祖母、私、枯れた向日葵。
ずっと私は、私が小さいとき、おばあちゃんの家に行ったときのことを考えていた。
おばあちゃんの家は、そのとき私が住んでいた家の近くにあって、私はよくお母さんに言いつけられてそこに行った。私は戦争の映画に出てくるようなおばあちゃんの家が、古くて、変なにおいがして、少し汚いと思っていたから全然好きじゃなかった。
私がおばあちゃんの家に行ったその日は、夏も半分を過ぎたときだった。
おばあちゃんの家の玄関の前には、ありがちにひまわりと朝顔の鉢植えが置かれていた。土が乾いていて、朝顔の緑のプラスチックのツル巻きにもそれがついていた。朝顔は萎れていて、ひまわりの花びらの先は残らず茶色く死にかけていた。日差しが強く、私の陰を濃く照らして、私は強く、帰りたい、と思った。
だからそれは、昼下がりのことだった。
私は玄関からおばあちゃんを呼んだ。
おばあちゃんの家はいつも鍵が開いていたけど、私はいつもそうしていた。
おばあちゃんは、なかなか出てこなかった。
そのとき、縁側から扇風機の音が聞こえていた。テレビの音は聞こえなかったから、きっとおばあちゃんは寝ているに違いない、と私は思った。
おばあちゃんはいつもテレビを見ていた。
私は、おばあちゃんの縁側へ近づいた。
本当は帰りたいと思っていたけど、おばあちゃんの家まで歩いてきて、私はずいぶん疲れていた。扇風機で涼んでおばあちゃんを起こさずに帰ろう、私はそう考えていた。
私は、そっとおばあちゃんが扇風機に顔を向けて横たわっているのを確認して、縁側に座った。縁側の木が古くなっていて、おばあちゃんと一緒に座るときはすぐに音立てていたから、私はそっとそこに座ったのに、私一人ではそんな音なんて立たないことが、そのときわかった。
縁側からは、何も入っていない乾いた鉢植えと、隣の家との垣根と、その間に揺れる洗濯物と、空が見えた。
屋根は私の膝の上に、半分だけ陰を作っていた。
私は水色のビニールひもの揺れる扇風機が首を振るのに合わせて、少しだけ背中を揺らしながら、風にぼおっとしてそれを見ていた。
さらしのコンクリートの上のピンクの花柄のサンダルを履いた足が、少しだけ日焼けしているのに気づいたときだった。
おばあちゃんの体が、畳を擦って起き上がった。
私はああ、もう起きちゃったのか、と思ったけどいつものように、来たよ、と言った。
おばあちゃんはしばらく黙っていた。
目を擦って、周りを見渡している気配が背中越しに伝わった。
「君子」
おばあちゃんは、私が知らない人の名前を呼んだ。
私は振り返った。
おばあちゃんは、ごく普通に私を見ていた。
「違うよ」
私は言った。
「奈々だよ」
「君子でしょ」
おばあちゃんはそれを無視して、もう一度言った。
私は急に恐ろしくなった。おばあちゃんは私を見ているのに、私が私とわからなくなっている。背筋が冷たくなり、汗が引いた。
「久しぶりね」
私はもう何も言えなかった。
おばあちゃんは私の頬に触れた。
「君子、お化粧しましょう」
そしておばあちゃんは急に立ち上がって私の手を引き、今まで見たこともないほど楽しそうに階段を上って、二階の化粧台の前に私を座らせた。
そこは縁側にも少し漂っていた白粉のにおいがした。
ちりめんの枠に覆われた鏡は古く、私と、私の後ろの煤けた箪笥を映していた。
おばあちゃんは私の左手の小箱を開いて、丸い黒い蓋のついたお粉を出して、白いパフで私の頬にはたいた。
私は粉が口に入らないようにじっと口を閉じていた。
汗ばんだ肌に粉は不思議となじんで、私の顔は少し色白になったようだった。
次におばあちゃんが取り出したのは、口紅だった。おばあちゃんがいつも使っている、濃い色が私は大嫌いだった。それはおばあちゃんに全然似合っていなかったし、若々しいというより、むしろけばけばしい印象だった。それでも私はそれを唇に塗られることを拒まなかった。
とりつかれたように化粧を続けるおばあちゃんが怖かっただけではなく、私はそれを望んでいた。
私は引き締めていた唇を少しだけ弛めた。
幼い唇に濃い赤が不自然に浮いていたが、私は口紅によって強調された自分の唇を見つめた。
そのあとおばあちゃんは私の肩まで伸びた髪を茶色くなった椿の髪留めでまとめた。
私の姿は鏡の中で気味悪いほど鮮やかに浮き上がっていた。
「べっぴんさんよ」
おばあちゃんは、私の後ろに立って、鏡越しに私を眺めた。
私は、鏡の中の化粧を施された私が少しだけ笑ったから、なんだか私ではないように思えた。
「ありがと」
私は鏡の中のその子が言うであろう口調に似せて言った。
おばあちゃんは
「いいのよ」
と笑顔になった。
それから私はこっそり縁側に椿の髪留めをおいてからおばあちゃんの家を出て、公園の水道まで走っていって、残らず化粧を落とした。
何時間も経っているような気がしたけれど、おばあちゃんの玄関の風景は、来たときと全く変わっていなかった。蛇口の下の下水の中に化粧がすべて流れ出たあと、走っている間も、化粧を落としている間も、誰にも会わなかったことに、私は少しほっとした。
水に溶けたどろどろのお粉とべとべとした油くさい口紅の感触がしばらく手に残っていた。
祖母、私、枯れた向日葵。