practice(123)


百二十三





 指に巻いた布の汚れていない部分で靴磨きの少年が最後の仕上げに取り掛かり始めた頃から,間も無く迎える誕生日に貰いたいものを考えていた彼の三つ下の弟と,ふてくされた壁にもたれて,靴を磨いてもらっている男が読んでいる広げた新聞紙の一面の見出しを読んでは建物の間で干される洗濯物を眺める女の子が,さっきまで並んでいて,いまは空いていた年配の靴磨きに靴を磨いてもらっているその男を見つめていたという。台の上に座って,ワックスとクロスを動かす靴磨きの少年はそれに気付かない。それに気付いたのは新聞紙を読み終わろうとしていた男,靴磨きの少年が靴を磨いているその場所の真向かいに建つ五階立ての四階に住む女,煙草を吸うために窓を開けたところであったその女に,加えて靴磨きの少年のところに向かうかたちで通りを歩いていた別の少年ふたりであった。その男の後ろをとおり,それぞれに女の子と,手をつなぐ小さい男の子を見つめ,またそれぞれの顔を向き合わせてこちらに背中を向けている新聞紙と男,その足の間から靴磨きの少年が見えた。ふたりのうち,ひとりは母親の言いつけで父親の靴を磨いたことがあるために,少年の靴磨きが終わりを迎えていることを近付く度に確信したが,もうひとりは何も分からず,少年から小さい男の子,そして手をつないでいる女の子と順々に日差しに隠れる興味と関心を移していった。新聞紙を捲って男がそれに気付く。けれどすぐにそれを失くして,建物上階の女と,煙草を吸って煙を吐く,(おそらく)灰皿を眩しく輝かせるその女と目があう。靴磨きのこの少年を見ていたからか,あるいは傍のこの小さな男の子,弟かもしれないこの子と手をつなぐ,姉かもしれない女の子ごと通りを見下ろしていたからか,と男は新聞紙の記事から目を逸らして,その女が顔を出す窓の下の鉄柵から建物の壁の色,階下,それから頭上の青い通りへと目線で駆け下りたり,駆け上がったりしてみた。女が吐いた煙が吸っている煙草から途切れて漂う。より低い。女が灰皿をあげて,合図した。男は新聞紙を畳み,会釈する。非礼を詫びる意味も男は込めたが,女はそれをただの挨拶だと思って軽く受け取った。煙草を咥えて息を吸う。その息とともに吐き出しながら,女は女の子,そして小さな男の子を眺める。その視線の先にいる男の姿は,女の居るそこからでは片足をあげている様子程度でしか認められない。何かあるのか,は考えなくても付いて回るが,女はそれ以上の関心は持たないことを決めていた。灰皿に煙草を軽く叩いて,だからもう一度吸う。小さな男の子と,手をつなぐ女の子。靴を磨く少年。新聞紙に戻っているさっきの男の人。その仕事終わりを待っているんだろうな,と女は思って向かいの建物ごと空を見た。青かった。煙が漂った。
 綺麗になった靴だった。
 少年は客である男に仕上がり具合の不備を確認した。新聞紙から顔を上げ,少年を見た男が不備はないこと,満足していることを言い,畳んだ新聞紙を小脇に抱えてから料金として硬貨を渡した。チップ多めのものだった。幸運にも喜んだ少年は客であった男を見上げて,けれど,男は半身になって後方を眺めていた。そこは歳近い,同業者が陣取っているところで,帽子のつばを軽く上げ,お礼と別れを告げている。そのお客は通りの向こうへと去っていって,早めに出来るかい?と聞きながら,片足を台に乗せている別のお客がそこにつく。それに応じるブラシ。少年は一度切り上げるつもりだった。三つ下の弟はすでに傍に来ているし,女の子も送らなけれないけない。再度の場所取りには時間をかけるつもりであった。だから道具を手に取り,片付け始めて,目の前の,半身のまま向かいの建物を見上げていた男に,新聞紙を小脇に抱えて,立ち去らないその男に,何か御用が?と尋ねた。見上げたまま男は,
「いや,」
と言い,それから
「雲が見えるな,と思ってね。」
 と言ってお礼とともに去っていった。少年は空を見上げた。通りの高さの青が広がり,そうしてすぐに地上に戻って来て,片付けに取り掛かった。

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  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-07-08

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