一
刺さった。
氣が付いたら、刺さってゐた。周りを見渡す。此處は貨物自動車用輸送容器《き》の中で有ろうか。
然う、刺さってゐる、地球に。
足下は泥の樣で有って、上層《そう》に水層《そう》を形成してゐる。貨物自動車用輸送容器《き》の外側が見え無い、此足下の泥及び水が上昇する、又は己の肉體が沈んだら溺れる可能性も有るか。否、此貨物自動車用輸送容器《き》の內部の、今自分の上半身が觸れてゐる空間には空氣が閉じ込められてゐる、然して現時點では內部の空氣が泥や水を押す壓力と外部の大氣の泥や水を押す壓力が釣り合ってゐる樣だから沈んではゐ無いだろう。だがしかし、空氣が閉じ込められてゐる部分に穴が空けば何時沈むか分から無い、然う緩りとしてゐられ無い。
で、何故に今の狀況が有るのだろうか。今に至る迄の記憶が取り出せ無い、狀況が狀況だから矢張り何が有ったのかは氣になる。
暫く考えてゐて、不圖、自分の手を見た。手を負傷してゐる、然うだ、木苺《?》《ぉ》の樣な草を採ろうとして棘で手を負傷したのだ。
思い出した。雪山へ山菜を採りに行ったのだ、景色が浮かぶと同時に下半身から刺す樣な寒さが上って來た。此處は一刻も早く此場所から拔け出さねば。
雪山で道中、携帶端末から投稿動畵公開場所で觀た、鰐が回轉運動で競泳選手と競泳する動畵の記憶が蘇って來た。
回轉運動を眞似れば此場所から拔け出せる可能性は有るやも、しかし現實的では無い。
……やってみるか。色々と試してゐる時閒も、抑試す作戰を練《ね》る時閒も多く無いだろう。思考する工程に歸りたく無い。細かい經緯は出てからゆっくり思い出せば良い。出來たら出來る、然んな氣がする。然う私は自分自身に自己暗示を掛けた。
覺悟を決めて、私はぬじぬじと音を立て身體を捻り、逆に捻りと反動を付けて回轉運動を始めた、と、身體がじりじり沈んで行く。私は顏中の腔を閉じて回轉運動を繼續した。
がはっ、ぐっ、ごっほっ、はぁはぁ
外に出るが早いか、私の肺は獨斷で呼吸を再開した。
出られた。
二
日は高い物の、翳ってゐて柔らかな日差しだ。外の空氣は美味しい物だ、と思ったががらがらと牛車の通る音が聞こえて來た、此處は道の近くなので有ろう。澄んだ空氣とは言え無いな。邊りを見渡して目に入ったのは、
疎らな行き來の道
稔った麥みたいな草の畑
包まれてゐた墨《すみ》色の沼
何處か不氣味な鳴き聲の鳥
か。情報には成ら無さそうだ。然して、此處は何處なのだろう。
雪山の中か、雪山の外か。此處から雪山は見え無い、雪山と云ってゐるが全體的に薄く降り積もってゐるだけで本格的な雪雪しさでは無い。又、雪山は遠くに見えたから取り敢えず向かってみたと云う遠景出身の名前も知ら無い山で有るが、此雪山での出來ヿ《ごと》が先の狀況に至る經緯を繙く鍵に成るやも知れ無い。
一先ず適當な方向に步いて行き乍ら、有ったヿ《こと》を思い出そう。
出來ヿ《ごと》、時系列順に竝べ無ければ成ら無いのか。私は起こった出來ヿ《ごと》を過去から未來への方向と平行に竝べ直したり、因から果の方向を見極めたりするのは苦手だ。
前にも其んなヿ《こと》が有った。遡るヿ《こと》高校時代、私は日本史を選擇し、時系列の竝べ直しで苦勞した。○達も日本史選擇だし、任意の擔當の先○《せい》から課される課題は少ないと云う情報も有ったのだ。
遠い日々の話は置いて置いて、此處は思い出せる限りの記憶を一旦列擧するか。
三
いさ、有りしヿ《こと》共の懸かるは
一、商人に逢ひき
二、俄に雪荒るるに遭ひき
三、馴鹿めかしきに逢ひき
亖、木苺めかしきを捥がむとせり
五、車ゟ行かむとしつれど、半らにて降りき
