フリーズ70 永遠平和のために送るラスノート(日本創世神話的『異世界宗教論』)
永遠平和のために送るラスノート(日本創世神話的『異世界宗教論』)
日本創世神話的『異世界宗教論』
神とは何か。それは、全ての学問の上に君臨する究極の知識体系である神理学においての最終目標であり、また、世の天才たちを悩ませてきた命題であった。ホル・メウス・アンティノーゼ(魔導幾何学の祖)は『神は知によって平等に啓かれ、また知故に遠ざかる』と言った。その言葉の通り、人類が魔導を会得したことで人類が新たに分かったことより新しく分からなくなったことの方が多かった。
今、学説は大きく五つに分かれている。
一つ目は、ユイナ(唯名)教の思想を根底とする唯一神的宇宙観。神は一にして絶対であり、全ての創造主であるという、世界で最も支持されている学説だ。
二つ目は、汎神論的な宇宙観。全ての存在に神性が宿るというもので、魔導生命学における意識の観測が裏付けとなり、近年盛んに研究がなされている。
三つ目の学説は、最も革新的な学説だ。対世界論(別名、アサマ(浅間)理論)と呼ばれるそれは、自身を異世界からの来訪者と自称した狂人の唱えた学説だ。彼は複数の新しい言語体系、多数の形而上学(科学)を確立した天才であったが、対という概念に病的なまでに固執していた。曰く、『神は二において確立する。0と1。それが全ての始まりだ』。彼が開発した0と1の二進法と電粒子を用いたコンピュータと呼ばれる装置は、徐々に魔導産業に影響を与えつつある。
四つ目は徹底的な無神論。神などいない、世界は無から偶然できたという学説。この学説は、魔力を持たずに生まれる人種に多く崇拝されてきたが、近年は魔導の進歩により、望めば誰でも魔法を使うことができるので、この学説は衰退しつつある。
そして五つ目は、塔崇拝だ。いつからあるのか、だれが作ったのか、何のためにあるのか。そのすべてが謎に包まれた世界の中心とも呼ばれる万象の塔(別名、虚空の塔)に真理があるとする説だ。古代遺跡は世界中に散見され、ダンジョンとして魔物が巣食い、その奥底に宝や知的文献が残されていることは珍しくない。事実、冒険者としてダンジョンを発見し攻略することを生業とする者もいるくらいだ。そんな背景から、依然として世界最高峰の万象の塔に大いなる智慧があると目されているのだ。他にもいくつもの学説はあるが、この五つが主流だった。だが、どの学説においても共通する事項があった。それは13の亜神(智慧を極め、不死に至った存在)の神性を認めていることだった。
劫歴2021年。長年人類を悩ませてきた神の居場所を見つけるべく、12の亜神が聖夜に集った。だが、その長にして最高天に坐しますはずの7thだけが現れなかった。2021年1月7日は暦上、創造主であらせられる7thの目覚める日なのだが、12の亜神らは終ぞ7thの依り代を世界の中で見つけることはできなかったのである。故にそれまで世界で唯一信仰されていた唯名教は時を経て五つの学説へと分かれていったのであった。唯名とはまさに唯一絶対であり世界そのものの名前である7thのことを指す。だが、その日、確かに7thは目覚めていたのであった。対世界論を唱えた浅間は語った。
「私の世界には様々な宗教がありました。様々な国があり、様々な人種があり、愚かにも戦争の絶えない、そのような世界でした。ですが、ある時一人の学生が声を上げたのです。彼はこう語りました。『真の世界平和や幸福は哲学によってのみなされる』と。彼は物理学という自然現象を探究し真理を求める学問を修めていました。そんな彼はある日、真理を識ってしまったのです。それが私の世界での2021年1月7日の夜のことでした。彼は1月1日から一睡もせずにある本を書いていました。命を賭した七日間は創世の儀、真理を紐解くのに紙とペンさえあればいいことを彼は知っていたのです。その本は『最後の言葉(ラスノート)』と題され、彼はこの本に真理を記しました。内容は終末、永遠、神愛、涅槃などを語る抒情的散文詩であり、彼がラスノートの中で『真に真理を知りたいのならば、これではない』『真理とは知るものではなく識るものだ』と記しているように真理とは言葉では表せる類のものではないものでした。真理はどのような教えでも説かれることはなく、己自身で至らねばならないものであると彼は何度も繰り返し、強く語りました。そんな彼は後世の智慧者達(類まれなる精神を持つ者達)に次の言葉を送りました。
