月汀の君に乞う

一 燦と香彌

 神代の終わり、四方(よも)を珊瑚の海に取り囲まれた島嶼群に天上より双子の女神が降り立った。
 姉妹神によって興された、闇と死を司る太母神を祀る国の名を伊玖那見(いくなみ)、あるいはイゥナムヤという。いずれも、幾百幾千の波が打ち寄せる海の果てという意味だ。
 国を開いた姉妹神はそれぞれ海を渡ってきた稀人(まれびと)を夫に迎え、生まれた娘らも同様に稀人とのあいだに子を儲けた。姉妹神の血筋は稀人の男たちと交わりながらひとつの王統となり、半神半人の血を継ぐ娘たちの多くは太母神の恩寵たる金色の浄眼と巫術の才を持って生まれてきた。
 中でも、とりわけて優れた眼と才を持つ娘が巫王(ふおう)として玉座に就き、祭政(まつりごと)を掌握した。時代が下り、いまでは巫王は大神女(ウルエィタ)、巫王の世子は稚神女(トゥナエィタ)と呼び習わされている。
 (さん)は当代の大神女の娘だ。周囲からは生まれた順番にちなんで二の姫宮と呼ばれることが多い。
 若くして即位した母王(ははみこ)は放埒で、異国の賓客のみならず官吏や(げなん)でもひと目見て気に入れば柱の陰に引きずりこんで事に及ぶような女人だった。おかげで子宝には困らず、燦を含めて七人の子女を儲けた。
 異父きょうだいのうち、ふたりは乳児のころに(はは)なる女神の身許へ召された。無事に長じたのは兄の玖晏(くあん)、姉の多由良(たゆら)、燦、妹の香彌(かぐや)、弟の石緑(せきりょく)の五人。
 男子である玖晏と石緑は、そもそも王位継承権を持ち合わせていない。姉宮の多由良は生来の異能が弱く、加えて蒲柳の質があるため、早くに世継ぎ候補から外れていた。
 ゆえに、いずれ稚神女の座には燦と香彌のどちらかが就くという暗黙の了解が王宮内に出来上がっていた。
 燦たちの世代は嫡流以外にも巫者たる神女(エィタ)として申し分のない才覚を持つ娘に恵まれた。太母神の賜物だと喜んだ母王はこれぞと見込んだ庶流の媛を王宮に召し上げ、燦や香彌といっしょに王統の神女としての教育を施した。
 幼いころより同じ宮で寝食をともにし切磋琢磨してきた義姉妹たちは、燦にとって異父きょうだいとはまた違った絆を感じる存在だった。大神女の養女という身分に甘んじることなく、常に慎ましく分をわきまえ、次代の稚神女を支えて国を守護するという使命をよくよく理解していた。
 それは燦も同様だった。
 一歳しか違わない異父妹の香彌は、母王を除けば王宮で最も高貴な浄眼を持っていた。宵告げの星が輝く黄昏の(そら)――その美しさを閉じこめた金橙色の両眼は、彼女に与えられた闇の女神の加護がいかに篤いものであるかをまざまざと見せつける。
 才ある神女であればあるほど、香彌の目を見た瞬間に彼女こそが次代の稚神女にふさわしいと思い知らされる。跪いて忠誠を誓い、いずれ来る香彌の治世で力を尽くせる喜びに身を震わせた。
 義姉妹のだれもが香彌を崇拝し、心酔し、思慕していた。燦は彼女らのようにあからさまではないけれど、国にとっても自分にとっても香彌を特別だと認識していた。
 香彌よりも色味の淡い、烟るような金色をした瞳は、片割れのような異父妹を(たす)けるために太母神がお与えになったに違いないと確信していた。疑いなど微塵も抱かずに。
「燦、ねえ燦。かか様がおまえに縁談を持ってきたというのはまことなの」
 夕餉前の自由時間。(へや)の寝台で腹這いになって簡書を広げていると、不機嫌そうな足音を立てて香彌が入ってきた。
 金環を巻いた足首までまっすぐ流れ落ちる白銅色の髪、白珊瑚のような薄紅色を透かす膚。清婉な美貌はどこか浮世離れした儚さを漂わせている。
 寝物語に登場する白珠の化身、あるいは北方の地に降るという雪の精のごとき少女は、裳裾がまくれるのもかまわず両脚を広げて燦の背中に跨った。
「ぐっ……おい、香彌! 重い重い、降りてくれ!」
「断る! わたしの質問に答えるほうが先!」
「ちょ、飛び跳ねるな! 胃の腑が飛びでっ……〜〜わかったわかったから! ひとまずおとなしくしてくれ!」
 寝台の上で騒いでいると、年配の(げじょ)が火の点いた手燭を持って入室してきた。
「姫宮方、御前を失礼いたします」
 にこにことほほ笑ましげに声をかけられ、ふたりは決まり悪く寝台の上で座り直した。
 薄橙色の火屋に覆われたランタンに火が灯ると、滲むような光が室内に広がった。燦は目が眩むような感覚に顔をしかめ、白茶けた睫毛を忙しなく瞬かせた。
 姉妹とはいえ種違いのせいか、燦は香彌とまったく似ていない。
 うなじでひっつめた砥粉色の髪は細かくうねり、火あかりに照らされた肌は椰子の実のような褐色に艶めいている。すうっと鼻筋の通った顔立ちは、少女というよりも少年めいた中性的な涼やかさを匂わせていた。
 小柄な香彌よりも上背があるため、ふたりが並ぶといっそう燦は男性的に映った。とはいえ、年ごろを迎えた体つきはすっかり女らしいものだったが。
 婢が退室すると、香彌はぷうと頬を膨らませた。
「燦のせいで恥ずかしい思いをさせられた。謝れ」
「……すまなかったな」
 燦はため息まじりに謝罪した。
 十四にもなるというのに、この異父妹ときたら癇癪持ちの童のようだ。三の姫宮、次期稚神女として表に立つときは神秘の具現のごとく楚々と振る舞うくせに、日ごろは行儀悪く足を組んで厨からくすねてきた果実にかぶりついたりしている。
 香彌は寝台に寝転がると、鮮やかな金橙色の瞳をじとりと据えた。
「それで、先の質問の答えは?」
「まことだよ」
 香彌の体の下敷きになる前に簡書を救出し、読みかけの項に栞を挟んで巻き直す。
 窓際の机の上には簡書や書誌が積み重なり、小高い山々を成していた。どれも異国の商人から手に入れた舶来品だ。
 手前の山の頂きに簡書を置き、燦は椅子を引いて腰かけた。
 背凭れに寄りかかって寝台の香彌へ向き直る。
「十五にもなったというのに情人のひとりやふたり囲わないとは情けないと嘆かれてしまってな。最近王宮に出入りしている客人(まれびと)の中から、母上のお気に入りを幾人か紹介された」
「つまり、かか様のおさがり(・・・・)ということ?」
 香彌は臭いものにでも遭遇したように鼻の頭に皺を寄せた。
 遠慮のない言い様に思わず笑ってしまう。母王のことは尊敬しているが、男癖の悪さばかりは許容しがたいらしい。
「母上も、さすがにそこまでお人が悪くはないさ。王女の婿がねとして好ましい相手を見繕ってくださったんだよ」
「もう会ったの?」
「いや、まだだ。時間を作ってひとりずつ話をすることになった」
「それで、よい男がいれば婿を取るの?」
 黄昏色の瞳が射るように睨んでくる。
 燦は椅子から立ち上がると、香彌の隣にごろりと転がった。
「そうだな。だれかしらを選んで、契りを交わして子を作らねばなるまい。母上の先視(さきみ)で、われらの次の世代では神女の才を持つ者が減るとわかっているからこそ尚更に」
 王統に生まれる神女の数は一定ではなく、世代によってばらつきがある。
 母王の占は外れない。自分たちの子の世代が神女に恵まれないというのは確定事項だ。
「もともと男系には神女が生まれにくい。お体の弱い姉上は出産に耐えられまい。となれば、次にお鉢が回ってくるのは(われ)だ」
 燦はゆるゆると腹を撫でた。
 薄く平べったいこの中に男を迎い入れて子を宿すことを想像しても、いまひとつぴんと来ない。
 自分も香彌と同じく母王の色好みは受け継がなかったようで、初潮を迎えても男遊びを覚えようという気にはならなかった。
 母系社会の伊玖那見では産みの母の血統が重視される。婚姻の制度は存在するものの、市井でも上流階級でも一妻多夫や重婚は珍しくない。
 性におおらかな風土は王宮にも根付いている。子を産めるようになった王女が出自を問わず恋人を作ることは公然と認められていたし、歴代の大神女には常に複数の王配が存在した。とりわけ母王はその相手が多いだけなのだ。
 腹を撫でさすっていた右手に、香彌のてのひらがひたりと置かれた。
 身を起こした香彌が覆い被さるように顔を覗きこんでくる。
 長い髪が流れ落ちる。白銅色の帳の下、金橙色の()が燃えていた。
 なんと気高く美しい光だろう。夜の森林を統べる山猫の女王のようだ。
「王統を途絶えさせないために、燦は子を孕んで産むの?」
「それが王女の務めだからな」
「莫迦莫迦しい」
 香彌は怒りをこめて吐き捨てと、異父姉の手の甲に爪を立てた。
「それではまるで家畜の交配ではないか。おまえの夫になる男も、生まれてくる子も憐れだ」
「心配しなくても、夫も子も愛するように努力するさ」
「嘘つきめ」
 手の甲の皮膚に爪が食いこむ。燦は眉をひそめ、左手を香彌の頬に伸ばした。
 大陸渡りの陶磁器を思わせる雪膚を指の背でなぞる。香彌の睫毛がふるりと揺らいだ。
「嘘も吐き続ければ、そのうちまことになる」
 燦は薄く苦笑し、敷布の上で首をひねった。
「吾が多くの子を生せば、(なれ)家畜の交配(・・・・・)に煩うこともあるまい。まあ、ひとりふたり夫は迎えねばならぬだろうが……気長にこれはと思う男を見定めばいい」
「戯け!」
 香彌は燦の右手を容赦なく引っ掻いた。手の甲の皮膚が抉れ、痛みとともに血が滲む。
 香彌の指先から赤い珠が滴った。口唇に落ちた雫を舐め取ると、錆臭い味がじわりと広がった。
 連綿と受け継がれてきた双子の女神の血は、色も味も徒人と変わらない。奇妙なものだとつくづく思う。
 この身に流るる血の価値は十二分に承知している。しかし燦にとって最も重要なのは、同じ血を分けた異父妹の存在だ。
「わたしを言い訳に使うな、莫迦者め」
 香彌はくしゃりと美貌を歪めると、燦の胸に折れ伏した。
「たやすく子を生すだなんて言うな。お産で体を損なったり、命を失ったりすることもあるのに。子どもだって……無事に生まれるとは限らない」
「何か先視したのか?」
「違う。おまえの特別扱いに心底うんざりしているだけ」
 燦は天井を見上げ、少しのあいだ思案した。
 香彌の背中に両手を回そうとして、右手の甲の傷が目に入った。白銅色の髪を血で汚すかもしれないと気が引けたので左手だけで抱えこむ。
「吾は姉上よりも頑健だから心配はいらないよ」
 香彌はむっつりと黙りこんでしまった。
 すっかり臍を曲げた異父妹の機嫌をどうやって取ろうかと考えながら、燦は瞼を閉じた。
 香彌の頭皮から、汗と、彼女が好んで使っている柑子の香油の匂いがした。華奢な体はあたたかく、腕に抱いていると眠気を催してきた。
 まるで童のころに返ったようだ。うとうととまどろむ燦の耳が、恨めしそうなささやきを拾う。
 ――どうして大人にならなければいけないの……
 未来に怯えているようにも聞こえる声に、燦は気づかぬふりをした。
 彼女もまた、同じ問いを胸の奥に抱えこんでいたから。

