practice(16)



十六



 ライターを理解する犬は煙草を嫌い,真似でも禁煙を勧めては今週の他の日と同じように,今日のニュースペーパーもその端を咥えて持っていく。ソファーに座る形を維持してまだ読んでいる途中であったというのに,この事務所ではこれ以上読むことが許されませんと決められた,犬主導の生活リズムと時間の使い方に拘束される。これに当然に逆らって,玄関側の,靴箱の前に上から日付順にと積まれまいと奪い取っては先の続きから読み直すことを,考えることが出来て実行することが叶わない。回せるものの,鍵という鍵を管理する権限が二週置きに同居者間を行ったり来たりするのが賃貸している,このビルの一室に存在する約束事になっており,動けるためのゼンマイ仕掛けの鍵までそこに束ねられているからワタクシは逆らえない。今もキチキチと回ってる懐の動力に至るまで,犬にスケジューリングされる来週までのワタクシ。ニュースペーパーは一面も諦めていないワタクシ。
 分刻みの犬のリードに導かれて,まずはコッケイの整理から始めなければいけないのは,数だけなら人の分には足りているけれども,重複があったり,組み合わせとして合わないところがあるために組み立てようにもきっと一人分も無理であろう,その机上のコレクションのためにある。すべてはその犬のもの,落ちていたものとして咥えて来たと繰り返し聞かされている。返さなくていいのかということを聞き返しても,何処あるいは誰に返したらいいと思うかというようなことを首を傾げる犬の仕草で聞かれてしまうから懐でキチキチと,鳴らしながら悩んでも,上手いこと答えが返せない。スケジュールを仕切る犬は,その間にスケジュールをこなすために一から消えたようにその姿が見えなくした。だからこの件に関して確かに出来ることは,こうしてコッケイをきちんと整理すること,必要があれば袋などを求めて,無くさないようにすること,そうして犬に端的な質問をすることになると思っている。机の上を掃き易そうな,箒はここにはあったかなと。
 その答えを待てる暇も無いようなスケジューリングを組まれたまま,姿が見えない犬の指示に従って次に手を付けるべき数が多いジュウセイの並べるべき順番は,未だに分からないままである。それはどうやら犬のコレクションなんかでなくて,ここを訪ねたお客様が預けていったものらしく,犬が留守を預かるその時間に限ってお客様はそうして去るらしい。そこにある事情の表も裏もどの部分も,この耳の機能に照らして聞いたことはない。ジュウセイにも縒れたり崩れたり刻まれたり,その違いが一つずつにあって(不思議に続くものはない。),録音テープのように聞けば乾いた室内でよく弾んだ。だから危なくて,片付ける面倒さから捨ててしまう訳にはいかないのだろうかと何度も聞いたけれど,これに関する同居する犬の答えは明瞭で,ワンと鳴いて終わる。それを否と取るか否かを,この懐でキチッと考えて終わるのだから,ジュウセイは一丁分も減らないで,その危なさとその面倒さの間を開けて事務机の抽斗二段分,適当に並べて仕舞う。小姑のようにワンワンと,犬が二回吠えても耳の機能を休ませることに集中しながら,その意味を解しもしないイタズラでもある。
 そのついで,見つけた書類はスケジュール上の次の次にすべき面会と,棚整理に必要だと思って,片付いたコッケイと一緒に机の上に出しておいたのは,予定をこなすための行動は犬に縛られたりしないことは前に試して知っていたからで,そこには興味があったからである。先の抽斗の二段目を縦に半分仕切るように置かれていた二冊のファイルは,この機能的な目で捉えたこともなく,勿論記憶にも無いものであったのだ。ぎこちない感触も交えて言えばそれらは黒でザラザラ,背表紙にも書かれていることや貼られているものが無く,その中身は外部に知らせないけれど,パラパラ捲れば几帳面さが最後の頁まで綴じられて保たれていた。コッケイは,あんなに雑な扱いだったから,これは犬の意外な一面。知っておきたいことである。
