 焦りばかりが募ります。

 先月推薦で合格した福田さんは、わたしが図書室にこもってひとりで勉強していると知って、ときどき様子を見に来ます。「調子はどう?」なんて、軽い調子で話しかけてくるんです。
 ねえ、なんでそんなに簡単に声をかけられるの?
 小学校の時からずっとそうだよね。誰とでもすぐに仲良くなって、ぱっと明るく笑えて、なんだかいつも楽しそうで。
 わたしとは大違い。
 わたしは福田さんと何を話していいのかわかりません。適当にあいづちをうってごまかすけど、本当はひとりにしておいてほしい。なんで放っておいてくれないんだろう?
 彼女と話したあとは、自分がとてもみすぼらしい人間に思えて、自己嫌悪に陥ってしまいます。

 ああ、時間がないのに本当に何やってるんだろ、わたし。バカみたい。
 この手紙を書き終えたら、苦手な数学の問題集をもう一度おさらいします。
 この前返ってきた模試の結果でも、数学はもう少し点が取れないと志望校のボーダーラインには届きそうにありません。あと一ヶ月で本当に間に合うのかな。
 本当に恐くて、不安で、すぐにでも逃げ出したいけど、がまんしてがんばります。
 わたしは逃げませんって、あなたに宣言したから。
 なんだか暗いことばかり書いてしまってごめんなさい。
 またお手紙します。
                            かしこ
弘中みすず 拝

     (長門碧洋高校文芸部誌『波濤』二〇一七年一月号掲載)

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二 王子山公園……仙崎の対岸に位置する青海島に整備された公園。仙崎の町並みを一望にできる。現在は仙崎側から青海島まで県道二八三号線で結ばれているが、みすゞの時代には渡船によって渡っていた。
三 遍照寺……仙崎の浄土真宗寺院。金子家の菩提寺で、みすゞの墓所がある。

〈一月〉

拝啓 金子みすゞ様

 少し遅くなりましたけど、あけましておめでとうございます。
 受験生にはお正月なんかないけど、初詣には家族で防府(ほうふ)天満宮へ行ってきました。
 防府天満宮は学問の神様・菅原道真(すがわらのみちざね)公をお祀りしているから、福岡の太宰府(だざいふ)天満宮と並んで受験生のお参りが多いんです。
 わたしも、社殿に上がって合格祈願をしてもらいました。
 でも、最後の最後はやっぱり自分の力しかないよね、と思いながら。我ながらかわいくないなあ(笑)

 運命のセンター試験、昨日終わりました。泊りがけで下関まで行って二日間。
 文芸部の友達と一緒に泊まったから、案外緊張せずに済みました。
 心配していた数学も、思っていたよりは解けてほっとしました。自己採点してみたら、志望校のボーダーラインに十分届きそうです。
 今度は二次試験に向けての勉強です。
 センター試験は選択肢の中から正答を選んだり、あてはまる数字を塗りつぶすマークシート方式だから、解法のパターンさえつかめればある程度得点できますが、二次試験は記述式なのでそうもいきません。通称「赤本」と言われる、志望大学の過去四年分の問題を集めた本を、年末に買いました。長門市の駅前にある本屋さんじゃないと置いてないから、そこまで自転車で行ってきました。久しぶりに本屋さんに行ったから欲しい本もいろいろあったけど、合格するまではぐっとがまん(笑)
 私は文系だから、英語と国語の二科目。国語はもちろん自信がありますが、英語はすこし不安です。英文和訳はなんとかなっても、必ず出題される英作文が、なかなか思うようにできません。
 第一志望は国立大学の文学部ですが、すべり止めで受ける私立大学の出願手続きも並行して進めなければいけないので、身のまわりがすこしあわただしくなってきています。
 とにかく第一志望合格に向けて、これまで以上にがんばって勉強します。

 年末年始はさすがに学校で勉強するわけにもいかないので、ずっと家で勉強していました。勉強するのがだいぶ苦じゃなくなってきたみたいです。
 冬休みの期間中、図書室からあなたの詩集を借りて、勉強の合間にやっと全部読み終えることができました。

