オディ・ゥロアの計画

オディ・ゥロアの計画

 康夫がこの春に大学進学のため家から出ていった。彼が十一歳でこの家に来て十年足らず。私と妻にとっては試練の日々だった。

 康夫の姿をしたこの子は一体なんなのか?
 康夫の魂はどこへ行ってしまったのか?

 口にはしなかったが、私と妻は同じ疑問を抱いていた。産婆がこの家の奥の間であの子をとりあげたのだから、あの子が私たちの娘の腹から産まれた孫であることは確かだ。だが、康夫の魂は十一歳の初夏にどこかへ行ってしまった。

 一人娘である初江が康夫を出産したのは一九四四年春のことだ。康夫の父親は戦地で右目を失い実家に戻っていた木坂村の谷中藤次。田植えに早乙女として行っていた初江に手をつけ、子を孕ませたことが秋になってわかった。

 娘には相応の相手をと考えていた矢先のことで、藤次を家に呼んで怒鳴りつけたものの、初江と二人で畳に額を擦りつけられれば認めざるを得ない。徴兵される心配のない藤次に嫁がせるのも悪くはないと、私は自分に言い聞かせた。

 初江はうちで出産することにし、木坂村の谷中の家には飯塚姓となった藤次と彼の祖母が残った。藤次の両親はとうの昔に流行病で死に、藤次の兄は戦地。

 その年の冬、藤次の祖母が風邪をこじらせて死んだ。年が明けて二月には藤次の兄が戦死したと報せがあった。藤次は春に父となった。

 掘っ立て小屋同然の谷中の家を人並みの民家に建て替えてやり、初江と康夫を木坂村に送り出した。日々の糧を得るにも、空襲を避けるにもあっちの方がいいと考えたからだ。

 終戦後も初江たちは木坂村に住み続けた。復興資材の需要で村に林業者が集まり人口が増え、一九五三年にいくつかの村と合併してO町になった。

 山育ちの康夫は猿のように身が軽く、庭木に登り、屋根を伝って隣家の庭に小便するようなやんちゃ坊主だった。その子が〝狐憑き〟になったのは一九五五年の梅雨時期のこと。

 あの日は初江から電話があり、S町の精神病院に康夫が入院したと聞かされた。

「一時的に言葉が話せなくなっただけよ。人目があるから病院には来ないで」

 病院まで家から歩いて二十分ほどだったが、私と妻は娘の言葉通り見舞いを控えることにした。数日後、再び初江から電話があり、震える声でこんなことを言った。

「一緒に入院していたやっちゃんの友達が病院から失踪して行方不明になってたんだけど、さっき死体で発見されたって。O町の山奥で」

 精神病院に入院していたのが康夫だけでなかったと知って驚いたが、娘の意気消沈した声にあれこれ問いただすこともできなかった。

 その翌日、O町に住む安田が私を訪ねてきた。彼には飯塚家(うち)が所有している山林を貸しており、木坂村の林業は彼が仕切っている。わざわざS町まで来るなんて一体何の用かと尋ねると、安田は顔を強張らせた。

「飯塚さん、下田のとこの子が死んだのは知ってますか?」

「ああ」

 康夫の死んだ友達の名前だった。

「その子が死んでいたのが飯塚さんの山でね、黄坂峠の近くにある祠のそばなんです」

「祠なんてものがあったのか」

「やはり知りませんでしたか」

「山のことは君に任せきりだし、私は山歩きするような人間ではないからね。その子はなんでそんなところに行ったんだ?」

「それなんですがね、町の者はみんな祠の祟りだと言ってるんです。康夫君と下田の子が蒲谷地区で保護されたときも、どうも祠に行っていたらしくて」

「保護? なあ、安田君。その時のことを詳しく話してくれんかな。初江はこのことに関しては口が重くてね。心配させまいとしてか私にも妻にも何も教えてくれないんだ」

 安田は躊躇っていたが、後ろめたそうな顔をしつつも知っていることを話し始めた。

「あの日、康夫君と下田の子はおそらく黃坂峠近くの祠に行ったんだと思います。服も靴も汚れていたし、そっちに向かう小道に足跡があったので。
 まあ、それは後でわかったことで、二人が畑の中をふらふら歩いているところを見つけたのは蒲谷地区の者でした。こんなとこでどうしたんだと聞いても『あー、うー』と言葉にならない声を出すだけで、言葉も理解できなかったと。
 それで、とりあえず家に連れ帰って駐在を呼んだらしいんですが、あまりに服が汚れているから着替えを出してやったものの、服の着方も忘れていて、食べ物の食べ方もわからなかったとか。
 持ち物から身元がわかって、迎えに来た初江さんたちに病院を勧めたのは駐在だと聞いてます。蒲谷地区では結構大きな騒ぎになってたみたいで、子どもが二人狐憑きになったという噂が一気に広まったようです。今はO町で知らない者はおりません。
 それから、下田の子の捜索のときに祠のことでちょっと奇妙なことがわかったんです」

