practice(93)


九十三





 電話までかけよると間に合わないから明後日の方向に返事をした。ここまで上がってくるのに小さくなったベルを覆い隠すには十分な大きさが僕がいた屋根裏部屋には響いたけれど,それも周囲の三角形にぶつかっては一回こっきりで終わってしまう。だからベルは小刻みに『リーンリン』というお知らせを早めて,人という人を探し回っているけれど,簡素なリビングにも静かな二階にも見つけられないであろうし,間を挟んで続く階段にも飾ってある写真以外にそれらしきものは見当たらないであろうと思う。玄関先にある大きい革鞄は元の持ち主であった祖父のように必要なこと以外は語らないし,フリル付きのカーテンは気難しいお姉ちゃんのようにそっぽを向いて帰って来ない。ハットが隠れてコーディネートを待っているクローゼットはここから開けられないし,広げると花が端っこに咲くハンカチは日向ぼっこの最中にひとまわり小さく畳まれて,庭の先から出掛けて行った。門扉はきちんと閉められないで,知らない犬は大きな顔をしてすやすやと眠る。花粉を点検に訪れたチョウチョは窓から影を取り入れて,洗われた牛乳瓶は数本があったかもしれない。かちゃん,となるのはずっと使っていた食器棚の鍵と同じだった。古い抽斗にしっかりとかかってる。
 何年も置かれたままの古い雑誌を順々に積み上げて,厚みをつけて階段状にしては取り付けられた唯一の裸電球を新しいものに交換しようと,天井というか床というか,とにかく「その足場」より高くした。しっかりと作り上げて,一度一段ずつ上っては点くかどうかの確認と,点くけれどそれが三角の屋根裏の暗がりの中で,ほんの少し手が形どおりに浮かぶぐらいであると分かった。根元のスイッチを元に戻して消す。埃は指先にくっ付いた。息を吹きかけても全部は飛ばないと知っている。他の指とこすり合わせて落とした。くるっと回して,それを繰り返して裸電球を取り外す。階段としている雑誌の横幅はそれほどのものじゃないから,僕は前向きのままに後ろに一段,一段とゆっくり降りてはしっかりと屋根裏部屋に足をつけて裸電球を離れたところに置く。買って来てからそのままに,商品として家のところに馴染んでいない同じ形の,同じものが並んでいる。後ろの紙のところから一回,二回と続けて破いて,真新しくて冷たいものを手にして上る。すたすた,というわけには行けない足場からそこまでの身長差は,今はしょうがない。転けて上手に着地出来ても,手にしている裸電球も無事に済むかどうか。ゆっくりにゆっくりを掛けて,無事に着いた先で手を伸ばしてくるっと回し始めたところで,また鳴るのがベルだった。ただし今度は短くて,すぐに切れたらもう一度鳴って,今度は『リーンリーン』を長く伸ばす。別の電話かと思えるけれど,二台も電話が必要かとも思うと,そうでないとも思える。そういう事情がない限り,そしてそういう事情がないのだから。屋根裏部屋の窓枠の隙間をちらちらと翔びまわっていると気付けたチョウチョは,庭からこんなに高いところにも来るのだと上のソケットと学んだ。キュッとなるまで回し終えた。根元のスイッチを入れて,しばらくしてスイッチを切った。数字は三まで数えて,ベルは『リーンリーン』を階段の下まで続けた。僕は「足場」に着いて,そこで初めて足の裏を眺めた。大きな埃が外側にあって,摘まんで離したら分からなくなった。そのまま屋根裏部屋を歩いて,窓枠を押すようにして取り入れたのはチョウチョがいなくなったあとの四角と,似ているもののない雲の通りすがりだった。
 リーンリーンと電話は遠くて。リーンリンと,近付くのにも遠い。
 配達が遅れている牛乳瓶はきっとまばらに入っている。隙間を木箱に忍ばせて,砂利道に日だまりの中を跳ねて戻ったりしている。上り坂は遠い。ゆるやかカーブに続いて,洗濯物がはためいて,白い動きは風に見えた。屋根を伝い伝いして,通りも見えなくなって,向こうの丘に届いたりする前に寄り道があるとしたら,その先の使われなくなった橋を通って,その先にある空き地の壁をとんっとよじ登って,それより少し低い壁に足が届くまでバランスを取りながら,一直線の天辺を進む。家々の間でもあるからどこかで鳴った,お皿を重ねる音とか怒鳴り合う声とか,色々なものが付いてくるみたいに聞こえてくる。そして鐘の音。ゆったりとした高さが離れていく前に着いてしまえば,ゆっくりと足を伸ばし,そこにたどり着いて立てる。あとは風の向くまま,吹き抜けるまま。ナップザックとかけよって,裏庭を知っている。魔法瓶は要らない。
 もう一度見たかったから,登るのに使った梯子はきしまない。降りるのを待つのもお手の物とばかりに仕舞われた場所に残っていたから。胸のあたりに仕舞っていた鍵を紐と取り出して,開けた物置に一緒にあった。レジャー向けのビニールシートと,何かに使えそうな棒。それから使われていない番号と受話器。繋がっていない長い線が途中で丸まって,先っぽとこっちを向いていた。
リーンリンはそう。そんなところから始まったんだった。



 

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  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-05-09

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