然る許りかや。時の後先の取り得る場合の數を絞り込みたければ、各々が筋を悉に覺えむ。
亖の一
先ずは商人。私が山道の、特に人氣の無い通りを登ってゐる時に橫の木々の中から大きな背嚢を背負った商人が俄に現れた。
商人の背丈は約一・《てん》七米、性別は他者《しゃ》視《し》點性表現《》:《女性,男性》=《〇・《てん》三,〇・《てん》亖五》《全體他者《しゃ》視《し》點性表現度〇・《てん》七五》、表現型:男性《廣義》、と云った所だったか。
「もし、此樣な所で何を爲されて」
「山菜を採りに參った。」
「適切な部位での、其の部位が含む、化學物質の人閒が取り入れたがる量に對する半數致死量の多さを元に、他のと比較し十分に多いと知られてゐる物體の、此山に植物の一部として今の時季自○《せい》するは、他の時季のと比較し少ないと言えようぞ。且つ、小寒手前で雪のヴ《ゔ》ォ《ぉ》イ《い》ル《る》を纏う山へ踏み入るのに然樣な裝束では心許無からんか」
「冬なりとも、草木の何等かは有るだろうと。實は、私は急に仕ヿ《ごと》の休みを取って、休みの閒に山菜採りをしようかと思い付きまして。準備する餘裕が無かった物ですから。」
然う答えた後、商人は暫く私の樣子を見定めてゐる樣で有ったが、鑑定の結果に異常が無かったのか、商人は此迄の訝しげな態度と打って變わって柔和な雰圍氣に爲った。
「左樣で御座いましたか。手前は此山の邊りで物を賣り步いてゐる者《もの》で有ります。主に普段から山で作業をしてをられる方や、貴方の樣に不定期に山に入らっしゃる、觀光や登山等の目的の御客樣に向けて商品を揃えてをります。但、今は例年だと新規の御客樣は殆ど入らっしゃら無い時季ですので、此場で貴方に販賣出來ます商品の用意は限られてをります。」
「今の所身の危險を感じる程困ってはゐ無いので、今回は見送らせて頂きます。」
「山は貴方が思うゟ屹度、何倍も恐ろしい物ですよ。角層《そう》の露出の多い貴方の裝束ですと防寒の爲、手袋や登山靴、其れに懷爐や襟卷を持って行かれるのを御勸めしますよ。」
然う言うと、商人は私が斷る文言を竝べ切ら無い內に言及した亖つの商品を竝べて行った。
「中古の商品なんですか」
「登山靴と手袋は中古の物しか今在庫が御座いません故。都《と》會に近い地域とは云え、意外と山に暮らす方々は昔乍らの風習に倣ってゐて、自分が使わ無く爲っても未だ使える物は手前の樣な商人に賣ったり親戚に上げたりです。勿論、中古な分御安く、其處から更に相場ゟも御安く致します。」
「御幾らですか」
「亖點合はせて百六十五ラ《ら》ン《ん》です。」
「百亖十五ラ《ら》ン《ん》で如何でしょうか」
「良いでしょう、其れでは亖點合計百亖十五ラ《ら》ン《ん》に爲ります」
「百五十ラ《ら》ン《ん》御預かり致します。五ラ《ら》ン《ん》の御返しで御座います。御買い上げ有難《がと》う御座います。」
「其れでは又、機會が有りましたら。」
「ええ、御氣を付けて。」
……とまぁ、此んな具合だった筈だ。
一つでは順列の總數は一通りしか無い。次を思い出そう。
亖の二
雪山をすげすげと突《つ》き進んで行くと、俄に視《し》界が雪の樣な白さに包まれた。雪なのだが。
當然、吹雪に視《し》界を上書きされた私は其の場から動く宛も無く爲った……否、私は持ってゐた襟卷の端付近を持ち、手元を回轉中心にもう一方の端に圓運動して貰い、邊りを探り乍ら進み續けた。
途中、幾度か大地が吼え、雪崩が起きた樣だが、吹雪が止む迄負傷は免《まぬか》れた。
襟卷は持參し無かったから、時系列は商人から襟卷を購入した後だな。
亖の三