二 燦と蘇芳

 (あずまや)の窓辺で緑陰が揺れている。
 禁中である内郭の外れ、庭園の樹々に埋もれるようにぽつんと建つ大陸風の亭は、読書や午睡をするにはもってこいの場所だ。天がよく晴れた日には書物と敷布を持ちこんで暇を潰す。
 昼餉を済ませた燦は、備え付けの長椅子に敷布を引いて行儀悪く寝転んだ。
 簡書を開き、栞を挟んでおいた項目から読みはじめる。今日の午後は予定がなくなったので、分厚い簡書も存分に読み進められそうだ。
 香彌は母王から呼びだしを受けて不在だ。客人に得意の舞を披露するように頼まれたらしい。
 伊玖那見は呪術と同様に歌舞音曲が盛んな国だ。国祖である双子の女神はそれぞれ芸能と巫術を司り、巫覡や呪師(じゅし)のみならず才に恵まれた芸能者が数多い。
 特に諸国を巡業する旅回りの女芸能者たちは旅女(ウロ)と呼ばれ、他国の情報を国元へ持ち帰る間諜のような役割を担っていた。
 伊玖那見は海上交易の要所として栄えてきた歴史を持つ。
 北西には幾多の国が勃興と滅亡をくり返す龍骸(ルガイ)大陸、北東には広大な島国・七洲(しちしま)。南洋には息吹(いぶき)の海と呼ばれる多島海が広がっている。
 海を隔てているとはいえ、この国は常に大陸の列強や七洲の脅威に晒されている。ゆえに伊玖那見は藩王国と自称し、恭順と友好を示す外交戦略によって独立を保ってきた。
 異国の貴人を王宮に招いてもてなす慣習もその一環だ。王女でなければ当世随一の舞手として名を馳せたに違いないと舞踊の教師に称賛された香彌の舞は、母王のとっておき(・・・・・)である。
 あいにく燦は舞も歌も不得手で、かろうじて大陸渡りの月琴を爪弾ける程度だ。しかし市井で好まれる月琴は、宮中での迎賓には不向き楽器である。
 という訳で、客人をもてなす場に燦が呼ばれることはまずない。なぜか香彌は不服らしく、舞を終えて宮に戻ってくると必ずと言っていいほど機嫌が悪い。
 異父妹の機嫌を直すために今夜は何曲弾かせられるのだろうかと考えていると、不意に窓の外が翳った。
 緑の窓帷(カーテン)の下、木洩れ日を弾いて金糸の束が光る。上背のある人物の肩を流れ落ちる頭髪だ。
 燦は眉をひそめ、敷布から起き上がった。
「何者ぞ」
 鋭い誰何に窓の外の人物が身動ぐ。亭の戸口の前へ進みでると、跪いて頭を垂らした。
「突然のご無礼をお許しください」
 穏やかだが張りのある声が流暢な伊玖那見語で告げた。端々に大陸訛りがある。
龍爪(ルソウ)半島の璃摩(りま)国より参りました、通詞の珪蘇芳(かい すおう)と申します。こたび、二の姫宮に貢物を献上したく参じました」
 燦はひとつ瞬いた。母王が差し向けた見合い相手だ。
「面を上げることを許す。近う」
「失礼いたします」
 蘇芳と名乗った男は顔を伏せたまま亭の中へいざった。
 近くに来ると、逞しい長躯の持ち主だとよくわかった。こざっぱりとした大陸風の官服を纏い、青金のような緑色を帯びた金髪を一本に編んで垂らしている。
 蘇芳の頭がゆるりと持ち上がった。
 二十代前半だろうか。面長の(かお)は、伊玖那見人ほど浅黒くはないが日に焼けて精悍な印象だ。
 やさしげな線を描く眉と口元が声音どおりの温厚さを加味している。
 燦の視線が男の双眸に吸い寄せられた。
 銀碧(ぎんぺき)――明度の高い青緑に、銀色の光沢が波飛沫のように散じている。夏の海原の色だ。
 童のころ、浜辺に打ち上げられた玻璃(ガラス)の破片を思いだした。波に洗われて角が丸くなった玻璃片は透明な翡翠玉のようで、なんとも美しかった。
 蘇芳の視線が簡書に留まった。
董和(とうわ)国の詩歌集にございますね。私は鄭岑(ていしん)という詩人の、四季の月を詠んだ詩が好きです」
「……さて。伊玖那見は常夏の国ゆえ、吾は夏の夜の海を照らす月しか知らん」
 燦の返答に蘇芳はほほ笑み、大陸東方語で詩の一節を吟じた。
「『月汀に立ちて孤独を知り、いまは遠いあなたがなお恋しい』――伊玖那見の月を見上げると故国が懐かしく、夏海(なつうみ)の月を詠んだ鄭岑も斯様な心中だったのだろうかと思いを馳せてしまいます」
「然様に生国が恋しいのならば、長逗留はせぬほうがよいのではないか? 貢物を受け取る代わりに舟を用意してやろう」
 蘇芳の表情に苦笑いがまじる。
「お恥ずかしながら、帰る家のない身の上なのです」
「ふうん?」
「私には腹違いの兄がいるのですが……幼きころより庶子の私を疎んじ、跡目の立場を奪うのではないかと常に疑われてまいりました。そのようなつもりは更々ないと幾度も訴え、少しでも認めてもらいたいと勉学に励みましたが――」
 瞬きの狭間、神女の浄眼が蘇芳の過去を捉えた。
 暗い小房(こべや)の中、真白く浮かび上がる窓辺に男が佇んでいる。
 そのひとの背中は固く閉ざされた岩戸のように自分を拒絶し、どんなに呼びかけても振り向いてはくれない。
 ――哥々(あにうえ)……
 伸ばしかけた手が宙を彷徨う。
 影に塗り潰された男が乾いた声で吐き捨てた。
 ――呼ぶな。
 ――俺を呼んでくれるな。
 ――出ていけ。俺がおまえを殺す前に。
 ――金ならいくらでもやろう。好きなところへ行って、好きに生きろ。二度と戻るな。
 ――俺の手の届かないところまで、逃げおおせろ。
 男の両手は拳を作り、小さく震えていた。
 かすかな金臭さ。握りこんだ指のあいだから血が滴り落ちる。
 ――俺に、弟を殺させるな。
 泡沫が弾けるように幻影が消えた。
 蘇芳は過去視に気づいた様子もなく、淡々と言葉を続けた。
「兄が跡目を継いで間もなく、遊学という名目で勘当されました。最初は途方に暮れましたが、せっかくならば見聞を広めようと思い立ち、通詞として生計を立てながら諸国を旅してまいりました」
「……そして、わが国へ?」
「はい。雇い主の供をして参内した折、大神女直々にお声をかけていただきました。姫宮方に異国の話を聞かせて差し上げるようにとのおおせで」
 詳しく聞くと、当初は姉の多由良の話し相手を務めていたそうだ。
 病弱で引きこもりがちな異母姉の無聊を慰めた功を買われ、燦の婿がねとして白羽の矢が立った。
「一の姫宮から、二の姫宮はなかなかの読書家と伺いまして。でしたら、ぜひこの品を献上したいと……」
 蘇芳が懐から折りたたまれた絹布を取りだした。手の上に置いた絹布を丁寧に広げる。
 燦は思わず「ほう」と声を洩らした。
 絹布の中身は幅広の紐のような三本の織布だった。色とりどりの糸を使い、草花や鳥獣を意匠化した模様が刺繍で描かれている。
 書籍に挟むにちょうどよい長さだ。燦は指先を顎に添えた。
「布製の栞か?」
「然様にございます。紙は貴重な上、劣化してちぎれてしまいます。草花は風雅ですが、虫や汚れがつきやすい。金属製のものは丈夫ですが、頁に癖がついたり錆で書籍が傷んでしまったりします。ですので、私は布製のものを愛用しております」
 燦は一本の栞を手に取った。目にも鮮やかな刺繍をなぞると、栞の持つ記憶が脳裏に流れこんでくる。
 紫石英を砕いて散りばめたような黎明の天。
 しらじらと聳える大山脈。
 荒涼とした平原を渡る風の匂い。
 獣脂の火影に照らされた天幕の中、俯いて針仕事に打ちこむ少女の横顔。
大龍(ダァル)の背骨のむこう――大陸の西側のものか」
「よくおわかりになられましたね。これは西方人の商人より買いつけた品です」
 蘇芳は感心して様子で目を丸くしている。
 気が抜けるほど素直な男だ。あらゆるものを見通す神女の浄眼を前にして、萎縮も緊張もしない人間は珍しい。
 ――悪い男ではなさそうだ。
 燦は読みかけの簡書に栞を挟むと、絹布ごと残りの栞も受け取った。
「気に入った。さっそく使わせてもらおう」
 蘇芳はにっこり笑って拱手した。
「光栄にございます」
 両目を眇めて男を注視する。言葉にこめられた感情に偽りは見当たらない。
 燦はくちびるを舐め、声を低めて告げた。
「ひとつ釘を差しておくが、次の稚神女は吾ではない」
 蘇芳が不思議そうな顔をする。
「稚神女の夫、いずれは王配にと望んで吾との縁談を受けたのであれば、早々に断ったほうが汝のためだ。わが母の世継ぎは異父妹の香彌とすでに決まっている」
「然様にございますか」
「しかし、わが妹は王家の至宝。その婿君は香彌がその目で見定めたおのこでなければならぬ。仮に香彌との縁談を望むのならば、あれが汝を見出すまで精進することだ」
 燦の警告に、蘇芳は困ったように首を傾げてみせた。
「おそれながら、私は姫宮がご案じなさっているような野心は抱いておりません。王配の身分にも……その、あまり興味はなく」
「……そのようだな」
「こたびのお話も、大神女のご命令ゆえにお受けいたしました。姫宮がお望みであれば謹んでこの身を捧げる所存ですが、お断りいただいてもまったく不満はございません」
 どこまでもまっすぐなまなざしに、燦は得心が行った。
 燦に選ばれようと選ばれまいと、蘇芳にはなんら重要ではないのだ。
 いちばん大事なもの、かれの心は故国に残してきてしまったのだから。
 燦は吐息をこぼした。そこには安堵と共感がこもっていた。
「汝の月は璃摩にあるのだな。いまも昔も――この先も」
「はい」
 蘇芳はあえかに笑んで首肯した。
 ある意味、かれと自分は似た者同士だった。最も愛するもののほかに心を揺さぶられることはなく、情が湧いたとて手放しても惜しくはない。
 燦にとっての香彌のように。蘇芳にとって、異国の月を見上げて想うひとこそ唯一無二なのだ。
 ――この男ならば……
 王女の夫として分をわきまえ、子が生まれたら善良な父親となってくれるだろうか。妻としても母としても役不足な燦を赦してくれるだろうか。
 燦の願いはただひとつ、玉座に就いた香彌の王佐として生きること。