 みすゞさんの詩は、やっぱりさみしい。

 みんなが言うように確かに優しいけれど、さみしさの方がもっと強い。直接「さみしい」とは書いていない作品にも、ずっと見えないさみしさが漂っているように感じられました。
 あなたが空想したこどもたちは、親に叱られてすねていたり、友達とけんかして泣きそうだったり、自分がもらい子なんじゃないかと心配してみたり。
 あー、そういえばわたしもそんなことあったなあって思い出すような詩が、いくつもありました。
 ずっと読んでいるうちにだんだんと、みすゞさんの詩のなかにみすゞさん自身がいない理由が、わかるような気がしてきました。
 みすゞさんはこどもの目線を借りることで、普通の大人とは違った見方で世界を見る、あなた独自の表現を作り出したんじゃないかな。誰もがふと感じるさみしさを、繊細な感性でそっとすくい取って、こどもの姿を借りて書いたんだ。
 だからあなたの詩は、こどもからお年寄りまで、今でもたくさんの人に読まれている。
 読んだ人はみんな、詩のなかのこどもに自分を重ねることができるから。
 こどもは今感じているリアルな気持ちで、大人はなつかしい気持ちで。
 みすゞさんは自分自身の気配を作品から消し去ることで、たくさんの人に響く言葉を選んだんじゃないかと、わたしは思っています。

 でも、こんなに多くのさみしい詩を書き残したということは、あなたはそれだけたくさんのさみしさを感じていたということなのかも。
 そう思って、改めてあなたのことを調べてみました。
 小学生のわたしにはわからなかったことも知りました。
 実のお父さんが早くに亡くなってしまったために、複雑な家庭環境に置かれたこども時代。
 お兄さんの結婚と共に、仙崎の実家から下関に移ったはたちの頃。そして養父が決めた相手との結婚。
 夫がお店の中で立場を失ったことに端を発した転居、そして書くことまで禁じられてしまった結婚生活。
 夫婦の不仲と病気、別居、その果ての離婚。
 さらにはそんな生活で唯一の心の支えだった娘さんの親権をめぐっての争い。
 なんでこんなに、と悲しくなるようなことばかり。

 あなたが「金子みすゞ」として詩を書いていたのは、わずか五年ほどの間だったのですね。西條(さいじょう)八十(やそ)(註四)という立派な先生に見いだされて、「若き童謡詩人の中の巨星」とまで言われたのに、あなたは結局一冊の詩集も出すことなく亡くなってしまいました。
 あなたの詩が広くみんなに知られるようになるのは、あなたが亡くなってから五十年以上も経ってから。ある青年(註五)が、古い本に掲載されていたあなたの詩を目にして深い感銘を受け、その遺稿を懸命に探し出したのです。もしも彼が現れなければ、あなたの作品の大半はそのまま消えてしまっていたかもしれません。
 わたしは同情なんかするのは好きではありませんが、本当に、知れば知るほど悲しい気持ちになります。
 夫から書くことを禁じられたとき、あなたはどんな気持ちだったでしょうか。
 その夫と不仲の果てに離婚することになって、最愛の娘さんの親権を取られそうになったとき、あなたはどれほど悔しかったでしょうか。
 そのなかであなたが、いったいどれだけの苦しみを味わったか。
 もしもみすゞさんと同じような境遇になったら、わたしもやっぱり自殺を選ぶのかもしれない。
 わたしはあなたのことを何も知らなかったんだ、とすごく恥ずかしくなりました。なのにあなたのことを許せないだなんて……身勝手なのはわたしの方ですね。
 本当にごめんなさい。

 ああ、人の立場になって考えるのって難しいな。
 思いやりを持ちなさい、人の気持ちになって考えなさいって、こどものころからいろんな大人に何度も言われてきたけど、でもみすゞさん、そんなの傲慢だと思いませんか?
 だって、その人の気持ちなんて、その人自身にしかわからないものでしょう?
 いいえ、その人自身にだって、本当はわかっていないのかもしれません。
 人の気持ちって、簡単にわかるような単純なものじゃないと、わたしは思います。だって、わたしは自分がどんな気持ちなのか、わからなくなることがあるから。
 みすゞさんが自ら死を選んだ理由だって、あれこれ想像してみることはできるけど、結局本当のところはみすゞさんにしかわかりません。
 もっとあなたのことを知りたくて、あなたについて書かれた本も読もうとしました。
 だけどなんだかいやな気分になって、途中で読むのをやめてしまいました。
 だって、それぞれの筆者が勝手なイメージで自分に都合のいい「金子みすゞ」を作りあげて、あなたを利用しているだけに思えたから。「聖女」として(まつ)り上げるだけで、あなたの本当の声を聞こうとしている人なんて、誰ひとりいないように思えたから。
 本当は、あなたは「聖女」なんかじゃないのに。いっぱい悩んで、いっぱい苦しんで、必死でもがいた一人の女の人だったのに。
 少しだけしか残っていない写真のみすゞさんは、何も語ってはくれません。こちらをじっと見つめるだけ。
 わたしはそのまなざしに、優しさよりもつよさを感じます。あなたをとりまく世界を深く射抜こうとする、鋭さを感じます。

