WHO ARE YOU?

その夏の深夜、私は小田原駅に降り立った。
私は小田原が何処にあるのか、知らなかった。
確かに、東京駅で名古屋方面に向かう電車に乗ったところまでは覚えている。葬儀の話を聞いて、実家に向かうつもりだった。はずだ。誰の葬儀だった?
電車に乗ってすぐ、私は眠ってしまった。車内アナウンスで飛び起きた勢いで電車から降りてしまった。目的地ではなかった。ここは何処だ? 小田原。小田原って何処だ?
乗っていた電車が終電だった。財布は空っぽだった。東京駅のみどりの窓口で、財布をひっくり返して、小銭をカウンターにまき散らせたのだった。誰もお金を貸してくれないので、蔵書を古本屋に売って、作った金だ。
「これで名古屋までいけますか?」と言うと、ぶっきらぼうに乗車券と特急券を渡された。お釣りは百円。上着のポケットを探ると、百円玉と裸の煙草が三本とライターが出てきた。やけに喉が渇いた。
口のなかもパサパサに乾燥していた。改札を出てすぐ、トイレの傍らに自動販売機があった。白い光を放っている。だが、ジュースを買うお金もなかった。私はそこに立ちすくんでいた。終電が出てから三十分が過ぎようとしていて、人も疎らになってきた。私は自動販売機の前を行ったり来たりしながら、すべてのポケットを十円玉求めて、探った。
なかった。
「おい、大丈夫か」
自動販売機の横から声がした。私はビクっとした。そこには黒ずんだ緑系のツナギをきた、おじさんがあぐらを掻いて、新聞紙を敷いて坐っていた。
「どうしたんだ、金がないんか」
「はい、電車代に使っちゃって」 
「ほれ」と言って、ツナギのおっさんは私にコインを投げて寄越した。五百円玉だった。
「あ、え、いや、あ、ありがとうございます」
「ええよ、金があるやつがないやつに奢るんがならわしや」
もう一度お礼を言ってから、私は自動販売機のスロットに五百円玉を挿入しようとした。焦りで手がピクピク震えた。やっとの思いで購入したスポーツ飲料はひんやり濡れていた。缶が口に触れた瞬間、割れた唇に痛みが走った。ゴクリ、ゴクリ、と喉を鳴らして、一気に飲み干した。
そのまま、私は、気絶した。

ちょうどその一年前、二十歳のとき、私は重い鬱になって、大学を休学した。
最初は鬱だとは気づかなかった。中学生のころからの例の無気力だと思っていた。何かが病的にオカシイと感じたのは、夏休みだった。実家に帰省して、机に向かい、前期に後れをとっていたフランス語を勉強しようとしても、一向に進まなかった。何も頭に入ってこない。というか、勉強の仕方が分からなくなっていた。鉛筆でノートに単語を何回か書いてみる。その動作が脳と連結しない。独特の動けなさがあった。涙が流れた。
机に突っ伏して泣いていた。泣くことしかできなかった。慟哭のような感情的な泣き方ではない。ただつらつらと涙が流れた。ぐったりとして身体は椅子と机に固定されたように、私は動けなくなった。泣き止んでからも、動けなかった。ぐったり、としていた。ひどく眠かったが眠れなかった。ベッドに横になれば眠れるだろうか?
だが、真後ろにあるベッドに移動する気力もなかった。そのままでいた。部屋はとても静かだった。エアコンの音だけがする。身体が段々冷えてくる。尿意を覚えたが、トイレには行きたくなかった。そのまま、漏らしてしまおうか、と考えた。私は凝固してしまった。空のペットボトルがあった。ペットボトルの蓋を外し、パンツを下ろして、そこにおしっこをした。噴射音と共にトプトプトプという音が部屋中にこだました。匂いはしない、と思うことにした。微かな快感があった。少し、動ける気がした。なんとか椅子を回転させ、既に力が抜けている身体を傾けて、どうにかベッドに倒れこんだ。もう動けないと思った。なかなか眠れなかった。思考が消えてほしいと思った。
明け方になって、漸く薄っすらと眠れた。