 この日、燦は運命の相手とめぐり会った。

三 燦と多由良

 燦は数週間ぶりに異母姉の多由良を見舞った。
 鳶色の髪と象牙色の肌、あっさりとした顔立ちの姉宮は父親の血が濃く出たのか、隣国の七洲人に近い風貌をしている。垂れ目がちな双眸は鼈甲に似た金菊色で、神女の異能を持っていることを示してるものの傍系の義姉妹たちよりも視る力は弱い。
 幼いころは多由良も同じ宮で起居し、ともに神女の鍛錬に励んでいた。長じるにつれて病がちになると、母王の計らいで奥殿(後宮)の片隅に建つ小さな第舎(やしき)を与えられ、そこで暮らすようになった。
 第舎には主人が好む茉莉花(ジャスミン)の香油の匂いが常に立ちこめている。今日はひと際強く鼻腔を刺激し、燦は眉をひそめた。
 鼻が利く香彌ならばあからさまなしかめっ面で、最低限のご機嫌伺いを済ませて一目散に立ち去るに違いない。
 ――もっとも、彼奴が姉上の第舎を訪うことなどないに等しいが……
 異母姉と異母妹は仲睦まじいとは言いがたい。
 相性が悪いのか、多由良は二番目の妹に対してよそよそしく、香彌も長姉には冷淡な態度で接するのだ。
 ふたりとも燦や兄弟とは問題なく交流している。おかげで異父きょうだい全員が揃うと、必ず燦が姉妹の仲介をせねばならない。
 案内役の老齢の婢を追いかけながら、燦は密かにため息を噛み潰した。
「姉上、燦にございます。お体の加減はいかがですか?」
 多由良の居室に足を踏み入れると、茉莉花の香りがむっと濃くなった。
 思わずむせこみそうになり、すんでのところで堪えて咳払いでごまかす。
 日避けの窓帷が下ろされた室内はぼんやりと仄暗い。多由良は窓辺に置かれた寝椅子にしどけなく凭れかかり、窓帷の隙間から射す光の帯を凝視していた。
「姉上?」
 近づいて再度声をかけると、思いだしたように瞬いて振り向いた。
「ああ……燦、来てくれたのね。ごめんなさい、考えごとをしていて気がつかなかったわ」
 多由良は笑みを浮かべて起き上がった。ゆるやかにうねる巻き毛が痩身を覆い隠すように流れ落ちる。
 燦は手招きに応じて多由良の隣に腰を下ろした。
「またお痩せになられましたか? お顔が小さくなったような気がします」
「そうかしら……? ここしばらく暑い日が続いていたから、あまり食事が進まなくて……」
 儚くほほ笑む異母姉の手をそっと取ると、十七の娘盛りとは思えぬほど筋張って皮膚ががさついていた。痛ましさを覚え、細い骨が浮いた手の甲を撫でさする。
「母上にお願いして、喉通りのよい果物などを多く用意していただきましょう。医女が煎じた薬は飲めていますか?」
「ふふっ……燦は昔から心配性ね。ありがとう、薬はちゃんと飲んでいるわ」
 多由良はやんわりと燦の手を押し返した。
「失礼いたします。お茶をお持ちいたしました」
 婢が茶器の載った盆をしずしずと運んできた。
「ありがとう」
 寝椅子の前の小卓に玻璃の茶壺(ティーポット)と茶碗、湯入りの土瓶を並べると一礼して退室する。
 茶壺の中には木の実のようなものがひとつ、ころんと転がっていた。よく見ると、植物の葉や根小さく丸めた毬とわかった。
 立ち上がった多由良は茶壺へ土瓶の湯をゆっくりと注いだ。
「珍しいお茶をいただいたのよ」
 湯に沈んだ毬がふわりとほどける。細い葉が広がり、茎が伸び、白い花が開いた。
 燦は両目を丸くした。
「これは――大陸の工芸茶ですか?」
「ええ。よい香りでしょう? 茉莉花のお茶なのですって」
 多由良は蒸らした茉莉花茶を茶碗に淹れ、にこにこと差しだした。
 ……正直、香油の匂いに紛れてしまい、せっかくの香りもほとんどわからなかったが、燦は「まことですね」と笑顔で受け取った。
「香りや味わいだけでなく、目でも楽しめるとはすばらしいですね。どなたからの贈り物ですか?」
「蘇芳殿よ。わたくしが茉莉花の香りが好きだと話したら、わざわざ大陸渡りの商人から取り寄せてくださったの」
 多由良は自分の茶碗を手に座り直し、うっとりと香りを堪能している。
「もう蘇芳殿にお会いした? 母様から見合いを命じられたと聞いたわよ」
「はい。先日、顔合わせを。とても教養のある御仁ですね。大陸の文学にもお詳しく、興味深いお話を聞くことができました」
 燦の言葉に、多由良は一瞬動きを止めた。
 金菊色の瞳が弧を描く。
「蘇芳殿を気に入った?」
 燦は小さく唸った。
「……夫として迎えるならば、悪い御仁ではないと思いました。野心どころか地位や権力に興味がない様子で、吾は稚神女にならない身だと告げてもいっこうにかまわないと」
「母様は、まだ世継ぎを指名していないわよ?」
「香彌以上に次代の大神女にふさわしい者はおらぬでしょう。それに、吾は彼奴と稚神女の座を争うつもりは微塵もありません」
「わたくしからすれば、あなたもじゅうぶん稚神女に足る力を持っているわ」
 多由良の声にひやりとしたものがまじる。
「香彌は確かに異能はずば抜けているけれど、まだまだ童じみたところがあるでしょう。気ままで、気に入らないことがあるとすぐ臍を曲げるし……その点、燦は思慮も慈悲も深いから、為政者に向いていると思うのよ」
 燦は苦笑して頭を振った。
「姉上は吾を買い被りすぎですよ。それに、香彌も齢を重ねれば相応に落ち着くでしょう。即位は遅くなるかもしれませんが、幸い母上はお元気でいらっしゃいますし――」
 コン、と硬い音が響いた。
 茶碗を卓上に置いた多由良は、口元から笑みを消して燦は睨めつけた。
「傲慢な振る舞いは控えなさい、燦」
「……傲慢とは?」
「稚神女を決めるのは大神女である母様よ。母様が明言されないうちから香彌が次の稚神女だと吹聴するのは、母様を軽んじる行いではなくて?」
 異母姉の指摘に口をつぐむ。多由良は大仰にため息をついた。
「わたくしは神女としては劣っているけれど、一の姫宮と呼ばれる娘としての自負はあるわ。だから言わせてけれど、あなたの欠点は自分を卑下してまで過剰に香彌を引き立てるところよ」
「吾は別に卑下してなど……」
「端から見ていて気分が悪くなるの。まだ香彌のほうが、自分こそが次の稚神女だと口にしないだけわきまえているわ」
 多由良が香彌を褒めるなど相当だ。燦は俯いて「申し訳ありません」と呟いた。
「母上を軽んじる意図など、まったくなかったのです。ただ――吾は単純に、香彌こそが選ばれるのだろうとばかり……」
「……確かに、あの子が稚神女になると思っている者が多いのは事実。でも、ほかならぬ王女であり稚神女候補であるあなたが決定事項のように言いふらすのはよくないわね」
「はい……」
 悄然と頷くと、多由良の空気が和らいだ。
「あなたに縁談が持ちこまれたのだから、そろそろ母様もはっきりされる頃合いでしょう。正式に決定するまで、もう少し言動を控えるのよ?」
 そろりと顔を上げると、異母姉はやさしく笑いかけてきた。
 同じ宮で暮らしていた幼少期、香彌と喧嘩をするとこんな顔で穏やかにたしなめられたものだ。あのころは香彌も多由良に懐いていて、燦と揃って「ねえさま、ごめんなさい」と素直に謝ることができた。 
 いつからふたりは互いに遠ざかってしまったのだろうか。
 いいや――大人になればなるほど多由良は燦に対しても距離を取り、彼女が引いた一線を踏むことを許してくれなくなっていった。
 妹たちとの異能の差が明らかとなり、健康面でも問題が生じた多由良は、周囲から腫れ物のように扱われた。それは多由良の疵となり、いまでは深い溝と化して姉妹間に横たわっている。
「姉上」
 焦燥に駆られて呼びかけると、多由良は不思議そうに首を傾げた。
「もう怒っていないわよ?」
「それは……よかったです」
 新しく茶を淹れ直しながら、多由良はくすくすと喉を鳴らした。
「それにしても意外だったわ。燦が縁談に前向きだなんて」
 燦は両目を伏せて茶碗のふちをいじった。
「少しでも早く、ひとりでも多く子を生すことが吾の役割だと思ったのです」
「まあ。香彌が癇癪を起こしそうな台詞」
「当たりです……」
 多由良は小卓に頬杖をつき、金菊色の瞳で燦の顔を覗きこんだ。
「わたくしや香彌のために、望まない縁談を引き受ける必要はないのよ?」
「ですが、だれか選ばなければ母上はお許しくださらないでしょう。その点、蘇芳殿ならば合理的で理想的な結婚生活を送れると感じました」
「愛がなくてもかまわないと?」
「ええ。蘇芳殿はお国に大切な方を残されてきたそうです。その方以上に愛されることも、愛する必要もないと最初から割り切っているから、気楽でいい」
 燦はへらりと笑った。
 多由良は眉宇を曇らせ、そっと嘆息した。
「あなたはやさしいのに、不器用な子ね」
 異母姉の声は憐れんでいるようにも、詰っているようにも聞こえた。
 燦は茶碗に残った茉莉花茶を飲み干した。
 冷めた茶はひどく苦かった。

