practice(21)


二十一





 長脚の銀の丸テーブルの縁に違う脚を掛けている,てんとう虫は目立たない。小さくて,ということともに話題に夢中な二人の影の落ち方が上手いということも関係している,壁にかかる夕暮れを十二分に避けて,男はそう睨んでいる。いやしかし,と男の口調をモノにしている女の子は男のショートケーキを無断で口にしつつ男の睨みに,ひそひそ声で口を挟んだ。
ー君の考えも一理あるけど,てんとう虫の意図がそこには絡んでいるのだよ。
ーその根拠は?
ー様子の観察。よりによって,君と私が二人して気付けているということはそれだけで疑問を残すべきだ。
 男もそうかもしれないとは思っている。
 臙脂色のジャケットの内ポケットに手を入れて,財布を取り出した男に,やはりモノにした男の口調で,女の子がケーキと珈琲のセットを追加するように頼んできた。珈琲なんて,飲めないだろうと尋ねたことは,要らない否定だねと一蹴された。男はそのうち,ケーキと珈琲のセットを頼んでから考えを進める。
 壁に向かってその姿形を大きくしている人達に用が無いのはてんとう虫も同じだろう。重さも軽さも同じようにして,有る物にかける迷惑を忘れないでいるから,男もてんとう虫も同じひと時をこうして生きている。だからその見た目より,共通理解は打ち立てやすいはずである。てんとう虫の意図もその上にあればいい。そう考える男は口を拭うためのハンカチを,男から既に奪い取って用いた次いでにテーブルを綺麗に拭いたりしている女の子の様子を,対面で眺めながら,煙草に火を着けるタイミングはてんとう虫に合わせることにしてみたらどうなるだろうかと,女の子に聞いた。
ー好きにすればいいさ,てんとう虫も私も気にしない。
 ひそひそ声の男性口調でそう言われて,行き先を決めるようにそうしようと思った男は火を着けずに煙草を持ったまま,『てんとう虫は頭の向きからして背面に向かう途中なのだ。』と断定してから初めて自分の分の珈琲に口を付けた。座ってからしばらく経っているというのに温かいことを喜んだ男は,保温の仕方にありそうなコツを訝りながら,自然に香りも楽しんだ。『そうだとすれば』はその間,一人ぼっちでテーブルに置いた。
ー論理を遊ばせておくのかい?
ーそうすると良いこともある。
 女の子にはひそひそとそう答えておいて,長めの三口目をティーカップとともにソーサーに終えてから,男は高い空に大きく伸びをした。自然と欠伸はでる。そういえば万年筆のインクも切れて,ペン先も新たに補充しておかなければいけないことも思い出した。考えても仕方の無いことはすぐに行動するに限る。男は自分に教えるように,上空に向かって言った。
ー帰りに,文房具屋に寄ろう。
ーそれなら,本屋が一緒になっている所がいい。私も欲しい本がある。
ーそれは難しい本かい?
ー楽しめる絵本さ。
 『了解。』の合図となる両手の仕草はテーブルの上で小さく行われて,男は視線を地上に戻した。対面する女の子はお目当てのものをテーブルで待ちながら,広げたナプキンにボールペンで字の練習をしている。慎重な達筆さに,カタカタいわないテーブルは不安定さを忘れたようにじっとしていた。
ー赤い背中の黒い斑点に,七つ目を見つける前に,
ーうん?
 今度は漢字の書き順も守るために,顔を上げない女の子が言う言葉に男は確認を被せる。女の子は取り掛かっていた一文字を書き終えてから,男の顔を見ながらもう一度続けた。
ー赤い背中の黒い斑点に,七つ目を見つける前に。
ーそれは,何かの一文かい?習ったばかりの,教科書に載ってるような?
 女の子は肩を竦めてから,モノにしている男の口調で言った。
ーオリジナル,のつもりだけどね。もしかしたら君の言うように教科書に載っていたものかもしれない。覚えてないけど。それもこれも。
 成る程,といういい加減さを頷いて収める男は文字の練習を再開する女の子から意識を逸らして,てんとう虫のフォルムを画として見た。逆さまになった職人のブローチに実は隠された意味があると曲解するように,小さい頃からカタカタと動いたその丸みには思い描いたような逡巡も,コトコトさせる様にじっくりと時間を掛ける優柔不断さも,あるようにしか思えなくて困った。引っ掛け問題は集められて,そこにナレーションまで付けるのであれば,落ち着いた発見者のようにこう言うと思ったのだった。
ー『てんとう虫はすべてのことを一直線でするようなタイプでない。』。
 手に持った煙草を男が口に咥えたところで注文通りに運ばれて来たモンブランと珈琲は,トレイに乗せられて男の側にあった。咥えたまま落とさないようにして,軽いお礼を煙草と一緒にはっきりと言いながら,それを受け取る前に対面する女の子には目の前を片付けるように男は言っておいた。さっと片付けをする女の子はボールペンをシャツの胸ポケットに仕舞って,シャツの襟元に走って咲く蔦と花は黒のキャップでもう目立っていた。
 トレイごと,女の子には差し出した。
ーそれで?君はそこから何を考えるんだい?
 女の子はミルク多めに砂糖も珈琲に容れながら,モノにしている男の口調で,同じく対面する男にひそひそと聞いてきた。男はひとつ驚き,しょうがないという表情をして,煙草を手に持ち直してから同じようにひそひそと言った。