私が丁度、丁字路で亅の下方から來て一に行き當たった時、一の上に當たる部分の、密度の高い森の中から馴鹿《?《ぃ》》がすぱっと顏を出した。
聖夜を過ぎた許りで有るが、出遲れたので有ろうか。
馴鹿《?《ぃ》》は私の方へと步んで來て、私も馴鹿?《ぃ》 の方へと近寄ろうとしたが、馴鹿?《ぃ》 は踵を返して何處かへ驅けて行って仕舞った。
私は先の木苺《?《ぉ》》が有ればと悔《く》いた。
とすれば、木苺《?《ぉ》》を手に入れられ無かったというヿ《じ》實の後に馴鹿《?《ぃ》》に逢ったのだから、馴鹿《?《ぃ》》は木苺《?《ぉ》》の後で有ると言えよう。
靴を履いてゐ無くて馴鹿《?《ぃ》》に付いて行くのを諦めたし、其れで商人に防寒具を勸められたから、商人の前とも言えよう。
亖の亖
私は方向指示器《き》に當たる合圖を出して副道へ進路變更し、暫く直進した。と、前方に黑紫赤い粒粒が澤山、良い感じな綠の草に○《な》ってゐるのを發見した。
接近すると、其れは木苺《?《ぉ》》の樣で有った。
「木苺《?《ぉ》》、山菜か。貰って行かせて貰うとするか。」
私は木苺《?《ぉ》》に向けて、御手手を伸ばした。
「痛っ……!」
木苺《?《ぉ》》の莖には棘が○《は》えてゐたのだ。
棘が○《は》えてゐるのなら、諦めるか。棘で御手手を負傷して仕舞った。
素手で有ったと記憶してゐるし、手袋を買った後は手袋をずっと着けて步いてゐた筈だから此は商人の前、馴鹿《?《ぃ》》に逢った時に木苺《?《ぉ》》の記憶が有ったからして馴鹿《?《ぃ》》の前で有るか。
次行こう。
亖の五
私は雪山迄車で來たのだ。しかし、貨物自動車なので馬力が足りず、途中で降りた。
他の記憶は徒步なので、此が此中で一番前か。
亖の六
竝べ替えてみると、
雪山に貨物自動車で來たが途中で降り、木苺《?《ぉ》》を採ろうとして棘で負傷し、馴鹿《?《ぃ》》が去って行き、商人から
防寒具を買い、吹雪に遭ったと云う流れか。
其んな感じで記憶の缺片を辿ってゐると、雪山に着いた。行先は雪山へ向いてゐた樣だ。
考えヿ《ごと》をし乍ら步いてゐたからか、夕方は知らぬ閒に訪れて知らぬ閒に引き上げた樣だ。
吸い込まれそうに深い闇色の空を、眩い星々が滿たす。新月か、今宵は月の姿が見當たら無い。激しい星彩を浴びた雪も又燦めく。不氣味な程に明るい夜だ。
轍を見付けた。再び車に乘ったんだった。私は吹雪に遭った後、車を見付けた爲、山菜を採るのを止めて山を下りると決めたのだ。と成ると、雪山に私が刺さった原因が有った譯では無いのか……。
轍を良く見てみる。小さな波の樣な模樣が規則的に竝んでゐる。自社《しゃ》の貨物自動車は特徵的な素材、特別な部品で作られてゐる。其處等の牛車や馬車や人車の樣な、蹤と、進行方向に平行な線と旅《たび》の始まり終わりの邊で圍まれた圖形の轍には成ら無いので有る。
私が其んな自社《しゃ》の車で山菜採りに來たのは、仕ヿ《ごと》をサ《さ》ボ《ぼ》タ《た》ー《ぁ》ジ《じ》ュ《ゅ》る爲だった。
五の一
私の勤《つと》めるとことこ飴冷社《しゃ》は、長きに渡りてくてく飴冷社《しゃ》と競合關係に有った。御互いに新たな要素を開發しては彼社《しゃ》に負けてゐられ無いと勇み立って、追いつ追われつしてゐた。
或日、てくてく飴冷社《しゃ》は何處からか不思議な卷物を手に入れた。其の卷物の詳細は企業祕密の樣で確かな情報は無いのだが、其の日を境にてくてく飴冷社《しゃ》は雲の上の存在と成って仕舞った。程無くしてとことこ飴冷社《しゃ》はてくてく飴冷社《しゃ》の卷物を强奪する方針に決めた。