 分類するにはその内容を知っておかなければ出来はしない,ということを思えばスケジュールな拘束力は働かないから,内容はやはり見れた。一頁目から記事の途中で,大陸を横断する男が予定通りに中継地となる町に着いて町長と握手を交わしたことを伝える記事である。目の機能を駆使して読めば,『それは記録挑戦のための大陸横断で,男は注目の探検家,世界最高峰の登頂までもう一歩だった。』と簡潔に記されている。二頁目がこれに続くのであれば,このファイルはニュースペーパーのスクラップブックで,興味を持った犬が器用に齧って(記事のあちこちは破けてもいるけれど),保存しているものだ。それから続けて二頁目以降も順々に捲っていけば,男が予定していた順路のとおりにそれを伝える記事が,その大小はあるけれども,一枚ずつファイリングされてる。犬は余程その興味を引かれたのだろう。そのままいけば男は最終到着地となる都市に辿り着いて,そこで記録達成,それを伝えられる記事で終わりになるのだろうという予想は立った。
 しかし七頁目で男は『その行方が不明になっている』。それからの『消息は追えていない。』ことだけを記事は伝える。それからが無かった。
 八頁以降,二冊目の最後に至るまで読んだら,犬がそこに綴じて保存しようとしていたのはニュースペーパーを齧った記事であることは同じでも,その内容はどれもが違うものであったのだ。人の国と国との争いごと,諍いごと,道を大勢で並んで歩いているものから美しい風景を伝えたり,人の衣服の様子を伝えたり。内容からは推測出来る犬の興味が見当たらず,ある共通点は写真付きの記事であるという点だけ。目の機能を「凝らして」見なくても,写真に男が一人はいた。それが似ているのかどうかは,この目だけでは判断しかねるのがギチギチと,懐から『残念』に思えた。
 姿を見せた犬と,面会前の一時間前に昼休みを取った。煙草に火だけは着けながら,ワタクシは吸わないでいて,テレビジョンはチラチラと,人を代わる代わる映す。小さな体躯の背中を見せて,テレビジョンを見る犬は一所懸命だった。
 午後の面会。フラフラ,と言えるように歩いて来て事務所の中を横切って来るイヌの被り物をしたそのヒトは探し物をして欲しいと言って話を切り出したことから,事務所には調査の依頼のために来訪したということが分かった。上下で見ても,上と下で分けて見てもその格好はきちんとはしている。犬のスケジュール上,面談には多くの時間が割かれる傾向にあるのだけれども今日は珍しく短時間で,すぐに済ませて欲しい犬の意図が予定に表れた。それを正しく察知して,それを実現するのが来週までのワタクシだからそのために,ソファーに座る形を維持してそのヒトからより詳しく話を聞くことに徹した。
 そのヒトはこう言う。
「あのー,探して欲しいのは他でもないんです。お金と,矢印。この二つなんです。分かりますかぁ?」
 ワタクシはギーコと頷いた。探して欲しいのはお金と矢印。そのヒトがそう言っている。
「お金は,あのーどこでどう無くしたかは覚えていないんですがぁ,さきほど言った金額の分,見つけてきてくれればそれでいいです。問題がありません。はい,問題が。出来れば今日のうち,もっと言えば今のうちがイイです,はい。どうでしょうか,出来ますでしょうか?」
 ワタクシはギーコとは頷いた。お金は今日中に,もっと言って今のうちに見つけて欲しいと,そのヒトが言っている。
「あぁ,それは良かった!あぁ,良かった!それで,どっちなんですか?今日のうち?今のうち?まさか,今のうちですか?」
 ワタクシは頷いた。そのヒトは今のうちに金額どおりのお金が見つかることを実は強く望んでいる。
「おぉ,本当ですか!?それはもう,問題なし,はい!もう,問題がありません!さすが,噂どおりにオシゴトが早いですね!まったくもってスバラシイ!では,それでは,そう,それではさっそく頂けますか?さっき言った,金額どおりの私のお金を!」
 ワタクシは頷かなかった。そのヒトはワタクシに手を差し出して,そのままの姿勢を維持していた。しかしそれから「あ,ああ!そうですよね!そうですよね!」と言いつつ素早く手を引っ込めて,その勢いでソファーにぶつかるように姿勢を戻して言った。
