practice(14)



十四




 噛み応えのある尻尾にも恐竜のような素振りの意識があって,びたんびたんと上下に激しく運動すれば,そこら中で貼りかけになっているペーパーフックの規則正しい三色の並びが乱れて,喉の渇きを潤そうと作業の合間合間に飲んでは机の上に置いている,コップの水がはしゃいで零れる。その度に新品のハンドタオルで拭かなきゃいけないのだから,せっかく持って来た意味が無い。一緒に連れて来た九官鳥はその素振りに見慣れているからまだいいものを,気まぐれについて来た影の一人はすっかり怯えて部屋の隅っこから動けずにいるし,もう二人は開いた玄関と外壁の間に挟まりながら隙間からこちらの様子を窺っている。上がっておいで,とは言わないけれど回収人は背後から忍び寄ってそのうちに廊下から玄関を閉める。午後の晴天の中,日陰なしでどうやって過ごそうというのだろうか。剥き出しのカーテンレールに止まりながら,九官鳥は「分からない。」と繰り返す。
 びたん!
 と,今も運動する尻尾は内側に迫り出している壁の一部分に取り付けられている。壁全体は一面真っ白で,引き渡す前の素っ気なさを空間という空間に散りばめていて,許可を得て,用を済ませたトイレの棚にも素っ気なさは居座っているように感じた。これからこの部屋に住むことになる人は苦労することになるかもしれないと,水周りの状態をチェックしに来た業者さんも言っていたけれども,これにはとても同感だった。主要な電化製品を揃えてから色んな服を置き,色んな興味を広げてはここの住人の生活が日々を過ごしていくこといなるのだろうけれども,ここの素っ気なさはそれこそ上手いことするのかもしれない。部屋の隅々に隠れて,習いたてのオセロよりも上手に,その生活をひっくり返そうと取り計らいを続けるのだろう。それは掃除機なんかでは吸い込めない,想像的な何かが必要になってくる事柄の問題になって来る。
 だから今日一番の作業をしなければいけない壁の一つに,選りに選って取り付けなければいけないのにはきちんとした理由がある。尻尾は尻尾としては動けず,胴体のような恐竜が向こう側に生きているとイメージさせなければ意味が無い。そうしなければせっかく持ってきた尻尾は,その柔い感触にかまけた昼寝用の枕程度にしか使えないだろう。成年男子の身長程度のその全長は,実は抱き枕に最適である。ペーパーフックの配置に悩む午後には,これは許可を得ないで,壁にもくっ付けない尻尾の上で昼寝に勤しむ。ジャストフィットするクッションは寝違えることが無い。寝過ぎないように九官鳥には時間が来たら太腿を啄ばんでもらうようにしているから,昼寝のせいで仕事時間が切迫したりすることはない安心感も手伝って,熟睡出来るから重宝する。実は尻尾も同じなようで,昼寝後に壁に取り付けた尻尾は大きな欠伸みたいな唸り声を上げる。それからほっとするように,床に接着する辺りから左右に一回,『箒で掃いてる』仕草を見せてる。そんな時に,尻尾はとても良い働きをする。今日も一度短く眠った。妻の間違えた携帯電話で起こされた。