 ねえ、みすゞさん。
 あなたには、あなたの世界はどう見えていましたか?
 あなたの詩のなかにあなたはいないけど、わたしにはあなたがどんな人だったのか、なんとなく見えるような気がしています。
 きっと、とても真面目な人。
 人の気持ちが、わかりすぎてしまう人。
 嘘もごまかしも全部見抜いてしまう、鋭いまなざしを持っている人。
 だから、人一倍傷つきやすくて、繊細な人。
 そして、そんな繊細さをこどものころからなかなかわかってもらえなくて、ひとりぼっちだった人。
 どのくらい当たっていますか?

 わたしも、あなたと同じように空想の好きなこどもでした。
 たくさんの物語や詩を読みました。
 中学生になってからは、自分でも書いてみようと思うようになって、見よう見まねで書いたりもしました。今となっては恥ずかしくて、絶対誰にも見せられないけど。
 投稿サイト(誰でも自由に自分の作品を掲載することができて、どこからでも自由に読んだり、感想を書いたりできる場所です)にいくつかの作品を載せたりもしました。
 読んでもらえたことがわかるとそれだけでとてもうれしかったけど、同時に世の中にはわたしなんかよりももっとずっとすごい人がたくさんいるんだと思い知らされて、書くのをやめた時期もあります。
 でも結局、わたしは書くことを諦められませんでした。
 今は受験生だからあまり書いていないけど、わたしはこうして文章を書いているときが、一番わたし自身でいられるような気がします。
 不思議ですね、普段絶対に口に出しては言えないようなことも、文章ならば素直に書けてしまいます。

 さて、そろそろ受験勉強に戻ります。よい報告ができるよう、がんばります。
 またお便りしますね。
                            かしこ
弘中みすず 拝

     (長門碧洋高校文芸部誌『波濤』二〇一七年二月号掲載)

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四 西條八十(1892─1970)詩人、作詞者、仏文学者。雑誌『童話』で選者を務め、みすゞの作品を高く評価した。
五 「金子みすゞ記念館」の館長・矢崎節夫氏。『日本童謡集』(与田準一編・岩波文庫)に掲載されていたみすゞの「大漁」に大きな感銘を受け、遺稿集の発掘・発表に尽力した。

〈二月〉

拝啓 金子みすゞ様

 前期日程の入試まで、いよいよあと十日ほどに迫りました。
 わたしは毎日自分の部屋で眠気と闘いながら、過去問を繰り返し解いています。
 その合間に、私立大学の一般入試も二校ほど受けました。第一志望が関西の国立大学なので、どちらも関西の大学です。
 合格発表はまだですが、試験に慣れてきたためか、あまり緊張せずに済みました。
 親からは、社会勉強のために手続きなどは自分でやるように言われて、受験の申し込みから新幹線(山口から二時間ちょっとで大阪まで行ける、とても速い電車です)の切符や宿泊の手配など、どぎまぎしながら全部自分でやりました。
 山口県から出たのは修学旅行のとき以来かな。
 試験のための旅行だからぜんぜん楽しくはないけど、はじめての街を一人で歩くのは、やっぱりどきどきしますね。
 大学のキャンパスは、いくつも建物が並んでいて迷子になりそう。
 ホテルに一人で泊まるのもはじめて。
 少しだけ大人に近づけたような気がします。
 わたしって、本当に世間知らずなんだなあ。