「依頼は全部受けてからってやつですよね。そうですよね。いやー,すいまぁせん。お金が先に,しかも今のうちに見つかるというものだから,コウフンしちゃって。これじゃまるで,お金が欲しいヤツみたいですよね。ああ,いや,お金も探して欲しいものですから間違いではないですけれどね?いや,しかし,アセりすぎました。私が探して欲しいのはお金だけではないですもの。ねぇ?」
 ワタクシは頷いた。そのヒトが探して欲しいのはお金だけではない。
「探して欲しいのは,さっきも言ったように,矢印もあるんです。はい。意味は,分かりませんよね?そうですよね。そうでしょうから話しちゃいます。もう一つの矢印に関しては。」
 ワタクシは頷きたかったけれどもスケジュール上,時間は頷く前に過ぎることが機能的な目に見えなくても予想出来た。ワタクシはソファーから立ち上がる姿勢を取り始めて,目の前のそのヒトに退出をお願いしようとした。机の下で姿を隠した,犬が10分間の延長をするようにスケジューリングするまでは。
 センマイが,改めて回るようにギイッと言う。そのヒトは話し始めた。
「矢印は本当に無くしてしまったんですよね。はい。これもまたどこで,ってところが言えないのが本当に辛いところなんですが。はい。矢印が無いって,いうのがどういうことかは,想像出来ますよね?」
 ワタクシは頷いた。そのヒトも頷いた。
「はい,そうなんです。いやー,これがまた困るもんでして,道に迷うどころのハナシじゃなくて,食事をするのも一苦労。歯を磨くのもそうでして,実は眠るときもそうなんですよ。はい。起き上がるのにも実は矢印は関係してますから。仰向けになるにも,うつ伏せになるにもってやつです。文字通りの向き不向き,周囲の物やモノに助けられて生きていますって状態なんですよ。はい。」
 ワタクシは頷かなかった。そのヒトはソファーに座るというよりは確かに凭れている。
 そのヒトは言う。
「矢印が見つかりさえすればまだマシになるとは思うんですがね,はい。その,私の矢印についていうのであれば,ああ,勿論場所以外で,ですよ。モチロン。はい。で,ですね,その大きさから言いますと,(そのヒトは胸の前に合わせた手を少しずつ広げていって)これくらいです。はい。これくらい。重くはないです。はい。片手で軽々ってやつかもしれません。はい。それで,形は勿論矢印です。あの先がとんがって,こっちですって感じさせるアイツです。はい。えーと,あとは,色!色は,あー,あ,確か無かった,ですかね。はい。無かったと思います。これぐらいでしょうかね。私から言える矢印に関してのことは。はい。えー,とと,それで,これぐらいでいいでしょうかね?矢印のことについては。」
 ワタクシは頷いた。矢印の形は矢印で,重くはなくて色は無い。そのヒトのこれくらいで,場所はさっぱり分からない。ただそのヒトはワタクシの頷きに満足そうに頷き返した。
 そのヒトは,それから言った。
「ああ,なくしたキッカケについては聞き覚えしたことがあるので,言っておきましょうね。『何が役に立つかは役に立つまで分からない。』ってやつですから。はい。これは私の経験です。長い長い経験です。はい。私はですね,一度迷子になったことがあるらしくて,その時にいろんな荷物をそこに置いていかないといけなかったらしいのです。これは私自身が全く覚えていなくて,道すがらでどう考えても迷子になっていたとしか思えなかった私を見つけたモノがそうだったんだろうと,推測してからこうしている私に話してくれたことです。はい。そうなんです。」
 ワタクシは頷いた。そのヒトもまた頷いて言う。
「それでですね,それがまた背負っていた荷物だけでなく,まさに色んなものも,と言ってしまえるほどのものであったらしくて,どうもそれがこの身と命だけ,あとはスッカラカンです。はい,それはもう(ここでパリッとはしている特徴のないズボンのポッケをそのヒトは剥き出しにして,)スッカラカン。そこには矢印もあったんでしょうね,やっぱり。」
 ワタクシは頷かなかった。そのヒトもまた頷かない。それでもそのヒトは言う。
「見つけられてから私は,私を見つけたモノたちと一緒に暮らしてはいたのです。不自由なく,幸せそうにと。けれど,迷子は一度じゃ済まないものなのですね。しかも今は矢印も無くしてしまっています。あっという間に見失って,今ここにいます。そのモノたちは落し物じゃないから,ここじゃ探してもらえない,んですよね?」