 半透明の窓辺を尻尾が嫌うのは,窓辺が半分透明だからだろう。明るい時間にやってみる,口をパクパクさせた影絵みたいに,あるいは明るく写ってしまう,光量の多い電灯下の怖いお話のようにそこに在るとある要素が否応無く妨げるのだ。尻尾は窓辺でとにかく枕になり切る。拗ねたように,しかも暫くだから眠る時はそれで良いのだけれど,予定が詰まっているときにはとても困る性質だ。だから意外と気を使うのは開け放った部屋の中における最初の尻尾の置き場所で,事が済んだ後の尻尾の在る場所の確認とその修正になる。あとはどうにかなるから,そこをとても注意しなければならない。今回は大丈夫だから,次も気を付ける。今日の予定はあと二件ある。
 その裏で何かあったのか,尻尾が大人しくしている今がチャンスとばかりに乱れたペーパーフックの三色を規則正しく並べ直して,昨夜の段階で思い付いて製図した配置を真っ白な壁のそれぞれで確認する。思っていたより高さが無くて,横幅が一寸あることを唱えるつもりで反復し,動くなら今のうちだよということを壁際で怯える一人の影にサインを送ってから,『大事な点』の位置を改めて見つける。当初よりベランダ側に食い込んで,尻尾が苦手な窓辺と言える所になりそうだった。となると今回は全部現れることになる。
 影は恐る恐る逃げるように玄関へ向かっているけど,早くしないと巻き込まれるよ。とは伝えられない。そう言うわけにはいかない事情もある。
 相変わらず剥き出しのカーテンレールに止まりながら,そんな影の様子を窺っていた九官鳥に合図をした。左手を伸ばして,手首をがっしりと足で掴んだ九官鳥は自らがすべき仕事が分かっている。だから「やれやれ。」と言わんばかりに首を振るのだけれども,そこに拒絶の意思はない。またお願いして,終わったら『洗う』約束もした。お風呂場も使っても良いという許可は既に得ている。実はバッグに,自分の着替えも持って来ているのだ。場合によっては浴槽にお湯を張って,買ったばかりの入浴剤で楽しみたいとも思っている。
 それから大群のペンキの蓋はすべて緩めて,ゴーグルは念の為にはめた。製図よりもペーパーフックの数が増えて,ややこしい位置になってしまったから派手になりそうなのだ。順番と色の混ぜ合いが事の成否を分ける。集中は,互いに今一度高める必要がある。構えとその準備は整えた。あとはそこに,取り掛かるだけだ。
 「さあ,」と短く思った。しかし携帯が鳴ってしまった。
 恐らく妻からだと,思おうが思わないがに関係なく,妻からかかってきた可能性がある携帯には出ないと後々面倒にしかならない。そしてそれがまた間違えた携帯電話である可能性が大であっても,出ないと後々面倒にしかならない。構えは多少崩して,同じく集中している九官鳥のバランスは保ったまま,仕舞ってあったズボンのポケットから取った携帯を耳に近付けて,『誰か』からも確かめずにそのまま出た。
「もしもし,聞こえる?」
 こちらが何かを言う前に,すぐに確認をするのはやはり妻だった。
「もしもし,聞こえるよ。そっちは?」
 「うん,」と短く満足そうな声を聞かせた妻は「聞こえるよ。良かった良かった。」と,『良かった。』のニュアンスを二回ずつ変えて言った。今度は間違い電話では無いようだった。しかしタイミングは変わらずに悪い。そして長い電話は,とても出来ないと言っておかないと長い電話になってしまう妻なのだ。
「うん,『良かった』のは良いんだけど,あのね。今,本当に手が離せない状況なんだ。だから,」
「うん,あのね。お願いがあるの。」
 と,こちらが大事なことを言い終わる前に妻は自分の話を始めた。
「今日の夕飯にね,小松菜を使おうと思ってるの。四品作るんだけど,そのうちの一品が小松菜が無いと締まらない料理で,刻み方も炒め方も味付けも完璧にこなしたって小松菜がないとダメ。主役じゃないんだけどね,その料理の中で,小松菜って。不思議だよね,無くても良さそうなのに無いと駄目な食材って。緞帳を取り上げられた舞台上の怪人みたいじゃない?それだけ大事なものなんだよ。」
 緞帳を取り上げられた舞台上の怪人の姿は丸見えになっても小松菜と繋がらずに,妻は「だから買ってきてね。」と小松菜を買ってくることを約束させた。一方的な完結事項,夫婦の約束事に了承は要らない。だから妻はさらに続けるだろう。
「あとね,花瓶。それに差す花も。一輪でもいいんだけど,そういう風に差せる花瓶であればね,束でも良いよ。種類は複数でお願いね。」
「うん,分かったけど,いいかな?今ね,」
「それとね,あ,ここからはお願いじゃないよ。お願いは二つだけ。品数では三つね。でね,今日ね,面白い事があったの。真向かいのお家の,ネジが外れて傾いた高めに位置した風見鶏あったでしょ。あれがね,」
「待って,まってまって。いいかな?今ね,」
「強い風が吹いたの。たまたま。そしたらね,とうとうネジが外れちゃって,風見鶏が落っこちゃうかと思ったの,ゴトっと。でもね,そうならなかったの。結論から言っちゃうとね,飛んだの。それは見事に,スイーッて。それは見事なロジックだったの。ねえ,聞きたいでしょ?実はね,」
 繋がっているのに通じ合えず,終わりそうな終わりが見えない妻からの電話を手で支えながら,集中している九官鳥の背中を見て,まだその集中力が切れていないのに安心すると同時に心配が増して来た。高まった集中力は一度切れると再び高まるのが難しくなる。そこは人でも九官鳥でも同じことだ。影も無事に『逃げよう』としている。だからここを逃すわけにはいかない。けれど,妻の電話は終わらない。 
「低空でね,地面のね,ぶつかる前の,」
 だかーん!
 と,尻尾は勢いよく『飛び起きて』,激しく『箒で掃いてる』動きそのままに左,右と順番に壁を叩いた。振動は,枠に嵌ったガラスを揺らして机の上のコップを倒す。水は当然に零れた。それは当然のロジックである。影ものけぞって倒れて,腰を抜かして暫く立てそうにない。
 すぐに気になったのは貼り付けたテープフックの様子だったけれど,一本の糸をもって九官鳥から始まる支点となっているから,その位置関係に外れも何もは生じてはいなかった。一安心は一回出来る。残る埃がそこにあるのが気になってしょうがないように,尻尾はゆっくりと,『箒で掃いてる』仕草をしてる。
「尻尾,起きてるの?怒ってるの?」
 さっきの音が電話越しにも伝わったようで,妻は妻にしては低い声と落ち着いたトーンで聞いてきた。尻尾はすごくタイミングが良い。同じトーンで事実を伝える。
「うん,起きてる。ただ,怒ってはいない。」
 「そう,」と少し間を開けてから,「作業中なんだね。」とこちたが伝えたかったことを確認してきた。
「うん,」と短く答えて,「あとでいいかな?ゆっくり聞くから。」と妻に言った。妻は「分かった。」と「あとでね。」を別々に分けて言い,「ごめんね。」と謝るった。その妻に「うん。」と曖昧に答えては,「じゃあ」と加えて電話を切ろうとした。妻は「あ,あのね。」と遮ってから,尻尾に伝えてと短く言った。
「いっぱい遊んでね。遠慮なんて要らないよって。」
 きちんと伝えると,きちんと妻に言った。
 小松菜と,花瓶とそれに差す花は買って帰る約束のままである。




