黄泉比良坂考(よもつひらさかこう)=帰れなかった男の話
八王子から多摩川を渡り、あきる野市に抜ける街道筋に「七曲り峠」がある。
滝山丘陵が多摩川の河岸段丘に落ち込むけっこう急峻な峠道だ。
有名な「日光いろは坂」のようにクネクネと折れ曲がり、平成の末に大改修されるまでは名前のとおり7つの急カーブがあった。
この道はネットでも話題になっていて、かたわらに寺があり、かなりでかい墓地が峠に沿って展開するため、
「真夏の夜中にそこを通ったら浴衣を着た人がたくさんいて、祭りでもあったのかと思って通り過ぎたら、忽然と消えうせた」
などという話が拡散されていた。
周囲は物寂しく鬱蒼としていたから、そのような怪談が作られたのだろうが、改修後は道幅も広げられ、カーブも3ヶ所程度になって、明るく近代的な峠道に変化したため、そんな話も消えうせたようだ。
自分は料亭をハイヤーで出た。
けっこういい気持ちに酔っている。
年に1~2度、事業家仲間で八王子や神楽坂の色町に集まり、「芸者を上げ」てその歌舞音曲を楽しむ。
彼女らは芸者というだけあって、歌、舞踊、三味線、話術などに巧みで、ちょっぴりエッチな「お座敷ゲーム」などにも付き合ってくれる。
令和になっても楽しめる古き良き「芸者遊び」は、コンパニオンなどとは違った日本情緒と面白みがあるのだ。
現在は外国人旅行者に大人気だそうだが、日本人でもこうした伝統芸能を楽しまなければもったいない。
芸者としけ込むのを「芸者買い」というが、自分たちは飲食しながらごくマジメに芸とゲームだけを堪能して帰るのだ。
その八王子からの帰り道。
自分は爆発音のような音と衝撃を受けた気がして目が覚めた。
だが、車は七曲り峠を問題なく走っているから、酔った挙句の夢だ。
「あの、運転手さん。ちょっと」
ためらいながら呼びかけていた。
さっきから、腹が渋っている。
家まで持ちそうにない。
「あの、そこの寺の東司(とうす=トイレ)につけて。岩牡蠣を1ダースも食っちまって……」
「あはは。わたしも経験ありますよ。チュルチュルいくらでも食べられちゃう。ヨーロッパ人なんかフツーに3ダースは食うって言うけど日本人はムリですね」
気軽に笑って峠の中腹の山寺に車を入れてくれる。
小高い山門の右には参拝客用のトイレが設けてあり、七曲峠だけでなく交差する旧滝山街道からも見えるのだ。
「ヘッドライトと車内灯は付けときますから。いってらっしゃい」
駐車場はけっこう暗いので、そんな親切を言ってくれる。
自分は礼を言って石段を上がり、山門の石畳をトイレの常夜灯を目指して突き進む。
歩きながら右下を見ると、ハイヤーの明かりと深夜でも峠を越える車のテールランプが複数見え、なんとなく安心感を与えてくれる。
個室が1つと手洗いだけの小さな東司だったが、新しくて清潔だった。
程なくサッパリして手を洗い、酔って喉が乾いたので水道水を一口飲んだ。
井戸水なのだろうか?
スッキリとけっこう美味かった。
今来た道を帰りかけると、
「ん?」
違和感。
石畳だったはずの道がただの地面になっている。
不安になって駐車場を見下ろすが、ハイヤーはおろか街道を照らす道路灯すら見えない。
ただの暗闇。
(ウソだろ?)
ちょっとビビッた。
酔っ払って道を間違えたのだ。
とっさにそう思った。
だが、山門を明るく照らしていたはずの防犯灯も見えない。
自分はどっちに進めばいいのか?
周りは丁度、「遭う魔が刻」のように全体に薄明るく静まり返って、山中ではよくあることだが深夜の霧でも出たのだろうか? ボウッと霞んで定かではない。
寺だから仕方がないが、墓石が並んでいるのがボンヤリ見え背筋がゾワゾワと騒いでいる。
声?
何だろう?
わらべ歌か御詠歌のようにあまり抑揚とリズムのない詩(うた)のようなもの。
いや、経文や念仏のように祈り唱える音階に近い。
本能的にギクッと耳を澄ませてしまう。
え?
自分の声?
まさか!
♪七つ曲がりの峠道
行きは下りで帰りは登り
黄泉比良坂(よもつひらさか)七曲り
墓場の道の突き当たり
そこにあなたが居(お)ったなら
帰るに帰れぬ七曲り♪
?????
湧き上がる疑問符。
一体何なのだ?
