practice(168)
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朝のテーブルに並べられた食器の間,すっと伸ばされた脚で踏む,彼女の歩く道は特にスープ用のお皿の縁に導かれて,くねくねと曲がる道より,思う通りに行けずに難儀しそうだ。途中に簡単な花瓶もある。葉が二枚だけ残った,造花みたいな花も『込み』である。水はこの際オマケでいい。じっと見る目がこちらからは,何より綺麗だ。
匂いを嗅ぎ,ここで行き止まりだとふてくされ,日向ぼっこでもするのが適当なのだろう。それが似合う彼女でもある。都合よく陽も入り,欠伸もとんと浮く。寝ぼけ眼のふわふわとした,しかしそんな私の想像を,いとも容易く裏切る彼女は鼻歌混じりで途中途中の出会った食べ物への隠そうとしない興味と,匂いを嗅ぎとって,思い深げの,鼻を鳴らしながら進んでくる。拾ってきた時から変わらない染みから向こうのヒゲと,こちらから見えるヒゲとの長さが違うのは間違いがない。彼女はそれを気にしていない。後天的な理由には不幸であった出来事と,三日三晩の看病があった。愛着を抱くには十分な時間であった。幼い娘と,見上げられる私。手を拭う妻は既に決めていた答えを持って,困った添い方をした。発疹の気があったのだ。大丈夫だと思うと言った言葉どおりに,大丈夫であったから,ほっとした。癒えてからも娘とともに飛び回り,私や妻についてくる。私が手入れをしたり,寝床を共にしたり。私も妻も,間近で知る彼女の顔から,短いその長さに気付いていたし,幼かった娘も同じであった。もっと近づき,ちょっと離れ。彼女の癖のような仕草によって,世界はそんなに変わることなく,平らな上部に乗せた数少ない写真立てを揺らしながら,手製の棚から楽々と窓枠を乗り越えて裏庭に出て行く。倒れたりしたら,こちらを見ている『私たち』を直し,不在の後ろ姿をぴょんぴょんと探し回る娘の後を追う。ドアの隙間から出て行くのが裸足なら,履かれた靴は洗濯物と一緒に戻ってくる。彼女は器用に身体を洗う。風と緑を小さく背負って,引き締めた口で,しなやかな伸びをする。影が昼寝の準備をする。花瓶の水を入れ替えた私が,それを慎重に妻に渡す。彼女の歩く姿に足音は聞こえない。寝息は段々と傾き始める。影が入れ違いに,ひっきりなしだ。毛並みも黒く光り輝く。長い方のヒゲが生えた横顔から目が合って,関係なさそうに立ち止まる。妻が娘を抱き上げて,私がブランケットを被せた。
そんな時もあった。
木板のドアの隙間から,外の匂いを持ち込んで来るお手伝いの娘のはしゃいだ声と,カゴに収まったベリーが早速届けられて,テーブルはますます賑やかになった。半分ほど残った砂糖に,堅いパンは細かい屑を落としながら厚く分けられ,瓶に詰められた分は蓋を閉じている。娘を含め,子供たちは待ち遠しいとばかりにスプーン類を手に取り,叩き,男たちは苦味のある飲み物を(温かい方を),好んでいるように口にする。注意の言葉が時々,それ以外の,交わされるお喋りは尽きない。街に出ていた者のうち,一人,二人は思うところあって帰って来たようだ。踊りが達者なあの子は来週舞台に立つらしい。組合長は町長に直談判に赴こうと鼻息荒くしていたそうだが,それも行われずに終わった。ゲン担ぎに壁に掛けていた剥製のイノシシの鼻が折れただとか,奥さんがオメデタになったためだとか,それどころじゃないと怖気付くような理由が散々挙げられていたけれど,腰を屈め,裏庭に生える草木の手入れを終えた後で,私は温厚な組合長から,子供が産まれたことを聞いていた。ブチ模様の七匹が目も開けずに仲良く並んでいる,最初の仕事を乗り越えて眠っている,それを伝える身振り手振りが,丸みを帯びているように感じる。
ーよかったですね。
そう返す私の前で,そうなんだよ,と応じる組合長が頷く。
ーそうなんだよ,そう。
直談判に赴かなかった理由として,私は勿論,このことを告げた。しかし日頃,仕事に厳しい組合長のことだとして,勿論受け入れられる事はなかった。想像できる面白話として以外,私の話は意味を持たなかった。苦味のある飲み物を口に付ける,私の正面を彼女が通りかかり,顔を近づける素振りで(実際にそうすれば),二言三言の分,私の耳に触った。ちくちくとした。近すぎて,どちらか分からない程に。
「なんて言ってたの?」
と,だから娘にあとから聞かれた。けれど勿論,私は上手く答えられなかった。賑やかだね,だとか,騒がしいね,だとか色々言い回しはあったように思えたが,足りない気がした。珍しいことだった。朝食時の軽口に,抵抗なんて合わないのに。
「足りないね。」
と正直に口にすれば,気を利かせた妻が近くの容れ物を手にする。眉と,目を大きく開けた合図を伴う。カップは持ったまま,私は手を上げて,それを遠慮した。
ー 珍しい。
なんて,妻は漏らさなかった。
私から離れて,彼女はテーブル上の隙間に脚を下ろしている最中だった。端まで行き着けば,彼女はしなやかに着地するだろう。
お皿など,大方のものが片付けられ,子供たちも椅子によじ登ったり,椅子の周りで追いかけっこを始めたりする一方で,ケーキを取り分ける妻たちは切り分けるべき数を知るために,部屋に居る者たちへと向けて,大声で声をかけた。
ー食べたい人!
遊びをやめた子供たちは,いっせいに手をあげるだけに留まらず,妻たちの周りに群がっていき,男たちの間でも,小腹に甘い物を所望してもいいと思える雰囲気があった。和らいでいた。私も手をあげた。
朝の喧騒も過ぎた。入り込んだ寝室に娘と寝転び,そのまま,午睡に向かう最中,妻は出掛ける準備を終えて,
ー行くわね。
と言った。私はろくに返事もせず,また,妻もそれを待たなかった。眠っているという判断を示すドアの閉まる音のとおりに,私たちは従おうとしていた。
四つ脚で着地をし,布地を引っ張るようにして,彼女は歩く。寝返りを打ったと分かる娘の背中を通って,彼女は顔を向ける。大きい目。立ち止まり,その重みを表した。鳴き声らしいものがあった。生まれて初めてかもしれなかった。
加減のせいだろうと思ったのは,同じ長さに見えたヒゲだった。灯りは昼には消すものだから,雲の動きと,光の角度だ。私は目を擦った。片目ずつになったために,手間はかかった。私は手を伸ばす。彼女はそこを跨いで,枕元に座った。
いつも,丸々ように眠るのだ。私はそれを待てなかった。
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