 ワタクシは頷いた。来週までの調査は落し物に限るというのは,犬のスケジュールの根幹をなしている。
「ああ,ですよね。ですよね。そうでなかったら,さすがの私もそのモノたちを探してもらうように頼みますからね。はい。だからそのモノたちは私で見つけるようにします。見つけられたらって,感じになるでしょうけれども,でも矢印があれば可能性はあると思うのです。あと,お金があれば。はい。やっぱりお金は,大事ですよね?はい,大事です。」
 ワタクシの返事を待つ前にお金の大事さを確認したそのヒトは,またそわそわと,動き始めた。手から始まり左右に落ち着かず,今か今かとお金が渡されるのを待っているようであった。吸っていないワタクシの煙草に目をとめて,「一本,イイですかね?はい。」と言いながら今日のうち,今のうちと,言葉より近付く顔がそう言っていた。
 スケジューリングを決めたのは犬である。
 



 先週のことでもある。被っているイヌの種類と表情が違うだけで(こちらはとても笑っていた。),同じように無くしたお金と矢印を探して欲しいと依頼してきた別のヒトが二週合わせて十六人はこの事務所を訪れた。その時のスケジュールは鍵という鍵の管理権を有していたワタクシが決めていたから,すべての依頼について話を聞いた上でのお断りを入れてお帰り頂いていたのだけれどその度に,犬は少しながらの不満を尻尾で表しては猫のように窓辺によじ登って(犬は小柄でジャンプ力が足りないために椅子やら何やらを使って,それはもう必死に),電灯が明かりをくれる事務所の室内から,曇り空とかに関係なく小一時間は外を眺めた。心中察して欲しいというそのココロは,懐をキチキチと悩ましても先週のワタクシには無理だったから,太らない程度のドッグフードとミルクか水の飲み物を,そこから降りたらすぐに食べることが出来る位置に置いてから,ソファーに座る形を維持して今朝のニュースペーパーを頭から読み直したりした。動力を与えられて,室内の時計はすべてがカチコチ鳴って,つまみを開かず音が出ていないテレビジョンはその画だけで何事かが起こっていることを伝えてる。一面の記事の一番小さな記事を読めば,テレビジョンの方ではホットドッグの大食い選手権の様子を映して,あるヒトが優勝しそうな勢いを残していて,開いた二面を読み始めて読み終わった頃には明日の天気を説明しているようであった。晴れを示すマークに,後に降る雨が映されていなかったらもっと違うことをそのヒトは話していると考えただろうということを,三面の記事を読み直す前に考えていた。窓辺に座っていた犬のことは小さな背中を見るだけにしていた。
 ビル自体も新しくはなくて,部屋についてもそこは同じ,事務所の壁のどこにだって知らない隙間はあるのだろうし通り道にも使えるだろうと考えられる。床を鼠は綺麗に走って,そのルートとコースにバネが見事な鼠取りが待っている。ニュースペーパーも残りの枚数から折り返して,有名なスポーツ選手がタコクの文化に触れてそれを正しい言葉で綴った記事が,その頁の中でどうしても二度,三度と繰り返し,ピリオドを最後にタイトルから戻って最初から読み直してしまうには不思議なことで,犬にそのことに関して意見を聞いてみたくなった。犬は何と鳴くだろうか。尻尾や身体を使って,何を表現してから何を表現しないようにするのか。今も座って眺める窓辺の下からは鼠が必ず迂回することを始めて,それをしかと耳にしているはずの犬は飛びかかったりしないのは猫じゃないからだろうとキチキチッと考える。鍵を回すことが上手であって,ワタクシよりヒトアタリが良い犬は,たまに首輪をしてたまに粗相をし,首輪は何故か一年に一回はワタクシに身に付けさせて貰ってから出掛ける。帰って来れば,お礼にというようにネジを巻いて,ワンワンとお土産話を話し始める。去年の土埃の赤い暖炉の話は,微に入り細に穿って懐踊る話であった。それは勿論,犬の鳴き声にしてはという限りはあるけれども,数が少ない指の機能を摘み上げるために用いて,あと二つしかないゴミ箱の上で取り上げるようなことではないのは確かである。
 懐踊る話であった。ワタクシはそれを覚えている。