ー聞こえない,ということはないんだね。やっぱり。
ーそれはそうだよ。親子みたいな関係性にあるんだから。どっちが親で,どっちが子供かは決めかねるけどね。
 男が親しく,苦笑いを浮かべれば女の子は女の子が考える,意地悪い大人の笑顔を作って見せた。巧拙はこの際,指摘しないのが可愛さだろう。両手を上げる仕草を見せて,ひそひそと男は答え始めた。
 ーテーブルの縁にああして,脚を掛けているてんとう虫は,頭の向きからして背面に向かう途中なんだって,断定してからここの珈琲を初めて飲んだんだ。
ーそれで?
 小さいフォークをモンブランに刺して,ゆっくりと小さく切り分けながら女の子は男を見ずに,ひそひそと聞いた。
ー『そうだとすれば』をテーブルに置いて,逆さまになった職人のブローチの意味深さにまで考えを及ぼしてから,小さい頃までカタコトしたら,てんとう虫はまあ回っていたよ。行ったり来たり,上り下りしたりしてね。
ー同じところにいたりもして?
ーその通り。同じところにいたりもして。
 男は珈琲を飲み,女の子は二口目のモンブランを切り分ける。ほんの少しの沈黙は,男がソーサーにカップを置いてから役割を終えた。
ーそれでね,いいかい?
ー勿論。どうぞ。
 男と同じ口調で,対面する女の子に促された男はひそひそと確認をした後で,ひそひそと言った。
ー絵画にある仕掛けられた装置のように,両義性を持った部分があると思うんだよ。それはてんとう虫でも同じ,違う脚を掛けている長脚の銀の丸テーブルの縁に,現れた訳ではないんだ。
 それに女の子は頷く。そうしてモノにした男の口調で,ひそひそと男に一つの確認をした。
ーそれで?君はそこにてんとう虫の意図を見るわけだね?
 男は一つ頷いて,それからひそひそと対面する女の子に聞き返した。
ーてんとう虫の意図に,君が先気付けたのはここに座った位置関係によるのかな?
 女の子は対面に首を振ってから,ひそひそと,男の口調で答えを返した。
ーそうじゃないと思うよ。君が字を練習する必要が無いように,私も意図を考える必要が無いのさ。
 それを聞いて男はより深く頷いて,苦笑いを浮かべた。ひそひそ声はそれでも明るく,手元だけを照らした明かりのように男の中で弾んだ。
ー成る程。無駄に歳を重ねたかな。
 それを聞いて女の子は再度首を振ってから,年相応の笑顔を見せて,遠く見通せたところから木霊するような響をもって,ひそひそ声を弾ませた。
ーそんなこともない。だからこうして二人でいる。それは唯一の意味があることだよ。
 苦笑いを崩せないままに男は目立たないように火をつけた煙草を吹かしながら,てんとう虫に視線を向けた。長脚の銀の丸テーブルの縁に,違う脚を掛けているてんとう虫は既に出掛けていて記憶が不在と目立っている。
ー背面に行ったとしたら,そこに何が見えるのだろうか。
 モンブランを男にも勧めながら,フォークの動きを止めるつもりがない女の子はテーブルからはみ出るくらいに身体を横に傾けながら,モノにした男の口調で男に対して答えた。
ーあの犬と同じじゃないかな。恐らくは。
 言われたことを聞いて男が振り向けば,時計を見ながら時間を待つ清掃員の横に大型犬が短毛を夕陽に彩られて座っていた。舌を長く出して,短い間に仕舞ってからすぐに出している。視線は高い空を見上げているようで,すれ違う人の顔を識別しているようにも男には見えた。
ー随分と違うものを見ているように思えるけどね。しかし,
 ひそひそと女の子は言う。
ー君の考えも一理あるけど,あの犬の意図がそこには絡んでいるのだよ。
 根拠を聞くまでもなく,男は灰皿で煙草を消して新たな一本を手に取る前に対面する女の子に珈琲は飲まないのかということを尋ねた。要らない確認だね,と一蹴されて女の子は両手に持ったカップを傾けてから慎重に飲んだ。似ていると言われる両眉の真ん中に難しそうな気持ちが何層にも刻まれて,カップがソーサーとぶつかった音でも沈黙が破られることはなかった。
 男はひそひそと聞く。
ーやっぱり飲めなかったかな?
 女の子は答えた。
「飲めはした。ただ舌が合わなかっただけだもの。」
 ハッとした様子で指を唇に当てて,『しーっ』と静かにするように男に示した女の子は改まって対面する男にひそひそと,モノにした男の口調をもって,モンブランは本当に食べないのかということを聞いてきた。苦味が消えていった笑顔を見せて,
ー本当に要らない。
 ということを,男はひそひそと答えた。それから肩を竦めた女の子はやはり動きが止まりそうにないフォークを遠慮なしに動かして,何口目か数え忘れた甘みをより深く味わっていた。背後では時間を待つ清掃員の隣で大型犬が短毛を夕陽に彩られて,座っていることだろう。そう思う男はもう一度見ることはしなかった。
 『そうだとすれば』はテーブルにまだ置いてある。火を着けない煙草を,男はまた口に咥えた。

 

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  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-11-18

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