生徒会長
1
実の姉が急死したと警察から連絡を受けても、俺には何の感情もわかなかった。
せいぜいが、
「警察と関わるなんて、面倒だなあ」
と思った程度で。
姉のことを愛していたわけではない。むしろ仲は悪かったのだ。
しかしすでに両親は他界しているので、
「死体の身元確認には、自分が警察署へ出向くしかないのか」
と、あきらめるほかなかった。
子供時代からずっと、姉は『目の上のタンコブ』のような存在だった。
特に俺が中学1年に入学した時点で姉は3年生で、なんと生徒会長をしていた。
しかも美貌で成績トップとあっては、人気が出ない方がおかしい。
俺が入学した初日、教師の言葉からしてこうだったのだ。
「やあ、君が直子さんの弟かい?」
校内で、俺の呼び名が決定した瞬間だった。
『直子さんの弟』と同級生も俺を呼んだ。
ついに廊下ですれ違いざま、校長までがその名を使った時、堪忍袋の緒が切れた。
その翌日、俺はテスト答案の氏名欄に記入したのだ。
『1年1組 氏名:直子さんの弟』
呼び出されて怒られるかと思ったが何もなく、採点された答案が正常に返却された時には、体中の力が抜けた。
「ねえ直子さんの弟君、直子さんは今日はお忙しいかしら?」
「なあ直子さんの弟君、今度の日曜、直子さんを映画に誘いたいんだが、君の口からきいてみてくれないか?」
「おお直子さんの弟君、直子さんの昨日の演説は、なかなか立派だったね。さすがは生徒会長だ」
その姉が今、冷蔵庫から引き出されて来たところだ。
死体確認は警察署でするものと思っていたが、意外にも検視局へつれてゆかれ、そこでご対面となったのだ。
壁一面が何枚もの銀色のドアで埋めつくされた部屋があり、その一枚が開いて、まるで引き出しのように姉は滑り出てきたのだ。
部屋の中には線香がたかれ、煙があたりを漂っている。
ひき逃げだったのだ。
一日の勤務を終えた夜遅く、駅から自宅への道でのこと。
はねた自動車は、衝突後にブレーキをかけた形跡すらない。
「ご遺体はあなたの姉、佐田直子さんに間違いありませんね?」
と刑事が尋ねるので、俺はうなずいた。
あまり興味もなかったが一応、被害者遺族らしいセリフをはいておくことにした。
「犯人は捕まりましたか?」
「まだ捕まりません。あるところに防犯カメラがあり、それに写っています。しかし盗難車でしてね…」
「そうですか」
「それにしてもお姉さんは残念でしたね」
「えっ?」
意外な言葉に俺は驚いたが、若い刑事は少しはにかんだ顔を見せた。
「学年は一つ下ですが、僕も同じ学校だったのですよ。クラスの男子の半分ぐらいは、お姉さんに恋をしていたんじゃないでしょうか……。隠れて写真を撮って、お姉さんのブロマイドを売っているやつまでいましたから」
「…」
「先日も同窓会があって、みんなでいろいろと語ったのですよ。お姉さんは学校のマドンナだったから、みな覚えているのです」
2
姉の部屋へ立ち入るのは、実は俺はこれが初めてだった。
ひき逃げ事件はまだ解決しないが、とりあえず姉の私物だけは警察から返却されたので、その中にあったキーを用いて、俺は姉の部屋へ足を踏み入れたのだ。
意外にも、姉の部屋の内部は乱雑だった。
姉の性格から、もっときっちり片付いていると思っていたので少し驚いた。
「姉の所有物のうち、売れるものは勝手に売ってやろう…」
と俺は考えていた。
そんな俺の目に、金庫が目についた。
家庭用としては場違いなサイズで、戸棚の影に隠すように置かれているのだ。
扉には鍵穴があり、もちろんロックされていた。
しかしそのキーに俺は見覚えがあった。
先ほどの私物の中に、長い金色のキーが目についたのだ。
「きっとこれだろう」
試してみると、はたして鍵穴にピタリと収まり、カチンと気持ちの良い音がする。
俺は、恐る恐る扉をひき開けた。
金庫の内部には、雑然と物が積み上げられていた。
