憧憬
東京が好きだ。もう4年になる。潜在的に抱いていた憧憬を自覚した。ここが東京だと幾度も言い聞かせた。憧れを口にする恥ずかしさも消えた。個の確立がなされると期待していた。何者かになれる場所だと漠然と思っていた。
東京、トウキョウ、Tokyo。どの綴りもそのキャラクターを異なる側面から表し、そしてそのいずれにも正しく一致する顔を備えている。ホッカイドウやOsakaにはない。確かに東京にしかないものがある。
東京の価値は利便性や情報の鮮度に違いない。しかし様々な顔が織りなすバーナム効果に救いを見い出し、縋ろうとする人間もいる。多くの人間に当てはまるものはそれだけ普遍的で抱きやすく、個を表さない共通項に過ぎない。それを理解してもなお、ここを自分の居場所だと錯覚しようと本能がはたらく。
東京は膨大な項に紡がれた概念であり、誰一人として取りこぼさず、繋ぎ止められる項を有し、各人に提示する。どれも皆へ平等に示し、そこには熱量もない。延々と他意なく示され続ける。こんな無機質なものを信仰する人間がいる。信仰しなければその日一日の越えられない人間もいるのだ。殊更東京の夜は多くの因数と複雑な構成によって概念化されている。自分と他人との線引きを間接的に、そして連続的に示され、自分を自分たらしめる因数に掬い上げられる。その瞬間は情け無さも抱かせないほどなめらかで、自覚する間もない。
商店街で栄えるこの町は、自宅まで一駅、徒歩で帰宅できる距離にあった。いまだに地元の人で賑わう生活の基盤であり、駅口から奥へ向かうほど昔から続く店舗が増えていく。歳月を重ねた精肉店、焼き鳥屋、街中華が軒を連ね、その地に所縁のない者にも旧懐の念を抱かせるセピア色の空間が温かかった。店頭には白いビニール袋の束が吊され、1枚ずつちぎられる。包装などはなく簡易的な厚紙やトレイに乗せられ手渡されるそれは全て温もりに見えた。空間が人に、あるいは人が空間に温かさを与えているのか、機微の疎さからくる錯覚ではない確かな温度が人々を容認する。様々な形の家族がそれぞれの温もりを内側にのみ向け、心地の良い雑踏を生む。幸福に形があった。夕焼けた空に温度があると錯覚してしまう。暮れていく淋しさに意識が向いているのは私だけなのだろうと孤立した。
夕方の喧騒から夜の静寂へと移り変わる時、思考の細緻がゆるやかに呑み込まれていく。今が夜になりつつあることを気にする人間はおらず、いつの間にか夜に包まれた後に今が夜だと認知する。グラデーションを捉えていようが、暮れる速度に、自転の動きに、取り残される。数歩遅れるようにさっきまでの今に背中を押されて夜へと移ろうことに抗えない。抗うなどという考えもないが、あまりにも強い強制力に従うことへの畏怖が底を這う。
夜が更けたその商店街は今日が終わったことを瞭然とさせた。商店街の端まで来ていた。住宅地と交通量の多い2車線の道路が粗暴に現実へと招く。立ち止まり少し考えるような素振りを見せ、今きた道を引き返す。もう幸福はどこにもなかった。元からなかったかのように温度が失われている。冷たくも怖くもなく、何もなかった。夕方からの移ろいを知らない人々には失われたという感覚すら分からない。取り残された私は置き去りにされるべくして今ここにいるのだと納得した。
商店街の一本隣の道沿いを線路が通り、駅へはすぐに向かえた。休日だというのにスーツ姿の大人がホームで列をなし、手元に目線を落として干渉し合わない。心が豊かそうには見えず、優秀さも感じさせないその姿は自分を安心させる。皆がみな、会社では決して感じさせないであろう容易に見下すことができる様相を呈しており、肩書きもプライドもない人間は自らの世界にのみ存在していた。意図せず、ないしは意図という概念すら取り払われたように何のアイコンも備えずただひたすらに疲弊を垂れ流す。家には家族が待つのだろうか、電気の消えたワンルームへ帰るのだろうか。幸福から切り離された姿はみな等しく、自己へ没頭するしか身を守れないことを示していた。
線路沿のフェンスを辿り、数分間隔で真横を過ぎる電車と、時折すれ違うどこに行くでもない格好の日常を体現した人々を遠くへ意識し帰路につく。追い抜かれたのか追い抜かしたのかは分からない。金属の車輪が粗い砂利の上に敷かれたレールを軋ませた。耳に届く音全てが無機質だった。温度がなかった。静寂だった。自我の行方が分からなくなる心地よさが浮かび上がる。求めていたものとの距離が有耶無耶にされ、今抱えているものだけが朧げに残る。朧げなままそこに焦点を当てず、また当てる気力もなく、ゆらゆらとただよう。
この地でなければ心が崩れていたかもしれない。その存在に縋るように自らの所在を心底に忍ばせ、屍になっても華があると思い込もうとした。この地への憧れは先見の明るさからではなく、腐れ落ちてもまったく構わないと観念した心境からきていたのかもしれない。誰かの屍が積み重なることを誰も気に留めない。心身が弛緩する。こんな時にも、腐れ落ちる結末を前提にし、最もありふれた一切熟さずのうのうと日々に倦む平行線を他人事としている。眩し過ぎない月はまだ腐るには程遠いことを辟易する偽善の面持ちで告げる。計らずも脱力した。わずかに揺れていた煩雑な考えは知覚を離れた。落ちぶれようともありふれようとも誰からも気に留められず、ここでは自身にのみそれを一寸遅れて認識させられる。個人の輪郭が明確に区別される中、自分自身への最大の関心が自身からのみ注がれる。
結末がどうあれ、盲目になりながらも歩みを出すことができるこの退廃的な包容に溺れていたい。その道程を純粋な葛藤で縁取り、明日の自分へおざなりに放心できるこの瞬間を望んでいた。刹那的なモラトリアムを抱きしめる。
いつの間にか馴染みのある道すらも終わっていた。辿り着いていた。虚な心とともに床に就く。私は今東京にいる。
憧憬