四 石緑と香彌

 石緑が水盤を覗きこむと、中性的な容姿の少年が真鍮(かな)色の瞳でまじまじと見つめてきた。
 頭を斜めに傾ぐと、肩の上で切り揃えた同色の髪が椰子の実色の頬をくすぐる。飛び抜けた美しさは持ち合わせていないが、ふっさりとした睫毛にふちどられた両目や珊瑚色の小さめなくちびるには愛嬌があると思う。
 まだ喉仏の目立たない細い首。華やかな女装束を着て化粧をすれば、じゅうぶん妓女見習いの少女として通じるだろう。
 掻き上げた髪を耳にかけ、水盤に浮かんでいたありあけかずら(アラマンダ)の花を挿してみる。
 左右を確かめてうんうん頷いていると、水面に映る自分の後ろに影が差した。
「……何をしている」
「香彌ねえさま」
 振り返ると、三番目の異父姉が呆れ顔で立っていた。
「また王子宮を脱けだしてきたの? おまえももう十だろう。そろそろ慎みを持たないと、女官たちに閉じこめられるぞ」
「今日はかかさまに呼ばれたので、大丈夫ですよ」
 にっこり笑ってみせると、香彌は小さく鼻を鳴らした。そのまま立ち去るかと思えば、近くの柱に寄りかかって腕を組む。
 ふたりがいるのは母王の御座所である正殿と奥殿をつなぐ透廊だ。透廊の端には陶製の水盤が置かれ、鮮やかな黄色のありあけかずらが飾られている。
 水盤の前にしゃがみこんだ石緑は、両膝を揃えて抱え直した。
「ねえさまも、かかさまに呼ばれたのですか?」
「……うん」
 香彌にしては歯切れの悪い返事だった。白銅色の髪に取り巻かれた美貌は物憂い表情を浮かべている。
 石緑は水盤に指先を伸ばした。常夏の陽射しをたっぷり吸いこんだ水は温い。
 浸した指で水面を揺らすと、自分の顔がぐにゃりと歪んで違う像を結んだ。
 樹々の緑に覆われた亭で和やかに談笑する男女。砥粉色の髪の少女は二番目の異父姉である燦、珍しい青金色の髪の青年は見知らぬ異人だ。
 大陸風の官服から察するに、数多いる母王の食客のひとりだろう。人が好さそうな顔をしているが、銀碧の双眸は凪の海のように掴みどころがない。
 青年と向かい合う燦は、彼女の得意な月琴を奏でていた。
 母王や自分たちきょうだい――家族にしか聞かせなかった音色を赤の他人に披露している。その意味するところに、石緑はくちびるを引き結んだ。
「盗み見はやめろ」
 香彌が短く吐き捨てる。水面の鏡像がふっと掻き消えた。
「あれが燦ねえさまの見合い相手ですか?」
「……そう。璃摩から来た通詞」
 香彌の面には苛立ちが滲んでいた。組んだ腕にきつく爪を立てている。
「よろしいのですか? 香彌ねえさま」
「何が」
「遠からず、燦ねえさまはあの男を夫に迎えますよ。華燭を挙げたら、燦ねえさまを外へ連れだすことは難しくなります」
 燃え上がる黄昏の天に似た金橙色の瞳が石緑を射抜く。
「燦の天命は国の外にはない」
「まだ決まっていないのでしょう?」
 異父弟の問いに、香彌は力なく頭を振った。
常夜大君(ティダウフージェ)が定めたからこそ、かか様は燦に子を生ませようとしているんだ」
 あきらめと嘆きがこもった答えに思わず口をつぐんだ。石緑の肩にずしりと現実がのしかかる。
 濡れた指先から水滴が落ちて水面を叩く。真鍮色の浄眼を凝らしても、石緑には未来が視えない。
 直系王族には時折、常夜大君――太母神の恩寵たる金色を瞳に戴いた男子が生まれてくる。神女にはなれないが、成人して臣籍に下り、祭祀を司る祝官や占いに特化した卜占官として仕官する場合が多い。
 石緑は遠視(とおみ)――離れた場所で起きている出来事を視ることに長けていた。水を介せばより遠くまで感知できるが、それだけだ。
 稚神女候補に目される異父姉たちの足元にも及ばない。しかし、男に生まれたからこそ自分にはしがらみがない。
 ――最も強く貴い浄眼を授かった香彌は、両目を抉り取ってしまいたいと石緑にこぼしたことがある。
 神女の定めが憎い、と。
「香彌ねえさまは、燦ねえさまといっしょに遠くへ行きたいと望んでいらしたのではないですか?」
「国が嫌いなわけではない。わたしは大人になりたくなかっただけだ」
 香彌は俯いた。白銅色の髪が帳となって横顔を覆い隠す。
「ただの香彌でいたかった。ただの燦の隣で、いつまでも童のまま……」
 香彌と燦はまるで比翼の鳥のようだ。
 互いに片翼と思い合い、肩を並べて歩くふたりの姿はだれが見ても当たり前で、輝かしい未来の予感に胸が躍る。
 以前は石緑も周囲と同じく香彌が世継ぎとなり、燦が王佐の神女としてその治世を支えていくのだろうと思っていた。
 だがここ半年あたり、香彌が張り裂けそうなまなざしを密かに燦へ向けていることに気づいた。
 ――どうしてそのように哀しげなお顔をされるのですか?
 あるとき何気なく尋ねると、香彌は瞠目して固まり、ぽろりと涙をこぼした。
 予想外の反応に狼狽する異父弟に、彼女は弱々しい声で打ち明けた。
 ――夢を視た。わたしの天命と、燦の天命を。
 ――まだ不確かな未来だ。でも、わたしの視た夢が現になるとしたら……燦と離ればなれになってしまう。
 ――どうすれば夢を夢のままで終わらせらる? いっそ神女の定めを投げだしてしまえば虞れる必要がなくなるのか……
 夢視の内容を事細かく口にすれば現に近づいてしまう。だから石緑は何も質問できなかった。
 少しでも香彌の夢視が外れるように願いながら今日まで来た。
 嗚呼、けれど――
「わたしの天命は、伊玖那見にはない」
 いままでけして言葉にしなかった夢視の結果を、香彌は断言した。
 金橙色の瞳が持ち上がり、ここではないどこかへ向けられる。
 石緑は唾を飲んだ。
「それは……」
「次の稚神女はわたしではなく、燦だ。そして、玉座を継いだあいつの傍らにわたしの居場所は存在しない」
 ざあッと風が透廊を吹き抜けていく。
 水盤の水面が波立ち、花々が荒海に揉まれる小舟のように右往左往する。石緑は水中に傾きかけた花を掬い上げた。
「かかさまのお話は……常夜大君のご神託だったのですね」
「そうだ。常夜大君は稚神女に燦を指名し、わたしがかつて視た夢が現になるとおおせられた」
「それはどのような夢なのですか?」
 香彌は石緑へ振り向いた。金橙色の瞳が帝王玉(インペリアルトパーズ)のごとく燦く。
「天から燃え落ちた星を孕む夢だ」
「星?」
「わたしは父祖の縁をたどって七洲へ渡る。その地で子を儲けて神女の血を残す。子か孫か、何世代後かは定かではないが……いつかわたしの目を受け継いだ娘が生まれてくる」
 その娘こそ香彌が孕んだ星の化身、闇の女神の先触れたる乙女なのだという。
「乙女は常夜大君の導きにより、真に神代を終わらせるための旅に出る」
「神代を――終わらせる?」
「ああ。疾うに終わっているはずの神代はいまも続いている。呪いのように」
 太母神は呪いを断ち切ることを望んでいる。その宿願を果たさなければ、途方もない災禍が起こるのだと香彌は語った。
 石緑は唖然として異父姉の話を聞いていた。異父弟の表情に、香彌は片頬を歪めて笑った。
「より具体的な内容を口にすると災禍の影を呼んでしまうかもしれない。わたしの天命に、おまえを巻き添えにするわけにはいかないからな」
「……ぼくの天命も、伊玖那見にはありませんよ?」
 石緑は先刻母王から承った『頼まれ事』について説明した。
「卜占官長の占で、七洲でも大陸でもよからぬ(・・・・)ことが起こりつつあるという結果が出たそうです。かかさまが常夜大君にお伺いしたところ、遠視の得意なぼくを間諜として国の外へ遣わすようにというお答えがあったと」
「おまえが間諜?」
「はい。妓女見習いに扮し、旅女の一座に紛れて出国する手筈になっています」
 香彌は何か言いかけ、中途半端に開いた口を結んだ。金橙色の双眸が石緑を注視し、そっと伏せられる。
 先視で石緑の行く末を確かめたのだろう。少しでも穏便な旅だとよいのだが。
「まだ童のくせに」
「童だからこそおなごに化けられますし、他国の者にも怪しまれずに済みます。ぼくは幻術はからきしですから、成人を待っていては女装が難しくなってしまいます」
 母王からは数年かけて諸国を探って来るよう言いつかっている。帰郷できるのは五年後か、十年後か。
「それでいいのか、石緑」
 石緑は掬い上げた花から水気を払い、先ほどとは反対側の耳の上に飾った。
「ぼくも伊玖那見の巫覡の端くれですから、妣なる女神の思し召しとあれば従いますよ。それに、窮屈な王宮暮らしより密命を帯びた諸国放浪のほうがわくわくするでしょう?」
 にんまり笑ってみせると、香彌はため息を洩らした。
「わたしもともに行く」
「え?」
「どうせ旅女は七洲も回るんだ。慣れないひとり旅より、事情を知る一座と行動したほうが心強い」
 それに、と呟いて香彌はようやく屈託のない笑顔を覗かせた。
「おまえが羽を伸ばしすぎて厄介事に嘴を挟まないよう、見張る必要がありそうだ」
「……そんなあ」
 異父姉の表情に、石緑の肩から強張りが解けた。
 もしかしたら母王は最初から姉弟をまとめて旅女たちに託すつもりだったのかもしれない。だとしても、香彌自身から同行を申しでてくれたことは思いのほか嬉しかった。
 ――七洲にたどり着いたら、おそらく今生の別れになる。
 途端に胸を締めつけられた。
 七洲まで同行できる自分には心の整理をつける猶予がある。稚神女に選ばれた燦は国を離れるわけにはいかない。
「香彌ねえさま。燦ねえさまにこのことは―――」
「わたしから伝えるとかか様に申し上げた。出国の日が決まったら、話す」
「もっと早くお伝えしなくてよいのですか?」
 香彌は形のよいくちびるでいびつな笑みを作った。
「忘れたふりをしていたい。あと少しだけ……いつもどおりのわたしたちでいたいんだ」
 石緑は何も言えず、手元の水盤に視線を逃がした。
 風が吹くたびに水面がさざめき、花の小舟が滑る。
 ふと鏡像が乱れ、違う場所の光景が形を結ぶ。
 浮かび上がったものを確かめた石緑は息を呑み、気色ばんで香彌を呼んだ。
「ねっ……ねえさま!」
 香彌が怪訝そうに水盤へ近づく。
 金橙色のまなざしが水面に向かうと、一瞬で凍りついた。
 彼女の様子に、石緑は水盤に映しだされた光景が幻ではないと理解した。虚脱感に襲われ、その場にへたりこむ。
「愚か者め」
 怒気のこもった罵倒を吐き捨て、香彌は足早に踵を返した。ほっそりとした白い脚を飾る金環がけたたましく鳴り響き、まっすぐ奥殿を目指す。
 長姉の多由良の第舎へ向かったのだ。自分もついていかなければ。
 力が入らない膝を叱咤し、なんとか立ち上がる。髪に挿した花をむしり取った。
 ちぎられた花びらが透廊に落ちた。風に吹き散らされ、やがて跡形もなくなった。