 旅のお供に、文庫本であなたの詩の選集を買いました。合格したら、ちゃんと全集が欲しいな(結構高いんですよ!) 無理を言って、図書室から全集も一冊だけ貸してもらいました。新幹線での移動中は参考書も開かず、ずっとあなたの作品を読んでいました。なんだか落ち着ける気がして。
『光の籠』を改めて読んだとき、ふと気がつきました。新幹線の中でなければ、あっと声をあげてしまうところでした。
 夏の木のかげ、「光の籠」のなかで「みえない誰か」に飼われていて、おとなしく唄っているかわいい小鳥。
「ぱっと(はね)さえひろげたら」光の籠はいつでもやぶれるのに、そうはせずにただ唄っている、「心やさしい小鳥」の(うた)
 これは、あなた自身のことですよね、みすゞさん?
 あなただって、言葉の羽さえぱっと広げれば、いつでもこの小さな町を飛び立つことができたはずです。あなたがそれだけの才能の持ち主だったことは、今あなたの詩がこれだけ有名になったことが証明しています。
 でも、あなたはそうしなかった。
 自分が外へはばたいてしまったら、さみしく思う人がいる。
 そう思ったから、あなたは「光の籠」に留まる選択をしたんじゃないかと、わたしはそう感じはじめました。

 みすゞさん、幸せって、なんなのかなあ?
 本名・金子テルというひとりの女性の生涯は、わたしから見ると、とてもつらいことの連続です。いつも自分ひとりの力ではどうにもできないことで苦しめられているように見えます。
 夫がお店を追われたとき、あなたは夫に従って店を出ていく。せっかく西條八十先生に詩の才能を見いだされたのに、夫からは書くことを禁じられ、あなたは黙ってそれに従う。あなたにはまったく非は無いのに。
 そういう時代だったんだって言ってしまえば、それまでなのかもしれません。
 それにしても、なんで? なんであなたばかりがこんなつらい目に遭わなきゃいけないの? 詩を書くことが、そんなに悪いことだったの?
 でも、詩を書くことをやめた後も、あなたは娘さんが成長する過程で発した言葉を、『南京玉(なんきんだま)』と題して手帳にていねいに書き取っていたそうですね。なんだか、その情景が目に浮かぶような気がします。
 あなたを支えていたのは、やっぱり言葉なんですね。
 詩集を出版して有名になるのと、娘さんの成長をそっと見守るのと、どっちが幸せかなんて、わたしにはわかりません。
 ただ、詩を書くことをやめたからあなたが不幸だったなんて、わたしは絶対に思いたくないです。

 わたしはあなたが生きていた時代よりもはるかに自由な時代に生きています。しかしそれでも、生きていくことに息苦しさを感じることがあります。
 なんでわたしはみんなと同じになれないんだろう? もっと快活で、優しくて、いつもにこにこしている、そんな人になれたらよかったのに。
 そう、あの福田あずささんみたいに。

 もし運動が上手だったら、みんなから注目されるかな。
 もしおもしろい冗談が言えたら、クラスの人気者になれるかな。
 もしピアノが弾けたら、気持ちいいかな。
 もし絵が上手に描けたら、楽しいかな。
 小学生のころのわたしは、そんなことを考えてばかり。
 でも、全部想像。
 実際には、何もできないのがわたし。
 中学校に入ってからは、そんな空想をするとよけいに悲しくなるから、人を避けて図書室でひとり本を読むようになりました。
 小さいころから本は好きだったけど、中学生のときには背伸びしていろいろな本を読みました。早く大人になりたかったから。だって、こどもはいろいろと不自由でしょ?
 本って不思議ですよね。目で文字を追っているだけなのに、だんだんと登場人物たちがいきいきと動き始めて、わたしの脳裏に映像のように映し出される。実際にはどこにもいないのに、古くからの親しい友達みたいに感じられる。わたしが生まれるずっと前に書かれたものなのに、まるで自分のことのように身近に感じられる。
 なんだか魔法みたい。
 時間も空間も軽々と超える、言葉のタイムカプセル。
 わたしが自分で物語を書こうとしたのも、そんな本の不思議さに魅せられたからなのかもしれません。
 でも、なかなか自分の思うようには書けなくて。
 投稿サイトには、続きが気になってドキドキするような作品がたくさんあります。親に早く寝るよう叱られても、なかなか読むのをやめられないぐらい面白い作品に、いくつも出会いました。
 でも、わたしの作品は、書いている私が楽しめていませんでした。
 物語の舞台はどこかで見たことのあるようなものばかり。登場人物の台詞もなんだか硬くて、まるで人形がしゃべってるみたい。物語の展開もありきたりで、すぐに先が読めてしまう。
 書いているうちにいやになって、途中でやめてしまったことも何度もあります。
 なんでわたしにはこんなつまらないものしか書けないんだろう。
 上手な作者さんに感想を送りながら、心のどこかで嫉妬してるわたしがいる。
 本当はもっと素直な心で読みたいのに。
 ああ、なんでこんなに屈折しちゃったんだろう。