胸が通常でない速度で心拍する。
「あ、あの、運転手さん。ね? どこにいますぅ? ねぇ、ちょっと」
大声を出していた。
怖い。
ワケはわからないがとにかく怖い。
ここにいてはいけないのだ。
「はぁい、ど~しましたぁ?」
ハイヤーのドアがバタンと音を立て、こっちにやってくる気配に、今まで見えなかった山門が見えてくる。
何の変哲もなく今までどおりだ。
「い、いや、あの。え~、道間違えちゃったみたい」
バツが悪くて消え入りそうな声になった。
「ああ~。ありますよ。わたしなんかいつだったか、家に帰ったつもりで寝ていたら、なんと七曲り峠の中央墓地。ハイヤーほったらかしっぱなしで。多分、ここに腐るほどいるキツネ・タヌキの仕業でしょ。夜食のバーガーが食い散らされてましたもん」
大して気にもしていない返事にやっと安心する。
そして運転手さんの笑顔に「へへへへ」とテレ笑いを返した。
車はそのまま多摩川を越え、あきる野市、昭島市を経て立川市街に入った。
見覚えある住宅街の片隅で降り、チップの5,000円を手渡す。
「あ~、こんなにいただいて。ホント、すみません。ありがとうございます」
うれしそうな声音(こわね)にこっちまで楽しくなる。
ハイヤーは問題なく、いつもの町並みに消えていった。
改めて周りを見回す。
風の止んだ深夜の静かな住宅街はみんな寝静まって、窓明かりもほとんどない。
実に平和で平穏だ。
道路を隔てた裏のブロック塀、隣の生垣、エントランスへの5段の石段と屋根に暖炉の煙突を載せた特徴ある我が家。
大丈夫、普段どおりだ。
今夜も最愛の家内と猫様が上がり框(あがりがまち)で出迎えてくれるに違いない。
敷石を踏んで数歩進んだ足がビクッと止まる。
土、ただの地面。
怒涛のような違和感。
「えっ? 何だよコレ」
狼狽で眩暈がする。
「ウソだ、ウソだよな」
自分で自分に確認するが、状況は変わらない。
立ちすくむ目に「遭う魔が刻」の薄明かりとボンヤリした霧、立ち並ぶ墓石の群れ。
七曲り峠にもどっている?
まさか?
つい、さっきまでは間違いなくいつもの町であり、自分の家の前だったはずだ。
夢なら覚めろ!
キツネ・タヌキなら、おまえらに与える餌はなにもないはずだ。
「運転手さぁん、ちょっとぉ。きてください、周りが変なんですぅ」
叫んでいた。
山寺の東司(とうす)の時のように気軽に助けに来てくれるのでは?
だが、自分の声が宇久の薄暗がりに消えるだけで、なんの反応もない。
それが実に気味悪い。
何か尋常でないことが起きている気がする。
冷静になれ」
強いて自分を落ち着かせる。
「これが夢でないなら、こうなった原因を探るんだ」
つぶやいて記憶をたどる。
やはり、事の発端は七曲峠の山寺での歌声だろう。
それがすべての始まりだった気がする。
♪七つ曲がりの峠道
行きは下りで帰りは登り
黄泉比良坂(よもつひらさか)七曲り
墓場の道の突き当たり
そこにあなたが居(お)ったなら
帰るに帰れぬ七曲り♪
異様で意味深な歌詞。
今の自分の状況を端的に表しているのでは?
だが、なせ? どうして?
この歌で聞きなれないのは「黄泉比良坂」という言葉だろう。
これはただの坂ではなく、この世とあの世との境で、古事記にすでに記載がある。
火の神を生んで亡くなってしまった「イザナミ」を追って、夫の「イザナギ」がこの坂を越えたのだ。
その場所は現在では島根県の出雲町が有名だが、群馬県にもあると言い、東京都直近の埼玉県所沢市にも存在するという。
ま、心霊スポット紹介本の記載ではあったのだが、それによると宮崎駿の「となりのトトロ」で一躍有名になった「将軍塚(トトロの森)」の北東側、北秋津に近い丘陵の一角らしい。
「このあたりだと言われている」という記述とともに、墓地が見える坂道の写真が掲載されてはいたが、そのあたりの寺はみんな坂の途中の山寺なので、どれも似たようなものばかりで特定は出来ない。
では、七曲り峠も、いや、あの東司(とうす)付近にも黄泉比良坂があったということだろうか?
歌詞の通り、東司からの道は確かに下り斜面だった。
!!!!!
それに思い至った自分は、忽然とあることを思い出して硬直した。
「黄泉穢(よもつけがれ)」。
古事記の「イザナギ・イザナミ」物語に、イザナミが現世に帰れなかったのは、黄泉(よみ)の国の食べ物を口にしてしまったからだ、とある。
あの時、自分は酒に酔った乾きのままに、東司の水道水を一口飲んだ。
それが黄泉の水だとしたら!
…………………。
帰れない。
自分は恐らく帰れないのでは?
静かで空白的な絶望感がやってきていた。
目の前には黄泉比良坂の下り道が続いている。
その先には何があるのか?