五 燦と蘇芳

 大神女の客人として王宮に招かれた異人には、内廷のはずれにある異人宮(いじんきゅう)に専用の房が用意される。異人宮は大陸風の瀟洒な殿舎で、人の出入りが多いせいか常に賑やかだ。
 しかし、この日の異人宮は無人のようにひっそりと静まり返っていた。
 日ごろは透廊の寝椅子や中庭の木陰でくつろぐ客人たちの姿を見かけるのに、全員揃って房に引きこもっているらしい。行き合う(げなん)や婢の表情も硬く、けして目を合わせないように床に額をこすりつけて燦に道を譲った。
 燦はかれらにかまわず、裳裾を蹴立てて蘇芳の房を目指した。
 目的の房は日当たりのいい南向きに位置している。房付きの奴の案内で寝所に通されると、蘇芳は寝台の上で医女の診察を受けていた。
「二の姫宮!?」
 髪をほどいた寝衣姿の蘇芳は慌てふためき、寝台から下りて平伏しようとした。
「通詞殿、安静の身ということをお忘れなきよう」
「しかし……」
「おやさしい二の姫宮は病人を床に這いつくばらせるような無体は強いたりいたしませぬ」
 老齢の医女はぴしゃりと蘇芳をたしなめると、臆さぬ目つきで燦を見遣った。
「姫宮も、よろしいですね?」
「ああ。無理はさせぬと約束する」
 童のころから世話になってきた医女には頭が上がらない。燦は苦笑して肩を竦めると、奴が運んできた椅子に腰掛けて蘇芳と向き直った。
使者(つかい)も出さず、急に押しかけてすまないな」
「いえ……」
 蘇芳は困惑を浮かべつつ、ちらりと医女に視線を向けた。
 医女は一礼すると、奴を伴って退室した。
 寝間に沈黙が落ちた。中庭から吹きこんでくる風に日避けの窓帷がひらひらと泳いでいる。
「無事でよかった」
 燦がぽつりと呟くと、蘇芳は青金色の睫毛をはたたかせた。
「ご心配をおかけして申し訳ございません」
「いや――謝らねばならぬのは吾のほうだ」
 苦い感情が喉を衝き上げる。燦は額を押さえて嘆息した。
「吾が婿にと望んだせいで、汝は毒を盛られる羽目になったのだ。浅慮だった。まさか……姉上が汝に懸想していたとは」
 第一王女・多由良による珪蘇芳の殺害未遂が起こったのは三日前のことだ。
 先立って、蘇芳は正式に燦の婿がねに決まった。単なる客分として燦以外の王女を訪ねるわけにはいかなくなり、最後にこれまでの礼がしたいという多由良からの招きを受けて彼女の第舎に赴いた。
 簡単な挨拶を述べたあと、かつて蘇芳が多由良に贈った茉莉花茶をすすめられた。痺れ薬が入っているとも知らずに飲み干した蘇芳は、椅子に座っていることもままならなくなって昏倒した。
 もがき苦しむ蘇芳へ、刀子(ナイフ)を手にした多由良が心中を迫った。
 ――あなたがわたくしのものにならないことは我慢できる。
 ――でも、わたくしではない女の、稚神女のものになるなんて……耐えられない。
 ――わたくしは、けして稚神女にはなれないのに。
 ――いつだって、だれもわたくしを選んではくれない!
 異父姉はほろほろと落涙しながら、笑っていたそうだ。
 たまたま遠視で多由良の凶行を察知した末弟の石緑と、かれとともにいた香彌が第舎に駆けこんだ。香彌は浄眼による暗示で多由良の意識を奪った。
 石緑がすぐに医女を呼んだおかげで、蘇芳は事なきを得た。
 一連の騒動は母王の知るところとなり、多由良は第舎に幽閉された。
 異能を全開にした香彌の浄眼に晒された多由良は、未だに意識が戻らない。生来病弱な肉体はみるみる衰え、このままでは命が危うい状態だ。
 しかし、母王は冷ややかにひと言、「捨て置け」とだけ告げた。
 ――次期稚神女の夫となる稀人を害する者は、もはやわが娘にあらず。
 ――治療は不要。死後は王女の身分を剥奪し、骸は埋葬せず海に流せ。
 燦が事態を把握したときには、すべてが終わっていた。
 香彌と石緑は精神的な消耗がひどいという理由で、当面の面会を禁じられた。
 呆然とする燦に、母王は太母神の神託によって彼女が稚神女に選ばれたことを宣告した。
 ――わが世子は其方(そなた)だよ、燦。
 ――なべて常夜大君の御心のまま。よく視て、よく働き、よく尽くせ。
 嘘だと叫びたかった。
 だが、燦の喉はひゅうひゅうと鳴るばかりだった。力なくうなだれ、拱手で受諾の意思を示すほかなかった。
「姉上は力こそ弱いが、先視の異能をお持ちだった」
「一の姫宮が?」
「ああ。いつかはわからぬが、おそらく視てしまったのだろう。吾が稚神女となり……汝が吾の夫となる未来を」
 多由良は稚神女になりたかったのだという事実は衝撃的である一方、どこか得心が行った。
 姉である自分を差し置いて稚神女候補に目される異父妹たちを疎んじていたのだ。予定調和で香彌が選ばれていたら、憎々しく思いこそすれど粛然と受け容れていただろう。
 しかし、多由良の浄眼が視た未来で稚神女の座に就いたのは燦だった。
 夫としてその隣に立つのは、想い人である蘇芳――
「……私にも原因があるかもしれません」
 蘇芳が重たげに口を開いた。
「それとなく一の姫宮のお気持ちに気づいておりましたが、何もわからぬふりをしていました。求められない限り、お応えする必要はないかと……」
「もしも姉上が想いを告げていたら、汝はその手を取ったのか?」
 尋ねながら愚問だなと思った。蘇芳は断るまい――燦の手を取ったように。
 蘇芳の口元に切ない笑みがのぼる。
「取るべきだったのでしょうか。しかし、いまの私は二の姫宮の夫となる身です」
 それがすべてだと、蘇芳のまなざしが語っていた。
 たらればを論じても過去は覆らず、多由良の凶行で蘇芳が命を落としかけた現実も変わらない。
「二の姫宮。……燦様」
 はじめて名を呼ばれて息を呑む。
 蘇芳は身を乗りだし、燦の目を見据えた。
「燦様の月は、三の姫宮なのですね?」
「……ああ」
 燦は乾いた笑みをこぼした。
「香彌こそが吾の月。闇の女神がしろしめすこの国を照らす、いつくしき吾の女王。そのはずだと……ずっと信じてきた」
「ですが、女神のご意志はあなたに下った」
「なぜだろうな。吾は彼奴の足元にも及ばぬというのに」
 蘇芳は言葉を探すようにくちびるを舐めた。
「女神のご意志は確かに重んじねばになりますまい。しかし、最後にお決めになるのはあなたです」
 なぜなら、とかれは続けた。
「ここは人の世、人の国にほかなりません。どれほど優れた異能を与えられようと、あなたも所詮は人。だからこそ、あなたの御心こそ尊ばなければ」
「伊玖那見は人の王が治める人の国、か」
「そうです。私は同じ人の、伴侶となる燦様の御心にこそ添いたい」
 燦は絶句した。
 蘇芳の目は、燦がいかなる選択をしようと――太母神の神託に背いて稚神女の座を放棄したとしても肯定すると訴えていた。
 かれは正しく稀人だった。
 伊玖那見の埒の外に在り、そこから燦に手を差しのべてくれる。王女の定め、神女の定めに雁字搦めになった燦に思いもよらぬ可能性も指し示してくれる、稀なるひと。
「ありがとう、蘇芳殿」
 燦は吐息のような声を洩らした。
「そのような戯言を言ってくれたのは汝だけだ」
「戯言、ですか」
「うん。いっとうやさしく、夢のような戯言だ」
 ほほ笑んで見つめ返すと、蘇芳は苦しげに眉をひそめた。
「戯言のつもりではありません」
「ああ。汝の言葉のおかげで、己が何者であるのか思いだせた。吾は伊玖那見の王女、常夜大君にお仕え申し上げる神女だ」
 胸に手を置き、燦は目を伏せた。
 香彌を愛おしく思う心に変わりはない。彼女が燦の女王となる日を待ち焦がれてきた。
 しかし、幼い夢と引き替えに伊玖那見のすべてを裏切れるほど、燦は自由に生きられない。
 まさしく身を引き裂かれたようだ。現実に打ちのめされて泣き喚く燦がいる一方、母王のごとく冷徹に世の移ろいを見定めんとする燦がいる。
 眼裏に焼きついた香彌の笑顔が眩い光に掻き消され、やがてこの両眼で見続けてきた伊玖那見の情景が浮かぶ。
 月琴の指運びのように血肉に染みついた故国への思慕を、いかにして捨てられようか。
「それ以外の道を選べば悔いしか残るまい。吾が守るべきものは香彌個人ではなく、この国なのだ」
「……燦様は、私の兄に似ておられます」
「汝の兄君に?」
 蘇芳は力を抜いた笑顔で頷いた。
「堅苦しいほど生真面目で、課せられた枠組みどおりに生きようとする。枠の外へ出ていくこともできるのに、愚直に己が役目を全うしようとする……そんな兄を、私はだれより尊敬していました」
 おもむろに蘇芳の手が伸ばされた。
 砥粉色の髪を払い除け、蛍石のように仄光る目のふちをそっとたどる。
「燦様がよろしいのでしたら、私は何も申しません」
「汝こそよいのか。稚神女の夫になるということは、この先も厄介事に巻きこまれ続けるぞ」
 蘇芳はきっぱりと断言した。
「かまいません。覚悟もなくあなたの御手を取ったわけではないのですから」
 燦は泣きたくなった。稚神女として、いずれ大神女として、できる限りこの良人(ひと)を守りたいと思った。
 蘇芳の手にてのひらを重ねる。
 窓帷を透かして射しこむ光に包まれて、青年はくすぐったそうに破顔した。

六 石緑と多由良

 緑碧玉(ジャスパー)のような深碧の暗闇に、光の珠がいくつも浮かんでいる。
 温かな金色の光はふわふわと漂いながら石緑を暗闇の裡へと誘う。少年の細い脚が深碧を踏むと、金色にきらめく波紋が広がっては消えていった。
 ――ここは夢の中だ。
 石緑が視ている夢ではなく、別のだれかによって視せられている夢だ。最初は母王だろうかと思ったが、どうにも感覚が違う。
 首を傾げながら歩き続けていると、茉莉花の香りが鼻先を掠めた。
 真鍮色の瞳が暗闇を注視する。深碧の紗幕のむこうから人影が近づいてくる。
 青白い素足が深碧を踏み、砂金のような波紋を生みだす。白い上衣と裳を纏った彼女が視界に現れると、石緑はキュッと眉毛を寄せた。
「――多由良ねえさま」
 異父弟に名を呼ばれた多由良は、あえかに笑んだ。
「夢の中にまで押しかけてごめんなさいね」
 鳶色の髪が水草のように揺らめき、青ざめた面が白らかに浮かび上がる。あまりの生気の乏しさに胸騒ぎがした。
 石緑が駆け寄ろうとすると、多由良は片手を伸ばして制止した。
ここ(・・)まで来てはだめよ。あなたまで妣なる女神に呼ばれてしまう」
「ねえさま……」
 呆然と立ち尽くす石緑に、多由良は目を伏せてささやいた。
「わたくしは報いを受けたのよ。いやしくも神女の端くれ、一の姫宮と呼ばれた立場でありながら、私心に振り回されて身を滅ぼした。わたくしは夜の食す国(ネィラエィラ)へ下り、魂に負った罪穢れを祓い清めなければ」
 石緑はうなだれた。
 母王の裁定により、死の床に臥した多由良は医女の診療を受けることも許されなかったという。そして……ついに命の刻限を迎えたのだ。
 眼窩の奥が熱くなり、石緑は眉間に力を込めた。
「このようなお別れはあんまりです」
「そうよね……本当にごめんなさい。あなたにまでつらい思いをさせてしまった」
「ぼくは! ぼくは……、……ぼくより香彌ねえさまのほうが、もっとおつらいはずです」
 多由良の凶行を止めるために異能を振るい、意識を失って倒れ伏した彼女に縋りついた香彌の叫びがよみがえった。
 ――ねえ様の莫迦! どうして……どうしてなの!
「燦ねえさまだって、きっと心を痛めていらっしゃいます」
「……あなたの言うとおり、香彌も燦もやさしい子たちだもの。心から悲しんで、わたくしを憐れんでいるでしょうね」
 多由良の声はどこか冷めていた。
 唖然とする石緑へ、多由良は激痛を堪えているように引き攣った笑みを見せた。
「あなたと玖晏が羨ましい。わたくしも男に生まれたかった」
「男に――ですか?」
「ええ。王子であれば、あなたのように浄眼を持っていても、玖晏のように浄眼を持たなくても、王女でいるよりも苦しまずにいられたと思うの。妹たちを憎まずにいられたはずよ」
 ぎくりと心臓が竦み上がる。
 多由良は烟るようなまなざしを暗闇に投げた。
「いつからかしら……燦のことも香彌のことも嫌いになったのは。昔はとてもかわいくて、大切で、やさしくしてあげたかったのに……いまはもう――」
 ふつりと言葉が途切れた。
 口を引き結んだ多由良は、両手で顔を覆った。
「いちばん嫌いなのはわたくし自身。異能も体も心も脆弱な、そのくせ矜恃だけは捨てられない、浅ましくてみじめなわたくし」
「ねえさま」
「何度この眼を針で突いて潰しまいたいと思ったことか。でも……できなかった」
 病みついて骨張った指のあいだから涙が流れ落ちる。
 水の珠が散るたび、小さな波紋が生じた。
「わたくしにはこれしかなかった。ろくな先視もできない眼だとしても、わたくしがわたくしでいるためには、これしか」
 多由良の両手がだらりと垂れる。泣き濡れた面からは表情が抜け落ちていた。
 虚ろな瞳がスッと石緑に焦点を定めると、多由良はようやく口端を持ち上げた。
「皮肉なものね。肉体から解放されて浄眼を女神にお返しして……とても気が楽になったの。あれほどしがみついていたのが莫迦みたいに」
 多由良の声に晴れやかさはなく、悲哀や苦悩を絞り尽くした末の疲労感が滲んでいた。彼女にとって生きることは苦痛でしかなかったのだと思い知らされ、石緑は言葉を失った。
 ……周囲と同じく、石緑もまた多由良の不幸を見て見ぬふりをしていた。
 彼女が抱いていた、燦や香彌に対する屈折した感情にも気づいていた。仕方がないことだと勝手にあきらめていた。
 そして、多由良を失った。
 こみ上げてきた涙を堪えきれず、石緑は肩を震わせた。
 多由良は困り果てた様子で、声を詰まらせて泣する異父弟を見下ろした。
「言ったでしょう、わたくしは報いを受けたのだと。燦も香彌も、ましてやいちばん幼いあなたは何ひとつ悪くないわ」
「なら……ならどうして、こんなにも胸が痛いのですか? こんなにも悲しいのですか?」
 爪が皮膚を食い破るほど両手を握りしめ、多由良に縋りつきたい衝動を抑えこむ。
 多由良は鳶色の睫毛を伏せた。
「傷ついたあなたの姿を見ることが、わたくしへの罰なのかしら」
 ため息のような声がささやく。
「石緑。あなたの夢を訪ねたのは、蘇芳殿への言伝をお願いしたいからなの」
「通詞殿に、ですか?」
「ええ。『巻きこんでしまってごめんなさい』と。それから……『燦をどうかよろしくお願いします』と、お伝えしてくれないかしら」
 石緑は涙を溜めた目で多由良を睨んだ。
「お断りします」
 腹の底で怒りが渦巻いている。最期の別れにすら想い人の名を出す多由良の身勝手さに辟易した。
「わざわざそんなことのために、ぼくの夢においでになったのですか? 信じられない! お伝えしたいのなら直接会いに行けばいい」
 多由良は静かに佇んでいる。それがますます腹立たしく、石緑は肩を震わせる。
「燦ねえさまと香彌ねえさまには何もないのですか? 詫びの言葉も、別れの言葉も、何ひとつ! それなのに通詞殿には燦ねえさまをよろしく頼むだって? ふざけるのもいい加減にしろ!」
 変声期前の怒鳴り声は虚しく深碧の暗闇に吸いこまれていった。
 石緑は力任せに目元を拭った。
「この夢のことは、生涯ぼくの胸に秘めておきます。燦ねえさまにも香彌ねえさまにも、通詞殿にもお話ししません。恨むのなら、ご自分の身勝手さを恨んでください」
 異父弟に罵られた多由良は――ほほ笑んだ。
 驟雨(スコール)が上がったあとの水溜まりを輝かせる仄かな陽射しのように、手を伸ばしてもすり抜けていってしまう。
「かまわないわ。現し世は生ある者のための中つ国(テューイーラ)。死せる者は去るだけ」
 光の珠がわっと舞い上がった。
 目が眩んで顔を背けると、多由良の気配が少しずつ遠ざかっていく。
「ねえさま!」
 とっさに叫ぶと、多由良の声が「もう恨みも(かな)しさもないの」とささめいた。
「現し世をさすらう潮水(うしお)とともに海の底の夜の食す国、(くら)き妣の国へと還りゆくだけ。その前に、わたくしの最後の先視を残していくわ」
「先視……?」
「ええ。確かに視たの――大神女となった燦の世継ぎ、いずれ稚神女の座を継ぐのは浄眼を持つ王子よ」
 石緑は呆然とした。
 神女になれない男子が世継ぎに選ばれるなどありえない……そのはずだ。
 多由良の声が愉しげに笑う。
「異端の巫女姫、埒外の稚神女。そんなものを戴く伊玖那見は栄えるのかしら、それとも滅びるのかしら。行く末を見届けられないことが残念だわ」
「なんて不吉なことを!」
「すべてはあなたたち次第よ、石緑。生ある者だけが未来を作り、世界を変えていける」
 多由良の言葉にハッと息を呑む。
 気配が暗闇に溶け去る寸前、多由良はこの上なくやさしい声で告げた。