「待たせたね。」
 九官鳥の背にそう声を掛けて,切った携帯電話はズボンのポケットに入れ直した。電源まで切ってはいないけれど,こちらから掛けることはあってももう掛かってくることはない。構え直した目の前には高低差を置いて数カ所に貼ったテープフックが三色を規則正しく並べていて,そのうちの一つに糸は経由させているけれども,これは準備であって始まりでない。事は今から行う。
 足で蹴飛ばせば,赤色のペンキ缶から蓋は飛んでいって壁にぶつかる。次は橙で,次の次に緑,それから黒を挟んで最後にまた赤色になる順番だ。左薬指を除いてそれぞれ五本ずつ結び付けている糸の弛みやこんがらがり方を直しつつ,九官鳥の息が続く限り合わせる。いつものことで,いつものようにだ。変わったことはしなくていい。繰り返して心で思う。いつものことで,いつものように。
 背後にある『大事な点』には強くフックを打ち付けてある。ちょっとやそっとじゃ引っこ抜かれることは無い。だから,遠慮は要らない。
 「じゃあ,始めようか」と声を出す。
 「じゃあ,始めよう,」と鳥声が返る。
 糸を掴んだ片足ともう片方の足の爪ごと左手首を締め付けて,左手から九官鳥は赤色のペンキ缶に飛び込んでその身を赤の色に染めた。糸を繋ぎ止めている左薬指から勢い良く引っ張られて,全身がそこに持っていかれそうになって,踏ん張って均衡を保つ。左薬指が付け根からまず失くなったように感じて,激痛はそこから軽く走った。けれどまだ準備段階を抜けていない。赤色の九官鳥はそれから白い壁にその身をぶつけながらペーパーフックに糸をかけて,今度はそこを支点に旋回をしてから『大事な点』に舞い降りる。そこのフックにも糸をかけて,それで左手に戻って来る。旋回の時にも走る激痛は激痛を超えない。かつては麻痺していた痛みも,丈夫になった指の付け根のおかげで激痛の激痛さを維持出来るようにまでなっている。だから一番痛むのは,背後にある『大事な点』に打ち込んだフックに糸が絡まるようにかけられるときだ。九官鳥はしっかりと,二度も三度も繰り返しかける。勢いに任せて自然に切れるその糸を見捨てるように舞い戻って来れば,それから続いて,左手の中指にぶら下がる別の糸も掴み別の色に飛び込みむ。次は橙色だ。次の次が緑色。
 繰り返されて,糸は結ばれる。『大事な点』の一点に集まって行く。
 びったん!
 そう耳に聞こえれば,尻尾は上下に一度動いたようだ。それから慄く影は今も尻尾の近くで腰を抜かしている。