「奇妙なこと?」

「祠の周りに黒い沼ができていたそうなんです」

「できてた? 前からあったんじゃなくて?」

「俺は普段黄坂峠の方には行かないんですが、あっちにキノコや山菜取りにたまに行くという人がいましてね、その人の話だと少なくとも一ヶ月前には沼はなかったと言うんです。雑木林に埋もれた岩場の上に小さな祠があっただけだって。それが、下田の子が発見された時には祠の岩を囲うように黒い沼があって、そのほとりに倒れていたんだとか。死因は足を滑らせて石に頭をぶつけたようだと聞きました。
 今回のことは沼とは無関係なのかもしれませんが、町の者は狐憑きも黒い沼も祠の祟りだと噂してるんです。初江さんと藤次君は狐憑きのことだけでもずいぶん形見の狭い思いをしてたようで、そこに下田の子があんなふうに死んでしまったから……。
 俺が口出しするのは大きなお世話かもしれませんが、噂がおさまるまで初江さんと藤次君は飯塚さんとこで暮らしたほうがいいんじゃないかと思って。その話をしに来たんです。間違っても二人を追い出そうって言うんじゃないんですよ。ただ、見てるこっちが辛くて」

 その日、安田が帰ったあとですぐに初江に電話をかけた。「安田から聞いたぞ」の一言で泣き声が聞こえてきて、妻に代わるとそのあと女同士で小一時間話し込んでいた。

 初江が泣きながら話した内容は安田から聞いた通りで、康夫は狐憑きではないと妻に繰り返し訴えたそうだ。保護された時と比べるとかなり回復しており、記憶は失ったままだが簡単な会話はでき、食事や服の脱ぎ着などの日常の動作も問題ないらしい。

 一方、下田少年は失踪する直前まで『うー、あー』しか口にできず、言葉も理解できなかったそうだ。O町の山奥で発見された時、足の裏はボロボロで服は病衣のまま。普通は汽車で行くような距離を少年は歩いてたどり着き、そして失踪から二日後に死体で発見された。

 康夫は下田少年の訃報を聞いてからひどく怯えた状態だという。初江も精神的にまいっているようだが、その原因は下田少年のことだけではない。康夫の頬に大きな黒いシミができており、そのシミがわずかに動いてると言うのだ。医者には気のせいだと言われたようだから、実際に動いていたのかはわからない。 

 妻と話し合って初江に同居を提案しようと決めたものの、その翌日に思わぬ報が入ってきた。

「康夫の記憶が戻ったからじきに退院できると思う」

 受話器から聞こえたのは初江の明るい声。頬のシミも忽然と消え、医者も狐につままれたようだと驚いていると言う。私は同居を切り出すことができず、数日後には無事に退院し、初江と康夫はO町の家に戻った。

 元気な顔を見に行きたいと電話で伝えたが、初江はやんわりと断った。やはり近所の目が気になるようだった。その代わり、今は夏休みだし康夫をしばらく預かってくれないかと言ってきた。私は「いつでも大歓迎だ」と答えたが、後でその時のことを後悔した。私はこう言うべきだったのだ。

「親子三人、しばらくうちでゆっくりしたらどうだ?」と。

 初江と藤次は顔を見せはしたものの、仕事があるからと息子を残してO町に帰った。それが二人の姿を見た最後になった。異変を知らせてきたのはO町の安田だ。

「藤次君の家、ここ二、三日は夜も電気が点いてないみたいだし、新聞も郵便受けに突っ込んだままだけど、やっぱりそっちに住むことにしたんですか? もしそうなら新聞は止めといた方がいいんじゃないですかね?」

「ああ、わざわざありがとう。藤次君には私から言っておくよ」

 下手に騒いではまた変な噂が広まりかねない。当然ながら、藤次も初江もうちにはいないが、私はできるだけ平静を保って通話を終えた。せめて夏休みの間だけでも誤魔化せないかと考えたのだ。

 この時の私の心境は「まさか」ではなく「やはり」。娘が私たちに康夫を押し付けたことは、康夫がうちに来た初日にはわかっていたこと。娘夫婦はあの子から逃げたのだ。

 諦めに似た気持ちが胸に広がり、肺に砂を詰めたような重苦しさの中で受話器を置くと、居間の机で宿題をしていた康夫が「誰から?」と聞いてきた。じっと私を見つめる二つの目。そこにはどんな感情も見当たらないが、口元に子どもらしい無邪気な笑みを浮かべている。

