言葉本来の役割とは~後編~

言葉本来の役割とは~後編~

 敬宮愛子内親王殿下は、会見にあたり、天皇陛下や雅子皇后、宮内庁の方々からお力添えをいただいて、十分に準備をして会見に臨まれたことと察せられるが、その通りに事が運ぶかといえば、決してそうではない。時折、視線が泳ぎ、言葉に詰まったり言い直したりする場面もあったが、そのお言葉は丁寧で、確固たる意思をきちんとお持ちであることが伝わるものだったし、これが皇族といえ人間の本当の姿でさえある。ご自分のおっしゃりたいことは緊張しながらも、何だかんだできちんとおっしゃっておられた印象を受けたし、その言葉が借り物ではなかったから、きっと多くの国民の胸に響いたのだろうと思う。
 拝見していると、成年を迎えたばかりの初々しい女性が、ちょっぴり背伸びをするかのように、立ち居振る舞わなくてはと自身を鼓舞し、一生懸命にお答えになっていらっしゃるお姿は、時に健気でさえあった。だがその反面、時間が経つに連れ場に馴染まれて来たのか、心持ちリラックスされたのか、ふっと春風が吹いたようなそんな爽やかであたたかな、年相応の魅力が伝わる瞬間も端々にあり、非常に素敵な会見だったことが、今も懐かしく思い出されるのである。

 悠仁親王殿下の話は、非常に内容の薄いものだったという印象を受けた。きっと話し方のせいもあったと思われる。分かりやすいといえば分かりやすいが、あまりにゆっくりお話なさるのと、言葉を一つ一つ区切って話すせいか、その間でかなりの時間を消耗し、勢いに欠け、話の一つ一つが中弛みした印象である。底意地が悪いと思われるかもしれないが、記者会見の様子を1.5倍速で再生したら何と聞きやすかったことか。言葉は生き物であり、相手があって話すものであるから、過度にテンポを落として話すのも、時として考え物である。

 敬宮愛子内親王殿下の会見時間とほぼ同じ時間だったにも関わらず、印象が薄くいやに時間が長く感じられたのは、やはり生中継でなかったせいだろうか。こんなことは言いたくないが、本当に定刻通り会見されたのかさえ、私たちには分からない状態である。 たどたどしくとも、決して上手いスピーチとは言えずとも、自分の言葉で自分の思いをどうにか伝えようとする、その真剣さが人の心を惹きつけるのであって、もっとこの人のことを知りたいと思わせるものである。熱のこもった言葉か、血の通った言葉か、自らの思いで発した言葉か、そこに真実があるのか。それを聞き分けられない程、人は愚かではないのである。

 初めて皇室の方に対する私の印象を書いたのは、敬宮愛子内親王殿下と悠仁親王殿下の成年会見は、「言葉」というものの持つ力、それを話す人の魅力、話す人によって全く違うものになるという事例について語るには、どうしても書かずにはいられない程、対照的な好例だったからである。

 男というだけで天皇になるならないが決められてしまうということは、本来ならあってはならないこととまでは言わないが、それに相応しい教育を受け、そして相応しい人柄に育っているか、そうでない人間がその立場に着いたところで、最も気の毒なのはその当人である。
 天皇になる人間が、幼少の頃より天皇の下で教育を受け、人として躾られる。一緒に暮らすだけで親の背中を見て子は育つのである。そうでないところで育った子は、やはりそれまでなのである。成年になるまで、その親(天皇)の下で育たなかった子は、それだけで埋めなければならない隙間が余りにも多く、それを容易く埋めきれるものでは決してないのである。性別だけで一人の若者の青年の将来を決めつけてしまうのは、私たちが思っている以上に、本当のところは酷なことなのである。

 近い将来、誰が天皇になるのか。その頃、果たして皇室があるのか。私も生きているのかそんなことは知る由もないが、 おニ人とも生きるべきふさわしい場所で、ご自分の長所を枯らすことのないよう、自分らしく納得のいく場所に根を張り、これからの長い人生を幸福に過ごしていただきたいと、一国民として願わずにはいられない、悠仁親王殿下の成年会見であった。

言葉本来の役割とは~後編~

2025年3月5日 書き下ろし、「note」掲載。

言葉本来の役割とは~後編~

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2025-04-09

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