 ねえ、みすゞさん。
 わたしはずっと目をそらしてきたのかもしれません。
 そんな何もできない自分から。
 ずっとあなたのことを嫌いだと思っていました。
 でも本当のところは、あなたの言葉に「何もできないわたし」の姿を見せつけられるように感じていたから。自分がひとりぼっちだということを、突きつけられる気がしていたから。
 わたしは自分の本当の姿を見つめるのがこわいから、ずっとあなたに八つ当たりしていただけなのかもしれません。
 最初の手紙で「わたしは逃げません」なんてカッコいいこと書いたけど、本当は逃げてばかり。
 目の前の課題に対して、わたしはいつもおろおろして、どぎまぎして、おっかなびっくりで。

 籠の小鳥と、錆びた鈴。
 わたしには、あなたのように光の籠から飛び立つ羽はありません。うたえる唄もありません。
 みすゞさん、わたしはどうしたらいいんだろう?

 そんなことをずっと考えていたら、いつの間にか日付が変わっていました。
 本当は今日やろうと思っていた英作文の問題が手つかずのまま。ただの現実逃避ですね。
 今のわたしにとって、現実の課題は、もうすぐそこに迫った前期日程の入試です。
 もし前期日程で合格できなかったら、後期日程でもう一度試験を受けなければいけません。後期の入試は三月に入ってからなので、もし合格できても入学までぎりぎりの日程だし、募集定員も少ないから、合格できるかどうかもわかりません。
 もしも合格できなかったらすべり止めで受けた私立に行くことになるけど、そうなると学費がはねあがるので、両親にさらに負担を掛けてしまいます。そもそも、私立の合格発表はまだだから、合格できているかどうかもわかりません。合格できていたとしても、入学手続きだけはしておかないといけないし。
 もしも全部落ちてしまったら、四月から浪人生。そうなると、予備校に一年通うのかな。でもこの町には、塾はあっても予備校なんてないし。
 ああ、考えはじめたら、どんどん後ろ向きになってしまう。
 福田さんみたいに、いつも前向きに考えられる人がうらやましい。どうやったら、あんな風に素直に自分を信じることができるんだろう? わたしにはとても難しいことに思えるのに。

 なんだかグチばかり書いてしまってごめんなさい。
 来月のお手紙では、もう少し明るいことを書けるようがんばります。
 それではまた。
                            かしこ
弘中みすず 拝

     (長門碧洋高校文芸部誌『波濤』二〇一七年三月号掲載)