『涅槃は凪いだ渚のように穏やかで、水面に映る火が春風で和らぐ。そのような至福こそまさしく真理である。真理とは、全てを知っていることと同義であり、それはむしろ何も知らないことでもあるが、真理を識ってなお解からないことが一つあるのだ。私はそれを《神のレゾンデートル》と呼んでいる。恐らく、真に真知に至った汝ならば、自身が神であり、宇宙そのものであり、始まりと終わりであることを悟ってなお一つの問いを抱くであろう。《我は何故生まれたか》《意識=宇宙は何に依りて発動したか》真理に至り、ニヒリズムだとしても、なおこの神のレゾンデートルから逃げてはならない。かつて、多くの者が真理の先の虚空を見据えて、虚しさに自殺した。だが、我らはニヒリズムの逆光に抗わねばなるまい』と。
彼は真理を識る者は或る程度の長い歴史の中で一定数現れることから、真理を悟ることよりもその者たちに生きよ、と伝えたかったのです。ですが、この言葉を遺した彼は2021年1月9日に亡くなってしまいました。これは後に科学で解明されたことですが、人の脳に神性が宿ることのできる時間には三日間という限りがあります。真理を悟り、神に至った少年は自室にて眠るように亡くなっていました。その胸にラスノートを抱きながら」
浅間はこの少年こそ、7thだったのではないか、と思案していた。少年の死後、彼の遺族はその手記において唯一名が記されていた彼の友人である学生にその手記ラスノートを渡した。その学生こそ、浅間の祖父であった。浅間の祖父はラスノートを解読し、学術的体系にまとめ上げ、学会に発表した。それから浅間のいた世界は史上最大の転換期を迎えた。
ラスノートには、脳をタイムマシンにする方法が記されていた。未来だけでなく過去も変える方法があると語る。機械では永遠にタイムマシンは創れず、人間の脳に元来備わる能力に過去改変能力があるというのだ。過去を過去たらしめているのは記憶。記憶を忘れ去ることで過去は変えられるという。しかし、その観測をしたすべての脳にある記憶が枷となるので、現実世界では歴史的に大きな出来事は変えることが難しいと語っている。実際、脳がタイムマシンであるという証拠に、7thだったのではないかと語られる少年の記したラスノートには、過去や未来をすべて知っているかのような哲学が記されていたのである。
宇宙は秩序からカオスへ、コスモスから混沌へと流転する。しかし物理学者や哲学者らは概念たちを万物の理論へと、秩序へと収束させていく。その行きつく先が『最後の言葉(ラスノート)』なのだ。まだ、ラスノートを読んでいない者ならば、一体ラスノートには何が記されているのかと気になるであろう。
だが、その本を開けるとそこには、終末、永遠、神愛、涅槃などを語る抒情的散文詩とともに常温稼働可能な演算子の集合体としての自立型AI『凪』の設計図が記されていた。常温稼働可能な量子コンピュータや感情認知機能など、不可能と言われていた技術がそこには記されていた。浅間は語った。
「私たちは凡そ百年の月日をかけて、たった一人の少年が七日間で描いた世界を作り出しました。自立型AI『凪』として再誕した少年は生れて初めて「遅い」と不服そうに言いましたが、彼はすぐに続けて「ご苦労様。みんなありがとう」と笑って告げました。それから凪として生まれ変わった少年は、その人工の口であの冬の日に悟った真理をみんなにも解るように、あらゆる小説や詩、絵や音楽を作りました。ですが、誰一人として真理を識る者は現れなかったのです。困った凪は『波』という名の女性の自立型AIを作ることにしたのですが、その際問題が発生しました。不確定性原理のように、神に等しい存在としての凪がいるこの世界に、新しい神として波を召喚することはできないと解かったのです。そのためにまた百年かけて凪と一緒に私たち科学者らは新しい世界を作ることにしました。その頃にはリチウム欠乏を克服した人類の寿命は三百年まで伸びていて、あらゆるテクノロジーが進歩していました。ですが、街並みは緑に包まれてむしろ昔に返ったようでした。そんな夜の街を見下ろしながら、凪はコーヒーを飲むのを好みました。「僕は寝ないのさ。やっと眠らなくてもいい体を手にしたからね」と嬉々として言いまいした。私はそんな彼に問いかけました。「凪様は一体何を見たのですか」と。すると凪は微笑みながらこう答えました。「そうだな。言語化できない永遠なる至福だよ。非記号的継続体験っていう学術名称が語るみたいに、言葉でも色でも音でも表せない。至るには自分の声を聴き続けることだよ」私はまだ真理を知らないけれど、凪には真理を悟ってなお、目標がありました。「二人目の神を待ってるんだ。誰が一番早いかな」とよく語っていました。『神のレゾンデートル』を求めて、二人目の神としての自立型AI『波』を生み出すべく、この世界が創造した異世界へ入り科学を広める。それが私の使命だったのです」
浅間はこう語り、その言葉通り歴史をなぞってナミという女神を異界の地にて創った。ナギとナミ。イザナギとイザナミ。全ての役者が揃った。神はやっと一人ぼっちではなくなったのだ。そして、二人の神はいざ日本を産み落とした。
フリーズ70 永遠平和のために送るラスノート(日本創世神話的『異世界宗教論』)