 スケジュールを決めたのは犬である。そしてそのスケジュール上,面談を終えた後のワタクシとそれから開始する犬のすべき事が交わるように関わるところがない。一回の面談が終わるごとに,ソファーに座ったままの姿勢を維持したまま背後に位置する机の椅子を,キチッキチッと一回ずつ進めた。その机の上には午前中に纏めたコッケイが,組み立てられないままに置いたままであったけれども,それぞれのヒトは全く気にせずに,終えた面談が上手くいったというように椅子を引いて座る。その足元には犬がずっと座っていて,ワタクシはワタクシでこれまた短い時間で済ませなければいけない,次の面談のために備えて,カチカチッと懐から,先端までチェックしている。短時間と回数を重ねて,夕方近くまで犬のスケジュールは詰まっていたから,点検は欠かせない。
 ギャッとか,グワッとか,机の前に位置しているであろう椅子と窓辺と足元辺りからドタバタバッタンと,騒がしい音がよく聞こえてきてくるのは,犬が事をしているからであって,そこにそれぞれ座っていたヒトの中にはそれが嫌なヒトや耐えられないヒト,他に耳を塞いで口を閉じて,見失うヒトが少なくないからだろうと推測して考えている。そういうヒトは事務所を出ては行く。行かされるのかはどうかは,懐の内でもはっきりとしないから,これもまたキチキチっと考えている。それもフラフラと,扉を開けてイヌの被り物を被って事務所の中を横切って来る次のヒトにソファーを勧めて,対面するまでのことで,次のヒトも探し物を探して欲しいと言って話を切り出してきた。その探し物は絵画と矢印,絵画は現物でなくても構わくてその額と同額の金銭でも良いのだそうだ。繰り返し聞かれるどの「分かりますかぁ?」にも「出来ますか?」にも,ワタクシは一つずつ間違えずに頷いている。
 午後の三時のおやつは,ワタクシも犬も要らない。面談は,間断なく続けられていく。
 時々,事務所を去らないヒトはいる。事務所を来訪したときと違ってフラフラとしたりしないで,ソファーの横を通り過ぎて,必ず目に入るワタクシに対して思い思いの一礼を,犬の被り物はしたままにしてする。それから玄関前の,靴箱の前に上から日付順にと積まれてしまっている二週おきのニュースペーパーの中から任意の一束を手に取って,「ハサミか何か,切り取るものはありますか?」と変わった口調で尋ねてくる。カッターでも良いでしょうかと聞けば,「カッターシートはありますか?」とさっきと変わらない口調で聞き返される。カッターシートはあいにく無いと,切らしているというように答えれば「では,ハサミをお願いします。」と必ず言う。だからハサミはソファーの真後ろに置いてある。アルミ缶の中に大量にまとめてガチャガチャと,隠しているわけで無いのは隠す意図が無いから,カッターシートは無いと言えば,お願いされるハサミなのだから。
 それからハサミを受け取って,任意の一束となったニュースペーパーを持ってから椅子に引いて座ったであろうヒトは誰かと何かを相談するように休みながら,チョキチョキと,ニュースペーパーにある記事を切り取っているかのような音を出す。座る形を維持して,それをソファーで聞きながら,キチキチと片付けながら暫く面談を無しにする。犬が決めて,時々変更も加えるスケジュール上では決められていることに従って,決められていないことにも従わなければならない。そういう時に犬は眠っているように何も決めない。時々首を起こしては,周囲を見渡すように動かしたりしてはいるだろうけれども何かを探しているわけではないのだろう。と,考えている。犬のように甘えた声も出さなければ,椅子の足元の位置も変えずに,じっと座って終わるのを待つ。椅子に座り直したような音が一度鳴ったように機能的な耳に聞こえて,カサカサッと,向こうで片付けるような音も立てば,バサッと落とした音が残る。事務所の備品も伴って,そうしてヒトは事務所を去らずに事務所の中で見えなくなる。居なくなるのか消えるのか,どちらか分からない。
 懐の内で,ギチッと一度はそれを考えている。