さようなら(ウジャービルヤ)

七 燦と石緑

 王都・翠里(すいり)は、島嶼群で最大の規模を誇る那見大島(なみおおしま)の丘陵部に広がっている。
 螺旋状に張りめぐらされた石塁に沿い、瑠璃瓦の屋根と丹塗りの外壁をした家々が巻き貝のようなモザイク模様を描いている。頂きに聳える王宮からは、翡翠色の浅瀬に舟々が浮かぶ那見(なみ)(みなと)、深い群青に染まった沖つ海まで見晴るかせた。
 内廷を取り囲む石塁の上に立った燦は、風に巻き上げられた髪を片手で押さえた。
 蒼穹にのぼった太陽が海原を銀の鏡のように輝かせていた。波間をゆく舟の帆が潮風を孕み、ちらちらと白く明滅している。
 風の流れを読んだ燦は、片手に携えていたおおごちょうの花を放り投げた。
 真っ赤な花びらは高く舞い上がると水平線に散っていく。まるで蝶の群れが海のむこうへ渡っていくかのよう。
 ――大陸の遙か西方では、死者の魂は蝶になると言い伝えられているそうだ。
 伊玖那見ではそうではないと燦は知っている。先日亡くなった多由良の魂は、とっくに太母神が待つ夜の食す国へと旅立った。
 王女の身分を失った彼女の葬礼は執り行われず、亡骸は粗末な衣一枚で海に投げ捨てられた。幼いころから仕えていた老齢の婢が後追いしたらしい。
 母王の命により、多由良が暮らしていた第舎は取り壊された。人びとは最初からそこに何もなかったように目もくれず行き過ぎ、ようやく埋まった稚神女の位、そして婚約内定の吉報に浮足立っている。
 これは詮のない感傷だ。第一、自分からの手向けの花など多由良は喜ばないだろう。
 異父姉が沈んだ海を見つめていると、思いがけない声に呼ばれた。
「燦ねえさま」
 振り返ると、末弟の石緑が猫のような足取りで石塁を伝ってきた。
 燦はまじまじと石緑を凝視した。
 異父弟は裳を穿き、髪に赤橙色のぶっそうげ(ハイビスカス)の花を挿していた。薄化粧を施しているおかげで少女にしか見えない。
「石緑、その恰好はどうしたんだ」
「似合っていますか?」
「確かに似合っているが……」
 石緑は器用に石塁の上でくるりと回ってみせた。
「第二王子の石緑は、明日から遊学のため不在となります。ぼくは妓女見習いの緑玉(りょくぎょく)として旅女の一座とともに出国します」
「なんだと?」
 困惑する燦に、石緑は太母神の神託により国外の情勢を内偵する間諜の役目をおおせつかったのだと説明した。
「まずは七洲へ渡るつもりです。これからかの国は麻のごとく乱れ、世には怨嗟の声が溢るるに違いないとかかさまはおっしゃっていました」
「……わが国にも余波が及ぶだろうな」
「はい。降りかかる火の粉を払うためにも、内情を探るにはぼくの異能がうってつけですから」
 石緑は暇乞いにやってきたのだ。燦は苦いため息を洩らした。
「汝はまだ童なのに」
「香彌ねえさまにも同じことを言われました」
 聞き飽きたとばかりにうんざりした顔をして、石緑は肩を竦めた。
「童でも、ぼくは藩王家に生まれた巫覡です。妣なる女神がお望みならば、地の果てだろうと行くべきでしょう?」
 それに、と言葉を切り、少年は真鍮色のまなざしを海へ向けた。
「いかなる神託も、生かすも殺すも結局は人次第です。この世を回しているのは生きている人間で、未来を作り、ときに運命を覆すことさえできる。ならぼくも、与えられた異能(ちから)を振るって世界を回したい」
 燦は小さく喉を鳴らした。
「ねえさま?」
「似たような話を蘇芳殿としたんだ。伊玖那見は人の王が治める人の国。どれほど神託を重んじようと最後に決めるのは人の……王となる者の心だと」
 婚約者となった青年の顔を思い浮かべ、燦は瞳を細めた。
 毒の影響で蘇芳は未だに臥せっているが、徐々に回復しつつある。
 異父姉の表情を垣間見た石緑は、面白くなさげに眉をしかめた。
「燦ねえさまは通詞殿を好いておられるのですか?」
「人として好ましく思っているよ。だが、吾も蘇芳殿もお互いに恋情を寄せているわけではない」
 常夏の太陽に照らされた王都を見渡し、燦は石緑に笑いかけた。
「いっとう大切なもの、愛するものはそれぞれ別にある。お互いの心を尊重し、みだりに侵さず、よき夫婦になろうと決めたんだ」
「燦ねえさまのいっとう大切で愛するものとは、香彌ねえさまですか?」
 石緑は探るような口調で尋ねた。
 風がふたりのあいだを吹き抜けていく。燦はそっと睫毛を伏せた。
「――伊玖那見(この国)だ」
 眼下の光景を抱くように両腕を広げる。清々しい寂寥感が燦の胸を満たしていた。
「汝が外の世界で伊玖那見のために働くように、吾は国の中で伊玖那見に尽くそう。この眼で国を見つめ、慈しみ、守り抜こう。神と人をつなぐ巫王として」
 石緑は固く口を引き結んだ。
 かれもまた、かつては香彌が玉座を継ぎ、燦がその治世を支えていくのだと信じる者のひとりだった。ふたりの異父姉がどれほど分かちがたい存在であったか、よくよく知っている。
 だからこそ、燦が選べなかった未来を惜しんでくれているのだ。大神女の香彌と王佐の燦が並び立つ、永遠に訪れぬ栄光の日を。
 ――香彌は国を出ていくのかもしれない。
 自分や石緑に天命を示した太母神が香彌を放っておくだろうか。黄昏の浄眼を持つ、この世で最も闇に通ずる神女を。
 おそらく、香彌は疾うに啓示を受けているのだ。
 もしかしたら時期が早すぎて不確かなものだったのかもしれない。母王もそれを心得ていたからこそ世継ぎを指名せずにいた。
「香彌はどこへ行くのだろうな」
 石緑のまなざしが揺らぐ。どうやら香彌の針路を知っているらしい。
 燦は苦笑した。
「彼奴のことだ、煩わされたくないからと直前までそらとぼけているつもりなのだろうな。勝手……なのは、彼奴も吾も、姉上も同じか」
「燦ねえさまと香彌ねえさまは、多由良ねえさまとは違うでしょう。自分勝手なのは多由良ねえさまです」
 異父弟の口調はいつになく刺々しい。夜の食す国へ旅立つ間際、多由良の魂が異父弟の許を訪れたことはなんとなく感じ取っていたが、そこでどのようなやりとりがあったのだろうか。
 石緑はしばらく押し黙っていたが、重たげに口を開いた。
「多由良ねえさまが亡くなった日、夢でお会いしたんです」
「そうか」
「今際に先視をしたとおっしゃっていました。大神女になられた燦ねえさまのお世継ぎは……浄眼を持つ、王子だと」
 燦は瞬いた。
「なるほど」
「驚かれないのですか?」
「母上の先視で、吾らの後代には神女となれるほどの才覚を持つ女子が大きく減ると知っていたからな。仮初めか中継ぎか――いや、常夜大君に見込まれたのならば、その者は正当な巫王の世子なのだろう」
 多由良はどんな顔で最後の先視について語ったのだろう。だれよりも彼女を苦しめた燦を嘲笑ったのか、あるいは憐れんで嘆いたのか。
 どちらでもかまわない。燦の胸に湧くのは、ただただ多由良の魂が太母神の御許で安らかであるよう祈る気持ちだけだ。
 ――死者は過去となり、生ある者は時を刻み続けなければならない。
「よりよい形で伊玖那見を永らえさせることが稚神女となった吾の務めだ。世継ぎが男子であろうと、それが最善ならば答えは決まっている」
「慣例にないことでもですか?」
「案外、これまでにも男の巫王が立ったことがあるかもしれないぞ。対外的には女王とし、敢えて記録に残さなかったのかもしれない」
 伊玖那見の建国は神代にまで遡る。長い長い王統の系譜を紐解けば、王位の空白を避けるために即位した『女王』がひとりふたり存在したとしてもおかしくはない。
 そして次代に女系王族の娘を据えることで、神女の血を絶やさず引き継いできたのだ。まだ見ぬ燦の世継ぎもまた、そのような『女王』として歴史書に記されるのかもしれない。
「その子は母を恨むだろうな。ただの母として子を慈しんでやれぬ吾を」
 物寂しくほほ笑むと、石緑の表情が曇った。
「なぜ燦ねえさまが稚神女に選ばれたのかわかりました」
「ん?」
「燦ねえさまのお考えがかかさまにいちばん近いのです。情に流されず、国の益となるか否かで物事を見極め、わが子も手駒として見なせる……為政者の才能なのでしょう」
 多由良にも為政者に向いていると言われたことを思いだし、燦は片頬を歪めた。
「あまり嬉しくない才能だな」
 石緑は物言いたげな視線を向けてきたが、結局黙りこんだ。
 燦は異父弟へ向き直って両手を伸ばし、未成熟で華奢な肩に触れた。
「石緑は、吾を不幸だと思うか?」
 少年はふるりと頭を振った。
 燦は頷き、明るい真鍮色の瞳を覗きこんだ。
「吾も不幸だとは思わない。自分で決めた道だから、胸を張って歩いていける」
「はい」
 石緑はくしゃりと笑った。
「ぼくも、そのように生きたいです」
 燦は異父弟を抱き寄せた。石緑の両手が燦の袂を握りしめる。
 次にこの子を抱きしめられるのはいつになるのだろうか。
 異国の地で命を落とし、二度と伊玖那見へ戻ることもないかもしれない。胸が張り裂けそうなほど切なく、だが燦は止めてやれない。
 この国で祈り、この国を守り続ける。
「達者でな」
「ねえさまもお元気で。よき王におなりください」
「ああ――約束する」
 石緑を抱いたまま天を仰ぐ。
 目が眩むほど鮮やかな蒼穹に放りだされるような錯覚を抱いた。茫漠たる世界を矮小な人間の力でどれほど動かせるのだろうか。
 不思議なくらい虞れはない。燦は底光りする双眸で天を見据えた。