〈三月〉

拝啓 金子みすゞ様

 少しずつ寒さが緩んできました。だんだんと近づいてくる春の足音を、間近に感じます。
 みすゞさん、あなたにお手紙を書くのは、これが最後になります。

 三月一一日の午後、わたしは王子山公園にいました。
 六年前に「東日本大震災」が起きた日。たくさんの人たちが、なすすべもなく津波に呑み込まれていった日です。前日の一〇日は、八十七年前にあなたが自ら命を絶った日ですね。
 とてもいいお天気で、波も風も、穏やかでした。
 観光で来たらしいお年寄りのご夫婦が、わたしより先に頂上に着いていて、町を眺めながら何かお話をされていました。わたしがあいさつすると、お二人ともにっこりと笑顔であいさつを返してくれました。
 海は陽の光を受けてきらきらと輝き、遠くの山並みはぼんやりと霞んでいます。家々の瓦が鏡のように反射してまぶしいくらい。
()()に光る銀の海、/わたしの町はそのなかに、/龍宮(りゅうぐう)みたいに/(うか)んでる」とあなたがうたったとおりの風景。
 地震が起きた午後二時四六分、港のサイレンが鳴って、わたしは黙祷(もくとう)しました。一緒にいたご夫婦も、じっと手を合わせています。
 サイレンが鳴り終わって、目を開けると、変わらず穏やかな表情のわたしの町。
 きっと東北の海辺にもこんな穏やかな町がいくつもあって、なのにすべて津波に呑み込まれていったんだ。そう思うと、なんだか信じられない気持ちでした。
 あの日テレビで見た東北の海岸には、雪が舞っていました。
 公園から町を眺めながら、わたしはあのときにわたしが感じていたことを、一生懸命思い出そうとしていました。
 あの日、わたしは小学校で卒業式の練習をしていたのです。帰る前になって、先生から東北で大きな地震があったらしいということを聞きました。でもそれがあんなに大変なことになるなんて思いもしませんでした。
 家に帰ると、祖父と祖母が険しい顔でテレビの画面を見つめていて、どうしたのだろうとわたしも画面を見ると、もうそれから目を離すことができなくなりました。
 画面のなかでは、ごうごうというものすごい音を立てて、すべてが真っ黒な水に呑み込まれていました。車も、家も、田んぼも、人々の生活も、何もかも。
 誰かの悲鳴ともすすり泣きともつかない声が、ずっと聞こえていました。
 夜、空からの映像に映っていたのは、闇の中に上がるたくさんの火柱。津波になぎ倒された建物が燃えていたのです。まるで戦争みたいで、今まさに同じ国で起きていることだなんて、どうしても信じられませんでした。
 はるか遠くに、寒さの中で震えている人たちが大勢いる。親しい人の安否もわからず、不安に押しつぶされそうな人たちがいる。なのに、わたしはいつもと何も変わらない生活をしていて、父も母も祖父も祖母もいて、あたたかい部屋でテレビの映像を見続けている。
 なんだかうしろめたい気持ちがしたのを、今でもよく覚えています。
 津波の犠牲になった人たちのなかには、そのころのわたしと同じ、小学生もたくさんいました。全校児童の大半が亡くなってしまった小学校もあったそうです。
 津波で亡くなったこどもたちはそのときから時間が止まってしまい、わたしは今、何事もなかったこの町から、去っていこうとしています。
 わたしは、夢のように霞んでいるわたしの町を、しばらくの間じっと見つめていました。

 一日に高校の卒業式があり、六日が合格発表でした。
 いろいろ心配したけど、無事合格することができました。今は、入学の手続きをしたり、新しい街で住む場所を決めたり、一人暮らしのための買い物をしたり。毎日あれこれ忙しくしています。
 両親も祖父母も大喜びで、合格がわかった日の夜はまるで誕生日のときのようなお祝いをしてくれました。わたしがみすゞさんの全集をねだると、二つ返事で買ってくれたぐらい。
 学校へ報告に行ったら、担任の先生も文芸部の顧問の先生も、まるで自分のことのように喜んでくれました。

 わたし自身よりも、ずっと。

 わたし自身は今でもまったく実感がわかなくて、正直戸惑っています。
 あれだけ必死でがんばってきたんだから、もっと喜べばいいのに。
 自分でもそう思うけど、全然喜びがわいてきません。なんだか全部ひとごとみたい。

 みすゞさん、あなたが『巻末手記』を書いたときも、こんな気持ちだったのでしょうか。
 はじめて読んだときには特に何も思わなかったのに、今になってこの『巻末手記』の言葉がわたしに強く響いてきます。
 たったひとつだけ、あなたが自分の気持ちを正直に書いた草稿。
 あなたが丹精込めて書き上げた詩集の、あとがきになるはずだった手記。
 わたしはその詩集の運命も知っています。清書を終えた数ヶ月後にあなたが自ら死を選んでから五十年以上の長い間、その草稿はたんすのひきだしのなかでひっそりと眠っていたのです。
 もしかしてみすゞさんは、自分の詩がそのまま消えるかもしれないことを、そっと覚悟していたのではないですか?

