『好きな1曲シリーズ。』
YOASOBI アイドル
こんにちは。
ごまんたれぶう。です。
諸事情にて、ひっきぃ中です。
自慢ではありません。
石を投げないでくださると幸いです。
今日はYOASOBIのアイドルという楽曲を久しぶりに聴いています。
私は漫画もアニメ(原作関連)も読んだり見たりしたことはないのです。
主人公の名前も知らないのです。
登場人物が誰かも知らないのです。
推しの子のファンの方々がおりましたら大変申し訳ありません。
ただMVと歌詞とメロディが私は好きなのです!
これからなぜ私がこの曲に惹かれたのかを語りたいです。
それは強さ、なのです。
歌詞もMVも、皆が望むアイドルという夢を自分が利用し周囲に利用されながらもトップに立ち続ける芯ある強さを感じます。
皆が望むアイドルは過剰な共感、妬み嫉みも含め夢だと私は思うので生身の人間とは乖離があります。
泡のごとくやがて弾けるだろう像と思うのですが、それでも偶像の底には本物がいます。
本物の自分自身で何を伝えようかが歌詞にもMVにもちゃんと描かれていて素敵な素直な音楽です。(歌唱は大変に難所があると思うのですが川の流れのように歌い上げる素晴らしさです!)
アイドルという夢のあぶくはこれから先の時代も生まれては消えを繰り返すほど誰もに魅力的だと私は思います。
魅力的な夢から目覚めるタイミングは人それぞれですが、アイドルの底から這い出た本物の自分は各自それぞれ生涯をとおして付き合ったり観察したり、付かず離れず共に歩んでいく性質のものなのかなあと私は想像します。
ちなみに私はアイドルのように崇拝されたことは人生で一度もありません。
基本的に石の裏にいるダンゴムシです。
哀しい。
星野源 地獄でなぜ悪い
こんにちは。
ごまんたれぶう。です。
まだ息をしています。
その証をここに刻みたいです!
今回の1曲は星野源さんの地獄でなぜ悪いです。
この音楽の私の好きなところは歌詞とライブパフォーマンスなので皆様にはぜひ公式YouTubeアカウントなどでまず視聴してみて欲しいです。
この世界が地獄というよりも自分自身の地獄を心の底から叫んでいる、自身の哀しみ苦しみのまなざしをきちんと認めているし信じているのだと思います。
動きたくても動けないと思うような自分自身の地獄って生きていればやっぱりあります。(たぶん、みなさまの人生にも)
そのとき動けないと思うこの居場所で、逃避的なものも立ち向かうものもみな想像しながら、自分なりに自分の影と戦っている。
それでも歌詞の主人公はいつかは、と希望を捨ててはいないところに私には自分の地獄にたいする捨て台詞というか、人間の強がりが愛らしく映るのです。
かなしい記憶をのりこえると次に立ちはだかる世界の地獄は、明日を掴んで立つ先に見えてしまうものかもしれません。
しかしまずは自分の地獄に向き合うことからだと私は思います。
歌詞と対比するのか曲調はにぎやかで楽しげでスピーディーです。
ただその歌唱がライブパフォーマンスでは濁流の力強さです!
星野源さんが歌われていて個人的に好きなワードは『嘘でなにがわるいか』です。
私は地獄でなぜ悪いという楽曲とは別に、常日頃から嘘でなにがわるいか、と思っているので震えるほど力強く歌われると思わず深く頷いてしまいます。
それは私が嘘つき常習犯ということではありません。
私は虚構を嘘であると思っています。
虚構は事実ではありません。
虚構は虚偽とは違うと個人的に私は信じています。
ただ嘘が(虚構が)ときに人間の道を助けることがあります。
不思議な現実です。
だから私は嘘でなにがわるいか、と常日頃、実は思っています。
星野源さんの作詞作曲の考え方や趣旨とは私が今日書いたことはきっと別だと思いますが、地獄でなぜ悪いの歌を聴いて私自身に落とし込むと、私はこのように感想をもちます!
みなさまはどうですか。
ご興味のある方は星野源さんの地獄でなぜ悪いを、ぜひ視聴してみてください。
sakanaction 蓮の花
おはようございます。
ごまんたれぶう。です。
だんたん春がみなさまに近づいてきたでしょうか?
春風強いは春の音ということで始めたいと思います。
今日はsakanactionさんの蓮の花というミュージックビデオについて感想を書きたいです。
よろしくお願いいたします!
私は蓮の花についてはミュージックビデオが好きで何回でも視聴してしまいます。
蜘蛛男とボーカル山口さんのかけあいと、そのときどきのなんでもないような日常の環境のバランスが私から見ると素晴らしく思えるのです。
私的なお話にはなってしまいますが私は小説と申しますか詩と申しますか、そのような作品をつたないながらときどき書くのです。
その作品を書いている時の私の心の状況に一部似ているのです。(だからMVなのです)
第三者がいるときと公共の場のとき、誰もいない町のとき。
蜘蛛男も山口さんもそれぞれすましていたり何気なくコミュニケーションを取ったり。
片方が自由だったりもう片方が社会的なふるまいを果たしていたり。
しまいには楽しく一緒に踊り出すというミュージックビデオ。(ポーズも決めます!)
シュールな動画だと思われる方々が多いのかもしれませんが、私にとってあのMVは身近な親しみある想像の過程への光景なのです。
もちろん、チームsakanactionは蓮の花というミュージックビデオを私のような感覚で見てしまう人がいるということは意図と違う……と、思われるかもしれないのですが、私は世界の片隅震える小声で、だって私にはそうなんです……とこそっとだけ言いたいのです。
あと離れてゆくちいさな蜘蛛。
あの命も象徴的に私には映るのです。
蜘蛛との別れが蜘蛛男に成長する。
想像力だけではちゃんと書けないし蜘蛛男にまでならないのではないかと思うのです。
自分自身に向き合う姿勢もちいさな蜘蛛に試されていて書いているうちにそれは育っていくのかなあと私は思ってしまいます。
だから山口さんが一瞬にやりとしていらっしゃるのですがキーボードに向かいなおす時は書き手なりに前向きなのだと私は想像します!
