「守りて」

序詩

眠る夜に月の幻燈を仄かに焚く
睡眠薬のまどろみが未だ微笑んでいる内に
銀白色の鍵を掛けて錠を下ろせば綿毛の散る音
懐かしい雨音に被さって霙はいつしか霧へと離れている
駈け出して
雨の中佇んでいればきっと来てくださる
品の良い蛇目傘で困ったように笑う人
振り返って 泣きながら そうした方が楽だけど
旭の極光は必ずやって来る 雨などお構いなしに
待ち続ける時ではないと自分の手首を大きな手で握り込んで
駈け出されていく
もう遠い靄の都 キャンディの街 ホッピンシャワー
遠く離れて遠く引かれてもう影に灰色に滲んでいく
幻燈の移し身カンテラに
月を思って火を灯す
いつまで忘れられないでいられるだろう
いつまで覚えていられるだろう
夜の森枝葉のトンネルを手が引くまま目を閉じて
走りきる後
其処は人気配の一本も枯れた古城
青い滝は枯れずに領内を巡っている
湖に浮ぶ切り絵のお城
カンテラの火は緩まない
影と待つ白いお城
湖に浮ぶ孤独の城
コツ・コツ・と固い靴音 響音に身を強張らせる
いらっしゃいませお客様お一人でのご来店ですか?
一人な訳が無い此処には手を曳かれて来たんだと振り向いても一人だけ
雨音が直き其処迄聞こえて来ているのは
切り絵の城に飛び込んだ 飛んで()っても見慣れぬ恐怖
どうぞ此方へと靴音の反響音が案内(あない)する
さあ、順番にお召し上がり下さいませ

誕生石

青緑の石がころころと視界を(よぎ)ってゆく
足を忘れて置いて来た亡霊達
そんなにいそがなくても君達の家は()くならない
帰る場所があるのならば あるのだから

夏の向日葵が霜を表層に浮べていた
蟬の黒曜石の眼球(めだま)が凍り始めていた
動けもしない寂しさは
仏壇の前でナイフになって(りん)を震わす
死者の姿を生きる者に()せるのは
赤い宝石一つあれば出来るもの
貴女の弟の骨よと言って
首飾りを持たすれば済むだけのこと

父と母は今日も念願の第一子に語り掛ける
貴女の弟の骨よと言って
でも首飾りを付けていたって不思議は無いと
女のような顔立ちの息子に笑い掛ける

「望み通りに生きられんのなら死ね、親不孝者。」
机で詩を描いているのがばれた直後、父親は子供を撲り倒した。母は父のもとへ駈け寄り、愛する男の肩を持つ。
「詩なんて何の役に立とう、小説家になる訳でも無しに。」
夫婦は子供に唾を吐き吐き寄り添い合って部屋を出た。
世の中が忙しくなって来た時代のことである。女が男以上に働いて、男が女よりも働けなくなっているのが常となって幾百年過ぎたのだろう、時勢はは移ろわず教会の鐘は何かの部品の一部へ溶かされ寺には無縁仏が群を成し神社には落葉が吐き溜まっている。人はこういう時に空想を望み物語を求め出す。その空想語りが長ければ長いほど土から離れていればいるほど飢えは満たされ渇きは潤い笑顔の持続は長く()ち、首はポキリと中折れせずに済むものを、詩などを描くなど言語道断、子供が殴られたのもその為で。
理由如何にせよ人が人を傷付けて良い道理は無い、増して親が子を虐待するなど以ての外。嗚呼諸君、君達の時代は幸いだ。例え口先だけでも庇護の言葉が生まれるのであれば幸せだ。
先程叱られていたのは白羽(しらは)と言う妙齢の娘である。白羽は一人弟が居るのだが、彼は産声をあげることもせず肉塊のまゝ手足も生やさずに旅立ってしまった。男子を流産した現実は両親の瞳をくもらせていつしか娘を息子として生きさせるようになっていたので、白羽は年頃のお嬢さんが好む服を一度も着た事が無い。リボンも、帽子も、三ツ編も、何も許された(ためし)が無い。
予備兵の格好(いでたち)で街を歩けば、人は彼女を端正な海軍予備兵と錯覚する。喋ってしまえば女だと判明(ばれ)てしまうから口は家でも外でも閉ざしたまゝ、ニコリともお微笑(わら)いなさらないところが反って頼もしいではないかと近所では評判で、両親からも自慢の息子だと褒められる。白羽は段々話し言葉を忘れていった。
或日のことである。白羽は街の本屋に用があったので訪れた。両親に頼まれた雑誌を二冊、和歌俳句の本と裁縫の最新刊をそれぞれ買いに来たのであった。無言のまゝ店主に会釈しては雑誌を手に取り会計を済まそうとしたら、視界にちらと赤い本が見えた。
三五〇頁はあろうかな、赤い拍子に金の題字、いかにも派手そうな色味の合わせ方であるのに葉巻のくゆりと洋酒の孤独、そして燃え()しの捨てられた燐寸(マッチ)を思い浮ばせるのは何故。
「おや、軍人様。」
店主の声。
「それは詩集ですよ。この作家は、(いいえ)作家と申して同じ部類にするのは烏滸がましいですな。この詩集の(あるじ)はね、詩人と宣う奴ですよ。新聞小説でも書くなら御立派と讃えられもしましょうが、詩人なんざポツポツと一言二言書き散らして喚くだけにございましょう、和歌や俳句のような風流も雅も持ち合わせぬ未熟な八ツ当りの作法です。軍人様のお目に入れてしまい大変申し訳も御座居ませぬ、これはもう処分しようとしていた屑同然の物でして、つい、手前の用事を言い訳に店棚の脇へ置きっ放しになり申して…ハハ、誠にお恥かしい次第です。」
聞かぬことをべらべらと。屑と見なして捨てる腹積りの本ならば自分が貰っても良かろうと、普段頼まれた動作以外は一つもせぬ白羽は店主(おやぢ)が会計と包装をしている間大胆にも赤い表紙の詩集を手に取り身の丈よりも大きな袂でそっと隠した。今になっても騒ぎにならないのを見れば、連れて帰って良かったのであろう。

