practice(42)




四十二






「両手を広げて,意味があるの?」
  左に向かえば降りていく,四角形の水の上で迎えた朝に立ち止まって聞かれた。峰に切り取られて,細く押し通って来た光はやっぱり眩しい。そのまま,になんてならないように息を深く吸った。そして吐いて答えた。
「気分よ,いいでしょ?飛んでいけそうだし,余すところなくって感じしない?」
 そう聞いた返事は,「はぁ,」とため息混じりだった。
「しない,全く。」
 「そう?」ともう一回聞いても,今度は返ってもこない。だから踵と協力して,冷たい水飛沫でもかけてやろうかと思ったけれど跳ねる魚に負けて止めた。一面の雲海も欠伸をして,白が少しまた流れている。灰色がここの起床なんだ,それから青は高く戻って来る。
 動きが,とても勿体無い。
それで質問は空に任せた。
「水色だね,花に添うのは。」
 きちんとここに帰って来た今度の返事に,「あら,分かってるじゃない。」と言いたげな笑みを背中越しに見せてやった。それは半分だけでも見えればいい,という思惑どおりに事は運んで,目はそこで合った。おまけで加えるニヤリ,という口角に「むっ!」という苦笑いと強がりが,仲良く正面を向いた。そっちはまだ昨日が強いはずだった。光量は増えて,それから背中の影を直して,
「ゲコッ,」
 と鳴いた蛙はそれからパーカーを飛び出して無事に着水(ということは『ちゃぽん』という音で分かって),そのまま沈んだ(のだろう)。そして暫くは水面に顔を出さないと思う。連れて来た,というか付いてきたこの蛙は体表と水質を確かめる(みたいで),ご丁寧に眼まで閉じてデータを収集,それを分析,仮説まで立てて検証をしながら,そこに合う泳ぎをもって悠々と泳ぎ出す(のだそうだ)。こちらから見ているとその様子は,飛び込んだ後でしかと感じる水の冷たさに蛙であることを辞めてしまおうと静かに試みているように見えるぐらいなのだけれど,そうらしい。貴重な種を見つけて,頬袋に入れて食べない。好き嫌いも知ってる。
 『ちゃぷん』とも聞こえる。
「あの氷みたいなやつの,」
 という。何かを聞くのは早いと思った。
「芽はもう出たかな。」
 その確認,いつの日のものかを思い出す必要があった。
 すっかり包まれた峰は険しさを緩めて伸びをする,それから取り戻す厳しい硬さ。座らない時刻の降り積もりとともに,一粒一粒をもって舞う。煌めくもの,表れる模様。追える限りの視界で収まる,あれはきっと風なのだと嬉しくなって,見る。駆け下りるあっという間の様子は遠くて,小さい。振り返ろうにも記憶は浅くなって,繰り返せば頭から重なって録画される。そういう寂しさも,またあるものだった。
「出てると思うよ。」
 という明朗な声。思ったより入った力もあった。踵から伝わる。足下で保たれた水は冷たく,四角形の端に叩かれた。
 沈黙に慣れる,そういうわけでなくてとも思案する。右に上る段差を,その下にあるようにしてひとっ飛びする,鳳仙花はそう出来るのだろうと思う。また安易にタンポポを浮かべるか,難しく頭を振っても,結局は球根をそんなに手に持てないから。
「例えば,」
 そう言って,やっぱり口に仕舞うから頬袋が膨む。目の前ではいよいよ降り注ぐ,顔を出す時間。
「一個は見つけたみたいだ。」
 そう言って気配が動かす。ちゃぽん,はこうして聞こえる。
「片方,膨らんでる。」
 そう言うけど,両手はまだ下ろさなかった。開いたり閉じたり,そのままにしたりした。
「大きさは,よく分からない。水もふくむ癖が抜けないこいつだから,」
 と立ち上がる二つの音。水面に立つようで,それぞれと歩く。そこでぱしゃっと蹴る音は,きっと手のひらに乗った。
「見て欲しい,なんて顔を浮かべてる。」
 喉だけで聞かせる,ゆっくりとしてくぐもった鳴き声は二度,三度とそう言った。
 邂逅する正面が陽に浸って,直ったところも目立って見えたから,向こうからは照らされている,きっと輪郭もそうだろう。下ろした手と手で,目の前を翳して,クリアな視界に狭められても感じるものを感じる。冷たい水の,形変わるところも。
 そこから回れ右をして,蛙と,蛙が見つけた種を受け取った。
「上手だったね。これは表さなきゃ。」
 そのまま握り締める。数個ある,転がるサイズ。
 「そうだね。これは,」
 ときっと例えばを思う,手の中は温かみと懐かしい。
「つまみ食いされそうな形状,だけど土によく馴染む。咲けば香りもたつよ。よく近くで,強く。」
 そうして開けば,名前が後から付いてくる。ヒヤシンスみたいな,涼しいものだった。
「よくやったね,これもまた一つだ。」
 喜びと開かれる口,見つけた種を収められる袋の中にして,暗がりは多い。こうする時の光が大事なのだと知った,それはまたいつの日かだった。その種と名前は渡して,それらはそこに収められて足場となっている四角形の水の中にもう一度,蛙はちゃぷんと言わせて潜っていった。
「また見つけてくるかも。」
 そう言うのだった。
 先程の,朝はこちら側にも回ってきていて距離が開けば開くほど深い青の,無言が聞こえてくる。安心は一つだった。短く吸った息に,白い形があり方を変えた。
「眩しいね。」
 漏らすこと。
「そうだね。天気いいから。」
 それと確かめる。
 立ち位置を変えて,手の一部だけ重なるようにしたのは育むため,水面に映る静かな影。ある体温は,きっと高くない。
「出てると思うよ。」
 もう一度言った,
「そうだといいね。」
 今度は頷けた。
 離れて先に行く。四角形の水の縁,歩いたことがうまく伝わって反対方向の端に戻る。水平は,時間をかけても保たれていって,そこから難なく顔を出した蛙は頬袋を二つ膨らませていた,そして得意そうな顔。褒めて欲しそうにして,目元で笑う。始めてする。声も隠す。
 それから両手を広げた。
「意味がある?」
 先程と違う,確認のニュアンス。気分に乗って,時々を片付ける。





 

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  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-01-29

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