八 燦と香彌

 静かな夏の夜だった。
 月あかりに仄青く照らされた浜辺には波の調べだけが響いている。天高くのぼった満月が海原に白銀色の領巾(ひれ)をたなびかせ、星ぼしは砕け散った石英のように燦いていた。
 素足で砂を踏むと、滲みだした海水が足裏を濡らす。両脚にまとわりつく裳裾を絡げ、燦は波打ち際を目指した。
 月光を灯した薄絹の領巾がひらりと翻る。
 寄せては返す波を蹴り、少女が軽やかに舞い踊る。しなやかな四肢が閃くと、白銅色の髪と手にした領巾が美しい円を描いて宙に広がった。
 ――まるで天へ飛び立とうとする鳥のよう。
 香彌の舞は躍動感に満ち溢れている。それは生命力の発露であり、もがきながら何にも囚われずにあろうとする心の有り様でもあった。
 ふわりと領巾が大きく広がり、ゆっくりと垂れ落ちた。
 一曲舞い終えた香彌は呼吸を整えると、燦のほうへ振り返った。
 夜目にも鮮やかな金橙色の瞳がわずかに揺れる。
 強張った表情は、これが今生の別れになると察したからだろう。
 燦は苦笑まじりに声をかけた。
「いつになったら暇乞いに来るのかと待ちくたびれたから、こちらから出向いてしまったぞ」
「出立までには挨拶に行くつもりだった」
「あまり石緑に心配をかけるな。ずっと気を揉んでいる様子だったぞ」
 香彌はぷいと顔を背けた。
「あの子といっしょに発つのだろう? 道中、くれぐれも頼んだぞ」
「わかっている」
 決まりの悪そうな横顔を目に焼きつけながら、水沙(みなぎわ)の波線をたどって歩み寄る。
「国を出たら七洲へ向かうのか? 汝の父君は七洲の舟乗りだったな。水軍を率いる和多(わた)という氏族の出の」
「……ああ」
 香彌は短く頷いた。
「とと様は七洲へ戻られてから海で亡くなられたそうだが、和多の郷に親族がいるらしい。その縁故を頼ろうと思う」
「そうか」
 幼いころに幾度かまみえた香彌の父親を思い浮かべる。
 朴訥だが、水平線の彼方まで軽やかに飛んでいく渡り鳥のように飄然としたところのある御仁だった。狭い鳥籠にはとうてい収まりきらない香彌の気質は父親譲りなのかもしれない。
「七洲の海は、伊玖那見とはずいぶん違うのだろうな」
「……天の色も、水の色も、風の色も違う。珊瑚礁もない、冬になれば骨まで凍てつくように冷たいそうだ」
「ふうん。想像もつかないな」
 意識を北に向ければ、いくらでも遠視の術で垣間見える。だが実際に赴き、全身で感じる衝撃には及びもつかない。
 同じ景色を隣で見ることが叶わない寂しさに口を引き結ぶ。
 小さく頭を振って思考を切り替えると、燦は右手首に嵌めていた手環を外した。
「香彌――餞別だ」
 手環を放ると、香彌は慌てて両手で受け止めた。
「莫迦っ、落としたらどうするんだ!」
「すまんすまん」
 香彌は月あかりに手環を翳した。
「これは……翡翠か?」
「ああ。七洲で採れたものだそうだ。それを評判のいい工房に持ちこんで仕立ててもらった」
 乳色を帯びた翠緑に艶めく手環の表面には、伊玖那見に古くから伝わる魔除けの紋様が彫りこまれている。燦自ら呪力を込めた一級品の護符だ。
「汝は髪飾りは肩が凝るといって好まんだろう? 足環では重くて舞の邪魔になるかもしれんから、手環にしてみた」
 香彌は無言のまま手環を右手首に嵌めた。
 翡翠の手環は、白皙の繊手に誂えたように映えた。燦は思わず破顔した。
「思ったとおりだ。似合っているぞ」
「……わたしは何も用意していない」
 俯いた香彌は、固い声音で呟いた。
 気にするなと言いかけ、燦は口を閉ざした。首の後ろを掻き、残りの距離を詰める。
「香彌」
 小柄な異父妹の顔を覗きこむと、香彌は金橙色の瞳からぼろぼろと涙をこぼしていた。
「泣かせるつもりはなかったんだがなあ」
「莫迦。燦の莫迦」
 そっと抱き寄せると、香彌の背中が激しくわなないた。
 香彌は燦の肩に額をこすりつけて嗚咽を洩らした。
「いやだよ、燦。本当は行きたくない。おまえと離れたくない」
「……吾も同じ思いだ」
「でも――行かなければ。おまえが治める伊玖那見に、わたしの天命はないんだ」
 胸を衝く苦しさに、燦は歯を食いしばった。力の限り香彌を掻き抱く。
「吾は知らぬほうがよいのだろうな。汝の行く末を」
 香彌の頭がかすかに上下した。
「いまはそのときではないから、わたしの口からは言えない」
「そうか」
 ――燦は知る必要はないのだ。この先、心を傾けるべき対象は伊玖那見なのだから。
 己の領分を忘るるなと太母神に釘を刺された気分だ。
 ため息を噛み潰して天を見上げる。煌々と烟る夏の満月。
「月汀に立ちて孤独を知り――」
 異国の詩人が詠んだ詩の一節がくちびるからこぼれ落ちる。
 香彌が身動ぎ、燦の視線を追いかけて天を振り仰いだ。
「おまえがよく読んでいた書の詩か」
「ああ。夏の夜の海辺で独り月を見上げていると、遠国にいる想い人がよりいっそう恋しいという詩だ」
「それを詠んだやつは、ずいぶん女々しいな」
 詩情をばっさりと切り捨てる言い様に、燦は思わず噴きだした。
「手厳しい感想だな」
「そういうやつは、花が咲いても鳥が歌っても女々しい思いばかりめぐらせる。日がなうじうじしていて黴が生えそうだ」
 いよいよ堪えきれなくなり、声を上げて笑ってしまった。香彌が半眼で睨んでくる。
「おい」
「悪い悪い。ついおかしくて」
 燦は口元を押さえると咳払いをした。
「汝は蘇芳殿と気が合わなそうだな。蘇芳殿はこの詩がお好きらしい」
「……へぇ」
 香彌はパッと身を離し、裳裾が濡れるのもかまわず海の中へざぶざぶと入っていく。
 膝のあたりまで水に浸かって立ち止まり、月を背にして振り返った。
「なあ、知っているか? わたしたちの名は同じ意味を持っているんだ」
「同じ?」
「『燦』は大陸の言語で鮮やかな輝き、『かぐや』は七洲の言語で光が耀うような美しさを意味するそうだ」
 燦は瞬いた。
 大陸人の実父がつけたこの名は、燦々と陽射しが降り注ぐ昼日中に生まれたことが由来だと聞いている。香彌の名も彼女の父親がつけたはずだが、七洲語での意味は初耳だ。
「まるで運命だと思った。わたしたちは陽となり月となり、互いを照らす半身なのだと」
 香彌の脚が勢いよく水を蹴り上げる。白い足首を飾る金環がしゃらんと音を立てた。
「燦はわたしの太陽だったよ。おまえが隣にいる世界は、目が眩むほど幸せだった」
 それはあまりに無邪気な、もはや過去形となった決別の告白だった。
 燦はいちど目を瞑り、吐息とともに言葉を押しだした。
「吾は、汝を月と思うている」
 香彌の動きが止まった。
 月あかりを背負った少女の面の中で、黄昏色の双眸が静謐に輝いている。何より美しいその光をいまこの瞬間、燦は永遠に手放した。
「いつくしき吾が君、わが女王と、汝を呼びたかった。吾の月は、二度とこの海にはのぼらない」
「燦」
「ゆけ、香彌。汝の道を、汝の天を、どこまでも。吾は月を失ったこの国を、命果てるまで守り通す」
 白銅色の髪が潮風に靡く。
 香彌は燦に向き直ると、白魚のような指で天を――月あかりに霞みながらも懸命に輝く星を指し示した。
「燦、星だ。月のない夜にも星は輝いている」
 目を瞠る燦へ、香彌は童のころのように笑いかけた。
「天から燃え落ちる星は地表に至る前に消えてしまう。けれども、消えずに地上までたどり着いたら、それはきっと意味があることだと思わない?」
「なんだ、それは。謎かけか?」
「いつかわかるさ」
 香彌の腕に絡んでいた領巾がするりと風に流される。
 追いかけもせずそれを見送り、香彌は晴れ晴れとした声で言った。
「いままでありがとう、燦。わたしはゆくよ」
「……ああ」
 燦はほほ笑んだ。
さようなら(ウジャービルヤ)わが姉妹(アーウトゥリ)
さようなら(ウジャービルヤ)わが姉妹(アーウトゥリ)
 香彌が別れの言葉をくり返す。異父姉妹はくすくすと笑い合い、戯れるようにささやきを交わした。
 ふたりで過ごした、少女時代最後の夜だった。