 奇妙な表情だった。目のまわりだけ写真を貼り付けたような違和感。これがうちに来た日からずっとだ。やんちゃな行動も生意気な口の聞き方も〝康夫(やっちゃん)〟らしくはあるが、すべてが空々しい演技にしか見えない。

「O町の知り合いからの電話だよ。やっちゃんのお父さんとお母さんがどこかへ行ってしまったかもしれない」

 康夫が以前のままなら、私はきっと両親がいなくなったことを隠しただろう。だが、この時は反応を見るために敢えて口にした。

「どこかって、どこに行ったかわからないの?」

「わからない。おじいちゃんがO町の家に行って様子を見てくるよ」

「いないってわかってるのに様子を見に行くの? 何の様子を?」

 康夫は心底不思議に思っているような口調だった。やはりその目に感情は宿っておらず、両親がいなくなったというのに不安がる様子がまったくない。

「やっちゃんはお父さんとお母さんのことが心配じゃないのかい?」

「心配だよ。だってぼくの親だし。でも、あの二人はぼくの知ってるお父さんとお母さんとは違うんだ。ぼくが退院したらお母さんは元気になるって看護婦が言ってたのに、退院しても元気がないままなんだ。入院する前にO町で一緒に暮らしてた時は元気だったし、お父さんと喧嘩することもなかったのに、退院して戻ってからはぼくに隠れていつも言い争ってた。もしかして中身が変わっちゃったのかな?」

 中身が変わったのはお前だ、という言葉を喉元で押し止めた。私が黙っていると、康夫はテーブルの上の金魚鉢に向かって「下田君はどう思う?」と話かけた。中にいるのは康夫がO町から連れてきた茶色い蛙。置物のようにほとんど動かない奇妙な蛙は、奇妙な飼い主と同じようにじっと私を見つめている。

 その後、康夫はS町の学校に転校させることにして夏休みの間に手続きを済ませた。O町の家は新聞も電気もガスも止めて、たまに風を通すよう安田に頼んだ。

 二学期になり、転校先の小学校に通い始めた康夫はそれなりに上手くやっているようだった。私たちと同じ目に合ったのは担任の先生。保護者面談に行った妻に、「康夫君はとてもやる気があるようで、授業中はじっと目もそらさず私の言葉を聞いてくれて」と、引きつった顔で話したそうだ。

「康夫は何か変じゃないか?」

 その言葉を口にする機会はあったはずだが、私も妻も孫の奇妙さに気づかないふりをした。私たちが育てているのは孫ではない何か別のもの――日々そう感じながら、それを認めるわけにはいかなかったのだ。奇妙な同居を支えていたのは、〝両親に捨てられた孫〟を育てなければならないという義務感だけだったから。
 
 しかし、「私たちが育てているのは一体何なのか?」という疑問は常に頭の中にあった。そのヒントが届いたのは康夫が中学一年になった年の誕生日のこと。

『飯塚善吾郎様』

 差出人の書かれていない手紙の消印は、北の果てにある縁もゆかりも無い土地のものだった。右下がりの癖のある初江の文字。この手紙はもう手元にはないが、次のようなことが書かれていた。