とことこ飴冷社《しゃ》の社《しゃ》員は幾度か奇襲を掛け、てくてく飴冷社《しゃ》の社《しゃ》員と血で血を洗う爭いを繰り廣げて來た。互いに多大な犧牲を拂いつつ、終にとことこ飴冷社《しゃ》が卷物を手に入れて仕舞った。勿論、てくてく飴冷社《しゃ》は卷物を奪い返す可く、とことこ飴冷社《しゃ》の社《しゃ》員を制壓しに現れる。私は、とことこ飴冷社《しゃ》の社《しゃ》員では有るが其んな戰爭に餘り參加したく無い。だから、今日は向かう筈の相手を置いて、自社《しゃ》の車で戰爭を避けに近くの山へ山菜採りをしに行ったのだ。山菜採りにしたのは採れた山菜を賣れば金も手に入るかと思ったからで有る。何も採れ無かったが。
彼の卷物を如何して其んなに手に入れたがるのか。風聞に據ると卷物を使うと願いが叶うらしい。實際、卷物を手に入れてからてくてく飴冷社《しゃ》はどんどんと成果を出したし、とことこ飴冷社《しゃ》が卷物を奪うと今度はとことこ飴冷社《しゃ》も一氣に時代に追い付いた。有る狀況に鑑みるに有り得る話だ。
實は、卷物の實物を一度だけ見たヿ《こと》が有る。丁度とことこ飴冷社《しゃ》がてくてく飴冷社《しゃ》本丸に攻め込んで現場も司令部も大荒れの頃、私もてくてく飴冷社《しゃ》の社《しゃ》內に乘り込んでゐた。とことこ飴冷社《しゃ》の社《しゃ》員がてくてく飴冷社《しゃ》內で卷物を奪って歸還する時、當然敵の陣地で有るからして卷物は一般社《しゃ》員の手の屆く狀態で持ち運ばれた。私は卷物の內容が氣になったので、隙を見付けて卷物を手に取り、中身を少しだけ眺めた。歌集の樣な內容だったかと思うが、見付から無いか不安で集中して讀め無かったのも有り、忘れて仕舞った。但、何故か一つ、妙に記憶に殘った部分が有った。
五の二
私は其の時に見た內容を手記って有る。早速手記を取り出し、該當の箇所を探す。が、不可思議なヿ《こと》に、手記は「小說の樣な文章が書かれてゐた。」と曰った內容で、「短歌」の字すら出て來無かった。確かに短歌の竝びを見た覺えが有るし、逆に卷物の中に小說の樣な文章が竝ぶ見た目の想像が付か無い。仕方無く、何とか記憶の中の該當箇所を思い出す。
斯う書かれてゐた。
なみさだめ はちをゆらした くせものが
ふぁそらにあいそ つれいることよ
此短歌の意味が分かったらば願いが叶うのだろうか。口惜しいヿ《こと》に、分から無い。「なみさだめ」は「波」と「定め」で有ろうか、「見定め」も含むので有ろうか。「波」として、社《しゃ》會的な物か、心理的な物か、物理的な物か。「定め」は規律の樣に考えると云う意味か、把握する樣な意味か。「みさだめ」が「見定め」ならば、何故「見極め」で無いのか。
「はち」は「鉢」で有ると思うが、其れは金魚鉢の樣な鉢か、植木鉢の樣な鉢か。「はちをゆらした」は「鉢を搖らした」と思うが、何故「鉢」の大きさに留まるのか。「波」は鉢の中か鉢の外か何方もか。
「くせもの」は「曲者《もの》」と思うが、普段使われ無い表現で有る。敢えて普段使わ無い表現を使うヿ《こと》で元々の言葉の意味と區別し、皮肉表現で有るヿ《こと》を仄めかしてゐると考えられるか。
「ふぁそら」の「ふぁ」は特に意味が無いのか。浮かんで來無いな。
「つれいる」は「連れ入る」と思うが、誰を何處にかは明示されてゐ無い樣だ。「曲者《もの》」が相應しく無い誰かを入っては行け無い何處かに連れて行くのか。「ことよ」は先の「くせもの」と倂せて詠嘆《たん》しつつ皮肉表現に成るか。
恐らく見落とした要素も有るだろう。「ふぁそら」が如き緩い遊びや、大ヿ《じ》な要素を見逃したかも知れ無い。
此以上の進展は大變だ、諦めるか。記錄を殘し、歌の調査を止めた。