写真立てや個人的なノート、学校の教科書といった、金庫の中身にふさわしいとは思えないものばかりだ。
その中である物が、俺の目をひきつけた。
「あっ」
と思い、手に取ると、ボール紙製のカードなのだ。
いかにも子供向けの商品で、鮮やかな色で、文字と写真が両面に印刷されている。
「くそっ…」
思わず俺は、悪態をつかなくてはならなかった。
そのカードには見覚えがあったのだ。
見覚えどころか、これはかつて俺の所有物だった。
小学生時代、俺は怪獣映画やテレビ番組が大好きで、いつも見ていた。
学校でも、友人たちとは怪獣の話ばかりしていた。
そういう俺の宝物は、怪獣の名と写真が印刷されたハガキ大のカードだった。
1枚何円と駄菓子屋で安く売られていたが、俺は何十枚と買い集めた。
それを毎日眺め、大切にしていたのだが、その中の1枚がある日、行方不明になった。
しかもそれは、最も気に入っている火炎怪獣のもので、俺は家中を探し回ったが、結局発見することはできなかった。
泣きべそをかき、とうとう捜索をあきらめたが、その後の数日間を文字通り俺は涙とともに過ごし、ショックがあまりにも大きかったのか、あれほど好きだった怪獣への情熱も急速にしぼんでいったのだ。
それ以来、何事かに熱中することも関心を持つことも、俺はきっぱり止めてしまった。
『何かを好きになると、失ったときの衝撃もそれだけ大きい』
と小学生なりに学んだのだろう。
そして今、その火炎怪獣のカードが金庫の中から出てきたのだ。
「これじゃあ、犯人が誰か分かりきっているじゃないか…」
俺が言うのは、もちろんひき逃げ犯のことではない。
「姉が盗んで、ここに隠していたのだ」
そう思って見回すと、思い当たることがある。
例えばこの金庫の中、怪獣カードの次に目についた数学の教科書だが、高校生用のもので、裏返すと所有者の名が書かれている。
女の名で、俺に覚えはないが、かつての姉の同級生ではなかろうか。
そういえば、
『理系クラスへ進みたいと数学の猛勉強を始めた誰それが、そのとたんに数学の教科書を紛失してしまい、大いに困っているらしい…』
という話を、姉が母親にしているのを小耳にはさんだ記憶がある。
「ははあ」
と俺はうなずいた。
幼い頃からずっと、姉は『良い子』
小学校へ入学してからも常に『優等生』で通っていたのだし、家族としても疑ったことは一度もない。
しかしどうやら、見かけの姉と真実の姉との間には、かなりの乖離があったようだ。
「おやおや」
その次に発見した物体は、俺の確信をさらに深めた。
大学入試の受験票だった。日付は10年弱の昔。
つまり姉自身が受験生だった時期に重なるのだ。
貼り付けられている顔写真にも氏名にも見覚えはないが、これも姉の同級生なのだろう。
「受験票を紛失して、この受験生は受験できたのだろうか」
俺は思いをめぐらせたが、まず受験は不可能だったろう。
姉の行為は、俺自身を含め、少なからぬ人々の人生を狂わせたのだ。
俺は、金庫の中の品々を調べ続けた。
そのたびに、隠されていた姉の姿が浮かび上がる。
そのバラエティーに、俺は退屈する暇もなかった。
誕生日プレゼントだったのだろう。誰かの名が裏面に刻まれた女物の腕時計。
どこかの男の名が書かれた表彰状が細かくちぎられて、封筒の中に納まっていた。
この男が何をし、何故に表彰されたのかすら、もはや俺は確かめるのも面倒だった。
それほどまでに姉の『戦利品』は数多かったのだ。
数え上げれば15点近い。
3
ひき逃げ事件はまだ解決しなかったが、姉のために、俺も葬儀を行わなくてはならなかった。
最初は親戚だけを集め、ごく小さく済ませるつもりだったが、新聞記事を見た連中から問い合わせが入り始め、内輪というわけにはいかなくなったのだ。
だから会場を借り切っての大掛かりなものになったが、さすがは姉ということだろう。