 面談の最後には,ギャッと聞き慣れたヒトの声が出て行って,買い物とそれぞれの仕方の身体の手入れとただの部屋の戸締りをするまでに,スケジュールの上ではまた掃除をすることに決まっていた。今度は窓を開け,扉も開けて周囲の風が通り抜けるのを良くしてからぎこちない両腕の動きで掃き掃除をワタクシはする。床に落ちている紙はどれもその動きに合わせて集まっては,二つしかないゴミ箱のうちの一つに収まりどこにも行かなくなる。犬は記事が切り取られたニュースペーパーを玄関前の,靴箱の前に上から日付順にと積んではブラシを咥えてワタクシが今日履いていない,他の革靴を玄関前で磨いている。風は吹いて,小さい背中の短い毛並みの先だけを撫でてたように機能的な目には写った。狭い部屋での,端っこから見た光景になるのだから,それが気のせいかもしれないし,そうでないかもしれない。ここでそれを考えるには,懐の動力が弱まって足りない。スケジュールにはないけれど,ワタクシは犬に巻いてくれるように頼んでみた。犬はそのスケジュールをひと行動分だけ修正して,ワンと机の前の椅子に座るように鳴いた。ワタクシは机の前で,引いた椅子に浅く座る形を作って維持した。背凭れは避けている。巻くためにそうしないといけない。
  犬の真似して見上げたところにはビスケットみたいと言われる月に,ヒト以外のものが生きて住んでいると伝えられる伝承が記録として浮かんで重なったように見えた。やはり懐の動力は弱まっているようで,このままでは身体の手入れまで出来はしないだろうと考える。決められたスケジュールはその日のうちにこなさなければいけないから,ただ今は犬を待つ。このビルの一室に存在する約束事と一緒に,ひと時には何も入り込まない。
 ゼンマイを咥えてやって来て,犬は決して高くはない小さい身体のジャンプを数回繰り返してから,椅子の残りの座われる部分にその身を置いて,その身で座る。ガチャっと一回で差し込む音が感触と音で感じ取れてから,懐の中の動力はジーコジーコと回る。機能は順調に回復して,見上げる月はクリアに,ただの月に見えるようになっていく。混濁した記録は,澄み切るように整理されて,たった一回だけオーバーに重なって写るのが取り除けないものなのだと,先週読んだニュースペーパーには記事として特集されていた。これがユメといえるのかは分からない。執筆者はそれを明確に否定していた。
 機能的な耳は犬の呼吸を拾っている。
 ライターを理解していた犬は禁煙を,前の前の主人から勧めていたそうで,飼われていた時代の,なかなか楽しいお遊びのようなやり取りだったんだと楽しそうに言う。二人ともに死に別れた時にはとても悲しくて,事務所から出たくなくなったそうだから,悲しかったのだろうと推測出来る。煙草を吸う真似をインプットされているワタクシとのそれは,代わりのものでも無いよりは良いものだと犬は鳴く。ワタクシは煙草を吸う真似をして,犬は禁煙を勧める。
 健康的であれと,室内で言われるのだ。行方が分かる,この室内で。
 大陸横断を試みていたあの記事の男が今になって最終到着地に着いたとしたら,歓迎は,そこでなくてもここではあるのだろう。犬は勿論の事だし,関連する記事を知ったワタクシも同じだ。それがきちんと伝えられれば,それをきちんと知ることが出来ればワタクシも犬も。
 今週からの,話として。





 そういえば深い時間に限って,話をしたことがない犬はトイレに起きる以外に朝まで寝床を動かないと言ってはいた。しかしニュースペーパーには最近,犬の深夜徘徊が問題になっていて,遠吠えから保存食の盗み食いなど,飼い主との間で確執を生んでいると載っていて,『あなたもご注意を。』と注意していた。ゼンマイはもう一つ分巻いてもらって,ワタクシは犬に聞こうと思う。
 それはきちんと眠れているか,ひとりのように起きたりしていないかということを。


 
 

practice(16)

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  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-10-31

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