『巻末手記』は、詩集のあとがきとしてはすこし異様だと思います。
「──できました、/できました、/かわいい詩集ができました」
 軽やかな書き出し。
 なのに、次の連では調子が一変します。
「我とわが身に(おし)うれど、/心おどらず/さみしさよ」
 せっかくがんばって書き上げたのに、ちっとも喜びがわかない。
 まるで、今のわたしみたい。
 あとがきなのに、「さみしさよ」と三度も繰り返し、「ただにむなしき心地(ここち)する」と、読んでいるわたしまで気持ちが沈むような言葉が並んでいます。達成感とか、満足感とか、幸福感とか、そういうものからはかけ離れた、暗い言葉の列。
 でもわたしは、その言葉たちにすっと吸い寄せられました。
 ひとりでそっと声に出して読んでみました。

「明日よりは、/何を書こうぞ/さみしさよ」
『巻末手記』の最後の連。
 これからどうしたらいいんだろう、と途方に暮れているあなたの姿が浮かびます。
 もう書くものなど何もない、わたしは抜け殻なんだ。
 そうつぶやくようなあなたの言葉は、わたしの心に深く刺さりました。
 ああ、あなたはいつも泣きたいほどさみしくて、でもきっと周りの人たちにはそんな様子なんか全然見せなかったんだ。自分の大切な人たちに、心配をかけたくなかったから。
 でも、誰といてもさみしい。そのさみしさをわかってくれる人は誰ひとりいないから。
 今なら、わたしにもわかるような気がします。

 ねえ、みすゞさん。
 あなたは、本当はひとりぼっちなんかじゃなかったのかもしれませんよ?

 わたしが今、あなたの作品を読むことができるのは、まずあなたが精一杯がんばって、自分の言葉を「誰か」に届けようとしたから。小さな勇気を振りしぼって、思い切って作品を投稿してみたから。それが西條八十先生の目にとまって雑誌に掲載され、さらに時を超えてひとりの青年を突き動かし、多くの人たちの協力を得て、長いあいだ眠っていたあなたの遺稿を世に送り出したのです。

 あなたの作品は、もうあなたひとりのものではないのだと、わたしは思います。
 あなたの(うた)には、人の心を動かす力があります。決して大きな力ではないかもしれませんが、人の心にじんわりと届く、静かな力。
 たくさんの人たちが、今でもあなたの作品を大切に思っています。
 それは、あなたと同じようなさみしさを、今もたくさんの人が感じているから。みんなのなかでひとりぼっちだったり、心が深く傷ついていたり。
 あなたの言葉は、そんな人たちの傍らに、今でもそっと寄り添っています。
 気がついたら、わたしのそばにも。
 多くの人たちの手を経て、あなたの言葉は確かにわたしにも届いたのです。

 そうだったんだ。
 わたしだってきっと、ひとりじゃなかったんだ。わたしがそれを感じ取ることができていなかっただけ。

 籠の小鳥と、錆びた鈴。
 わたしはいつもひとりきり、そう決めつけていたのはわたし。狭い鳥籠に自分で閉じこもって、外の世界を恐る恐る眺めていただけ。
 錆びてしまったと思い込んでいたのもわたし。ただ何もしないで、うたえる唄など何もないと、自分で勝手に決めつけていただけ。
 鳥籠の扉は、はじめから開いていたのです。

 わたしは一歩踏み出せばいいんだ。みすゞさんが小さな勇気を出して、雑誌に投稿してみたように。
 この先、大学に進学してからどうなるかなんて、まったくわかりません。わたしはどんな人と出会うのか、どんなことが起こるのか。何をどうしたらいいかも全然わかりません。
 でも、わからないからドキドキするんだ。わからないから面白いんだ。
 自分から声を出してみよう、『こだまでしょうか』のこどもみたいに。そうすれば、きっと声が返ってくる。
 傷ついたとしても、迷ったとしても、わたしにはいつもあなたがいてくれる。

 みすゞさん、わたしはもうすぐこの小さな町からはばたきます。
 その前にあなたと出会えて、よかった。
 あなたの名前をもらえたことを、今は誇りに思っています。
 つらいことや悲しいことがあったら、そっとあなたを思います。
 わたしは、これからもあなたと一緒に生きていきます。あなたが叶えられなかったことを、わたしと一緒に見て、一緒に聞き、一緒に感じてください。
 だから、そちらからずっと見守っていてくれますか?
 これからも、どうかよろしくお願いします。
                            かしこ
弘中みすず 拝


追伸
 泣き言ばかりなのにじっと聞いてくれてありがとう。感謝しています。


※『波濤』編集部より
 弘中みすずさんは三月にご卒業されましたが、顧問の福江先生を通じて寄せられた原稿を、今号に掲載しました。

     (長門碧洋高校文芸部誌『波濤』二〇一七年四月号掲載)