五の三
車に乘った後は何が有ったのだろうか。有給休暇を取ろうとした時に、上司から最近色んな班の社《しゃ》員が來無く爲ってゐて大變だから來れる時は來て欲しいと言われたな、大方てくてく飴冷社《しゃ》との抗爭の關係だろう。私が抗爭の影響《きょう》を受けた可能性は有るのだろうか。調査に行き詰まった今、一考に値しよう。
怪しいと云うか、消去法的に此處迄でてくてく飴冷社《しゃ》として關わりが有ったとすれば例の商人か。
良く考えたら、商人は客に出逢う方が良いだろうに、人氣の無い通りの、其れも近付か無いと見え無い樣な木々の中から出て來たのは何故だろうか。寧ろ、他人に見られたく無かったと考えた方が自然で有る。元々例の場所で他人に見られ無い前提で何かをしてゐて、偶々私に逢ったから咄嗟に商人と云う設定にしたとも考えられる。
もう一度轍の邊りを眺めると、薄ら別の轍を視《し》認出來た。然も轍は自社《しゃ》の特徵的なのと似てゐる。轍を山奧への方向に辿ると、蹤を見付けた。蹤も更に辿って行く。色々な可能性に只管に思いを巡らせ乍ら史實を遡り、私が彼の者《もの》に出逢った地を超え、木々の閒を縫って辿り着いたのは、圓柱狀に木の○《は》えてゐ無い狹い空閒だった。周りを木に圍まれてゐて道から可也外れてゐる爲、先ず手探りで辿り着ける場所では無い。然う、此蹤を追って來たから蹤が初めから有るのが不自然で……。
……蹤は何處だ。考えるヿ《こと》に夢中で蹤を見逃したのだろうか。否、私は途中で何度か曲がった、道が分かる蹤が無ければ木々の閒を正確に進み續けられ無い筈だ。では目印を無意識に見付けたのか……。周りを良く見ると、或木に葵色の絲が付いてゐる、絲の纖維感と色からして私が彼の者《もの》から買い取った手袋の纖維が引っ掛かった物だろう。此で、少なくとも正しい方向に進んでゐたと分かった。しかし、來た道を見返しても私の來た蹤が有るだけで、他に人所か木以外に目視《し》出來る○《せい》命體の面影すら感じられ無い。
亖方には暢びやかな樹、佇まいに壓倒される。空には依然、零れ落ちそうな程の燦めく星々が有るのに、邊りは何と無く暗く感じる。胸騷ぎがして來た。今直ぐに此場所から逃げ出したい。早く歸る爲には早く調査を進めるんだと自分を諭す。
足下の雪を丁寧に掘ってみると、雪が元から汚れてゐる部分が有った。其の邊りの土も更に掘る。周りゟ掘り易い。掘り進めると、土の中に眠ってゐた何かが見えた。周りを更に掘り、土から引き上げる。
蒼白な肌色をした、華奢な人閒の體だ。しかし、俯せで見ても其の背中は血の氣が感じられず、滑らかな輪郭だが、硬く冷たい觸感が手に傳わった。詳しく調べる迄も無く、此世の活動を終えた後だろう。一旦彼女の死體を調べるのは後回しにし、引き續き近くの地面を掘って、他に何か、誰かが埋まってゐ無いか調べるヿ《こと》にする。
結論から言って、先の彼女と合はせて亖人、埋まってゐた。近くに有った物は誰かの持ち物で有ろう。皆、俯せで埋まってゐたので其の儘竝べたが、もう此以上は此邊りに過去に掘った形跡を確認出來無い。死體を表に返して死體や持ち物を調べるとするか。