ほとんど何もしなくなった。しようとしなくなった。できなかった。その区別も分からなかった。部屋で、飲んで、食べて、部屋を出て、トイレに行って、便器に坐り、排泄して、部屋に戻って、ベッドに横たわった。ほとんど眠れなかった。私はそういう機械になった。鬱病機械。
異変に気づいた母に病院へ連れていかれ、医者に鬱病と診断され薬を処方され、「無理しないで、ゆっくり休んでください」と言われた。
「無理しないで」と言われても、私はほとんど何もしていなかったし、わずかな希望を持って処方された薬を服用しても、ほとんど眠れないままだった。ほとんど何もしないことが、辛かったし、「ゆっくり休む」仕方が分からなかった。飲食と排泄のとき以外はベッドの上に居た。ほとんど、何もしていないのなら、何をしていたのか?
思考をしていた。ただただ思考をしていた。思考機械。
ベッドにぐったり横たわる私は何を思考していたのか?
ただただ、「一体なぜでこうなってしまったのか?」を思考しようとしていた。だけど、思考はまとまらず、むしろ「こうあるとはどういうことか?」を思考してしまった。人間はそれぞれ固有の音を発している。それぞれの人間は異なる音を響かせている。だとしたら、私はミニマル音楽だ。ブツブツと散発的に音を発する。ブツブツに千切れた意志。いや、石と化した人間が私だ。
元気だった頃を思い出そうとする。私は大学生で、西洋哲学を勉強していた。上京して、大学に入学するまで、哲学に興味などなかった。哲学に遅く出合った分、必死に勉強した。哲学系のサークルにも入った。フランス語の授業をサボって、勉強会のレジュメを量産した。たまのサボりは楽しい。
なのに、どうして、連日ベッドに横たわっている生活はこんなに苦しいのだろう、と私は思考した。暇や退屈とは根本的な何かが違っていた。退屈とは何かがしたいけど、することがないことだが、何かがしたいという意志がほとんど途絶していた私には、することがないは問題ではなかった。そのずっと手前で動けなさだけがあり、そしてこの思考だけがあった。
虚しく空転する思考、機械の空転。
思考が止まってほしかった。寝ているときの、夢を見ていないときだけ思考が止まった。けれども、ほとんど眠れなかった。起きている間は、悪夢のような思考が続いた。私はデカルトの圧倒的正しさに打ちのめされた。部屋には『方法序説』も『省察』もなかったけれど。私は思考する。思考する私に消えてほしかった。だが、消えなかった。思考について思考している始末だ。身体はぐったりしていた。精神の生活に吐き気がした。
元気だった頃を思い出そうとした。それは遠い過去に思えた。

鬱病の診断から半年が過ぎようとしていた。精神の生活にも慣れ始めていた。すべては空虚で平板なままだったが、死なずに生きているからには、なんとかなってしまっていた。外出もできるようになった。わざわざ東京から友達が訪ねてきてくれた。私はほとんど黙ったままだったが、友達は「不眠症には散歩と日光浴、あとキムチが効くらしいよ」と言って、微笑んだ。私たちは、友達がお土産で買ってきてくれた韓国産のキムチと海苔をおつまみにワインを飲んだ。
医者にはアルコールを禁止されえいた。
久しぶりに飲むバローロは美味しかった。何かを美味しいと感じることも、久しぶりだった。私は酔っていった。高揚はしなかったが、酔えた。その夜、友達と二人、一緒のベッドで寝た。ワインのボトルが二本、空になっていた。何かが動き始めていると思いながら眠りについた。赤子のように眠った。
友達が帰った翌日、私は散歩することにした。歩き方に意識が向いた。上手く歩けていない気がした。ふと、歩き方には関係ない或ることに、思い当たった。この半年、性欲が消失していた。今もたぶん、性欲がない。性欲は食欲や排泄欲、睡眠欲に比べて曖昧な欲望だ。
明らかに性欲を感じていると分かるときもあれば、意識の底で性欲が駆動しているのに、それを自覚できないときもある。だから、性欲が消失していることに気づかなかった。最後に性的な快楽を感じたのは、そう、ペットボトルにおしっこをしたときだった。
 目的地もなく歩いた。ひたすら道沿いに歩いた。歩く速度が速くなった。歩き方が私の歩き方に戻っていた。身体の速度が増すと共に、思考の速度も増していた。思考は相変わらず空転しているかのようだった。でも、回転があまりにも速くて、別の軌道に弾き出された。ずっと動かずにいた私のなかの何かが動き出そうとしていた。性欲の消失に思い当たったのと同じ唐突さで、或る思いが到来した。

 《神様、あなたは誰ですか?》

その思いが、私の精神を駆け巡るや否や、物凄い光に私は包まれた。私自身が光っているのか、世界が光っているのか、分からなかったが。鬱の人はすべてに靄がかかったような現実を生きている。世界は靄の向こうにあり、不眠症が重なると現実と夢が区別できず、世界そのものが靄のようになる。その靄が光と共に消し飛んだ。私は立ち止まった。光の世界を観照した。その時が、半年間に渡る鬱病が、何の前触れも根拠もなく、快癒した時だった。
そして、理解した、社会を超越した宇宙の片隅に自分が存在していることを。

WHO ARE YOU?

WHO ARE YOU?

  • 小説
  • 掌編
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2025-03-04

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