                              了

脚注

◆金子みすゞ略歴

 本名・金子テル、一九〇三(明治三六)年四月十一日山口県大津郡仙崎村(現長門市仙崎)生まれ、郡立大津女学校(現山口県立大津緑洋高校)卒。
 幼少期に父が中国で客死し、弟・正祐(まさすけ)(のちの上山雅輔(かみやまがすけ))は仙崎の金子家から下関の上山家に養子に出された。二十歳ころ、兄の結婚を機に仙崎から下関の上山文英堂に移り、この頃から「金子みすゞ」の筆名で自作の童謡を『童話』『婦人俱楽部』『金の星』などの雑誌に投稿を始めた。殊に、雑誌『童話』の選者・西條八十からは「若き童謡詩人の中の巨星」と大きく評価された。筆名は、信濃国の枕詞「みすずかる」の語感を気に入って自ら付けたと言われる。
 一九二六(大正十五)年二月、上山文英堂に勤めていた宮本氏と結婚。しかし結婚当初より実家と夫の折り合いが悪く、四月に転居。同年一一月、長女・ふさえ誕生。一九二八(昭和三)年ごろ、夫より創作と詩友との手紙のやり取りを禁じられる。二九(昭和四)年、病臥。夏から秋にかけて遺稿集の清書を終える。十月下旬から娘・ふさえの言葉を『南京玉』と題して手帳に書き取る。翌三〇(昭和五)年二月に正式に離婚。同年三月一〇日、上山文英堂二階にて睡眠薬であるカルモチンを用いて自殺。満二六歳。
 一九八二(昭和五七)年、矢崎節夫氏がみすゞの実弟・上山雅輔氏から手帳三冊にわたる遺稿集を託され、八四(昭和五九)年にJULA出版局より『金子みすゞ全集』(全三巻)として刊行された。

◆作中で言及した金子みすゞの作品
『こだまでせうか』(全集Ⅲ『さみしい王女』所収「波の子守歌」より)
『王子山』(全集Ⅲ『さみしい王女』所収「仙崎八景」より)
『帆』(全集Ⅲ『さみしい王女』所収「世界中の王様」より)
『私と小鳥と鈴と』(全集Ⅲ『さみしい王女』所収「空いろの帆」より)
『光の籠』(全集Ⅱ『空のかあさま』所収「いろはかるた」より)
『巻末手記』(全集Ⅲ『さみしい王女』所収)
(言及順)

 本作の執筆にあたり、金子みすゞの詩は『新装版・金子みすゞ全集』(JULA出版局,1984)より引用したが、表記は現代仮名遣いに改めた。
 なお、金子みすゞの作品については作者の死後五十年を経過しているが、再発見されるまで広く一般の目に触れることがなかったことから、その作品の保護のため「金子みすゞ著作保存会」が著作権を管理している。そのため、本作では全文の引用は用いず、末尾に言及した作品を一覧とした。
 作中〈十二月〉に「本当は、みすゞさんもこの小さな町を出たかったんじゃないかな?」とあるのは略歴に明らかなように、事実誤認による記述であるが、本作の性質に鑑みて訂正は行わなかった。
 願わくは本作が、読者諸氏を金子みすゞの世界へいざなう入口となれば幸いである。

籠の小鳥と錆びた鈴

籠の小鳥と錆びた鈴

二〇一六年秋、戦前の童謡詩人・金子みすゞのふるさと、山口県長門市仙崎。大学受験を目前に控えた高校三年の女子生徒・弘中みすずが、自分の名前の由来となった金子みすゞに宛てて書いた、六通の手紙。受験を目前に揺れる心、離郷を前に立ちすくむ自意識、そしてみすゞに対するみすずの複雑な思い。稚気に満ちた反発は次第に共感に変わり、やがて重なり合う二人の「みすず」── 八十七年の時を隔てた二人の「みすず」が織りなす、小さな物語。 これから新生活を迎える方に読んでいただきたい短編小説です。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 青春
  • 時代・歴史
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-03-10

Derivative work
二次創作物であり、原作に関わる一切の権利は原作権利者が所有します。

Derivative work
  1. 〈十月〉
  2. 〈十一月〉
  3. 〈十二月〉
  4. 〈一月〉
  5. 〈二月〉
  6. 〈三月〉
  7. 脚注