近くの櫻色の髮の死體の兩腕の下に、外側から包む樣に手を差し込む。腹部に指先が觸れた時、ぬちゃっと粘い音がした。違和感に反應した時には既《すで》に彼女は天を向いてゐた。其の體には、胃が無かった。腹部に空いた穴から出た血に觸った樣だ。口を開いてみると、中から甘い香りが漂う。口の中や喉を見ると、氣管の方にも何か痕跡が有り、食ヿ《じ》としては不自然に見えるからして、死んだ後に何かを口から詰め込まれた樣だ。他の死體を表に返すと、亖人とも胃が拔かれてゐる。然して、他の死體は口の中にク《く》レ《れ》ム《む》が一杯に入ってゐた。亖人分の御口を綺麗にするのは大變だったのだろう。御蔭で、使われたク《く》レ《れ》ム《む》はてくてく飴冷社《しゃ》が開發したマ《ま》ロ《ろ》ン《ん》ク《く》レ《れ》ム《む》と分かった。此さらさらとした觸り心地、少し獨特な深みの有る香り、滑らかな舌觸り、酷と甘みの有る豐かな味わい。閒違い無い。しかし、マ《ま》ロ《ろ》ン《ん》ク《く》レ《れ》ム《む》はてくてく飴冷社《しゃ》が新しく開發した物で、今有る商品では他のク《く》レ《れ》ム《む》と混ぜて使われてゐた筈だ。と成ると、死體にマ《ま》ロ《ろ》ン《ん》ク《く》レ《れ》ム《む》を詰めた――手袋の纖維から彼の者《もの》だろう――のはてくてく飴冷社《しゃ》の關係者《しゃ》の可能性が高いか。全ての死體から胃が切り取られてゐたのは、口からマ《ま》ロ《ろ》ン《ん》ク《く》レ《れ》ム《む》を流し込んだ胃、から新しい商品の開發硏究の着想を得る爲で有ろうか。てくてく飴冷社《しゃ》はとことこ飴冷社《しゃ》の片割れの樣な物だ。私達も先に思い至り得た。胃の中に入るク《く》レ《れ》ム《む》は消化を受け切る前に置いて行かれて仕舞った各樣な最後の晚餐を包み込む。胃で有るが故の刺激的な酸の味付けは、時を逃すと自らを壞し始める。泡沫の乙な味だ。
死體の持ち物からとことこ飴冷社《しゃ》の社《しゃ》員證を見付けた。例の如く初めに掘り出した死體にはとことこ飴冷社《しゃ》を思わせる持ち物が無かった。と思ったが、靴の中に破られた社《しゃ》員證が入ってゐた。自社《しゃ》の情報を閱覽し、亖人が行方不明の社《しゃ》員と確認出來た。
此發掘品は、とことこ飴冷社《しゃ》とてくてく飴冷社《しゃ》との抗爭の關係と言えよう。彼の者《もの》はてくてく飴冷社《しゃ》の社《しゃ》員、此處で死體を扱ってゐて人は來無いと思ってゐたが私に逢って仕舞った、其處で彼の者《もの》が初めに商人と名乘ら無かったヿ《こと》からして、先に私を誰何し、私が輕裝で植物の少ない時季に山菜を採りに來たと答えたから、彼の者《もの》は私に對して商人と僞って强引に話を進めても怪しまれ無いと判斷したのだろう。商人と僞って迄本當の行動を隱したのは、彼の者《もの》は私に取って敵社《しゃ》の社《しゃ》員だ、然も冷たく爲った內の社《しゃ》員と洋菓子を嗜んでゐた。裏を返せば眞相を伏せ無い理由は無いだろう。彼の者《もの》からは、手袋、懷爐、長靴、襟卷を買った。手袋を着けた狀態で死體を扱い、長靴は蹤が殘るから、手袋と長靴は證據品に爲る、其れを他人に渡すヿ《こと》で通報されても時閒を稼ぐヿ《こと》が出來る。其の爲少し押し賣り氣味だったのか。懷爐と襟卷に關しては特に證據品では無いが、證據品だけを其の儘渡すゟは表の目的通りの品物に紛れ込ませた方が良いと判斷して追加したのだろう。然うすると手袋や長靴は死體を埋め終わってから替えたヿ《こと》に成る、用意周到で有る。抑人を殺《ころ》す程度では大した罪には成ら無い。加えて卷物は手段を選ばずとも手に入れさえすれば、其の時閒を稼ぐヿ《こと》が出來れば、運命は意の儘に。
と、私の推理は斯んな所で有る。が、結局彼の者《もの》は私を敵と見做したのだろうか。彼の者《もの》に取っては敵社《しゃ》の社《しゃ》員では有っても、私は抗爭で直接てくてく飴冷社《しゃ》の社《しゃ》員に劍を振るった覺えは無い。詰まる所私が刺さったのはヿ《じ》故なのか。
六