学校の同窓生が全員姿を見せたのではないかと思えるほど賑やかな葬儀になった。
なんと先日の若い刑事の顔まであったほどだ。
「捜査とは直接関係ないのですが、来てしまいました」
と刑事ははにかんだ。
式が始まり、焼香、出棺ととどこおりなく進んだが、俺が驚いたのは、そこで帰ったりせず、骨上げまで居残ろうとする者が親戚以外にも何人かあったことで、全く予想外だった。
午後遅くには骨上げも終わり、葬儀は終了した。
参列者たちとは別れ、帰宅するために俺も駐車場へ向かったのだが、そこで声をかけられた。
「新ちゃん」
振り向くと参列者の一人、姉の親友だった女だ。名は沢口といった。
沢口はチラリと見まわし、まわりに人がいないことを確かめたようだ。
沢口の後ろを、同じような年齢の女が二人ついて来ている。
「ねえ新ちゃん、私の腕時計、今からでもいいから返してくれないかな?」
と沢口は言った。
「えっ?」
「とぼけないでよ。まだ新品だったのよ。裏ブタに私の名前が彫り付けてあるわ」
金庫の中のあの腕時計のことだと気づき、俺は体がカッと熱くなりかけたが、返事はできなかった。
その前に別の女が口を開いたのだ。
「私もそうよ。あの時は別の大学を受験しなおさなくてはならなかったんだから、せめて受験料を返してほしいわね」
「受験料って?」
「直子の部屋の金庫の中身を見たでしょう? 盗品の山だったはず。大学の受験票があったでしょ? あれが私のよ」
「あれは…」
ここで別の女が口をはさみ、ポケットから取り出した紙きれをヒラヒラさせた。
「これ、数学の教科書を買いなおした時の領収書ね。ちゃんと払ってもらうわよ」
「だけど…」
本当に俺は、どう答えてよいやら分からなかったのだ。
沢口が鼻を鳴らした。
「直子の正体は、学校の女子はみんな知ってたのよ。アホな男子と先生たちが知らなかっただけでね。目が曇ってるにもほどがあるわ」
「なぜ本人に返還を要求しなかったんだい? 機会はいくらでもあったろうに」
すると女たちは鼻を鳴らし、
「むりむり。こちらはただの一般生徒。直子は先生たちのお気に入りで全学のマドンナという上級生徒。返せ、そんなもの知らないわで、始めから勝ち目なんかありゃしない」
「そもそも金庫のことをどうして知ってるんだい?」
「直子は、私のことを親友と思ってた。私はそんなこと、思ったこともないけどね」
「……」
「だからいろいろ話してくれたのよ。中身が何かまでは言わなかったけど、自分の部屋には大切なものを入れる金庫があって、そのキーはいつも肌身離さず持ってるってさ」
「中身は盗品の山だろうと予想してたのかい?」
「その通りよ。だけどそれだけではない」
「なにさ?」
「直子はこんなことも言ってた。持ち物のうちで特に大事なものは、同じ金庫の中でも特別な場所に入れてあるってさ」
「特別って?」
「それが何なのかは知らない。でも封筒に入れて、金庫の内側、天井部分にセロテープで張り付けてあるそうよ。親友と思ったから話してくれた秘密だけど、約束を守る義理はないしね…」
4
盗品の返還を約束して、俺は沢口たちとは別れた。
車に乗り、骨壺を手に帰宅したのだ。
だが玄関を入っても骨壺は下駄箱の上に置いたままで、階段を駆け上がっていった。
姉の部屋に入ると、金庫はドアを開けたままになっていた。
俺は、金庫の中身を空にしたと思い込んでいたのだ。
だが内部に手を突っ込むと、確かに天井板には指に当たるものがある。
沢口が言っていたように封筒で、セロテープで張り付けてあるようだ。
俺はすぐに取り出した。
開けてみると新聞記事の切り抜きと、メモ用紙らしい白い紙が入っている。
切り抜きは社会面の記事だが、目立つのは余白部分に俺自身の手書き文字でメモ書きがあることで、
『神戸 505 あ 〇〇〇〇』
と自動車のナンバープレートのようだ。