『お父さん、お母さん、康夫をあんなふうに残していってごめんなさい。できるなら、なるべく早くあの子を独立させて飯塚の家から出してください。
 きっと信じないと思うけど、あれは康夫ではありません。康夫の体を乗っ取った何かです。O町の人に言わせればキツネが取り憑いたということになるのでしょうが、あれはキツネのような可愛らしいものではありません。
 今思えば、康夫がキツネ憑きだった間はまだ康夫でした。あれは多分キツネ憑きのフリでした。自分が誘った友達がキツネ憑きになって、怖くて自分もキツネ憑きのフリをしたんじゃないかと思います。証拠はないけど、あの子のことを思い出すたびそう感じるんです。
 でも、頬のシミが消えた日から康夫は康夫ではなくなってしまいました。記憶を取り戻したと言って元の康夫のように振る舞っていたけど、あれはニセモノに違いありません。
 私は見てしまったんです。付き添いのため病室に泊まってウトウトしていた時、かすかに声が聞こえて薄目を開けました。すると、康夫が窓を開けて何かひとり言を喋っているのです。外国語みたいに聞き慣れない抑揚で、私は本能的に眠ったふりを続けました。
 耳を澄ますと、やはり日本語ではありませんでした。でもデタラメな言葉を口にしているのではなく、意味を持った言語だということはわかりました。
〝ディタミルンディ・ナハラ〟
〝オディ・ゥロア〟
〝ミディグォッ〟
 この三つの単語は何か特別な意味を持つ言葉なのか、繰り返し口にしていました。しばらくして静かになり、窓を閉める音がしました。そして日本語でこんなふうに言ったんです。
「この体は言葉を知らな過ぎるよ。ミディグォッはなぜこんな未熟な人間を選んだのかな? こんなことだからオディ・ゥロアの計画は遅々として進まないんだよ。ディタミルンディ・ナハラを通ってゥロアに戻ることはやっぱりできないみたいだし、だったら、オディ・ゥロアの計画を信じてぼくにできることをするしかないよね」
 口調だけは康夫そのものでした。
 当たり前ですが、私にこの言葉の意味はわかりません。でも、〝ナハラ〟は黒い沼と関係している気がします。
 実は、退院した翌日にあの子は一人で祠に行ったのです。朝起きると部屋に姿がなく、私と藤次は直感的に祠だと察して急いで山に向かいました。すると、途中であの子が山を下って来ました。どこに行ってたのと問うと、「ナハラの」と口にしかけ、その後「祠のところの沼に」と言い直しました。その時にあの子が手に持っていたのが、飯塚の実家に連れて行ったあの蛙です。その蛙は何かと聞くと、「下田君」だと言われてゾッとしました。
 蛙はその後どうなったんでしょう?
 あの子は飯塚の実家でもあれを下田君と呼んでいたのでしょうか?
 お父さんとお母さんにはあの子がどんなふうに見えますか?
 あの子は元に戻ったのでしょうか?
 そうだったらいいけど、康夫はもうこの世にいない気がするのです。ひどい母親かもしれないけど、母親だからこそ直感的に感じるものがある。そう言ったらお母さんは私を信じてくれますか?
 康夫の姿をしたその子は、きっとこの世の者ではありません。それを押し付けてしまったことは後悔していますが、私は怖いのです。再びあの奇妙な眼差しと向き合わねばならないと考えると、目の前が真っ暗になり、立っていることもままならないのです。どうか身勝手な私をお許しください。 
 読み終えたらこの手紙はどうか燃やしてください。くれぐれもあの子には見られないように。
 遠い空の下で、いつもお父さんとお母さんのことを考えています。私のことはこの手紙を最後に忘れてください。育ててくれてありがとうございました』

 手紙はしばらくの間金庫に隠していたが、結局初江の希望通り燃やした。妻に見せることもしなかった。妻がショックを受けるのではないかという懸念もあったけれど、二人でこの秘密を共有してしまえばあの子の目を誤魔化すことはできないと感じたからだ。

 康夫は中学を出てS町の高校に通い、その間ずっと下田君を飼い続けた。蛙が死んだあとはトカゲを下田君と呼び、夏祭りで金魚を買って来てからは金魚が下田君になった。金魚鉢にいるのはだいたい二〜五匹で、ほとんどが小赤だったが、たまに琉金や出目金がいることもあった。小赤ばかり泳いでいる時も、康夫は下田君を見分けているようだった。そして今年の春、黄金色の琉金を一匹だけ連れて康夫はこの家を出ていった。

 何の役にも立ちそうにない民俗学をやらせるために大学に行かせるなんてと訝る声が親戚や近所から聞こえてきたが、地元で就職されるより金がかかっても他所の大学に行ってもらいたかった。この家から出て行ってもらえれば何でも良かったのだ。

 昨日、妻の静江が私にこんなことを言った。

「あなた、金魚の黒い斑点のこと気づいてました?」

 私が無言でうなずくと静江は「そうですか」とわずかに口元を緩め、遠い眼差しで空を見上げた。初江のことを考えているのか、それともあの子のことを考えているのか。今になって、初江が逃げてくれて良かったと心から思える。

 康夫が高校一年の時だっただろうか。ふと、代替わりした金魚の「下田君」に黒斑ができていることに気づいた。そして、その黒斑は一週間ほどで消えた。その次の下田君にも、そのまた次の下田君にも黒斑ができて消えた。出目金のときだけはわからなかったが、小赤や琉金はすぐわかった。その黒斑が消えたあと、下田君は金魚鉢の中からじっと観察するように私や妻を見ていた。あれは一体何だったのか、突き止めようとは思わない。私と妻はようやく平穏な日々を取り戻したのだから。

オディ・ゥロアの計画

※表紙はMicrosoftCopilotによるAI画です。

オディ・ゥロアの計画

ホラー短編連作【それ】シリーズ #10

  • 小説
  • 短編
  • ホラー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2024-11-17

CC BY-NC
原著作者の表示・非営利の条件で、作品の利用を許可します。

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