蓮の花のミュージックビデオ、歌詞と楽曲。
さまざまな見方があると思います。
恋愛映画のエンディングテーマなので特に歌詞は恋愛のストーリーだとは思うのですがミュージックビデオの物語性と映像(編集でしょうか?)のちからに度肝を抜かれたため私はこのような感想をもちました。
ごまんたれぶう。はここまでとても楽しく想像しました。
みなさまはsakanaction 蓮の花は、どこが好きでしょうか。
まだ聴いていない方々がいらっしゃいましたら公式YouTubeでぜひ視聴してみてください!
CDも特典があって良かったです。
SOIL&"PIMP"SESSIONSと椎名林檎 殺し屋危機一髪
平日真っ昼間からこんにちは。
ごまんたれぶう。です。
今回の私の好きな曲はSOIL&"PIMP"SESSIONSと椎名林檎 さんコラボレーションの、殺し屋危機一髪という楽曲です!
CD(楽曲)も私は好きですが特におすすめは大人たちの美しい艶とショート映画のような、物語をかきたてられるミュージックビデオです。
皆が夢中になる女性像。アイドルというよりファム・ファタールでしょうか、そのような役割を椎名林檎さんがしてくださるMVです。
一癖も二癖もある殺し屋な男性たちが本来ならばお互いの利害を冷静に調整するところを、椎名林檎さんふんする女性像は男性たちを上手に噛ませ合う方向性へ操作していく、火を点ける物語に私には見えるのです。
考え過ぎだと思いますか?
私は考え過ぎだと思います!
ただそのような考え過ぎや良い意味で妄想を発想させる、想起させる、日常を離れ解放される映画のようなミュージックビデオなのです。
ぜひYouTube公式アカウントなどで視聴して欲しいです。
ファム・ファタールは最後に必ず男性たちの報いを受けることが物語の宿命です。
その悲哀も映像に表現されているような気がします。
ですが題名が殺し屋危機一髪なので、あんがい椎名林檎さんの役割はどこか別の場所でチャーミングにお元気にしているのかもしれません。
歌詞も、私は女性の愛情からくる強がりと計算高い強かさがにじみでていて好きなのです!
強くても弱くてもふつうの女性です。
女性ならではの歌詞です。
「あまり深入りしないで欲しいね。」という男性の台詞に色っぽい歌声でさらりと返す芯ある女性。
最中は誰もがなかなか真似はできないからこそ、憧れてしまう結末です。
ちなみに私ごとになりますが、このMVにごまんたれぶう。が出演しているシーンがあるという噂を流されたことがありまして私の脳内はクールポコのお二方のコントのようになりました!(男は黙って労基遵守)
私は石裏ひそむダンゴムシ。
それが世界の選択か……とかいう台詞も言えないダンゴムシです。
なぜそのような噂が流れたのかはダンゴムシ故にわかりかねますがミュージックビデオに罪は初めからありません!
みなさまも楽しくSOIL&"PIMP"SESSIONSと椎名林檎 殺し屋危機一髪を視聴してみてくださいませ!
米津玄師 さよーならまたいつか!
こんばんは!
ごまんたれぶう。です。
今日は久しぶりに外出(通院)したひっきぃな私。
お外はみぞれが舞うまだ冬でしたので、外出の合間にこまめに雪かきをしました。
今日は米津玄師さんの楽曲、さよーならまたいつか!をとりあげたいと思います。
この曲はミュージックビデオが2種類ございますが、私は米津玄師さん出演のご本家さまもNHK朝ドラプロモーションバージョンもどちらも好きですが、私的な好みを通すと米津玄師さん登場のミュージックビデオに軍配があがります!
米津玄師さんが、視聴していてもわかりやすい切り替え無しでずうっと歌っていらっしゃる(ように見える)映像の演出のひとつだと私は思うのですが詳細は素人なのでわかりません!
ただこの演出のおかげなのか、歌いながらふわふわゆらゆら生きつ戻りつも歩く米津玄師さんが他の出演者たちより際立つ浮き立つ存在に見えます。
存在の次元が違うように見えます。
幽霊などの怖さや切なさというよりしっかりとした賢い未来人の観測者ような怖さと不思議さを私は感じてしまうのです。
米津玄師さんだけがループしているMVですがそのループは悲哀というより次元が違う観測者としての享楽的でありながらも生きようとしている人々への愛情ある諸行無常を感じさせます。(米津玄師さんの周りの市民たちの暴動から治安の治まりは私たちの現実の世界観そのもので時代の過程途中に私には見えます)
歌詞も私は好きなのです。
MVとは別に歌詞だけで考えています。
力強く聴こえる歌詞は時代をこえた遠い先への誰かに宛てた、お手紙のようです。
先立つ存在から、まだ未熟だけれど未来あるものが最果てにしっかりと立てるよう送られたお手紙。
その当時の常識を生き抜く世代から、未来の当時の常識を生きるだろう世代へ。
私はこのようなイメージが歌詞からはあるのでミュージックビデオの映像と合わさると良い違和感、面白いくつい魅入ってしまう合わせ鏡の魔力にすいよせられそうになります。
米津玄師さんのさよーならまたいつか!のMVから私は色んなことを感じるので何度も視聴してしまいます。
みなさまはこの楽曲にどんなことをお感じになりますか。
いつか、教えてください!
『好きな1曲シリーズ。』