記事は3年前の日付で、近隣の町で起こったひき逃げ事件を扱っていたが、こちらも被害者は姉と同じように死亡していた。
ただ記事の終わり方が奇妙で、事故の状況から見て、その瞬間を目撃した者がいたに違いないものの、いまだに警察に名乗り出る者はなく、
「目撃者はぜひ名乗り出てほしい」
と記者は記事の最後を結んでいた。
もう一枚の紙は正真正銘のメモ用紙で、こちらにも走り書きがあるが、俺の知らない書き手によるもの。
『すべておっしゃるとおりにいたします。毎年クリスマスに100万円を郵便小包にて』
「ふうん」
そういえば思い当たるフシがあった。
クリスマス近くのある日、姉が留守をしている家に小包が届き、俺が代わりに受け取ったことがあるのだ。
差出人の名など覚えてはいないし、どうせ偽名だったろうが、あれがそうだったのだろう。
「紙幣で100万円といえば、あのくらいの大きさなのか」
そういえば、過去2回ほど同じことがあったような気がする。
「あれっ?」
不意に気がついて、俺は急いで自分の部屋へと向かった。
姉の部屋と同じように、こちらもよく片付けられているとは言い難い。
だが自分の部屋だから、立ち入るのに何の遠慮もない。
独身男らしい殺風景さだが、その中で一つだけ、額に入れられた風景画が壁に目立つ。
なんということのない風景画だが、もちろん俺が自分の意志で置いたのではなく、あまりの殺風景さに母親がどこかから持ってきて、勝手に飾ったのだ。
俺には何の関心もなかったが、外してしまうことさえ面倒に感じられ、そのままになっていた。
それを壁から取り外し、俺は裏返した。留め金をゆるめ、裏ブタを外したのだが、
「やはりないな」
先ほどの新聞記事は、俺がここに入れて隠しておいたものなのだ。
つまり姉は、俺の留守を狙って、家探しまでしていたことになる。
だがおかげで、俺は納得することができた。
3年前、ひき逃げを目撃したのは俺自身なのだが、面倒くさい気がして、ナンバーを警察に届けたりはしなかった。
怪獣カードが消えて以来、俺はそれほど人との関わりを避ける性格へと変わっていたのだ。
新聞記事に見つけた時、記憶していたナンバーだけメモ書きして、そのまま忘れることにしたのだ。
それを風景画の裏に隠したことさえ、今日この瞬間まで思い出すことはなかった。
それを姉は盗み出した。きっとまた、弟の人生を左右するネタを求めてのことだったろう。
しかしあの新聞記事には、もっと別の使い道がある。そのことに姉は気づいた。
ナンバープレートだけを手掛かりに、どうやって姉がひき逃げ犯と連絡を取ったのかは分からないが、興信所をひそかに雇うことだって可能かもしれない。
金庫の中にあった品々を見てもわかる通り、姉は他者の運命を操り、人生を支配することに喜びを感じたのだろう。
ひき逃げ犯も、そのワナの中に落ち込んでしまったのだ。
しかし全てが姉の思い通りに運ぶわけではない。
ひき逃げ犯はついに、姉に反旗をひるがえす気になったのだろう。
毎年毎年、100万円という金を吸い上げられることが我慢できなくなったのか。
ならば、どうやって姉を黙らせたらいい?
皮肉にも3年前と同じ方法を用いることにしたのだろう。
3年前は純粋に交通事故だったのが、今回は事前に準備し、足のつきにくい盗難車を用いた、というところか。
「これは警察に届けないわけにはいかないよなあ」
もちろん俺には、姉のカタキを討ちたいという気持ちなどなかった。
怪獣カードのこと一つとってもわかるように、俺にとって姉は敵でしかない。
「しかし、すでに2人も死んでいる以上は…」
気は進まなかったが、俺は警察へ出かける気になった。
「まあいいさ。あの若い刑事をつかまえて、面倒なことはすべて押し付けてしまえばいい」
事情を知った時にあの刑事がどんな顔をするのか、それだけは俺も楽しみだった。
生徒会長