両親にお使いを手渡し自室への階段を上がる途中で我慢ならず一目から伏せていた詩集を開き読み始める。
それは、此の国に無い宗教を土台とした話。物語は単調に適応してしまうことも無く一語一語媚薬の薫りを含む白いヴェールで顔を覆い、ほのかに透ける蒼白の唇から言葉を紡ぐ。寿ぎを否定する冷めた頬、氷柱を煙管にして呑む毒草、七星 背負(にな)う小さな虫のやがて蛾に到る湖面下だけの突然変異、その(さゞなみ)。驚いて向けたは青い撫子の朽ちる音、その死体からむくむくと(かつら)の伸びて月を薔薇の形に囲うこと、鳥籠は旭にとろけて陽のしづく、雨は鏡の羽を生やして飛ぶ姿。
生れて初めて己に向けられた遠くの誰かの関心が、こんなに嬉しいものだとは。此の方は、自分に手紙を書いてくれたのでしょうか。まるで、まだ見ぬ会えぬ恋人を想って言葉を綴ってくれたよう。これが、詩。自分の読んではいけないとされて来た類の本、知らない言葉、小説には表しきれない心情の独白、音の許されない歌。
詩集を胸に抱きしめて、そっと作者の名前を見つめて静かに静かに声に出す。
星北(せいほく)川面(かわも)。星北さま、川面さま。」

反骨無頼

家の傍を流れる緩やかな小川に、首根っこを引ン掴まれたまゝ顔面を突込まれた。親父とお袋の顔はそれ以来見ていない。くそくらえ。そんな感情の癒えぬまゝ家を出て、群衆に紛れて都会へ流れる。敗戦国の人だかりは数歩歩けば直ぐに見つかる、薄汚れた格好を咎める者はいやしない。
何度戦争に負けたのだ。国々同士の調停役を買って出て圧倒的な兵力・兵器差と士気の高さの前に幾億の肉塊が産まれたろう。熱狂する若者、老爺(ろうや)、涙を流す(ばばあ)、世間体を気にする婦人。戦争を止める為に戦争をするのだと大義名分を用意しておくと動搖は抑えられ平静を保てる、事前の準備が大切と言うのはそういうことだ。
諦めずに立ち上がり、国は随分とゲッソリ痩せたようで、都会の熱狂の大通りの裏手には冷めた煙草の毒が霧のように待機している細い路地。健気な台詞は人の心も国の体形をも駄目にするとは、これ如何に。
北へ北へと流れゆく。食べる物は道端の死体から奪えば済む。懐に入れた万年筆をしわくちゃの原稿用紙の無事を確かめると徐に取り出し暫く佇んでみるが、今はやはり何も思い浮かばない。が、
「あゝ。」
丁度良い。生まれ持った名を捨てて、好きに名乗ってしまえば良い、所詮家を失くした身、誰に何と言われようが貴方達に迷惑は掛けることも無いのですから。

此れより内へは来るは易し、踏み入れ易い足置き場
帰りのお靴お草履(わらじ)は御座居ませんのでさようなら
別れを済ましてお入りなさい
貴方が覗くは硝子の秘国
逆しまなテエブル・クロスにティーセット
紙ナフキンは船になり申す
指を弾いていただきましょう
煙草を刻んで振り掛けたロオスト・ビイフ!
銀食器持て金の盃満たしてしまえ
大いに食え食え!鏡の正面
質素に暮らす敗残國
あゝくだらないファンタジア、リアリズム
夢見がちな女も真面目な男もお断り、逆でもダメダメ()れたげない
よくある話は嫌いなの
ねえいつ手を取ってくださるの貴方様

星北川面

「あゝ良い、やっぱり詩は楽しいな。」
国が御法度とする詩の創作だって、都会の溝でなら朗々と唱えられる。
「そうだ、いつか詩集を出してやる。そしてもう一度詩の地位を押し上げるんだ。」
軍の制服に反して青と銀ではなく赤と金文字、人を直接には殺めぬ爆弾よ。読めば本に夢中になって、読まないでは正常でいられぬほどに詩に飢える呪い。そして自らも詩を作り始めるのだ、かつて国を困窮させた感染症の最新型は言葉生れよ。
「さあ、どうか上手く爆発しろよ俺の武器。」
数年後出版した本は、数年後店から盗まれ、否、此の場合に限ってのみ、救われた。

「守りて」

「守りて」

それは、たった一粒の未練。

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2025-04-07

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  1. 序詩
  2. 誕生石
  3. 反骨無頼