念仏の教えで言う「三途の川」があり、そのほとりには衣領樹(えりょうじゅ)の木があって、脱衣婆(だつえば)が着衣を剥ぎ取り、掛衣翁(けんねおう)がそれを枝に掛けて罪の重さを量るのだろうか?
抗いがたい力が自分を前に押し出す。
足はためらいながらも薄明かりの坂を下っていく。、
「だめだ、行ってはいけないっ」
自分で自分を激しく押し留める。
「だれかいませんか? ねっ、だれかぁっ」
必死の声音(こわね)になった。
だが、返事はおろか何の気配もない。
ボンヤリと墓石が並んでいるのに反響すらせず、声や音など最初から存在しないかのようだ。
成す術はなかった。
「ん?」
なにかの息遣い。
何かいる。
だれか来る。
運転手さん?
いや、「イザナギ」を追ってきたという「黄泉醜女(よもつしこめ)」だろうか?
警戒心がマックスになるが、この際、だれでもいい。
たとえ化け物だろうが鬼だろうが、この現状を訴えて打開策を得たいのだ。
危機感が恐怖を超えた一瞬だった。
身構えて凝視する自分の目に、その姿がボウッと見えてくる。
帽子と制服。
「運転手さんっ」
転がるように駆け寄っていた。
「来てくれたんですね。よかった。ここはどこ? 何でこんなことに? どういうことでしょう? 帰れますよね?」
矢継ぎ早の質問に少しの沈黙があった。
乱れて苦しげな息を整えている。
この先の坂は険しいのだろうか?
「ああ、お客さん。あなたもここに? いやぁ、ひどい事故でしたからね」
「え? 事故?」
記憶をたどるが思い当たらない。
いや、差し当たりそんなことはどうでもいい。
「とにかくここから出たい。帰りたいんです」
言いながら彼と並んで、もと来た道を引き返そうとする。
「うそだろ? 運転手さぁんっ」
引き裂くような悲鳴になっていた。
足元は下り坂のままだ。
荒い息とともに登っていく運転手さんの背中は見えるのに、自分は下って行くのだ。
彼の足が一瞬止まり、心底気の毒そうな返事が帰ってきた。
「お客さん、ムダです。息をしていないでしょう?」
?????
謎の言葉だった。
そのまま彼の姿はかき消すように霧の向こうに見えなくなった。
♪行きは下りで帰りは登り♪
歌の一説が浮かぶ。
自分は帰りたいのになぜその願いがかなわないのか?
「どうして? なんで自分だけ?」
現に運転手さんは登り道を戻って行ったではないか。
頭をかきむしりたいほど理不尽だと思った。
「冷静になれ」
再び、強いて自分を落ち着かせる。
パニックになっても事態は変わらないのだ。
「息をしていないでしょう?」
この言葉がよみがえる。
「息? 息なんてフツーに……」
!!!!!
ジットリと冷や汗がにじむ気がした。
意識して深呼吸をしているのに肺が膨らまない。
それどころか吸って吐いての通常の呼吸すら止まったままで復活できない。
自分は明らかに息をしていなかった。
失望と落胆、そして茫然自失。
とてつもなく空っぽになった心に、今更ながら記憶がもどってくる。
あの衝撃と音は酔っ払いの夢ではなく、紛れもない現実だったのだ。
「しがみついてっ」
つんざくような運転手さんの絶叫だった。
七曲り峠に残った最初の急カーブ。
突然、真正面からの眩いハイビーム。
逆走? いや、車線をはみ出した対向車だ。
ハイヤーはガードレールを激しくなぎ倒し、跳ね上がった勢いのまま5メートル下の墓地に落下していた。
すべての謎が氷解する気がした。
帰れない、もう、帰る術はないのだ。
山寺の東司、あそこで現世の澱(おり)を排泄し、末期の水を飲んでこの世と決別する。
あの時、助けに来てくれたはずの運転手さんも、家に帰り着いたと思ったのも、危篤状態で夢見るただの願望、いや、ほんの一時期、生に傾いた命のはかない現世の名残りだったのだろう。
一旦、黄泉比良坂に至ったとしても、助かる者は戻って行ける。
現に運転手さんは死線を脱して坂を登っていったではないか。
下り坂にいる自分は戻れない。
もう、帰ることはないのだ。
それを自覚できない者はそこに留まるしかない。
「魂魄(こんぱく)この世に留まりて」の魂(こん)は空を飛び、魄(はく)は死んだところの地下にドロドロと溜まっているものだという。
魄は浮かばれない自縛霊を形作り、死を自覚できた魂は永久にこの世から飛び去るのだ。
黄泉比良坂は現世のどこかに存在するものでは決してない。
生きとし生けるもののすべての傍らに、影が身に添う如く「在る」のだ。
自分はトボトボと歩みを進める。
下り坂をたどって行く。
「逢う魔が刻」の薄暗がりは永遠に暮れることも明けることもなく、生と死の狭間に在り続けるのだろう。
黄泉比良坂考(よもつひらさかこう)=帰れなかった男の話