百合の君(51)

百合の君(51)

 花村清道(はなむらきよみち)が城下町を歩いていると、人だかりがあった。先の戦の時とは、人々の様子が違うことには気付いていた。前回はみんな怯えて逃げ出したり家に籠ったりしていたのに、このように出歩いて、しきりに集まって話したりしている。
 覗いて見たのは単なる気まぐれだったが、町の人々の中心に絵があったのには驚いた。彼が期待していたのは、皿回しとか奇術とかいった類のものだ。まさか町を歩いている人々に、これほど絵が人気だとは思わなかった。彼に依頼してくるのは、公家や武家、あるいは豪商たちだ。だから最初、彼は自分が描いた絵だと気づかなかった。彼は、初めて自分の絵が露天にさらされているのを見た。

 清道は代々絵師である花村の四代目として生まれた。手に怪我をするといけないので、外で遊んだことはほとんどない。彼の指は絵筆だった。
 九歳で「花村の一本桜」と父に言われ、兄弟や従兄弟とも寝食を別にするようになった。十一歳の時に描いた『正巻四季図』は奥噛(おくがみ)のお社の宝物殿に収められ、その絵を見るためだけに山を登る者までいる。天才奇才時代の寵児、あらゆる枕詞が彼の名前には付き、その名声は遠く唐国にまで及んだが、清道には募る空しさがあった。
 芸術は、現実を変えない。
 彼がそれに初めて気づいたのは十五歳の頃、古実鳴(こみなり)のある貧しい百姓家の絵を描いた時だった。壁板がめくれていたのが気になり、そこから犬蓼(いぬたで)を覗かせてみた。
 きれいだった。荒廃した灰茶色の家屋に、紫の花穂(かすい)が冴えていた。調子に乗った彼は画面に花という花を咲かせ、蝶が舞い鳥が歌う中に家が浮いているような構図にした。人の生活と自然が一体となり、無限の命の循環を経験した。
 しかし仕事が終わってその百姓家を改めて見てみると、花など一つも咲いていない。むしろ壁のめくれには白蟻(しろあり)がたかっており、生命が巡るどころか、その主の困窮ぶりを伝えているだけだった。
 現実は一切清道の世界に歩み寄ろうとせず、現実と芸術を近づけようとすれば絵の方を変えるしかなかった。画面からは花びら一つ出てこない。なぜこれほど美しいものが現実に対して無力なのか。
 それは天の彼に対する裏切りのように思われた。
 しかしいま彼はやっと、神と和解したのだ。現実は初めて、芸術に歩み寄った。いま彼の目の前では、少女を憐れみ、別所の残虐非道を罵る人であふれている。
 彼は家に走った。果たして、家には大勢の人が押しかけていた。扇子にあの童を描いてほしいとか、器の絵付けをしてほしいとか、清道を拝み倒さんばかりに頼んでくる。彼はそれをすべて引き受けた。清道はあの眼帯の少女の名前すら知らなかったが、彼の腕があればもう本物がいなくてもどうとでも描ける。

百合の君(51)

百合の君(51)

あらすじ:別所の侵略に対抗しようと、出海浪親は花村清道に戦で負傷した少女の絵を依頼しました。彼の絵は近隣国にまで配られ、それに心動かされた十三歳の少年、園までが志願兵に名乗り出ます。今回は、絵の作者である花村清道にスポットライトを当てました。

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • 時代・歴史
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2025-04-05

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted