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八十四




 


 坂道を下りたところから勢いそのまま,アーケード街に入り,その本通りをしばらく広々と歩いて行けばそのうちにT字路めいたところに突き当たる。目の前には細長い建物,一階に置かれたローラー付きの看板の太い電源ケーブルを気持ち大股で避けてから,二階に上がったところで濃厚なスパゲッティが美味しいイタリア料理店があり,サンプルからして派手で見事なメロンソーダを私はここでしか飲まないのだけれど,それはまた別の話,よく踏まれた地べたのカーペットの上を通って,自転車数台の駐輪と青果店をともに見やりながら,その岐路に戻ろうとする。すると,路地にはそこで気付ける。本通りをきちんと歩いていると最初に気付けない理由は,T字路に近付くにつれて本通りの本気度合いが高まって,曲がれば本格的に『本通り』し始めるために注意がそっちに向いてしまうため,と考えはしたけれど,先の料理店側から振り返った方が気付きやすいから,別の理由はあるのかもしれない。そしてきっとそれは,料理店に関係ないとも思う。
 路地は本当に狭い。荷物とカートを押して駆け抜ける配達員の人たちがやけによく通るのもここなのだった。一度同じ方向に進んでみたら,本通りを覆う屋根がぱたっと切れて,その顔を屋根の内側に向ける各店舗の裏口に通じたり,あるいはそのまま一直線でアーケード街を抜けたことになって,表通りの歩道から,そのときも渋滞中であった道路に出くわすことになった。先行する配達員の人はそのまま走り続け,右に左にと曲がって消えた。ショートカットをして,予定通りなのだろう。そのときには私もアイスクリームを買って,アーケード街に戻らなかった。
 チョコレート専門店,だというのに陳列されている種類が少なくて残念がった日は雨が降っていて,アーケード街を覆う屋根にぱたぱたとしていた。
 路地には,路地から入れるお店というものもあって,それらは総じて生活に関するものが多かった。丸めた茣蓙を立て掛けて,敷いた畳も取り扱うところ,布団を山程に積んで眠れそうにないところ,奥まで雑然とした金物ばかりで,すごくからんころんしそうなところ,鮮やかな生地を引っ張りだして,請け負っては手を動かしていた,畳の上に座り,引き戸を開けっ放しにして涼しげに,あるいは立つ湯気とともに暖かい格好を,どこもしていた。雨の日には水たまりが目立つ通りに,静かな雰囲気は距離をおいて通り過ぎる傘の本数を増やしたりもせず,かといって減らしたりもしないで,私の分だけ滴が跳ねる。踏めば揺れる水面の明かりはどこかから漏れたものかと,探してみても不思議に見つからない。そうそう,と思い出したように設けられた街灯は前にも後ろにも小さかった。じっと見てたら,点いたこともあった。暗さがまだ感じられなかった季節のあいだにはすたすたと考えながら,暗くなれば,畳の匂いを覚えていた。
 そういえば,反対から歩いて行ったことも無かったのだった。
 いわゆる穴場的スポットとして,若者がたむろするパーラーとか女の子向けの手作り小物店とかも出来たらしい。はたまた洒落てる服を提供してくれたセレクトショップなどというものも,ちらほらと通りに現れ始めている。金物屋はあるけれど,布団はどこにも見当たらない。そこには今託児所がある。大の大人がうつらうつらと眠れそうなところは,いまになってもやっぱり見当たらない。 通りの具合だけは相変わらずらしく,水捌けの悪さが訪れた人たちの印象に残る。ただ傘はときには差さない方がかえって濡れないと聞く。それから,夕刻以降の心配も要らない。それが街灯の堅実な仕事っぷりに寄るのか,本数が増えたとは聞かない。配達員の姿も,そこは通らないんだろう。
 銀紙に包まれた板チョコの,まだ破っていないところと感触みたいな微かな凸凹。
 私以外の傘とすれ違って,呼び止められたときに同性で年上のあの人は着物店へ行くにはここで宜しいですよね?と,尋ねられた。はい,そうですと私は答えてから,蛙が鳴いたように思えた。その方向を見て,それからあの人も私を見た。そののちの数秒の間,水面の波紋が広がったように二人してお礼の代わりに笑みを交わしたのは,とても仕方の無いことだった。
 あんな蛙の置物なんて,一体誰が置いたのだろう。

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  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-04-21

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