次の手掛かりを見失う譯には行か無い。現場に戾るか、或いは他の案を、否、其れは無しだ。考えるのは御免《めん》蒙りたい。初めの場所へ戾ろう。頭が痛い。鐘の音が導く樣に木靈する。困ったヿ《こと》に、此隱されし森の硏究所から私が離れる程强く響《ひび》く樣だ。暫くは脫出を試みたが、蹤は無く、常に立ってゐられ無い程の頭痛がすると云う希望の見え無い狀況に立ち向かえ無かった。
諦めて戾って來た私に選擇の餘地は無かった。思考を始める。此迄の情報から他に進展する何かを探す。
助けを求める樣に空を仰ぐ。彼だけ賑やかだった先夜が嘘の樣に星々の姿は無く、一切を呑み込まんが如き眞黑な空はすっかり藍色の朝燒けに召し替えて裾の曙色を靡かせる。終わりを思わせる光景の下で、張り詰めた絲が切れた感覺がした。
私が無意識の內に目を背けて來た違和感は一つの假說として私の腦にはっきりと浮かび上がって來た。
彼の卷物、彼の卷物は願いを叶えるなんて氣樂な物では無い。逃げ續けた最後の記憶は私の元へ歸って來る。
雪山を出た私を、彼の者《もの》は追跡した。私が彼の者《もの》の接近に氣付く迄の時閒差から考えて、彼の者《もの》は私が敵社《しゃ》の社《しゃ》員と卽座には氣付か無かったのだろうか。上司に私と逢ったヿ《こと》を報告したとかで時閒差で氣付き、私は敵社《しゃ》の社《しゃ》員で有るから攻擊對象としたのだろう、若しくは私が死體を發見する可能性も考えてか。結果として、私は彼の者《もの》の乘る車に歸り道で追い付かれ、彼の者《もの》は車にて私の乘る車へ可也の速度を保って側面衝突《とつ》した。私は結局何も積み込ま無かった貨物自動車用輸送容器《き》內で運轉を遠隔操作しつつ寬いでゐたが、卽時視《し》野再現映像を通して私の目に留まるが早いか、彼の者《もの》は側面衝突《とつ》を御見舞した。
とことこ飴冷社《しゃ》やてくてく飴冷社《しゃ》の特殊な車兩は世の中に同じ樣な重い車兩が少ないヿ《こと》から意外とひ弱で、其んな車兩同士が打つかって仕舞ったら車達の舞踏會が開かれる。更に、彼の者《もの》は知ってか知らでか、私の乘ってゐた貨物自動車の貨物自動車用輸送容器《き》は上げ下ろしの簡單の爲、外れ易くて、丈夫だが比較的輕い。
物の見ヿ《ごと》に敵の手役は滿ち足りて、衝突《とつ》を受けた私は受け身を取る閒も無く貨物自動車用輸送容器《き》每ぐるぐると回り乍ら惡役が如く吹っ飛んで行った。意識が飛ぶ直前に觀た映像では、彼の者《もの》は爽やかな表情を浮かべた儘、映像受信器《き》や動力源の附いた私の車の前部と、私が吹っ飛んで行ったとは反對に見える丘との閒に挾まれる樣に消えて行った。
漸く眞相が判明した譯で有るが、大きな問題が有る。激しい回轉と衝擊を其の身に受けた私は、當然其れに見合ふだけ痛め付けられる。記憶が碎ける程の負傷で、私が動ける方が可怪しいのだ。此迄にも、貨物自動車用輸送容器《き》から出る時、今考えると有り得無い動きだった。私が思い込んだ通りに世界の感じ方が變わってゐる。私の五感だけでは無く、最早景色迄もが私の認識に依存する。其の樣なヿ《こと》が起こり得る狀況を一つ知ってゐる、夢だ。
詰まり、私は最後の記憶の後、酷く痛め付けられたが故に身體は動か無かったが、死ぬヿ《こと》は無く、腦は目覺めた。然して私の腦は今の狀況から○《い》き殘ろうと、失った直前の記憶の缺片を集める爲に、緊急で夢の樣に現實を再現したのだ。
以上が私の假說で有る。卷物には私が雪山からの歸りに舞い飛ぶヿ《こと》が書いて有ったと記憶してゐる。手記を見返すと、矢張りと言う可きか、彼のヿ《じ》故の記錄は無く代わりに記憶に無い短歌が書かれてゐた。少なくとも、彼の卷物が私に對して何等かの影響《きょう》を及ぼしてゐる。然して、其れに氣付いて仕舞ったと云うヿ《こと》は、私は夢から醒める筈で……。