終 燦と卑流児

 だれかが肩に薄物をかける感覚に、燦は目を開いた。
 読書の途中で居眠りをしていたようだ。目頭を揉んで顔を上げると、ぼやけた視界に人影が映りこんた。
 眼裏に銀碧のまなざしがちらつく。
 最初の夫の名を口にしかけ、変声期前の幼い声に「おばばさま」と呼ばれてすんでのところで引っこめる。
「こんなところで眠ってしまったら、お風邪を召されますよ」
 瞬きをくり返すうちに、心配そうに顔を覗きこんでくる男の子の姿が浮かび上がった。
 くしゃくしゃとした砥粉色の癖毛と浅黒い肌、利発そうな銀碧の瞳。自分と最初の夫の特徴をうまい具合に受け継いだ孫息子をとっくりと見つめ、燦は口元に苦笑をのぼらせた。
「ああ――ありがとう、卑流児(ひるこ)。汝がこれを?」
 肩を包む薄物をつまんでみせると、今年で七つになる卑流児はこくりと頷いた。
「今日は風が強くて、木陰は冷えますから。書なら房の中で読めばよろしいのに」
「口うるさい医女のようなことを言ってくれるな。息抜きはこの亭でと昔から決めているんだ」
 燦は長椅子に座り直すと、傍らをぽんと叩いた。
 卑流児は恥じらいを隠すように口を引き結び、隣に腰かける。
「珍しいな。那岐女(なきめ)はいっしょではないのか」
 双子の弟の名を出すと、卑流児はぐっと眉間に皺を寄せた。
「ナキは母さまのおそばにいます」
「……そうか」
 燦は卑流児の頭をそっと撫でた。卑流児は黙って俯いていたが、しばらくするとぴったり身を寄せてきた。
 緑陰が風に揺れる。窓のむこうから懐かしい青年がいまにも現れそうな気がした。
 最初の夫――蘇芳が亡くなったのは三年前のことだ。
 かれとのあいだに長女の(らい)を授かったあとも、燦は慣例どおりにほかの夫を迎えて子を生した。蘇芳は燦の選択に何ひとつ口を挟まず、常に分別のある王配として振る舞い、娘を慈しんだ。
 十年二十年と重ねてきた治世の中、何度蘇芳の言葉に励まされただろうか。死の床に臥したかれを前にした燦は、途方もない喪失感に打ちのめされた。
 蘇芳は最期にひとつだけ望みを口にした。
 ――私の骸を荼毘に付し、残った灰を故国の海に撒いていただけませんか。
 ――懐かしいあの国の、あなたがおわす伊玖那見へと続く海に……
 燦は蘇芳の望みを叶えた。
 蕾の反対を押しきり、かれの故国へ向かう舟に遺灰を託した。以来、蕾はあからさまに母親を忌避するようになった。
 長女の現状を考えると、こめかみが鈍く痛んだ。
 蕾はこのひと月近く臥せっていた。原因は心の病――舟乗りだった蕾の夫が海に沈んだのだ。
 神女としては才能豊かな娘だが、依存心が強く、いちどのめりこむと極端に視野が狭くなる短所がある。童のころは父親の蘇芳にべったりで、婿の風速(かざはや)と出会ってからは頑としてほかに夫を迎えようとしなかった。
 かわいい娘には違いないが――世継ぎの器量ではない。
 もうひとりの娘、次女の砂羅(さら)は異能の強さこそ異父姉に劣るものの、王女としての分別と慧眼を持ち合わせていた。
 しかし、一年前に難産の末、産声を上げられなかった赤子とともに夜の食す国へ旅立った。
 砂羅は娘の(よう)をひとり遺していったが、その子は徒人同然だった。義姉妹たちの血筋にも神女になれるだけの才覚を持つ娘は片手の数ほども生まれず、亡き母王の先視は見事に的中した。
 次世代の中で最も優れた浄眼を持って生まれてきたのは、孫息子の片割れである那岐女だ。
 生後間もない赤子がようやく開いた両目を見た瞬間、この子こそ己の後継だと燦は確信した。
 鮮やかな翠緑に砂金の輝きを宿した瞳は、金色の夕陽に照り輝く伊玖那見の海のようだった。いずれ訪れる苦難の黄昏にこそ偽りの女王として、この国を負って立つ稚神女だと。
 ゆえに那岐女という女名を与えた。これも蕾との確執のひとつになってしまったが、燦に後悔はない。
「ねえ……おばばさま。死返(まかるがえ)しとはなんですか?」
 卑流児の問いかけに、はたりと瞬く。
 燦は片眉を跳ね上げた。
「どこでその言葉を耳にした?」
 一段低くなった祖母の声に卑流児の首が縮こまった。銀碧色のまなざしが忙しなく左右に揺れる。
 燦は卑流児の薄い背中を撫でた。
「別に叱ったりはしないさ。婆に教えておくれ」
「……母さまが」
 卑流児は訥々と打ち明けた。
「この前お見舞いに伺ったとき、母さまがうわごと(・・・・)のようにくり返していたんです。『死返しを』……って」
「そうか」
 頭痛がひどくなった。燦は顔をしかめて首を横に振った。
「死返しとは死人をよみがえらせることだ」
「死人を……?」
「ああ。死を覆し、死人を再び現世へ呼び戻す」
 卑流児は両目を瞠ると、ぎゅっと燦の袂を握りしめた。
「死んだ人間を……よみがえらせることができるのですか?」
 幼い孫息子の脳裏にだれが浮かんだのか、娘が夢うつつにだれの死返しを望んでいるのか、浄眼で視ずとも手に取るようにわかってしまった。
 燦は片頬を歪めて笑った。
「昔々、愛する妻に先立たれた男神が死返しを行おうとした。しかし、妻である女神本人がよみがえりを拒んだ」
「え?」
「女神は、地上に生きるものすべてに課した生と死の理を、理を定めた神が私欲によって破ることはまかりならぬとおおせになった。理を乱せばひずみが生じ、災いとなって跳ね返る。死返しには大きな代償が伴うのだ」
「代償……」
「それは人とて同じこと。たとえよみがえったとしても――その者は望まぬ苦難を強いられる」
 片手を卑流児の頬に伸ばす。追慕の念を揺り起こす色彩の双眸を覗きこんだ。
「汝の母にはそれでも取り戻したい者がおるのだろう。万にひとつ、あれが理を破ろうとしたら……吾は女神にお仕えする大神女として罰せなければならぬ」
 卑流児が息を呑んだ。
 燦は目を伏せた。孫息子たちが生まれたとき、浄眼を通じて太母神は神託を告げた。
 双子の弟は次代の稚神女となり、双子の兄は死返しによって(・・・・・・・)よみがえる(・・・・・)
 卑流児は若くしていちど死に、再び生を得る。その代償になんらかの欠損が生じ、かれは己の一部を永遠に失ってしまう。
 卑流児とはすなわち『蛭子(ひるこ)』、不具を表す名だ。長女夫婦には片割れの不足を補う(たす)けとなるように名付けたと伝えたが、本来はこの子の定めそのものだ。
 ただひとり、蘇芳にだけは打ち明けていた。孫息子たちの過酷な宿命を。
 燦の苦悩を分かち合ってくれた良人はもういない。長女の心は離れ、次女を喪い、孫たちすらこの手からこぼれ落ちていってしまう。
 なんという孤独。それでも、玉座から退くときはいまではない。
「ぼくが」
 卑流児が発した声に、燦は目を見開いた。
 孫息子はまっすぐ祖母を見据えて訴える。
「そのときは、ぼくが母さまの代わりに罰を受けます。だってぼくは藩王家の長子だもの。ナキのような眼を持っていないけれど、ぼくはナキと瑤の兄さまだから」
「卑流児」
「おばばさま。常夜大君に、どうか罰はぼくにお与えになるようお願いしてください。母さまは……ナキと瑤は見逃してあげて」
 いじらしい懇願に、燦は薄く笑んだ。
「汝はやさしい子だな」
 そっと抱き寄せると、卑流児は燦の胸にしがみついた。
「まこと、若宮の鑑よ。汝を見ていると異父弟を思いだす」
「大おじさま、ですか?」
「そうだ。十で間諜のお役目に就き、国のためによく働いてくれた。汝が生まれるずいぶん前に……伊玖那見に戻れぬまま命を落とした」
 石緑の訃報が届いたのは二十年近く昔のことだ。わずかな遺髪だけが旅女によって国元に帰ってきた。
 そして香彌も――遠い七洲で死んだ。
 異父妹の忘れ形見は七洲を統べる大皇(おおきみ)に嫁ぎ、双子の(・・・)皇女(ひめみこ)を産んで儚くなったそうだ。
 香彌の孫娘が生まれた夕べ、南の果ての天にひと筋の星が流れた。
 燦はすべてを悟った。香彌はついに天命を果たしたのだ。
 黄昏色の瞳を受け継いだ娘がいつの日か伊玖那見を訪れる。その傍らには、死からよみがえった卑流児がいるはずだ。
 ……いいや。立派な若者になったかれは、もはや卑流児ではない。
 風に揺れる木洩れ日のむこうに、精悍な体躯を持つ砥粉色の髪の少年を幻視する。かれは小柄な、艷やかな墨色の髪の少女を守るように寄り添っていた。
 少年の銀碧の双眸と、少女の燃えるような朱金(あかがね)の双眸が燦を見つめている。
 瞬くと、ふたりの姿は波打った光に掻き消えた。
「卑流児や。汝が何より守りたいものは、弟かえ?」
 祖母の問いに卑流児は口をつぐんだ。長い沈黙を挟み、こくりと頷く。
 燦は両手で卑流児の頬を包みこんだ。
「この婆が受け合おう。汝の望みは果たされる」
 卑流児はじっと燦の言葉に耳を傾けている。
 ひたむきな瞳は木洩れ日を吸いこんで輝いていた。死してなお消えぬ希望の光を守るために、己は生き永らえたのだ。
 卑流児の名はもうひとつ、『日の子』――太陽の子という意味を持つ。
 沈んだ太陽が再びのぼるように、卑流児は必ずよみがえる。
 月を失っても太陽を得た。その輝きを胸に灯し、燦は生きよう。
 この手で回し続けた世界の移ろいを、この眼を閉ざすときまで見届けよう。
「汝は汝のお役目を心して果たせ。どんなにつらくとも、その先にこそ未来がある」
「未来、ですか?」
「ああ。汝の、那岐女の、伊玖那見の――すべての未来だ」
 卑流児は口を引き結び、皺と老斑が浮いた燦の両手にてのひらを重ねた。
 決意を秘めた表情でにたび頷く。
「ぼくが守ります。だから安心してください」
 燦はほほ笑んだ。
「ありがとう、卑流児」



 ……やがて禁忌を犯した蕾は太母神の怒りに触れ、海に身を投げた。
 太母神は罪穢れを祓うため、卑流児を供犠として海に流すよう神託を下した。
 卑流児は泣き叫ぶ弟を振り切り、粗末な小舟に乗りこむと嵐の海に旅立った。
 嵐が去った夜明け、燦は夢を見た。
 生まれたばかりの朝陽に照らされた浜辺を、美しい女に手を引かれて男の子が歩いている。
 明けの月のように髪も肌も仄白い女が男の子に話しかける。男の子は銀碧の瞳に茫洋と女を映すばかりで、反応らしい反応を見せない。
 女は金橙色の瞳に苦笑を浮かべると、燦へ振り返った(・・・・・・・)
 ――この子の心はいちど死んだ。卑流児の記憶は二度と戻らない。
 ――でも、安心して。この子は新しい名を得て、息を吹き返す。
 ――わたしの良人によく頼んでおいた。いつか孫娘を連れて伊玖那見へ向かう日まで、しっかり育てるように。
 女は男の子をやさしく抱擁する。
 女の胸に頬を寄せた男の子は、乳を飲んだ赤子のように満たされた表情で目を閉じた。
 ――温かいなあ、燦。
 ――この子はおまえの命とつながっている。懐かしいわたしたちの海の匂いだ。

 わたしの燦。ずっと愛しているよ。

 真白い朝陽に包まれて、燦は目覚めた。
 眦に溜まった涙がこめかみを伝い落ちる。
 明けの月の名残を眼裏に留めるように、静かに瞼を閉じた。
「ああ――永遠に、汝が恋しい」

月汀の君に乞う

月汀の君に乞う

珊瑚の海に浮かぶ島嶼群から成る藩王国・伊玖那見。闇と死を司る太母神を信仰し、呪術が支配するこの国では、世継ぎである稚神女が空位のままだった。第二王女の燦は候補のひとりだが、彼女には異父妹の香彌こそが世継ぎになるという確信があった。香彌の治世で力を尽くすことを待ち望む燦。しかし運命の波濤は、思わぬ未来へと少女を押し流していく――古代アジア風・架空王朝ファンタジー。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2025-04-16

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  1. 一 燦と香彌
  2. 二 燦と蘇芳
  3. 三 燦と多由良
  4. 四 石緑と香彌
  5. 五 燦と蘇芳
  6. 六 石緑と多由良
  7. 七 燦と石緑
  8. 八 燦と香彌
  9. 終 燦と卑流児