 それから天井も汚してしまった。床も勿論のことのなのだけれども。
 左指の痛みはもう左手の痛みになって,支える足にも疲れを感じ始めている。同じように,糸をかける九官鳥の壁にぶつかる勢いも,旋回して背後に飛び込む勢いも弱りは感じてしまう。息も絶え絶えなのかもしれない。でも用意した十本の糸は『大事な点』に繋がって,最後の一本が残っている。
 最後のその色は何回目かの黒で,一面真っ白な壁に一番嫌われている色のように思えてた。九官鳥の本来の色に,混ざり合わずに残っていたカラフルな色の部分も巻き込まれて単色のまま,九官鳥は疲れに見失っていた力を見つけ直して塊のようにぶつかって高々と旋回をする。一本だけ多く糸を結んでいた薬指がまた付け根から失くなったように感じて,たたらを踏んで踏ん張る。ひっくり返りそうになるのは九官鳥の飛び込む勢いに,妙な『求心力』が生まれつつあるからだ。そこの裏事情も暴くような,壁を一面ごと引っぺがしそうな。
 二回三回と九官鳥が回って,やっぱり自然に糸が切れれば,左手首に戻って来る九官鳥は枯れそうな鳴き声で人真似はしない。それでも「おかえり,ご苦労さん。」と言葉にする。
 いつものことで,いつものようにだ。
 ここから室内はただ『大事な点』に集中している。ペーパーフックにかかっている糸がそうさせているというのもあるのだけれども,内側に迫り出している尻尾は壁の内側から高まる期待を抑え切れないように『大事な点』に向かって動き出そうとしている。九官鳥の身体どころか,どちらの手の平も洗えてはいないけれどもギチギチと,妙な『求心力』と糸が事の終わりを始めようとしているから,急がなきゃいけないのはこっちの方だ。九官鳥と一緒に,向かうべきところに向かわなければ行けない。
 構えは解かずとも疲れは隠さずに,浴室の前においていたスポーツバッグごと浴室のドアを開けて雪崩れ込むように入り込む。ドアは軽く開いて助かった。そのためにそう設えてあったかのようだった。
 し忘れたことを思い出し,振り返るように一度顔を出したそこでは,外の廊下へと通じる,部屋の開いたままの玄関と外壁に挟まりながら隙間からこちらの様子を窺っていた影たちがその暗がりから,他人事のように何が起こるのかを楽しみに待っているようだった。けれどもその背後に回収人が立っていることに気付いていない。そして回収人も影たちを気にすることなく玄関を勢い良く閉めた。午後の晴天の中,日陰なしでどうやって過ごすというのだろうか。
 九官鳥は「関係ない。」を繰り返し始めた。
 軽く開いたから軽く閉まるはずの,室内の浴室からまた一度出てから九官鳥と一緒に尻尾の表面をひと撫でした。頼まれていた一言だ。
「いっぱい遊んで,遠慮なんて要らないよ。」
 疲れごと,浴室にまた雪崩れ込む。軽く開いたままの浴室のドアはやっぱり軽く閉まった。
 いつも思うのは,フライドチキンを好きな恐竜がいてもいいだろうということだ。部屋の真ん中にそれが置かれれば,隠れていた壁の裏から壁自体を打ち破って現れるような恐竜だ。一目散にフライドチキンを食べて,ついでにその時の部屋にあるものの中で食べられそうなもの,そしてその口に合いそうなものを口にする。そのやり方は勿論個体の性格によるのだろうけれども,尻尾が壁にくっ付けられているような無邪気な恐竜であるなら,対象に対して慎重になる。人で言えば一歩一歩というような気持ちで齧り出すことを始める。本能で,その中心部分(首から胴体というような,生命の要となるところ)をまずはひと齧り,それからふた齧り,息の根を止めない程度に留める。それから足,例えば手,下顎なんてところも器用に齧り出すかもしれない。何せ恐竜は,その体長と比較して,とても小さなフライドチキンを好んだりするものなのだから。
 ガスの給湯器はスイッチを入れたままだと連絡を受けていたとおり,『お湯』を示す蛇口を捻ればお湯がきちんと出てきて,浴槽の底からゆっくりとお湯が張られていく。埃一つ浮かばないのはとても交換が持てる。九官鳥は洗面台の淵で休ませて,スポーツバックから買ったばかりの入浴剤を取り出す。泡が出るタイプで,桃の香りがするそうだ。楽しみにその時を待つ。まずは九官鳥の身体を労わるように洗うことから始める。触れれば,羽も一枚一枚がペンキで固まっているのが居たたまれなくなって,いつものように力付くで洗うことを躊躇った。このままじゃいけないことも分かっているけれども,そのまま進めるのも,派手にやった今回はすんなりと出来ない。九官鳥は「構わないよ。」と言ってから,「良かった。良かった。」と『良かった。』のニュアンスを,一度も変えずに声にした。傷もない右手で,その羽全体を尻尾にしたように撫でてから,羽を毟り取るぐらいに力を込めて身体を洗った。専ら暗い色で,室内に取り付けられている洗面器の排水口に汚れた水が流れていく。羽は毟れたりはしていないけれど,可能性は消えないだろう。扉の向こうで,壁を一面引っぺがす音がして,恐竜のような足音が部屋全体を覆うように。
 綺麗になればいいようにと,洗面台で洗うことを繰り返せば,ドンドンと叩く迷惑な音が聞こえてくる。まるで腰を抜かして『逃げ損ねた』何かの影が,中に入れろと言っているようだけれどもそれは無理な相談で,九官鳥の汚れも幾層もの色を重ねていたある一色が解きほぐされたように,山場を超えて急に落ち始めたところだ。それにお湯も十分に張りだした。もう一息で,水蒸気に曇りつつも鏡にも写っている浴槽に入れる。開けてる暇なんて無い。それに家族みたいに触れ合う恐竜がいるとすれば,お風呂が好きで堪らないだろうから入って来られても,お湯が無くなり困るところだ。お風呂はゆっくりと一人で,たっぷり味わい気分もある。
  



 
 買って来た入浴剤は正解で,その香りにその身も綺麗になった九官鳥も楽しんでいるような様子を足を引っ掛けた浴槽の蛇口の上で浮かべてる。ドンドンという音もすっかり消えて(代わりに大きな爪跡が残っているけれども),部屋も随分と静かになっている。もう何も居ないような雰囲気は,浴室の壁伝いじゃ気のせいかもしれない。あと二十秒数えたら,お風呂を上がることにする。
 バスタオルまで持参していたから余すところ無く体を拭いて,ドライヤーを持って来なかったので髪は濡れたままで浴室のドアを軽く開ける。床一面には破片が散っていて,かけた糸でペーパーフックと『大事な点』を結んでいた壁一面が裏側を表に見せて引っくり返っている。その引っくり返り方は見事なもので力強く一気に行われたような接合部分の剥がれ方だ。まるで裏側に潜んでいた巨大な生き物に,一気にされたような感じが残る。それは恐竜じゃないかもしれないけれど,内側に迫り出している壁の一部分で遊び疲れたようにゆっくりと,地面を『箒で掃いてる』仕草を見せながら眠ろうとしている。砂埃はそれに合わせて舞って,くしゃみを一度してしまったのだ。お風呂上りからすぐに掃除をしたくなる。
 黒の塊もそこかしこに散っているのは,気のせいなんかではないのだろう。砂のように細かく散ったものから,まるで甘噛みされて振り回されたかのようにとある箇所が纏まって残っているところもある。丁度いい大きさのものから探して,それから丁度いい硬さのものを拾い集めて手に取る。匂いは無いけど重みがあるのは,不思議と言えば不思議なのだろうけれども掬い取れるもの自体が居ないのだから実際はこんなものなのかもしれない。ブレスレットにする不都合はそこには無いだろう。指輪にする気は,今のところも無いままだ。
 壁があったときには裏側になっていたはずのそこは空き室のはずの隣部屋になっていなくて,一面だだっ広い花畑とおまけのような畑が人の手によって耕されていた。日当たり良好なその地面に影を落とさないその人に,大きな声で何を育てているのかと聞いてみた。残念ならが小松菜でなく,丸々としたキャベツだそうだ。何個か貰っていくかという親切な提案を丁寧にお断りして,そこら辺の花は摘んで行ってもいいかと聞いてみた。許可は得ていないのか?と聞き返されて,その許可は得ていないと答えた。その人は少しばかり手を休めて考えては,首に巻いたタオルで汗を拭く。その規則が三回済んだところでその人は好きにしたらいいと言ってくれた。最後の大きな声でお礼を十分に言ってから,そこに足を踏み入れて花を眺めて見る。どれもカラフルでどれも綺麗だ。だからまず決めるのは花瓶だろう。摘むのはそれから悩み出す。




 一輪にするか,それとも種類複数の花束か。
 

practice(14)

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  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-10-24

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