熱い。熱い。頭の中が全て燃え盡きて終いそうな程に熱い。吐き氣がする。身體中が痛い。何が起きてゐるのか考えようとするが、頭の容態は惡化する許りだ。とは云え、考え無い樣になんて迚も無理だ。氣が付くと周りは雪山に戾ってゐた。日差しと雪の照り返しで眩しくて目が細く爲る。だが如何云う譯か頭痛も吐き氣も引き繼いでゐる。一應身體は動くが耐え難《がた》い痛みを帶びた儘だ。誰でも良いから助けて吳れ無いか。然うだ、未だ私の認識で變えられる夢の中ならば。私は痛みを感じると思ったが實は、實は腦は痛みを感じてゐる暇が無いと考えて痛覺を無視《し》し始める。然して色取り取りの御花で埋め盡くされて、私は其處で寢轉がって幸せに。……變わら無い。然も新しいヿ《こと》を考え始めて仕舞ったが故に頭痛も酷く爲った。考え續けるヿ《こと》は出來る物の、考えた所で解決仕樣も無い此特殊な狀況に於いて、腦が性能、時閒共に限界を超えて働いて過熱してゐるのか。緊急時に必死で考えようと云う人閒の切り札が裏目に出た樣だ。と云うゟ、私が普段考えるヿ《こと》を避けてゐた所爲だ。
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已矣哉、もう制御出來そうにも無い。起きて初めは考えるのに苦勞したのに、今は考え過ぎ無い樣に苦勞してゐる。皮肉な物だ。身體が等加速度で回轉する樣だ。耳鳴りがする。景色が蕩けて行く。
「『食べられる植物は少ないですよ。』」「氣が付くと何處か遠くへ來て仕舞った見たいだ。寢てる閒にも車は道に沿って進んで吳れたのか。ん、此處、如何成ってゐるんだ。何時の閒にやら私は、見渡す限り獨立した道と車しか無い空閒に迷い込んでゐた。道路に道路が編み込まれた多次元構造だ。」「飴撒山登山道三合目 飴撒山傳說」「貨物自動車用輸送容器《き》からしゅーと音がする。足元の泥からはこぽこぽと音がして泡が上がって來る。」「『手閒を惜しむな。あんたに遣る氣が有って感受し乍らの今迄の經驗はあんたの前に武器《き》として轉がる。あんたが何れだけ不器《き》用でも我武者《しゃ》羅に武器《き》振り回しとけば當たる時は當たる。』」「『食べられるとは何ぞや』」「周りを見ても何の道路が何處から何處へ延びてゐるのか全く分から無い。然も、良く見ると周りの車は何んな向きの道路でも貼り付く樣に走ってゐて、上下前後左右が分から無く爲って行く。」「飴撒山では、麓の冷屋町から山に選ばれた幼子は山に捧げ無ければ成ら無い。」「衝擊を受けて貨物自動車用輸送容器《き》には傷が付いてゐたのか。氣體の通り拔けられる穴が空いて仕舞ったらば重力子に據る力で貨物自動車用輸送容器《き》の中の空閒は消えて仕舞う。一先ず燈りを點けるか。私は頭の上に載った提燈に火を點した蝋燭を容れる。」「『あんたは內で働いてゐる。使い慣れた武器《き》ならもう持ってる、後は冒險するだけだよ。』」「『少ないとは如何樣か』」「山奧へ大人が連れて行き、飴を撒いて大人から注意を逸《そ》らし、大人は子供を置き去りにして山の中に御供えする。飴撒山登山道が入り組んでゐるのは其の爲だ。」「大きくて眞ん丸な月も見飽きた。私は何時から此處にゐるんだろうか。私は此から如何爲るのだろうか。私は此處では俯せから身體を殆ど動かせ無くて起き上がれ無い。痛みは無いのだが、此處にゐると胸が重く苦しい。私は彩度の高い御花達を橫目に見乍ら思う。幸せだ。」