「おいてきぼり」

 いとし君の濡れし髪
 ここは何処(いづこ)か?水底(みなそこ)
 かつての(みやこ)が沈む(うみ)

 いとし君のうつくし睫毛
 白き頬の泣痕は枯れず
 長し睫毛ばかりが固く閉ざされて

 いとし君のつめたき唇
 いつぞやの神の縁日たそがれ提灯
 苦しき日暮れの夕傾(かたぶ)きを
 空に溶けそうな背中に負って
 脆いうすい硝子の輪郭押さえ込み
 あまい林檎あめの端をくわえた
 赤い唇は色あせず

 つめたき唇つめたき頬
 涙が咲かすは死人花(しびとばな)

 いとし君は水の底
 鏡の向う 水の底
 君の姿を見つむれど
 この指は君の体に()れぬまま
 ただ臆病に生に縋りて

 いとし君を抱けぬまま
 別れの口づけも贈れぬまま
 この身は浮力に従いて
 君を過去に沈めたまま
 この身は浮力に従いて
 この身は浮力を憎み嘆いて


 君の末期のゆびさきを
 繋ぐさえも叶わずに

「おいてきぼり」

「おいてきぼり」

  • 自由詩
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2024-04-22

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